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歓喜の春の祝祭! サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー!

2017年4月8日(土)、偉大な主ブッダのご聖誕日に、マハーヨーギー・ミッション主催、
第1回 サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー -神性示現大祭-
が開催されました。

美しい桜の花に包まれたプレーマ・アーシュラマ*には、日本各地、そして遠くはニューヨークと台湾から大勢の人々が歓びを胸に集まり、永遠の真理(サナータナ・ダルマ)と主ブッダを始めとするアヴァターラ(神の化身)のご聖誕を歓び、感謝と誓いを捧げました。
*昨年5月に開設されたプレーマ・アーシュラマは、京都市右京区龍安寺にあります。


きぬかけの路から仁和寺の横を通ってゆるやかな坂道を登っていくと、会場のプレーマ・アーシュラマに到着します。途中、咲き誇る桜の花に包まれます!お二人様ご到着。この日は、仁和寺山門に集合し、散策をしながら団体で来られた人も多くいました。皆歓びを胸に集まってきました。


プレーマ・アーシュラマ全景。アーシュラマと呼ばれるにふさわしい品格を備えています。この日は、洒落た数寄屋造りの門の前にサハスラーラの旗が翻っていました。受付には10人の神の化身が皆を迎えてくださいました。この絵は、20年近く前に弟子の一人が描いたものです。


たくさんの人々で溢れかえってきました。皆笑顔一杯です!台湾からも5人のグルバイ(兄弟姉妹弟子)が駆けつけました。


2階のベランダからは京都市内が一望でき、京都タワーも見えます!桜も美しい!


玄関を入ると、庭に咲いていたサンシュユ(春黄金花)と極楽鳥が出迎えてくれます。外の桜の花にも負けない見事な生け花です!


生演奏の素晴らしい調べが会場を包みます。ハートの奥から喜びが湧いてくるようです!

歓喜に始まり、歓喜に包まれ、歓喜が溢れ出した歓びの祝祭になりました!

一輪の花の中にも真理はあると師は言われます。人の中にも、あらゆるものの中に唯一なる永遠の存在がある。名前も形もない存在だけれど、それだけが在り、その唯一なるものが万物として顕現している!しかし、無知というものがやってきて、人はそれを忘れてしまいます。

アヴァターラは、100%真実そのものが人の形となって顕れた存在です。

真理が衰え、非真理が起こるとき、私は常に自らを顕す。善き人々を救い、悪しき人々をなくすため、そして真理を確かなものとするために、私は時代ごとに現れる。

この主クリシュナの宣言の通り、世が乱れ、真理が忘れ去られようとするとき、アヴァターラたちは地上に降り立ち、人々を救済し、永遠の真理へと導いてきたと言われています。

この日は、ヨーガの伝統の中で登場した主ブッダを始めとするアヴァターラ*について思いを馳せながら、最愛の師、シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの存在と使命を改めて思い起こし、弟子たちの祝辞を捧げました。*主クリシュナ、シュリー・ラーマクリシュナ、ババジ、ラマナ・マハリシ

日頃から熱心にヨーガを実践し、サナータナ・ダルマを行為し続けるヨーギニー、ヨーギーたちの純粋な志に触れ、歓喜が渦巻くように高まり、参加された方は、大いに笑い、大いに泣き、大いに歓喜しました!本当に稀に見る、歓びの祝祭となりました!


吉祥なこの日に発行された『ヨーガの福音』と祝祭の記念品が奉納され、披露されました。師の珠玉の教えが記された美しい装丁の聖なる書籍に魅了され、そしてサプライズの記念品には大いに沸き立ちました!『ヨーガの福音』については、Webサイトでもご注文いただけます。

少しでも当日の様子をお伝えできていれば嬉しいのですが、詳細な内容は、機関誌『パラマハンサ』5月号にてご報告させていただきます。

ありがとうございました。

最愛の師とすべてのアヴァターラに、そしてご参加された皆様、ご賛同くださった皆様に、心より感謝を申し上げます。

ジャイ サナータナ・ダルマ アヴァターラ キ ジャイ!!!

サーナンダ拝


クリヤヨーガ

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』には、「クリヤヨーガ(実行のヨーガ)」という教えが際立っていることは、本を読んだ方なら誰しもが感じるところだと思います。しかしながら、その内容は「秘法」ということで、開示されてはいません。
では、なぜクリヤヨーガは秘法とされているのでしょうか?
今回のサットサンガでは、クリヤヨーガの秘法たる所以(ゆえん)が明らかにされました。

サットサンガの前半、真理の教えを実践しようとするも、日常の思いや行為がなかなか変えられないという質問が続きました。師はそれに対して、「本当に生きているという意味とは何なんだろうと。誰が生きているのか。そういう根本的なことをもっと真剣に捉えないといけない。それはすぐには理解できることではないかもしれません。それでも自分自身にそれを問いかけていくことが大事です」と述べられ、この人生の命題の答えを見つけるには「訓練」――アーサナはもちろんのこと、ヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)といった日常における心の働きの訓練――それが最も大切で、その訓練によって瞑想の土台がつくられると説かれました。
会の終盤からは、ブラフマチャリヤ(純潔)の実践など、ヤマ・ニヤマに関する質問が続き、『あるヨギの自叙伝』を読み返しているというゴーパーラが、「クリヤヨーガは秘法といわれていますが、やはりヤマ・ニヤマのところが大きいですか」と質問する。

「大きいです。ヨーガは特にクリヤヨーガ――クリヤというのは実行するとか実践するとかいう意味合いです――実践的ヨーガ、実行のヨーガというふうに訳されるでしょう。そこでは毎日実行すべきものとして、聖典の学習、それから何らかの肉体をともなう修行、訓練、そして神への祈念、瞑想、その三本柱を特に取り上げてクリヤヨーガというふうにいっています。ヨガナンダが本の中でクリヤヨーガというものを初めて西洋に紹介をしたのです。ヨーガそのものを具体的に実際的に紹介したといってもいい。教えとしてはヴィヴェーカーナンダがその先駆であったけれども、それをより実践的なかたちで、つまり弟子たちを育てていくという使命を担ってアメリカに渡ったわけです。その中でヨーガというものをより実際的にしていくためにクリヤヨーガという言葉を使ったのだろうと思う。単なる知的な理解だけではなくて、ヨーガを実践していくという、実践することがヨーガですよということを、みんなに実践を求めた。それだからクリヤヨーガという教えがひと際、あの本の中で際立っている。内容はさっき言った三つの柱を中心としていますが、その毎日肉体をともなう何らかの訓練、修行という意味はアーサナやプラーナーヤーマも指しますし、それからヤマ・ニヤマにおける行為のあり方、これも含んでいるのです。それもあって実践、実際的実践になるわけですから。そして、あえて本ではつまびらかにそれらの内容を教えなかったことには理由があって、これはやはり本当に求める者でないとそれを実践できないから。単なる興味本位の知識としてそれらを知ることでは何の意味もない。だからその真実というもの、真理というものに並々ならぬ関心を抱いて、そしていわばヨガナンダの弟子となり、悟りを求める、実践を行なう者たちに初めてその内容が教えられていくという、そんな手順だったと思う」

ヨーガとは知的理解ではないクリヤ、即ち実行・実践であり、そしてそれを可能にするのは、真理を求める並々ならぬ思いである――
最後に師は、純粋な求道者の象徴ナチケータスについて説かれます。

「以前、『アムリタ――不死ーー』という聖劇をみんながやってくれたのですけれど、あの中でナチケータスという少年が死神の下に送られて、死神から真理を教えられるというくだりがありました。ナチケータスが死の国に行った時に、たまたま死神が不在で、三日三晩待っていたという逸話があります。その三日三晩というのは伝統的な習わしなのです。これは仏教の方にも伝わっていまして、禅宗なんかでは弟子入り、入門をしようと思えば、三日間門前で待っていなきゃいけない。つまり、その者の真剣さというか熱意とか本気とか、そういうものが試されるわけです。そうして三日を過ぎて初めて入門という門を入ることを許される。そんなふうにクリヤヨーガもそういうところを表しているんだと思います」

秘法とは隠されたものではない、求める者の真剣さによって開示される!
どんな状況でも、どんな誘惑がやってきても、ナチケータスが死の秘密という真理だけを求めたように、その門戸をノックし、神だけを叫び続けることができるか?
切に真理だけを求める真剣さと日々の実践、それこそがヨーガの秘法であると学んだサットサンガでした。

ゴーパーラ


サットヴァ

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

サット11

先日行なわれたサットサンガの内容をお伝えしています。
質問者「アーサナが一通り終わったらボーッとなるのですが、それはどうしてですか」
ヨギ「心は常に雑念とか、なんらかの想念を抱えて活動しまくっていてね。本当に一瞬たりとも空白の状態というのは与えてくれないものです。しかしアーサナによってアーサナの一時間半前後の中でそういう心の習慣性というものが破壊されるというか、心が常に想念、なんらかの雑念的想念を伴っているその関係を壊してしまうという、その結果、空白のようなボーッとした状態が生まれるということです」

 質問者「ボーッとした空白のときに、平安な感じとか喜びみたいなものを感じることがあります」
ヨギ「グナでいうならば、いつもはラジャスというね、動き回る性質の状態、それにちょっと習慣性というタマス性の要素が加わっているんだけれど、アーサナによってそれらが打破されてサットヴァ性になるということ、サットヴァというのは透明性のある快活な状態のことですから、本質としてある喜びの要素のみたいなものを醸し出すようになるということです。無条件に中からそれが出てくるという、条件なく泉のようにそれが沸いてくるという感じがすると思います」

そして師はサットヴァについて、こう説かれています。

体が健康な時には、体は無いかのように思うままに体を行為させることができる、それでいて体に執らわれていない。心もサットヴァな時は思うままに、はつらつと心の思い、行為ができて何にも執らわれていない、心のことにも悩まされない。サットヴァ性というのはそんな感じです。

例えばお腹がすいていて、何か食事をとって満腹になって至福感があるとか、欲しいものがあってそれを手に入れた時に喜びがあるとか、あるいは恋人同士の関係の中でそういう愛が結ばれる時とか、それぞれ幸福感とか至福感というのはあるかもしれません。でもそれらは全て何かに依存をしているという関係になって、その対象が無くなればあるいは変化すれば、その至福感は同時に消えていきます。反対に苦しみが残る。だから依存関係にあるかないか、そのサットヴァ性のそれが自立しているかどうかというところで見極めることができます。

質問者「常にサットヴァ性の泉が湧き出るような思いでいるには、普段からどういうふうに過したらいいですか」
ヨギ「喜びの源というのは真実というものからやってくる、真実そのものが喜びの原点なんですよね。それは誰もの中に、もうすでにあるものです。しかしその周りを心がこの世界の中で外向きに働いて、あれやこれやと喜びを見つけようとしているんですけれど、それらには限界もあるし、条件が必ずありますよね。だからやるべきことは真実というものに親しむこと、それにはもちろんアーサナとか瞑想とか、そういう身体を使った具体的な修練というか、それを行なう、そして真理の教えというものを心に充分教育することね。それは本を読んだり、またこういう場やグルバイたちと話し合ったり、語り合ったり、そういうことで真実をできるだけ身につけるというか、体得、体感していくようにするのがいいですね。だから特にクリヤー・ヨーガといってね、クリヤーというのは実行するという意味ですけれども、毎日行なうべきこととして、真理を学ぶこと、これは聖典の学習とかね、それから今言ったなんらかの修練をすること、そして神や真理に対して瞑想をすること、これを毎日やればいい」

師は、まずサットヴァ性というものを身につけていくようにといつも教えてくださっています。
常にはつらつと軽快で、なんの執われものない状態でいること、なんと私たちはこんな当たり前のことができていないのだろうと改めて考えさせられました。
「あぁ、早く本当の人間としてのあるがままの姿に戻りたい」と普通に思うのでした。

ダルミニー


心と呼吸を変えるヨーガ

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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前回行なわれたサットサンガの内容をお伝えします。
質問者「仕事をするときに緊張してしまうのです。ちゃんと仕事ができた時は気持ちもほぐれるのですが、どうすれば緊張せずに仕事をすることができるでしょうか」
ヨギ「ヨーガの長い歴史の中での大きな発見は心と呼吸の関係が見つけられたことです。心というのは、普通は常に動揺してあれやこれや落ち着きなく動きまわる性質で、日常のさまざまな期待や不安、心配、取り越し苦労などの負荷が加わることで落ち着きなく乱れています。呼吸と心はイコールと考えられますので、心が高ぶって雑念がある時は呼吸も同様に不安定で乱れています。逆に睡眠中の呼吸のようにゆっくりと呼吸している時は、一定のリズムで安定していますので心は動きまわることをしばし休憩して、落ち着いているというのが日常の風景です。
ヨーガで呼吸のリズムを変えることによって心を変えることができます。どちらかを安定させれば両方安定させることができます。心を落ち着かそうと思っても落ち着かせることができないので、目先を変えて呼吸を制御していくと心の不安定さはなくなっていきます。仕事や社会生活の中でも心を保って冷静にいることができるのです。呼吸を変えれば心が変わりますが、その前に身体を変えて呼吸のシステムを変えるのがアーサナの役割です」

それから師は、心と呼吸と身体の関係をH2O、水の要素の表現で教えてくださいました。心は蒸気、呼吸は水、身体は氷というものです。氷はいちばんつかみやすく、水は器でつかむことができます。器である身体を水がつかみやすい器に作り替えることで、呼吸はそれなりに調整ができ、呼吸を制御し続ければ、心の悩みは楽にこなせるようになると教えてくださいました。
それから真理を学んでいけば、いろんな事柄も正しい位置関係で理解し把握することができるようになるので、仕事はその時々にベストをつくし、精一杯のことをしていけばいいと分かりやすく教えてくださいました。

私はヨーガをする前に、もっと思いやりのある愛情深い心になりたいと思っていましたが、なかなかその心を変えることができませんでした。師から、ヨーガを行じれば心を変えることができると聞いて大変驚き、本当に心を変えることができるのであればヨーガをやってみようと思ったのでした。そして確かにヨーガによって心は変化していきました。少しずつ心は静かになり、さまざまなことは以前と変わりなく起こりますが、いつも自分のことばかり見ていた心は冷静に周りのことを思い、察し、行為することができるようになりました。それでももっともっとより良くなりたいと精進する毎日です。
またサットサンガで師から直接教えを授かり、その教えにそって生きることが、この人生を誠実に生きるということなのだということも実感できるようになりました。
みなさん、師から授かるヨーガの偉大なる智慧を身につけ、迷いなく生きていこうではありませんか。

ダルミニー


ヨーガアーサナは黙々と実践する!

2016年もあと僅かになってきました。年の瀬ですね。

今月から始まった師シュリー・マハーヨーギーによるヨーガの真髄伝授特別クラス!
ヨギさんヨギさんヨギさんヨギさんヨギさんヨギさん ↑ クリック!

初回12月3日に参加させていただいた時、28年前にたどり着いた師の下で、初めてアーサナを体験した時の師が指導されるプラーナ(気)をまざまざと思い起こす感覚がありました。肌に沁み込んでいるんだとその時感謝しました。細胞の一粒一粒にプラーナが吹き込まれ、蘇っていくようでした。

師はアーサナは老化を止める程の力があると言われます。肉体は生まれ落ちた瞬間から老化が始まる。しかしアーサナはその老化を止め、さらには若返らせる力があるそうです。自然の摂理を超える、いやそれこそが自然の神秘なのかもしれませんね!すごいことです!プラーナ(気=生命力)は老化することはありませんから、活性化すれば、肉体も心も蘇っていくのですね。

そしてアーサナの力は肉体的なことだけでなく、一連のアーサナ実習を終えた時、呼吸は静まり、心は自然に瞑想へと導かれます。アーサナの偉大な力を体感する瞬間です。アーサナの後はプラーナの充満を乱さないように、刺激的なことや食事も控え、その深い静まりを味わうのがよいとされています。

さて、以前師よりアーサナに対する姿勢を教わりました。とても印象深く心に残っていますので、ご紹介させていただきます。

  • アーサナは黙々と実践し、その中で体得していくもの。
  • アーサナはヨーガの礎になるものであり、アーサナによって身体が作られるには、それこそ10年、12年かかる。いつ終わりというものではなく、黙々と実践する中で自ずと終わりがわかるもの。
  • 心地よさを求めるアーサナではなく、正しくアーサナの役割を理解し、アーサナの意味するところのタパス(霊的な熱)を受入れ、実践するのみである。
  • 黙々と実践していけば、身体の周りに結界ができるように、あらゆる外界の刺激を寄せ付けなくなる。そういう状況が伴って初めて強烈な瞑想に耐えうるようになる。
  • 修行というものはそういうふうに黙々と実践していくもの。黙々とと言うとおり、アーサナ中は文字通り一切の雑念なく、黙々と実践することが大事。
  • そうしながらも日常生活においてはヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)を実践し、学びを深めていく。行なうべきは、教えに従うことであり、心に従うのではない。
  • 生活上の問題や悩みなどは、教えを学び、個人で解決していくことであり、クラスでは黙々と実践するのみ。

毎日アーサナを黙々と修練していけば、ヨーギー/ヨーギニーの身体になっていく。とはいえ、実践しなければ何も変わらないし、実践していけば必ず変化していくということです。ヨーギーの身体になるとは、健康で強靭な体になるばかりか、カルマの力を寄せ付けないほどの金剛身になっていくということです。

古代から伝わるヨーガの真髄を会得できるかどうか!?自分自身の実践にかかっています!

昨日、12月24日は、20年前にマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションが発足した記念すべき日です。この吉祥な日に、改めて本物のヨーギーになるべく、毎日の実践を心したいと思います。

サーナンダ


アーサナと日常のヨーガ

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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12月から―古代から伝わるヨーガの真髄―師の直接指導によるアーサナ・瞑想クラスが始まりました。その後行なわれたサットサンガでは、アーサナの質問が相次ぎ、師から貴重な教えをたくさんいただきました。師は、まずアーサナは毎日行なってください。二つ、三つするだけでもやっていくと違いますよとアドヴァイスをくださいました。

クラスではアーサナを中心に体得していきますが、ヨーガ全体の中でみるとアーサナは限られています。日常の中での心の使い方、身体の使い方、行為というものがカルマとなっていきますので、単純なことですけれど、ヤマ・ニヤマの実践が大切になってきます。

ヤマ(ヨーガ的禁戒)   非暴力 正直 不盗 純潔 不貪  

ニヤマ(ヨーガ的勧戒)  清浄 知足 苦行 聖典の学習 自在神への祈念

例えば、非暴力(アヒンサー)というのは、他の動物、すべてのものに対して、何ものも傷つけないということ、また正直(サティヤー)というのは、誠実であるということ、こういうことを行なっていくことが、全体の行為を良くしてくれることになります。日常も心して行為してほしいと思います。アーサナはより良い行為をしていくための力となり、身体と心の浄化を施してくれます。日常の行為とアーサナによって全体にヨーガが深まっていくはずです。

 そして師は、ヨーガを深めていくことでヨーガ行者の身体になっていくとも教えてくださいました。

 この世界はあらゆることが二元性をもっています。快・不快、好き・嫌い、暑い・寒い、ヨーガを行じていくとそういうものがどちらもがなくなっていき、二元性を超えていくことになります。身体に関してもあってないかのような状態になります。病気になれば身体は痛みを訴えてきますが、直ったら訴えはなくなります。また心が何かを訴えるということは心に病気があるに違いない、それらを癒すために真理の教えがあります。真実がその病を癒すのです。心を本来の無垢なないかのような状態にしてくれます。簡単な話でしょう?

 師は、私たちの心と身体について、心も身体もあってないかのような状態が本来の状態なのだと、分かりやすく教えてくださいました。ヨーガによって、私たちは心や身体が抱え込んでいる重い荷物をどんどん捨て去っていくことができるだと思いました。

そして師は

必要なのは熱意です

と教えてくださっています。私たちはなんのためにアーサナをしているのでしょうか。自分はどうなりたいのか、自分のなりたい理想とする姿を具体的に思い描き、しっかりと意識し、その実現を目指すことが、熱意となって私たちをさらに進ませてくれるのだと思いました。

ダルミニー 


神の評価

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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先日行なわれたサットサンガの内容をお伝えします。

質問者「以前、他人の評価が気になるという質問があった時に、神の評価がいちばん大切だと教えていただいたのですが、それはどういうことですか」
ヨギ「神が喜ぶ行為をするということ、エゴや煩悩をなくして利他的行為をする。ヨーガはエゴや煩悩をなくして真実に目覚めることを至上命令としていますから、それを理想として行為するようにしていってください。真実をもってして、それに見合っているか感じてから行為するようにしてください。それが神の評価が大切だということです」

心の機能としてエゴ意識があり、このエゴ意識によって自と他という区別意識が生まれます。他という意識が生まれると、他者の評価が気になる、世間体が気になる、あるいは自分の思い通りにしたい、自分さえよければいいという思いもわいてきます。そしてそれが苦しみの原因となっていくのです。

師は説かれます。

物事の判断基準はそれが真実か真実でないかだけです。

他者の評価というのは、常に移り変わる心を基盤としたあやふやなもので、それは真実ではないのです。その判断基準は根本から間違っている、そういうふうにして物事を真実と照らし合わせていくことによって、エゴ意識は薄められ、他者の評価を気にせずに、自分ができるベストを尽くすことができるようになると師は教えてくださっています。また、他者のためにより思いやりをもった行為や、人の役に立つ行為を積極的にしていくことによっても、利己的な煩悩は薄れていくのだと師は教えてくださいました。

師は常に真実のみを語られ、真実のみを行為されています。その真実に添った行為をすることが、神からの最大の評価を受けることになるのだと思いました。

 

さて、ここで、お知らせです。
来る11月23日は師の御聖誕日です。
晴れのこの日、ヨーギー、ヨーギニーたちはヨーガに対する誓願と感謝をもって、師の御聖誕をお祝いするために集まります。今回の御聖誕祭は、どんな歓喜に、そしてどんな真実に包み込まれることでしょう。
ヨーギー、ヨーギニーたちにとって大切なその日はもうすぐです。

ジャイ サットグル シュリー マハーヨーギー パラマハンサ キー ジャイ

 

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ダルミニー


京都 特別サットサンガを終えて

先日の日曜日、待ちに待った京都 特別サットサンガが行なわれました!
会場はマハーヨーギー・アーシュラマ。私たちの師、ヨギさんが生まれ育ち、十代の頃から自ら厳しい修行を実践をされ、そして四十年来、多くの魂を導いてこられた特別な空間。この場所に集えることは、京都開催の大きな特典☆でもありました。
京都市内、長岡京のクラスの方を中心に、ヨーガ仲間の主催するサークルや子育て支援活動のご縁からなどなど……、たくさんの参加者で会場は埋め尽くされました。大半の方がサットサンガは初体験。そして中には二十?年かぶりという喜びの再会を果たされた方もありました!

悟りとはどういうものなのか、社会や家族とのかかわり方、とらわれなく自由であるための実践法について、瞑想の進め方、過去の記憶の苦しみ、恐怖をなくすには……さまざまな質問が途切れることなく続きました。
皆さんが胸の内を吐露しながら素直にヨギさんに問いかけ、ヨギさんは一人一人に対して慈しみ深く、誠実に応えていかれました。

ヨギさんは、真理を学び、実践していけば、そこには必ず大きな宝物がある! 自分にとっても、社会にとっても、世界にとってもより良い変化が起こると希望を与えてくださり、そして幾度も会場全体を見渡しながら、私たち誰もの中に、かけがえのない確かな真実、永遠の存在が在る!と力強く語りかけてくださいました。
ヨギさんの息吹が、ハートの中に大きな振動をもって入ってきて、もう収まり切らなくなるくらいに充満する、そんな瞬く間の2時間半でした。

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会の最後にヨギさんが語られた教えをご紹介します。

「ヨーガは未来思考の、自分の運命は自分でしか切り開けないという考え方なのです。過去のカルマがどうであれ、それに引きづられていたのでは運命的に縛られて生きていくということになるでしょう。でもたとえどんなカルマがあろうとも、そんなのはもう過去のこと。今、今からは違う、自分自身で変えていくという、ものすごくダイナミックな、積極的な考え方に基づいています。自分が自分を生きていくという、主体性、自立性、これを大事だと考えています。
そうして本当の私という自立自存、それだけが在るという、何ものにも依存していない、独立してそれだけが尊い存在である!ということを体得するわけです。誰もがそれをできます! ここに生まれてきた本当の意味があるのですよ。たとえ数え切れきれないほどの輪廻転生をしてきたとしても、これがゴールです!!」

私たちは、どれほどにヨギさんの命の言葉に胸を打たれたことでしょう〜!
それは続々と寄せられている感想をお読みいただければ感じていただけると思います。

(一部抜粋してご紹介します)

◇ヨギさんのお話を伺える貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
質問にもとても丁寧に、根本的なところからお答えいただき、感謝しております。他の方との問答も、とても考えさせられたり、気付かされたりすることが多く、たいへん勉強になりました。2時間余り、ヨギさんがお話しくださったことを、パーフェクトに理解できたわけでは全くありませんが、おおまかなところ、自分がこれまで目指してきたところ、信じているところが、間違ってはいないんだと、確認できた気がしてたいへん嬉しく思いました。
Nさん(同じクラスの方)がおっしゃっていたように、ヨギさんの笑顔がとても印象的でした。
ヨギさんの笑顔が、自分の中で太陽のようなエネルギーになっている気がします。
いつまでも続けばいいのですが(笑)。また今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ゆっくりゆっくりではありますが、長く続けていきたいと思います。

 ◇よぎさんにお会いできてとても嬉しかったです(*^^*)
よぎさんの、みなさんの質問に答えるおだやかな声、質問者さんの気持ちに寄り添うすがた、満面の笑顔を見ていると、なんだか、ずっとこのまま見ていたいなぁとふと思いました。不思議な気持ちでした。
日々のヨーガや、瞑想にどう向き合えばよいのかなど知ることができて、また今日からヨーガを毎日して自分と向き合っていこうと強く思いました!

 ◇サットサンガの次の日、何気なくバイクで国道を走っていると、ベンチに腰掛けるおばあさまが目に入りました。するとなぜか暖かい感情があふれてきて、涙が流れてきました。……前の日のヨギさんのお言葉が、突然体の中に実感として湧き上がってきた、そんな感じでした。
しばらく街ゆく人たちすべてが尊い存在に思われ、一人不思議な幸福感に浸っていたのですが、残念ながら時間とともにその実感は薄れ、今は元の木阿弥状態です……。
しかし私にとって貴重な気付きの体験となり、そして、ヨギさんによる生きた言葉の力を思い知ることとなりました。特別サットサンガに参加して本当に良かったです。
企画してくださった関係者の方々、そしてヨギさんに深く深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 ◇質問して回答いただいたことも大きな収穫でしたが、皆さんの温かい空気「光」に包まれて感無量でした。暗闇の中で光が見え、そこに神を感じました。それをめざして実践していこうと思います。

 かけがえのない時を皆さんとご一緒できたこと、ヨギさんの愛深き導きに感謝の気持ちでいっぱいです。
今回は、またとない特別の機会だからとご参加くださった方が多かったかと思いますが、こんなにたくさんの方が真理の言葉に胸を振るわせ、ヨギさんの笑顔、人となりに魅了されてしまったのですから、また次回開催しないわけないはいかない! そう、クラスのスタッフ一同心に秘めています。

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1F受付にて


特別サットサンガ 京都編

みなさん こんにちは

11月6日 日曜日14時から、京都アーシュラマで特別サットサンガが開催されます。

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京都には、四条烏丸のクラス、千本丸太町のクラス、下鴨のクラス、長岡京のクラスと四つのクラスがあります。そのクラスに通って来られている方々に、是非私たちの師であるヨギさんのサットサンガ(真実の集まり)に参加して、学びを深めていただきたいということで、京都特別サットサンガが行なわれる運びとなりました。

これまでに行なわれたサットサンガには、国籍、年齢、性別を超えて、さまざまな方が多数参加されていますが、ヨギさんはどんな質問にも真摯に耳を傾けられ、丁寧に誠実にお答えをくださっています。ヨギさんは誰に対しても変わらぬお姿で、いつもにこやかに質問に答えられていますので、その柔和なご様子を見て、初めて来られた方でも知らず知らずのうちに緊張の糸がほぐれ、安心してヨギさんに心を開くことができるのです。

ヨーガの正真の先生のことをグル(師)といいますが、グルの意味は闇を照らす光だといわれています。私たちのハートの奥に眠っている美しいけれど、曇って薄暗くなっている光に真実という光を当ててくださり、本当の自分を深い眠りから目覚めさせてくれるお方、それがグルです。ヨーガを実践し、真実を実現するためにはグルから直接教えを授かるということはとても大切なことなのです。
私も最初の頃は、真実が何なのかよく分かりませんでしたが、生きていく上でのいろんな問題や、瞑想などの実践をしていく中で疑問に思うことをヨギさんに一つずつ質問をして、教えられたことを考え、行為し、少しずつ理解を深めながら、ヨーガの道を歩いてきました。サットサンガの中ではヨギさんから発せられる真実の教えが、本当にすんなりと腑に落ちるという経験を誰もがたびたびしています。それはヨギさんの教えが私たちのハートの奥の真実にダイレクトに届けられるものだからだと思うのです。それこそがヨギさんの真実が間違いのないものだという証明なのだと思います。

先日行なわれた大阪のサットサンガに参加された方からは続々と感想が届いています。

初めてヨギさんと巡りあい心の底から安心された様子や、ヨギさんのお人柄に魅せられた様子、ヨーガを身近に感じ、本当の自分を見つける努力をしていこうと決心された様子などが、感謝と共にたくさん寄せられました。また、興奮冷めやらぬ様子でクラスに来られ、サットサンガ未経験の方に「ぜひ参加をおすすめしようと思って来ました!」と満面の笑顔で感動の声を伝えてくださった方もあったそうです。

みなさんも是非この機会に、特別サットサンガにお越しください。京都クラス以外の方ももちろんご参加いただけます。

この大切なご縁を多くの方が結んでいけますように。

詳しくはこちら
http://www.mahayogi.org/satsangha/osaka_kyoto.html

 


カルマの法則

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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 今回はカルマについての質問がありました。
実は誰もが、過去に何度も生まれ変わりを体験しているとヨーガは教えています。これは輪廻転生と呼ばれていて、過去において何かまだやり残したことがあるともう一度生まれてきて、その心残りを新たな人生で実現しようとするものです。原因があってその結果を受け取ること、これをカルマといいます。

質問者「カルマについてお聞きしたいと思います。人生において例えば二つの道があったとして、考え抜いてようやく一つの道を選んだとしても、大いなる目からみれば、どちらを選ぶかはカルマによってすでに決まっているのでしょうか」
師「はい。結果的にみればそう言わざるを得ません。カルマというのは過去において蒔かれた実を刈り取るということになりますから、それがどういうかたちであれ二者選択の中で一方を選ぶということはやっぱりそこに実があるということになるわけですね」
質問者「人生はカルマの通りに進んでいって自由意志による選択の余地はないということでしょうか」
師「通常はありません。カルマが発生しているからこそ生まれてきたわけで、生まれてきたら生きていかなければいけないわけですよね。それはすべてカルマという設計図の通りに進んでいっているというふうに見なされます。カルマというのは心の記憶の中に組み込まれてしまっているわけです。カルマから脱出するためには心自身を破壊するか、もしくは心の中の原因となっているところの無知というものを無くしてしまう、これによってカルマの効力というのは無くなるか、もしくは薄くなるかします」
質問者「カルマを解消していくためにもっとも大切なことは何なのでしょうか」
師「カルマはエゴと心と無知というるつぼの中でできあがっていますから、そのどれかを壊すことによって無くなっていきます」
質問者「壊すために必要なことは何なんでしょうか」
師「ヨーガという真理を学ぶこと、そしてそれに対して精進すること、精進というのはアーサナや瞑想だけではなくて、日常の行為や心の思いを含めた行動全般をエゴのない、無知のない状態で行為するということです。そして積極的に真実を実現するという、悟りの体得ということが求められます。みんなはもうすでにヨーガを学んで精進しているわけだから、もうカルマのことは気にしなくても次第に離れてなくなっているはずですから、それよりむしろもっと真我とか神とか、そういう真実のものに心を寄せるようにしていってください」

師は、真実を知りそれを実現すれば、カルマに翻弄される人生を超えていくことができると教えてくださっています。

この世にあって何が真実なのだろう。それを知るべきです。真実ということは実存としてのリアリティをもっているのかということです。そのリアリティという実存は変化をするものであってはいけないし、無くなってしまうものでもいけない。真実というからにはそれは永遠に存在していなければいけない。それは死ぬこともない。その永遠の存在こそが誰もの本性、本当の自分、同時にこの全宇宙の本体でもある。この宇宙の星の流れや宇宙が生まれては消滅するというのも、それはその中における単なる現象にすぎない。その奥には確実なる存在がそこにあるんです。それだけがあるんです。見せかけの世界はこの世も宇宙もみんな幻のようなもの、本当に知るべきことを知ること、それが宇宙の本質、自らの本質、その起源、それを知ることになります。そしてそれだけが起源であり、そして現在もそれによって維持され、それだけが永遠に存在しているのです。

この世の最大のミステリーは本当の自分を知らないことだと師は教えてくださっています。輪廻転生というカルマの循環の輪の中で、幻のような世界を生きていくのではなく、そのカルマを超えて真実を実現していくこと、それが私たちの生まれてきた本当の目的なのだと師は繰り返し、繰り返し教えてくださっています。真実を求め続けるヨーギーたちは、魂の旅の終わりに一歩ずつ近づいているのだと、そう思うのです。

ダルミニー