アートマンが愛おしい

聖典の真実の言葉から、心に留めてほしいものが一つあるのです。それはある覚者が語ったもので、「夫が大切だから夫が愛おしいのではなく、アートマンが大切だから夫が愛おしい。妻が大切だから妻が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから妻が愛おしい。子供が大切だから子供が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから子供が愛おしい。僧侶が偉大だから尊敬すべきなのではなくて、アートマンが尊いから僧侶が尊い」。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

この世界には自然と愛情が湧いてくる相手もいれば、そうでない相手もいるように見えてしまいます。でも、師であるヨギさんはそんなことには頓着せず、いつも目の前の相手の本質だけを見て接してくださっていました。それは弟子に対してだけではなく、全ての人や物に対しても同じでした。そしてヨギさんの見ておられた世界を言い表したものが上記の美しい言葉なのだと思います。

対人関係で毎日色んな出来事が起こり、時には相手に対して複雑な感情を抱いて心が混乱してしまうこともあります。それでもヨギさんのまっすぐなまなざしを思い出すと、本当はヨギさんが見ておられた世界が真実なのだと認めざる得ない気持ちになって、自分の心のあり方を正していきたいと強く思います。ヨギさんはご自身の生き様を通して、私達に真実を見せてくださいました。

でもその心さえも超えて、その奥にある本質を見つめることができれば、そこには何の違いも見つけられません。区別のない、差別のない、無差別な一つの実体が在るだけです。そして、私たち自身がそれであるということです。私もそれならあなたもそれである、万物がそれである、それだけが在る。

いつかヨギさんと同じ世界が見れるように、全力でヨーガに励んでいきたいと思います。

船勢洋子


送別会での出来事

春は卒業や入学の季節ですね。私も1月末に5年程務めた仕事を退職いたしまして、最終日に送別会を開いて頂きました。その時の出来事です。

職場の皆さんと話していると、島本さんが掃除をしたり、花を飾ったりして職場の雰囲気をよくしてくれて助かった、と数名の方から言って頂きました。
そのように思っていてくれた方がいたのかと、素直にうれしく思いました。それと同時に、以前私はそういうタイプの人間ではなく、ヨーガを学び進めるうちに徐々に性格が変わっていたことに気付きました。少し苦手なことでも進んで行なうことができたり、美しいものに素直に感動するようになったのかもしれません。大変有り難いことだなと思いました。これまで丁寧にヨーガを教えて下さった、師や兄弟弟子のお姿が思い浮かびました。

また送別会の中で、職場の皆さんから花束や花瓶やコーヒー豆などの贈り物を頂きました。私はコーヒーが好きで、職場でもよく豆を挽いてコーヒーを作っていました。コーヒーを作るようになったのは、2020年にCave(ニューヨーク・ミッションの拠点)に滞在した時に師から教えて頂き、美味しいと思ったからです。そして、花の美しさを教えて下さったのも師でした。このことに気付いた時、私は師への感謝の気持ちで胸が一杯になりました。

師は、家の中でアーサナや瞑想をしているのは心を制御する練習をしているようなものであり、外に出てからが真剣勝負だと仰っていました。人との交わりの中で、心を制御し続けることはとても難しいことだと思います。ふらふらと飛び回る心を注意深く観察し、真理に留めておかねばなりません。自分の殻に閉じこもることなく、周りの人達と調和し、そして役に立てるよう、これからもヨーガの修行をこつこつ続けていきたいと思います。

職場の皆さんから頂いた花束。

島本廉


New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】

3/26(火)〜5/28(火)までの期間、京都・大阪で新クラスが開講します。

New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】
↑ 詳しい内容はこちらからご確認ください。

まだまだ寒い日が続きますが、日差しの中に春の輝きを感じる今日この頃、春を迎える清々しい気持ちと、コロナ禍も明けて始動開始!そろそろ新しいことに挑戦するよい時候ではないでしょうか!?

そんなとき、瞑想を始めてみるのはいかがでしょうか?瞑想と聞くと良いイメージがある方が多いと思いますが、実際にはどう良いの?何をしているの?方法は?など意外と分からないことも多いと思います。このクラスでは、そんな疑問点にもお答えしながら、まずは静かに座るということに慣れていただきたいと思っています。またアーサナ(ヨーガのポーズ)をすることで呼吸が落ち着き、瞑想がしやすくなるということも実感していただけるでしょう。瞑想することによって日常で良い変化を感じていただけると思います。

45分という短いクラスとなりますので、ヨーガや瞑想を一度体験してみたい方、忙しいけれど少しの時間でも瞑想する時間を持ちたい方、もちろんすでにヨーガのクラスに通っているけれど、改めて瞑想に取り組みたい方も大歓迎です!気軽な気持ちで来ていただけると嬉しいです。
お得な4回カードもありますので、この期間に瞑想の習慣を身に付けませんか!

サティヤー


春分の日🌸『ヨーガの1日』のご案内

3月20日(水・祝)春分の日に、ヨーガの体験クラスを開催します🌸
一般的にヨーガといえばポーズのことを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ヨーガはポーズだけではありません。呼吸や食事、歌や瞑想によって、ヨーガを実践し深めることができます。そんないろいろなヨーガを体験して頂ける1日です。
開催する場所は、私たちの師がお生まれになりヨーガを教えてこられたマハーヨーギー・アーシュラマです。そこに居るだけで心が落ち着くような美しい場所です。その空気を味わい、肌で感じながらクラスを受講して頂けます。
また体験クラス以外にも、しおり作りを開催します。(体験クラスを受講された方にはもれなくしおり作りが1枚付属します。)心に響くヨーガの教えを選んでしおりに書いて持ち帰って頂けます。ヨーガの教えは日常の中で頼りになり、生活や人生をより良く導く道しるべとなってくれると思います。
ぜひこの機会に、ヨーガの体験にいらしてください😇

※詳細はこちらをご覧ください💁‍♀️ 春分の日企画『ヨーガの1日』

サルヴァーニー


聖典を通して聖者に近づく

私は本を読むのが得意ではありません。ほとんどの場合、文字を追うだけですぐに眠たくなってしまいます。それだから、聖典を読むことにも苦労していました。聖典の学習は通常の読書とは異なり、聖者の息吹を感じるように読むと教わっていましたが、長年の苦手意識の根は深く、本を開くことすらハードルが高かったのです。

しかし、私には心惹かれる聖者がいました。ホーリー・マザーことサーラダー・デーヴィーです。マザーのことを知りたい、近づきたい! そのためには聖典が大きな助けになります。そこで私は、聖典を声に出して読むことにしました。マザーに関する聖典を音読、録音し、それを聞きます。音読は在宅時に限らず、出勤前の車内(職場近くの海岸に停車させて)など、隙間時間を見つけては行ないました。そして、録音できたものは移動や家事の時間に繰り返し聞く、ということを続けました。

音読するときには、聖典に触れ、真理の言葉を目で見て口に出し、それが耳に届きます。五感のうちの四つが聖なるもので満たされます。眠い朝でも、音読をすると心なしか頭や体がスッキリし、軽やかな気持ちで出勤できました。そして何度も録音を聞くうちに、まるで自分がマザーと同じ空間にいるように感じ始めました。
常にマザーが直接語りかけてくれているようで、気が付くとその教えはもちろん、在り方そのものが浸透していくのを感じていました。そして音読に慣れてきた頃には、彼女の言葉をなりきって読んでいる自分がいたのです。慈しみ深い彼女が相手を想う気持ちを言葉に乗せて読み、その後に出勤すると、せわしない仕事中もその話し方の余韻が残って穏やかに話せたことがしばしばありました。

もうひとつ日常生活での変化があります。家の掃除をする時に録音を聞くようになってから掃除が各段に楽になったのです。それまでは、「今日は掃除の日か。しんどいなぁ」と思ったり、すぐに取り掛かれなかったりしていましたし、掃除の時間がやたらと長く感じてぐったりと疲れていました。ところが、聖典と一緒に掃除をするようになってからあっという間に終わるではありませんか! しかも、ずっと心と体が軽やかなんです。何度もそれを経験するうちに、掃除に対する重たい気持ちが無くなり、むしろ「今日は家をきれいにできる日だ」とさえ感じるようになっていきました。聖典を聞きながらすることで真理が心に沁みわたり、余計な思いを浄化してもらったように思っています。

このような日常でのちょっとした変化はもちろん、想像の及ばないところできっと、聖典の恩寵を受け取っているんだろうなと思います。これからもこの実践を続け、マザーのハートと私のハートがひとつになるまで、心や感覚を聖なるもので満たしていきます。もし私と同じように本を読むのが苦手だったり、聖典の学習の実践が難しいと感じたりしている人がいたら、この機会に一度試してみませんか?

大森みさと


天国と地獄

ある男が死んで黄泉の国に行きました。そこで二つの館を目にします。

一つ目の館では、大勢の人間たちが食卓を囲み、食事をするところでした。彼らの片腕は椅子のひじ掛けに結わえ付けられていて、もう一方の手には長い柄のスプーンがくくり付けられている。彼らは目の前のご馳走を食べようとするのだが、口に運べず、頭に被るやら床に落とすやらで、いら立ち怒りだし、とうとう喧嘩を始めた。彼は、これは地獄だと思って次の館に入ります。

ここでも多くの人間たちが同じように片手を椅子に、片手に長いスプーンをくくり付けられて食事をするところだった。すると彼らは長いスプーンで相手の口に食べ物を運んでいる。もらったものはお返しをする、という具合で皆満足気に喜んでいる。彼は、ここは天国だと思った。

天国と地獄は人の心の中にあります。一つ目の館では、人は「私」と「私のもの」を固持し、自分のことだけを考えて行動する結果、誰も幸せになっていません。二つ目の館では「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げることによって、他者が幸せになり、その場に調和がもたらされ、自らも幸せになりました。

・  ・  ・  ・  ・

自分の欲望よりも、他者の喜びになることを行為することが、その場の調和や円満さを作り、結果的に自分も幸せになる、ということがイメージを通して直感的に理解できる教えです。
イラストに目を戻すと、二つ目の館の人はみんな他者のことを見ています。
イラストを描いてみて、他者のことをよく見ること、それが他者へ自分を捧げる行為への第一歩だと思いました。

(『ヨーガの福音』 愛の真理 より抜粋)

サルヴァーニー


MYM48周年記念 書籍・物販セール開催!!

マハーヨーギー・ミッション48周年を記念して、
書籍、Tシャツ、ポスターなどを特別限定価格にて販売いたします!! 

しかも期間中は3,000円以上送料無料という、マハーヨーギー・ミッション始まって以来??のとてもお得なキャンペーンになっています! 

2024年2月20日(火)~4月20日(土)まで。

詳細はこちらにて。

少しヨーガの本を読んでみたかったけど、なかなか手が伸びなかった方、素敵なオリジナルポスターをお部屋に飾ってみたい方、さりげなく光り輝くアートマンTシャツを着たい方、この機会にぜひぜひお試しくださいませ!!

MYM京都


ホーリー・マザーからの贈り物②

今回このブログのタイトルを「ホーリー・マザーからの贈り物」にしたのは、実際にそのお姿を拝見することやお声を聴くことはできなくても、時間も空間も超えて、今を生きる私に幾つもの贈り物をくださっているように感じたからです。 

 まず、ホーリー・マザーの存在を知ることが聖者の生き様に触れるきっかけとなったこと。
また、ヨーガを学び始めて間もない私にも分かりやすい言葉で真理の教えを語られていること。
 
そして前回のブログで書いた、毎日アーサナや瞑想をする習慣を身に付けられるようになったことも、ホーリー・マザーが与えてくださった贈り物の一つです。 

 
ホーリー・マザーの教えはシンプルなものが多いと思います。私にとって親しみやすく、これならできるかもと実践のきっかけになることが何度もありますが、シンプルな教えだから実践しやすいというわけではないことを痛感したのが、この教えです。 

 「心がすべてです。浄らかに感じるのも、不浄に感じるのも心一つです。心が罪悪感にさいなまれると、他人の欠点を見るようになるのです。欠点を数え上げることで、相手を傷つけられますか?自分を傷つけているだけなのですよ。私には誰の欠点も見ることもできません。小さな親切も覚えておくようにします。人の欠点を見るなんて!許しは素晴らしい信仰の苦行なのです。忍耐よりも高い徳はありません」 

他人の欠点を見ないことを徹底しようとすると、自分の心がどのような状態にあるのか、観察するのが習慣になりました。ところが実践を続けるほどに、この教えを徹底するのは毎日アーサナや瞑想を続けることよりもずっと難しいと気づきました。 

 ホーリー・マザーは純粋で真理を体現された存在だったから、誰の欠点も見ることができなかったのだと思います。 
真実の側から見れば、全ての人は顕れが異なるだけで等しく純粋そのものの存在です。 

ホーリー・マザーの境地にほんの少しでも近付いていけるように、欠点を見ていると気付いたらホーリー・マザーのお顔を思い浮かべるようにしました。 
繰り返しホーリー・マザーの穏やかな表情を思うようにしていると、例えうまくいかなくても心が穏やかさを取り戻すのが早くなったように感じました。また、この教えの中にある、人の欠点を数え上げることは自分を傷つけているだけ、ということが、本当にそうだとはっきり分かるようになりました。相手の欠点を見ることで心はもっと乱されて苦しくなる。心に振り回されると、もうすでに自分の中にある真理から遠ざかってしまいます。 
反対に、この教えの通り、相手がしてくれた小さな親切を覚えておくようにしたり、何か嫌なことをされたとしてもそれを許し過去のこととして囚われないようにしたりすると、心は平安に保たれて、すでに私たちの中にある真理、真実の存在そのものを、ほんのひとときでも実感できるようになります。 
これは日常におけるヨーガの実践の上でとても大切なことではないかと思います。 

私は現在進行形でこの教えを実践中ですが、取り組むほどに何より私自身の心が穏やかになり、幸せを感じるようになっています。 

ホーリー・マザーがすぐそばで力を与えてくださっていると信じています。

 

ハルシャニー  


今を大事に生きる

ヨーガに出会うまでの僕は過去の出来事に心が引きづられることや、その印象を思い出しては一時的に心を悩ませていました。
人との摩擦や状況や環境に対して憤りを感じることも日常的でした。生きていると「うまくいくこと」「うまくいかないこと」様々な時があって、そのつど、自身の心や感情も右往左往していた記憶があります。
ヨーガに出会えて師の教えに触れる中で大事なことに気づかせていただけました。

『過去のことは思い出す必要はありません。全て忘れることです。大事なことはその時です。今というその瞬間だけです。これによって未来は変わっていくわけですから、過去のマイナスも今を大事に生きることで補えることになります。たとえどんなに成功があろうと失敗があろうと、過去は全く何のこともないです。心はいつも感傷的に過去に縋っています。それが煩悩なのです。過去はこうだった、ああだった、良くも悪くもそれは感傷です。そうしてそれはカルマを生み出すものです。』
(「マハーヨーギーの真理のことば」P69より)

僕は今をより良くしたい、変わりたいとも思いました。
過去の出来事や経験を思い返す必要はなく、大切なことは今をどう生きるかということだと教わりました。
自分の考え方や取り組み方次第で、とくに職場の人や状況が良好に変化していったことを実感しました。
今も歩みの途中ですが、このお言葉をこれからも大事に持ち続けて日々を過ごしていきたいと思います。

マハーヨーギーの真理のことば

金森淳哉


『茶の本』〜花への感謝〜

2019年、師シュリー・マハーヨーギーが花瓶のお花を整えられているのを近くで拝見することがありました。しぼんだ花を除いたり、位置を直したりしながら短時間で全体を整えられました。花達が息を吹き返したかのようにシャンとなり、花が浮き上がって鮮明に見えたのを覚えています。純粋にきれいだなと感動しました。
この経験がきっかけとなり、日々の生活で花の美しさに気付くことが増え、徐々に花に興味を持つようになりました。やがて家や職場でも花を飾るようになりました。
そんな折、先輩弟子から岡倉天心の『茶の本』を紹介して頂きました。岡倉天心は明治時代の美術研究者、思想家であり、日本の伝統美術を海外に紹介したことで有名です。インド思想に強い影響を受け、ラビンドラナート・タゴールやヴィヴェーカーナンダとの交流もあったそうです。この本の中で花に関する印象的な記述がありました。

喜びにも悲しみにも、花はわれわれの不断の友である。花とともに飲み、共に食らい、共に歌い、共に踊り、共に戯れる。花を飾って結婚の式をあげ、花をもって命名の式を行なう。(中略) 花なくてどうして生きて行かれよう。花を奪われた世界を考えてみても恐ろしい。病める人の枕べに非常な慰安をもたらし、疲れた人々の闇の世界に喜悦の光をもたらすものではないか。その澄みきった淡い色は、ちょうど美しい子供をしみじみながめていると失われた希望が思い起こされるように、失われようとしている宇宙に対する信念を回復してくれる。われらが土に葬られる時、われらの墓辺を、悲しみに沈んで低徊するものは花である。

『茶の本』 岡倉覚三著 村岡博訳 

花に対する深い洞察に心打たれます。また、他の部分では花を生き物として大切に扱うことを説いており、花への感謝、愛も表現されています。今まで気付きませんでしたが、私達は生活の色々な場面で花から癒しを頂いています。もしもこの世界に花がなかったら──春に桜がなかったら、卒業式や入学式に花束がなかったら、きっと味気ないものとなるでしょう。そう思うと花への感謝が湧き上がってきますね。それは生きとし生ける全てのものへの感謝へと広がるでしょう。

まだ夜明け前、静かな朝、座って目を閉じます。私は誰か、真実とは何かを探ります。気付きが与えられる時、無駄なものが溶け、安らかさが訪れます。自然と感謝が沸き起こります。

私達は互いに助け合って生きています。
それを忘れずにいたいと思います。

島本廉