イエス・キリスト

イエス・キリスト「偉大になりたい者は下僕となり、筆頭でありたい者は奴隷にならなければいけない。なぜなら、人の子(イエス)も仕えられるためではなく、仕えるために来たからだ。そしてまた、自分の命を多くの人のあがないとして与えるために」。

聖都エルサレムへと向かう道すがらイエスは弟子たちにこう話し、自らに従う者のあるべき姿を説いていた。救世主(メシア)キリストは人々の上に君臨するものではない。広く人類のための福音となり、人々に仕えるためにやって来た存在なのだと。

エルサレムに到着した彼を待ち受けていたものは、律法学者たちの試みだった。一人が尋ねる、「最大の掟とは何ですか」。「第一のものはこれだ。我らの神なる主は、一なる主である。神なる主を、心を尽くし、命を尽くし、想いを尽くし、力を尽くして愛せよ。第二のものはこれだ。隣人を自分自身として愛せよ。これらより大いなる他の掟は存在しない」。邪な試みは失敗し、イエスの魂の大きさにそこにいたすべての人が沈黙したという。

「あなたたちの敵を愛せよ。そうすればあなたたちは天におられる父の子となるであろう。なぜなら父は悪人たちの上にも善人たちの上にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださるからである」。イエスの説く愛は常に完全である。愛に条件はない。条件を付ければ、「あなたたちが量るその秤であなたたちは量られる」ことになるのをイエスは知っていた。

十字架の時は迫る。死を目前に予見して彼は神に祈った、「私の望むことではなく、あなたの望まれることを」。すべてを委ね、イエスはゴルゴダの丘を登る。十字架を担い、自分自身を否み、自分の命を滅ぼし与えるために。――肉体は果てた。しかし偉大なるキリストの生涯は、神や隣人への無条件の愛と、そこから生まれるこの上もない謙虚さを示し、二千年にもわたり人々の心をとらえて放さなかった。「心貧しき者は幸いなり」、すべてを棄てた者こそが最も力強く輝いている。

(絵:ダヤーマティー)