自分の拠り所を見つける瞑想

瞑想専科ジョプレ瞑想

先日、久しぶりに瞑想専科に参加しました。
私は瞑想専科に参加すると、そのなかで出た言葉をクラスの帰り道から翌日、翌々日へと引き続き考えることがよくあります。クラス会場から日常へと体は移動しても、心はクラスのまま、瞑想の中にいるのかもしれません。

今回は『拠り所』という言葉が、私の心から離れません。皆さんはご自身の『拠り所』について、考えたことはありますか?

実践編「ブレない”自分”の本質に瞑想する」3回シリーズの最終回。継続して参加されている方が多く、それぞれ瞑想がご自身の日常の一部になっているのが、久しぶりに参加した私にも感じられました。
今回は「体も感情も記憶も何もかも、本当の自分ではない、これではない、これではない!」と否定し続けた先に何が残るのか、を瞑想していきましたが、瞑想の後に何人かの参加者から「すべてをなくしたら『拠り所』がなくなるようで不安になる」という声がありました。

井の頭公園スワン私が『拠り所』という言葉を意識したのは、「Manasa Bhajare」というキールタンを初めて歌ったときのことです。「Manasa Bhajare Guru Sharanam 心よ 信じよ グルの庇護を」という歌詞で始まるこの曲。「庇護」と訳されている「Sharanam」という言葉は、『避難所、拠り所』という意味もあるとも教えてもらいました。
ヨーガを学び始めたばかりだった私は、ヨーガの教えに沿った日常を送っていない自分が嫌で、師に顔向けができないと感じていました。そんな私に「自分が神から離れていると思うときほど、神はそばにいてくれると言われれているよ」と先輩が教えてくれました。ちょうどその時に歌った曲が「Manasa Bhajare」だったのです。この歌詞と先輩から教えてもらった言葉がまさに一致して、泣きながら歌ったことを覚えています。どんな私であっても、神は私とともにいてくださる。今でもこの曲を歌うときは心が震えます。そして、自分の心に染み込ませるように歌っています。

それから数年たち、ヨーガを学び続けたいまの私の『拠り所』は、はっきりしています。あとはそれに近づき、私もそれになるだけ。でも、クラスに参加されている方は、おそらくはじめて「今まで自分だと思っていたのは、本当の自分ではない」と教えてもらい、戸惑っているのだと思いました。サナータナさんは、「死ぬまでこれがあればその他には何もいらない!というものが『拠り所』。とにかくそれを自分でみつけることです」、そして「本当のことを知ること、それを考え、瞑想することが大切」ともおっしゃられました。

縁あって瞑想専科に足を運ばれ、瞑想のやり方だけではなく、その先にある本当のこと、心震わせるお話を聞いた皆さんが、考え、瞑想し、ご自身の『拠り所』を見つけることができますように。次の月曜日、どんなことを考え瞑想されたのかを伺うのが楽しみです。

ターリカーターリカー


ハリの光が私の純粋な内なる神に届く

バクティサンガム楽器

井の頭公園の近く、緑に囲まれたヨーガの庵・牟尼草庵で、「バクティ・サンガム」に参加しました。
今日は新シリーズの第一回目。今回のチラシには『ヨーガで本当の愛を知る』と書かれていて、
とっても素敵な内容になって始まりました!
サブタイトルは『ヨーガとは結ばれること、一つになること』
(バクティ・ヨーガは愛の力を使って神なるもの、純粋なるもの、自分自身の本質と一つに結ばれていくヨーガの道 です)
というところを、改めてジャヤデーヴィーさんからお話ししていただき、キールタンの内容に入っていきました。

今回のキールタンは『Hari Narayana(ハリ・ナーラーヤナ) 』という歌で、素朴でどこか懐かしい感じのメロディーでした。シンプルな歌詞で、明るい感じの曲調(メジャーコード)です。インドの人々は信仰心が厚く、聖地を家族で巡礼されたりするそうですが、そういうイメージで選ばれたそうです。イメージにピッタリで歌っているととっても楽しくなる歌です。

そしてもう一曲は以前の「バクティ・サンガム」でやったことがある『Tumhi Bhaja Re Mana(トゥミ バジャ レ マナ)』こちらは悲しげな曲調(マイナーコード)ですが、繰り返していると、燃え上がるような歌でした。20177月バクティ・サンガム

ジャヤデーヴィーさんが歌詞の意味を話す中で、前から何となく感じていたけど、今日、はっきり分かった感動がありました。

それは、『Hari (ハリ) 』という言葉について聞いた時でした。『Hari (ハリ) 』の意味はクリシュナという神さまの別名と、以前からバクティ・サンガムで聞いて知っていたのですが、別名というだけでなく、サンスクリット語で「光り輝く太陽の黄金色、あるいは太陽そのものを表す」そうです
その説明をしながら、ジャヤデーヴィーさんが「光(ひかり)って、こう、射すでしょ」と、左手の指に右手の指を差し込むようにし て、太陽の光が射して、物や人を通り抜けすべてに行き渡るような様を、手ぶりを付けて話してくれました。その時、私の中に、「Hari」かな?神さまなのか?大いなるものなのか?何なのかは分からないけれど、そういう助けてくれるような、手伝ってくれるような本当の存在が光として入ってきて、私の中の要らないものを素通りして、純粋なところまで届かせようとしているように感じたのでした。

その後、歌っている中で、聖地に巡礼して、神さまに会える!会ってきたのよ!というような
気持ちになって、踊りだしたい気分で顔は笑っていましたが、泣きながら歌っていました。

20177月バクティ・サンガム2ジャヤデーヴィーさんは、キールタンの歌詞の意味や、神話、神さまのことを話してくれる時、
とても大切そうに話してくれます。
文章としての言葉の意味というよりも、歌詞になっている神さまや、神話や、言葉の持つ意味を
感じながら話してくれていて、その、とても大切そうに話すとき、その声は、低くて、そんなに大きな声ではないけれど、言葉の表面的な意味より、感じられていることが胸に直接伝わるような感じがするのです。

それは、今日感じた私の中の純粋なところに「Hari (ハリ) 」が光になって届いたような感じで、
話してくれてたんだなぁ!と、改めて感動しました。
外からの神から内側にある純粋に、一つになる。
結ばれるって、こういう感じなのかなぁ?(*´▽`*)

ナンディニーナンディニー3


わたしが本当のヨーガに出会うまで—第4回「転機」

あるヨギの自叙伝/孔雀の羽

東日本大震災が起こる半年程前、「こんなヨーガを続けていて一体何になるんだろう…。でも、どうすればいいんだろう…。」毎日そんなことばかり考えていたある日。
突然、「これはちゃんとヨーガを教えてくれる〝本当〟のヨーガの師に出会えていないからだ!」というひらめきとも直感とも言えるような、ハッキリとした何かが降ってきたのです。
実はヨーガの本や聖典には〝ヨーガの道を求める者にはヨーガを成就した師が不可欠である〟とちゃんと書かれてあるのですが、何故か私はそれまで一度も自分の身に置きかえてそのことを考えたことがありませんでした。

その日から、私は〝私の師〟を探しはじめました。と言っても、どこをどう探したらいいのか見当もつかず、まずはインターネットで調べてみることにしました。(電話帳から便利な時代になりました…笑) いろいろ調べてみましたが、先生に直接教えていただくためは初級インストラクターコースから始めなくてはいけなかったり、高額なお金が必要だったり、どうやってお会いするのかよく分からなかったり…なんだかピンと来ません。 私はそれまでに、実際に何人かの高名な先生や直弟子といわれる方にお会いしたり、少しの期間ヨーガを習ったりしたこともありました。きっと素晴らしい方々に違いないのでしょうけれど、いつも何か違和感がありました。
「私の師はどこにいるのだろう?〝弟子に準備が出来たら師が現れる〟とヨーガの本に書いてあるけれど、そもそも私はまだ準備が出来ていないから師が現れないのかもしれない…」けれど、もうその頃には〝渇望〟といっても過言ではない程、師を求めていた私は、またもやあきらめ切れず、今度は毎日そのことばかりを考えていました。シャルミニー後ろ姿

そして、忘れもしないあの東日本大震災が起こったのです。
震災の影響で子ども達の学校の新学期が一ヶ月近く遅れることになったため、しばらく大阪の実家に帰省することにしました。実家にこんなに長く滞在したのは出産の里帰りの時以来でした。テレビからは毎日震災のニュースが流れ、私自身も少なからずショックを受けたまま、非日常的な感覚の中で日々を過ごしていました。

東京に戻る二日前、久しぶりにシャラニヤーさんを訪ねました。シャラニヤーさんは「NPO法人 日本女性生涯支援協会」の代表をされ、ヨーガの教えを通してお母さん達の妊娠から出産子育てを中心に様々な支援活動をされています。私は当時その活動の中心となっていた大阪市内にあった「いるかくらぶ」におじゃましました。
そこで、ずっとヨーガの先輩であり続けていて下さるシャラニヤーさんに半年前からの悩みをお話しました。シャラニヤーさんは私が大阪を離れる前からマハーヨーギー・ミッションの〝ヨギさん〟と呼ばれている先生の元で、ヨーガを学んでいらっしゃいました。「きっとヨギさんに会うタイミングがきたんだと思うよ。ぜひヨギさんにお会いしてみるといいよ。」とシャラニヤーさんは言われました。でも、私達はもう明後日には東京に戻る予定になっていました。

03私がうかがったその日は、偶然、月に一回マハーヨーギー・ミッションのシャチーさんが来られて、子育て中のママ達が集まり育児の悩みなどを話し合って子育てを楽しもうという「いるか広場」という会があった日でした。そして、その場にいたスタッフのHさんが「明日、ヨギさんとお話をさせていただくことになっているから、よかったら一緒に行きましょう!」と言って下さったのです。
「えっ?明日⁉︎ 何の面識もない私なんかが突然うかがってもいいの?」予想外の急展開に驚きと戸惑いを隠せませんでしたが、皆さんが〝〇〇先生〟ではなく、ただ〝ヨギさん〟と呼ぶその方に会わせていただくことにしました。
今でもこの日のことを思い出す度に、「あれは全て偶然の出来事だったのかしら…。」と不思議な気持ちがします。

「〝ヨギさん〟って、一体どんな方なんだろう…。」
東京に戻る前日、私はドキドキしながら〝ヨギさん〟にお会いしに京都へ向かいました。
…to be continued ♡

シャルミニーシャルミニー顔写真


「相模湖ヨーガ合宿@たねまめ」のお知らせ


7月16日(日)〜17日(月・祝)相模湖・古家カフェ+ギャラリーたねまめさんにて相模湖ヨーガ合宿@たねまめを開催します!

湖と自然に囲まれた相模湖。いつもここにくると、遠くに広がる山々や大きな空に向かってうーんと深呼吸したくなります。

今回合宿をさせていただくこととなった「たねまめ」さんは、相模湖にある古家カフェ+ギャラリーご縁があって毎年2月(冬の時期)だけ相模湖ヨーガ・サークルのクラスとして使わせていただいていました。クラスの様子は→こちら
緑に囲まれた古い平屋のお家は、どこか懐かしくてほっとする空間です。

クラスの後みんななんとなく去り難い気持ちになり、ずーっとここにいたいね、ここで瞑想ができたらいいな、・・・そんな思いが形になって今夏ヨーガの合宿をさせていただくこととなりました!たねまめさん、ありがとうございます。

サークルのメンバーの方は主婦の方がほとんど、子育てや家事、仕事、中にはご家族の介護をされている方もいらっしゃいます。忙しい時間を縫ってヨーガ・サークルに通い、つかの間の休息をえてまた日常に帰っていかれます。
自分だけの時間を持つことが難しいみなさんが、妻や母といたたまふ肩書きや立場、お仕事から少し解放されて、なんでもない自分、本当の自分に還れるような時間になればと思っています。

とはいえ、夏の合宿!汗をかいてヨーガをして、インドの神さまの歌を歌ったり、自然の恵みたっぷりのお食事をいただいたり、みんなで語り合ったり、瞑想したり、草取りや掃除をしたり・・・と盛りだくさん。心と身体をフルに使ってヨーガを実践しますよ。
もちろん合宿はメンバーの方だけでなく、どなたでも参加できます!

” 緑の中の古家でヨーガに浸る二日間 “
じっくりゆっくりヨーガの中で、自分と向き合い、自分にとって大切なものを見つけてみてください。

IMG_1993

inquiry-button3


相模湖ヨーガ合宿@たねまめ

日時:2017年7月16日(日)17日(月・祝)

スケジュール:
7月16日(日)
13:00 現地集合
13:30 ヨーガ・瞑想クラス(90分)
15:30 バクティ・サンガム(90分)〜インドの神さまの歌を歌おう〜
18:00 夕食
19:00 ヨーガのお話・お風呂など
21:00 星空瞑想
22:00 就寝    zzzzz‥…

7月17日(月・祝)
5:30   起床            GoodMorning!
6:00   散歩・クリヤーヨーガ(浄化法)
7:00   瞑想(15分)
7:30   朝食
8:30   作務(草取り、清掃など)

10:00 ヨーガ・瞑想クラス(90分)
12:00 解散


料金:Aコース 2日間すべてのプログラムに参加

   Bコース 2日目朝食まで参加
   Cコース 一日目のみ参加(宿泊なし)

 12,000円 / B 10,000円 /  7,000円


⚫️100%植物性のオーガニック食材のみで作るたねまめの夕食、朝食がつきます。
⚫️寝具は各自で寝袋などを持参してください。
⚫️寝具のレンタル手配は1週間前までにご予約ください(1組4,000円〜)
⚫️お風呂は、プレジャーフォレスト(徒歩15分)内の温泉施設を利用します。(一人1,000円)
⚫️男性の参加はメンバーかお知り合いの方のみとさせていただき、着替え、就寝等、前庭に設置するテントをご利用いただきます。
⚫️送迎ご希望の方はご予約時にその旨お伝えいただき、相模湖駅12:47着(下り)12:36着(上り)の電車にご乗車ください。
⚫️申込み期限は7/9(日)迄です。牟尼草庵までお申し込みください。
⚫️定員15名、お申し込み先着順になります。
⚫️お申し込み後のキャンセルは規定のキャンセル料を頂戴いたします。
【7〜4日前30%、3日前前日50%、当日100%】
⚫️夏はぶよ、蚊が発生しますので、長靴、靴下等をお持ちになるなど、虫よけ対策を各自でお願いいたします。


会場:古家カフェ+ギャラリー たねまめIMG_2016
神奈川県相模原市緑区若柳1170
☎︎042−684−9637(たねまめさんへの直接の問い合わせはお控えください)
http://tanemame.bitter.jp/index.html

tanemamemap

お申し込み・お問い合わせ
MAHAYOGI MISSION 牟尼草庵(むにそうあん)
☎︎:0422-77-3627
e-mail:munikutira@mahayogi.org
担当:ジャヤデーヴィー

inquiry-button3

IMG_2536

たねまめのオーナーさんが作ってくださったチラシを折り折り。


屍のポーズ——シャヴァアーサナ(シャバアーサナ)の効果とポイント


 アーサナをした後に行う、シャヴァ・アーサナ。
日本語では「屍の形」と訳します。
読んで字のごとく、「死んでいる」かのように休息する形です。

やり方は簡単。仰向けに寝るだけなのですが、大事なポイントがあります。
1.身体が左右対称になるように寝る。
2.全身の力を抜く。
3.何も考えない。

ただ寝るだけのはずなのに、アーサナを始めたばかりの頃はどこかに力が入っていたり、何か考え事をしてしまったり、難しさを感じていました。
その後アーサナに慣れて少しずつ呼吸が深まってくる頃には、下手したらそのまま睡眠に入る勢いでリラックスできるようになりました。(実際寝落ちしたことも数知れず…)
それもそのはず。シャヴァ・アーサナには、数時間の熟眠に匹敵するほどの効果があるのです。

アーサナを始めて間もない方からアーサナが覚えられないと聞くことがありますが、シャヴァ・アーサナもアーサナの一つなので、ぜひ自宅でもやってみてもらえたらと思います。できれば苦手と感じる形も一つ覚えてやってみて、その後シャヴァ・アーサナを行うのがおすすめです。IMG_2750

苦手なアーサナを行なっている時は、早く戻したい、とか、痛くて死にそう、などと思いがち。でもアーサナで死ぬことはないし、動揺せずに吐く息に意識を集中させるようにします。
それが終わった後にシャヴァ・アーサナをすると、アーサナを保持している間の緊張感や痛みから解放されて、力を抜かなきゃ、などと考える暇なく、自然と身体は弛緩します。格別の心地良さを感じるだけではなく、急速に身体が癒されていくのを感じるはずです。

また、苦手なアーサナと合わせてやることで、日常生活において苦手とすることもいつの間にかクリアできていたり、嬉しいおまけもついてきます。

梅雨の間は湿度の高さに影響を受けて、普段よりも身体を動かすのが億劫な日もあります。
そんな時は「苦手なアーサナ+シャヴァ・アーサナ」で気分をリセットしてみるのもいいかもしれませんね。

ハルシャニーハルシャニー


ヨーガで本当の愛を知る———バクティ・サンガム


6月に入って、紫陽花をあちらこちらで見かけるようになりました。
さて、今月6月18日(日)からバクティ・サンガムの新しいシリーズが始まります。
期間は2017年6月〜12月の第3日曜日(6/18.7/16.8/20.9/17.10/15.11/19.12/17)全7回シリーズです。

バクティ・サンガム表紙

今回のシリーズではバクティ・ヨーガ(純愛・信愛のヨーガ)について学びながら会を進めていきます。
第1回目のテーマは「私たちの中にある純粋な愛を目覚めさせるヨーガ」
ヨーガの道の一つ「バクティ・ヨーガ」の紹介と、その始まりについてお話できたらと思っています。

とはいえ、どこまでバクティ・ヨーガの始まりが遡れるものか分からないのですが、バクティは誰もの中にある!といわれています。
ハートの奥にある純粋さ、愛すること、信じる心……、私たちの魂の源流こそがバクティの始まりなのかもしれませんね。

昨日の夜は、一人また一人とヨーガの仲間が仕事帰りに牟尼草庵を訪れ、一緒にキールタンを歌いました。次のバクティ・サンガムで歌うキールタンは素朴で純粋な信仰を感じさせる歌です。私は巡礼をしたことはないのですが、神に出会うための旅の中で、神の御名を唱えながら、一人また一人と集まり巡礼の道が出来ていく、そんなイメージがありました。

一人で歌っている時にはちょっと単調で盛り上がりに欠ける曲だなと思っていたのですが(…すいません)、みんなの声が重なり神の御名が響き渡ると、自分自身の歩みも力強く、この道を歩んでいけばいいんだ、という安心感に包まれました。
神だけがある、愛だけがある、この場が聖なる地に変わっていくような気がしました。聖地に行くから清らかになるのではない、純粋な思いがその場を神聖なものに変えていくのだ、と以前教えていただいたことがありますが、本当にそうなんだなと思います。

サンガムは本来三つ河の合流点をいいます。
みんなの中にあるバクティ、愛の源泉から溢れ出た思いがここ牟尼草庵に集い、大きなうねりとなって大海へと溢れ出す、バクティ・サンガムがそんな機会なればと思ってます。
そして神と魂を結ぶ愛の歌・キールタンを一緒に歌いましょう。

お問い合わせ・お申し込みは→こちらまで。
参加お待ちしています!

井の頭公園の紫陽花たち

井の頭公園では、いろんな色の紫陽花傘が見られます。


わたしが本当のヨーガに出会うまで—第3回「ヨーガインストラクターへ」


ヨーガに魅了された私はとても熱心にクラスに通い続けました。スクールが職場の隣の駅だったこともあり、どうしても仕事が終わらない時は途中で抜けさせてもらい、クラスに参加してからまた職場に戻って残業をする事も度々でした。家でもほぼ毎日欠かさずアーサナ(ポーズ)を行いました。身体はどんどん柔軟になり、いろんなポーズができるようになりました。体調を崩す事もほとんどなくなり、身体が弱かった私が家族も驚くほど元気になったのです。

クラス中にアーサナのデモストレーションを頼まれる事が増えてきたある日、先生から「私たちの協会でインストラクターをお願いできませんか?」と声をかけていただきました。私が通っていたヨーガスクールの協会は全国にたくさんの教室があり、スポーツクラブなどにインストラクターの派遣もしていました。
ヨーガが大好きになっていた私は勤務先に相談することにしました。その頃、私はチームリーダーになっていたのですが、上司が退職するのはもったいないと言って会社にかけ合って下さり、正社員から契約社員へ変更して今までの仕事とヨーガインストラクターを掛け持ちすることになったのです。
そんな訳で、しばらく二足のわらじ生活を送っていたのですが、インストラクターになる前に結婚していた私は妊娠出産を機にその両方を辞めました。その後、第二子出産までの数年間は家事育児の合間にアーサナを家でする程度になっていました。
実は母になった事で、その後のヨーガの道にも繋がる大きな心境の変化があったのですが、そのお話はまた別の機会に…☆

第二子を出産してまだ一年も経っていない頃、以前同じ協会でヨーガの講師だった今でも先輩ヨーギニーでもあるシャラニヤーさんからご連絡をいただきました。シャラニヤーさんは「安産のヨーガ」や「ベビーヒーリングタッチ」などを通じて妊娠出産からママたちをサポートする活動をされていたのですが、その頃ちょうど「NPO法人日本女性生涯支援協会」を立ち上げ、活動をさらに広げようとされているところでした。「スタッフとして少しお手伝いしてもらえない?」と、とても嬉しいお誘いを受け、喜んでお手伝いをさせていただくことにしました。
それがきっかけとなって、周りのママ友さんたちからも〝ヨーガを教えて欲しい〟と要望があり、ヨーガサークルを主宰することになりました。
私は少しずつ、またヨーガインストラクターの仕事を再開しました。
私がそうだったように、ヨーガを習いにクラスに来られる方の中には、心身に不調を抱えている人が少なからずいらっしゃいます。少しでもそんな方たちの力になりたいと思い、地元大阪から横浜へ転居したことを機に私は医療系のヨーガを学ぶことにしました。3年コースの勉強をして、その学会の認定ヨーガ講師のディプロマを取得しました。その後、東京へ転居したのですが、東京での生活が落ち着いた頃には私のヨーガサークルはボランティアのクラス含め、週5〜6クラスになっていました。
生徒さんからの質問にしっかり答えたい、大切な時間とお金を使って私のクラスに参加して下さっているのだから健康になっていただきたい、より良いヨーガをお伝えしたい。ただただそんな気持ちで、心身の健康に関することやアーサナのこと、ヨーガの聖典や聖者の本はもちろん、精神医学関係の本なども読んだりしながら一人で勉強を続けました。ヨーガの本

…ところが!私の思惑とは反対に、勉強すればする程、今まで自分が習ってきたアーサナや今まで自分がヨーガだと思っていたものに矛盾や疑問を感じるようになってきたのです。
それは、一つ一つのアーサナの形の理由に対する疑問から始まり、そのポーズで得られるといわれている効果の曖昧さ、自分自身がこんなに続けてきたのに健康以外の本来のアーサナの目的の実感や体感が得られないのは何故なのか、というものでした。また「ヨーガ」というものが何なのか、ということへの理解が深まっていく中で、私が無意識のうちに子どもの頃からずっと求めていたものを「ヨーガ」の中に見つけたのです!…私は「この矛盾に満ち満ちている様に見えるこの世界の〝本当のこと〟が知りたい!」と心の奥底でずっと願いながら生きてきた、ということに気が付いたのです!
「こんなヨーガを続けていて一体何になるのだろう?やっぱり、ヒマラヤで死ぬくらいの修行をしたり、世俗を捨ててどこか山に籠ってヨーガの修行だけの日々を送らないと聖典なんかに書いてある様なことは起こらないんだろうなー。家族もいるしそんなこと私には出来ないな」と憧れと諦めの感情が同時に起こりました。けれど次の瞬間には「でも、どうしても本当のことが知りたい!!」という思いが再び湧き上がるのです。

矛盾を感じながらクラスで教えることはとてもつらい事でした。生徒さんからの質問には、今まで習ってきた通りのことを答えていましたが、まるで嘘をついているかのような気持ちがするのです。確信が持てなくなったことを教えている自分に嫌悪感さえ感じ始めました。クラスを全部やめてしまおうかとも思いましたが、どのクラスの生徒さんも、それぞれいろんな事情を持ちながら時間を調節して私のクラスを楽しみに通って下さっています。何年も通い続けて下さっている方も少なくありません。自分の都合で簡単にクラスをやめてしまうことはただの身勝手だとも感じていました。
そんな、まさに進退窮まる状況だったのが、あの東日本大地震が起こる半年程前でした。
…to be continued ♡
シャルミニーシャルミニー顔写真


わたしが本当のヨーガに出会うまで—第2回「ヨーガってすごい」


もともと丈夫ではなかった私は仕事ですっかり体調を崩してしまい、健康になりたくてヨーガスクールに通うことにしました。(前回のブログはこちら)

当時は現在のようにヨーガ流行りではなく、ヨーガなのか何なのかよく分からないような〝〇〇ヨーガ〟的なものはありませんでした。笑 。インターネットなんてものもなく、電話帳で探して(時代を感じる…笑)、職場の一つ隣の駅にあるヨーガスクールに通うことにしました。スポーツクラブで行なわれているヨーガクラスもありましたが、私が決めたのはヨーガだけを教えているスクールでした。

クラスでは、アーサナ(ポーズ)の前に必ず「ヨーガの智慧を生活に生かそう」と言う目的のレクチャーがありました。まだ20代前半のオシャレ大好きキラキラ女子(笑)だった私には、何千年も前、しかもヨーガ行者のための教えが現代のこの私に生かされるとは全く考えられませんでしたし、内容もまるでお寺のお説教のようにしか聞こえません。「私はただ健康になりたくて来てるのだから、アーサナができたらそれでいいんだけど…」と、その15分程の時間は退屈な時間でしかありませんでした。
一方、アーサナはひ弱な私にも自分が出来る範囲でできて、今まで感じたことのない開放感や爽快感があり、とても自分にあっていると感じました。そこで、毎週欠かさずクラスに通い、家でもほぼ毎日アーサナを続けました。すると肩凝りや頭痛はすぐに解消され、半年程経った頃、一年半も専門のクリニックで治療してもなかなか改善しなかった生理不順が不思議なくらいピタリと正常に戻ったのです。身体も随分軽くなったようでした。アーサナの効果に驚きと信ぴょう性を感じ始めた頃、また新たに驚くことが起こりました。高井戸アーサナ

ある日、仕事でとても腹が立つことがあり、そのままクラスへ参加しました。すると、随分柔軟になっていた身体がカチコチで、どのアーサナもツラくていつも通りに出来ないのです。こんなことは初めてです。昨日までと特に変わったこともなく、考えられるのは今日は鼻息荒くプンプン怒っている!ことくらいでした。…そう言えば、レクチャーの時に「心と体と呼吸は繋がっているから、心のあり方が身体そして呼吸に与える影響は大きい。それは相互に言える」と何度も聞いていたことを思い出し、納得しました。〝心と体と呼吸〟が繋がっていることを本当に実感した体験でした。

その後、私はレクチャーをしっかり聴くようになりました。よーく聴いてみると「驚いた!ヨーガの教えって、現代の私たちにも役立つ智慧が満載じゃないの⁉︎すご〜い!」
何千年も前のヨーガの智慧が今の私達にも納得できて実際に役立つなんて、人間の心って変わらないんですね…。
私は自分が我が強くて、考え方に「こうあるべき」「…ねばならない」というクセがある事に気が付きました。いつも肩に力が入ってるから肩が凝ったり、私が勝手に「こうあるべき」と思っているように世の中が動いてくれるワケもありません。思い通りにいかない事にまさに自分で自分の首を締めているように苦しくなって、パニック発作が起こっているんじゃないか…と思うようになりました。
心のあり方や考え方がいかに心身の健康に影響しているか、アーサナはもちろん効果があるけれど、心のあり方が変わらなくては根本的な問題は解決しない。そして、それは頭で分かるだけでなく、毎日の生活の中で実践しなければ何も変わらない事を少しずつ理解していったのです。

そんな私が、ある日、なんとヨーガインストラクターになることに!…To be continued ♡

シャルミニーシャルミニー顔写真


『ヨーガの福音』を読んで


IMG_2271

この本を初めて手にしたのは、今から10年近く前になります。改訂版が発売され、久しぶりに読み返しました。ぱらぱらと頁をめくっていると、以前、とても好きだった一節が目にとまりました。
タイトルは「試練」。「愛と慈悲」の項目に含まれています。

    肉体が死ぬまで試練はずっと続くのだ。
    進めば進むほど、試練は大きいかもしれない。
    だが、神はおまえを信頼して重荷を与えるのだ。
    そして同時に、成長するに従って、 困難な仕事も淡々とこなしていけるようにもなるものだ。

これを読んだとき、「そうか、試練は死ぬまで続くのか。無くなることはないんだ…」と現実の厳しさに凹みそうでしたが、「神はおまえを信頼して」と書かれているのが、救いでした。このフレーズが好きで、何だかほっとする、知らず知らずのうちに心の拠り所にしていたように思います。
一方で、この「試練」が、なぜ「愛と慈悲」の項目におかれているのか不思議で、「実践」ではないのか、と勝手に思っていました。

そして今、この一節を読んでみてふと(神が与えてくれるものは全て愛なのでは?)という思いが浮かんできました。
「重荷」と感じているのは私のちっぽけな心だ。そんな心のことを気にかけるより、神は、常に信頼して与えてくれていること、一点の疑いもなく全てを受け入れ、見返りを求めることなく与え続けてくれていること、それが愛であり、慈悲であるとやっと気づいたのです。
神が私を信頼してくれているのだから、恐れるものは何も無いのだと言えるような気がします。
私も神を信頼して、もっともっとたくさんの仕事をしていきたい。神から与えてもらった何分の一かでも、神に捧げることができるように。
『ヨーガの福音』、これから読み始める方たちにも、一番のお気に入りがきっと見つかるはずです。

マイトリーマイトリー写真


思い出の中から苦しみだけが消えていくこと


先日、京都からグルバイ(兄弟弟子)の男性が牟尼草庵に来てくれました!
普段京都でゆっくりお話する機会がなかなかないので、嬉しい機会となりました。

彼がヨーガに出会ったのは7年前。
私はその頃月一回京都のクラスに通っていました。初めて一緒にクラスに参加した時、ふと視界に彼が一所懸命にアーサナに取り組んでいる姿が入ってきて、気安く声が掛けられないような必死な印象を受けました。
今回聞いた話によると、ヨーガを始める一年半ほど前に様々な出来事が起こり、私がクラスでお会いした頃は苦しみの真っ只中だったそうです。
その後ヨーガの実践を続け、その苦しみがなくなった今、いつもこの上ないタイミングで良い変化が起きており、それは常に見守り導いてくださっている師の存在はもちろん、ともにヨーガの道を歩む仲間の存在によるものが大きかった、と話されていました。

今の彼には最初にクラスで会った頃の印象は全くありません。軽やかでありながら、何にも揺るがない軸がある。そんな印象です。→彼の寄稿したブログはこちら

チャイタニア来庵コーヒー

朝コーヒーを淹れてくれるチャイタニア

私も自分自身の身に起こった変化のことを思い返すと、あまりに絶妙なタイミングで物事が起こり、苦しみから解放されてきたと感じています。人それぞれ抱えている悩みや苦しみはそれぞれですが、ヨーガを学び実践し続けることでそれらを捨て去ることが可能です。後でその時のことを思い出そうとしても、一体何がそんなに苦しかったのか忘れてしまっているほどに。

その後いろんな話をしましたが、ところどころでみんなで大笑い。気づけば3時を過ぎていました。
苦しみがはがれ落ちると人はこんなにも晴れやかに笑えるのだと、みんなを見ていてつくづく感じた夜でした。

チャイタニア来庵1

ハルシャニーハルシャニー