雲の上に見たもの——真理は永遠に輝く太陽


梅雨空が続きますね。どんよりしたした日が続くと気分まで沈んでしまいがちですよね。だんだん太陽が恋しくなってきました☀

雨の日や雲が立ち込めている日に、いつも思い出す光景があります。
学生の頃、初めての海外旅行で飛行機に乗った時のことです。飛行機は雲を突き抜けて、とても高い高度を飛んでいました。眼下には一面に広がる真っ白な雲。生まれて初めて目にしたその光景は、この世のものとは思えないような美しさでした。本当に神様や天使がその辺りを歩いているんじゃないかと、思わず本気で探しそうになってしまいました。笑
何時間も同じ景色を見ているうちに、雲の上はずっと晴れている!ということにはたと気がつきました。もちろん知識としては知っていましたが、それを実際に自分の目で見たのは初めてだったので「やっぱり、本当にそうなんだー!」と感動して得心したのでした。

 

雲がない場所では、怖いくらい遥か下に青い海やどこかの国が見えました。今この真下の地上は晴れているんだなとか、この雲の下は曇りだったり雨が降っているんだろうな…などと、ぼんやり考えていると、ふと「人の心の中にも雲があるのかもしれないな…」という思いが浮かびました。そして〝雲の上はいつも晴れている〟ということに、その時なぜか不思議な安心感を覚えたのです。

今、私はお天気が悪い日にいつもこの日のことを思い出しながらこう思います。
「この雲はまるで私たちの心を曇らせている”無知”の象徴のようだな。どんな嵐の日でも雲の上では太陽がいつも明るく輝いているように、”真理”は日々容易く変化する私たちの心の動きとはまったく関係なく、常にそれだけが在り、永遠に光輝き続けているんだな」と。

そして、初めて雲の上の景色を見た日のように、やっぱりそれを絶対に自分で確かめたいと思うのです。

シャルミニー


今年もやります!1dayヨーガ合宿@相模湖たねまめ


今日から7月!沖縄は梅雨明けしたようですね☀️もう、あっという間に夏がやってきますね!
さぁ!MYM東京は今年も「1dayヨーガ合宿」を開催します!!!
時は7/14(日) 、場所は昨年一昨日と同じ、神奈川県相模原市にある湖と豊かな緑に囲まれたとっても素敵な場所にある『古家カフェ+ギャラリーたねまめ』さんです!

 

縁側fに佇むあずきときなこ(猫さん)。お待ちしております。

 

アーサナ(ポーズ)や浄化法、呼吸法、インドで古くから伝わる歌キールタン。また、お庭の草とりやお掃除など、汗をかいて動いてみると意外と心も体もすっきりとする!と好評だった作務(働きのヨーガ)。そして途中で少し休憩をとりながら・・・
最後にはせっかくの合宿なのでみんなでじっくりとヨーガのお話や少し長めの瞑想にもチャレンジしてみたいと思います!今年も、たねまめのオーナーさんが作る100%植物性オーガニック食材のみを使用したとっても美味しいと大好評のランチ付きです。楽しみ! 昨年の合宿の様子は→こちら

合宿のスケジュールと詳細はこちらです。

 

雑多な都会での生活や慌ただしく過ぎていく日常から少し離れて、静かな緑の中でヨーガに浸る一日を一緒に過ごしましょう!
どなたでもご参加いただたけます。お問合せ、お申込みはこちらまで。※申し訳ありませんが、定員になり次第締め切らせていただきます。

 

合宿お待ちしてまーす!(相模湖メンバーの方の畑で大豆の種まきしました)

メンバーの方の畑で大豆の種まきしました。合宿お待ちしてまーす!

 

シャルミニー


バクティ・サンガム〜インドの女神に親しもう!


4月から始まった「バクティ・サンガム」女神を讃えるシリーズですが、インドの神さまや女神の名前は聞いたことがあるけれど詳しいことはよく知らないな、という方も多いのではないでしょうか。今日はこれまでのキールタンに登場した女神について、講師のジャヤデーヴィーさんがいろんなお話をして下さったので、少しご紹介したいと思います!

『Jai Durga Lakshmi Saraswati / ジャイ ドゥルガー ラクシュミー サラスワティー』
このキールタンには3人の女神の御名がでてきます。シヴァの配偶神のドゥルガー、ヴィシュヌの配偶神ラクシュミー、ブラフマーの配偶神サラスワティーです。
※ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァはトリムルティー(三神一体)といわれ、それぞれにブラフマー=創造、ヴィシュヌ=維持、シヴァ=破壊/再生を司る神です。

ドゥルガーという名前は〝近寄りがたい者〟という意味があり、戦いの女神、勝利の女神と呼ばれています。トラやライオンに乗り、10本の腕それぞれに神受の武器を持つ勇ましい姿であらわされます。そんなにたくさんの武器を持ってドゥルガーが戦っている相手とはアスラ族の悪魔の軍勢!悪魔の軍勢は倒しても倒してもどんどん増え、壮絶な戦いが繰り広げられます。これは聖典『デーヴィー・マーハートミャ(女神の素晴らしさという意味)』に書かれている物語なのですが、その一場面である水牛の姿をしたマヒシャという悪魔を討ち取った姿がミニアチュール(細密画)などにも描かれています。優美でありながら恐ろしい女神として、今も多くの信仰をあつめるインドでは有名な女神です。

 

 

水牛の姿となったアスラ(悪魔)と闘うドゥルガー

 

ラクシュミーは美と豊穣・富の女神です。蓮華の上に立ち、四本の腕のうち二本には蓮の花を持ち、一本の腕の手からは豊かさの象徴としての黄金が流れ出していて、二頭の白象をともなって光輝くような美しい姿であらわされます。日本では吉祥天として知られています。

サラスワティーも四本の腕がありヴィーナという弦楽器と数珠、ヴェーダ(聖典)を持って蓮華の上もしくは白鳥に乗っている姿であらわされます。聖なる河とされるサラスワティー河の化身ともいわれており、才色兼備で芸術や学問を守護する女神だそうです。日本には弁財天として伝わっています。サラスワティーの夫ブラフマー神はどこにいても美しい妻を見ていたくて、前後左右頭頂に5つの顔を作り出したという逸話もあるそうですよ😄

 

 

インドの神さまは仏教とともに日本にも伝わっているので、実は日本ととてもご縁が深いのです!ちなみに日本ではブラフマーは梵天、ヴィシュヌは仏陀、シヴァは大黒天です。面白いですね!

 

キールタンは神の御名を繰り返し歌い讃えます。神そのものであるといわれる神の御名には、たとえ私たちがそれを知らずに口にしたとしても大いなる何かを感じさせる計り知れない力があります。ですが、それぞれの神に親しむことでイメージが膨らみ、そしてその御名を讃えることでもっと神を近くに感じることができるようになります。
「私たちが神に一歩近づけば、神は喜んで十歩私たちに近づいて下さる」と師から教わったことがあります。私たちの拙いよちよち歩きの一歩を神は純粋に喜ばれて、まるで母親が我が子にそうせざるを得ないように、十倍も私たちに近寄ってきて下さるというのです!私はこの教えが大好きです!
皆で一緒に神を想い、キールタンを歌って百歩も千歩もどんどん神に近づいていきましょうー!!!

次回のバクティ・サンガムは7/21日(日)です!
詳細、お申込みは→こちら

 

トリルティー(三神一体)とその女神トリデーヴィー(三人の女神)

シャルミニー 


永遠の記憶〜真理は棄てようと思っても棄てられないもの


先日の瞑想会でのこと。
瞑想前の話では、今回は直前に開催されたサット・サンガのことが話題に上りました。
今回のサット・サンガの中で、ヨギさんは「記憶を使っている」という表現をされました。
ヨギさんはどんな質問に対しても、的確にお答えになります。質問に答える際には、頭の中にある真理についての記憶の中からふさわしいものを選ばれているそうです。
私たちは同じような質問を繰り返してしまうことが多々ありますが、その瞬間瞬間、質問を集中して聞くことに徹しているので、また同じことを言っている、などとは思わない、という風にもおっしゃっていました。

 

そもそも記憶とは?
調べると、辞典では以下のような説明がされていました。
①過去の経験を頭の中に残しておき、時に応じてそれらを思い起こしたり使用したりする過程。
②感覚、感情、思考、印象、その他の精神的なことを思い出すことのできる能力。

ヨギさんの場合は、①の意味で適切に「記憶を使っている」状態と考えられます。
しかし私たちの場合は、本来ただ使うべきである「記憶」に②の意味が加わり、その時々で移ろう心の様によって振り回されたり執らわれたりしている状態です。

ヨギさんのように記憶を使えるようになるには、過去の印象等に執らわれないよう識別をすること。普段から徹底して識別を行うことが大切だと思いますが、一番大切なのは人の話を集中して聞く訓練をすることなのかな、と思いました。

 

 

瞑想会に参加していたKさんは、以前サット・サンガに参加した際に、最後にヨギさんおっしゃった言葉が特に印象に残っていると話されました。
それは、「真理はみんなの中にある」ということ。ぐっとくるものがあり、涙腺が緩んだそうです。

 

今回のサット・サンガでは、ヨギさんはこうもおっしゃいました。
「棄てようと思っても棄てられないもの、それが真理」

真理は誰もの中にあり、それは棄てようと思っても棄てられないもの。
過去の記憶も、未来への不安も、真理以外はすべて棄てられるもの。ヨギさんがよくおっしゃるように、とるに足らないもの。
永遠に変わることのない真理。
最初は雲をつかむような感じで真理が何なのか分からなかったけれど、次第にそれは確かにあると思えるようになりました。
そして今回、真理は棄てようと思っても棄てられないものであると聞きました。これ以上ない励ましで、大きな力をいただきました。

 

瞑想は真理を体感できる実践です。
いただいた力を原動力にして、さらに瞑想を深めていきたいと思います。

 

 

 

瞑想会は、毎月第1.3月曜日に神田さくら館にて開催中です。今月は6月17日(月)
スケジュールこちらの記事もご参照ください。)
瞑想は一人でも行えますが、同じ道を志す仲間とともに瞑想すると、より深い集中状態が得られることがあります。
瞑想に興味のある方、ぜひご参加くださいね。

※初めて参加される方はお申し込みフォームからご予約ください。


私の神


“Tvameva mata ca pita tvameva
tvameva bandhus ca sakha tvameva
Tvameva vidya dravinan tvameva
tvameva sarvan mama deva deva

貴方こそが母であり そして貴方こそが父であり
貴方こそが親族であり 友である
貴方こそが智慧であり 貴方こそが富(財産)であり
貴方こそがすべてである 私の神よ 神よ”

このマントラが好きな方はたくさんいると思います。
私もこのマントラが大好きです。

 

私は、新興宗教の熱心な信者である父と、その宗教を嫌い信仰を否定する母との間で育ちました。
父は母と私に信仰を強制しました。父の信じる神を信仰しようと努めた時期もありましたが、父はうまくいかないことがあると私たち家族の信仰が足りないからだと言ったりするので、信仰すること自体を信じられないようになりました。信仰を持つことに対して、そして神という存在に対して嫌悪感を持つようにもなっていきました。

成長するに連れて両親から互いへの悪口を聞く日が増え、両親への嫌悪感も強まりました。
父からは母のようになってはいけないと、母からは父のようになってはいけないと言われ、反抗的な態度をとると、父からは母にそっくりだと、母からは父に似てしまった、と言われました。私は両親を信じることができなくなりました。

父とは何か。母とは何か。そもそも家族とは何なのか。私はどうしてこの2人の子として生まれてきてしまったのか。
生きる意味が分からなくなって死のうとしたけれど、抵抗するかのように心臓は激しく脈打ちました。私は死ぬことすらできない臆病者で、死にたいと思いながらもやっぱり生きてたい卑しい人間なんだと思いました。
とりあえず命が続く限り生きるしかないのだと観念して生き続けていたら、ヨーガに、ヨギさんに出会うことができました。

ヨギさんからこれまで感じたことのない安心感を与えていただき、強張っていた心は少しずつ緩んでいきました。
ヨギさんは私にとって救世主であり、強烈な憧れの対象となりました。

そんな時に、このマントラを、その意味を知りました。私にとってのヨギさんを完璧に言い表したものだと思いました。
唱えようとすると込み上げて来るものがあり、最初の頃は最後まで唱えることができませんでした。
この込み上げて来るものの正体は何なのだろうか?心臓のあたりがぎゅっとなり、表現しようのない想いが溢れて来るのは何なのか?

これが信仰というものなのかもしれない。
これが愛というものなのかもしれない。

 

私にとってヨギさんは父であり母であり、私にとってのすべてです。
私の神であるヨギさん。貴方への憧れの想いをもっともっと高めて、貴方に没入していけますように。

ハルシャニー


バクティ・サンガム~女神を讃えるキールタン


4月から「バクティ・サンガム」の新シリーズが始まりました!
今シリーズのテーマは「女神」です!
皆さんは”女神”と聞くとどんなイメージが浮かびますか?ギリシャ神話やローマ神話のアフロディーテやヴィーナスに代表される見目麗しい愛と美の象徴ようなイメージでしょうか?それとも聖母マリアのような深い慈愛に満ちたイメージでしょうか?ギリシャ神話やローマ神話にもたくさんの個性的な女神が登場しますが、インドの女神も強烈な個性を放つ(!?)パワフルな女神さま揃いです!

今シリーズでは、そんな個性豊かなインドの女神たちの物語に親しみながら、女神の御名をキールタンでたくさん讃え、歌っていきたいと思っています!
そして、毎回クラスの初めに『TANTROKTAṂ DEVISŪKTAM/タントローキタム デーヴィースークタム(女神への讃歌)』を練習していく予定です。これはキールタンとは違い、プージャー(礼拝の儀式)などで唱えられるマントラです。日本に伝わっている仏教のお経の源流ともいえるもので、歌うようなとても綺麗な韻律で作られています。少し長いのですが、最終回にはみんなで歌詞カードを見ずに唱えられることを目標!?に頑張って練習したいと思っています!
その「女神への讃歌」の冒頭部分を少しだけご紹介しますね。

 

Namo Devyai Mahādevyai Śivāyai Satataṃ Namaḥ
Namaḥ Prakṛtyai Bhadrāyai Niyatāḥ Praṇatāḥ Sma Tāṃ

礼拝いたします、女神に、偉大なる女神に。吉祥なる女神に、永遠に礼拝いたします。
礼拝いたします、万物を生み出す根源の力、吉祥なる女神に。全身全霊で慎ましく、ああ!あのお方に頭を垂れます。

Raudrāyai Namo Nityāyai Gauryai Dhātryai Namo Namaḥ
Jyotsnāyai Cendurūpiṇyai Sukhāyai Satataṃ Namaḥ

恐るべき女神に礼拝いたします。永遠であり、白く光り輝く、この世界を支える女神に礼拝いたします。
月の光であり、月の甘露のしずくという姿を持つ、幸福そのものであるお方に、永遠に礼拝いたします。

 

美しいマントラですね。一つ一つの単語にはさまざまな意味や背景が含まれていて、表面に表れている言葉の向こうにはとても奥深い世界が広がっています。

 

Mahisyasura Mardini(マヒシャ・アスラの殺し屋)より

 

4月はシリーズ第一回目ということで、講師のジャヤデーヴィーさんから、このマントラで讃えられている女神についてのお話がありました。(ジャヤデーヴィーとは“勝利の女神”という意味があります。今回のテーマにぴったりですね!)

 

このマントラが歌われた物語の中では、「女神」をシヴァ神のお妃というような男性神の配偶者としての型にはめて特徴づけてはいません。女神それ自体が力(シャクティ)であり、宇宙の一切を生み出す根源的なエネルギーそのもの。生死を問わずあらゆるものが彼女によって作り出されていきます。
喜びや苦しみ、この世界に縛り付ける執着をも生みだす一方で、そこから目覚めさせ、救済する力もまた女神の働きによるもの。

では女神が命をかけて戦い、殺戮するアスラ(悪魔)とは何なのでしょうか?
自尊心や所有欲、力、悦びを求めた結果としての執着…、そんな人間の自我(エゴ)という悪魔と対峙することで、私たちに真の自己、存在とは何かを気づかせているのかもしれません。

 

お話を聞きながら、何だかこの宇宙全体を動かしている壮大なエネルギーのうねりの様なものを感じました。
女神パワーがどんな風に展開していくのか、とっても楽しみです!!

 

女神の力(シャクティ)が溢れるキールタンを歌いましょう!

 

次回の「バクティ・サンガム」は5月19日(日)13:00~、江戸川区葛西の江戸川印度文化センターにて開催します。どなたでも参加できます。ダイナミックなバクティ・ヨーガを是非体験しにきて下さいね!
お申込みは→こちら

シャルミニー 


善悪ではなく本質をみる


先日、とあるドラマを夫と2人で観ていたときのこと。
主人公はやむを得ない事情により他人に怪我を負わせてしまいます。周りの誰もが主人公を悪者とみなし、主人公は窮地に追いやられますが、たった一人、主人公に寄り添い温かい言葉をかける人物がいました。
夫が、「この人は人の本質を見ているんだね」とつぶやきました。
私ははっとして、「そうだね」と言葉を返しました。しばらくの間「本質を見ている」という言葉が頭から離れず、何か大切なことに気付けそうで気付けないもどかしさのようなものを感じていました。

 

その数日後のこと。
10年ほど前までよく顔を合わせていた仲間たちと再会し、互いの近況報告や思い出話に花を咲かせていました。
その中で、1年ほど前にかつての仲間の1人が罪を犯し、逮捕された話題が出ました。
それは同情の余地もない犯罪でした。第一報を耳にした時は本当にショックで、なぜそんなことをしたのかと怒りと悲しみでいっぱいになり、現実をどう受け止めてよいか分からなくなりました。時が経つにつれて落ち着きはしましたが、彼自身のこと、被害者の方のこと、彼の家族のこと、 仕方のないことと分かりつつも時折思い出しては考えてしまっていました。

その後彼がどう裁かれたのか、今どうしているのかを具体的に知る人はいませんでしたが、仲間たちの表情からも複雑な思いを見て取れました。犯罪者になる前の彼が悪人だったかとういうと決してそうではなく、少々やんちゃなところがあったものの、どこか憎めない愛される性質の持ち主でもあったからです。

 

この世には完全な善人も悪人もいません。人はカルマによって生まれた以上、少なからず他者を傷付けたりした過去を持ちます。過去のカルマを昇華させるために今生があり、今生で生まれたカルマは来世に持ち越されます。ヨーガにおいては今生でのカルマを増やさないようにするためにまず物事の正しい見方を学びます。正しい見方は正しい思いを生み、正しい言葉を発するようになり、それに応じて正しい行為ができるようになります。

またヨーガはカルマにゼロをかけるともいわれ、今後発動するはずのカルマを消滅させることができます。(師はそもそもカルマなんて存在しない、存在するのはただ一つの本質のみと教えてくださいます)

善か悪か。それは心が作り出したものであり、何を善とし何を悪とするかの基準はあってないようなものです。同じ人でもその時の印象や見方によって、基準は変わります。

そんな不確かな物差しで判断することには意味がない。

 

 

かつてブッダが大量殺人の罪を犯したアングリマーラーを弟子とし、彼を悟りへと導いたことは、ブッダが彼の本質のみを見ており、それ以外は大したことではなかったからなのだと思います。

「本質をみる」ことだけが大切で尊く、あらゆる存在はその「本質」のみであることを知り、理解し、自分も「本質」のみになれるよう努めていくことが、今私が彼のためにできる確かなことだと思えるようになりました。

 

ハルシャニー


吉祥寺ヨーガ・瞑想クラスのスタジオが移行しました!


皆さま、こんにちは!とうとうGWに突入しましたね😊
平成から令和へ元号が変わるのを目前に、4/27(土)より毎週土曜日お昼の吉祥寺ヨーガ・瞑想クラスの会場が、スタジオアムリタ・WEST(ウェスト)からスタジオアムリタ・NORTH(ノース)へ移りました!そこで、さっそく新しいスタジオでのクラスの様子をご紹介したいと思います!

スタジオアムリタ・ノースはJR線・京王井之頭線吉祥寺北口から徒歩7分、吉祥寺通りを真っすぐ北に進み、東急百貨店と第一ホテルを通り過ぎたところ、近くには武蔵野八番宮があります。

 

スタジオのあるビルの入り口、地下1階になります。

この日は久しぶりに参加された方や初めて参加された方がお二人いらっしゃいました。

ずっと通われている方は、場所が変わってもいつも通り熱心に集中してアーサナや瞑想に取り組んでいましたよ。さすが!

 

クラスの始まり、立ち木のポーズです。

〝三日坊主〟という言葉もあるくらい、一つのことをずっと続けるというのは、確かに口で言うほど簡単なことではありません。誰の目に触れることもなく、誰かから褒めれることもなく、ただ黙々と何年も何十年も生涯のライフワークとして一人一人が地道に行う日々のサーダナ(ヨーガの修練)。時には心が弱くなって真っ直ぐにヨーガに向かえない時もあります。そんな時、クラスに参加してヨーガの仲間と一緒にアーサナや瞑想を行い、ヨーガの教え、そしてその場のプラーナに触れることで、不思議といろんなものがリセットされ、再びヨーガへ向かう情熱や歓びが湧いてきます。
「ヨーガを学びたい」という真剣な思いを持って皆が集まって来るクラスには、そんな目には見えない大きな力があるのだと思います。継続は力なり!これからも皆さんと一緒にヨーガを学んでいきたいと思います!
ぜひ、クラスに参加して下さいね!

シャルミニー

 

【吉祥寺 ヨーガ・瞑想クラス】
●場所
スタジオアムリタ ノース B1スタジオ http://studioamrita.com/
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-5-10 いちご吉祥寺ビルB1 (JR/京王井の頭線 吉祥寺駅より徒歩7分)

●日時
毎週土曜日 13:30~15:00 (開場 13:20/90分クラス)※日程は変更になることがありますのでご確認ください

●料金
2,160円(税込)/1回 、7,560円(税込)/4回カード(有効期限2カ月)

 

 


大都会Tokyoで瞑想会!


八重櫻の咲く頃になりました

3月から始まった神田での瞑想会。HPの告知を見て直接会場にお越しになる方や仕事帰りの方など、2回目(4/15)は、なんと12名が参加しました。

 

その中には、マハーヨーギー・ミッションのニューヨークで活動をしているヨーガの仲間・ヤショーダーさんのお姿も!ちょうど帰国中だったヤショーダーさん、お友達二人を誘って一緒に参加されたのでした。

お二人(長くニューヨークに住んでいらした日本人の方と、日本語ペラペラの米国人の方)とも、今は日本でお仕事をされているそうですが、日本社会の枠に収まることが難しく、ご苦労も多いそうです。

「そんな時は瞑想をするといいよ!苦しみは自分の心からきているんだよ!!」とニューヨークから咤激励を続けていたヤショーダーさん。相手を慰める(ふりの)きれいごとではなく、相手を思って激励するヤショーダーさんをお二人がとても信頼しているのを感じました。

 

今回参加した12名の多くが、大都会Tokyoで働く企業戦士(古!?)たち。目の前のことをこなすことに精一杯な一方で、気づけば未来と過去にばかり思いを巡らしていると言っていた方も、1時間の瞑想後は「いま」の自分に集中することができたそうです。なにより、ひとりでは1時間も座るのは難しいですが、皆で座ればそれも可能でしたね。

企業戦士でなくても、Tokyoという大都会で人波にもまれ生きていくことは大変です。しかし、どのような環境や状況にも振り回されない心であること、それは真理を学び、瞑想を続ければ可能なのだ!とワクワクしながら瞑想を続けたいと思いました。

 

京都から出張で東京に来られた方(吉祥寺クラスにて)

東京駅のお隣、神田駅前の繁華街から5分歩いただけなのに、とても静かな和室(そもそもこの施設は小学校なのです)で瞑想ができます。ぜひ一緒に瞑想を深めていきませんか。

<瞑想会>
会場:神田さくら館和室(https://www.city.chiyoda.lg.jp/shisetsu/bunka/007.html)
JR・東京メトロ銀座線神田駅、東京メトロ丸ノ内線淡路町駅・都営新宿線小川町駅から徒歩5分
日程:毎月第3月曜日 19:15〜20:45(90分)開場19:00
料金:ドネーション制(500円から)
内容:最初に瞑想についてやその月ごとのテーマなどを話し、その後約30分〜1時間ほど、少し長めの瞑想をします。
初めての方には瞑想の座り方や対象についてもお話しします。

 

次回の瞑想会は、5月20日(月)です。
(6月からは月2回に拡大する予定・スケジュールをご確認ください)
みなさんのご参加をお待ちしています!!

※初参加の方は、お申込みフォームからご予約ください。

 

ターリカー


聖典を味わう


ヨーガに出会って初めて聖典と呼ばれる本を知りました。

日常的に行うべきヨーガをクリヤー・ヨーガといいますが、その1つに聖典の学習が挙げられていることからも、ヨーガの実践において特に必要な学びとされています。

※クリヤー・ヨーガにおいて実践すべきこととして3つのことが挙げられています。

①心の不浄を取り除く熱になる苦行(アーサナや瞑想など)

②聖典の学び(過去に存在した覚者や真理について書かれている書物)

③至高の存在に心をゆだねること

聖典と聞くとなんとなく敷居が高いように感じます。目にする言葉も初めは慣れないものばかりで、その意味を注釈などで調べながら読んでいると肝心の内容が楽しめなくなったりもします。

聖典は理解しようとして読むものではなく、味わうもの。一言一句間違いなく記憶したとしても、そこに書き記されている真理、それに向かっていく熱のようなものを感じ取ることができなければ意味がありません。

開いた聖典の中に自分の胸に響く言葉が1つでもあれば、それが勇気を与えてくれて、真理の道を歩む力となるのです。

 

 

私の場合は最初は勢いだけで手当たり次第に聖典を読んでいたので、再読して初めてその素晴らしさに気づくことがほとんどでした。何度も手に取り読み返してもその度に新たな発見があったり感動が味わえたりするのも、聖典の学習の醍醐味だと思います。

 

数ある聖典の中でも、特別分厚くて存在感を放っていたのが、『ラーマクリシュナの福音』です。

同じくらいの分厚さの『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨーガナンダが書かれた自叙伝)は面白くて一気に読み進められましたが、『ラーマクリシュナの福音』は表紙のお写真を見て、少し近寄りがたいような印象を受け、手に取らないままとなっていました。

 

 

まずラーマクリシュナの奥様であるサーラダーデーヴィーやラーマクリシュナの直弟子たちの聖典を読みました。

サーラダーデーヴィーには親しみを感じるけれどラーマクリシュナは遠い存在に感じる、と当時ヨギさんにお話ししたことがあります。ヨギさんは、ラーマクリシュナは自分が神であることを隠しきれなかったとおっしゃいました。

それがどういうことなのかその時は分かりませんでした。でもその言葉をきっかけにラーマクリシュナに興味を持ち、ラーマクリシュナご自身について書かれてある聖典を読み始め、少しずつラーマクリシュナの人柄に親しみを感じるようになっていきました。過去の出来事を記したものを読んでいるだけなのに、まるで自分に向かって言われた言葉のように感じたり、ラーマクリシュナのサンガの中にいるような感覚になったこともあります。

 

今週末開催される「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー 神性示現大祭」では、ラーマクリシュナの魂に迫る、ということもあり、再び『ラーマクリシュナの福音』を最初からじっくり味わいながら読み進めています。

ラーマクリシュナと彼の下に集まってくる人たちとの対話。文中に幾度も登場する、キールタンを歌い踊る場面。子どものように無邪気であり、繊細でもあり、大胆でもある。その魅力は計り知れません。

初めて読んだときはどこか絵空事のように感じていた『ラーマクリシュナの福音』の世界が、今は確かに現実に起こったこととしか思えなくなりました。

 

神であることを隠しきれなかったラーマクリシュナ。

私の中でラーマクリシュナの存在感は日に日に大きくなり、それは同時に私の師であるヨギさんの存在をより大きく感じさせてくれるようにもなっています。

『バガヴァット・ギーター』の一節に、『正義、もしくは宗教が疎んじられ、不徳がはびこる時、私は自らを顕す。悪を滅ぼすために』とあります。

19世紀のインドや現代の日本だけでなく、いつの時代も永遠で完全な存在であるアヴァターラが顕れて、多くの魂を救い続けてくださっています。それがどんなに稀有で吉祥なことなのか。

歓びとともに精一杯の感謝を込めて、祝祭を迎えたいと思います。

 

ハルシャニー