マウナ(霊的沈黙)

4月8日、ブッダ御聖誕の日、マハーヨーギー・ミッション春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー—神性示現大祭―」が開催された。
祝祭前日に行なわれたサットサンガ(真理の集い)では、「十二因縁の瞑想よりも大事なことがある」と示された師。(前回のブログはこちら⇨『十二因縁』
では、十二因縁の瞑想よりも大事なこととは何か?

昨年から始まった春の祝祭は今年、「ブッダ」に焦点が当てられた内容となった。
会はプージャー(礼拝の儀式)で幕を開けた。幸運にも私はプージャーで師シュリー・マハーヨーギーにマーラー(花の首飾り)を献上させていただき、そのまま師の御前に座らせていただく恩恵をあずかった。しかしながら、師と目が合うことはほとんどなかった。90名近く参加者がいたので仕方がないとも思っていた。
祝祭は、祝辞者がそれぞれに迫っていったブッダやサナータナ・ダルマ(永遠の真理)について語り、会場は歓びと祝福のプラーナで満ち満ちていく中、自然と私の心は静まっていった。
するとある瞬間、私は心が止まったように感じると、師がこちらを見られた。再度、心が止まったように感じると、また師と目が合った。それが数度、繰り返された。本当に不思議だった、私の心が止まったら止まった分、師のダルシャン(霊的一瞥)が注がれたのだった。

そして1カ月が経った頃、「それ」は突然やってきた。胸が締め付けられ、苦しくて何もできない状態が私を襲った。「それ」に心は占領され、「それ」以外のことが思えない、「それ」への渇望で胸が焦がされるような感覚――「それ」は「バクティ」の感情であった。

期せずして、新年の始めに私は「パラー・バクティ(至高のバクティ)に至るために最も大事なことは何ですか」と師に質問していた。師は一言、次のようにおっしゃられた。

「マウナ(霊的沈黙)」

祝祭前日の4月7日、師は「十二因縁の構造が知られて、その根本的な原因の無知というものに辿り着いたら、もうそれらすべてを棄てるということは大事です……心が理解できないのは無知。だからそこのところは、真理というものをもってきて、無知をなくすようにしないといけない」とおっしゃられ、それを受けて私は十二因縁の心の構造を見るより、真理そのものに瞑想する大切さを改めて感じていた。
真理への瞑想が最終的に到達するマウナの境地「ニルヴァーナ(涅槃寂静)」とバクティの目指す「神との合一」が同じ境地ということや、ヨーガの修行の歩みはその「両輪」で進む方がよいということは知っていた。
しかし今、私の中では過去の重荷は棄て去られ、新たにバクティの車輪が回転し、その歩みにドライブがかかり始めたように感じている。
マウナとバクティ——「真理を渇望しないといけない!」と言われたあの台北の夜から今日に至るまで、この両輪を身をもって教えてくださった師の導きに、心より感謝を捧げ、礼拝いたします。(終)

ゴーパーラ


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