善悪ではなく本質をみる


先日、とあるドラマを夫と2人で観ていたときのこと。
主人公はやむを得ない事情により他人に怪我を負わせてしまいます。周りの誰もが主人公を悪者とみなし、主人公は窮地に追いやられますが、たった一人、主人公に寄り添い温かい言葉をかける人物がいました。
夫が、「この人は人の本質を見ているんだね」とつぶやきました。
私ははっとして、「そうだね」と言葉を返しました。しばらくの間「本質を見ている」という言葉が頭から離れず、何か大切なことに気付けそうで気付けないもどかしさのようなものを感じていました。

 

その数日後のこと。
10年ほど前までよく顔を合わせていた仲間たちと再会し、互いの近況報告や思い出話に花を咲かせていました。
その中で、1年ほど前にかつての仲間の1人が罪を犯し、逮捕された話題が出ました。
それは同情の余地もない犯罪でした。第一報を耳にした時は本当にショックで、なぜそんなことをしたのかと怒りと悲しみでいっぱいになり、現実をどう受け止めてよいか分からなくなりました。時が経つにつれて落ち着きはしましたが、彼自身のこと、被害者の方のこと、彼の家族のこと、 仕方のないことと分かりつつも時折思い出しては考えてしまっていました。

その後彼がどう裁かれたのか、今どうしているのかを具体的に知る人はいませんでしたが、仲間たちの表情からも複雑な思いを見て取れました。犯罪者になる前の彼が悪人だったかとういうと決してそうではなく、少々やんちゃなところがあったものの、どこか憎めない愛される性質の持ち主でもあったからです。

 

この世には完全な善人も悪人もいません。人はカルマによって生まれた以上、少なからず他者を傷付けたりした過去を持ちます。過去のカルマを昇華させるために今生があり、今生で生まれたカルマは来世に持ち越されます。ヨーガにおいては今生でのカルマを増やさないようにするためにまず物事の正しい見方を学びます。正しい見方は正しい思いを生み、正しい言葉を発するようになり、それに応じて正しい行為ができるようになります。

またヨーガはカルマにゼロをかけるともいわれ、今後発動するはずのカルマを消滅させることができます。(師はそもそもカルマなんて存在しない、存在するのはただ一つの本質のみと教えてくださいます)

善か悪か。それは心が作り出したものであり、何を善とし何を悪とするかの基準はあってないようなものです。同じ人でもその時の印象や見方によって、基準は変わります。

そんな不確かな物差しで判断することには意味がない。

 

 

かつてブッダが大量殺人の罪を犯したアングリマーラーを弟子とし、彼を悟りへと導いたことは、ブッダが彼の本質のみを見ており、それ以外は大したことではなかったからなのだと思います。

「本質をみる」ことだけが大切で尊く、あらゆる存在はその「本質」のみであることを知り、理解し、自分も「本質」のみになれるよう努めていくことが、今私が彼のためにできる確かなことだと思えるようになりました。

 

ハルシャニー


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