『瞑想とその方法』①—スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ著


『瞑想とその方法』(Meditation and Its Methods)は、「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ全集」(The Complete Works of Swami Vivekananda)の中から、瞑想に関する部分が抜粋された書物です。
著者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)は、近代インドの覚者シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの愛弟子であり、西洋に初めてヨーガの叡知と方法を伝えた聖者でした。ヨーガの成就者、ヨーガにおける権威であり、インド独立運動の精神的支柱ともなりました。(彼についてのエピソードをいくつか紹介しています。
Episode5:人の中にある神性への信仰——スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの原点
Episode10:英知と純真は人々への愛でつながる——ヴィヴェーカーナンダの偉大なるハートと信仰者ギリシュ
『瞑想とその方法』は、日本語での翻訳が出版されておらず、すでに著作権も切れていますので、ここに翻訳して掲載していきたいと思います。([ ]は原著の補足で、〔 〕は私が付けた補足です)
内容は「ヨーガによる瞑想」と「ヴェーダーンタによる瞑想」の2つのパートで構成されています。(100ページ以上ある本ですので、翻訳は前半の「ヨーガによる瞑想」の部分だけで終わるかもしれません)

ヨーガによる瞑想

瞑想とは何か?

瞑想とは何だろうか? 瞑想とはこのすべて〔の感覚的な誘惑〕に対抗できるようになる力である。生まれながらの性質はこう語りかけるかもしれない、「見なさい、美しいものがありますよ!」 私が見ないと今度はこう言ってくる、「いい匂いがしますよ。匂ってみなさい!」 自分の鼻に「匂うんじゃない」と言えば、鼻はそうしない。〔だが次には同じように〕「眼よ、見るんじゃない!」〔と言わなければならないのだ〕。自然の性質というのは、そういう卑劣なことをするのである。私の子供たちの1人を殺しておいて、こう言うのだ、「さあこいつめ、へたり込んで泣け! 奈落の底に落ちろ!」と。私は「自分はそんなことをしなくてもいいのだ」と言って跳び起きる。私は自由でなければならないのだ。あなた方も時にそれを試みなさい。……[瞑想では]一瞬で、この性質を変えることができる。さあ、もしその力を自分の中にもつとしたら、それは天国ではないだろうか? 自由ではないだろうか? それが瞑想の力である。

それはどのようにしたら手に入るのだろう? いくつもの異なる方法がある。それぞれの人の気質に合った独自の方法があるのだ。だが、一般原則はこうである——心を落ち着かせよ。心とは湖のようなもので、石が1つ1つ投げ込まれるたびに波を起こす。その波のせいで私たちは自分の姿が見えない。満月が湖面に映っていても、水面が乱れるので映った姿をはっきりと見えないのだ。それを静めよう。自然の性質が波を立たせることがないようにしよう。静かにしていれば、少したてばあなたのことを諦めてくれる。そのとき、私たちは自分が何ものであるかを知るのだ。すでに神はそのなかにあるのだが、心はあまりにも動揺し、常に感覚を追い回している。感覚を閉ざして[も]、あなた〔の心〕はぐるぐると回り続ける。今の瞬間、うまくいっていると思い、神に瞑想しようとしても、次の瞬間に、心は1分でロンドンに行ってしまう。それで、もしそこから引き離したとしても、ニューヨークへ飛んで昔そこでしたことを考えてしまうのだ。このような[波]が、瞑想という力によって止められるべきなのである。(「全集」第4巻248ページ)

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