捧げるということ


先月、師の御聖誕祭が京都で開催されました。

今年は東京でともにヨーガをしている仲間たちと、師への感謝の想いをキールタンとして捧げる機会を頂きました。
8月から3ヶ月ほど、週に一度はみんなで集まり練習を重ねました。
それぞれの師への想いがある。その想いをそれぞれが高めて、集めて、みんなでキールタンを師へ捧げる。
それが一体どういうことなのか、「捧げる」とはどういうことなのか、今回ほど考えたことはありませんでした。

練習は楽しく賑やかに進んでいきましたが、自分にできていないことや足りないことと向き合うこともありました。
こんなことで想いを捧げることができるのか、自信をなくす瞬間もありましたが、それでもやるしかない、いや、このキールタンだけは今の自分の精一杯を出し切って捧げたい、当日が近づくに連れてその気持ちはどんどん強まっていきました。

最後の方の練習は、一回一回が本番だと思って臨むようになりました。
こんな機会はきっと二度とない。練習といっても今この瞬間にすべてを出し切る。
今回キールタンを捧げることはもちろん、すべての出来事、その一瞬一瞬が二度とない瞬間なのだと何度も感じました。

みんなの想いがどんどん高まって、練習でも毎回のように涙が溢れる人も。私はみんなの背中や横顔を見ながら、ただ美しいと思いました。この人たちに出会えて、ともに捧げる機会を与えていただいて、こんなに嬉しいことはないと思いました。
御聖誕祭本番のことはあまりよく覚えていませんが、歓喜の中にみんなとともにいた、そして師は笑顔で見守り続けてくださった、その2つは確かな記憶としてあります。

 

新宿クラスの後の練習風景

「捧げる」とはすべてを投げ出してからっぽになって初めて可能なことなのだと思います。
そして捧げたとしても、師は私たちが捧げた以上のものを与えてくださいます。

もっともっと捧げることができるよう、御聖誕祭が終わった今、自分にできることもできなさそうなことも関係なく、とにかくやっていくだけだと思っています。

 

ハルシャニー

 


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