キールタンの涙


すべての芸術の始まりは宗教的なものといわれています。太古の人たちは、自然界を動かしている目に見えない力に畏怖の念を抱き、それを形に表したいと願ったところから、音楽や絵画、彫刻、舞踊が生まれ、その作品に触れることで多くの人が思いを共有することができました。

 

現代にも人を感動させる芸術作品はたくさんありますが、自然に涙が溢れるほどの“本物”の作品にはなかなか出会えません。本物には時代や場所を超えて人を感動させる力があります。そこには、作者が誰であろうと、人を驚かせようとか見返りに何かをもらおうとかいう個人的な思いなどなく、ひたすら目的に向かって突き進む熱情だけがあったのに違いありません。その熱情の源は何なのか、はっきりとは分かりませんが、源となるものと同じものが私たち一人一人の中にあるから本物の作品に感動するのだと思います。

 

キールタンも神への熱情がほとばしり出て、言葉と音になって生まれました。
ここにも、個人、我というものは無く、ただ神の名前と神と称える言葉があるだけで、旋律も単純です。難しいことは一つもありません。
そんなキールタンを歌う会、「バクティ・サンガム」に参加していると、時々歌っているうちに自然に涙があふれてくることがあります。私だけではなく、他にもキールタンを歌いながら涙を流す人がいます。キールタンを生まれさせた熱情が、私たちの中にある何かを目覚めさせようとしている気がします。
キールタンにも歌詞がありメロディーがあり、音楽ととらえることができるかもしれません。けれどキールタンは、どこかへ行って誰かの作品に触れなくても、自らが歌うことによって、内側から感動を呼び起こすことができる“本物”の持つ力があるのです。そしてそれは、一人で歌う時よりも大勢の人と共に歌う時の方がより大きな力を発揮します。「バクティ・サンガム」でみんなと一緒に歌っていると、この時間がずっと続けばいいなあと思うのです。

 

思う存分キールタンを歌った後の笑顔

 

少しでもキールタンに興味をお持ちでしたら、「バクティ・サンガムで一緒にキールタンを歌ってみませんか。
次回の「バクティ・サンガム」は10月21日日曜日、13時から。
場所は、江戸川印度文化センターです。

 

マイトリー


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