わたしが本当のヨーガに出会うまで—最終回「本当のヨーガの光が届きますように」


実は、私はヨーガの目的である「悟り」や「真理」と言う言葉には、なぜかいつもピンとこない感じがします。その言葉に対する世間一般の有無を言わさない強固な固定観念の様なものを感じ、とても大仰で私には絶対手が届かない、はるか遠い彼方にあるもののような感じがするからだと思います。
私は昔も今もただシンプルに「本当のことが知りたい」だけなのです。生まれてからずっと目の前で展開されている私が生きるこの世界の矛盾や悲しみ、苦しみや喜び、醜さ、美しさ、愛そして生命…。全てが儚く移り変わっていくように見えるこの世界の「本当のこと」が知りたいのです。でも、どうやらそれを日本語では「悟り」だとか「真理」と呼ぶようです。

今、巷では〝YOGA〟は健康的でオシャレなイメージがすっかり定着しましたね。たくさんのYOGAが出来て(⁉︎)「何ヨガをされているんですか?」と当たり前のように聞かれ、返答に戸惑うことも度々あります。私がヨーガを始めた頃はまだマイナーで怪しいイメージすらありました…笑。本当にその時々で世間の価値観なんてあっと言う間に変わるのですねぇ。
この連載に書いた通り、確かに私もエクササイズ的なアーサナ(ポーズ)をして、実際にとても健康になりました。単純にカラダを動かすことで得られるさまざま運動効果や、ゆっくりとした呼吸と動作を行うことでリラクゼーションにもなり、精神的にとても良い効果がみられ自律神経も調います。でも、それが目的になっているヨーガはそこから先へは進みません。正しいアーサナでなければそういった健康効果でさえ半減しているのが現状だと思います。(→第6回をご覧ください)

ヨーガはアーサナをしてリラックスしたり健康になることが目的ではないのです。ヨーガは「本当の自分に目覚めること」であり、その道のことなのです。
でも本当の自分に目覚めるって一体どういうことなのでしょう?〝この私〟ではない本当の自分ってあるのでしょうか?そもそも〝悟り〟って何なのでしょう?
それらはヨーガの聖典や聖者の本に言葉を尽くして書かれています。そして、私の師も何度も何度も繰り返し繰り返し、言葉を尽くして教え話して下さいます。私たちの本性は完全な至福そのものであり、完全な自由であり、生まれたこともなければ死ぬこともない永遠に変わらない存在だと。常にただそれだけが在り、そしてそれは神と呼ばれるものだと。けれどもそれは言葉を超えたものであり、言葉を使って説明することが出来ないそうです。それが本当なのか、どんなものなのかは自分自身で確かめるしかないようです。
そして、一人一人が自分で確かるためには、歩く方向を見失わないように光を灯し道しるべとなってくれる、自らが目的地を知っている本当の師(グル)が不可欠なのです。その師がいなければあまりにも深く広大なマーヤ(幻想)の森から抜け出すことは不可能でしょう。以前の私がそうだったように。師が絶え間なく掲げ続けて下っている明るい光は、真剣に真理を求めている人のところに必ず届きます。だって、私のところにも届いたのですから!

 

 

今、私のように「本当のことが知りたい!」と願いながら生きている人や、自分の人生が何のためにあるのか、何のために生きているのか分からなくなっている人、全てが移ろっていくこの世の中で何を心の拠り所にしたらいいのか見出せないでいる人に、どうぞ本当のヨーガの光が届きますように。ヨーガの中にその答えがあります。一人きりではなく共に学び歩く仲間がいます。そして、ヨーガの道は日々の生活の中にこそあります!
ヨーガは盲目的にただ〝信じなさい〟とは決して言いません。むしろ常に〝自分自身で確かめなさい〟と私たちを鼓舞します。私は「本当のこと」を絶対に自分で確かめたいと思っています。もう皆さんご存知の通り、あきらめが悪い上に自分で確かめなければ納得出来ない私なのですから。

 

神とそして言葉では言い表せない深い慈愛で私たちを導き続けていて下さる、私の最愛なる師サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサに私の永遠の愛を捧げます。
ジャイ!!!!!!

 

シャルミニー (師からいただいたヨーガの名前。意味は〝至福に満ちたもの〟)

 

 

エピローグにつ・づ・く


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