吉祥—命の尊さ

「一切は苦である」という格言があります。それは死ぬことが最大の苦しみならば、老いることも病むことも、ひいてはその肉体を持った、つまり生まれたということ自体が苦しみの原因にほかならないという理由です。そうすれば、この誕生日というものが忌まわしいものとなり、とてもじゃないけれど祝うべきものではないはずです。しかしこれはある面から見た一面にすぎない。

確かにこの世界というものと肉体と心が織りなす交差の中でそれは真理であります。しかし常に変化してやまない世界、肉体そして心を諦めることによって、真実を見つけてそれを実現することによって一切は歓喜となります。――このことを悟ることができる、それに触れることができるのは生まれてきたからなのです。これをもって肉体の誕生は吉祥なもの、喜ばしいものに変わります。

古来、聖賢たちは人に生まれること、そして真実を探し求めること、それを実現することのできる人としての命を、たいへん尊いものと教えてきました。まさにこの人として生まれたという、その誕生は本来吉祥なものであるはずなのです。一切が苦であると見てしまっていたのは心の過ちであったことを知るでしょう。

真理とは永遠に変わらないものをいいます。それはいつか現れるのではなく、すでに在り、今も在り、これからも在り続けます。それは変化することもなく壊れることもない、ましてや無くなることはありません。この真理なる歓びを悟り得る人として生まれたこと、この誕生を、皆それぞれの中で歓び、吉祥なものとしてください。

御聖誕祭にて、 師のお言葉より
2003.11.23