”それ”を知るために私のこの人生がある!


すっかり秋らしくなりましたね🍂
皆さま、いかがお過ごしですか?仕事や家庭、育児や介護…それぞれの場所で立場で忙しい毎日を送っていらっしゃるのではないでしょうか?私も慌しい日常の中でも、いつもすべての思いと行為がヨーガの実践となるようにと、日々奮闘しています!…と言うと格好良く聞こえるかも知れませんが、実際は悪戦苦闘!と言った方がピッタリかも知れません(汗)。本当にこの世で〝自分の心〟以上に手強いものはありませんね!最強のラスボス⁉︎です。笑
以前に比べて、自分の心に大きく振り回されて右往左往するようなことはなくなりましたが、それでもうっかりすると揺れ動く自分の心に巻き込まれていることにはっと気がつくことがあります。そんな時、いつも思い出すことがあります。

 

5年程前にマハーヨーギー・ミッションの瞑想合宿に参加した時のことです。
合宿はヨーガや瞑想の初心者の方でも瞑想に入りやすような順番で構成されていました。
初日、講師の先輩から「まず、これさえあれば自分は死ぬまで絶対にずっと幸せでいられる!と思えるものを考えて下さい。大金持ちになることでも世界征服でもとんでもないことでも、なんでもいいですよ!誰にもバレないので(笑)、制限せずにこれでもかというくらい強欲になって考えてみて下さい」と課題が出されました。
目を閉じると即座に「ヨーガの成就」という言葉が浮かびましたが「いやいや、ちょっと待てよ。カッコつけてないか?この際もう一度正直によく考えてみよう」と思い直しました。ヨーガの道はやはり厳しい。世の中のいろんな楽しみを捨てて、結局、成就出来ないまま死んでしまうのではないか?一体何のために生きてきたんだろうと後悔するかも知れない。そんな人生で本当にいいのか?どんな人生を選択したって私の自由なんだから、よーく考えてみろ……。
私は昔から海が大好きで、いつか南の島で大きな窓がある広い家に住み、毎日海を眺めて海岸を散歩するような心穏やかな暮らしにとても強い憧れがありました。波の音を聴きながら潮風に吹かれ、沈む夕陽と光る水平線、夜には満天の星や月を見上げて…まさに楽園だ…あぁ、なんて幸せ…ウットリ。
その時、先輩の声がしました。「では、今度は今考えたことが、絶対に、何があってもなくならず、壊れず、永遠に続くものなのかを瞑想してみて下さい」
私は、そのウットリ幸せな風景の中に当たり前のように家族がいることに気がつきました。子どもたちも成長し、いつかは自立して親から離れて行くでしょう。健康で元気な身体も必ず年老いて、いつ病気になるやも知れません。もし夫が先立つようなことになれば…。海辺の古びた家で年老いた私が一人暮らしているイメージが現れ、次には私の姿も消え、家も朽ちて跡形もなくなりました。突然、すべてが虚しく色褪せて感じられました。「…そうか、さっきイメージした幸せとは自分以外のものに条件付けされいて、それが無くなるとすべて儚い夢のように消えてしまうものなんだな」やはりこの世界は常に変化し、絶対に変わらない永遠のものなど何一つないのだと改めて感じました。けれどそれと同時に、この世界の美しい自然や生きとし生けるすべての生命の輝き、誰かを心から愛おしいと思う気持ちが無意味な幻想であるとはどうしても思えない!という強い感覚が湧き上がりました。
やっぱり私はこの世界の本当のことが知りたい!すべての真実の源、それこそが永遠に変わらない唯一無二のものであるならば、それを知るために私のこの人生があるんだ!と思いました。

 

ヨーガでは心は自分ではなく、その心を見ている純粋な意識が本当の自分自身であると教えます。心は主人ではなく召使いだと。私の心が〝私が主人だ!〟と主張してくるような時や逆に心が散漫になっている時に、この日のことを思い出すというとことは、私にとって何か大切なことを思い出させてくれる印象的な出来事だったのかも知れません。

 

 

 

”それは海と波のようなものです。心はいろいろな波の形に巻き込まれてしまう__だから心は違いを見てしまう。でも本当は一つの海しかない。至高の真実には形もない、名前もない、ただ存在するだけ__それだけが「実存」であり、それは生まれも死にもしない。それが私たちの真我であり、神と呼ばれている。その至高の意識が一切万物として顕現しているのだ”
『ヨーガの福音』シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ 「真実在」より抜粋

 

私はそれを知るために、あきらめることなくこの道を歩いていきたいと思います。

 

シャルミニー 


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