心を見ている純粋な意識 前編


今年は戌年。
犬は主人への忠誠心が強い動物です。
犬の主人は群れのリーダー、​​或いは人間と暮らしている場合は人間で​すが、私たち人間の主人は何なのでしょうか?

​それはすでに私たちの中に存在しています。
名前や年齢や職業等の個別の条件に関係なく、すべての人に等しくあります。
私たち自身の中にある純粋そのものの存在、真我、神と呼ばれるものです。
嬉しかったり悲しかったり、私たちの心はいろんな感情を働かせるので、まるで心が自分かのように感じますが、心は私たちの主人、本当の自分ではありません。

 

心は常に変化し続けるもの。本当の自分はそれをただ見ている「純粋な意識」。
ヨーガを学ぶ中で繰り返し目にし耳にする言葉です。
心はあくまで見られているもの​​​​…数ヶ月前、それを強く感じる出来事がありました。

 

数年前、私の家族が​ある人とトラブルに​​​​なりました。
それは理不尽な出来事で、​当人​はもちろんのこと、話を聞いた私も強い憤りを感​じました。
普段滅多に怒らない穏やかな家族が、​トラブルになった相手に対し​​て激しく怒っている様子​​​​にはショックを覚えましたし、気の毒でしばらくはどう声をかけてよいか分からない状態が続きました。​
その後しばらくして相手の怒りの矛先は私にも向けられ、解決しようとしましたがうまくいかず、その人と関わらないようにすることに決めました。

​時は流れ、思い出すことはほとんどなくなっていたのですが、2ヶ月ほど前、その人に連絡する用件ができたため、メールをしました。すると、かつてのトラブルのことでの私​たちに対する怒りが​伝わってくる内容の返信が来ました。

​メールを読むと同時に、怒りと悲しみが混じったような何とも言えない思いが湧いてきました。
そして手足が急速に冷え、心拍数が上がり身体全体が小刻みに震え出し、文字通り頭に血がのぼっていくのを感じました。ただ頭の中は不思議なほどクリアで、怒りで身体が震える、というのはこのことか!と感じている私がいました。
まるで他人事のようにその瞬間に起きたことを明確に把握し、怒りという感情が起こしている状況をつぶさに観察しているような状態でした。

 

「心は本当の自分の道具のようなものなのです。本当の自分というのは心を見ている純粋な意識です。心は見られているもの、知られているものです。それは今、現在も自分の心を見れば、心が何を思い、何を感じているのかを分かるでしょう。その見ている、あるいは知っている意識は何も言わない。しかし、しっかりそれを意識して見ているし、知っている。それは変わらない、”絶対に変わらない意識”なんです。子供の時も現在も、そして年老いてもーー。 もっと言うなら、それは生まれたこともなく死ぬこともない。そんな不滅の永遠の存在が、誰もの本体として、本質として心の奥に在るんです。……知るべきことは本当の自分、そしてこの世界を正しく見ること。世界は常に変化をしている。いいことも起こるし、良くないことも起こる。だから、そのどちらにも執らわれない、執着をしないようにすること。そして、その真実の自己、真の自己を悟るということが最も尊いことです。」
(パラマハンサNo109より抜粋)

 

 

今回の出来事により、心は見るものではなく見られるものなのだと強く意識しました。​それをただ見ている意識があることもはっきりと感じました。
以前は瞬間湯沸かし器とか導火線が短いとか言われるほど怒りっぽかった私にとっては、自分自身の成長を感じる出来事​だったとはいえ、怒りを感じてしまったことは問題です。
数日経っても胸の中がもやもやする感覚が消えません。
二度と同じことを繰り返さないためにも、徹底して識別することにしました。

 

後編につづく…

 

ハルシャニー


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です