すべてを委ねる


私は患者さん向けのアーサナ・瞑想クラスをしています。
普段から治療院に通って来てくださっている方々に、それぞれの体調などを診ながら、自己メンテナンスとしてアーサナ・瞑想することをおすすめしています。
膝の痛みが完全には取りきれなかった方が痛みから解放されて良くなったり、高血圧の方の血圧が下がったり、不安感の強い方が気持ちが楽になったと言ってくださったり、クラスに参加している患者さんたちの変化には驚かされることが度々あります。

先日から新しくクラスに参加するようになった患者さん。
高齢で持病による影響もあり、行うのが難しいアーサナがいくつかあります。
一つ一つ形を見せながら説明をしていたのですが、他の参加者の方々のことも見ながらだったので、付きっ切りでの対応は難しい状況でした。
治療に来られている時にも感じたことがありましたが、ちょっとした時間が待てずにイライラした様子が伺えて、どうしたらその方に楽しんでアーサナをしてもらえるか、試行錯誤を繰り返しました。

 

4回目にクラスに参加された際、クラスが進むにつれて表情が険しくなり即座に対応したのですが、何とかしようとしすぎてギクシャクしてしまいました。さらに表情の険しさは増し、一緒に形を作ろうとしてもプイッとそっぽを向かれる感じに。
そして突然「これはできない!」と大声で怒りをあらわにされました。
みなさん驚かれてしまい、私も動揺してどう対応して良いか分からなくなり、「すみません」と言うのが精一杯でした。
そのあとはその方にもできる形のみを行うようにして、なんとかクラスを終えました。

こんな時にヨギさんだったらどう対応されただろうか。もしグルバイがいてくれていたらもっと落ち着いて対応することができたかもしれない。
今後もその方が参加し続けて、また同じようなことが起きたらどうしよう。
片付けをしながらいろんな思いがぐるぐると頭の中をめぐり、落ち込みモードに。起きたことは仕方ないし考えても仕方のないこと、と切り替えようとして顔をあげたら、その方と他の参加者の方がにこやかにお話をされていました。
どのくらいヨーガをしているのか、という質問に、1年ほどでまだまだなんですよ、といった内容の会話でした。
支度を済まされたその方は、怒ったことが嘘のように、明るい表情でクラスを後にされました。

私は1人で勝手に落ち込み、他の参加者の方に申し訳なかったという思いに支配されていて、参加者のみなさんが帰られるまで最善を尽くすことを忘れていました。ここに誰かいてくれたらと他力本願になっているうちに、円満な対応をしてくれたのは参加者の方でした。

にこやかに会話をしてくれた患者さんと帰り道が一緒だったので、先ほどはありがとうございましたとお礼を伝えました。
「特に何もしてないわよ、みなさんいろいろあるものねぇ」とにっこりと笑顔を見せてくれました。
私の心を覆っていた重たい雲が一瞬にして取り払われ、晴れやかな気持ちになりました。

ああ、すべての中にアートマンがある!
強烈な喜びでいっぱいになりました。

 

 

私がしていることなんて一つもない。すべての仕事は神がなさっていること。すべて委ねよう。
思いはふとした瞬間に湧きあがろうとしましたが、次のクラスまでの1週間、そのことだけを思うようにしました。
この出来事は私自身が抱えているくせを見つめ直す機会を与えてくれました。
ヨギさんやグルバイでなければというのはただの私の思い込みであり、私のクセ。こうでなければいけないという思いはすぐ顔を出すので厄介ですが、これを機に根絶やしにします!

 

後日、5回目のクラスに参加されたその方は、終始にこやかで、クラス終了後に今日のクラスはとても良かったと感想を言ってくれました。

もしまた怒りをあらわにされることがあったとしても、表面に現れていることに惑わされず、堂々と、真摯に丁寧に対応するのみ。
“ただそれ(アートマン)だけがある” のだから。

 

ハルシャニー


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