Episode16:ブッダの教えと仏教の根本教義——古道の発見


コーサラ国の首都サーヴァッティーの郊外にある祇園精舎で、弟子たちと共に過ごしておられたブッダは、次のように話し始められました。

「私は悟りをひらく前に、このように考えた。『実にこの世は苦しみに満ちている。生まれては老い、死んで世を去り、そしてまた生まれる。しかもこの苦しみである老死を逃れる術(すべ)を知らない。いったいどうしたらこの苦しみを逃れるを術を知ることができるだろう』」

ブッダの生きた時代は、儀礼祭式(季節ごとの祭や雨乞いの儀式、成人式・結婚式・葬式など)を行うことで、世界や個人の人生をとどこおりなく進めるバラモン(聖職者)たちの宗教に疑問がもたれた時代でした。儀礼祭式は、この世での繁栄を願うとともに、来世でのより良い生まれ変わりを期待して行われていました。しかし、「それを行なっても生死や苦楽の繰り返しを免れることはできない」という、根本的な疑問が生まれます。そして儀式で多くの動物を供物として犠牲にすることから、それに反対する出家修行者たちがおおいに輩出しました。

その多くは苦行を行いました。それによって輪廻転生を継続させるカルマ(業)を焼き尽くそうと考えたのです。ブッダも6年間にわたって苦行を行ったと伝えられます。しかしその無益を悟って、瞑想による修行に切り替えます。儀式による繁栄でもない、苦行でもない中間の道、すなわち中道(ちゅうどう)を歩んだのでした。

ブッダは如実の観察にもとづいて、さらに苦しみの原因を探求したことを語ります。

「何よって老いと死の苦しみがあるのか。生まれることがあってこそ老いと死があるのだ」

老いと死の原因は生まれることである。生まれることの原因は、生と死・始まりと終わりがある個別の存在であること。そして、その原因は執着であり、執着の原因は渇望である。こうして、いわゆる「縁起(〜に縁って起こる)の教え」をさかのぼっていきます。

さまざまなものに対して渇望が起こるのは、好き嫌いによって感覚的に受けとるからであり、それには感覚を通じた接触が前提にある。その原因には色形や音声、匂い、味、感触や思考の対象という6つのものがあって、それも結局は、名称と形態によって物事を区別することに原因がある。

そして外側にあるように見える名と形は、内側にあって自分と他人を分ける認識作用と互いに依存しあってでき上がっている。この根本原因がなくなれば、次々と結果は滅んでいき、ついには苦しみすべてを滅ぼすことができると、ブッダは知りました。

①老死の原因は②生まれること、その原因は③個別の存在であること、それは④執着、⑤渇望、⑥感受に原因があり、それもまた⑦接触、⑧6つの感覚対象、⑨名と形、⑩認識作用というように原因をたどることができるということです。

ブッダはこの十支縁起の教えを説いたと経典は伝えます。ただ実際には、このような理路整然とした教えは、ブッダが入滅した200年後に成立したもので、ブッダ自身が教えたことはもっと素朴なものでした。「あらゆることには原因がある。その原因を見つけ出し、なくすことで、間違いや苦しみを取り除きなさい」。縁起の教えは、それが整然とうまくまとめられたものです。

苦しみの原因を見つけていく態度はブッダ特有のものでした。

当時、彼と同じように修行していた苦行者たちは、厳しい戒律を守ることで、苦を生みだす新しいカルマ(業)を作らず、苦行によって強烈に苦を味わうことで、すでにある古いカルマを焼き尽くそうとしていました。それによって、苦のカルマをいち早く消化できると考えたのです。

しかし、ブッダが悟ったことは違いました。結果である苦やカルマをなくすだけでは、表面的な枝葉を刈り取っただけである。原因から根こそぎにして滅ぼさなければ、本当に苦はなくならない。つまり結果だけでなく、深い原因までさかのぼったところに、他の苦行者たちとは違う卓越した特色があったのです。

「こうして私には、以前には聞いたこともない真理について、眼が開き、理解が生じ、そしてありありと悟ることができた」

ブッダは縁起の教えを説き終えると、続けてこう語りました。

「例えばある人が森をさまよい歩いて、昔の人々がたどった古道を発見したとしよう。その道に沿って歩いていくと、かつて人々が住んだであろう古い王都を発見した。そこには園や林があり、蓮池もあって、城壁の礎も見られる、いかにも楽しそうなところであった。

そこでその人は、そのことを王様に報告し、再び町を築くことを願い出る。それからその町はおおいに栄え、たくさんの人が集まり、発展していった。

まさにこれと同じように、私もまた、正しく悟りをひらいた過去のブッダ(覚者)たちが辿った古道、一筋のまっすぐな古道を発見したのである」

その古道とは何か? 八正道であるとブッダは言います。①真理に対する正しい理解をもって、②思い③言葉④行為を正しく行い、それによって⑤生活を正して、⑥正しく努力し、⑦集中する。それによって⑧正しい瞑想が行われる。つまり、生活全般を調えることで、瞑想も正しく行えるという教えで、この八正道は中道と同じものだといわれます。

こうして8つにまとめられたことや、それが中道と呼ばれることも、やはりブッダ滅後のことですが、その原形になる素朴な教えは最古の仏典にも見られます。その教えがうまくまとめられたのが八正道であり、中道なのです。

「私はその道を辿って、人の潜在的な苦を生みだす傾向(サンスカーラ)というものを覚り、その潜在的傾向の原因と消滅、そして消滅のための道を覚った」

これは、①苦(苦しみ)②集(原因)③滅(苦の原因の消滅)④道(そのための道)と四つにまとめられる四聖諦の教えです。

ブッダの悟ったことは、「以前には聞いたこともない真理」でした。しかし、それは彼自身が創作したというのではありません。太古より辿られてきた古道を再発見することで、成し遂げられたものでした。

「縁起」にしても「八正道」や「中道」「四聖諦」にしても、その教えにまとめられてきたブッダ自身の悟りが、その原形にあります。そしてまた、ブッダ自身が言うように、それはブッダ一人のものではなく、過去の人たちにも未来の人たちにも、そしてまた私たちにも共通するものであるはずです。