聖典読書会はじめました!~スワミ・ヴィヴェーカーナンダ講演集『わが師』を読んで


少しずつ木々が色づき始め、秋の深まりを感じます。秋といえば読書。というわけではありませんが、東京クラスの仲間と聖典読書会を始めました~!


1冊目の本は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ講演集『わが師』。ヴィヴェーカーナンダの師への愛をビシビシ感じる本です。

参加メンバーのうち、シュリー・ラーマクリシュナもヴィヴェーカーナンダも知らない仲間が二人いたのですが(始める前に詳しい説明をしないでゴメン!)、それぞれ先入観なく読んだ「わが師」の感想を聞かせてくれました。
印象的だったところ、気になったところは人それぞれ(だから面白い!)。自分がスルーしたところを他の人が取り上げてくれることで、様々な視点から『わが師』に触れることができるのが読書会の醍醐味ですね。
たくさん付箋をつけてきた方、文章を書きだしてきた方、一夜漬けの方などなど、それぞれの個性が垣間見えたのもおもしろかったです。感想を言い合って、そこからサナータナさんとジャヤデーヴィーさん、仲間とともに理解を深めていき、読書会はサットサンガとなりました。

さて、私が気になったところ、それは「狂気」です。『ある者は富を求めて、ある者は快楽を、名声を、神以外のあらゆるつまらないものを求めて狂気しています。(中略)神を求めて狂気する人の幸いなるかな。そういう人は実にまれです。』

私は心から、神を感じたい、わが師の全てを感じたいと思っているけれど、狂気まではしてはいない。富や仕事や美味しいものなどに狂気しているわけでもなく、ただ日々が過ぎていく。どうしたら神を求めて狂気できるのか、と話したところ、サナータナさんが「わが師の最初に、ブラーミンの”不断の放棄の生活”について書いてある。物質も、知識も、一度すべてを捨てることが必要なのでは」とおっしゃられました。

私はわが師であるヨギさんから、「考えないこと、からっぽになること、神だけを思うこと」をやっていくように教えていただいています。サナータナさんの言葉を聞いて、師の教えを思い出しました。狂気できないことに悩む暇があったら、具体的に放棄を行為していけばいい、考えずにやるしかなーい!(アブナイ、また考えるところでした、笑)

そしてもう一つ、思い出したことがあります。私はヨーガに出会う前、「幸せとはなんだ、生きるとはなんだ」と毎日考える、苦しく狂気し渇望した日々がありました。その日々があったから、私はわが師・ヨギさんに出会うことができました。そう、神はちゃんと私の渇望に応えてくださったのです。
いま私は知識では神を知っているけれど、知識ではなく、神の全てを感じたいのです!! 狂気し渇望すれば、必ず神はまた応えてくださる。これから嬉しさにも苦しさにも右往左往せず、淡々と放棄をし、からっぽへの道を歩めばよいのです。

さて次回は、ヨギさんおススメ、ミラバイさんの『真実を求めて』をみんなで読みます。楽しみです。そしてこれから、私以外の参加者の感想も、このブログでご紹介していきたいと思います。お楽しみに~!!

ターリカー


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