神が置いた場所でヨーガを生きる!


新年、あけましておめでとうございます!

毎年、我が家の年末年始は大阪に帰省するのが定例なのですが、今年は次女が忙しかったこともあり、私と次女だけ東京に残り二人で年末年始を過ごすことになりました。次女と二人、こんなに静かで穏やかなお正月は初めてでした。
東京は元旦から雲一つない眩しいほどの快晴。時間が止まっているかのようにゆったりと流れていきます…。
「そうだ!」私は大好きなシュリー・ラーマクリシュナの本が読みたくなり『不滅の言葉(コタムリト)』を手に取りました。どこから開いても、そのページから夢中になって読んでしまうのですが、特に好きな箇所のいくつかに付箋をつけてあります。

モヒマチョロン「あの御方(神)のところに心がすっかり行ってしまっても、なお、この世の中に住んでいなければならないのですか?」

聖ラーマ・クリシュナ「どうしてさ?世の中に住まないで、じゃ、どこへ行くんだい?わたしはどこに住んでいても、そこがラーマ(神)の都アヨーディヤだと思っている。この世界、この世はラーマの都アヨーディヤだよ。」

そこで、ラーマクリシュナはモヒマチョロンにラーマ王子の話を語って聞かせます。
ラーマ王子は師のもとで智識を得た後〝私は世を捨てる〟と言った。心配した父王が賢者ヴァシシュタに王子を説得するように頼んだ。ラーマ王子に激しい離欲を見てとった賢者ヴァシシュタは王子にこう話した。「ラーマよ、私と一緒によく考えてみよう。それから世を捨てても遅くない。─この世は、神の外にあるのかい?もしそうなら、サッサと捨てたらいいだろう」その時ラーマは心の底から悟った。─神ご自身が、人間やこの世界全てのものになっておられることを。そして、神が実在するからこそ、この世のすべてのものは本当にあるように感じられるのだ、ということを。

聖ラーマ・クリシュナ「風の中の枯葉のような気持ちでこの世に住んでいなさい。風は枯葉を家の中に運んでいったり、ゴミの山に運んで行ったりする。風の吹くまま、どこにでもとんでゆく。結構な場所だったり、ひどい場所だったり!神様は、今はお前を世間と言う場所に置いた。結構じゃないか。今はそこに住んでいなさい。─またそこからもっと良い場所に運んで落して下すったら、その時はまたその時のようににすればいい。(中略)あの御方がここに置きなすったのだ、しょうがなかろう。もういっそ、何もかもあの御方に任せきれ。あの御方に、素直になって自分を任せきっておしまい。そうすりゃ、何の心配も面倒もない。そうしたら、すべてはあの御方がやっていなさるんだということがわかってくる。”すべてはラーマの思し召し”と言うことがね」

 

私はこのラーマ王子のお話を読むと、いつも孫悟空を思い出します。お釈迦さまに反抗し大暴れをして、觔斗雲に乗って宇宙の果てまで飛んでいったと思ったら、実はお釈迦さまの手のひらの上だったというお話です。ご自分の手のひらの上で、得意げに暴れ回る孫悟空を見ながら、お釈迦さまはきっと目を細めて面白がっていたに違いないと思うのです。
そして、ラーマ・クリシュナがいわれるようにこの世界のすべてが神の現れであり、神のうちにあるというのであれば、私が心から愛する神が「さあ、あなたはこの場所ですよ」と置かれたこの場所で、いったい何を恐れることがあるでしょう?
神が私のために選んで下さったこの場所で、笑ったり、泣いたり、楽しんだり、悩んだり、歓びで溢れ返ったり、私が思うこと、感じること、やることなすこと私のすべてが、愛する神に、そして敬愛してやまない師に喜んでもらえるよう、お腹を抱えて面白がっていただけるように生きていきたい!と思った一年の始まりでした。

今年のキャッチコピーは「觔斗雲に乗ったヨーギニー!」にしようかな!? 皆さま、どうぞ今年も変わらず、お釈迦さまのような気持ちで見守っていただけるととっても嬉しいです!
真新しい一年、本年もどうぞよろしくお願いいたします!!!

 

この大輪のダリアのように、今年も真っ赤な情熱を胸に精進してきたいと思います!

シャルミニー 


新年のご挨拶


 

新年明けましておめでとうございます。

2019年、新しい年の幕開けです。皆さんはこの一年をどんな年にしたいですか?

私は年末に太平洋のど真ん中・ハワイに行くことがあり、どこまでも続く水平線、雲ひとつない青空をたくさん見ました。いつもどこにいてもこの空のように澄みきった心でありたい、そう願いました。

皆さんにとって、この一年が歓び溢れるものなりますように。

 

新年のクラスは1月9日(水)より始まります!

尚土曜日の吉祥寺クラスは、牟尼草庵の移転に伴い、2月2日(土)から吉祥寺駅徒歩5分のスタジオ・アムリタ移行します。
※1月中の吉祥寺クラスについてはお問い合わせ下さい。

 

では、本年もよろしくお願い申し上げます。

 


牟尼草庵の瞑想会


牟尼草庵では月2回、第2・4火曜日の夜19:30から瞑想会を行っています。
瞑想に興味のある方ならどなたでも参加できる自主的な集まりです。
先日の瞑想会の日は、雨の降る寒い夕べとなりました。正直に言うと、この天気では誰も来ないかもしれないなと思っていたのです…が、予想に反して初めて参加する方、そして笑顔のグルバイが到着です。
初めて参加の方は、アーサナクラスには何回か参加されており、久しぶりに会えた私はとても嬉しくなりました。
瞑想する前に、瞑想とはどんなものか、大切なことは何か、また今までの経験など、みんなで話をしていたのですが、その方は、「最近、自分で自分がぶれていることに気づき、何とかしたい。それには瞑想が必要だと感じて、今日来ました」とおっしゃっていました。その真剣な様子は、ヨーガを学ぶうえで大切なことを表してくれているようでした。
ぶれない自分になりたいということは、ヨーガの教える「すべての人の中に真実は既にある」という真理を自らで悟りたいということに他ならないでしょう。この強い意志があったから、雨や寒さ、遅い時間だという、普通ならば悪条件であるところを気にかけることなく、牟尼草庵に足を運んでくれたのだと思います。
このような方に出会うと、グルバイはみんな嬉しくなります。日常生活の中の人間関係で、人生の目的は何か、何のために生きているのかという大切な問題を話す機会など、めったにないでしょう? まだまだお話をしたい雰囲気でしたが、せっかくなので瞑想を。このときは約30分座りましたが、あっという間に過ぎ、もっと瞑想していたいと感じられる時間でした。私自身、仲間と座ると集中、瞑想に入りやすくなるのです。
みなさん、来てくださってほんとうにありがとう!

彼女からその日の夜、こんなメールが届いたそうです。
「なんだか頭の中のごちゃごちゃをそのままぶちまけたような話をしてしまいました。
聞いてくださってありがとうございました。
瞑想を始めてしばらくは、そのことが恥ずかしいような気持ちにとらわれていましたが、
真実は一つ、ということに焦点を置いてみたら、いつのまにか時間が過ぎていたという感じ
でした。瞑想、少しずつでも深めていけたらと思います」


次回の瞑想会は12月25日、クリスマスですね。聖なるものに心を寄せるにはぴったりの日に、またみなさんと一緒に瞑想できたら嬉しいです。


マイトリー

 

※来年2019年1月に牟尼草庵は移転します。今後の瞑想会につきましては、決まり次第、ホームページにてご案内いたします。

牟尼草庵には季節外れの桜が・・・夜桜も綺麗です(寒いけれど)


牟尼草庵の移転と年末年始のお知らせ


 

日に日に寒さがますこの頃、冬のひだまりがことのほか暖かく感じられます。
このたび、牟尼草庵が移転することになりました!
新しい住所は

〒180-0004
武蔵野市吉祥寺本町3-11-7

最寄駅はこれまでと同じJR/京王井の頭線「吉祥寺」駅 徒歩10分です。
正式には来年の1月に引越しをしますので、新しい年とともに新たな場所での出発となります。
環境が整い次第、また活動のご案内をしていきますね。

 

これに伴い、土曜日の牟尼草庵クラスは今月2018年12月で一旦終了し、2019年2月から吉祥寺クラスとして、吉祥寺駅徒歩5分のスタジオ・アムリタ へ移行することになりました。
また、時間も13:00〜15:00の120分クラスから13:30〜15:00の90分に変更し、参加費2,700円から2,160円に変わります。

<吉祥寺・アムリタ クラス>
2019年2月2日(土)スタート!
日時:毎週土曜日 13:30〜15:00(90分)  注:時間が変わっています
料金:2,160円(4回カード7,560円利用可)
会場:スタジオ・アムリタ  (ウェスト3Fスタジオ)
スタジオアムリタ HPはこちら→http://rental.studioamrita.com
吉祥寺駅から歩いて5分、アムリタ 食堂のあるビルの3階になります。


尚、2019年1月の3回(
1/12,19,26)は移行期間として、吉祥寺西コミュニティセンターにてクラスを行います。詳しくはお問い合わせください。


<年末年始のお知らせ>

2018年12月26日(水)から2019年2019年1月8日(火)までお休みになります。

● 新宿クラスは年内12/19(水)で終わり、年始は1/9から始まります。
● 吉祥寺・牟尼草庵クラスは12/22(土)で終了し、年始1/12(土)は吉祥寺西コミュニティセンターにてクラスを行います。
●瞑想会は12/25(火)で終わり、年明けのスケジュールは決まり次第アップします。


これから年の瀬のむけてなにかと忙しい時期かと思います。
一年の締めくくりにぜひ、ヨーガ・瞑想クラスへお越しください。お待ちしています!

 

吉祥寺名物・象のハナコ像もイルミネーション。みなさま、よきクリスマス&新年を〜。

ジャヤデーヴィー


捧げるということ


先月、師の御聖誕祭が京都で開催されました。

今年は東京でともにヨーガをしている仲間たちと、師への感謝の想いをキールタンとして捧げる機会を頂きました。
8月から3ヶ月ほど、週に一度はみんなで集まり練習を重ねました。
それぞれの師への想いがある。その想いをそれぞれが高めて、集めて、みんなでキールタンを師へ捧げる。
それが一体どういうことなのか、「捧げる」とはどういうことなのか、今回ほど考えたことはありませんでした。

練習は楽しく賑やかに進んでいきましたが、自分にできていないことや足りないことと向き合うこともありました。
こんなことで想いを捧げることができるのか、自信をなくす瞬間もありましたが、それでもやるしかない、いや、このキールタンだけは今の自分の精一杯を出し切って捧げたい、当日が近づくに連れてその気持ちはどんどん強まっていきました。

最後の方の練習は、一回一回が本番だと思って臨むようになりました。
こんな機会はきっと二度とない。練習といっても今この瞬間にすべてを出し切る。
今回キールタンを捧げることはもちろん、すべての出来事、その一瞬一瞬が二度とない瞬間なのだと何度も感じました。

みんなの想いがどんどん高まって、練習でも毎回のように涙が溢れる人も。私はみんなの背中や横顔を見ながら、ただ美しいと思いました。この人たちに出会えて、ともに捧げる機会を与えていただいて、こんなに嬉しいことはないと思いました。
御聖誕祭本番のことはあまりよく覚えていませんが、歓喜の中にみんなとともにいた、そして師は笑顔で見守り続けてくださった、その2つは確かな記憶としてあります。

 

新宿クラスの後の練習風景

「捧げる」とはすべてを投げ出してからっぽになって初めて可能なことなのだと思います。
そして捧げたとしても、師は私たちが捧げた以上のものを与えてくださいます。

もっともっと捧げることができるよう、御聖誕祭が終わった今、自分にできることもできなさそうなことも関係なく、とにかくやっていくだけだと思っています。

 

ハルシャニー

 


REAL KIRTAN !〜歓びのキールタン


11月23日、京都で私たちの師の御聖誕祭が執り行われました!
心から敬愛してやまない師の御聖誕祭は私たちにとって特別な日です。師がこの世界に肉体を持って姿を顕して下さったことで、私たちは実際にこの目でそのお姿を見ることができ、この耳で師の口から溢れ出る真理の言葉を、その声を通して直接聴くことができます。師と目が合い見つめ合う一瞬に永遠の歓びを感じ、私の問いに直接答え導いて下さるということが何と稀有で貴重なことか…!これこそが、どんなに素晴らしい書物からも、過去の聖者たちの物語からも決っして得ることが出来ない、人の姿をとって顕現されたグル(師)の存在の最大の意味であり、恩寵なのだと思います。
御聖誕祭はそのような師の計り知れない恩寵に心から感謝を捧げる日であり、私たちに常に惜しみなく注がれている祝福に「おめでとう!!!」という気持ちを皆で分かち合う日でもあります。

そんな私たち弟子一同にとって特別な日に、今年は東京のサンガでキールタンを奉納させていただきました!
夏の頃から準備を始め、その全てが素晴らしい時間でした。神の御名と栄光を繰り返し讃えるキールタン 。ヨーギー、ヨーギニーにとって親しみをもって心から愛するグル(師)の存在は神そのものだといわれています。師への愛だけを一心にキールタンを歌う時、練習であろうとなかろうと関係なく、その場は歓びに包まれ笑顔に溢れ、いつも誰かの頬に涙が伝っていました。そして御聖誕祭当日、私たちの歓びは頂点に達しました。

 

勝利を歌え! マハーヨーギーの栄光を讃えよ! 歓喜の中で
勝利を歌え! 聖なるパラマハンサの栄光を讃えよ! 歓喜の中で
勝利を歌え! 甘美なるグルデーヴァの栄光を讃えよ! 歓喜の中で
至福とともに 主よ 歓喜の中で

 

当日はニューヨークミッションともインターネットの中継で繋がっており、その様子を見ていた大先輩が〝Real Kirtan〟としてHPブログで紹介して下さっています。英文ですがよかったら読んでみて下さいね!→こちら

 

MYM東京では、毎月キールタンを歌う「バクティ・サンガム」を開催しています。今期はインドの古典文学作品としても有名な聖典『ギータ・ゴーヴィンダ』を美しい細密画ととも読み進め、物語にまつわるキールタンを歌っています。クリシュナ神と愛人ラーダーの濃密な恋の物語の雰囲気を味わいながら、その奥に秘められた神と人間の魂との結び付きに触れていきましょう!

 

<次回バクティ・サンガムのご案内>
●日 時:12月16日(日)13:00〜14:30(90分)
●参加費:2,160円(税込)/1回、7,560円(税込)/4回カード(ヨーガ・瞑想クラス共通)
●会 場:カフェと印度家庭料理”レカ” 2階 江戸川印度文化センター 東京メトロ東西線 葛西駅
お申込・お問合せはMYM東京/牟尼草庵まで。→こちら
※会場への直接のお問合せはご遠慮下さい。

シャルミニー 


呼吸機能を高める——マッチャ・アーサナ(魚のポーズ)


マッチャ・アーサナは、胸を高く上げる形です。
日本語では魚の形。完成ポーズを横から見ると、魚の形に似ているのが分かります。

 

 

①パドマ・アーサナで仰向けになる。
②ひじを床に置き、息を吸いながら背中を伸ばし、足をつかんで胸を高く上げる。
③ひじを床に置き、息を吐きながら戻す。

パドマ・アーサナができない場合は、足を伸ばし、つま先を立てて行ないます。
手は太ももの上に置きます。
足を伸ばして行う場合は、つま先が立った状態を維持することが重要になります。プラーナを逃がさずより充実させるためです。

パドマで行う場合も足を伸ばして行う場合も、頭頂部を床に付けることがポイントです。首の緊張やコリがある場合はうまく付かないことがありますが、首への刺激を強く感じる時は無理をしすぎないようにします。

 

集中ポイントはアナーハタ・チャクラ(心臓の部位)。
アナーハタチャクラのある胸の部分がより高い位置になるように形を作ります。
その際、つい肩に力が入りがちです。胸を高く持ち上げたら肩先の力を抜くように意識します。そうすることでより胸が大きく広がって深く吐ききれるようになります。
(ちなみに私は肩の力が抜けづらく、何度も指摘を受けたことがありますが、肩先をリラックスさせるようにすると自然に力が抜けて途端に呼吸が深くなったことに驚きました。)

息を吐ききる、というのはできそうでできないものです。どこまで吐けば吐ききれるといえるのか。それは頭で考えてできるようになることではなく、とにかくやりながら体感していくことです。
体感できるポイントとしては、おなかをしっかり凹ませながら吐けているかどうかがありますが、マッチャ・アーサナは仰向けの状態で行うため、吐く息とともにおなかがしっかり凹んでいるかどうか確認できると思います。
おなかが凹む=おなかの中が空っぽになる、それを体感しやすい形です。

 

 

どのアーサナも続けていくと呼吸が深まりますが、マッチャ・アーサナは特に呼吸機能を高める効果があります。
喘息などの呼吸器の疾患がある方にもおすすめです。(喘息の発作が出そうな時にマッチャ・アーサナを行うと楽になったという体験談を聞いたこともあります。)
寝る前にこのアーサナを行うとよく眠れるという方もいます。マッチャ・アーサナで胸を大きく広げることで肺の機能を大きく使えるようになるため、より深い呼吸が可能になり、自律神経が調うことが考えられます。また、首の後ろ側には睡眠時に優位になるとされている副交感神経のセンターのようなものがあり、そこが適度に刺激されるのが快眠効果につながっていることも考えられます。

これから本格的に風邪が流行する季節を迎えます。
マッチャ・アーサナで呼吸機能を高めて、より質の高い睡眠をとることで風邪予防に役立ちますので、ぜひお試しくださいね。

ハルシャニー


悩みの解決方法を知る——ヨーガ仲間のサットサンガにて


 人生を生きていく中で、大きな悩みや問題にぶつかるときがあります。 そのとき、あなたは誰かに相談しますか。ひとりで解決しようとしますか。 そして決断するとき、何を基準にするのでしょう。

 

先日、私は、ヨーガ仲間が中心となって活動している篠山のママさんたちのヨーガの勉強会にご一緒させていただく機会がありました。
参加されている方々は皆さんお子さんがいらっしゃり、育児、家事、仕事に毎日忙しく働き、時間をやり繰りして集まっています。社会的な立場としては、子育て中の母と、ひとくくりになってしまうかもしれませんが、生活環境は一人一人違いますし、それぞれにヨーガを中心とした生活を送りたいと思っていてもできないときがあるなど、悩みがあるようでした。悩みや問題を抱えていて仕事などに集中できないならば、それを解決する必要があります。

 

Aさんの悩みは職場での人間関係で、人の尊厳に関わるような深刻な問題でした。Aさん自身、どう対処したらいいのかと一所懸命考えるうち、怒りを覚える相手と同じものが自分にもあること、今の自分が置かれているこの状況にも必ず意味がある、と気づいたそうです。そのうえで、人を尊重しないその相手に対する怒りを抑えることができない、自分がどういう態度を取ればいいかの分からないと、涙を浮かべて訴えるような口調に、皆真剣に聴き入り、どうしたらいいのかを考えました。

 

これまで学んできたヨーガの教えの中に、人に対する四つの態度、慈悲喜捨があります。今回の場合は、この中の「捨」ではないだろうか。相手との関わりを避け距離を持つこと、そのためには自分の感情を内に秘めることも必要だ。そこでは熱が起き、浄化されるのだということも教わりました。その場で先輩や仲間に教わりながら考えていると、誰もが納得できる答えに導かれていくようでした。Aさんも腑に落ちたようです。けれど、まだ少し不安があったのか、「それでもまた怒りが湧いてきたら“わーー!”って叫んでもいい、かな?」
するとすかさず、「その時はキールタンを歌うといいよ!」と仲間の一人から声が上がりました。たとえ短いフレーズでも、繰り返しキールタンを歌っているうちに心が落ち着いてくるという、自身の経験から飛び出た言葉はとても力がありました。自分の感情をそのまま外に向けて発散してしまうのではなく、神を称える言葉に置き換えて唱えればいいのです。皆同じようにヨーガを学んできているので、これも共感できること。理解できなければすぐに尋ねることもできます。
今、目の前に実践した仲間がいて、その経験談を直接聞く、悩みの解決方法としてこれほど確実で信頼できるものはないのではないでしょうか。
帰り際、Aさんからは「来てよかった。苦しいけれど、それを乗り越える楽しみもある」といった決意のようなものが発せられ、とても頼もしく感じられました。
篠山でのヨーガの勉強会は、教えを学ぶ人たちが集まり、真理の話をする場(サットサンガ)。このサットサンガに参加して、学びは仲間と一緒に真剣に楽しく、そして日常の行為は一人一人が淡々と黙々と行なう、という基本を改めて意識し、サットサンガの大切さを実感することができました。

篠山の勉強会では、アーサナも行なっています。子供たちも興味津々。

 

追記
その後、Aさんは毎日キールタンを聴いて過ごしているそうです。これからどんな変化が訪れるのでしょうか、楽しみです。

 

マイトリー


”それ”を知るために私のこの人生がある!


すっかり秋らしくなりましたね🍂
皆さま、いかがお過ごしですか?仕事や家庭、育児や介護…それぞれの場所で立場で忙しい毎日を送っていらっしゃるのではないでしょうか?私も慌しい日常の中でも、いつもすべての思いと行為がヨーガの実践となるようにと、日々奮闘しています!…と言うと格好良く聞こえるかも知れませんが、実際は悪戦苦闘!と言った方がピッタリかも知れません(汗)。本当にこの世で〝自分の心〟以上に手強いものはありませんね!最強のラスボス⁉︎です。笑
以前に比べて、自分の心に大きく振り回されて右往左往するようなことはなくなりましたが、それでもうっかりすると揺れ動く自分の心に巻き込まれていることにはっと気がつくことがあります。そんな時、いつも思い出すことがあります。

 

5年程前にマハーヨーギー・ミッションの瞑想合宿に参加した時のことです。
合宿はヨーガや瞑想の初心者の方でも瞑想に入りやすような順番で構成されていました。
初日、講師の先輩から「まず、これさえあれば自分は死ぬまで絶対にずっと幸せでいられる!と思えるものを考えて下さい。大金持ちになることでも世界征服でもとんでもないことでも、なんでもいいですよ!誰にもバレないので(笑)、制限せずにこれでもかというくらい強欲になって考えてみて下さい」と課題が出されました。
目を閉じると即座に「ヨーガの成就」という言葉が浮かびましたが「いやいや、ちょっと待てよ。カッコつけてないか?この際もう一度正直によく考えてみよう」と思い直しました。ヨーガの道はやはり厳しい。世の中のいろんな楽しみを捨てて、結局、成就出来ないまま死んでしまうのではないか?一体何のために生きてきたんだろうと後悔するかも知れない。そんな人生で本当にいいのか?どんな人生を選択したって私の自由なんだから、よーく考えてみろ……。
私は昔から海が大好きで、いつか南の島で大きな窓がある広い家に住み、毎日海を眺めて海岸を散歩するような心穏やかな暮らしにとても強い憧れがありました。波の音を聴きながら潮風に吹かれ、沈む夕陽と光る水平線、夜には満天の星や月を見上げて…まさに楽園だ…あぁ、なんて幸せ…ウットリ。
その時、先輩の声がしました。「では、今度は今考えたことが、絶対に、何があってもなくならず、壊れず、永遠に続くものなのかを瞑想してみて下さい」
私は、そのウットリ幸せな風景の中に当たり前のように家族がいることに気がつきました。子どもたちも成長し、いつかは自立して親から離れて行くでしょう。健康で元気な身体も必ず年老いて、いつ病気になるやも知れません。もし夫が先立つようなことになれば…。海辺の古びた家で年老いた私が一人暮らしているイメージが現れ、次には私の姿も消え、家も朽ちて跡形もなくなりました。突然、すべてが虚しく色褪せて感じられました。「…そうか、さっきイメージした幸せとは自分以外のものに条件付けされいて、それが無くなるとすべて儚い夢のように消えてしまうものなんだな」やはりこの世界は常に変化し、絶対に変わらない永遠のものなど何一つないのだと改めて感じました。けれどそれと同時に、この世界の美しい自然や生きとし生けるすべての生命の輝き、誰かを心から愛おしいと思う気持ちが無意味な幻想であるとはどうしても思えない!という強い感覚が湧き上がりました。
やっぱり私はこの世界の本当のことが知りたい!すべての真実の源、それこそが永遠に変わらない唯一無二のものであるならば、それを知るために私のこの人生があるんだ!と思いました。

 

ヨーガでは心は自分ではなく、その心を見ている純粋な意識が本当の自分自身であると教えます。心は主人ではなく召使いだと。私の心が〝私が主人だ!〟と主張してくるような時や逆に心が散漫になっている時に、この日のことを思い出すというとことは、私にとって何か大切なことを思い出させてくれる印象的な出来事だったのかも知れません。

 

 

 

”それは海と波のようなものです。心はいろいろな波の形に巻き込まれてしまう__だから心は違いを見てしまう。でも本当は一つの海しかない。至高の真実には形もない、名前もない、ただ存在するだけ__それだけが「実存」であり、それは生まれも死にもしない。それが私たちの真我であり、神と呼ばれている。その至高の意識が一切万物として顕現しているのだ”
『ヨーガの福音』シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ 「真実在」より抜粋

 

私はそれを知るために、あきらめることなくこの道を歩いていきたいと思います。

 

シャルミニー 


キールタンの涙


すべての芸術の始まりは宗教的なものといわれています。太古の人たちは、自然界を動かしている目に見えない力に畏怖の念を抱き、それを形に表したいと願ったところから、音楽や絵画、彫刻、舞踊が生まれ、その作品に触れることで多くの人が思いを共有することができました。

 

現代にも人を感動させる芸術作品はたくさんありますが、自然に涙が溢れるほどの“本物”の作品にはなかなか出会えません。本物には時代や場所を超えて人を感動させる力があります。そこには、作者が誰であろうと、人を驚かせようとか見返りに何かをもらおうとかいう個人的な思いなどなく、ひたすら目的に向かって突き進む熱情だけがあったのに違いありません。その熱情の源は何なのか、はっきりとは分かりませんが、源となるものと同じものが私たち一人一人の中にあるから本物の作品に感動するのだと思います。

 

キールタンも神への熱情がほとばしり出て、言葉と音になって生まれました。
ここにも、個人、我というものは無く、ただ神の名前と神と称える言葉があるだけで、旋律も単純です。難しいことは一つもありません。
そんなキールタンを歌う会、「バクティ・サンガム」に参加していると、時々歌っているうちに自然に涙があふれてくることがあります。私だけではなく、他にもキールタンを歌いながら涙を流す人がいます。キールタンを生まれさせた熱情が、私たちの中にある何かを目覚めさせようとしている気がします。
キールタンにも歌詞がありメロディーがあり、音楽ととらえることができるかもしれません。けれどキールタンは、どこかへ行って誰かの作品に触れなくても、自らが歌うことによって、内側から感動を呼び起こすことができる“本物”の持つ力があるのです。そしてそれは、一人で歌う時よりも大勢の人と共に歌う時の方がより大きな力を発揮します。「バクティ・サンガム」でみんなと一緒に歌っていると、この時間がずっと続けばいいなあと思うのです。

 

思う存分キールタンを歌った後の笑顔

 

少しでもキールタンに興味をお持ちでしたら、「バクティ・サンガムで一緒にキールタンを歌ってみませんか。
次回の「バクティ・サンガム」は10月21日日曜日、13時から。
場所は、江戸川印度文化センターです。

 

マイトリー