本当にやりたいことが見つからない人へ—ブッダとヨーガが教えること


はじめに

自分のやりたいことが何も見つからないことに不安を持つ人は多いかと思います。先輩や大人たちを見て、いろいろな仕事や、教えられた価値観、さまざまなアドバイスについて考えてみても、どうしても「これだ」というものを自分のなかで感じられない……

自分の希望はどこにあるのか? あるいは自分の人生の目的や理想はどこにあるのか? それを見つけられないことに焦りや不安を感じているかと思います。

最近では盛んに「夢を持て」などと言われます。しかし、どうしたら夢を持てるのか、自分の理想をはっきりとさせることができるのか、誰も教えてはくれません。誰も答えは持っていないように見えます——究極的な答えに到達した人以外は。

この記事の主旨

ブッダは真実の悟りに到達したと言われます。ヨーガは人生の目的は真実を実現することだと教えます。

実は、何もやりたいことが見つからないあなたこそが、今一番正しく物事が見えているのかもしれません。なぜならブッダもヨーガ行者たちも、この世に真実を見つけることができなかったからこそ、むしろ究極的な答えに至ったからです。

彼らの教えるところを見てみましょう。しかし時代は異なっています。彼らが語ったことを、現在の私たちの状況に即して考えてみましょう。そして、この記事を読み終わった最後には、あなたがいったい何を望んでいるか、少なくとも1つのことがはっきりします。

やりたいことを見つけなければならない?

「自分が本当に何をやりたいか分からない」と言うと、いろいろなアドバイスがやってきます。インターネットを検索しても、「やりたいことを見つけるための○つの方法」とか、そうした記事が目白押しです。

その根底には、この世の中で仕事なり趣味なり、何らかの生き甲斐なり、本当にやりたいことを必ず見つけるべきである、見つけなければならないという前提があります。あなた自身もそう思っているかもしれません。

欲しいものが“ない”

しかし、例えば、自動販売機に並ぶドリンクを見ても、何も飲みたいものがないということはないでしょうか? レストランのメニューを見て、どれも食べたいものがないと思うことはないでしょうか?

のどが渇いていないわけでないのです。お腹が減っていないわけではないのです。何か飲みたい、何か食べたいと思ったからこそ、そこで立ち止まったのです。しかし、出された選択肢のなかに本当に欲しいものがない。それで、まだましに見えるものを選ぶか、あるいは選べずにその場を立ち去ることもあります。今のあなたの状況はそれと同じではありませんか?

限られた選択肢のなかで本当に欲しいものがないということは、十分にありうることです。それに良いも悪いもありません。ただ単純に、欲しいものがそこに“ない”のです。

ブッダの観察

ブッダも若いころにそれと同じ思いをもちました。彼はシャーキヤ(釈迦)族の王族に生まれて、何不自由のない生活を送っていたと伝えられています。しかし、シャーキヤ族は弱小であり、すでに大国コーサラの属国の地位にありました。彼自身の生活としては豊かであり、目下心配するようなことは何もなかったとしても、その豊かな生活のもろさや虚しさ、そして富や若さ、容姿や健康に依存する人間存在の不安定なあり方に思いを馳せていたといわれます。

buddha and a plowman

参考:Episode1:若き日のブッダ——四門出遊と樹下観耕

ブッダはこう言っています。「この世はどこにいっても不確かである。四方八方がすべて動揺している。私は自分の居場所を探したが、何にも侵されていないところは見つからなかった」『スッタニパータ』第4章15

時代や境遇は違っても、人という存在は同じです。そして世の中に確かなものを見つけることができなかったのはブッダも同じでした。身分が定める務めや、王族の長男としての務めを、彼は29歳まで果たしましたが、ついに30歳を目前にして出家しました。武士階級として必要な武芸や学問に励み、気が進まなかったであろう結婚もして男児をもうけました。おそらく世間への義務はこれで果たしたと思ったのでしょう。仕事と裕福な生活と家族を棄てて、彼は出家しました。

やりたいことがない2種類の人

「何もやりたいことがない」と思っている人は、実は2つの極端に分かれるのではないかと思います。1つは自立性のない人です。すべてを他人に決めてもらってきたために自分で考える能力がありません。

もう1つはそれとは対極に、少ない経験からでも世の中の本質がだいたい分かってしまった人です。若き日のブッダと同じ思いの人です。世間を見ても、これに人生を賭けたいというようなものが見あたらず、本当にやりたいこと、心から満足できるものが何もない。なぜなら、どれもこれも確かなものではないからです。それはやりたいことが見つからないのではなく、やりたいことがこの世の中に存在しないということなのです。

そして、特に不自由のない生活を送っていて、それでもまだ満足できない思いがあるのだとすれば、あなたは世間の中にはない確かな答えを、真実を求めているのではないでしょうか?

出世間

ブッダは文字通り物理的に家を出て出家し、世間の外に出ました。実は「出世」という言葉も、本来は「出世間」つまり世間の外に出るということを意味しました。個々人の心という不確実なものに依存した世間的価値観の外に出ることです。それによって多くの人はやっと息ができるような気がするのではないかと思います。

ブッダは出家する時の思いを次のように語っています。「このようにして家に住むのは狭苦しく、埃がつもるところである。一方、出家は広々とした野外である」(『スッタニパータ』第3章1)

ブッダはついに本当に自分が追求したいこと、知りたいことへと歩み出し、そして6年にわたる修行ののちに悟りをひらいたのです。

ブッダの悟り

ブッダの悟りとはいったい何だったのか? 彼の悟りを4つの教えにまとめた四法印というものがあります。①諸行無常(しょぎょうむじょう)、②諸法無我(しょほうむが)、③一切皆苦(いっさいかいく)、そして④涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)です。

①諸行無常

あらゆるものは永遠ではない。すべてのものは移り変わり、変化を免れない。今のグローバルな世界だってまったく同じでしょう。あらゆる勢力図、時代の価値観、安定した職業、正しいとされることや世間の常識も、常に変化にさらされています。今最も安全だと思われることが、10年後にはどうなっているか分かりません。そうしたことが無意識のうちに分かってしまうから、何に対しても永続するものを見出せないのです。

②諸法無我

変化するあらゆる現象に本体はなく、刻々と変わる肉体や心は自分ではない。自分という存在はいったい何なのか?  肩書きや役割、物事の成功や失敗、年齢や状態によって異なる肉体や、日々変わる心の様相を自分だというわけにはいきません。特定の仕事や家庭での役割を自分と同一視する限り、変化して安定しないもののなかに巻き込まれることになります。

③一切皆苦

苦楽という不安定なものと自分を同一視して、それらを何とかしようと執着すれば、心の衝動に翻弄され続けることで、何もかもが苦しみになってしまう。まさに「やりたいことが見つからない」という不安もその1つです。世の中にある選択肢のなかから何か確かなものを選ばなければならないという衝動に翻弄されているのです。

——無知と真知

だからといって何も求めなければいい、求めることをやめればいいということではありません。ブッダこそがすべてを投げ打ってまで確かな真実を求めた人でした。それでは何が間違っていたのか?

不確かなものに確かなものを求めること。永遠でないものに永遠を求めること。自分でないものに自分を求めること。苦であるものに楽を求めること。これは仏教では「四顛倒(してんどう)」、ヨーガでは「無知」と呼ぶもので、悟りの真知とは正反対の根本的に誤った知をいいます。

参考:悟りを妨げる4つの無知(Yogasūtra2.5)

つまりこれを裏返せば、確かなものに確かなものを求めればよいということです。永遠のものに永遠を、自分であるものに自分を、楽にこそ楽を求めよというわけです。それがブッダやヨーガ行者たちが世間的価値観を超えて見つけ出した真理でした。

④涅槃寂静

その真実の境地を表したのが、涅槃寂静です。涅槃(ニルヴァーナ)とは、無知と煩悩の炎が吹き消された悟りの境地であり、それこそがもう決して苦の起こらない真実の平安である。その境地は変化しない、時間を超えているという意味で永遠です。間違いの可能性がまったくない純粋で確かなものです。そして、肉体は自分ではない、感覚も思いも心の衝動も自我意識でさえも自分ではないと否定したあとに残る唯一真実の意識です。

まとめ

この記事の初めに、「実は、何もやりたいことが見つからないあなたこそが、今一番正しく物事が見えているのかもしれません」と言いました。ブッダが出家を志した時と同じ心境が、あなたのなかに芽生えているかもしれないと思ったからです。その場合、それは経験や見聞の不足に因るものではありません。むしろ世の中の本質をおおむね把握できているからこそ、そういう心境になるのです。

ブッダが観察したように、この世の中に確かな真実を求めることはできません。それをどこかで感じて世の中のいろいろなことに心から興味はもてず、それとは逆に、ブッダやヨーガが教えることに心が沸き立ち、やっと呼吸ができたような感覚をもったならば、あなたはまさにブッダの子供です。ヨーガ行者たちの末裔です。いずれにせよ、あなたは今、自分が誰なのか、自分が出世間を望んでいるのかどうかを知ったはずです。