「どんなに頑なな心も溶かしてしまうほどの愛」
今回のバクティ・サンガムの中でのジャヤデーヴィーさんの言葉に、強く感じるものがありました。​

私は愛という言葉に​​​​胡散臭さを感じていました。
目に見えないから確認できない、何でも​綺麗ごとにしてしまう言葉。そんなイメージを持っていました。
​人は愛し合うもの。そんなことが到底信じられない環境で育ったことが影響しているかもしれませんが、愛というもの​はあるのかないのか、あるとしたら何なのか、大人になっても分からないまま​​でした。

 

「愛とは捧げること、自らを他者の幸せのために与えること。」
「愛は優しさでしか表せない。」
​初めて聞い​​た時は分かったような分からないような微妙な気持ちでしたが、これが真実だと思えるようになったのは、師​​を見たからです。

 

見えないはずの「愛」、実体がなく信用ならないと感じていた「愛」、それを師は行為、優しさでもって示してくださいました。
それにより、私の頑なな心はすっかり溶けてしまいました。頭で理解しようとしていたけれど、本当に純粋な「愛」​​そのものの師に出会い​​、一瞬にして体感できたのです。
これまで何より欲していたのはそれだったのだと、ようやく気づきました。

 

今回捧げたシュリー・チャイタニアのキールタンより

神はあえて形を取って顕れ、​あらゆる方法で​愛を与え続けてくださいます。
​私が気づかなかっただけで、ヨーガを始める前もそうだったし、これからもそうです。
私にはあらゆる方法をとることはできないけれど、常に自分にできる具体的な方法で、与えて頂いている「愛」を誰かに捧げられるようになりたいと強く願います。

神とは誰もの中にある純粋な存在のこと。
誰もの中に神を見ることで、​表情や口から出る言葉もすべて、優しさを持って行為することが可能になります。
実は今でも「愛」と聞くと頭で理解しようとしたり、言葉にするときにドキドキしたりすることがありますが、そんなのはどうでもいいこと。
師の姿を見てしまったから、この世に確かに「愛」があることを認めざるを得ないのです。​


​かつての私のように、頑なな心を抱えている人にはどんなに言葉を並べても伝わらないと思います。だから優しさで具体的に表していくことが必要です。
うわべだけではない、取り繕いでもない、誰が見ても優しさしか感じられないほどの行為を。

ただひたすらに純粋に行為できますように。
今回のバクティ・サンガムに参加して、改めてそう思いました。

 

ハルシャニー


1件のコメント

  1. 先日は、バクティ・サンガムに参加させていただいて、ありがとうございました。とっても楽しかったです。
    ジャヤデーヴィーさんのお話を聞いていて、これまで、聖者の行為や人生を「見習おう」と思って、悪戦苦闘してきたのですけれども、わたしが感じる「聖なるもの」そのものを表現するように行為すればいいんだと、目の前がぱあ〜っと明るくなりました。「神がわからない」じゃなくて、感じているものを表現しようと思うと、とても嬉しくて、すぐに松山の人にお話ししていましたよ。また寄せてくださいね。

    • こちらこそ!皆さんの素直な気持ちが表れた素敵な会でしたね。
      ありがとうございました。
      コメントをいただき、キールタンを歌っていく中で笹沼さんの表情がどんどん眩しくなっていったのは、こういうことだったのかーと嬉しく感じました。
      また、東京に来られた際はぜひお越しくださいね。
      松山でもキールタンの輪がもっともっと広がりますように。

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