『ヨーガ・スートラ』第1章 “三昧章”または“ヨーガ章”


『ヨーガ・スートラ』とは、ヨーガの教え・哲学とそれを実現するための方法を記したヨーガの根本教典です。紀元前3世紀ごろから編纂が始まり、紀元後500年ごろに現在の形で成立したと考えられています。
全4章にわたり195のスートラ(経文)で成り立ち、第1章は51のスートラで構成されています。
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  1. よし、ヨーガについて教えよう!📖
        ॐ
  2. ヨーガというのは、心の思い計らいが止まった状態のことで、究極的には、その計らいの原因もろとも完全に消えてなくなる境地である。📖
             ॐ
  3. そのヨーガの境地にあるとき、心の思いを客観的に、ただ純粋に見ているだけの本当の自分が、本来の独立自存した状態のまま留まっているのである。📖
             ॐ
  4. ヨーガの境地にない場合には、心の思い計らいに巻き込まれて、それを自分だと思い、本当の自己を見失っている。📖
        ॐ
  5. 心の思いは、何を対象とするかによって5種類に分けられるが、そのなかにも、結果として苦しみにつながる煩悩性のものと、苦しみにつながらない非煩悩性のものがある。📖
             ॐ
  6. 心の思いの5種類のあり方とは、
    正しい基準に基づいた理解、
    事実と異なる思い違い、
    言葉上だけの観念、
    意識がなくなった熟眠、
    過去を思い出す記憶、である。📖
             ॐ
  7. 正しい理解の基準になるのは、
    感覚や直観を通じて具体的なものを把握できる直接知覚、
    論理的思考によってすでに分かっている具体的な前提から抽象的な結論を導き出すことができる推論、
    感覚や推論では知ることができないものを教える伝承された聖者・聖典の言葉、の3つである。📖
             ॐ
  8. 思い違いというのは、対象になる事実があっても、そのありのままの姿に基づかない間違った理解である。📖
             ॐ
  9. 観念的な思いというのは、具体的な事実に基づかない言葉の上だけの理解である。📖
             ॐ
  10. 熟眠は無というものを対象にしているが、それもまた一つの心の活動である。📖
             ॐ
  11. 記憶とは、経験したことを忘れないことである。📖
        ॐ
  12. 心の思い計らいは、繰り返し行う修練と、無欲の心境によって止めることができる。📖
             ॐ
  13. 心の思い計らいを止める2つの方法のうち、繰り返し行う修練とは、心を静止させようと努力することである。📖
             ॐ
  14. しかしながら、心を静止させるために繰り返し行う、瞑想などの修練は、長期間、絶え間なく、綿密に実践することで、確かな基盤を持つことになる。📖
             ॐ
  15. 無欲の心境とは、経験や知識に対する執らわれがなく、自分こそがそれらの支配者であると自覚することである。📖
             ॐ
  16. 無欲であることの究極は、真実の自己を知ることによって、もはや心の3つの状態に執らわれなくなる境地である。📖
        ॐ
  17. 修練と無欲にもとづく瞑想の結果、現象の本質を知ることや、それを成り立たせている、さらに精妙な本性を知ること、あるいは、本来心にそなわっている至福の歓喜に留まったり、心が純粋そのものになって「私」意識だけが残される、そういう特徴的な体験をともなうことで、あるがままに瞑想の対象を知ることになる三昧の境地がおとずれる。【有想三昧】📖
             ॐ
  18. 一方、心の思い計らいを停止しようとするのはもちろんのこと、三昧によって得られた知識や体験でさえも放棄して、「まだこれではない、これではない」と識別して考えるのを繰り返し行うことによって、先の三昧とは別の無想三昧という境地がひらける。この三昧は、まだ潜在意識に微妙な思いの種が残っていても、それを消す力をもつ種を残していく。【無想三昧】📖
             ॐ
  19. 肉体を持たない者たち、万物の根源に没入した者たちには、生まれ変わりにともなう無想三昧がある。📖
        ॐ
  20. それ以外の者たちには、
    (しん)……この世の真実を求める信念、
    (ごん)……心を静め純粋にするための努力、
    (ねん)……確かなものへの一点集中、
    (じょう)……瞑想の結果おとずれる三昧、
    (え)……三昧によって生じる直観知、
    この5つの段階を経て、瞑想の最も深い境地である無想三昧が生じる。📖
        ॐ
  21. 強烈な衝動・熱情がある者たちにとって、無想三昧の実現は近い。📖
             ॐ
  22. その強烈な熱情的衝動も、穏やかであるか、中くらいか、それとも格別であるかによって違いがある。📖
        
  23. あるいは、至高の存在に心をゆだねることで、無想三昧の実現が近づく。📖
             ॐ
  24. 至高の存在というのは、誰もの中にある真実の自己が具体的に人の形をとった姿である。その存在は、苦しみの原因になる煩悩、善悪のあらゆる行為、行為の内容に応じて受け取る結果、そして、行為が結果に表れるまでのあいだ潜在意識に蓄えられている心の傾向、この4つの障害に決して触れられることがない存在である。📖
             ॐ
  25. 至高の存在において、すべてを見通すことができる一切知者の種子は、私たちのように種子の段階に留まっているだけでなく、この上ない完全なかたちで表れている。📖
             ॐ
  26. 至高の存在は、時間によって限定されないので、いにしえの人たちにとっても師である。📖
             ॐ
  27. 至高の存在を表現したものが振動音響である聖音オームである。📖
             ॐ
  28. 聖音オームを繰り返し唱え、その音が意味する至高の存在を念想せよ。📖
             ॐ
  29. 聖音を唱えて至高の存在を念想することで、自分の内面に向かうことが可能になるとともに、心身の障害もなくなる。📖
        ॐ
  30. 病気、憂うつ、疑い、怠惰、倦怠、不節制、見当違いの誤認、深い瞑想の境地に達しないこと、またその境地に留まれないことは心の乱れであり、それらが障害である。📖
             ॐ
  31. 苦悩、落胆、落ち着きのない体の震動、不規則な呼吸が、心の乱れにともなって起こる。📖
        ॐ

  32. 心の乱れを防ぐために、1つのことに集中して取り組む修練をするべきである。📖
        ॐ
  33. 幸福な人には友情(慈)を、苦しむ人には同情(悲)を、善き人には喜び(喜)を、悪しき人には無頓着(捨)を思い示すことで、心は穏やかになる。📖
             ॐ
  34. あるいは、息を吐き切ることや止めることによって、心は穏やかになる。📖
             ॐ
  35. あるいは、瞑想のなかで、神々しい姿形・音声・香り・味わい・感触をともなった知覚が生じると、心を静止させることになる。📖
             ॐ
  36. あるいは、瞑想のなかで、憂いのない、光り輝く知覚が生じると、心を静止させることになる。📖
             ॐ
  37. あるいは、貪欲の対象から自由になった聖者の心が瞑想されると、心は静止する。📖
             ॐ
  38. あるいは、夢や熟眠のなかで知ることを手掛かりにすることで、心は静止する。📖
             ॐ
  39. あるいは、望みのものを瞑想することによって、心を静止させることになる。📖
        ॐ
  40. このように心を静止させる修練を行った者には、極微細なものから極大のものに至るまで、意識を妨げられず、執らわれることがない無欲による支配力が生じる。📖
        ॐ
    念(定)
  41. 心が思い計らいを離れて、ゆがみや曇りのない上質の水晶のように純粋になるとき、認識の主体である自己意識、認識する機能として働いている本来純粋な心や感覚、認識の対象になっている外界の事物や微細な原理のうち、そのいずれかに留まり、それに染め上げられることが、瞑想における定心であり、三昧と呼ばれるものである。📖
             ॐ
  42. そのうち、言葉とその意味と理解による観念が混じっているのが、思考がともなっている定心・三昧である。【有尋定】📖
        
  43. 言葉による記憶の念が完全に浄化されて、瞑想の主体である心は空のようになり、瞑想していた対象だけが輝き出ているのが、思考をともなわない定心・三昧である。【無尋定】📖
        ॐ
  44. 現象的な物事を瞑想の対象とする境地に、思考をともなう有想の三昧と、心が空になって思考もなくなった無想の三昧があるように、現象のより精妙な本性を対象とする境地にも、緻密な観察をともなう有想三昧【有伺定】と、それもなくなった無想三昧【無伺定】があると説明できる。📖
             ॐ
  45. そして精妙なものへの瞑想・三昧は、最終的に、まだ存在として顕れる以前のものまで対象とすることになる。📖
             ॐ
  46. 最も精妙な無想の三昧でさえも、思い計らいの種(原因)が残っている有種子三昧である。【有種子三昧】📖
             ॐ
  47. 緻密な観察も消えた無想の三昧に熟練して、それが澄み渡ってくると、自分の内側から清らかな静けさが湧き上がってくる。📖
        
  48. 自分の内に清らかな静けさがあるとき、真理をもたらす智慧が生まれる。📖
             ॐ
  49. 三昧の極致から生まれた真理の智慧は、個々特定の具体的なことまで知ることができる独特の智慧であるから、聞いたり考えたりして得られた智慧とは対象とする範囲が違う。📖
             ॐ
  50. 真理の智慧から生じる潜勢力は、他の煩悩による潜勢力を圧倒する。📖
             
  51. 真理の智慧から生まれた潜勢力さえも止滅したとき、一切は止滅するから、思い計らいの種が完全に尽きた無種子三昧に至る。【無種子三昧】📖

——『ヨーガ・スートラ』第1章 “三昧章”または“ヨーガ章” 完——

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