ラーマクリシュナの福音

みなさん、こんにちは

今回の地震で被害を被った方々にお見舞いを申し上げます。
京都は比較的、台風とか災害もよけて通るようなところなのですが、今回の地震は、さすがに京都のみなさんも驚かれたと思います。天変地異に際しても、さまざまな場面でも正しい判断ができる自分でありたいと改めて思いました。

 さて今回も『ラーマクリシュナの福音』からご紹介いたします。
今日もまた、シュリー・ラーマクリシュナは神を愛することについてお話になっています。

シュリー・ラーマクリシュナは自室の小さい寝台の上に、東を向いて座っておられる。信者たちは床に座っている。Mがここに着いて師に礼拝をした後、席についたのは昼頃だった。次第に他の信者も集まりはじめた。
ラーマクリシュナ「もし、人が神を愛するなら、ごく細やかなことが彼の霊的感情に火をつける。そのときにラーマの御名をたった一度唱えれば、彼は一千万回のサーディヤー(上位三階級の聖糸を受けた男子が毎日行なうことになっている礼拝)と同じ効果を得るのだ。一片の雲を見ると孔雀の感情が目覚める。彼は尾を広げて踊る。ラーダーは同じ経験をした。雲を見ただけでクリシュナを思い出したのだ。チャイタニヤデヴァがある村を通り過ぎた。彼はその土地の土からドラムが作られるということを聞いた。たちまち彼は恍惚感に圧倒された。ドラムはキルタンに使われるからだ。だが、誰がこのような霊の目覚めを感じ取ることができるのか。世俗の物ごとの執着を放棄した人だけだ。もし執着という液が、ある人の内部で完全に干上がれば、ほんのわずかのヒントが彼の霊的感情に火をつける。湿ったマッチを千回こすっても火花ひとつ出はしない。だが、乾いていれば、ちょっとこすっても燃え上がるだろう」

 シュリー・ラーマクリシュナは神を愛することができる人は、この世の中の物ごとの一切を放棄した人だけだとおっしゃっています。
私たちの師もまた、心が何かを掴んでいる、所有しているという、心の執着をなくした状態でないと、悟りという真実の智慧は生まれないと教えてくださっています。ヨーガを学んでいくにつれ、心は、神を真実を思いながら過すことが多くなってきましたが、なかなか神を真実を愛することができない自分に気がつかされました。聖典を読むと、神を愛すること、一切の執着を放棄することは、主にグルの導きや神の恩寵によって得られると書かれてあります。私たちの師は恩寵についてこのように説かれています。

「恩寵は、その真実、もしくは神と魂との間に生まれる贈り物です。それが生じるのは、魂たち、つまり人間としての純粋な信仰が生まれた時、その真実の存在は恩寵をもたらします。具体的には祝福、そして霊感、正しい智慧、真実の愛、そのようなこの人間の世界では得られないものがやってきます」

ヨーガを学び、純粋な信仰を育んでいくことが、私たちに必要なことなのだと思いました。純粋な信仰とは、神や真実を信頼し、その教えを誠実に生きていくこと、そして見返りを求めず、ただ愛していくことなのだと思いました。しかしみなさん、私たちは、この人間の世界では得られない、祝福というものをもういただいていますよね。師の教えを守り、誠実に、このヨーガの道を歩んでいけば、真実の愛に辿り着けるのだということを確信し、嬉しくなりました。湿ったマッチのままじゃ嫌だ、諦めず歩んでいこう、そういう覚悟を今回さらに固めたのでした。

 ダルミニー


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