生まれる時も死ぬ時も裸

ある時のことです。家にもし泥棒が入って何かを盗られたら、絶対に許せない!と思いました。
その次に、そのような思いが自分の中にあることにも驚いてしまいました。
ヨーガは儚いこの世界に執われないように、永遠不滅の存在である本質を見なさいと教えます。それで自分自身もこの世界の物事に執われないようにしようとこれまで実践してきました。そうして人からどう思われても、どうでもいいと思えるようになってきて心が随分と軽くなってきたのですが、こと家の中の物質的なものに対しては、まだまだ執着があるんだと驚いたのです。
「私のバッグ」「私のお金」「私の大切なもの」・・・というように、「私の○○」があるんだなあと思い知らされました。そのことについてサットサンガでヨギさんに質問をしましたら、次のように教えを授けてくださいました。

 「生まれた時は裸、死ぬ時にも何も持っていけない。持っていけるのはカルマだけ。そんなものは捨てていきたいもの。生活する上での必需品はある程度やむを得ないが、それ以上執着する必要はない

 本当にそうだと思いました。人間本来裸一貫。死ぬときは何も持ってはいけない。執着というカルマなんか持っていきたくもありません。物質的なものに対する執着もそうですが、「泥棒が入ったなら」とありもしないことに執らわれていたことにも気付き、そんな思いも必要のないことだと思いました。そしてヨギさんは、知足についても教えてくださいました。今ある必要最低限のもので足りている、これを知りなさいということです。神から必要なものは十分与えられているのだとしたら、何かを失っても恐れることはないと思いました。そうして神を思い、神に感謝し、知足を徹底して実践することによって、自ずと無執着になっていくものなのだということにも気付かされたのでした。 

ダルミニー


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