ヨーガ・瞑想クラス」カテゴリーアーカイブ

ヨーガ・アーサナの力 その2〜呼吸を変える!

今夜から明日にかけての満月はスーパームーンらしいですね。インドでは7月の満月の日は、グル・プールニマといわれ、師に感謝を捧げる、とても吉祥な日だそうです〜。

さて、前回はアーサナの役割や位置付けについて書かせていただきました(→「アーサナは瞑想のためにある」)。今回のテーマは「呼吸」についてです。

皆さんは普段、ご自分がどのような呼吸をしているかを感じながら過ごしておられるでしょうか? あまり認識していないというのが通常かもしれませんが、もしかしたら意識しているという方もいるかもしれませんね。

呼吸と心がとても密接な関係にあるということは、ヨーガの大きな発見だったそうです。私自身はアーサナを始めて呼吸について学ぶようになって、普段の呼吸も意識するようになりました。すると、焦ったり、イラッとしたり、気持ちが高ぶったりしたような時には、心臓の鼓動とともに呼吸も、あっ、すごく早くなっているな、反対にリラックスしている時は呼吸もゆっくりしてるな〜と、なるほど(!)確かに連動しているということがわかってきました。

現代では医学的にも、深い呼吸<腹式呼吸>によって自律神経の働きである副交感神経が優位になり、心身ともに落ち着く、また浅い呼吸<胸式呼吸>はストレス、緊張、興奮時に働く交感神経が活発になるということもいわれています。
古(いにしえ)から呼吸と心の繋がりを解き明かしてきたヨーギーたちはスゴイなあと思います!

呼吸も心も、乱れてしまった時は落ち着けようと思っても制御困難です。しかし、アーサナの実践によって制御可能になっていきます! 特定の形(ポーズ)を作り、身体を静止させた中で呼吸を調律していくことによって、深く安定した呼吸のリズムへと変化させることができるのです。「アーサナは鋳型に押し込めるようなもの」と師は言われます。日常生活の姿勢ではなかなか難しい呼吸の制御が、一見窮屈な閉じ込められた形態の中でこそ制御できていくという感じでしょうか。
そのように呼吸が変われば、心も平静に保つことができ、日々降りかかってくる、心を刺激する様々な出来事の影響を受けずにいられるようになっていきます。これは本当に、驚くべきアーサナの力だと思います! もちろん、1日、2日ではムリですが、何カ月か続けたら、法則のようにやった分、必ず効果として自分に返ってくる、ヨーガの恩恵だと感じます。

あれっ?! いつもだったらもっと動揺していたのに、巻き込まれずに冷静に対処できているな、あれっ?! 今日は腹立たないな、というふうに心の暴走にブレーキがかかる、反応がすっかり変わる、そんな変化が感じられたら嬉しくなりますよね♪

バンビオクラス会場

長岡京の会場 夜クラスの始まる前
大きな窓から見える開けた空が清々しい。

そういうわけで、アーサナの実践においては呼吸がとっても大切です。基本は「吐く息を長く伸ばして完全に吐き出す」ということ。
クラスに通い始めて間もない頃は、特に苦手なポーズは呼吸がままならず、吐く息を長くするどころか、まるで走っている時の呼吸のようにハアハアしてしまい、早く戻させて〜っと思いながらひたすら耐えていたものです(泣)。そんなスタート時を思えば、劇的に呼吸は変わっていきました。3カ月?ほどした頃に変化を感じ、1年、2年……10年……と実践を重ねていくことでまた違った体感が生まれました。

最初は身体への刺激を強く感じますが、慣れてくると呼吸に意識を向けられるようになっていきます。やがて吐く息がすーーーっと伸びていき、力まずに吐き切れていく感触が掴めてくる。さらには、だんだんと吐き切った後にしばらく呼吸が入ってこない、自然に止まったかのような状態が訪れます。そのように深まっていくと、アーサナ後、瞑想に座った時には呼吸の出入りがより微かになり、心が静まった感覚を得られるようになると思います。

気が動くと心も動く。気が動かなければ心も動かなくなる。
(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より)

*「気」とはプラーナの訳語であり、プラーナは生命エネルギー、宇宙エネルギーともいわれる森羅万象を支える力のこと。プラーナの最も大きな現れが呼吸といわれる。

ヨーガの修練には、プラーナーヤーマという呼吸法/調気法もあります。(指で鼻腔を押さえ)呼吸をコントロールし、呼吸すなわちプラーナ<気>の停止によって、心を不動の状態へと導くものです。
有名な映画(『グラン・ブルー』)にもなった素潜りの記録をもつジャック・マイヨールという方は、そのヨーガの呼吸法を学んでいたとか。海中を長時間潜るには、呼吸を制御することはもちろん、心の制御というものも必須だったのでしょう。

インドの伝統では、修行者はアーサナを12年、その後に呼吸法を12年、さらに瞑想を12年と、長い年月(トータル36年も?!)をかけて、真我に目覚めるというゴールへと修練を積み重ねるものだと師から伺ったことがあります。しかし、師ご自身がそれらを10代の頃から徹底的に実践し、マスターされたご経験があるからこそ、アーサナにおいては、ポーズ自体は一見同じようなものが様々あるとしても、その作法は師が発見された、たいへん革新的な内容を開示してくださっています。その一つがアーサナ中の吐く息にフォーカスしていく呼吸の方法であり、それはアーサナを行ないながらもプラーナーヤーマの領域にまで及ぶ内容になっているのです。師が伝授されるアーサナは、まさに瞑想の入り口まで運ばれる力のあるものであり、ヨーガの道のりを速やかに進めていく素晴らしい実践法だと感じます。
(つづく)

アーサナ、呼吸法、瞑想と、それぞれのプログラムで実践している様子

マードゥリー 


ヨーガ・アーサナの力 その1〜アーサナは瞑想のためにある

こんにちは! ヨーガ・瞑想クラスを担当しているマードゥリーです。
今回から、クラスで行なっているヨーガ・アーサナ(ポーズ)について、その実践がもたらす力がどのようなものか、これまで師から教わってきたことや自分自身が感じてきたことをもとに、4回シリーズ(予定)で書いてみたいと思います。皆さまどうぞお付き合いください〜。

ブジャンガ・アーサナ

黄昏時のヨーガ・ヴィハーラのクラス(京都・千本丸太町)

ヨーガ・瞑想クラスは、マハーヨーギー・ミッション(MYM)の各クラスの中でも最もクラス数が多く、開講歴も長いレギュラークラスです。
師が京都にアーシュラマ(道場)を開設されたのが1976年。師の下で学び、ヨーガの素晴らしさに感銘を受けた先輩たちが、一人でも多くの人に提供しようとクラスを始め、それから25年以上が経ちますが、現在に到るまで、クラスはず〜っと同じスタイル(内容・プログラム)で行なわれています。

私自身、MYMのクラスに一受講生として参加したことがヨーガの始まりでした。目まぐるしく日常が過ぎる中、立ち止まって生き方を見つめるきっかけを与えてくれたのがクラスであり、アーサナは自分と向き合うヨーガの第一歩でした。軽い気持ちで足を運んだつもりが、私たちの身体の神秘や呼吸の深まり、さらには心の紐解きなど奥深い内容があることを知り、ヨーガの世界に惹きつけられていきました。

*  *  *

さて、ここからはアーサナの役割について少し触れてみたいと思います。
全クラスでは、当初から変わることなく、師が厳選された基本アーサナ十数個と瞑想を行なっています。来られる方の体調や進み具合に応じてプログラムは組まれるので、中にはプラーナーヤーマ(呼吸法)や瞑想を中心に行なっている人、より高度なアドヴァンスなアーサナに取り組んでいる人もいます。しかし、どのようなアクロバティックなアーサナであったとしても、アーサナは瞑想のための準備段階として位置付けられています。

『アーサナは堅固で快適でなくてはならない』という格言的な言葉が、聖典『ヨーガ・スートラ』にはあります。本来「アーサナ」とは瞑想の「坐法」のことを意味し、生き物の数ほどたくさんあるともいわれている全てのアーサナ(ポーズ)は、瞑想にしっかりと座るために開発されてきたのだそうです。えっ、座る方が簡単で楽じゃないの?と私も最初に聞いた時は驚きました。しかし、実はシッダ・アーサナ(達人坐)やパドマ・アーサナ(蓮華坐)で両膝が床に付いて安定し、背骨を真っ直ぐにしてどこにも力が入っていない不動の状態で長時間保つことは、とっても難しいのです。坐法の完成は、座ると自然に呼吸が静止し、それによって心も静止することだといわれます。やっぱりそれには相応の修練が必要なんだなと思います。

アーサナは、柔軟性を競うものでも、単に肉体の健康のみを求めるものでもなく、また身体表現の美しさを見せるためのものでもありません。伝統的にも、ヨーガ=「瞑想によって本当の私に目覚める」というゴールに向かっていくための霊的な修練であり、内側から強くてしなやかな身体へと改造し、深く安定した呼吸に変化させることによって心を静寂へと導く、瞑想のための土台を築いてくれるものなのです。

一連のアーサナをやりこんでいくと、プログラム最後には身体と呼吸と心が統一され、坐法がまさに定まったという感覚、研ぎ澄まされた集中感が生まれ、自ずと瞑想へと連れていってくれるのを感じることができます。

 ハタ・ヨーガは高遠なラージャ・ヨーガに登らんとするものにとって、素晴らしい階段に相当する。(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より)

*ハタ・ヨーガとは、アーサナや調気法などの修練を中心に行なうヨーガの道。ラージャ・ヨーガとは、瞑想によって真の自己を実現することを意味します。

また、アーサナの実践を続けていくと、毎日の食事が(欲するものがより良質で軽やかなものへ)変わっていったり、環境が調えられていったり(部屋が綺麗になったり?!)もします。不思議に思われるかもしれませんが、それらは心身が調ってきた結果、起こることでもあります。さらには真理を理解する力が養われてくるともいわれます。アーサナによって心が落ち着き、受け入れ態勢ができてくるような感じでしょうか。瞑想するには、まず真理の教えを聞いて、学び、深く考えていくことが基本にあると常々師から教わっていますが、真理の理解を育むことや日常生活を調えることも含めて、瞑想の土台となっていくのだと思います。

ある受講生の方が、クラスに通い始めて3年ほど経った頃、「アーサナをすることが今の自分にはとても大切で、教えが身体を通して入っていく感じがします」と言われたことがありました。アーサナの力は偉大だなと改めて感じました。もちろん、呼吸や心身の変化もあってのことと思いますが、身体を動かして修練を積み重ねることで、ヨーガの教えも頭だけの理解ではなく、自分のものとしてしっかりと身に付いていく、そして着実に瞑想への道筋ができていくのだと思います。
(つづく)

 

マードゥリー 


木陰の下で〜グルとサンガ〜

私は介護の仕事で車椅子の方と外出する時、休憩する小さな公園があります。暑くなり始めた先週、その公園の蔦が絡まる木陰のベンチに座ると、その場所がとても涼しく、一瞬にして癒されました。その瞬間、野口美香さんのブログで「木陰は涼しい」と書かれていたのが思い出されました。隣の車椅子の方もその涼しさに癒されたのか、笑顔で嬉しそうでした🍀


さて、そんな5月の終わり、名古屋近郊からはるばる京都のアーサナ・瞑想クラスに一人の女性の方(以下:Yさん)が見学に来られました。Yさんは私たちのブログ『ヨーガを生きる』を1年半ほどずっと読んでくださっていたようで、なんと2週間前、まだ会ったことのない私たちにブログ内でコメントを寄せてくれたのです!それがきっかけとなり、「ぜひ、お会いしてお話しましょう!!!」ということになり、コメントをくださってから1週間後、すごいスピードで交流が実現しました。
クラスの見学も含め、その前後でもたくさんのお話ができ、とっても楽しく素晴らしいひとときでした!!!

5/28(土)京都アスニーのアーサナ・瞑想クラス

Yさんはインドにグルがおられ、その教えを日本で毎日欠かすことなく一人で実践されています。
1年半ほど前にYさんは、私たちの師シュリー・マハーヨーギーのYouTubeを見つけ、そこで紹介されている教え「ヨーガの瞑想は、一生涯のその結果に留まらず、何百、何千生涯を通過するぐらいの威力をもってなされなければならない」に触れてとても感じるところがあり、それがきっかけで私たちのブログを読み始めたそうです。【師のYouTubeはこちら💁‍♂️『サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ:現代に生きる真正のヨーギー』】彼女はグルも仲間もいない日本でたった一人で実践し続けることが本当に苦しかったそうですが、ブログを通して、自分と同じようにグルへの思いをもったマハーヨーギー・ミッションの修行者の存在やその情熱に励まされながら実践を続けていたと話してくださいました。

今回の交流中、1秒たりとも真理・神以外の話をされなかったYさん。そんな大変熱心で信仰心の厚い彼女と交流して、私たちもとてもインスパイアされました!!!そして、グル(師)とサンガ(仲間)が修行者にとってどれだけ大きくかけがけのない存在なのか、改めてその有り難さを教えていただいたように思いました。本当にグルとサンガは、この世界における木陰のような避難所です!!!


私自身、木陰の一枚の葉っぱになれるようにと願い、これからその木陰の下に多くの人が集い、休足し、語らい、そして遊び戯れることを心から願った今回のYさんとの出会いでした。
Yさん、この度はご縁をいただき、たくさんのお話ができたこと、本当にありがとうございました🙏🙏🙏ぜひぜひ、また京都にいらしてください!!!一同、心よりお待ちしております😇

ゴーパーラ


ヨーガ・瞑想 オンライン体験コース もうすぐスタート!

生命力溢れる木々の緑が眩しい季節になってきましたね。
さて、今日はゴールデンウィーク明け5月12日(木)から始まる「ヨーガ・瞑想 オンライン体験コース」についてPRさせてください。

初心者の方や久しぶりという方向けのこのコース。全4回でヨーガ・アーサナ(ポーズ)と瞑想の基本を学んでいきます。10程度のアーサナを行ないながら、深く安定した腹式呼吸を習得していくための呼吸法、チャクラ(気の集まるセンター)への集中やプラーナ(気)の充実から得られる効果、瞑想に大切な坐法や集中力の養い方などをお伝えする予定です。

コロナ禍が続く中、クラスへ足を運ぶのを躊躇されている方や、遠方で受講が難しいという方もおられるのではと思い、昨年からオンラインでのコースを企画しました。
前回は、10年ほど前にマハーヨーギー・ミッションのクラスに通っていた方の参加がありました。遠くに引っ越して続けられなくなったけれど、クラスでの体感が印象に残っていて、いつかまたやりたいと思っておられたとのこと。再会も懐かしく、とても嬉しかったです〜。
体験コースを受けた後に、レギュラーのオンラインクラスで継続している方もおられます。アーサナの基礎が身についてきて、よい変化を感じておられるようです。呼吸の深まりは画面越しからでも伝わってきます。

アーサナを続けることによって身体が軽やかに快適になっていくとともに、呼吸の変化に伴って現れる精神面での変化は、誰もにとって大きな贈りものとなると思います。ストレスやダメージを受けにくくなり、さまざまな出来事に反応して湧いてくる怒りやイラ立ち、不安や恐怖、焦りや緊張……といった感情の起伏をおさめていくことができていきます。
心身に調和をもたらすアーサナは、本来の私へと立ち返ろうとするヨーガの道の第一歩。少し踏み出せば、そこには大いなる恩恵と、今をより良く生きるための智慧と力があることが感じられるでしょう。一人でも多くの方にご体験いただけたら!と願っています。

オンラインってけっこう勇気がいるかも?!と思われるかもしれませんが、少人数で行ないますし、見本も見ていただきながら、ゆっくりとムリなく進めていきますので、どうぞご安心くださいね。

図解ヨーガ・アーサナ

「図解ヨーガ・アーサナ基本編」(アーサナのポイント、視線、力点、集中するチャクラが一目でわかる)をもとに、柔軟性に関わらず誰もができる内容を実践していきます。

日時:5/12, 19, 26, 6/2 木曜日 20:00〜21:00 
*最終回6/2は21:30まで
受講料:4回 6,000円(税込)
<各回のテーマ>
1回目:体と呼吸と心を調える 
2回目:自己治癒力を高める 
3回目:集中力を養う 
4回目:瞑想で静けさを味わう

詳しくはこちら

次回は秋に開講予定。今後は瞑想中心の体験コースも企画しています。

マードゥリー 


アーサナへの姿勢

アーサナ(ヨーガのポーズ)は身体の柔軟性を競うものではなく呼吸の深まりと安定をもたらし、その影響を受けて心も強く穏やかな状態に変化します。今回のブログは、愛媛県松山市で熱心にヨーガを実践されている大森みさとさんのアーサナについての記事です。彼女のアーサナの真摯な取り組みによる呼吸と心の変化が紹介されています!


2年と少し前、ヨーガを学び始めた頃の私は、あまりアーサナを重要視していませんでした(!)。クラスに通い、自宅でもしていましたが、なんせその頃の私はヨーガに巡り合えた喜びで無敵のイケイケ状態だったため、この情熱さえあればオールオッケー!!と言わんばかりに舞い上がっており、アーサナは2の次3の次のような気持ちでいたように思います。
ちょうどその頃、師がNYへご布教のために約3か月渡米されることになり、幸運にも10日間ほど滞在を共にさせていただく機会に恵まれました。滞在中に私は、「アーサナは何呼吸すればいいですか?」と師にお尋ねしました。それに対する師のお答えは、

「20呼吸。」

頭が真っ白になりました。その時の私にとって20呼吸は未知の回数で、果てしなく長いように感じられたからです。に…20呼吸…この先毎回20呼吸……
私は抵抗する心のままにアーサナから逃げました。でもずっとそうしているわけにはいかないし、嫌だという思いがあることは自分に必要なことなのでは…とも感じていたので、日本に帰ってしばらくしてから腹をくくってアーサナに取り組むことにしたのです。
(※反るポーズなど、アーサナによっては20呼吸していないものもあります。また、ひとりひとりの体調や状況があるため、誰にとっても20呼吸が必要ということではないと思います。)

初めはアーサナが終わらないかのように長く感じられました。しかし、毎日続けるうちに、気が付くと20呼吸のアーサナが日常の一部になっていました。
それまでの私は、クラスではポーズが苦しくなると、「いつ解除の声がかかるんだろう」といった雑念がよく湧いていましたし、自宅でも、何となく辛くなったら保持をやめるというやり方だったので、自分に都合のいい範囲内で取り組んでいたと思います。でも20呼吸すると決めてからは、積極的にアーサナに向かっていく感覚が生まれ、それまで感じたことの無かった肉体や呼吸の苦しさに直面しても、呼吸が終わるまではじっと耐えるという状況が自然と出来上がっていました。師の教えがなければ、自分を追い込むこともなく、そこでの苦痛に耐えるということもできなかったと思います。

マッチェーンドラ・アーサナ(ねじる形)

私はこの教えをきっかけにアーサナに向き合うようになり、今、アーサナに対する姿勢の大切さを感じています。自分の意志で積極的にすること、ごまかさず誠実に行うこと、苦しくても忍耐すること、ひとつひとつきちんと終わらせることを特に心がけているのですが、どれもそっくりそのまま日常生活でも大事なことだと気が付いたからです。これらの心がけがやがて自分の性質になり、自然と日常の中にも表れるようになるよう、これからも日々実践を続けていきます!

ブジャンガ・アーサナ(コブラの形)

大森みさと


ヨーギーから伝わる人生の「虎の巻」

京都、長岡京ヨーガクラスの新年のスタートは、112日でした。
会場の神足ふれあい町家の風情ある大きな格子窓からは、天から降りそそぐ真っ白な雪がしんしんと舞い降りてくるのが見えていました。照明が落とされた和室からは、その雪景色が絵画のように浮かび上がっていました。

長岡京ヨーガ・瞑想クラス

この日は、約150年前のインドに聖者スワミ・ヴィヴェーカーナンダがお生まれになった日であり、講師のマードゥリーさんがこの吉祥な日にクラスが行なわれることへ感謝の思いを話されました。

かつてヴィヴェーカーナンダが師の御仕事を担われて、インドの叡智を世界へ向けて伝えていかれた。その恩恵があって、今私たちが学んでいるヨーガがある。
それを聞き私は、このヨーガは実際に生きていた聖者が精魂込めて人へ伝えられたその結晶なのだと初めて意識し、それを今教わっている不思議さを思い、講師の方々、そして師に、感謝しました。

受講者たちはみんなとってもいい笑顔で、凍える外の寒さがまるで嘘のように、部屋の中は穏やかでアットホーム。あぁ、きっとヴィヴェーカーナンダも喜ばれている、彼の師であるラーマクリシュナの存在、そして私たちの師であるヨギさんの笑顔が自然と浮かび、白い雪は祝福の散華のように見え、胸の奥から込み上げるものがありました。

長岡京ヨーガ・瞑想クラス

真っすぐ背筋が伸びたみんなの後ろ姿が凛としていました。アーサナを真剣に行なう清々しい姿がありました。
受講者同士でワイワイと会話をされるようなことはないですが、いつも自然で、さりげない気遣いと優しさをそれぞれに感じ、こういうのすごくいいなぁ~と私は行くたびに思います。みんなの背景は何も知りませんが、ただヨーガで繋がっている妙な安心感があります。それぞれの思いでヨーガを拠り所にされていることを感じ、ずっと続けて通われていることを尊敬します。クラス中に質問なども特にされていないようですが(私が知らないだけかもしれませんが)みんなどうしてこのヨーガを続けられているのかな~とふと思ったことがあります。一つのことを続けるのは、結構大変だからです。

長岡京ヨーガ・瞑想クラス

クラスの最後に今年の干支である虎にまつわるお話が紹介されました。
古代のヨーガ行者たちは、虎の皮を敷物にして瞑想をしていたそうです(ヨーガ行者は決して生き物を傷付けないので、自然死した虎の皮です)。百獣の王とも呼ばれる虎の上にヨーガ行者が座っている意味は、すべてを支配するという象徴的な意味もあるとか。ヨーギーは何ものにも執らわれない、自由を私は感じました。
また、虎は千里行って千里帰る、というように、一日で千里もの距離を走り戻るような威力があり、修行者をその背に乗せて、悟りの境地へ連れて行ってくれる乗り物でもある。そして「虎の巻」といえば、由来は秘伝が書かれたもの、奥義の秘伝書という意味合いを持つそうです。まさにこのヨーガも秘伝ですね、今年もヨーガの智慧、秘儀を一緒に学んでいきましょう、とマードゥリーさんは結ばれました。

私は、みんながヨーガを続けているのは、答えはヨーガが秘伝だから、と腑に落ちました。ヨーガはまさに私たちにとって生き方の秘伝書。秘伝は、それを知った者だけに分かるもの。これは体験した人にしか分からないものがあります。ちなみに私は、クラスへ行く行かないとでは全く違う!と最初の頃から毎回同じことを思います。今はオンラインでも様々なクラスがあるので、参加しやすいと思います。

虎にあやかって、今年も私たちが積極的にヨーガの道を全力疾走できますように。虎の背に乗せてもらえますように!

 

 野口美香 


ヨーガは喜びへの道

ヨーガ・サーラ・スタジオではクラス後、自然に参加者の皆さんと円になってヨーガの話で盛り上がることがあります。皆さん、お互いをよく知っていて、ヨーガの実践についても相談しやすい環境です。最近は京都のオンラインでのバクティ瞑想専科で教わったことや「常に神の御名を唱える」についての話題が多く、誰かの実践がまた別の誰かを鼓舞するという情熱の輪が広がっています。こんな嬉しい話もありました。一人の方が「いつも自転車でクラスに来る時キールタンを歌っているけど、あれ?こんなに楽しくていいのかなって思ったんです」と。楽しくていいに決まってます! ヨーガは喜びへの道です! その朗らかな笑顔は日々の地道な実践の積み重ねによって心が変容してきたことを物語っています。

月曜の朝のクラスのみなさん

さて、昨年久々にクラスに復活してくださった子育て中の女性から新年の抱負が届きました。

・クラスに通うようになって、心も体も穏やかになっていくのを日々実感しています。わんぱく盛りの双子の男の子を育てていると、まだまだ心が巻き込まれてしまうこともあるのですが、そんな時は、ハートの奥に問いかけてこれは真理なのかどうか、徹底的に分析していきたいです。今年もクラスでアーナンディーさんやヨーガを学ぶ先輩たちにお会いできるのをとても楽しみにしてます。

さらにバクティ(信愛)・ヨーガを深めているお二人からも!

・神の御名をとなえて同時にあなたを愛することができますようにと祈ること。富、名声、および快適な生活のようなかりそめのものに対する執着が日に日に少なくなりますように、と祈ること。神が喜ばれるよう行為すること。

 ・周囲の人々に喜びと笑いをもたらすよう、お話ができる人になりたいです。そして、常に神を想い、神の御名に神を見ることができるようになりたいです。

師はおっしゃいます。「自分の中に尊い存在があるということを信じてください。神は雲の上にいるのでも、宇宙の果てにいるのでもない。あなたの胸の中にいます。それが誰もの本質です。そのことを知らないから、人々はみな苦しんでいるのです」と。「尊い存在が胸の中にある」、この言葉に胸の内側から力が湧いて瑞々しい喜びに包まれます。一人でも多くの人がこの真実を知ることが、周りの人の平安につながっていくと信じています。なぜなら「尊い存在が胸の中にある」と知ると心は満たされ、動じなくなり、その影響を受けた周りの人の心も穏やかになるからです。どうか真の喜びが広がっていきますように。

2021年最後の瞑想会の様子。みんなと座ると「長時間座れる」と好評です。

アーナンディー


マハーヨーギー・ミッション ロングTシャツが到着!!

 10月23日、待ちに待ったマハーヨーギー・ミッションのロングTシャツが届きました。写真はアーサナクラスの後にグルバイと撮影したものです。皆笑顔で喜びに満ちあふれていますね。

撮影時のみ、マスクを外しています。

 この春夏と半袖Tシャツを着られた方も多いのではないでしょうか。私も師のヨギさんがデザインされた神聖なTシャツを着て、クラス、仕事、趣味の場など色々な所に出かけました。このTシャツを着る時はいつも心強い気持ちになりましたし、幸せな気持ちで一杯でした。
 ある夏の日、職場でオレンジ色のTシャツを着ていて、「いい色ですね。よく似合いますね」と声をかけて頂き、話に花が咲きました。出張に出かけた先のホテルで何気なくTシャツを壁にかけると、夕方その部屋はアーシュラムの雰囲気になりました。クラスで皆同じTシャツを着てアーサナをした時の一体感と集中感は、まるでヨギさんの直伝クラスに出ているようでした。このTシャツにより、色々な出来事が起こりますが、それらは皆ヨギさんの恩寵だったと後で気付きました。ヨギさんはいつも、気付かぬうちに私達の人生に喜びを届けて下さり、痕跡を残さず出て行かれます。真のヨーギーの働きはこのような目に見えないものなのかもしれません。
 私は研究を生業としており、そのメカニズムについて疑問を持つのがヴァーサナー(心の傾向・性質)となっています。なぜこのTシャツにはこのような効果があるのか。何か仕掛けがあるのではないかと思い、他のTシャツとも比較しながら、その性質を調べてみました。やはり胸の中心にあるアートマンのデザインに何かあるのではないかと思います。このシンボルを見ると胸の中に何かがグーっと入り込んで集中が高まる気がします。これをデザインされたヨギさんの大切なメッセージが込められているのではないかと思いました。

「本当の主人はその(心の)奥にあるアートマン、真実の自己、あるいは神なのです」
『ヨーガの福音』36ページ

という「アートマン/すべてはそれだけのために」の教えが自然と思い出されます。
 この冬も胸のアートマンを意識しながら、アーサナ・瞑想を頑張りたいと思います。ロングTシャツの周りでどんなことが起こるのか楽しみです。

島本廉


台湾の近況ーー「夜明けの来ない夜はない」

1年半の無事安穏な生活を経って、予期せず、台湾でのコロナ状況は突然に悪化して、5月中旬に第3レベルの警戒態勢に入りました。私たちは初めて在宅勤務やステイホームを経験しました。集まることができなく、しばらくアーサナクラスや読書会は休んだのですが、6月からオンラインクラスが行なわれ始めました。

台中市。自宅からの雨後の景色。

オンライン・アーサナクラスの場合、家の空間でマットを敷き、Zoomに入室し、プラサーディニーさんのリードの声を聞きながら、アーサナをします。クラスを受けるみんなは同じ場所にいませんが、同じ振動とプラーナを共有しているようで、すごく集中力があり、パワーに満ちているように感じます。

読書会も、パソコンの画面を通してもみんなの分かち合いを楽しむことができました。台北は月1回、台中は2ヶ月1回読書会を行ないます。コロナの影響にもかかわらず、みんなは同じようにオンラインで参加します。それは、ヨーガの教えが移り行く人生の中の大事な支えと感じるからでしょう。

さらに幸運なことに、このような時期にオンライン瞑想専科がスムーズに始まりました! サーナンダさんは毎回のテーマに沿って瞑想の基礎から教えてくださいます。学びながら、瞑想で生じた質問にもすぐ答えていただけるので、一歩ずつ瞑想を探究していくことができます。

揺れる世界環境の中で、私たちはヨーガの教えに則って、ヨーガ行者の揺るぎない心に少しずつ近づいていこうとしています。ヨーガは時間、空間、条件を超えることを改めて確信しました! 同時に「夜明けの来ない夜はない」と師のヨーギーさんが教えてくださった言葉を信じています! そして、みんなに会える日を楽しみにしています!

ある日の瞑想専科の前、虹がかかりました🌈

マールラー


真っ逆さまの世界

何年ぶりかの長岡京の夜のクラス。最近は朝が多かったため、夜のクラスは新鮮! クラスの場所は、JRの線路の上に位置している。会場には瞑想的なインド音楽が流れ、時折、遠くからはガタンゴトン~と電車の音が聞こえてくる。建物に反響しているのか、まるで宇宙へ駆け抜ける列車の音のようにも…。目を閉じると、どっちが上でどっちが下…?と異空間にいるような心地になる。自動的に、永遠とか無限とか宇宙とか、執らわれのない自由な悟りの境地へといざなわれる。上下左右も限界も無い、価値観や観念も通用しない宇宙に憧れる。真正面の大きな窓からは運が良ければ月が見える。いつもクラスに絶えずある、一定の集中感。この独特の集中感は、初めてクラスに行った時からずーーっと同じだ。

マードゥリーさんが撮影してくださった長岡京クラス会場からの景色。窓から黄昏空が見える。真下はJR長岡京駅だ。

鉄棒、マット運動、遊園地の乗り物など、体を逆さまにするものが苦手だった私が、アーサナを初めて習った時、魚のポーズ(マツヤ・アーサナ)に、おののいた。でも、先生が体を支えてくださり頭頂を床に、逆さまに付けることができ、かろうじて静止した目の前には体の苦痛とは無縁の世界があった。体はきつくて悲鳴を上げているのに、全く別の、芯の部分では、何かがじっと止まっている静けさがあった。わぁ・・・きれい・・・、体も、これまでの価値観も、全部ひっくり返って、逆さまの世界を初めて味わった瞬間だった。不安定で苦手だった逆さまの苦痛感は、静まり返った印象に一変した。

数年後に、仕事で腰を痛めて出来るアーサナが減った時、自分の体に苛立ち、力任せに力んだまま、出来ないアーサナを無理に行なってさらに体を痛めたことが何度かあった。悟りへの乗り物であるこの体を大切に扱えない、また、自己管理ができていない幼稚さでもあった。そして何より、集中感が足りてなくて気が散漫だった。出来ない自分がくやしい!という思い、出来ていたことが出来なくなったという結果、それに執らわれ過ぎていた。今できるベストを尽くす、ということや、アーサナのポーズ一つ一つを丁寧に、呼吸と共につくっていく、その基本からは遠のいていた。
そんな頃、体を真っ逆さまにする極み(?)の逆立ちのポーズ(シールシャ・アーサナ)を避けるようになった。たまに失敗して転げると腰にズシンと衝撃が走るので、それが怖くなっていた。シールシャ・アーサナ自体が嫌いなのではなく、転げて痛くなることが嫌だった。万一失敗した場合に腰が悪化して出来ないアーサナが増えることも懸念していた。ヨーガの中の、アーサナの真の意味は、先日のゴーパーラさんの記事にあったように、心を静めるため、真実へ至るためであり、アーサナはその手段であってヨーガの到達点や目的ではない、と教えられているのに。

昔通っていた頃の長岡京夜クラス(2015年)

毎日のアーサナで、今日は腰が痛いから逆立ちはやめた方がいいなとか、今日は体力がなくて転げそうだからやめておこうとか、逆立ちを組み込まない日が増えていった。鋭い痛みがある時はやめた方がいいと教わっている。でもそれ以前に気持ち的にまず避けようとしていた。逆立ちは毎日していないと余計に安定せず、転げることも増え、さらに避けるという悪循環だった。
ところが、師のアーサナ直伝クラスが始まり、そんなことを言っていられなくなり、必死でシールシャ・アーサナも行なった。すると、師のクラスで一度だけ、シールシャ・アーサナを何回やっても足が空(くう)にピタッと吸着して止まり、絶対に転げない感覚になり、どっちが上でどっちが下かも分からないような、逆立ちという逆さまの感覚自体が消え、師が何かされている!と思ったことがあった。私一人では絶対に知りえないその感覚を、体を通して学ばせていただいたおかげで、立つことはできるんだ、という確証をいただいた。だから立てないというのは、自分の中ではもう通用しなくもなった。

昨年、シールシャ・アーサナを改めて教わる機会に恵まれた。指導者の先輩は私の逆立ちを見て「右が縮んでいて、左の腕が開いている、痛めている右の腰をかばって、そうなっているのかもしれない」と言われた。度々、指摘されるようになり、気になったので歪みを正すために毎日必ずシールシャ・アーサナをした。歪みを意識するものの、自分で自分を見ることはできないので、どうなっているかは全然分からなかった。

そして何カ月後かのクラス。
「やっぱり右が縮んでいて左の腕が開くのは変わってない、けれど安定しているし腰をかばっているのもあるかもしれないし、それでいいでしょう!」
キツネにつままれたような気分になった。歪みが直ってなくても安定することってあるんやな~と、ほっとした。完璧じゃなくても立つことが大事なんだと教わった気がした。気付けば、調子が悪い日は逆立ちをしない、という日々は終わっていた。どういう時でも立つ、どんな状況でも一人で立たないといけない、そんな気持ちが自然に宿っていた。そして真っ逆さまになった時にしか感じられないあの静けさがやっぱり好きだった。失敗して転んで腰が悪化して、もしシールシャ・アーサナや他のアーサナが出来なくなっても、それはそれで仕方ないしその時に考えよう、と考えが勝手に変わっていた。歪んでてもいい、毎日どこでも立つ、と思いがはっきりしていった。それはとても気分のいいことで、迷いがなくなって、集中もしやすくなった。そのうち、それが日常にもリンクするようになった。今日は疲れてるしやめとこう~と思うことがあったとしても、いつでもやる、と決めたことはやるようになった。

自宅でのシールシャ・アーサナの練習。

「まず立つ気があるのかどうか?」この体を通して、内なる神が問いかけてくださる。本気で立つ気があるのなら、立てるように努力するべきだと。立つ努力もしないで、立てるようになる時期をじっと待っていても、いっこうに立てるチャンスは訪れないと教えてくださった。
不思議なことに、毎日立つ、と決めた日から、なぜか転ばなくなった。これに執らわれても良くないけれど、時々は転ぶのが常だっただけに不思議。なんで突然、転げなくなったのか?? 決めたその瞬間から、気が一点に集まったように思う。もう師の恩寵だとしか思えないけれど、それまでは、立とうと決めてなかったから、フラフラゆらゆらしていたのかな。「心が思うものになる」と師から教わっている。思ったところへ気は動くという。気――プラーナは目に見えないし、私ははっきりと知らない。でも知らないなりにも、このささやかな体験は、「思い」が気(プラーナ)を一つにまとめ、それが集中へと繋がる、ということを実感させてくれた。思いは強烈な力を持っていて、本当に思い一つで変わる可能性があるんだと。気(プラーナ)が自分を形づくっていく、これは本当に教わってきた通りだ。

…と、夜のクラスで、そんなことを改めて感じた。そして逆立ちは、まだまだ要改善のアドバイスを受けたので、これからもがんばりたい。久しぶりに会えた指導者の先輩たち、そして参加者の方たちがやけに爽やかで、かっこよかった。数年前の雰囲気とは少し違っていた。ずーっと夜のクラスへ通っているそうだ。クラスに通い続けるのも自分の意志、思い。ヨーガへ、気が一点に集中されているんだなと思った。集中感のある人は、爽やかで気持ちいい! 私も見習いたい!

野口美香