投稿者「Harshani」のアーカイブ

新規開講!東京・国分寺クラスのご紹介

4月から東京・国分寺で新しいクラスが始まりました。

3月までは、私の鍼灸院に来院されている患者さんを対象に開催していました。
2011年に鍼灸院内で少人数のクラスを始めて、その後参加希望者が増えたため、2015年から現在のスタジオに会場を移しました。

お仕事、子育て、介護など、日常生活を忙しく過ごされている中で、30~80代の方が定期的に通ってくださっています。
還暦を過ぎてから始めた方もおられますが、少しずついろいろな形ができるようになり、最近ではシールシャ・アーサナの練習をする方も増えてきました。

スタジオからは大きな桜の木が見えます

2016年からクラスに通われているお2人の方に、クラスの感想を伺ってみました。

・最初は体が硬過ぎ辛い形が多かったけれど、シャヴァ・アーサナをすると全身を気が通り抜けたように感じてびっくりしたことがあります。今もきつい形はあるけれど、後でとてもスッキリして、それがとても気持ち良いです。

・自宅でも出来る限りアーサナをやるようにしているけれど、クラスでやるとしっかり集中できるのがいいと思います。

ヨーガのアーサナ(ポーズ)は年齢を問わず誰でも行なうことができること、柔軟性とアーサナによる効果は関係ないことを、皆さんが証明してくださっているように感じます。

アーサナをした後はシャヴァ・アーサナでリラックス

 

クラスでは10数種類のアーサナを、1人1人の身体の状態に合わせて行います。
アーサナを行うことで、自己治癒力が高まり、身体は生命力に満ち、呼吸は深く安定したリズムへと変化します。
それにより心は落ち着いた穏やかな状態へと導かれ、瞑想に座りやすくなります。
瞑想は、心を対象に集中させることから始めます。その対象と1つになるように集中を深めていきます。
そうすることで、誰もの中にある本当の自分、真実が輝き出すとされています。

興味のある方は、お気軽にご参加くださいね。

クラスの後、桜の前で撮影。お2人とも素敵な笑顔!


クラスの詳細はこちら↓
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ハルシャニー  

 


ホーリー・マザーからの贈り物③

毎日ホーリー・マザーを思うことを始めてから、3ヶ月ほど経ちました。

聖典を読むことでそのお人柄に触れ、1つでも教えを実践するよう努めることで、ホーリー・マザーはたくさんの贈り物を与え続けてくださっています。

日常生活の中で、今しようとしている行為が教えの通りになっているかを確認するようになったこと。
仕事で重要な選択をしなければならない時に、ホーリー・マザーが見守ってくださっているという安心感から、穏やかな気持ちで判断できたこと。
そして、意識している時も意識していない時も、確かにホーリー・マザーは傍にいてくださっているのだと感じてからは、心にピタッとホーリー・マザーのお姿が張り付いたようになったこと。

そうした贈り物は、ホーリー・マザーに近づこうとする人みんなに等しく与えられているのだと思います。


部屋にあるホーリー・マザーのお写真

 

毎月1回開催されている東京の瞑想会では、この3ヶ月、ホーリー・マザーの教えに触れて印象に残ったことや、そこから感じたことを話し合っていました。
ホーリー・マザーにほとんど触れたことがなかった人も、少しずつ聖典を読むことで、親しみを感じるようになった様子が伺えました。

計り知れない内面的な強さを感じた。
人々がどのように信仰を持とうとしていたかを知ることができた。
遠い存在ではなく、私たちと同じ存在なのだと感じた。

様々な感想を聴く中で、特に印象残ったのは、Kさんのお話でした。
『ホーリー・マザーの生涯』を読み、家住者として信仰を求める者として、勇気をもらえた、と話してくれました。本の中に書かれている数々の利他的な行為から感じるものがあり、それは師の教えとも重なり、Kさんにとって大切な気付きへと繋がったそうです。
家族に対して、自分の思いやこだわりをなくして、家族が喜ぶことを行為したい。時にそれが難しいこともあるけれど、誰もの中に神がいると教えてくださっている、それこそが真実だと信じて。
そう話されるKさんの姿に胸を打たれました。きっと、Kさんもホーリー・マザーからの贈り物を受け取られたのだと思いました。


瞑想する前にみんなでホーリー・マザーを讃える歌を歌いました。

聖典から聖者の生き様や教えを学びつつ、こうして志を同じくする仲間と語り合うことで、1人では得られない気付きや学びがあります。

以前先輩グルバイから、神を想い、神に近づいていくほどに、神もこちらに近付いてきてくださるのだと聞きました。
今私たちがホーリー・マザーに少しずつでも近づこうとすることで、ホーリー・マザーはもっともっと私たちへと歩み寄ってくださっている。そのことを瞑想会でのみんなの話を聞いて確信しています。

ハルシャニー  


ホーリー・マザーからの贈り物②

今回このブログのタイトルを「ホーリー・マザーからの贈り物」にしたのは、実際にそのお姿を拝見することやお声を聴くことはできなくても、時間も空間も超えて、今を生きる私に幾つもの贈り物をくださっているように感じたからです。 

 まず、ホーリー・マザーの存在を知ることが聖者の生き様に触れるきっかけとなったこと。
また、ヨーガを学び始めて間もない私にも分かりやすい言葉で真理の教えを語られていること。
 
そして前回のブログで書いた、毎日アーサナや瞑想をする習慣を身に付けられるようになったことも、ホーリー・マザーが与えてくださった贈り物の一つです。 

 
ホーリー・マザーの教えはシンプルなものが多いと思います。私にとって親しみやすく、これならできるかもと実践のきっかけになることが何度もありますが、シンプルな教えだから実践しやすいというわけではないことを痛感したのが、この教えです。 

 「心がすべてです。浄らかに感じるのも、不浄に感じるのも心一つです。心が罪悪感にさいなまれると、他人の欠点を見るようになるのです。欠点を数え上げることで、相手を傷つけられますか?自分を傷つけているだけなのですよ。私には誰の欠点も見ることもできません。小さな親切も覚えておくようにします。人の欠点を見るなんて!許しは素晴らしい信仰の苦行なのです。忍耐よりも高い徳はありません」 

他人の欠点を見ないことを徹底しようとすると、自分の心がどのような状態にあるのか、観察するのが習慣になりました。ところが実践を続けるほどに、この教えを徹底するのは毎日アーサナや瞑想を続けることよりもずっと難しいと気づきました。 

 ホーリー・マザーは純粋で真理を体現された存在だったから、誰の欠点も見ることができなかったのだと思います。 
真実の側から見れば、全ての人は顕れが異なるだけで等しく純粋そのものの存在です。 

ホーリー・マザーの境地にほんの少しでも近付いていけるように、欠点を見ていると気付いたらホーリー・マザーのお顔を思い浮かべるようにしました。 
繰り返しホーリー・マザーの穏やかな表情を思うようにしていると、例えうまくいかなくても心が穏やかさを取り戻すのが早くなったように感じました。また、この教えの中にある、人の欠点を数え上げることは自分を傷つけているだけ、ということが、本当にそうだとはっきり分かるようになりました。相手の欠点を見ることで心はもっと乱されて苦しくなる。心に振り回されると、もうすでに自分の中にある真理から遠ざかってしまいます。 
反対に、この教えの通り、相手がしてくれた小さな親切を覚えておくようにしたり、何か嫌なことをされたとしてもそれを許し過去のこととして囚われないようにしたりすると、心は平安に保たれて、すでに私たちの中にある真理、真実の存在そのものを、ほんのひとときでも実感できるようになります。 
これは日常におけるヨーガの実践の上でとても大切なことではないかと思います。 

私は現在進行形でこの教えを実践中ですが、取り組むほどに何より私自身の心が穏やかになり、幸せを感じるようになっています。 

ホーリー・マザーがすぐそばで力を与えてくださっていると信じています。

 

ハルシャニー  


ホーリー・マザーからの贈り物①

私が初めて真剣に読んだ聖典は、『ホーリー・マザーの生涯』です。

ヨーガをもっと学んでいくには、聖者について書かれた本を読むのもいいと聞き、幾つか本を手にしたものの、そこまで関心を持てずにいました。
他のグルバイのような熱心さが私には持てないのかもしれない…少し焦るような気持ちになっていた頃、出会った本でした。
本を開くとすぐにホーリー・マザーのお写真があるのですが、初めてそのお顔を見た時、なんて穏やかな表情なのだろうと思いました。見ているだけで心が静まるようでした。きっと優しい方だったんだろうな。それが第一印象でした。
この本にはホーリー・マザーの生涯においてのさまざまなエピソードが書かれていますが、理不尽と思われる目にあっても、苦境に立たされても、時に包み込むような優しさを持って、時に毅然として、立ち向かわれる姿がそこにありました。そのことに圧倒されつつも、ホーリー・マザーがどんな人生を送られたのかをもっと知りたくなって、本を読み進めました。

しばらくして、師に質問しました。
「ラーマクリシュナよりもホーリー・マザーに親しみを感じているけれど、それで大丈夫でしょうか?」
師はにっこり微笑まれて仰いました。
「ラーマクリシュナは神であることを隠せなかった。サーラダー・デーヴィー(ホーリー・マザー)はそれを隠していた。だから、もっと親しんでいったらいいよ」

それからは本を読むごとにホーリー・マザーが身近になり、その人柄に惹きつけられるようになっていきました。

当時、特に印象に残った教えがあります。

”もちろん義務は果たさなくてはなりませんよ。そうすることで心を良い状態に保てるのです。でもジャパと瞑想と祈りも必要です、少なくとも朝晩には実践せねばなりません。これは船のような働きをします。夜に祈りの座に着くと、今日一日の行いの善悪を振り返ることができます。それから今日と昨日の心の状態を比べてみるのです。…仕事をするだけで朝晩の瞑想をしないのなら、自分のしていることが正しいのか、間違っているのかどうしてわかりましょうか?”

毎日アーサナや瞑想をすることを困難に感じている私にとって、グサっと刺さる言葉でした。
今の自分にはできない気がする。でも継続して行うことが本当に大切なのだということはよく分かった。どんなに短くてもいい。アーサナ、瞑想を毎日やってみよう!
そう決意するきっかけの一つとなりました。

 

ハルシャニー  

 


謝ることの意味

幼い頃から、私と父は事あるごとにぶつかり、関係を絶った時期もあったほどでした。しかし、ヨーガを実践する中で関係を修復することができ、少しずつ穏やかな交流ができるようになっていきました。

先日のこと、父と会い、仕事のことを中心に近況報告をしていたところ、驚いたことに父の口から昔のことを詫びる言葉が出たのです。 
当時の父は何の仕事をしてもうまくいかず、経済的に厳しい状況が続いていたため、子供である私にも辛く当たってしまったこと、その頃のことを、親として本当に申し訳ないことをした、と話してくれました。 
また、そのようなことがあったにも関わらず、今私がしっかり働いていることが嬉しい、と言いました。 
私は、自分の力で生きていくことの大切さを教わったから、大丈夫、と答えました。 
父は少し微笑んで、今までで一番穏やかな雰囲気で頷いていました。 

私は師の教えを思い出し、読み返しました。 

 

”——もし他者を傷つけてしまった場合、どのようにしたらいいですか。 

誰かを傷つけたということを自覚しているのはよろしいです。可能ならば、その傷つけた相手に謝罪をする。もしできなければ、心の中で謝罪をする。そして二度と同じような行ないをしないように気を付けてください。 

——心の中で謝るのは何のためですか。 

自分のためです。それによって心は一つのカルマを浄化するべきなのです。 

 

もし誰かを傷つけてしまったと気付いたら、直接謝るのが一番だけれど、たとえそれが叶わなかったとしても、自分の行為を振り返り、真剣に反省し、その方に心の底から謝ること。その結果、自分の中の過去との決別がもたらされる。そう師は教えてくださっているのだと思いました。

父はずっと前から私に対して心の中で謝っていたのかもしれません。もしかしたら今回言葉にして直接謝ることで、父は背負ってきた荷物を一つ下ろせたのではないか。そうだったら私も嬉しい。

この出来事で、謝ることの本当の意味と、それを真摯に実践することの大切さを改めて感じました。

父の家の近くの道は、イチョウが落葉して絨毯のようになっていました。

 

 ハルシャニー  

 


神に行為していただくために

私は鍼灸師として、様々な症状を抱えた人に会います。不安や痛みを抱えている人は、自分の中に真実の存在、神がいるとは思いも及ばないような状態です。 
私にできるのは、患者さんが発する言葉に耳を傾け、その気持ちに寄り添い、少しでも楽になってほしいと願って行為することだけです。 
ただ、この思いが強くなりすぎると、こうしたらもっといいのではないか?もっと結果を確実に出すには?と考えてばかりになり、どう行為すべきか定まらなくなることがあります。 

 師はいつも目の前にいる人の話に真剣に耳を傾け、その人にとって必要なことを、一つ一つ丁寧に言葉にして伝えられていました。師の言葉を聴いた人は、悩みや苦しみが消えてホッとしたような表情になったり、明るい表情になったりしていました。その光景を見ているだけで、私の心も洗われるようでした。 

私も、僅かでも師のように行為できるようになりたい。 

私の中にある真実の存在、神である師に行為して頂けるなら、そうした状態の方たちにも、自らの中にも神がいる、と感じてもらえるかもしれない。 
そうすれば、痛みや苦しみを感じているのは本当の自分ではないこと、自らが喜びそのものであることを自覚し、今をより良く生きていけるようになるはず。 
それを実行するためには、私という思いをなくし、目の前にいる人の中におられる神を見て、行為すること。 

師が共にいてくださると想いながら患者さんに触れていると、時折私が行為しているという感覚がなくなっていることがあり、患者さんの表情がハッとするほど晴れやかになったり、安心したような雰囲気に変わったりします。きっと、私の中におられる神、ヨギさんが行為してくださっているのだと思います。 

 一歩一歩ヨギさんに近付いていくことで患者さんのためにもっと良い行為ができると信じ、ご自身の中に神がいることを感じてもらえるよう、日々患者さんに接しています。 

空に向かって真っ直ぐに伸びて咲く、皇帝ダリア。この花を見ると秋の深まりを感じます。

 

 ハルシャニー  

 


ヨーガ・トークス in 東京

先日、東京特別バクティ・サンガムに触れたブログがアップされました。
バクティ・サンガムの後にはヨーガ・トークスも開催されたので、今回はそのことに触れたいと思います。

ヨーガ・トークスには、15名が参加。バクティ・サンガムの講師のミラバイさんを囲み、午前中に開催されたバクティ・サンガムの感想を話すことから会が始まりました。
ミラバイさんと共に座っているだけで、そのプラーナに触れて心が安定するような感じがしました。

ミラバイさんは一人一人の話を真剣に聴かれていました。

発心が揺らぐ場合はどうすればいいのかという質問に対しては、何度も立ち返ることで発心が強くなっていく、と答えられていました。
ヨーガに生きようと覚悟して実践しても、ヨーガではないことをついやってしまう、という悩みに対しては、ヨーガは〇〇をしてはいけない、と制限しているわけではないけれど、それに執着していないかどうかが大切、と話されました。
質問した人はミラバイさんの言葉を聴いてすっきりした表情になったり、笑顔になったり、それは師の元でサットサンガに参加しているのと全く同じでした。ヨーガを学び始めたばかりの人も、久しぶりにヨーガに触れた人にも、それぞれに感じるものがあったかと思います。

私が一番印象に残ったのは、師についてミラバイさんが語られたことです。

グルバイの1人が師のことを話しました。
師がお隠れになった翌月の弟子のサットサンガで、最後にストートラムを歌った時、人の姿をとられたヨギさんにストートラムを捧げることができたことが、いかに吉祥なことであったかを思い知ったと同時に、絶望感、喪失感に苛まれた。

話を聴き終えた後、ミラバイさんはこう仰いました。

師は「存在」という言葉をよく使われた。
存在とは、あったりなかったりするものではない。
目に見えていても見えなくても、確かにあるものを存在という。
師は、真実の存在そのものだった。ということは、師のお姿が見えなくなったから、師は存在しなくなった、とは言えない。
私たちはまだ本当の師を知らないと思う。いつか本当の意味で、師にお会いできるようになりたい。そして私たちが今できることは、師の存在と教えを残して、一人でも多くの方に伝えていくということ、そのために自分ができることを行為していきたい。

一言一言を丁寧に語ってくださる声は、耳から入ってきているのだけれど、直接胸の中に響いてくるようでした。
そしてその目は、真っ直ぐ師を見つめられているように感じられました。
話の内容だけでなく、ミラバイさんの身体全体から力強く伝わってくるものがあり、私もそうありたいと強く憧れる思いが溢れ出てきました。

自分の中にも確かにある真実の存在を信じ、真っ直ぐに師だけを見て、師の教えを生きていきたい、と決意を新たにしました。

 みんな良い笑顔!  

 ハルシャニー  


今やるべきこと

人は歳を重ねるにつれて、それまで普通にできていたことができなくなっていきます。
関節が動き辛くなったり、筋力や視力が低下したり、記憶力が落ちたり、老化現象として少しずつ現れることもあれば、病気を発症して、一気に大きな変化が起きることもあります。
また、認知症など脳に関する病気の場合、別人格になってしまったのではと思うほど、言動に変化が起きる場合もあります。

私の鍼灸院に来ている患者さんにも変化の時を迎えている人や、そのような状態の家族を介護している人がいます。
自らに起きている変化を受け入れられず、なんでこうなってしまうのだろうと落ち込む人。
病気によって自分が知っている家族がいなくなっていくような感じがして戸惑う人。

肉体が変化し、なくなったとしても、その人の中にある真実の存在は永遠に変わらず存在し続ける。
私はヨーガに出会い、それこそが真実だと思えるようになりました。

しかしそれを知らない人にとっては、そう聞かされても、そうですか、とすぐに納得することは難しいと思います。
そう考えると、落ち込んだり戸惑っている人に対して言うべき言葉が見つからないことがあります。

このような時、具体的な実践の手掛かりを掴むために、マザー・テレサが残した言葉を読み返します。
先日読み返したときは、この言葉が特に印象に残りました。

私たちの言葉などはどうでもいいのです。大切なのは、私たちを通して神が魂に語りかけられることだけなのです”

この言葉を私自身に当てはめると、神は師であるヨギさん、魂は誰もの中にある真実の存在、となります。
1人でも多くの人に、私を通してヨギさんに語りかけて頂けるよう、私自身が誰もの中にある真実を揺るぎなく信じ、ヨギさんへの想いでいっぱいに満たしておくこと。

それが今やるべきことなのだと、この言葉を読んで確信しました。

この写真のマザー・テレサの表情が大好きです。

 

   ハルシャニー  


夏の瞑想会

 
東京では毎月瞑想会を開催しています。
 
7月の瞑想会に、京都から先輩が来てくださいました。
 
酷暑の中、先輩を含め11名が参加。
コロナ禍で京都での定例サットサンガが休止となり、オンライン上での交流を続ける日々でしたが、実際に顔を合わせてゆっくり話すのは本当に久しぶりのこと。
みんなとっても嬉しそうで、それを見ているだけで胸がいっぱいになりました。
 
再会を喜び合い少し話をした後、瞑想しました。
瞑想会の会場は、都心にも関わらずほとんど物音が聞こえない静かな空間。静寂の中、同じ空間で一緒に瞑想できる喜びを感じつつ、小一時間座りました。
 
瞑想の後は先輩を囲んでのサットサンガ。
 
東京のKさんは、コロナ禍でもオンラインで各クラスを受講できたのが有り難かったこと、今後は対面で会う機会も増やしていってもらいたいと提案してくれました。
普段お会いしていてもこうした話をすることがなかったため、お話を伺えて良かったです。
 
静岡から参加されたMさんは、瞑想会に参加すると決めた時からずっと楽しかったそうで、当日も終始笑顔で過ごされていました。
みんなが優しくて嬉しかった、とのことでしたが、遠くから参加してくれたMさんの思いが私たちにも伝わってきて、嬉しくなりました。
 
 
京都から参加された先輩は、ヨーガを実践していく中での気付きや発心について話してくれました。また、長年師が行為される姿をお傍で見ておられ、印象に残っているエピソードも話してくれました。
そして、一人一人の話に真剣に耳を傾け、真摯に答えてくれる姿は、師が私たちにしてくださっていたことと全く同じだと感じました。
先輩とともにいることで歓びに満たされ、大きな安心感を得られたのは、きっと私だけではなかったと思います。
 
師がずっと見守ってくださっているような雰囲気の中、互いの熱を高め合い、これからどう行為して行くべきかを具体的に考えるきっかけとなった瞑想会でした。
 
瞑想会の後に記念撮影。みんないい笑顔。
 
 

それから3週間ほど経った先日、8月の瞑想会がありました。

7月の瞑想会の後により良い瞑想会にするために話し合いをして、今回から瞑想の後に『マハーヨーギーの真理のことば』の教えをみんなで学び合うことにしました。
各自が惹かれる教えや、気になる教えを取り上げて、理解しづらかったり疑問に感じたことがあれば質問し合い、みんなでその教えを読み、それぞれに感じたことを話す形で進めました。
人によって視点が異なるからこその気付きが幾つもあり、充実した時間になったと思います。
何となく理解していたことが話しているうちにしっかり納得できた、朗読で教えを聴くことで内容がすっと入ってきた、という感想も頂きました。
 
 
これからもより充実した瞑想会となるよう、みんなで学び深め合っていきたいです。
 

   ハルシャニー  

 

 
 

師のお言葉の力

「ヨーガに出会う前の私と同じように苦しい思いをしている人が、本当は苦しみなどない尊い存在なのだと感じられるように、行為したいです」

サットサンガの中でそう話した時、師は笑顔で仰いました。
「そうしてくれたら私も嬉しい」

糸がぐちゃぐちゃに絡まったような状態だった私の心を、師は少しずつ解いてくださいました。
その糸の端をしっかりと師に結び付け、少しでも師に近付くために手繰り寄せるようにヨーガの道を歩めていることは、本当に幸せなことだと感じています。

ヨーガに出会う前、私は自分は不幸だと思い込み、自分と似たような悩みや苦しみを感じている人には共感し親しくするけれど、幸せそうに見える人とは距離をとって関わらないようにしていました。
ヨーガを実践するようになってから、誰しも悩んだり苦しんだりしながら生きていることを理解し、自らの中に光り輝く真実があることに気付かず生きていることこそが不幸であると思うようになりました。

 

私の仕事は悩みや苦しみを抱えた人と関わることが多く、かつての私と同じように糸が絡まったような状態だと思われる方もいます。
師のように絡まった糸を解くことはできなくても、少しでもほぐすことができたら…自分に何ができるのか考えると、師がなさっていたように、常に誰に対しても等しく、謙虚に行為することだと気付きました。

今は、目の前にいる人が、一瞬でも自らの中にある真実を感じられるように祈りながら、何か一つでもその人のために行為できるように努めています。

 「そうしてくれたら私も嬉しい」
師の言葉と笑顔が、私に力を与えてくださっています。


真っ白なクルクマの花。この花を見ると夏が来たと実感します。蓮の花のような清らかな雰囲気なので、見つめているだけで心が調います。

   ハルシャニー