『ヨーガ・スートラ』第2章 “実践章”

『ヨーガ・スートラ』とは、ヨーガの教え・哲学とそれを実現するための方法を記したヨーガの根本教典です。紀元前3世紀ごろから編纂が始まり、紀元後500年ごろに現在の形で成立したと考えられています。 全4章にわたり195のスー […]

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私はなぜ私として生まれたのか(Yogasūtra2.13)

煩悩という根源がある限り、蓄積された業の報いとして、生まれや寿命、苦楽の経験がある。 僕はなぜ生まれてきたのか? 隣の○○君ではなく、なぜ僕として生まれてきたのか? 僕が僕ではなく、隣の子として生まれていたとしても何も不 […]

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瞑想するための“新訳ブッダの言葉”「穴の空いた舟に水が侵入するように、欲望をきっかけに苦しみが入り込む」

欲望を追い求める人のその願いがもし叶うなら、いずれ死ぬはずの人間が求めるものを得て、確かに喜ばしい気持ちにもなる。だが、欲望の対象を求め、欲求を起こした人のその願いが損なわれるなら、まるで矢に当てられたかのように悶え苦し […]

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瞑想の真実—人生を賭けた勝負(Yogasūtra2.11)

煩悩が心の意識される部分で作用を及ぼしていれば、瞑想によって取り除かれるべきである。 「転ばぬ先の杖」なんていって、私たちは苦しい経験をする前にそれを避けたいと思うわけですが、通常それを完全に行うのは不可能です。それが初 […]

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心とエゴがなくなった自由(Yogasūtra2.10)

煩悩が潜在意識下にある微細な状態にあれば、心を無に帰して原初の状態に解消する逆展開によって取り除かれるべきである。 瞑想は心の意識的な部分で行うものなので、煩悩が潜在意識下にあって、まだ表に現れていない場合には取り除くこ […]

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瞑想するための“新訳ブッダの言葉”「夢で出会った人をもう見ることがないように、愛した人も逝ってしまうともう見ることはない」

夢で出会った人を、目覚めた人は見ることがないように、愛した人も、時が来て逝ってしまうと、もう見ることがない。名前がこれこれだと言われるそれらの人々は、かつて見られもし、聞かれもした。逝った人の、告げられる名前だけが残る。 […]

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