師との出会いと発心

台湾に住み、ヨーガの実践と活動に邁進している一人の女性の手記。ニューヨークでの師との出会い、人生の模索をしながら真実の道を歩んでいく姿が記されている。

シュリー・マハーヨーギーに出会う前の約七年間、私はいろんな国に旅行して、いろいろなヨーガ・リトリートやティーチャー・トレーニングに参加していました。何を求めていたのか分かりませんが、忙しい生活からしばらく抜けられ、ヨーガの教えにもっと近づけるように感じられたので、私はいつも次の旅行を計画していました。しかし、毎回「素敵」なヨーガ休暇が終わると、次の旅行の費用を貯めるために、私はまたクレージーなほどパンパンのスケジュールに戻らなければなりませんでした。今思い返してみたら、回し車を走るハムスターのように目標もなく盲目的に走り続けていました。ヨーガクラスや聖典からたくさんヨーガの教えを学びましたが、私自身の生活の混乱をなくすことはできなかったし、自分の思いと行為の矛盾も見えませんでした。いちばん怖いのは、そのような生活がすべて当たり前だと思っていたことです。

二〇一三年、私はニューヨークで忘れられない夏と秋を過ごしました。その時、泊まる場所を貸してくれた友達はシュリー・マハーヨーギーの弟子で、会話中いつもグル(師)への愛を口にしていました。その会話の内容は私にある本を思い起こさせました。私がすごく影響を受けた『あるヨギの自叙伝』です。二〇〇八年、ヨーガのことをもっと学びたいと思い、英語の能力を高めるために、イギリスに何カ月か住んだことがあります。その時、『あるヨギの自叙伝』は、いつも霊的世界を探索したいという私の魂を支えてくれました。ヨーガーナンダは子供の頃から自分のグルを求めて、いつも心の中で祈り、泣いていました。私はヨーガーナンダの祈りに共鳴しました。「この人生で私は自分のグルに出会えるかしら」と自分に問いかけて瞑想した時、涙が止まらなくなりました。そのあと、グルを求める気持ちはさまざまな活動に隠されてしまいました。現代社会にはそのような純粋なグルと弟子の関係はもう存在していないかもしれないという思いすらありました。しかし、初めてケーヴ(ニューヨークの拠点地となっているスペースの名)でサットサンガに参加させていただいた時、ヨギさんと弟子との目の交流を見て、その間にある深い愛や信頼をすごく感じました。それは私のグルへの渇望を呼び覚ましました。けれども、ヨギさんは私のグルかどうかが分からず、慎重に考えなければならないと思いました。あるサットサンガで、私は「真実とは何ですか」「グルと弟子との関係とは何ですか」と質問しました。ヨギさんは、とても慈愛に満ちた眼差しで揺るぎない口調でお答えくださいました。その時の私にとって、ヨギさんの言葉は宇宙人の言葉のように理解しにくかったですが、私はヨギさんのピュアな笑顔にたいへん惹かれました。そのような慈愛は私に歓びをもたらし、意識の広がりを感じました。

毎回サットサンガに参加できてとても嬉しかったのですが、参加回数が増えれば増えるほど、私はだんだん焦るようになりました。私は自分に質問しました。「ヨーガの教えを実践することができるのか?」「真実の探求は本当に私のやりたいことか?」「今の生活でいいんじゃないか?」「ヨーガの先生としての身分と高収入は私をここまで連れてきたじゃないか?」と心の中で葛藤していました。そこで、ミッションの一枚のチラシが目にとまって、私の物質世界への追求は無知からだと分かるようになりました。そのチラシの内容は:

生徒「どうすれば真我への情熱を高められますか」

師「あなたは次の質問に答えなければならない。私は誰か? 存在とは何か? 神とは何か? そして、反対にこの世界とは、快楽とは、苦しみとは、幸せとは何か? 不幸とは何か? あなたはそれらの答えを徹底的に探求しなければならない。そうすれば、真実を求める情熱が必ず高まるようになります。それが本当の情熱です。それらは普遍的な問いかけです」

ずっとこのチラシを見ていても、それらの質問に答えられませんでした。でも、もともと信じていた世界や価値観は、だんだん崩壊するようになりました。

この変化を確実に感じたのは、翌年二〇一四年、京都を訪問した時でした。寒い三月に初めてグルバイ(兄弟弟子)の家でトイレ掃除をして、初めて料理の準備を手伝って、初めて先輩たちの人生の話やヨーガの道であった挑戦と信念などを聞いて、先輩たちの真面目に人生を過ごす姿に深く感動しました。ですが、どうしてみんなが自分の命をかけて真理への道を踏み出すことができるのか、さっぱり分かりませんでした。そしてサットサンガで、ヨギさんに質問しました。「結局この世界のすべてはいつか消滅し、また生まれるという生滅を繰り返します。そうならばこの世界の存在の意味とは何でしょうか」。「それは、すべての人がこの世界の一切が夢だと悟り、夢から覚めるように、奉仕するためにあります」と、ヨギさんは答えてくださいました。ヨギさんの言葉は私の心に響きます。ヨギさんは優しく微笑んで、揺るぎない目で私の魂を見据えました。そうですね、過去の争い、快楽、苦痛や幸福は全部夢みたいなものです。夢のような成功を追求するために、みんな(私も含めて)一生をかけてがんばっている。そう思ったら、私はすべてが最終的に消えてしまう空虚感に襲われました。どちらも命をかけるほどの努力が必要なら、永遠で不変の真我の方がより努力の価値があるのではないか? そういう思いがそっと私の心に芽生えました。

京都に滞在中、いつも力を尽くして助けてくれた先輩たちに感謝したいです。特にアーナンダマーリーさん、隆史さんと洋平さんからもらった友情はその真我への思いの芽を育みました。先輩たちのヨーガの道を歩く姿は、いつも私を励ましました。ブッダは、私の肉身を見る者が私の弟子ではなく、私の教えを知る者が私の弟子であると言いました。しかし、どう実践していけばいいのか? 京都やニューヨークの先輩たちはいつも一緒に生活し、一緒に練習しているのを見て、私はサンガ(仲間)の重要性に気付きました。サンガというのは互いに励まし合い、啓発することだけではなくて、時にはぶつかり合い、エゴを砕いて、なくしてくれることもあるでしょう。台湾でもサンガが必要だと思いました。しかし、私は台湾のみんなにヨギさんの教えを伝えて、少しずつサンガをつくり上げていくことができるだろうか? ヨギさんは、その思いを祝福してくださいました。そして、いつも一緒にいるからとおっしゃってくださいました。ヨギさんの言葉は私に勇気と力を与え、私は台湾に戻ってから、週一回のアーサナと瞑想のクラスをリードし始めました。

ところが、そんなにうまく事は運びません。ヨギさんは、見えるサンスカーラ(心的潜在残存印象)は氷山の一角だとおっしゃったことがあります。台湾に戻って、すぐ頑固な欲望とエゴが現れて、自分の決心が試されました。海外でヨーガを教えないかと、他から誘いがあったのです。それで、一、二年、北京やインドでヨーガを教える仕事を済ませて、その後ヨギさんの教えをちゃんと実践しよう、と私は思ってしまいました。だけど、もう信じていない練習方法を昔のように教えることはできないし、自分でも実践できないヨーガの教えを伝えることはできない! 私は真実のヨーガを教えることができるのか? 私は二度目の京都への旅でその答えをいただきました。

ある生徒がクラスの後に、「リン*は長年ヨーガを学んで、探求してきて、たくさんヨーガの先生に出会ったと思うけど、どうして今の先生を選んだのですか?」と、私に質問しました。そうですね。どうしてシュリー・マハーヨーギーなのでしょう? ニューヨークに滞在した時、サットサンガの中で「真実を実践する」という言葉をよく耳にしました。ヨギさんの下で十五年学んできたある先輩は、「十五年の間、グルから授かった教えは常にシンプルで、グルはいつも私たちに実践するよう励まされます」と私に話してくれました。真実を実践するように弟子に要求できる人は本当に真実の状態にいるグルしかいないでしょう! この世の中で、言葉で教える教師はたくさんいますが、本当に生徒を真実の存在へ導けるのは存在自身だけでしょう!

その考えは二度目に京都に行った時の、あるサットサンガで証明されました。その時ヨギさんは、隆史さんに「最初は、至福の状態に達することを求めるが、その後、あなたは至福そのものになる」と答えられ、笑顔で私を見てくださいました。その眼差しの中で、私は純粋な存在を感じました。ヨギさんは歓びで充満し、ヨギさんこそ歓喜そのものだと感じました。私は笑って涙が流れました。それがグルのダルシャン(聖なる一瞥)だと知りました。ヨギさんからいただいたダルシャンは抱えきれないくらいの祝福と愛で私を満たすのを感じました。その時、私ははっきりと分かりました。私はヨーガを教えることはできない。一年かけて海外での仕事をすることは、ただエゴを満たし、すべての努力がまた夢のようになるという、時間の無駄にすぎない。それらの計画をそのまま実行したら、最後には、その中にある偽りと空虚に私は打ち倒されるでしょう。

読書会の後で
読書会の後で

どんな言葉をもっても、ヨギさんへの感謝をすことができません。京都から台湾に戻って、私たちはより積極的に台湾のサンガが育まれるようがんばてきました。最初から全部のことを正しくやることができないとしても、秘訣は行動の中にあると信じています。今、週二回アーサナと瞑想の練習を行なって、毎月一回の読書会があって、また不定期の集まりもあります。すべての行動は真実を求めるためにあり、私に今を生きる意義を感じさせてくれます。私はヨーガーナンダのように一目でグルだと見分けられませんでしたが、グルと弟子の間の真摯な感情の交流は私の中に生まれてきています。私は、ヨギさんの愛の導きを受け取っていることが分かるようになりました。もっと重要なのは、私は神の祝福を感じました。そしてその祝福は、私だけではなくて、台湾のサンガに与えられていることをはっきりと感じたのです!

これからもそのサンガを大切に育み、たゆまずヨギさんの教えを実践していきます!

プラサーディニー

*2017年4月、師より霊性の名前を授かる。台湾での活動の充実によって、同年5月、師は台北を初めて訪れ、祝福と導きを与えられた。その時の模様はブログサットサンガの記録をご覧ください。