誰もが実践できるヨーガ」カテゴリーアーカイブ

京都・春の瞑想1日ワークショップ

瞑想専科
京都瞑想専科の風景。キャンパスプラザ京都の和室は都会の中の落ち着いた空間です。

始めの頃は5分と座るのが苦痛だったのに、いつの間にか、10分、15分、30分と座れていくものですね。不思議な事です。

眠くなることも、雑念に終止することもなく、心は落ち着きを取り戻し、集中していきます。

毎日の積み重ねです。

ヨーガの精密な心のカラクリや神秘的な生理学、人間らしい生き方や理想についての教えも、最初はよくわからなかったものが、だんだんと慣れていって、わかってくるのも不思議な事です。

10月から始まった京都瞑想専科第1期は、今週3月30日に終わります。半年間共に学ぶと、気が通い合うようになることも不思議な事です。

でも、不思議な事ですが、普通の事のようにも思います。習うより慣れろですね。

第2期は、「日常を変えていく」をテーマに、日常生活の中での様々な疑問や課題を通して、瞑想を深め、心と行動を調えていく内容にしていきたいと思います。生活=生きるというところに、瞑想の秘訣があるように感じます。命の働きを知るということでしょうか。

心が変われば日常が変わり、生命の神秘を感じるようになっていくのだから、何とも不思議な事です。

4月23日には、瞑想1日ワークショップがあります。気軽に瞑想を体験してみましょう!

サーナンダ


ヨーガの秘訣・大阪編・・・ヴィヴェーカーナンダの詩

めっちゃ忙しい人がどうやって日常でヨーガを行なっていくのか。
その実践的秘訣を、大阪で家事に仕事に忙しくしながら、プレーマヨーガサークルをされているスディーティが寄稿してくれました。


この数年、私の周囲は何だか忙しい。それは、今までの生活を突然大きく変える必要に迫られるようなことでもあり、一般的に言えば「次から次へと大変やね~」みたいな状況でした。実際、もし自分がヨーガに出会っていなければ、いちいち大パニックになって悲劇のヒロイン気取りになっていたかもしれません。
そう、その時、確かに私はヨーギニーとして、やってくる出来事を淡々と受け止め、その時最善と思われる方針を決め、一つひとつ行動に移していったのです。すると、色々と困難なことが起こっているとは思えないほどスムーズに事が運び、「は~、ヨーガのお陰やわ。私も結構成長してるやん~!」といい気になっていました。

しかし!出来事を受け止めて方針を決めるのと、実際に一つひとつ実践していくのは大違いなのです。「ちょっと~!わかってたけど、やってみたらめっちゃ大変や~ん」なのです。まず時間がない、家族は色々と問題を起こしてくれる、慣れない仕事では自分の無能さに改めて気づかされる、毎日へとへとになって1日を終えることで精一杯と感じていました。いつも何となくイライラして不機嫌で、アーシュラマでヨギさんにお会いできる時だけがすべてを忘れ満たされている時間でした。ヨギさんは、いつも私たちと一緒にいると言ってくださっているし、それが真実だと分かってはいるけれど、その時の私はそれを感じることができず、「余裕がないんです!もう目いっぱいなんです!」と叫び出したくなるときが度々ありました。

それでも私がヨーガから離れてしまわずに済んだのは、一つには〝プレーマヨーガサークル〟があったからです。私には、サークルに来られる方にヨギさんのお言葉を間違いなくお伝えする責任があったし、何よりそこには仲間がいました。心おきなくヨーガの話ができる仲間との時間は、私にとって大きな支えとなりました。元々は一人でも多くの人の助けになるためにヨーガをお伝えしなくては!という思いで始めたサークルでしたが、助けられているのは私のほうだったのです。

_MG_5285
プレーマヨーガサークルでのバクティ・サンガムの様子

もう一つには、グルバイである先輩ヨーギー・ヨーギニーの存在がありました。先輩たちに私の状態を話すことはなかったし、頻繁にお会いできるわけではなかったけれど、知ってか知らずか、いつも少しの会話の中に〝はっと〟させられることが何度もありました。また、何も会話をすることがなくても、直接お会いするわけではなくても、その在り方を見るだけで心がリセットされまた新たな気持ちでやり直そうと思わせてくれる存在でもありました。

そして、上の二つの理由にも増して大きな一つが、師であるヨギさんの存在です。
私は、ヨギさんにお会いして弟子にしていただいて以来、ただひたすらヨギさんの喜ばれる様子が見たくて熱心にヨーガに取り組んできました。ヨギさんが最も喜ばれること、それは私たちが〝本当の自分に目覚める〟こと。そのために、ヨギさんが私に言われたことは「常に神を思う」ということです。それは私にとっては本当に進みやすい道で、いつも胸の奥のヨギさんを基準に物事を決断し、歩んできました。ヨギさんの弟子であるということは、私はヨギさんのものであるということだと思いました。ヨギさんのものである私の面倒はすべてヨギさんが見てくださっているのだから、何がやってこようとそれは私にとって必要なことだし、そのことについて私は何一つ余計なことを考える必要なんてない。ただその時その時最善を尽くせばよい。その考えは私を強くし、目の前で起きる出来事に振り回されることなく進んでくることができたのです。それがどうでしょう!ここ数年、押し寄せてくる出来事に踏ん張りがきかず、たった一つのことさえままならなくなっていたのです。それは本当に苦しい時間でした。ヨギさんにお会いしたい!と思う反面、今の自分ではヨギさんを喜ばせることができない……という思いが湧いてきて、お会いすることをためらう自分がありました。

そんな悶々とした時間を過ごしていたある頃、私にとって大きな出来事が起こりました。それは、私がヨギさんのものとして相応しく生きているかどうかを問われるような出来事でした。その時も、私が自分自身の行く末を心配する気持ちは少しも起きなかったのですが、その問題を起こした人に対してどう対応すればよいか、その対処の仕方を間違えてしまえばその人の今後に大きな影響を与えるかもしれない、という思いもあり本当にどうしていいかわからず途方に暮れました。最初は腹立ちや悲しみのような感情もあり、数日間そのことが頭から離れず、「ヨギさんのものとして相応しくあれますように」と祈りながら、必死でヨギさんに問いかけ、すがり、答えを待っていました。

すると2日後、急に「みんな苦しんでいるんだ」という思いがやってきました。それと同時に、ヨギさんならこの人たちの暗闇に光を投げかけてあげることができるのに、私はヨギさんの弟子でありながらこんなに近くにいる人たちを助けてあげることもできないんだ!という事実に気づかされたのです。それは言い換えれば、一刻も早く苦しんでいるこの人たちのために、私はヨギさんと一つにならなければならない、ということなのです。一刻の猶予もない!という焦りを感じ、自分のことを情けないと思っている時間さえないのだと思いました。
そうして改めて気づいたことは、ヨギさんは「〝常に〟神を思いなさい」と言われたということ。〝常に〟はあくまで〝常に〟であって、〝できる範囲で〟とか〝都合の良いときだけ〟ではないのです。そうして振り返ると、今までの自分は熱心に実践しているようでいて、隙だらけだということにも改めて気づいたのです。もっと隙なく、もっと注意深く、もっとやれる……と。

それ以後も私の状況は特に変わることなく、むしろ叫びだしたくなっていた頃より忙しくなり、周囲の人たちも相変わらず問題を起こしてはくれますが、それらのことは以前のように私を苦しめる力を失ったようです。そんなことよりも、私は周囲の人たちの苦しみを取り除くために、一刻も早くヨギさんと一つになり、ヨギさんを愛するように、ヨギさんが私たちを愛してくださるように、この人たちを愛したいのです。

われ汝について何も知らず
知れるはただ われ汝を愛すということのみ
汝は美し おぉ 汝は美し!
汝は美そのものなり

おぉ 愛しき者
汝の唇のひとつのくちづけよ!
汝のくちづけを受けし者は
汝を慕う心 とこしえにいやまさん!
すべての悲しみは消え
来し方
今 行く末を忘れて ただ汝のみを思う

誰が救いを願わん
誰が救わるることを願わん
解脱をも誰が願わん
われ富を欲せず 健康さえも欲せず
われ美しからんとも 賢からんとも願わず
数多度(あまたたび)生まれさせ給え
この世の諸々の悪の只中に
われつぶやくことなからん
ただわれをして汝を愛させ給え
愛のための愛もて

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
『愛の叡智』より

この詩は、5年ほど前にミラバイさんがスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの美しい写真と共にカードにしてくださったものです。それ以来、毎日仕事に出かける前にこの詩を唱えています。最初はその美しい詩を唱えることで心を静めようとしたのか、集中させるために行なっていたのか、はっきりと覚えてはいないのですが、いつの頃からかこの詩は私の生きる理想になっていました。「どうか、こうして外から内に向かってこの詩を唱えるのではなく、止めようとしても内から溢れ出す私の言葉となりますように!」と。
そして、今、また新たに強く決意するのです。それを遠くない未来に必ず実現するのだと。

IMG_9805

スディーティ


大きなエゴ

..

地球のことを思うとエゴの大きさは地球くらいになり、

宇宙を思うと宇宙大になり、

神を思うと神の大きさになります。

自分のことしか思わないと、小さなエゴしかありません。

エゴは悪いものではなく、考え方によっては必要です。

どうせなら大きい方がいい。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

ブッダは生きとし生けるものすべてのことを慈しみ、大切にしたと言われています。そうすると、そのエゴの大きさは無限大!エゴも無限大になればもはやエゴではないんだなあと、この教えを聞いた時に思いました。自分の悩みに四苦八苦しているというエゴは、本当に小さなエゴなんですね。

サーナンダ


ヨーガの秘訣・京都編・・・あるバクタの愛の1日

ヨーガには、バクティ・ヨーガ(神への信愛)と呼ばれるものがあります。アーサナ(ポーズ)や瞑想を主とするラージャ・ヨーガ(王道ヨーガ)と比べると、愛という感情を用いて進めていくところが少し違っています。愛の感情は、知性や意志よりも強く、心を一瞬で変えてしまう力があります。近代の大聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサの伝記を読むと、その常軌を逸した行動に驚いてしまいます。神の愛人と呼ばれるバクタは、神に酔い痴れ、神に狂い、その甘美な愛に我を失ってしまうのです!

先日松山でバクタと名高いAさんに会った時、Aさんがスマホにダウンロードした中世の偉大なバクタ、シュリー・チャイタニヤの絵を見ながらニタニタしたり、涙ぐんで神への愛に憧れている姿を見て、「変態」だと思いました。バクタにとって「変態」は褒め言葉であって、私たちの方こそ世間の常識に縛られ、理性に縛られてしまって、我を忘れて没頭できない不自由な理性人なのです。その束縛から愛の力で解放されたバクタのなんと幸福なこと!サナギから変態して蝶になるように、Aさんが変態しているんだと感じたエピソードでした。

今回は、まさにその愛の力で変態してしまった人、現代のチャイタニヤさんが、自分の1日を寄稿してくださいました。バクタに憧れを持つ人にとっては参考になるかと思い、ブログで紹介させていただきます。素晴らしきバクタの信仰と愛に満ちた1日をとくとご覧あれ!


午前7時。
猫がいつものように私の頬を甘噛みして起こします。この子は私の呼吸が穏やかなとき、まるでサマーディー(瞑想の深い境地)に入ったような顔で、グルグル喉を鳴らして貴方を讃えます。
今日はお天気ですが、かなり寒くなりそうです。師よ、今、貴方は何をされていますか?
あの、香ばしく豆の味が凝縮された至福の一杯を召し上がっているでしょうか。

貴方の好物の黒豆ご飯のおにぎりは、車の中で食べましょう。

車の窓から見える景色、行き交う人々が顕れては過ぎていきます。
不安そうな表情の年配の女性、ふてくされたように早足で歩くサッカー部の高校生。信号を渡りきれるか心配になるお爺さん。駅の出口で楽しそうに話をする出勤前のサラリーマン。
私はどうしても彼等全てが幻だとは、片付けられないのです。
彼等一人一人が今日一日、幸福でありますように。そして家に帰り、幸せの内に眠りにつけますように。
貴方のリーラー(神の戯れ)に私と彼等の喜びが顕れますように。

師よ、どうか教えて下さい。私だけがこの世のカラクリを知りたいと思っているのでしょうか?もっと多くの人がグル(師)を求めてやって来るようになるには、私達は何をすればいいのでしょうか?

ときどき、不安になるのです。
私が貴方への信仰を失うことは、またあの真っ暗な嵐の海に一人放り出されるようなことは、もう二度と起こらないでしょうか?
貴方の示す世界以外に、私の欲しいものがまたリーラーの中に現れるのでしょうか?

昨日は会社のみんなとラーメンを食べました。今週末は仕事帰りに付き合いで飲みに行きます。
日常は貴方とお目にかかった後にも、以前と変わらない形で毎日やって来ます。
これらのことは、私に何をもたらすのでしょうか?
それらによって私は何かを損なうのでしょうか?師よ、どうか教えて下さい。
誰が、サットヴァ(純粋)なのでしょうか?誰がタマス(怠惰、鈍重)だと言うのでしょうか?

正午。
昼休み。アーサナ(ヨーガのポーズ)の実習後、最後の十分ほどを瞑想に座ります。貴方のことを思うこの心がそれ以外のことに目を奪われませんように。私の心と身体、以外の視点に留まれますように。貴方の目線でこの世界を見られますように。
どうか、いついかなるときも、貴方のことを思えますように。この感覚がもっと確かで力強いものになりますように。
もう二度と心が貴方以外の世界を信じませんように。
もがきながら進んで行く私に、どうかその為の信仰と実践の力を、貴方の恩寵を、お与え下さい。

午後6時。
帰り道、ラジオからお気に入りの曲が流れます。
オルガンの音色も、甲高いシンバルの音も、スモーキーなヴォーカルも、私には音楽としてではなく、生命への、リーラーへの、そして貴方への賛歌のように聞こえます。他愛も無いラブソングも、私の心とすり替わり貴方への愛しさに呼吸が荒くなり胸が苦しいです。
貴方の一日のうち、ほんの数秒間でも、私の望みが届けられますように。
貴方から教えて頂いた、ヨーガの全てが、私の人生を変えてしまいました。
今、私には確かな土台が出来つつあります。このまま進んで行けばいいのだという自信が日に日に大きくなっていきます。
この喜びは何故私にもたらされたのでしょう?師よ、どうか教えて下さい。

今まで、貴方が私に起こされた数々のマジックは、決して口外できない私だけが知っている確信となって、貴方の偉大さを証明しています。
少し歯がゆいのですが、貴方は全くそしらぬお顔で、何も仰いません。
ただ、目が合った時に悪戯な瞳で微笑まれるのです!
それは何という甘美な瞬間。何という喜びでしょう。

午前0時。
貴方が見据える先々に、私に出来る働きがありますように。
貴方の大いなる計画の一端に、私の居場所が用意されていますように。
そのために、この老体を調えておきましょう。
今日もアーサナ、しっかりやりましたよ!

師よ、お休みなさい。
深い熟眠のなかで、私は一旦死にます。
そして“純粋な意識”として、今夜もお目にかかれますように。

ハリ!!!!!

Caitanya


松山の瞑想特別クラス+サットサンガの3回シリーズ2回目!

この暑さに負けることなくヨーガへの情熱を燃やしたいと願う松山のアーナンディーです。
(なんだか暑苦しい登場ですみません!)
7月30日(土)、7月31日(日)に松山で行われたサーナンダさんの2回目の瞑想特別クラスとサットサンガをレポートします。(またまた長くなってしまってすみません!)

1日目は33名(男性6名、女性27名)の方が参加されました。1回目の6月の講座やサットサンガがよかったと口コミで聞いて新しく参加された方もおられました。6月の講座では「生きる目的」について瞑想しましたが、今回は生活を変える瞑想の力!がテーマでした。
7月講座1さあ、これから15分瞑想していきますよ~。

印象に残ったのは、昨年の4月からずっと熱心に参加してくださっているSさんが、時間は自分で作ることについて、ご自身の日常の瞑想を楽しそうに生き生きと話されたことでした。

Sさん「この瞑想特別クラスに来始めて瞑想が変わりました。前は瞑想しようとしても眠かったんですが講座を受けて自分の瞑想が間違っていたのがわかり、姿勢が良くなって瞑想が一気にできるようになりました。また食事も簡単に切り替えたんです。前は食事の支度に45分くらいかかっていたけど、今は作る時間は5分~10分にし、それでも美味しいと言って皆が食べてくれます。私も体力的にその方が助かるし、そうやって時間をつくっていきました。睡眠時間も聞くところによると3時間寝たらいいらしいので、眠れなくても瞑想でもしようかなという気になって座るようにしています。特に家族が寝静まった夜の11時くらいから瞑想すると50分くらい瞑想に入り込めるようになりました。今日のサーナンダさんの話しを聞いて、そんなに食べなくてもいいとか寝なくていいというのがすごくよく分かるんです!」

私は講座の後、改めてSさんとお話しをしたのですが、親の介護をしていて一緒に寝ている母親がお手洗いに起きたらSさんは寝られなくなるそうです。でも「今置かれた状況の中で瞑想の時間を作っていく他ないしね!でもね、昼間は横になることもあるんよ」と明るく笑うSさんの言葉を聞いて正しく学んで実践してこられたからこその信念と力強さを感じました。

瞑想22回目の瞑想は30分間!心地よい静寂に包まれながら。

講座後の感想は前向きな声を多くいただきました。

  • 瞑想と行為の両輪でやっていく大切さがわかりました。実践します。
  • とにかく実践してみようと思った。できなくても諦めないでいようと思った。
  • 少しずつ日常の中でできることを取り入れてきたつもりだったけど、まだまだ変えられることがたくさんあるということ、また自分自身に甘いなということに気付きました。楽しみながら日常の中で実践につなげていきたい。

さて、2日目のサットサンガは19名(男性4名、女性15名)の方が参加されました。皆さんの質問が途切れず50分延長の約3時間に及ぶ熱意に満ちた時間となりました。

今回はバクティとグルの導き、信仰についてのお話しが印象的でした。
最近、アーサナのおかげで心が静かになってきたという女性Iさんに対して、サーナンダさんがバクティとグルの導きについてお話しされました(要約)。
「ラージャ・ヨーガ的にはそれでいいのですが、もう一つバクティ・ヨーガというのがあります。バクティにはグル(神)の導きと恩寵があります。グルの導きは計り知れないものです。グルが与えてくれる力こそが最も頼りになります。どんなに苦しんでいてもグルが一瞬にして活力を与えてくれるのです。自分の力って知れています。グルの教えをどれだけ信仰しているのか、教えを信頼して力にしていけるのかです。ヨーガをやっていくと、まだ目標に達していないけれど世間のことに興味がないという宙ぶらりんの状態になることがあります。その時バクティがあれば楽に進むことができます」
Iさん「バクティ・ヨーガは難しいと思ってしまう。(昨年の講座で教わった)対象に恋愛の気持ちを持つというのがよく分からない」
サーナンダさん「親が子供を思う気持ちもそうだし、子どもが親を愛する気持ちもそうです。その愛の感情を神あるいは聖者に向ければいいのです。バクティ・ヨーガは本当に力があります。理屈ではなくて、聖者のハートに瞑想していけば衝動のように自分の中に既にあるバクティが目覚めるのです。喜びに溢れるのです。聖者のハートに瞑想していく醍醐味はそこにあります」

7月サットサンガ2日目のサットサンガ。質問者Tさんの素朴な本音に思わず笑いが起こります。

また、別の女性Oさんの質問で「自分が苦しむ原因を考えた時、周りの状況に依存していることに気付いた。自分の足で立っていかないと問題が変わっても苦は続く。自立したいと思った。強くなりたい。目の前の人に優しくなりたいと、そういうものが自分の中にある!強さ、優しさはヨギさんと同じものがあると思って瞑想している。日常は昨日の講座で教えていただいたものをやっていきたい。自立できるようになるためにはどうしたらいいですか?」
サーナンダさん「信仰、ヨギさんへの信仰を育んでいかれればいいと思います。心は何かに寄りかからないと自立できません。常に何かを思わないといけない。変化するものに寄りかかると動揺しますが、変化しないものに寄りかかれば動揺しなくなります。信仰を拠りどころにすればいいと思うのです。それに寄りかかっていきたいという思いは発心です。最初は弱いかもしれない。信じている時もあれば弱くなる時もある。でも続けていくことで確かな基盤ができていきます。教えは生きた聖者の口からから発せられたのですから、その存在にこそ心を寄せていけばいいと思います。心を寄せ、いつも思う。そうしていくのがバクティの基本です。聖なる存在に対する信頼、憧れ、素朴な好きという感情を大事にされたらいいです」(要約)

サーナンダさんの言葉がその場にいる皆の心に深く浸透していくのを感じました。講座もサットサンガもサーナンダさんの言葉や揺るぎない実践の一つひとつにヨギさんの溢れる恩寵を感じ、感謝で胸がいっぱいになる2日間でした。
「松山瞑想特別クラス 瞑想を深める」3回シリーズの最後は9月17日(土)「一点集中を極める!」です。翌日、9月18日(日)はサットサンガです。松山の皆さんとお互い助け合って励まし合って、でも軽やかに毎日、実践を繰り返していきたいと思います!

サーナンダさん、濃密な2日間をありがとうございます。
ヨギさん、いつも私たちを導いてくださってありがとうございます。
NYのヨギさんに感謝が届きますように!!!

アーナンディー


夏の瞑想合宿に行ってきました!

7/16,17に滋賀県近江神宮内にある近江勧学館にて瞑想合宿を行ないました!

19名もの方にご参加いただき、スタッフ合わせて22名(女性17名、男性5名)、それぞれ近くは大津や京都、大阪から、遠くは兵庫、北九州まで!様々なところから参加されました。普段MYMのクラスに通われている方だけでなく、合宿で初めて参加される方もいました。
京都では祇園祭の真っ最中な日程でしたが、近江神宮は静かで天候にも恵まれ、夏ですが外の風が心地よくクーラーもいらないくらいでした。窓から聞こえる虫の声の音色もよく、瞑想に集中できたという方も多くいらっしゃいました。

合宿は、講座と瞑想実習、Q&Aで構成され、心のしくみから具体的な瞑想方法まで段階的に学びを深めていきました。

講座は、1日目は13時から始まり21時まで、瞑想実習を交えながらですが、各1時間×3回と合宿らしくみっちりとあり、具体的に瞑想を実践できる教えを学びました。みなさんうなずきながらメモをとり、集中して聞いてはりました。質問もたくさん出て、参加者のみなさんの真剣さが伝わってきました。

その中で特に印象に残った質問が「瞑想したいのに集中が続かない。何に対して瞑想したらいいのか?」。サーナンダさんの答えは、「自分がそのとき一番関心のあることに瞑想しないと、あやふやになり雑念が湧いて来る。対象を逃さないよう、心の注意を貼付けていく必要がある。単なる関心事項では難しい、切迫感のある必死になれる対象に瞑想してください。そのためには何のために瞑想するのかを考えることが大切」。そうか!目的をはっきりさせないと瞑想するのって難しいんだ!ということに改めて気づかされました。

①講座写真
合宿会場は大広間。畳の香りがしていました。

瞑想実習は講座の合間に行なわれ、15分から徐々に長くなり最終的に55分と、合宿の中では合計2時間以上も瞑想しました。普段お家では1分も座れないと言っていた人も、静かに座り切れていました。すごいですね〜!やはり共に学ぶ仲間と一緒に瞑想すると周りに助けられる気がします。普段の生活での言葉にできないモヤモヤ感を整理でき、すがすがしい気分になったという感想も頂いてます。
②瞑想写真
早朝6:30から約55分瞑想しました。静かな集中感が会場を満たしていました。

そして合宿の醍醐味は、やはり食事や就寝前の交流です。初めて顔を合わせる方々ですが、今の自分を変えるキッカケにしたい!という合宿にかけるそれぞれの想いを聞けました。瞑想は一人で行なうものですが、正しい知識無しに行なうと迷路に迷い込んだように自分がやってる瞑想って正しいんだろうか?と不安になりますよね…
識別の瞑想について識別する基準がよくわからないという方に、ブッダの教えである常浄楽我を基準に識別できることを伝えると、「その基準で自分の中の問題について瞑想してみます!」と目をキラキラさせながら言う姿が印象的でした。

自分がどうなりたいのか?理想を持つことの大切さと理想に近づきたい!という情熱が瞑想する上でとても大切であることを合宿で学びました。アンケートでも、「なぜ瞑想するのか?」ということが、合宿を終えて重要であり基本であると思いました、という感想を頂きました。
瞑想とは、あくまで手段であって目的では無いのです。ぜひ学んだことを少しずつでも良いので日常で実践してみてください!きっと新しい発見があるはずです☆

本当に充実した瞑想合宿でした!
みなさんと一緒に瞑想できる機会がまたあればいいな!

モリピー


夏の瞑想合宿ー洋平編

人生で本当に大切なものって何でしょうか?

僕は学生の頃、漠然とだけど、半ば必死にそれを探していました。
旅に出たり、多くの音楽を聴いたり、本を読んだり……

そんな時、僕は「ある人」に出会いました。
その人は何でも答えてくれ、どうしてこんなにいろんなことを知っているのかと思いましたが、「本はほとんど読まない」ということでした。
また、本屋にあるほとんどの本は「ゴミ箱に棄てたらいい」とまで言い切っていました……(笑)
どうやらその人は、「瞑想」によっていろんなことを知ったということが分かりました。
ただ、その人が勧めてくれる本もいくつかあり、それは「聖典」といわれるものでした。
それを読むようになってからは、不思議と今まで好きだった作家の本が全く読めなくなりました。
「おいおい、洋平、影響され過ぎてるんちゃうの? マインドコントロールちゃうの?」
当時、周りの友人からはそのように思われただろうし、誰かにそんなことを言われたような気がします。
でも僕自身、そんなことはあまり気になりませんでした。
なぜなら、真理の言葉やその人の存在の方が、自分の人生で本当に大切なものだという実感があったからです。

ここで、僕の好きな聖典のあるエピソードを紹介したいと思います。

十九世紀インドのカルカッタに、シュリー・ラーマクリシュナという覚者がいました。
彼が住んでいるドッキネッショル寺院に、後に弟子となるニランジャナーナンダという青年が訪ねてきました。
ニランジャナーナンダは少年時代から降神術師のグループと交わっており、ある種の心霊力を発揮するほど優秀な霊媒だったそうですが、シュリー・ラーマクリシュナは彼に次のように尋ねました。

「もしおまえがお化けや幽霊のことを考えるなら、おまえはお化けや幽霊になるのだ。また神のことを考えるなら、おまえの一生は神のようになる。どちらがよいかね?」

「もちろん後者の方です」と答えたニランジャナーナンダは、この日から不思議とシュリー・ラーマクリシュナに魅了されていき、弟子になったそうです。

このエピソードから私が感じたのは、「考える力」って、とても強力だというだということです。
そして、何について考えるか、その「対象」が重要だと感じました。

「真理はまず聞かされ、考えられ、瞑想されなければならない」

という聖典の古くからの言葉があります。
真理についての考えが高じていくと、それは瞑想状態になり、その究極にはそれと一つになっていくそうです。
この人生で何か考えるんだったら、不確かだったり儚いことではなく、真理や神という永遠で絶対の「本当のもの」について考え、自分もそのようになっていきたいですよね。

さて、何度かこのブログでもアナウンスされていますが、この夏、滋賀県の近江神宮の勧学館(←かるたの聖地です)にて瞑想合宿があります。
私も参加するのですが、この合宿で真理や神について共に学び、考えて、そして瞑想してみませんか?
ご関心のある方は、ぜひご参加ください!
すべての方の人生において、きっと素晴らしい学びと経験になると思います!!!

image 近江神宮にて”真理”を瞑想する

瞑想合宿のご案内ー洋平からでした。
(今回から、ブログメンバーに加わらせていただきます。今後ともよろしくお願いします)

飯尾洋平


松山の瞑想特別クラス+サットサンガの3回シリーズ開始!

今年の梅雨は本当に雨がよく降ります。松山のアーナンディーです。

6月18日(土)、19日(日)にサーナンダさんが松山での瞑想特別クラスとサットサンガ開催のために京都から来てくださいましたので、少し長くなりますが、そのレポートをしたいと思います。
約一ヶ月前の5月21日(土)、22日(日)に松山で行われた私たちの師、ヨギさんの特別サットサンガ以降、梅雨にも関わらず熱心にクラスに通う方が増え、今回の瞑想特別クラスは1年以上継続して学んでこられ、ヨギさんの特別サットサンガにも参加された方が大半という熱い集いになりました。

まずは1日目の瞑想特別クラスの内容を振り返ってみます。
サーナンダさんの講座はいつも導入がおもしろいのですが、今回は「瞑想は心のお風呂のようなもの。毎日、その日のしがらみを落として心を理想(原点)にリセットしましょう」と始まりました。参加者の皆さんの「瞑想したくなるモード」に一気にスイッチが入ります!今までの講座では瞑想の対象を丁寧に学んできましたが、今回は「生き方を見つける」がテーマです。サーナンダさんは3回シリーズの講座の全体像としてStep1からStep3まで話されました。2,500年前のブッダの科学的な教え、八正道を学んでいく力強いシリーズです!
Step1は生きる目的、意味を瞑想して自分の理想、志を見つけていきます。(八正道の正見)

『真実を求めて』の読者の方が多いこともありサーナンダさんは著者ミラバイさんの話を用いて「ミラバイの場合、ヨーガの教えを聞いても簡単には納得しなかった。聖者の教えを聞いても聞くだけでは心の動揺は静まらない。心はいい話を聞いたら知的に満足してしまい、不満のエネルギーがなくなって瞑想へのエネルギーがなくなる。でもミラバイの場合は知的な理解ではまったく満足できなかった。自分が何のために生きているのか分からずずっと動揺していて、確かなものを求めてその思いが臨界に達するほど集中が高まった。・・・
今回のシリーズでは年齢やキャリアも忘れて、少年少女になって理想や志を見つけていってください」と話されました。サーナンダさんの柔らかくも熱意のある口調に参加者の皆さんがどんどん引き込まれていきます。
image
わかりやすい講座に納得!

Step2は生活――衣食住に瞑想し足元を調えていきます。(八正道の正思、正言、正業、正命)
Step3は足元が調ったら理想に向けて没頭する。(八正道の正精進、正念、正定)
※Step2は7月30日(土)、Step3は9月17日(土)に学ぶことができます!
さて、サーナンダさんは八正道でまず最初に大事なことは正見と言われました。自分の心が何を求めているのか、どう生きたいかを自らに問いかけていく時に「自分が何を求めているのかごまかさず丁寧に問いかけていく」「必死でやらないとみつからない」そして「理想がみつかったら、本当に求める価値があるものなのか、ヨーガの教えと照らし合わせてみること」と実践とその具体的な方法を教えてくださいました。
image
理想について瞑想しました。

講座後の皆さんの感想をご紹介します。
・理想に集中、瞑想するということがとてもわかりやすいと思った。前回の講座の後から毎日、少しずつ座るようにしてきたので今回のお話しがよく分かったのかな?と思いました。これからも続けていきたい。
・知識で埋めていたことに光が当たりました。
・今日の講座は本当に本当に勉強になりました。最初の瞑想でいろいろ理想が出てきたのですが突然、真の理想に気づいて、それがヨーガの理想やこれまで教えていただいたこととぴったり一致しました。すごく神秘的な体験ができて、これまで自分がなぜ瞑想に興味を持ち続けて、実践してきたのかが、やっと分かりました。つぶつぶの理想がヨーガの理想の大きな一つと重なって志が強くなったように思うので、日々、また毎日毎日座って、自分がその理想の姿になれるようにしたいです。
・「理想の自分、志を見つける」ということの大切さを日々感じています。それが分かると力が沸いてくるし、日々が楽しいし、生きているって実感があります。ヨギさんがヨーガを検証されたその原動力となった「並々ならぬ志」の話にすごく胸が熱くなりました。私もそんな志にしていきたい。そしてヨギさんが「この時代の中でブッダのように生きよう」と決めたように「どう生きるのか」答えが明確に見えるようにサーダナ(アーサナや瞑想)、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガに取り組んでいきたい。

2日目のサットサンガは5月の特別サットサンガの祝福を実感する感動的な時間でした。5月にヨギさんから教えていただいたことをじっくり考え実践した中から出てきた質問が多く特に平等についての質問が続きサーナンダさんは心を見るより理想に憧れることが大事でどのようにしていけばいいかを話されました。どの質疑応答もご紹介したい誰にも当てはまる内容だったのですが、印象に残ったものを2つだけお伝えします。

私の理想は平等ですというSさん。「今、私の思いを挟まずに物事をやっていくというのを実践しています。頂上は完全な平等ですが、今は感情を挟まずに目の前のことをする!というのでいいですか?」という質問に対してサーナンダさんは「それでいいと思います。ヨギさんはいつも公平で同じ態度で接しますよね。どんな心だと思います?ヨギさんの心に憧れて、そっくりそのまま自分のところにもってくるのでいいと思いますよ。ダイレクトに平等な心を感じていくようにすればいいと思う。平等って何なのか、瞑想の中でもいいし感じていく。遠いものと思わないように。そして平等じゃないということは優劣をもっている。好き嫌いがある。それはなくしていかないといけない。識別は自分が不平等であるというところから始まるけれど、逆に単純にシンプルに平等の境地に憧れてやっていけばいい。いちいち平等じゃない心を取り上げて識別するのも癖になっていくし、自分の不平等なところを見続けると不平等な気持ちを逆に強くしてしまう。どうやったら、その理想という姿になれるんだろうかという、ものすごい憧れによって識別が成功する。理想の思いをもっともっと強くして必死になっていけばいいと思う。あんまり深刻になってもあかん。真剣に軽やかに」
その後も途切れることなく質問が続き、サットサンガの終盤に初参加のKさんが口を開きました。Kさんは自律神経を乱して4年間不眠に悩まされ、病院に通って3~4日に一度眠れるようになってきたが、不調になった理由は信じていた人に裏切られ自律神経が乱れるほど人を憎んでしまい今でも許すことができない。でもそのままでいいのか、自分でもよくわからないと深刻に話されました。
サーナンダさんはしばらくの沈黙のあと優しくKさんに尋ねました。「どうなりたいと思ってはります?」
Kさんは「許すことができないと自分で決めてしまっている」と即答され、それに対して、サーナンダさんはゆっくりと誠実に話されました。「苦しいですよね。私がヨーガを始めて最初に学んだ教えが世の中、自分の思い通りになりませんということ。人の心もそうです。でも自分の心なら思い通りになる可能性がある。心が強く思ったことは心の潜在記憶に刻み込まれる。強い印象や繰り返した印象は心を束縛してしまい神経や身体を壊すほどになってしまう。でも一瞬前も過去にすぎない。一秒一秒過去になっていく。過去を変えることはできない。過去は実在しないんです。そんな実在しない幻のようなものに執らわれているのは情けない。本当にもったいない。勇気をもって過去を手放していかないといけない。手放さなければ、自分自身を傷つけたまま生きていくことになりますね。もう過去ですから、実在しない。誰しもが理不尽な経験があるかもしれないけど、もうお互い十分苦しんできたと思います。また新たにお互いを生きていくのがいい。解放されたら速やかに身体も回復していくと思います。本当に心の力って強い。悪く働くと身体を壊す。よく働くと喜びに満ちる。
もう一つはアーサナが自律神経を調えてくれる。夜と昼のバランスが調えられる。アーサナによって速やかに改善されるたくさんの実例をみてきました。
本当に人生、心次第って言いますけど、この世界を天国にするのも地獄にするのも心次第。一瞬で変わります。刹那は600分の1秒といって、瞬間瞬間変わっている。言い換えれば瞬間的により良く変われる。念なんですね。よく死んだ気になってと言われる。もう一回生まれ変わる気になって、それくらい心の力を発動させる。切羽詰まった、どうしようもない時、生まれ変わることができる。一瞬で生まれ変わることができると言われています」
ヨギさんと一体になってただただ他者のために尽くされ話されているサーナンダさんの姿がありました。この濃密な2日間で理想に向かって大胆に積極的に前進していくよう励ましてくださいました。どれだけ参加者や私たち松山スタッフのことを考えて引っ張っていってくださっていることか、私はサーナンダさんの並々ならぬ志を感じました。サットサンガ直後、しばらく動けない状態になるほど感極まった参加者の皆さんの表情が印象に残っています。
image
真剣な質疑応答の中にも時々サーナンダさんはユーモアを交えて話してくださいます。

このサットサンガの3日後にKさんはクラスに来てくださいました。別人のように表情が明るくなっていました。このヨーガへのご縁によって1人ひとりの命が輝く人生を取り戻すことができるということを改めて実感しました。
サーナンダさん2日間本当にありがとうございました。
そしていつも導いてくださるヨギさんに心からの感謝を捧げます。

アーナンディー


バクティの秘訣

..

ただ神を好きになって、

神を愛する。

これだけで十分です。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

クリシュナとラーダー
クリシュナとラーダー

 

ずいぶんと昔、師がふとこの言葉を口にされました。

えっと思いましたが、師のご様子から、本当にそれだけで十分なんだという印象が心に刻み込まれました。心はあたかもそれだけでは十分ではないと言わんばかりにジタバタしますが、それらはすべて心の計らいなんだと思います。

それだけで十分です。

サーナンダ

「ブログ村」をクリックしていただけると励みになります


あなたはそれです

ああ

この世界を正しく理解することが必要です。つまりこの世界は絶えず変化するものだということを正しく理解するということです。

わたしもあなたも、そして様々な動物、植物も生まれては消え、また生まれては消えていきます。それは永遠の繰り返しです。

その背後に決して変わることのない唯一の意識があります。

あなたはそれです!

あなたは本当にそれなのです!!!

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

これを言われたときの師の眼差しと恩寵を忘れることができません。

まるですべてのヴェールが師の光り輝く恩寵によって取り除かれたかのように、歓喜が溢れ出し、私のハートははち切れんばかりに喜びに満たされました。その〝それ〟というものが理性を超えてありありと感じられるような気がしました。その喜びの奥に〝それ〟があるっていう感じでした。

それ以来、私は自分自身が〝それ〟であることを疑うことができなくなりました。師とともにいることの恩恵とは、まさにこのようなことだと思います! 師と弟子
古代インドの師と弟子のサットサンガの様子 

しかし、疑うことはできなくなったとしても、まだ私自身がそれであることに目覚めたわけではないから、これだけでは不十分でした。師が教えられるように、この世界を正しく理解していくことが必要だったのです。最初はその必要性がよくわかりませんでした。〝それ〟を悟ることが大事なのに、なぜ〝それ〟を覆い隠す世界を理解していかなければならないんだろうと思ったのです。でも、師と共にいる時には追い払われたかのように見えたヴェールも、日常に帰ればまるで月にかかる雲のように絶えず現れました。

世界を理解する――諸行無常やカルマの法則の理を正しく理解していくことが、ヴェールを取り除き、光り輝く自らの本性に目覚めていくことにつながるということを実感していったのは、ずいぶん経ってからでした。心はあらゆる変化するものに執らわれ、その思いに翻弄され、世界を正しく見られていないことに少しずつ気付いていきました。

今この瞬間と次の瞬間の世界は違っています。自分の心も絶えず異なる思いや感情がやってきては去っていきます。この世界には変わらない確かなものは何一つありません。あらゆるものがそれぞれのやり方で瞬間瞬間変化していきます。観察してみれば、自分の心も他者の心も、恋人や友人や家族や同僚との関係も、仕事の状況や家族の状況、社会や世界の状況も、大自然も大宇宙も刻々と因果律に従って変化していっているということに気付かされます。

でも、心は連続性をもって世界を見るからそれを「変化」と捉えますが、今この瞬間しか存在しないのであれば、過ぎ去った一秒前の世界は消滅しているのですから、瞬間瞬間新たな世界が生まれているようなものかもしれません。心は世界の中に幸福を見つけようとしますが、すべてが変わっていくこの世界の中で、変わらない幸福を求めること自体が矛盾しています。手に入れた瞬間からその幸福は消滅していくのですから。にも関わらず心は、幻のような幸福を世界に追い求めます。

そんなふうに識別しながら、自らの心と経験を通して丹念に世界に向き合っていった結果、ヨーガの「何事にも執らわれない」という教えは、実に理にかなった教えだと思うに当たりました。人は常に何かに執らわれ、妄執し、苦しみを生み出して世界は狂っているというけれど、執らわれを離れ、この世界を正しくありのままに見ることができれば、世界と見ていたものはそのまま、喜びに満ちた〝それ〟であることを悟るのかもしれないと思うに至りました。

心が世界に幸福を求めれば苦しみを生み出すけれど、心が世界に幸福を求めなければ至福を実現する。実に不思議です!

一つ一つ丁寧に自分の執らわれをなくしていく作業は根気のいる作業かも知れないけれど、覆いが一枚一枚取り外されていくたびに、真実の世界が現れ、喜びが内から放たれるのはおかしなことです。

師によって最初に押された歓喜の刻印は、私のハートに消えることのない印象をもたらしました。その聖なる印象の力によって、私は根気のいる作業を続けていけるのです。傍らから見れば地味な面白みのない作業に見えるかも知れないけれど、本人から見ればそれは栄光に満ちた輝かしい仕事であり、まさにあの時師によって垣間見させていただいた、歓喜の源に回帰する歩を進めているのだと実感するのです。

サーナンダ

 

「ブログ村」をクリックしていただけると励みになります。