識別––真理と心を見比べる

ヨーギー「個人的な心が認識している想念や観念というものは、非常に小さくて偏りがあって限定的であるといえるのです。そういう完全ではない観念が心の中にあると、そこからいろんな誤った方向が与えられて、それに執着して、結局心はそれに縛られて苦しんでしまうというのが心理的な構図なのです。それをなくすには根本的な器量の狭い観念そのものを何とかしてあげなければいけない。それには普遍的で間違いのない完全な真理というもの――これは古今東西、永遠に変わらないものとしての価値があります――そういう真理の教えを学ぶことによって、自分の心はそれに沿っているだろうか、それとも反対なのだろうかと突き合わせるわけです。そうすればどちらが正しいのかが分かってきます。そういう擦り合わせというか、真理と自分の心とを見比べる、見合わせる作業を識別といいます。

じっくりそれを考え、そして瞑想すれば、どちらが正しいのかが明らかになります。もし自分の心の中に、あぁ、これは自分の心が偏見をもっていたなとか、不完全だったな、ちょっと間違えていたなというものが見つかれば、それは取り除かれていく。一つの苦しみの原因がなくなっていくわけです。それが識別という、ヨーガの瞑想の中では一つの柱を構成している内容でもあります。

だから聖典を学ぶ、真理を学ぶということは大事なことなのです。そして納得をする。あぁ、そうだ、そうだと思われることがいっぱい出てくると思います。直感的にそうだと思っても、つい心の習慣で反対のことをやっていたなとか、反対のことを思っていたなということに気付かされたりもしますね。そういうこともまた識別になります。そういうふうにして心をより柔軟に、より良くしていくことになるわけです」

2012.9.9