グルの不思議な導き!

3月末、会員向けの瞑想専科「ヨーギーを目指して12回コース」が最終回を迎えました。最後のサーナンダさんのお話の中で、「グル(師)は真剣に道を歩もうとしている人が速やかに歩んでいけるように、障害を取り除き道を整えてくださる。弟子が自らのカルマを速やかに果たして歩めるように、弟子を導かれる。」とありました。
それを聞いて、私自身に起きた出来事を思い出しました。

いつの間にか芍薬の花が咲く季節になりました。

12年前に師の下でヨーガを学ぶために、東京から京都に通い始めた頃、私は鍼灸専門学校の学生でした。基礎的なことは学内で学べましたが、技術的なことなどは学内で教わるには限界があり、在学中から学外の勉強会で学んだり、師弟関係を結んで先輩鍼灸師から学ぶ人が多くいました。
私の場合、最終学年を迎える頃になってもこれだと思える勉強会がなく、師匠と慕えるような方との出会いもなく、宙ぶらりんな状態でした。
ヨギさんに2回目にお会いしたのは学校の春休み中のことでした。サットサンガが終わった後、ある先輩グルバイ(兄弟姉妹弟子)から、インドでは霊性のグルと、世の中で生きていくのに必要な技術を教わるためのグルの、2人のグルがいるという考え方があると聞きました。
翌日は個人的にヨギさんにお会いすることになっていたため、このことも質問してみようと思い、アーシュラマへ向かいました。

私は、「ヨギさんを霊性のグルと思っても構いませんか?」とお伺いしました。
ヨギさんはにっこり微笑まれて「いいですよ!」とお答えになりました。
嬉しくて胸がいっぱいになりながらも、続けて、もう1人の技術を教わるためのグルについて質問しました。今私にはそう呼べる方がいないが、そういう存在は必要なのか、お伺いしました。ヨギさんは少し間をおいてからお答えになりました。
「確かにインドではそう考えられているけれど、気にしなくても必要があればこれから現れるかもしれないし、もしかしたらもう出会っているかもしれないよ。」と、最後に満面の笑顔で私の方を見てくださいました。

東京に戻って程なくして、最終学年の授業が始まりました。ヨギさんの言葉は頭の片隅にありましたが、それほど意識することなく過ごしていました。
ある日実技指導の先生から、放課後に行なう勉強会のまとめ役をしてほしいと依頼されました。なんで私が?と思いつつ、仕事のためできないとお断りしたら、何とか引き受けてほしいと再度依頼されました。私じゃないとダメなのかな?と納得できないまま仕事に行ったら、無理だと思っていた仕事の調整がうまくいき、まとめ役を引き受け勉強会に参加する運びとなりました。正直仕方なく参加し始めた勉強会でしたが、私はこの先生の人柄と技術に惹かれ、2ヶ月後に弟子入り志願することになったのです。

無事弟子入りが決まり、真っ先に浮かんだのが、ヨギさんの満面の笑顔でした。
私はこの先生にすでに出会っていましたが、最終学年になるまで授業を受けることがありませんでした。”これから現れるかもしれないし、もう出会っているかもしれないよ。”・・・ヨギさんの言葉が頭の中で響いていました。この出会いがなければ、私は鍼灸師として自立するのは難しい状況であったと思います。技術のグルも私の人生には必要で、それをヨギさんが導いてくださったとしか思えないのです。
この出来事を思い出す度に、ああ、ヨギさんはこんな些細な悩みですらも速やかに解決できるように導いてくださったのだ、と胸が震えます。

やがて自分の鍼灸院を開院できるまでになりました。

グルバイと話していると、ヨギさんからそれぞれにバラエティに富んだ導き方をされていることに驚くばかりです。そのエピソードを話すグルバイの表情は生き生きと、全身から歓びが溢れ出ていて、聴いているこちらまで歓びに満たされます。生まれ育った環境は様々、ヨギさんとお会いした時期もそれぞれですが、どの人に対しても平等に、絶妙なタイミングで導いてくださっていることが分かります。 いつ何時でも優しく愛をもって接してくださっているヨギさんとの間に起きた出来事一つ一つが、私たちにとって尊くかけがえのない宝物です。私たちはすでにたくさんの宝物で満たされています。時に忘れてしまうことがあったとしても、それは事実であり消えることはありません。
弟子一人一人に対してどれだけヨギさんが関わってくださっていて、どれだけ与え続けてくださっているのかを思い知り、言葉にならないヨギさんへの感謝の想いが溢れて、いてもたってもいられなくなりました。

私もいつかヨギさんのような行為を、ほんの少しでもできるようになりますように!

ハルシャニー


キールタンを歌おう!

4月の上旬、久しぶりにお家で一人でキールタンを歌っていました。新型コロナウィルスの感染が日本でも次第に拡大し始めていた頃です。バクティ・サンガムは2月末からしばらくお休みとなり、日常生活でも、さまざまなことが先の見えない規制の下におかれました。私自身も次第に歌うことから離れていましたが、それでも、こんな時こそ師の教えに従って、どんな時でも同じであれるように頑張ろう!と、日々黙々と、淡々と日常生活を送っている・・・つもりでした。

でも、キールタンを歌い始めた時、一瞬にして神の御名の鮮明な歓びが私の中を駆け抜け、強い感動に震えました。まるで体中の細胞が生き返ったかのようでした。そうだ!この歓びだった! 私の中に、歓びの火種が戻ってきました。私は自分が今までどれほど多くのものをキールタンから与えられ、また自分が支えられてきたのかを思い出しました。そしてキールタンを忘れていたことを、ちょっと反省しました汗。

そのあと、バクティ・サンガムを共に行なっているヨーガダンダさんにご協力をお願いし、まだまだ不慣れではありますが、キールタンのコラボ動画を少しずつですが作り始めました。キールタンを歌うと、歓びの源泉に触れることができます。それは神の本質であり、私たちの本質でもあるそうです。お家にいても、時々は思い出して、いろんな方にキールタンを歌ってほしい。

今回は誰でも歌える、そして多くの方から愛されている、「ハレ・クリシュナ」という簡単な曲にしました。

もし、もっとしっかりと一曲を歌いたい!という方には、フルバージョンもございます!
こちらの  you tube  full version  へ!)

関西では緊急事態宣言は解除されましたが、みんなと一緒に集ってキールタンが歌える日は、まだ少し先かもしれません。でも、また次に集える時には、自分自身が少しでもヨーガが深められているよう、がんばっていきたいと思います。

 


ミラバイ


偉大なバクタ ミーラー・バーイー

最近家にいる時間が多くなり『ミーラー・バジャン』をゆっくり味わうように読んでいます。
ミーラー・バジャンとは中世のインドに生きた聖女ミーラー・バーイー(1498-1546)がクリシュナ神に捧げた愛の歌、讃美歌集です。日本ではあまり知られていませんが、インドでは教科書にも載っており知らない人がいないほど有名で、マハトマ・ガンディーも彼女の歌を愛されてよく歌われたそうです。

以前、ミーラー・バジャンをよく読んでいた頃は、ミーラーのクリシュナへの純粋な愛や何ものをも恐れぬ神への信仰心に憧れ、また詩の情景や言葉の美しさに惹かれて読んでいました。今回改めて読んでみると、そのほとんどが苦しみの中にあった生涯で、ただ唯一クリシュナだけを求め続けたミーラーの心情が私の中に流れ込んでくるように感じました。

長く戦乱が続くラージャスターン地方の小国の王女として生まれたミーラーの人生は苦難の連続でした。強国だった隣国の王子と政略結婚を余儀なくされ、夫の戦死後は婚家で迫害を受け続けました。何度も命を狙われることさえあったようです。その理由として、当時のインド社会では夫を亡くした女性は婚家で疎まれたことに加え、ミーラーが婚家の宗教に改宗することなく、幼い頃から信じていたクリシュナ神だけを愛し、婚家の妃としての役割を果たさなかったことにあったようです。

ミーラー・バジャンには、クリシュナへの純粋な愛や献身を歌った詩やクリシュナの愛に満たされる歓びを歌った詩もありますが、クリシュナを求め続けてもなおクリシュナとの合一を果たせない苦しみを詠んだ詩が多くあります。
苦難に次ぐ苦難の日々の中でクリシュナだけを求めるミーラー。クリシュナの愛に満たされたと思った次の瞬間にはクリシュナの面影は跡形もなく消え去ってしまう─。
次の詩からはそんなミーラーの心情が伝わってきます。

なぜに 私は眠りえん

恋人を待ち 見続けて
夜はすぎゆき 朝となり
友はみな来て 諭せども
なぜに 心は聞きえよう
主に逢えぬなら 眠りえようか
心は嘆きに 満たされて
体は細りて 途方に暮れて
主よ 主よ と口は語るのみ
内なる苦しみ 寂しさの
痛みは 誰が知りえよう
チャータクが 幾度も呼ぶように
魚が 水を求むように
ミーラは眠れぬ 悲しくて
心は すべて 忘れるほどに

※チャータク(鳥)の鳴き声は“恋人よ”と聞こえる

美莉亜訳『ミラバイ訳詩集』より

クリシュナへの愛だけに生き、すべてをクリシュナに捧げ尽くして「私」というものがなくなったミーラーの最期は、クリシュナの像に吸い込まれて永遠にクリシュナと一つになったという伝説が残っています。

キールタンに出会って、バクティ・ヨーガを知った頃は神に至る道には歓びだけがあるように見えましたが、プレーマと呼ばれる真の愛を実現するまでには、心から神を愛し求めるが故の渇望の苦しみや、さまざまな内的葛藤を乗り越えるための揺るぎない信仰心を持つ必要があることを強く感じています。
今、私たちはミーラー・バーイーが生きた時代、国、取り巻く状況もまったく異なる世界に生きていますが、500年前のインドに実際に生きた偉大なバクタ、ミーラーの息吹がどうぞ私の中で力強く息づきますように!と、心から願わずにはいられなくなりました。

シャルミニー


愛だけがある

新緑が美しい季節となりました。あまり外出もままならない今日この頃ですが、街の所々に可愛らしい花や虫たちが顔を覗かせ、目を楽しませてくれています。

ここは京都御所

さて、前回ゴーパーラさんのブログ記事を読んで、私も久しぶりに『In The Cave With The Master』DVDを観てみましたところ、そこには求道者にアーサナを伝授するめちゃくちゃ格好いいヨギさんが映っていて、目が釘付けになりました!

気品のあるお声、柔和なお顔、凜とした眼差し、そして難易度の高いアーサナを何の躊躇もなく軽々と、文字通り肉体を道具のように簡単に扱われるお姿。弟子を気遣われ、慈愛深く接するお姿。もう、何もかもがすごい。完璧。愛に溢れて愛の中で自分も洗って頂き、見終わった後はくらくら〜となりました。DVDを何年も観なかったことを悔やみつつ、改めてヨギさんの深遠さを感じました(観たことがない方は絶対観ることをお勧めします!)。

2006年に大阪でサットサンガが行われ、その時初めてヨギさんにお会いする機会を頂いたのですが、それがちょうどDVD映像の紹介が行われた時でした。DVDについてコメントを求められたアーナンダマーリーさんが、やっとの思いを絞り出すように『まったくエゴがない作品です』と言われ、その限りなく純粋な佇まいに魅了されました。ヨーガって美しい!まったくエゴのないその美しさこそ真に私が求めていたものだ!と、道が開けた気がしました。

ヨギさんがこの世で理想の生き方を私たちに示してくださり、生きる希望を常に与え続けてくださっていることに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。神様がいてくださって本当によかった。

最後に、最近読んで心に残ったヴィヴェーカーナンダの言葉をご紹介します。

私たちの神への愛がこの世にどんな善をなすだろう、などという愚かな質問はけっしてしてはならない。世界のことは放っておきなさい。愛するのだ。疑問をはさまず、愛して、それ以上何も求めないことである。愛しなさい。そしてすべての「……主義」を忘れるのだ。愛の杯を飲んで、酔いしれなさい。「私はおん身のもの、おお永遠におん身のもの、おお主よ」と言って、他のすべてを忘れて没入するのだ。まさに神のエッセンスは愛である。親ネコが子ネコをかわいがっているのを見たら、立ちどまり、そして祈るのだ。神がそこに顕現しておられることを、文字通り信じるのだ。「私は『あなたのもの』でございます、私は『あなたのもの』でございます」そう繰り返しなさい。神はあらゆる所に見ることができる。「彼」を捜し求めるのではない。ただ「彼」を見なさい。「世界の光であり、宇宙の魂である主が、永遠に、あなたを守って下さいますように!(スワミヴィヴェーカーナンダ『インスパイアードトークス』より)

神がいてくださって、そして神を想う肉体がある。与えられた命に感謝して、味わいたいです。

                                 アマラー


ヨーガ・アーサナのポイント

最近、私はサマコーナ・アーサナ(両開脚の形)をしても、お尻が地面に付かなくなりました。
プラーナーヤーマ(呼吸法)を取り入れ、アーサナの時間を減らしてサマコーナをしなくなったら、すぐにできなくなってしまいました。。😓
まぁなぜ、こんな話をするかというと、アーサナのことをちょっと話したいからです。

鴨川でデモンストレーションしていた時の懐かしい写真です〜!(2015年6月)

アーサナを10年くらい続けていると、できるポーズも増えてきます。
「ゴーパーラさんは、痛いと感じるポーズはないのですか? 最初からアーサナできたのですか?」と聞かれることがありますが、「いや、そんなことはない」と答えます。
もともと体は硬く、身体測定で前屈をしても、「マイナス17センチ」とかの記録でした。
なので、アーサナを始めてから最初の数年間は、重い身体を引きずるように行なっていました。
徐々に身体と呼吸がアーサナに慣れ始め、アーサナをすることに気負いや抵抗のようなものはなくなっていきましたが、ルーティンワークのようになってしまう時もありました。
ただそんな中、アーサナへの向上心を持ち続けるターニングポイントのようなものが、二度あったように思います。

一度目は2015年11月の『The Eternal Questー永遠の探求ー』に出演させていただいたことです。
形には慣れ、アドバンス(高度)のものも少し行なっていた時期でしたが、このイベントでアーサナと向き合ったことで、ポーズを完成させるためには、いくつかの「ポイント」があるということを実感しました。
例えばサマコーナ・アーサナ(両開脚の形)であれば、まず手にしっかりと体重をあずけ、腰を入れてお尻の位置を変えずに重心を上体の方に移行し、その重みで足を開いて踵を立てる。
心というのは厄介なもので、どうしてもお尻が地面に付くこと、つまり結果を求めてしまいます。
形や結果に執らわれずに、呼吸を調え、ポイントをしっかりと意識して丁寧にアーサナを行なう。
これは先輩がクラスで指導されていた内容でありましたが、最終ポイントに至るにはいくつかのポイントがあることを身をもって感じたのでした。

二度目は、2016年末から2年ほど行なっていただいた「師の直伝クラス」でした。
直伝クラスでの師は、細かいことはおっしゃらず、いろんなアドバンスに挑戦するように促されました。
そうすると、できないと思っていたアドバンスがスッとできるようになったり、できないものも少しでもできるようにがんばれたのでした。
シャラバ・アーサナ(バッタの形)のアドバンスができないでいる時に師は、「なかなかできひんな。でも、そのうちできるようになるやろ!」とおっしゃられることもあり、その二年間の直伝クラスは、師のお言葉や視線、クラス中の一挙手一投足が私を奮い立たせたのでした。

ヨーガの一部門のアーサナだけ見ても、師の導きは至極、積極的であります。
できていても、できなくても、前に進めてくれるダイナミックな歩みだとすごく感じます。
最近、久しぶりに私は『In The Cave With The Master』のDVDを観ました。
師はアーサナ自体が15年振り、また30年振りにしたというアドバンスのアーサナを軽々とこなしておりました。
これは本当に「驚愕」の映像です。(まだ見ていない人は見るべし!)
私は1カ月も経たないうちにサマコーナができなくなっていたので「この差はいったい何だろうか……」と思わずにはいられませんでしたが、最近読み返した『図解 ヨーガ・アーサナ 基本編』の冒頭には、

「ヨーガとは、本当の自分を実現することです」

と書かれてありました。

「過去や形には執らわれたら、ダメだな」と前向きに捉え、今はヨーガの最大の的(ポイント)「本当の自分」に一点集中を試みている最中です。

『In The Cave With The Master』『図解 ヨーガ・アーサナ 基本編』をまだお持ちでない方は、クラス休講中の折、ぜひこの機会にご覧になってください!(👈こちらをクリック)

ゴーパーラ   


さまらさ 3分間クッキング

お家にいる時間が長くなったという方も多いこの頃、お家で食事をする機会も確実に増えていますよね。毎日の献立に悩む、ご飯作りに疲れた・・という声も聞こえてきます。そこで、今回は手軽に作れるさまらさのスパニッシュオムレツを動画でご紹介します。材料は、じゃがいも、玉ねぎ、卵、オリーブオイル、塩と至ってシンプル、お家にある材料ですぐに作れます。

ご紹介したものは、底の円の直径が14cm、外側の円の直径が19cmの小ぶりのフライパンで作っています。大きいフライパンで作るときは、卵の数や具材の量を調整してください。また、オムレツをひっくり返すとき、大きくて難しいときはお皿を使うなど工夫してくださいね。

ここからはアレンジ編!
①具材を変えて色々作れます。まず私がよくするのは、冷蔵庫の中で微妙な量残っている野菜を使い切り作戦。結局のところ、何の野菜を入れても作れるのです。きのこ類、根菜、葉物、トマトどれも大丈夫!!!その他、野菜だけではなくてもいいです。変わり種だと、納豆、大豆、ひじき、わかめ、などなど、野菜以外の食材も入れて焼くことができます。

②オムレツを焼くとき、とろけるチーズをフライパンに敷き、その上に卵液(具材が入ったもの)を流し込んで焼くというのもオススメです。少し強めの火で焼くと、チーズがカリッと仕上がり、美味しいですよ。とろーりしたチーズを楽しみたい方は、卵液にチースを混ぜて焼くといいでしょうね。

③もう一つは、加工した食材を使うもの。カレー、ラタトゥイユ、ポテトサラダなど、すでに出来上がっている料理を卵液と一緒に混ぜて焼くと、オムレツに大変身することができます。なかなかのアレンジで、見た目も新たに美味しくいただけますよ。味付けもいらないので、混ぜて焼くだけです。

困った時のスパニッシュオムレツ!ぜひ、各お家でいろいろなアイディアで作ってみてくださいね。さまらさでは月一回レシピを公開しています。今月はインドカレーを紹介しています。ぜひこちらもご覧ください!
https://www.mahayogi.org/classes/samarasa-web


心をピカピカに磨く!

ヨーガを実践する上で、大切にしている教えがあります。それは、「真実は既に自分の中にある」ということ。ヨギさんはこの教えを繰り返しおっしゃってくださいますが、耳にする度に胸が高鳴ります。この真実があるから私は生きているんだ!ハートの奥底から力がみなぎってくるのです。
ところが日常生活を送っていると、いつの間にかこのことを忘れてしまい、目の前のことに振り回されてしまっていることに気付きます。クラスやサットサンガが休止状態になってからは、この教えで胸がいっぱいになっている時よりも、忘れている時の方が多くなっていました。だから言い聞かせるように心の中で唱えるようにして、唱えること自体を忘れてしまうことがあっても気にせずに可能な限り続けていました。
そうして過ごすうちに、「真実は既に自分の中にある」ことを忘れてしまう原因に思い当たりました。

それは、「真実」が本当に自分の中にあると信じられていないからなのではないか?
自分には無理…まだできない…そういった心の思いが、曇ったガラスのように真実を覆って見えなくしているからではないかと思いました。

「真実」は物体のように手を伸ばして掴めるわけではありません。
真実は掴むものではなくて、体感するもの。体感するためには、心の思いで曇ったガラスをピカピカに磨いて綺麗にすることが必要なのではないかと思い至りました。

では、どうすれば曇ったガラスを磨いて綺麗にできるのか?
何か手がかりはないかと、これまで参加したクラスやサットサンガの中で印象に残って自分で書き留めたメモ、聖典、等々、これまで以上に意識して読み返しました。そうしている中で、『ヨーガの福音』のある一文が目に飛び込んできました。

”心も複合物です。エゴや知性や想念や記憶などさまざまなものによって成り立っていますから。
心は心のためにあるのではなく、他者のためにあるのです。主人である本当の自己のためです。”

何度も何度も読んで十分に知っているはずなのに、今回初めて胸の中にすぅーっと入ってきて、ストンと音がしたと感じるほど、腑に落ちました。

心は主人である本当の自己のためにある。これこそが「真実」であり、これだけを信じて進むのみ。他の思いは一切いらない!
曇ったガラスをきれいに磨き上げるには具体的に何をすればいいのか、数日間ずっと考え続けているうちに、自然と心が「真実」に集中されていたのかもしれません。
自分で勝手にいろいろ考えて自信をなくしたり、できないと諦めたり、心というのは本当に厄介なものだと手を焼くところがあったのですが、何かに依りかかることでしか存在できないようなものだから、たいしたことではないと感じられました。そして心を構成するものをエゴに依るものではなく真実に拠るものにすればいいだけ。そう思えるようになりました。

「真実」は 純粋そのもので、普遍的なもの、永遠に変わらないものです。
対してエゴから生まれる思いは純粋ではありません。それは人によって異なるし、過去に経験してきたことなどによって物事を判断するので、その時々の条件で変化します。
条件によって変化する「私」というエゴ意識をなくすことができれば、心の思いは純粋なものとなり、「真実」に近づくことになります。
これも何度も繰り返し教わってきたことですが、エゴをなくそうと頑張ってもなかなか簡単にはいきません。自分が憧れている具体的な存在だったり、聖典の言葉1つだったり、まず1つのことを足がかりにしてそれに倣うようにすることで「真実」へ近づき、一点集中へと繋がる。それが曇ったガラスを磨いて綺麗にする行程ではないか。ガラスを磨いて綺麗になった暁には「私」という思いはなくなり、覆い隠されていた「真実」がありありと見えるようになるのではないかと感じました。

真実がクリアに見えるようになると、真実という対象が明確になり、自分がどう行為すべきかも明確になる。それ(真実)しか見えなくなったら、どのような手段を取ってもそこに辿り着ける。最終的には覆っていたガラスが砕け散って真実と一つになれる。
身体の奥底から、強い確信のようなものが湧いてきました。

いつも私たちを真実へと力強く辛抱強く導き続けてくださっている、ヨギさん。
時間や距離は何も関係ないと、そのお姿が目の前にある時もない時も、常に私たちと共にある
と言ってくださっていますが、ヨギさんが力強く真実へと手を取り引っ張ってくださったよう
に感じた出来事でした。

きっとグルバイ(兄弟姉妹弟子)のみなさんもそれぞれの場所でヨーガの実践を続けられていることと思います。
今は一人一人が自分と向き合い、すでに学んだことを淡々と実践する時期なのかもしれません。
みんなで集まれる機会はまだ少し先になりそうですが、今できることをやり続けつつ、少しでも成長してその日を迎えられたらと思っています。

 

ハルシャニー


子育ても家事も仕事もぜんぶがヨーガになる!

ママ・ヨーギニーの皆さま、今年の春休みはとーっても長いですね!毎日いかがお過ごしですか?まだ小さなお子さんがいらっしゃるお母さんはお休みなど関係なく、ずっとお子さんと一緒という方もおられることでしょう。外出を控えて家族みんなが家にいる時間が増えた方も多いのではないでしょうか。そうすると、必然的に家事が増えますよねー。あり余る子どものパワーを分けて欲しいくらいですが、大人にはホッとできる静かな時間も必要ですよね。もちろん、家族との時間がゆっくり取れるいい機会だという方もおられると思います。

私が横浜の方で担当させていただいているヨーガサークルも、先月から新型コロナウィルスの感染防止の為にお休みが続いています。先日、皆さんにご様子をお伺いしたところ、クラスに15年以上通われている小6中2高2の三人のお子さんがいらっしゃるお母さんから「ストレス・マックスです」とお返事が返ってきました。そしてその続きには「少しでも自分の時間を作ってアーサナをしたいと思います。皆さん、頑張りましょう!」とありました。長年続けてこられている方だけあってさすがだなぁーと、とても励まされました。

瞑想中の横浜のヨーガ・サークルの皆さん

私には今社会人と高校生の娘がいますが、実は子育て真っ只中の頃、自分の時間が取れず「ヨーガなんて出来ない!」と諦めていた時期があります。その頃はまだマハーヨーギー・ミッションにも師にも出会っておらず、ヨーガ=アーサナ(ポーズ)や呼吸法をすることだと思っていたのです。今、振り返るといつでもヨーガは出来たのに…と、少し勿体ないような気持ちになります。

例えば、ラージャ・ヨーガの一番始めにあるヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)は、日常生活の中でこそ行なわれるべきとても大切な基本の教えですし、家事や仕事、また一番身近な家族や自分の周りの人に対しての日々の行為をカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)にすることが出来ます。

そして、何よりも師に教えていただいたバクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)をその頃に知っていたら!聖典を読む時間がなくても、ベイビークリシュナにそうするように喜んで娘たちに絵本を読んで、子守唄にはキールタンを歌ったことでしょう。仕事から疲れて帰宅した夫をクリシュナを見るラーダー(クリシュナの愛人)のような笑顔で出迎え、時折、カーリー女神のように我を忘れ地球を破壊するほど怒って、うっかり夫を踏んづけてしまいそうになっても!?ハッと我に返り、ペロッと舌を出してすぐ素直にごめんなさいと言えたことでしょう!

幼子クリシュナ神と養母ヤショーダ。神を愛する態度の一つに、母が子を愛するように、神を我が子のように愛する母親の態度があります。クリシュナは偉大な神の化身でしたが、恩寵によってヤショーダは神の偉大な面ではなく、ただ愛しい我が子を愛するように、愛そのものである幼子クリシュナを愛し献身したのでした。

カーリー女神は悪魔の軍勢(人間の無知)との我を忘れるほどの激しい戦いに勝利し、その歓喜の踊りで大地が破壊されそうになりました。そこで夫のシヴァ神がカーリーの足元に横たわり自らがクッションに!夫を踏みつけたカーリーはやっと我に返りペロリと舌を出しました。

ヨーガでは、この世界のすべてに神が顕現していると言われます。たとえ、今の私にまだそれを見ることが出来なかったとしても、どんな時も全てのものの中に神を見よう、見たい!と思う時、子育ても家事も仕事も、家族や周りの人との関わり方に至るまで、毎日の生活全部がヨーガになっていくのだなぁと、感じています。

今、世界中が先の見えない状況にありますが、私の師は「どんな時でも、誰にでもヨーガは出来ます」と教えて下さいます。その時その時、それぞれの人の置かれた立場の中で実践出来ることが必ずあると思います。一人一人別々の場所にいたとしても、共にヨーガを学び、共に実践していきましょう!

シャルミニー/東京


情熱を持って前進しよう!

2020年の春、世界は一変し、大きな衝撃と苦難に突然直面することになりました——世界中に広がった新型コロナウイルス感染症パンデミック。台湾は、幸運にもまだ深刻ではないレベルに抑えられており、台北と台中のアーサナクラスは続けられていますが、国中に不安な雰囲気が漂っていると感じます。
そんな中、疫病の威迫に負けず、4月11日土曜日の午後、台北の15名のグルバイは祝祭に参加する気持ちでアーナンダ・アーシュラマ(台北)に集まりました。みんなで一緒に2019年4月京都で行なわれた春の祝祭、サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーの映像を視聴させていただきました。

アーナンダ・アーシュラマの白い壁に投影された映像。祝祭が始まりました。プレーマ・アーシュラマ(京都)にお入りになり、台座にお座りになったヨギさん。弟子から奉納されたマーラー(花輪の献上)とプージャ(礼拝)。みんな、神聖な儀式とヨギさんの慈愛に満ちた穏やかなお姿に心を奪われました。映像は、壁に映された二次元の投影像ではなく、まるでVR(ヴァーチャルリアリティー:仮想現実の立体空間)のように立体になり、本当にありありと感じ取ることができました。プレーマ・アーシュラマのその空間はアーナンダ・アーシュラマと繋がるようになり、ヨギさんは前方に座られて私たちをご覧になって無限に優しいダルシャンを与えてくださいました。

祝祭では8人の先輩がメッセージを奉納し、色んな方面と角度からシュリー・ラーマクリシュナを紹介してくださいました。台北でもプリヤーがこの大聖者の物語と教えをずっと紹介し続けてきていますから、馴染みのない存在ではありません。でも先輩のメッセージから、先輩たち自身の探求や修行とシュリー・ラーマクリシュナに繋がりがあったことを知り、そして先輩たちの情熱に満ちて素直で一心で同時にとても謙虚な姿を見て、深く感銘を受けました。 

祝祭の半ばでサティヤーさんのメッセージの最後に、『ラーマクリシュナの福音』の一節が再現されました。プレーマ・アーシュラマにいるグルバイたちがハレー・クリシュナを歌い、アーナンダ・アーシュラマにいて映像を観る私たちも一緒に歌って、両者の歌声は一つになりました。そして共に笑って涙も流して、一緒にヨギさんを見つめ、一緒にドッキネッショルを感じて、一緒に喜びに浸って、まるでコルカタと京都と台北の間にはもう境がないようでした。150年前と去年と今この時にも時間の遠近がないようでした。祝祭の最後、みんなでヨギさんに従って一緒にOm Tat Sat Omを唱える時、その感覚がもう一度呼び起こされました。

時空は一つになり、一緒に歌ったキールタン!

3時間ほどの間、ヨギさんだけが在り、シュリー・ラーマクリシュナだけが在り、喜びと感動しかありませんでした。疫病の蔓延の今、これはどれほど貴重であり、どれほど幸運でしょう!騒然としている外の環境によって物騒がしくなった心は、この時間の中で安堵しました。この映像を制作して配信してくださったマハーヨーギー・ミッションと先輩たちに言葉にならないほど感謝いたします。

上映会が終わった後、グルバイたちは一緒に晩ご飯を食べて感想を分かち合いました。何人もがメッセージで話された「神の召使い」「神の道具」という言葉が印象深かったようです。そして奉仕と言っても、よくエゴを持っていた、神の召使いや道具になりたいと言っても、情熱と信仰を高めなくて口だけだったという自分の行為に反省した人もいました。それでも、自分にはまだ遠いとか、自分にはできないとか思わないで、情熱をもって前進しよう、先輩に見習い一歩ずつ真実に近づこうと、みんなでお互いに励まし合いました。

あるグルバイが言いました——去年の秋に京都から帰ってきてから、人生に期待していたことを手放しました。チャイタニヤさんのメッセージの中の「結婚しました!子供ができました!家を買いました!」のようなことを手放してから、楽に感じました。自分がどんな人生を過ごしたいのかを改めて考えました。

どんな人生を求めるのか?見返してみると、メッセージの中で生き様という言葉がよく出てきました。シュリー・ラーマクリシュナの生き様、ラトゥの生き様、神だけを見て神だけを思う生き様、人の喜びを糧にする生き様…こんなにたくさんの見習える手本があります!それはライフスタイルだけではなく、それは全てのスタイルを超えたスタイル、それは真実を生きる、ヨーガを生きることだ! ブラボー!!!

 

日本のグルバイのメッセージは、プリヤー(右)とマールラー(左)で通訳して紹介しました。

マールラー/台中


執着なき、純粋な働き

自粛要請が続き、ヨギさんや先輩グルバイにもお会いできない中、昨年の春の祝祭の動画を視聴させていただき、とても大きな励みになりました。(昨春祝祭のブログはこちら→2019春の祝祭
ヨギさんの慈愛に満ちた優しい眼差しや参加者の皆さんの喜びの熱を感じ、私自身もまさに会場にいるような、至福の時間を過ごすことができました。

昨年2019年4月7日(日)、満開の桜が咲き誇る中で開催された春の祝祭サナータナ・ダルマ アヴァターラ  メーラー。今年は残念ながら中止になってしまったのですが、祝祭参加者に向けて昨年の祝祭の模様が全編映像配信されました。私は祝祭の式典には参加できなかったため、このような機会をいただき、本当にうれしかったです。(動画の一場面)

昨年の祝祭では、19世紀後半の神の化身シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの悟りと生きざまに焦点を当て、8名のグルバイ(兄弟姉妹弟子)たちからスピーチが捧げられました。ラーマクリシュナの魂に触れ、その存在すら感じられるような熱い思いが迸るスピーチでした!

今回の祝祭の動画から強く感じたのは、ヨギさんの決して変わることのない確かな導きとグルバイの皆さんの神への信仰と愛、そして悟りへの強い決意でした。

ヨギさんから多くの教えをいただきながら、なぜ私は皆さんのように、真理の道に邁進することができていないのか?自分の未熟さが情けなくもありましたが、動画の中で目標とする姿を目の当たりにし、もっと自分のエゴと向き合い、純粋になっていきたいと志を新たにすることができました。

また最近では、新型コロナウイルスの問題を機に、自分自身が果たすべき義務や働きは何なのかということを真剣に考えるようになっていました。
今までは、母として妻として家庭を大切にし、家族のためにより良い家庭環境を作ることが自分の義務であり、それを愛をもって遂行することこそが、何よりのサーダナ(修練)になると考え、その義務以上の働きに対しては、なかなか積極的になることができませんでした。

しかし、先輩グルバイが熱く語られるシュリー・ラーマクリシュナの生涯や生き様、その教えに触れる中で、私は自分の果たすべき義務を、小さな心の領域の中でばかり考えてきたのではないかと、自問せずにはいられませんでした。

シュリー・ラーマクリシュナのあまりにも純粋な働き。
休むことなく、他者のために身を尽くし、働き続けるその無私の行為に、ただただ圧倒されるばかりで、自分がいかに働きの結果に執らわれ、他者に奉仕できる最良の機会を逃し続けてきたのかということが、はっきりと理解できるような気がしました。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは『カルマ・ヨーガ』の中で「筋肉と頭脳から巨大な活動を起こさせよ。しかしそれらをして、魂にいかなる深い印象も刻ませてはならない」と言われています。

世の中は、先の見えない不安や緊張に包まれ、今後ますます、多くの人々が本当の安心を求め、人生の目的や命の意味に立ち返っていかれることでしょう。
そうした方々のために、自分のできる最善を尽くすこと。自らの働きを通して、少しでも多くの方にヨギさんの教えをお伝えしていくことが、弟子としての私の新たな義務ではないだろうかと考えています。

最後に師シュリー・マハーヨーギーよりお言葉がありました。『それぞれの人がそれぞれの状況の中で、真実を悟ることができる。なぜなら、真実はもうすでにそこにあるから。』優しく力強い言葉に胸が熱くなりました。                                                    オーム・タット・サット オーム!

計らいのない純粋な働きによって、多くの善いことを行なえますように。
内なる神に礼拝し、日々精進していきたいと思います。

 

 

田原由美+子供たち/大阪