何のために人は生きるのか

ヨーギー「本当に、この地上に暮らしている人類すべてが同様の悩みを抱えていると思います。古代に始まったヨーガも、やはりその問いに答えようとしてきました。何のために生きているのか、それは誰が生きているのか――そこで、私が生きているということになる。ではその私は何なのか。私は誰なのか。生まれて、そうして成長し、この世の中でさまざまな勉強や仕事、あるいは生活をしながら、そうして死んでいく。そこにいったいどんな意味があるのだろう。結局のところ、自分自身が何なのかということを知らない限り、この答えは出てこないものです。

そこでヨーガが見つけた答えは、私という本質は体でもなければ心でもなく、その奥に在る魂である。この魂は体験によって、永遠の存在であるということが教えられています。そしてそれを体験した者の魂と他者の魂、あるいはこの全宇宙の本質として宿っている本体は寸分違わない、全く同じものである。それは二つとないものである。この永遠の存在が、時間と空間という限定されたこの世界の中で生まれては死に、生まれては死にということを繰り返しているにすぎない。その本体を知ることによって、この世の経験からくる儚(はかな)い喜びや苦しみ、悲しみ、そういうものには巻き込まれないようになる。それらはやむを得ず、この世に付託された条件のようなもので、それ相応に対応していけばいい。

それよりも大事なことは、その限定された時間の中だけれども、尊い命という存在のきらめきをみんながもっている、自分自身もそうだということを知ること。そうすることで、最も大切なことを自らが知ったら、それ以外のもの、つまりこの世の経験というものに対してはそれほど巻き込まれなくなる。それが悟りというものであり、また誰もの本質なのだからーー。このことを心に言い聞かせてやる、心はそれを知らないのですから。それが唯一の絶対的な救いとなるはずです」

2012.9.8 京都