Episode11:聖道は痴に極まる——風狂の隠者 寒山・拾得


中国は唐の時代、日本では聖徳太子が仏教を国の中心に据えた頃だろうか、閭丘胤(りょきゅういん)という人が台州の刺史(しし)、今で言えば県知事に就任した。

台州には天台山という霊山があって、今の上海の南に位置している。もともと道教の聖地だったが、智者(ちしゃ)大師がこの地に国清(こくせい)寺を建て、天台宗を起こしてからは、もっぱら仏教の聖山として仰がれるようになった。後に日本の伝教(でんぎょう)大師最澄(さいちょう)もここで仏教を学び、比叡山延暦寺を創建したのである。

さて閭丘胤なる人物が赴任するにあたって、不思議な出来事があった。門出の日だというのにひどい頭痛に襲われた彼のもとに、ひょっこり一人の禅師が現れたのである。名は豊干(ぶかん)、聞けば赴任先にある天台山は国清寺からやってきたという。頭痛のことを聞いた師はにこにこしながら、「体というのは四つの元素から成るもの。それらが無実体である以上、病は幻から生ずるのですぞ」と言うと、清浄な水を一杯用意させた。運ばれてきた水で何をするのかと思いきや、口に含んでぶっと刺史の顔に吹きかけた。驚いた閭はのけ反り、「何をするか!」と怒鳴ろうとしたが、その前に「お加減は」と尋ねられ、思い返してみると不思議なことに頭痛はきれいさっぱりなくなっていた。頭が痛い痛い、という思いから心がそれて、頭痛は幻のごとく去ってしまったのである。

この豊干禅師に、むこうでは師と仰げるような方がおられるかと尋ねてみると、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)という二人を挙げた。寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩であるという。乞食のような姿で、見るからに気狂い。不意に現れたり、ふっと行ってしまったり、会えたとしてもその本性を見抜くことはできず、見抜く力があっても会えるとは限らない。姿形で見なければ見ることができるでしょう、とそんな不思議なことを言われた。

噂に聞くところでは、寒山とはそもそもどこの出かも分からない。誰もが、貧乏人の風狂人(びと)だという。何でも天台山近くの寒巌(かんがん)という岩屋に住んでいるそうで、時には国清寺にもやって来る。寺には拾得がいて、食堂係をやっているが、残飯を竹筒に詰めては時折やって来る寒山に持たせているそうだ。

寒山は寺にやって来ると、長い廊下をのんびり歩いては、愉快な様子でわめきたて、独りごとを言って独りで笑っている。あまりに騒がしいので寺の坊主が取っつかまえて、罵り打って追っ払うと、立ち止まって手をたたき、カカカと大笑いして、しばらくして去る。

見た目は確かに乞食のようだが、言うことはいちいち道理にかなっていて、よく考えてみれば、道心をそれとなく表しているようだ。奥深い真理をぴったりと言い当てる。木の皮の冠をかぶって、着物はぼろぼろ、下駄を引きずり歩いているが、これは道を極めた人があえてその姿を隠し、世に混じって人々を教え導いているのだ。逆らってみたり、素直だったり、その本性をありのままに楽しんでいる。

拾得も拾得で、寺の守り神にお供えした食べ物が鳥に荒らされているのを見て、「食べ物も守れないお前に寺が守れるものか」と、神像を殴り倒して坊主どもを驚かせたらしい。常軌を逸した輩(やから)だとか、はたまた大賢人だとか、人は様々に言うらしいが、寒山ともども、余程の人でなければその正体を見抜くことはできないのだろう。

閭丘胤は着任して三日すると、早速国清寺に出向いた。「豊干禅師はおられるか」と尋ねると、師の部屋は今は人も住めないような有り様で、時に虎が現れては吼え立てているという。行ってみると確かに虎の足跡ばかりが残っている。何でも禅師は虎の背に乗っかっては山から現れたり、また消え去ったりするらしい。寺では米ばかりついて、夜には独り歌って楽しんでおられるそうな。

寒山と拾得はちょうど台所にいるということで、赴くと、かまどの前で火に当たって大笑いしていた。閭が礼拝すると、二人は口々に怒鳴りつけ、手を取りあってげらげらと笑うと、叫び立てた。

「豊干のおしゃべりめ! 阿弥陀さんにも正体が分からんのに、俺らに礼をしてどうしようってんだ」

僧侶が集まってきて、「偉いお役人が乞食野郎にお辞儀して一体何ごとか」といぶかったが、当の二人は手を取りあって駆け出すと、そのまま寒巌へと消えて、以来、寺には戻らなかったという。寒山拾得豊干禅師