執着を無くしていく


これが無ければ人生をもっと軽やかに楽しく過ごせるだろうなというものを、ヨーガが教えてくれました。

それは執着。

最近2ヶ月位、執着について考えていました。

きっかけは、保育園で幼い子どもたちが遊んでいるときに起きた出来事に遭遇したことです。

ひとりの男の子が、何か気に入らないことがあったのか、隣にいる男の子に噛みつきました。

噛まれた子は火のついたように泣き出し、保育士さんはすぐにふたりを引き離しました。それぞれの子どもにひとりずつの保育士さんが付いて、噛まれて泣き続ける子には治療を、噛みついてしまった子には理由を聞いたり諭したりと、よくある出来事なのでしょう、対応もとても素早いものでした。その様子に感心しつつ、私はまた別の子どもを見ていました。

ふと気づくと、先ほどの噛まれた子と噛みついた子が仲良く一緒におもちゃで遊んでいるのです。数分前の大泣き騒動などまるで無かったかのように。気持ちの切り替えの早さは見事という他ありません。子どもたちには目の前にあるおもちゃで遊ぶこと以外には、何の思いも浮かんでいないようです。痛くされたことや傷つけたこと、ふたりとも過ぎたことはすべて忘れて。

 

 

子どものころは、このように無邪気に過ごすことが多かったように思います。邪気、ねじけた気持ちや悪意を持つことなく生きていけたら、人と争うことはほとんどなくなるでしょう。

子どものころと同じような心を持ち続けていればいいのに、大人になるにつれて、人は様々な知識や技術、感情や関係を持ち、生活しています。これらが身についていないと成長したような気がしないので、どんどん身につけようとする、するとそれが束縛となって自分で自分を窮屈にしているようです。

こういった、ものに執着する(好きなものにも嫌いなものにも)のは、心の習性なのだということは、ヨーガの教えを学ぶ中で初めて知ったことでした。好きなものに執着するというのはよく分かりますが、嫌いなものにも執着しているなんて、とても意外でした。

考えてみれば、過去の辛い経験や嫌いな人のことなど、さっさと忘れてしまえばいいことをいつまでも覚えていて、それを判断基準にしてしまうことさえあります。

軽やかに、自由に生きていくには、この執着を無くす必要があるのです。

私にも執着があって早く取り除きたい、瞑想や普段の生活の中でそのことを考えながら過ごす毎日です。時間がかかっても諦めず、続けることが大切なことなのです。

 

 

マイトリー

 


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