魂を復活させる一大事業

––魂は、修練していく必要がありますか。

ヨーギー「誰もの本質であり本当の自分がその魂であるにもかかわらず、そのことに気付いていないのが当人なのです。それで、このいわゆる人生という経験の中でさまざまな苦労を背負い込んでしまうというわけです。ではどうして自分が自分を分からないのかという大きな問題にぶち当たります。つまるところは心が私という第一人称を名乗っているばっかりに、その魂をいわば隠してしまっているような様子に見えます。つまり邪魔をしているのは心なのです。手っ取り早く言えば、心を透明のようにすることができれば、その奥に在る魂は自ら顕れてくる。その邪魔をしている心の内容というのはさまざまな煩悩といわれるものであり、欲望であったり執着であったりする。そういった心の思い計らいをなくすことが求められます。

それには魂と心の関係を正しく学ぶこと、さらには具体的に、実際的に心の邪魔物をなくしていくための手立てを行なわなければならない。それが瞑想といわれるものです。しかし瞑想も言うほど簡単ではない。長年にわたってそれこそ輪廻転生してきた過去世からの執着を心は記憶としてもっていますから、その根の部分、種の部分までそっくりなくさなければいけないわけです。

求められるのは真剣さと情熱。それによって学びと、それから修行というような――修行という言葉も難しく聞こえますが、ヨーガにおいてはまず体を鍛え、呼吸を調え、そして心を静める――その中で間違った煩悩をなくしていくということになります。それはまた一日の間の一時間、二時間という時間内で行なえるものではなくて、二十四時間、全時間がいわば臨戦態勢です。どういう状況がやってこようとも、それに反応するのは心でしょう。だから心の様子を見るには日頃の、日常の出来事の中でその結果が見られるわけです。怒りっぽい性格であったり、何かに執着していたり、さまざまなものは日常の中で現れてきますから、そういう時こそがいわば真剣勝負になります。

ヨーガというのはまさしく自らの魂を復活させるための一大事業でもあるわけです。古来この事業というのは、幾生涯にもわたって進められるべきものであるというふうにいわれているものです。これに比べたら世の中の仕事や生活などは取るに足らない、それらは一生涯の出来事ですから。しかし魂の旅は、何百、何千という生涯を通して行なわれています」

2010.5.15