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松山の瞑想特別クラス+サットサンガの3回シリーズ開始!

今年の梅雨は本当に雨がよく降ります。松山のアーナンディーです。

6月18日(土)、19日(日)にサーナンダさんが松山での瞑想特別クラスとサットサンガ開催のために京都から来てくださいましたので、少し長くなりますが、そのレポートをしたいと思います。
約一ヶ月前の5月21日(土)、22日(日)に松山で行われた私たちの師、ヨギさんの特別サットサンガ以降、梅雨にも関わらず熱心にクラスに通う方が増え、今回の瞑想特別クラスは1年以上継続して学んでこられ、ヨギさんの特別サットサンガにも参加された方が大半という熱い集いになりました。

まずは1日目の瞑想特別クラスの内容を振り返ってみます。
サーナンダさんの講座はいつも導入がおもしろいのですが、今回は「瞑想は心のお風呂のようなもの。毎日、その日のしがらみを落として心を理想(原点)にリセットしましょう」と始まりました。参加者の皆さんの「瞑想したくなるモード」に一気にスイッチが入ります!今までの講座では瞑想の対象を丁寧に学んできましたが、今回は「生き方を見つける」がテーマです。サーナンダさんは3回シリーズの講座の全体像としてStep1からStep3まで話されました。2,500年前のブッダの科学的な教え、八正道を学んでいく力強いシリーズです!
Step1は生きる目的、意味を瞑想して自分の理想、志を見つけていきます。(八正道の正見)

『真実を求めて』の読者の方が多いこともありサーナンダさんは著者ミラバイさんの話を用いて「ミラバイの場合、ヨーガの教えを聞いても簡単には納得しなかった。聖者の教えを聞いても聞くだけでは心の動揺は静まらない。心はいい話を聞いたら知的に満足してしまい、不満のエネルギーがなくなって瞑想へのエネルギーがなくなる。でもミラバイの場合は知的な理解ではまったく満足できなかった。自分が何のために生きているのか分からずずっと動揺していて、確かなものを求めてその思いが臨界に達するほど集中が高まった。・・・
今回のシリーズでは年齢やキャリアも忘れて、少年少女になって理想や志を見つけていってください」と話されました。サーナンダさんの柔らかくも熱意のある口調に参加者の皆さんがどんどん引き込まれていきます。
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わかりやすい講座に納得!

Step2は生活――衣食住に瞑想し足元を調えていきます。(八正道の正思、正言、正業、正命)
Step3は足元が調ったら理想に向けて没頭する。(八正道の正精進、正念、正定)
※Step2は7月30日(土)、Step3は9月17日(土)に学ぶことができます!
さて、サーナンダさんは八正道でまず最初に大事なことは正見と言われました。自分の心が何を求めているのか、どう生きたいかを自らに問いかけていく時に「自分が何を求めているのかごまかさず丁寧に問いかけていく」「必死でやらないとみつからない」そして「理想がみつかったら、本当に求める価値があるものなのか、ヨーガの教えと照らし合わせてみること」と実践とその具体的な方法を教えてくださいました。
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理想について瞑想しました。

講座後の皆さんの感想をご紹介します。
・理想に集中、瞑想するということがとてもわかりやすいと思った。前回の講座の後から毎日、少しずつ座るようにしてきたので今回のお話しがよく分かったのかな?と思いました。これからも続けていきたい。
・知識で埋めていたことに光が当たりました。
・今日の講座は本当に本当に勉強になりました。最初の瞑想でいろいろ理想が出てきたのですが突然、真の理想に気づいて、それがヨーガの理想やこれまで教えていただいたこととぴったり一致しました。すごく神秘的な体験ができて、これまで自分がなぜ瞑想に興味を持ち続けて、実践してきたのかが、やっと分かりました。つぶつぶの理想がヨーガの理想の大きな一つと重なって志が強くなったように思うので、日々、また毎日毎日座って、自分がその理想の姿になれるようにしたいです。
・「理想の自分、志を見つける」ということの大切さを日々感じています。それが分かると力が沸いてくるし、日々が楽しいし、生きているって実感があります。ヨギさんがヨーガを検証されたその原動力となった「並々ならぬ志」の話にすごく胸が熱くなりました。私もそんな志にしていきたい。そしてヨギさんが「この時代の中でブッダのように生きよう」と決めたように「どう生きるのか」答えが明確に見えるようにサーダナ(アーサナや瞑想)、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガに取り組んでいきたい。

2日目のサットサンガは5月の特別サットサンガの祝福を実感する感動的な時間でした。5月にヨギさんから教えていただいたことをじっくり考え実践した中から出てきた質問が多く特に平等についての質問が続きサーナンダさんは心を見るより理想に憧れることが大事でどのようにしていけばいいかを話されました。どの質疑応答もご紹介したい誰にも当てはまる内容だったのですが、印象に残ったものを2つだけお伝えします。

私の理想は平等ですというSさん。「今、私の思いを挟まずに物事をやっていくというのを実践しています。頂上は完全な平等ですが、今は感情を挟まずに目の前のことをする!というのでいいですか?」という質問に対してサーナンダさんは「それでいいと思います。ヨギさんはいつも公平で同じ態度で接しますよね。どんな心だと思います?ヨギさんの心に憧れて、そっくりそのまま自分のところにもってくるのでいいと思いますよ。ダイレクトに平等な心を感じていくようにすればいいと思う。平等って何なのか、瞑想の中でもいいし感じていく。遠いものと思わないように。そして平等じゃないということは優劣をもっている。好き嫌いがある。それはなくしていかないといけない。識別は自分が不平等であるというところから始まるけれど、逆に単純にシンプルに平等の境地に憧れてやっていけばいい。いちいち平等じゃない心を取り上げて識別するのも癖になっていくし、自分の不平等なところを見続けると不平等な気持ちを逆に強くしてしまう。どうやったら、その理想という姿になれるんだろうかという、ものすごい憧れによって識別が成功する。理想の思いをもっともっと強くして必死になっていけばいいと思う。あんまり深刻になってもあかん。真剣に軽やかに」
その後も途切れることなく質問が続き、サットサンガの終盤に初参加のKさんが口を開きました。Kさんは自律神経を乱して4年間不眠に悩まされ、病院に通って3~4日に一度眠れるようになってきたが、不調になった理由は信じていた人に裏切られ自律神経が乱れるほど人を憎んでしまい今でも許すことができない。でもそのままでいいのか、自分でもよくわからないと深刻に話されました。
サーナンダさんはしばらくの沈黙のあと優しくKさんに尋ねました。「どうなりたいと思ってはります?」
Kさんは「許すことができないと自分で決めてしまっている」と即答され、それに対して、サーナンダさんはゆっくりと誠実に話されました。「苦しいですよね。私がヨーガを始めて最初に学んだ教えが世の中、自分の思い通りになりませんということ。人の心もそうです。でも自分の心なら思い通りになる可能性がある。心が強く思ったことは心の潜在記憶に刻み込まれる。強い印象や繰り返した印象は心を束縛してしまい神経や身体を壊すほどになってしまう。でも一瞬前も過去にすぎない。一秒一秒過去になっていく。過去を変えることはできない。過去は実在しないんです。そんな実在しない幻のようなものに執らわれているのは情けない。本当にもったいない。勇気をもって過去を手放していかないといけない。手放さなければ、自分自身を傷つけたまま生きていくことになりますね。もう過去ですから、実在しない。誰しもが理不尽な経験があるかもしれないけど、もうお互い十分苦しんできたと思います。また新たにお互いを生きていくのがいい。解放されたら速やかに身体も回復していくと思います。本当に心の力って強い。悪く働くと身体を壊す。よく働くと喜びに満ちる。
もう一つはアーサナが自律神経を調えてくれる。夜と昼のバランスが調えられる。アーサナによって速やかに改善されるたくさんの実例をみてきました。
本当に人生、心次第って言いますけど、この世界を天国にするのも地獄にするのも心次第。一瞬で変わります。刹那は600分の1秒といって、瞬間瞬間変わっている。言い換えれば瞬間的により良く変われる。念なんですね。よく死んだ気になってと言われる。もう一回生まれ変わる気になって、それくらい心の力を発動させる。切羽詰まった、どうしようもない時、生まれ変わることができる。一瞬で生まれ変わることができると言われています」
ヨギさんと一体になってただただ他者のために尽くされ話されているサーナンダさんの姿がありました。この濃密な2日間で理想に向かって大胆に積極的に前進していくよう励ましてくださいました。どれだけ参加者や私たち松山スタッフのことを考えて引っ張っていってくださっていることか、私はサーナンダさんの並々ならぬ志を感じました。サットサンガ直後、しばらく動けない状態になるほど感極まった参加者の皆さんの表情が印象に残っています。
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真剣な質疑応答の中にも時々サーナンダさんはユーモアを交えて話してくださいます。

このサットサンガの3日後にKさんはクラスに来てくださいました。別人のように表情が明るくなっていました。このヨーガへのご縁によって1人ひとりの命が輝く人生を取り戻すことができるということを改めて実感しました。
サーナンダさん2日間本当にありがとうございました。
そしていつも導いてくださるヨギさんに心からの感謝を捧げます。

アーナンディー


バクティの秘訣

..

ただ神を好きになって、

神を愛する。

これだけで十分です。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

クリシュナとラーダー
クリシュナとラーダー

 

ずいぶんと昔、師がふとこの言葉を口にされました。

えっと思いましたが、師のご様子から、本当にそれだけで十分なんだという印象が心に刻み込まれました。心はあたかもそれだけでは十分ではないと言わんばかりにジタバタしますが、それらはすべて心の計らいなんだと思います。

それだけで十分です。

サーナンダ

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あなたはそれです

ああ

この世界を正しく理解することが必要です。つまりこの世界は絶えず変化するものだということを正しく理解するということです。

わたしもあなたも、そして様々な動物、植物も生まれては消え、また生まれては消えていきます。それは永遠の繰り返しです。

その背後に決して変わることのない唯一の意識があります。

あなたはそれです!

あなたは本当にそれなのです!!!

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

これを言われたときの師の眼差しと恩寵を忘れることができません。

まるですべてのヴェールが師の光り輝く恩寵によって取り除かれたかのように、歓喜が溢れ出し、私のハートははち切れんばかりに喜びに満たされました。その〝それ〟というものが理性を超えてありありと感じられるような気がしました。その喜びの奥に〝それ〟があるっていう感じでした。

それ以来、私は自分自身が〝それ〟であることを疑うことができなくなりました。師とともにいることの恩恵とは、まさにこのようなことだと思います! 師と弟子
古代インドの師と弟子のサットサンガの様子 

しかし、疑うことはできなくなったとしても、まだ私自身がそれであることに目覚めたわけではないから、これだけでは不十分でした。師が教えられるように、この世界を正しく理解していくことが必要だったのです。最初はその必要性がよくわかりませんでした。〝それ〟を悟ることが大事なのに、なぜ〝それ〟を覆い隠す世界を理解していかなければならないんだろうと思ったのです。でも、師と共にいる時には追い払われたかのように見えたヴェールも、日常に帰ればまるで月にかかる雲のように絶えず現れました。

世界を理解する――諸行無常やカルマの法則の理を正しく理解していくことが、ヴェールを取り除き、光り輝く自らの本性に目覚めていくことにつながるということを実感していったのは、ずいぶん経ってからでした。心はあらゆる変化するものに執らわれ、その思いに翻弄され、世界を正しく見られていないことに少しずつ気付いていきました。

今この瞬間と次の瞬間の世界は違っています。自分の心も絶えず異なる思いや感情がやってきては去っていきます。この世界には変わらない確かなものは何一つありません。あらゆるものがそれぞれのやり方で瞬間瞬間変化していきます。観察してみれば、自分の心も他者の心も、恋人や友人や家族や同僚との関係も、仕事の状況や家族の状況、社会や世界の状況も、大自然も大宇宙も刻々と因果律に従って変化していっているということに気付かされます。

でも、心は連続性をもって世界を見るからそれを「変化」と捉えますが、今この瞬間しか存在しないのであれば、過ぎ去った一秒前の世界は消滅しているのですから、瞬間瞬間新たな世界が生まれているようなものかもしれません。心は世界の中に幸福を見つけようとしますが、すべてが変わっていくこの世界の中で、変わらない幸福を求めること自体が矛盾しています。手に入れた瞬間からその幸福は消滅していくのですから。にも関わらず心は、幻のような幸福を世界に追い求めます。

そんなふうに識別しながら、自らの心と経験を通して丹念に世界に向き合っていった結果、ヨーガの「何事にも執らわれない」という教えは、実に理にかなった教えだと思うに当たりました。人は常に何かに執らわれ、妄執し、苦しみを生み出して世界は狂っているというけれど、執らわれを離れ、この世界を正しくありのままに見ることができれば、世界と見ていたものはそのまま、喜びに満ちた〝それ〟であることを悟るのかもしれないと思うに至りました。

心が世界に幸福を求めれば苦しみを生み出すけれど、心が世界に幸福を求めなければ至福を実現する。実に不思議です!

一つ一つ丁寧に自分の執らわれをなくしていく作業は根気のいる作業かも知れないけれど、覆いが一枚一枚取り外されていくたびに、真実の世界が現れ、喜びが内から放たれるのはおかしなことです。

師によって最初に押された歓喜の刻印は、私のハートに消えることのない印象をもたらしました。その聖なる印象の力によって、私は根気のいる作業を続けていけるのです。傍らから見れば地味な面白みのない作業に見えるかも知れないけれど、本人から見ればそれは栄光に満ちた輝かしい仕事であり、まさにあの時師によって垣間見させていただいた、歓喜の源に回帰する歩を進めているのだと実感するのです。

サーナンダ

 

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たくさんヨーガができるようになります

..

10年前の過去も、1秒前の過去も、同じ過去であり、

くよくよと思い煩ったり、気にしたりする価値はありません。

常に今、善くあれ、善くせよ。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

本当に心って過ぎ去った出来事をクヨクヨと思い悩んだり、さらに発展して妄想の世界に行ってしまったりしませんか〜えっ、一日の大半をそうしている!?過去のことばっかり考えているとそれが習慣化してしまって、ついには性格にまでなってしまうそうです。

この教えを初めて聞いたとき、本当にその通りだと思い、目から鱗が落ちた気分でした。そして何だか心が軽やかになって、ただ今に生きればいいんだと思ってやってみました。ところが、できないんです。一枚や二枚目から鱗(ウロコ)が落ちても、まだ何枚もついているみたいです。ふと気がついたら心は昨日の出来事を気にしたりしています。

たった三行の短い教えですが、真実の言葉は奥が深いと思います。ちょっとばかし気分がよくなっても、まだまだ教えの真意までたどり着けていません。

私はわりと七面倒くさい性格のところもあって、いちいち言葉の意味を考えたりします。

  • 過去って何なんだろう
  • なんで思い煩ったり、気にしたりするんだろう
  • 価値はないってどういう意味なんだろう
  • 価値があることってなんだろう
  • 今って何なんだろう
  • 善いとはどういうことなんだろう

結構人間って、言葉の意味を曖昧に捉えているように思います。だから、真実の言葉に触れても、すごく表面的に、感覚的にしか理解できていないことに気付かされます。だから私は、言葉の深意を確かめようとじっくり考えることがあります。そうしていくと不思議なことに、例えば、過去というものを自分はどう捉えているのか、感じているのかがわかってくるし、それとともに、ヨーガの教えはどういっているのかをあてがうことで、自分の捉え方が真実に沿っているのかどうか、どのように捉えるのが正しいのかが、単なる知識ではなく具体的にわかってくると思います。

ポイントは、単に自分の感覚や経験だけで進めるのではなく、ヨーガの教えをあてがって具体的に自分がどう感じているのかを確認しながら進めていくことです。その時に、どうしてもわからないことや確認が必要なことが出てくるはずです。私は「今」を考えていった時に、どうしても「今」を捉えることができなくて、「心は今この瞬間を捉えることが果たしてできるのだろうか?」ということがわかりませんでした。考えてもわからなかったら、師に質問すればいいと思います。

そうしていけば教えが少しずつ心に浸透し、根を張っていくようになります。

次に大事なことは日常での実践です。ちょっとやそっと教えの理解が育まれても、上司に叱られたら一瞬で吹き飛んでしまいます。悶々と失敗を気にして思い煩い、ほとほと疲れ切るまで続くわけです。その時こそ最大のチャンスです。自分が熟考してきた教えを実践してみるのです。そうすれば、まだ自分が出来ない原因が見えてきます。

悶々と思い煩う方が心はむしろ楽なのですが、そこで思考ループを断ち切って、もう一度日頃理解を深めてきた真実の教えをその状況にあてがって、原因を突き止めていくわけです。それほどのしんどい状況なんだけれど、だからこそ集中感が生まれ、成功するのだと思います。でも日頃やっていないとその力は生まれません。

今はネットで何でも手軽に情報が手に入りますが、ヨーガの教えは、自分自身でしっかりと考え、実行していかない限り、ちっとも心は変わりません。でもやっていけばいつの間にか心は過去を彷徨い歩かなくなっているんだろうなと思います。

もし心が過去を彷徨い歩かなくなると、どれだけ楽になるのだろうと思いませんか。多分心はすることがなくなって、すごく時間が余ってくると思います。そしたら、たくさんヨーガができるようになって、ヨーギーになれると思います。

ヨーギニー
ヨーガに没頭するヨーギニー。1660年頃。何か凄みを感じる。

サーナンダ


ヨーギーになりたいんです

..

いつでも、

どんな場所でも、

どんな人に対しても

心は常に真理のもとになければなりません。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

ずいぶん昔(1990年頃)に師から授かった教えです。その頃の私は、日誌をつけていました。先日昔の日誌を見ていたら、印象に残った師の教えがいくつか記されていました。それをご紹介したいと思います。
その頃は、サットサンガで心に留まった教えを必死で記憶し、家に帰って書き留めていました。サットサンガ中は師の言葉に集中していたのでメモをとってなくて、サットサンガが終わると必死で教えを頭の中で繰り返して記憶に定着しようとしていたことを思い出しました。

私はこの教えが大好きです。(教えに好き嫌いがあるわけではありませんよ)どこが好きかというと、「いつでも、どんな場所でも、どんな人に対しても」という無条件、無限定なところなんです。限定付きならできるかもしれませんが、無限定という限定解除されているところがヨーギーなのです!

ところが、今回この教えをずっと見ていたら、この教え、とてつもなく深いなあと思いました。ものすごくシンプルなんですけど、今更ながらその無限定の意味を感じてしまい、姿勢を正してしまいました。これができて初めてヨーギーなんだと真剣に考え込んでしまいました。

真理をアートマン(本当の自分)や神、真の愛に言い換えてもいいかもしれませんけれど、心の側から見れば、単純に言えば、私心がなく、平静だということです。自分を振返れば、まだまだまだら模様で無条件、無限定ではないと言わざるを得ません。条件付きです。

これは生活全般、言動全般、思考全般を総点検し、調えていかんと到底無理だと思いました。思い浮かんだのは、師の御姿でした。いつでも、どんな場所でも、どんな人に対しても、無条件の行為と無限定の喜びにある御姿が浮かんできました。

やっていこう!ヨーギーになりたいから!

その昔、記録したのは何か自分の印象に残ったからなんだと思います。短い言葉ですが、私がこの教えの向こうに見たのは、真のヨーギーの御姿でした。

サーナンダ


愛の詩

KrishnaRadha

何者かが 私の眼を奪い去った!
あなたの身体 青黒い体中の産毛
その全てに恋い焦がれる
私が家にいると あなたがふと立ち寄る
あなたの顔は 月のように美しく輝き
その愛らしい笑顔に 私は釘付けになる
家族は低い声で「二度と彼に会うな!」という
しかし この眼はもはやあなたのものであり
愚かな世間を笑い飛ばす
世間の人が何を言おうとも
私はすべての重荷に耐えよう

ミーラーはいう
山を持ち上げる力なしに
この命がどうして生きながらえようか!

ミーラー・バーイーはどれほどの豊かな表現で主の美しさを讃えるのでしょうか?!
眼を奪い去られるほどのクリシュナの美しい御姿!

ラージャ・ヨーギーが生涯をかけた弛まぬ努力で獲得するその集中力を、
バクタは主の魅力ひとつで獲得します。
眼は主の御姿に釘付けになり、離れることはありません!

まことに恐るべきは、バクタの愛!

サーナンダ

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瞑想で心は変わる!?

こんにちは〜サーナンダです。
先週末の土日に、第2回目の松山瞑想特別クラスにいってきました。
テーマは「心は変わる!」でした。
今回も50名を超えるたくさんに方が参加され、瞑想への関心の高さが伺えました。

今回は松山スタッフのアーナンディーが感想を寄せてくれましたので、抜粋して紹介したいと思います。

第1回目の講座の後、「あれから毎日、瞑想しています」という嬉しい声がたくさんの方から届いたのですが、一方で「瞑想しようと思っても、すぐに眠くなる」と、なかなかうまくいかないという声も寄せられていました。
今回の講座の冒頭で、「よっぽど眠い時は寝た方がいいでしょう。もしできるのなら『自分は今瞑想しているんだ』という意識だけを保ち続けていけば、ポンッと集中できる時があります」とサーナンダさんが軽やかにおっしゃいました。なんだか、本当にできそうな気がしてきます。サーナンダさんの言葉には、よ~~~し!やってみよう!と思わせる力があります。急にはできないかもしれませんが諦めずに続けていくことでポンッと集中できるようになっていくはずです!
集中力とは言い換えると意志の力、情熱だと力強い話がありました。

松山瞑想講座
さて、講座内容は「心は変わる!」というテーマで心の仕組みを丁寧に学び、どのようにして執着の原因を取り除いていくか、そして実際にどうやって瞑想していくのかを分かりやすく教えていただきました。心の癖はなかなか治りにくく、同じことを何度も繰り返してしまいます。今回の講座で心はたくさんの衣を着込んで着飾っている状態というお話しがありましたが、知らず知らずのうちに「私はこのような教えを知っている」「私はこんなにも素晴らしいものをもっている」といろんなものを着込んで着飾って、自分を大したものだと思い込んでいたのだと気づきました。でも、そのような衣は最初から実体がないということが分かれば、背伸びをしてカッコよくみせようとすることもないし、逆に自分をつまらない存在だと卑下することもないのだと思えます。
瞑想はその衣を脱いで裸の本当の自分、純粋な自分に近づいていくためのもの。私は純粋な本当の自分というのにとっても憧れます。素直になって、真理の教えに出逢えた喜びに感謝して一歩一歩確実に前進していけたらと思います。

松山瞑想
講座の後、今日からどう実践したらいいかが明確になり希望を感じて会場を後にされた方が多くおられたようでした。このような瞑想の講座は初参加という何人かの方が、「来てよかったです」と笑顔で感想を教えてくれたことも印象的でした。
この日は最初、雨模様だったのですが講座後はすっかり晴れて青空が見えました。まるで参加者の皆さんの瞑想後の心を象徴しているような綺麗な空でした。

2日目はサットサンガでした。
サットサンガを振り返ると皆さんと一緒に学ばせていただく感謝がこみ上げてきます。
1人ひとりの心の悩みの問題は、表面的には違ってみえても、本質的には苦しみの構造は同じだと改めて感じます。真理を知らないで、心の衣を通して世の中を見ているから私たちは苦しみます。サーナンダさんと皆さんの質疑応答を聞かせていただくうちに誰もに当てはまる普遍的な真理の教えに鼓舞され、渡米中の師が今も私たちを見守ってくださっていると包み込まれるような安心を感じました。
松山サットサンガ
サットサンガのあと「次にサーナンダさんにお会いできるまでの1カ月間、とにかく実践してみようと思えるようになり、今までは自分が集中できていないとか、呼吸が浅いとか、そんなことばかり気にしていたけど、そんな思いは気にならなくなりました」と参加された方が感想を聞かせてくださいました。
2日間を通して多くの方にご参加いただきましたが、共に学ばせていただけることは大変励みになります。サーナンダさん、皆さん、本当にありがとうございます。
また来月もよろしくお願いいたします。    (アーナンディー)

こちらこそ、ありがとうございました。来月は3回シリーズの最終回です。「日常と瞑想」というテーマで6月13日(土)に行ないます。毎日の中でどのように瞑想を組み入れていくのか、その秘訣を学んでいきます。初めての方もぜひ気軽にご参加ください〜 \(^o^)/

サーナンダ


愛の詩(2)

The Beautiful Legend of God 2

私の眼の中に住んで!
おぉ ナンダの息子よ!
御身は我が心を奪う
曇色の肌
大きな眼
孔雀の羽飾り
クロコダイルのような耳飾り
臙脂色の額印
愛らしい唇で笛の音を奏で
ネクタルのような音楽を授ける
胸の前にはマーラーが輝く
腰には小さな鐘のついた帯が光を放ち
足首の鈴が甘く響く

恋の最中は不思議なことに、誰であっても愛する人の姿は魅力を放つようになります。
ではもし…神を愛したなら、その御姿はどれほどの魅力なのでしょうか!?

ミーラー・バーイにとって、愛人クリシュナは単なる空想ではなく、実際にその光り輝く美しい姿が見えていたに違いありません!
まるで強烈な光で感光したフィルムのように、彼女のハート(眼)というフィルムには、決して消えないクリシュナの美しい御姿が焼き付いたのでしょう!

だからミーラーの眼は、愛するクリシュナだけを見ることしかできなくなってしまった!

私たちの眼は、日々何を見ているのだろう?

サーナンダ


愛の詩

ヨーガには、バクティ・ヨーガがあります。
神を愛するヨーガです。
その神への愛を歌った詩が古くから伝わって来ています。

今日 山を持ち上げる主に出会った
美しい彼の身体
彼は愛の神の輝きを放つ!
彼の鋭い一瞥!
彼は木陰で竹笛を吹き
牛飼い娘たちとリズムをとって踊る
その甘美な姿はハートに焼き付き
寝ても覚めてもなくならない!
魅惑的なその姿に
彷徨う私のハートを捧げ
私はそれを見つめ
世俗の慎ましさを棄てる!

中世の聖女ミーラー・バーイーの物語と詩を機関誌『パラマハンサ』で紹介してきましたが、彼女の詩の中で一つの特徴は、愛するクリシュナ神の御姿を見て眼を盗まれた、ハートを虜にされたという表現です。
神の虜になるとはどういう状態なのでしょう!?

寝ても覚めても愛だけがある!

サーナンダ


瞑想は誰でもできる!?

松山にて、4月11日に瞑想特別クラス第1回目「瞑想は誰でもできる!」がありました。
瞑想特別クラス

「瞑想は誰でもできるの!?」・・・瞑想をすると心が落ち着くとか、何となくいいイメージはあるものの、外から見ているとただじっと座っているだけだから、何をしているのかはなかなかわかりません。

私自身は中学生の頃、やり方も知らないまま見よう見まねで瞑想を始めたのですが、じっと座っていると心が何ともいえない静まった感じになり、ある時「定まる」という感触を味わって、それが心地よくて座る習慣がつきました。
我流ではなかなかそれ以上深まることもありませんでしたけれど、座っているだけでも心が落ち着いてくるという、坐法(アーサナ)の力を今になって思い起こしました。
そしてその頃、「かっこいいなあ」と思った一つの禅の境地を詠んだ歌に出会いました。

〝四条五条の橋の上、行き交う人をそのままに見て〟

人里離れた静かな環境でだけ心が静まるのでなく、人の往来の多い四条五条の橋の上でも、同じような心の静けさにあるという禅の境地を詠んだ歌だそうです。この歌がずっと印象にあり、京都に住むことになった時にも、ときおり四条大橋を通ると思い出していました。
今回の講座は、それをもっと発展させて、「いつでも、どこでも、誰でもが瞑想をできる!」というコンセプトにしました。チラシのイメージは、それを現代風に表わしたもので、仕事や家事の合間にも瞑想で心を静める習慣をもとうというコンセプトです。その静かな心は、本来の心のあり方だと思うので、それを習慣づけることはとても大切なことだと思います。

とまあ、そういう話をしながら、第1回目の講座は、
 ①瞑想するとどうなるのか?
 ②瞑想は何のためにするのか?
 ③どうやって瞑想するのか?
 ④実際に体験してみる
の内容で、集中の感触を味わうことを目標に、瞑想の基本を学んでいきました。
松山瞑想1

講座には50名近くの方が参加されましたが、瞑想の敷居が高いと思っていたけれど、今回のチラシを見て、まずは気楽に親しんでいけばいいんだと言っていただけたのが、とても嬉しかったです。
講座後のアンケートでは、次のような感想をいただきました。

  • 基本を知ることができてとてもよかった。
  • 瞑想が心を強くすることがよくわかった。
  • 心がざわめく理由がわかって目からうろこだった。
  • 初めての瞑想だったが、心地よかった。宙に浮くような感じで楽しかった。
  • 瞑想は敷居が高いと思い諦めていたけれど、勇気が出た。また座ってみようと思う。
  • さっそく、まず座ってみる、実践してみるということから始めていきたいと思う。
  • 実践が大事、毎日やることに意味があることを学んだ。
  • 内にある喜びを味わいたいと改めて思った。

二日目は、サットサンガを行ない、アーサナや信仰、瞑想、識別、理想など具体的な実修方法についての問答があり、2時間強、質問が途切れることがないくらい、皆さん本当に熱心にヨーガに取り組もうとされている様子が伺えました。

松山サットサンガ

また、新刊『真実を求めて』が出たところなので、参加された方にこの機会に紹介させていただきました〜 \(^o^)/
松山『真実を求めて』
たくさんの方が一日目に購入され、二日目に感想をくださいました。
とても好評で、「ミラバイさんの数々の面白いエピソードで語られる身近な葛藤と乗り越え方が参考になり、ヨーガをどのように実践していけばいいのか、確かなものをどう求めていけばいいのかがよくわかって、自分でも実践していけそうだ、励みになりました」という声が多く聞こえました。本当に読みやすくいい本だと皆さん口を揃えて言ってくださいました。
彼女はこの講座のチラシのモデルでもありますし、瞑想をしたくてヨーガを始めたので、瞑想を深めるにはもってこいの本だと思います。

今回の講座とサットサンガは3回シリーズですので、また5月、6月もあります。
4月はハートへの瞑想について学びましたが、5月は心の動揺の原因の取り除き方、6月は理想への瞑想について学ぶ予定です。
ご関心がある方はぜひお気軽にご参加ください。詳細はこちらまで

サーナンダ