カルマを超える


ヨーガにおいて「カルマ」という言葉をよく耳にしたり目にしたりします。
カルマという言葉のそもそもの意味は、行為する、ということ。
この自然界には「カルマの法則」が存在するとヨーガでは考えます。
その意味は「作用と反作用」「原因と結果」。例えば、一方向から力を加えると反対方向から同じ大きさの力で押し返される、というように、物理的なものです。
私たち人にも同じことが当てはまります。良い行為をすれば楽しい結果が、悪い行為をすれば苦しい結果が訪れます。心の思いに関しても同様、カルマの法則はあらゆることにおいて確実に働いています。
私たちの今の人生は何生涯も繰り返し生まれ変わってきた結果。
時間を超えて働くので、今した行為の結果がすぐに来る、ということでもありません。

このことを知ったところで、だから自分がこんな目に遭うのか、と納得する人はいないでしょう。この世はあまりに不条理なことが多く起こります。うんざりした気持ちになったり、じゃあ誰か何とかしてくれ、という投げやりな思いになったりもします。
しかし、自分の人生は自分にしか生きられません。

このカルマの法則を知り、私は葛藤することばかりで、納得するまでに時間がかかりました。
納得してからは、何か起こるとカルマだから仕方がない、とか、これをやったら良くないカルマになるかもしれない、とか、思考することが続きましたが、いつしか、カルマを正しく理解した上でそれを超えていきたいと思うようになりました。

 

そんな折、先日届いたパラマハンサに掲載された、師のサット・サンガでの質疑応答中の言葉を目にしました。
“…真実から見れば、カルマも幻想なんです!カルマなんて本当はない。カルマもなければ、無知も本当はない。それは真実から見た場合はもう全くそう!ただ心がその真理を見れなくて、無知に覆われてしまっているから、そういう幻想的空間に放り込まれてしまって、その中で活動を右往左往しているというような滑稽な状況なのです“

カルマは心が作り出したもの。真理から見ればカルマそのものも存在しない。

これってすごくない?
サット・サンガで実際に聞いていたし、すでに何度も目にしたり耳にしたりしていたはずなのに、その言葉はようやく私の中にストンと落ちました。

過去に自分のしたことが返ってくるかもしれない、今きちんとしないと未来に何か良くないことが起こるかもしれない…
そんなことを考えて憂えてる暇があったら、今この一瞬に集中して誠実に行為する。その一瞬一瞬を真摯に繰り返すことが、本当に生きるということなんだと思いました。

 

ヨーガは頭で理解するのではなく、体感していくことが何より大事です。
実践を続ける中で、ヨーガを知ったばかりに葛藤してしまうこともあると思います。そんな時私たちはすぐ思考して何とかしようとしますが、そこに体感がなければ意味はないのです。
このハートで直接感じたことだけが、確かに事実なのです。頭が混乱していても、心が違うものを見ようとしても、そんなのはどうだっていい。

今回私のハートに突き刺さった、”カルマなんて本当はない”という言葉は、思い返す度に、心臓の鼓動とは関係なく脈打っているようです。その言葉自体が生命を持っているかのように。

今この一瞬に集中して生きたい。どうか生きれるようになりますように。
カルマを超えて、ヨーガの道をまっしぐらに進んでいけますように‼︎

ハルシャニー


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