誰に何を教わるのか


年が明けて一カ月が過ぎました。年度末に向けて、勉強や仕事にもうひと頑張りの時期ですね。

私はヨーガを学び始めて10年が経ちましたが、何年たっても学ぶことはあり、学ぶにつれて今まで気づかなかったことに気づくことも出てきました。

この冬休みに実家で過ごした時には、誰に何を教わるのか、お手本がとても大切なことだと実感したことがありました。

 

それは、弟の家族が遊びに来たときのことです。中学生の姪は宿題のお習字をやる気満々で道具を持参。昔、母がお習字をしていたのを知っていたので教わりたかったそうです。

私も子どものころ習いに行っていたので、姪が準備するのを懐かしく思いながら見ていました。最近のお道具はどれも扱いやすく工夫されていますが、筆は変わらず筆巻きに巻かれていました。

が、そこから出てきた筆を見て、私は目が点になりました。前回使ったまま、洗われない毛がカチカチに固まっている筆! 「ええぇ~!なぜ、洗わない?!」と思わず、大きな声が出てしまいました。私が教わったことは、練習が終わると必ず水道水で、筆から流れる水が透明になるまできれいに洗う、そしてよく乾かす、そうしなければ、筆が傷んでしまうということ。目の前の現実はそれとは正反対のことだったのです。

姪に聞くと、先生に「次にすぐ使うから、洗わなくていい」と言われ、その言葉に素直に従っただけのようでした。私は頭の中で頭を抱えました。

(先生…そういう教え方でいいの? いや、先生も筆の扱いを習っていなかったのかもしれない。生徒が多くて洗う時間がないんだ、洗面台も汚れるし…)

考えているうちに、筆の扱い方を教えられなかった先生も、教わる機会をなくした生徒も、気の毒になってきました。最近は、諸々の事情から学校では筆を洗わないで家に帰ってから洗う、ということは珍しくないようです。

でも、本当に使った筆をそのままにしておいていいのでしょうか。

時間がかかって面倒くさくても、使い終わった道具はきれいにして片付けまでやって、その作業が終わるのではないか、と思うのです。筆やそのほかの道具もお習字の一部を担うもので、ぞんざいに扱えば書きあがったものも美しくはないでしょう。

このことはお習字だけではなく、どんなときにも同じことがいえると思います。道具を大切に扱うなど、基本的な日常の行いも、教わる機会が限られているのかもしれません。何かを教わる機会は学校を卒業するとさらに減ってしまいますが、むしろ、卒業してからの方が、これを知りたかった、ということがはっきりしてくるようです。

教わるからには間違いのない先生に出会いたいですよね。願いは、強く持ち続けていれば、きっと叶います。それもヨーガを学び続けていて感じるところです。

 

ところで姪のお習字はというと、教科書のお手本を見ながら、母のアドバイス通りに何回か書いているうちに、始めに書いたものとは見違えるほど上手くなりました。

課題については、本人も含め家族全員が満足な出来栄えでしたが、自分の名前は、書いた本人の納得がいくものではなかったようです。

名前にはお手本がなかったから、かな…

 

マイトリー


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