サティヤー 正直に生きる


ヤマ(禁戒)の1つ、サティヤー。日本語では「正直」と訳されます。

正直とは、嘘をつかないこと。自分にも他者にも、常に嘘偽りなく正直であることは理想ですし、とても大切なことです。

 

嘘も方便ということわざがあります。
時と場合によっては嘘が必要なこともある、という解釈をされがちですが、本来は、自分のために嘘をつくのではなく、他者を救うために嘘をつくという意味があるそうです。

 

しかし、ヨーガにおいては、たとえ他者を救うためであっても嘘をついてはならないとされています。
どんなに些細な嘘でも、それが相手のためを思って嘘であったとしても、それは人を傷付けることになる。
当然のことながら、嘘は真実ではありません。そこには必ず矛盾が生じます。そして矛盾したことはいつか崩壊します。それは他者を傷付けるだけではなく、自分も苦しめることになります。

 

 

ヨーガ・スートラにはこう書かれています。

サティヤーに徹した者には行為とその結果がつき従う

 

師から常々教わっている、「身口意   思いと言葉と行為を1つにする」ことでもあります。

 

では、サティヤーに徹して正直に生きていくにはどうすればいいのか?

 

正直に生きるとは、決して自分の心の赴くままに好きなように生きるということではありません。
事実だからといって、正直に何でも発言したり行為したりしていいというわけでもありません。

 

他者のために、その瞬間瞬間に真理と照らし合わせながら、正しい発言や行為を誠実に実行すること。
これを徹底して実行していくことなのだと思います。

 

花筏の中を進む白鳥。パラマハンサ(白鳥)は水とミルクが混ざった状態からミルク(純粋さの象徴)のみを飲むことができるとされています。

 

以前、師に質問したことがあります。
「その場において、本当のことを言うのがはばかられるような時、自分が何を言えばいいか分からない時、どうすればいいですか?」と。

師はほほえみながらこう答えられました。
「そういう時はにこにこ笑っていたらいいんだよ。」
いつもながら、とってもシンプルな言葉です。ぽかんとしていると、こう付け加えられました。
「もちろん、笑うのがその場にそぐわないこともあるから、そういう場合は相手の話をしっかりと聞きながら黙っていればいいよ。」
こう付け加えられました。

 

その日以来、嘘をつくことになりそうな時や何を言えば分からなくなった時は、この言葉の通りにできるよう心がけていたのですが、、、
つい先日、病気が見つかり不安になっている家族に対して、本当のことではあるけれど相手を傷つけてしまう言い方をしてしまいました。
最初はしっかり話を聞いていたものの、こちらの話を全く聞こうとしないことに苛立ちを感じた状態で発した言葉。直後にしまったと思いましたが、放たれた言葉は二度と戻りません。

 

このままではいけない。
なぜそのような言い方をしてしまったのか、原因を見つけるために識別しました。

不安を口にしてこちらの話を聞こうとしない状況は過去に何度もあり、こんな状況で何か伝えようとしても耳に入らないと承知していました。にも関わらず、私は何を家族に伝えたかったのか?
それはヨーガで学んできた真実です。
人は生きていれば病気になることもあるし、完全に健康ということはあり得ないし、いつか死を迎える。
だからこそどう生きるのかを真剣に考えなくてはいけない。何のために生まれてきたのか、自分はどうしたいのか、苦しい時はそのことに向き合う良い機会となり得る。

 

​すぐに理解することは難しいことも分かっているし、自分もそのことは経験済みなので、できるだけ分かりやすく話すよう努めてはいた。それなのになぜ家族は変わろうとしないのだろう?
そこには相手への思いやりはなく、相手に変わってほしい、こちらの言うことに耳を傾けてほしい、真実を知ってほしいという自分の思いだけがありました。

 

 

後日、再び家族の話を聞くために電話をしました。
まずその不安な気持ちに寄り添うように話を聞くように努め、相手が今必要としていることは何か、今自分にできることは何か、落ち着いて考えながら話しました。
家族が置かれた状況は変わっていないけれど、今回は会話していて穏やかさを感じました。電話だったので表情は分かりませんでしたが、家族の声は落ち着いているようでした。

 

 

 

師から頂いた言葉の中でも、これまで特に大切にしていたのが上記の言葉でした。
これを機に今一度この言葉を大切にして、サティヤーに徹し、誠実に行為したいです。

 

 

ハルシャニー

 


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