Episode12:ブッダは悪人の中にも聖なる人間の本質を見た——仏弟子アングリマーラ


このようなお話を聞きました。バガヴァン(尊者)・ブッダがサーヴァッティー市郊外の祇園精舎に滞在されていたときのことです。

そのころ、この国にはアングリマーラという名の盗賊がおりました。残忍で手は血まみれ、むやみに人を殺しては情け容赦もなかったのです。彼のおかげで幾つかの村や町は見る影もなくなってしまいました。人を殺めるとその指を切り取り、指の首飾り(アングリマーラ)を身に付けていたので、この名前があったということです。

さて、ブッダは朝の托鉢を終えられると、午後には町の街道を歩かれていました。それは、かのアングリマーラがいる方向です。人々はこれを見て、「沙門(出家修行者)よ、残忍な盗賊がおります。そちらに行きなさるな」と再三にわたって引き止めようとしましたが、ブッダは意に介さず、そのまま黙って歩いていかれました。

これを遠くから見つけたアングリマーラは、「この恐れ知らずめが。ひとつこの沙門の命を奪ってやろう」と、剣をひっさげ、後ろから追いかけていきました。

ところがブッダが不思議な力を発揮されたので、アングリマーラがどれだけ力を尽くして走っても、どうしても追いつくことができません。象や馬、戦車や鹿でさえ、追いかけてひっつかまえることができた彼が、今は普通に歩いているブッダに、どういうわけか追いつくことができません。驚き不思議に思った盗賊は、立ち止まってこう叫びました。

「止まれ、沙門! 止まれ、沙門!」

「私は止まっている、アングリマーラよ。お前こそ止まれ」

ますます不可解なことでした。

「沙門は真実を語り、決して嘘はつかないと聞いているのに、この沙門はおかしなことを言う」、そう思ったアングリマーラはブッダにこう問いかけました。

「沙門よ、お主は進んでいながら自分は止まっていると言う。俺は立ち止まっているのに、止まっていないと言う。一体どういうわけでそう言うのか」

「アングリマーラよ、私はいついかなるときでも、あらゆる生き物に対して害心を捨て、止まっている。しかしお前は自らを慎むことがない。だから私は止まっていて、お前は止まっていないのだ」

この言葉を聞いたアングリマーラは、「この人こそ尊敬すべき大仙人(マハリシ)だ」と、武器を全て断崖に投げ捨て、その御足に頭を付けて出家の許しを請いました。

「来なさい、修行者(ビク)よ」

ただそれだけで彼は修行者となることができたのでした。

 

それからというもの、尊者アングリマーラは戒めを守り、清貧に甘んじ、熱心に修行を重ねていきました。そんな折のことです。

尊者がいつものように朝の行乞(ぎょうこつ)のためサーヴァッティーの町に赴くと、一人の女性が難産で苦しんでいるのを見つけました。心痛めた彼はブッダのもとに帰ると、あいさつをして片隅に座り、町で見たことをブッダにお話しました。

「ああ、なんと人々は苦しんでいることでしょう」

それに応えてブッダはこう言われました。

「アングリマーラよ、もう一度町に戻って、その女性にこう告げなさい。『ご婦人よ、私は生まれてこのかた故意に生命を奪った覚えがありません。この真実によって、あなたに安らかさのあらんことを。胎児に安らかさあらんことを』と」

これを聞いた尊者は驚いて言いました。

「師よ、それは私にとって知りながら嘘をつくことにはなりませんか。私は多くの命を奪ってきたのですから」

「ではこう言うがよい。『私は聖なる生に生まれ変わってからこのかた、故意に生命を奪った覚えがありません。この真実によって、あなたに安らかさのあらんことを。胎児に安らかさあらんことを』と」

「かしこまりました」

尊者はもう一度町に赴くと、師の教えに従って、かの女性に言いました。

「ご婦人よ、私は聖なる生に生まれ変わってからこのかた、故意に生命を奪った覚えがありません。この真実によって、あなたに安らかさのあらんことを。胎児に安らかさあらんことを」

するとその女性の苦しみはおさまり、子供は安らかに生まれたということです。

それ以後、尊者アングリマーラはさらに修行を深め、遂にまがうことなき悟りの境地へと達っせられたということです。

 

このアングリマーラのお話を、昨年お芝居にして上演しました。
この文章よりもさらに内容を厚く、人間の本質に迫る内容になっていると思います。
下にリンクを張りました。音声も出ますので、おうちでご覧ください。

ブッダは、世間の出来事とは関わる必要がない、あるいは関わるべきではない出家者という立場にありました。しかし、決して人々に対して無関心であったわけではありません。むしろ誰よりも深い慈悲心をもって、善良な市民だけでなく、悪人にさえも愛を注いだ人でした。
彼は自分が関わる必要がないような世間の対立に、あえて自ら飛び込んでいきました。しかも、すべての人に憎まれていた極悪人を弟子に取るという仕方で、これ以上ないリスクを取りました。(罪人をかくまった罪を問われても仕方がない状況です)
そして、人に善悪の業があることは十分に承知の上で、それに決して汚されることがない人間の本質を見続けたのです。
ブッダの伝説はたくさんありますが、非常に現実的な、具体的な行為をもって自己犠牲を行い、人を救済したお話としては、特に際立ったものであるかと思います。