バクティ・サンガム(キールタン)」カテゴリーアーカイブ

丹波バクティ・サンガム開催決定!!

「一人でも多くの人にキールタンを知ってもらいたい!」
「このハートの奥から溢れる歓びを分かち合いたい!」

2019年3月、そんな思いにこたえ、ミラバイさんは、私たちが活動する丹波篠山でバクティ・サンガムを開催してくださいました。

あれから約5年が過ぎ、なんと2回目となるバクティ・サンガムの開催をご快諾くださいました。私たちはこの日が来るのをずっとずっと待ち焦がれていました。
共に活動している松山園さんのキールタンへの情熱は冷めることなく、それどころかさらに燃え上がり、その情熱は伝播し、いつ頃からか私は太鼓を始めました。

そして、今年の5月、ヨギさんの一周年法要の折に開催されたプレーマ・アーシュラマでの「新緑を愛でる会」で、グルバイの皆さんとキールタンを歌う機会に、太鼓を叩かせていただくという思いもよらない嬉しいお声かけをいただきました。

あの日、久しぶりにグルバイの皆さんと集い、共にキールタンを歌いました。その時、私は、隣でリードをされるミラバイさんから放たれるプラーナに圧倒されました。今まで感じたことのないすごいパワーでみんなを神の元に連れて行ってくださるように感じたのです。心が震えました。

私は、この感動をみんなにも味わってもらいたい!!と強く思いました。そして、そのような機会がこんなにも早く訪れるとは思いませんでした。本当に感謝の思いでいっぱいです。 

一人でも二人でも多くの方に届きますように。そして、いつも変わることなく、見守り、導き続けてくださっているヨギさんへ心から感謝を捧げます。

皆さま、是非お越しください!
お申し込みは、こちら @mamayogalila のインスタグラムまで。

        

藤原里美


『ホーリー・マザーの生涯』に触れて

マザー(サーラダー・デーヴィー)に聖典を通してお会いできたのは、ヨーガを始めて比較的早い時期でした。その頃の私は、マザーの生涯に触れる度に、考えられないほど多くの家事を淡々とこなし、日夜、家族の問題を抱えられている・・・他者の幸せを喜び、苦しみに泣かれる姿を想像し、なんて大変なんだろうという思いでいっぱいになり、憧れというよりは遠い存在に感じました。しばらくは聖典を手に取ることもなく本棚に並べたままになっていました。

けれども、今年の春の祝祭では「サーラダー・デーヴィー」に焦点が当てられることになり、バクティ・サンガムのクラスでは毎回マザーを讃える歌や、講師の方が聖典を通して彼女の生き様からどのようなことを学んでいったのかを教えていただく時間がありました。クラスで学びながら、久しぶりに聖典を取り出し、もう一度、読み進めていきました。改めてマザーの生涯に触れると、前とは違う気付きがありました。それは大変なことが多かったかもしれないマザーの生活は、霊性の修行が礎にあって成り立っているということでした。

“大小を問わずひとつひとつの行為に、神との全き合一であるヨーガを実践しておられた。彼女と神のご意志はひとつだった。家住者でありながら、出家者に定められた放棄の理想から決して逸脱されることはなかった。不快な務めを避けられることも、快い務めを歓迎されることもなかった。あらゆる活動の最中にあって、決して神を忘れられることはなかったのである”

『ホーリー・マザーの生涯』より抜粋

マザーが実践された修行は、とても凄まじいものだったと思いますが、このことに気付いてからは、私たちもヨギさんから教えていただいたアーサナや瞑想、聖典の学習などの修行をしているのだから、少しずつマザーに近づいていけるに違いないと、マザーの存在を以前より近くに感じられるようになっていきました。

そんな時、職場で、準備から当日の発表まで何カ月もかかる仕事を任されることがありました。そしてその仕事が終わってからも、なかなか忘れられずに抱えたままになっていて、ふとした時に思い起こされる日が続いていました。アーサナをしていても、ちょっとした隙に思い出してしまう・・・もう捨て去りたいと思いながら瞑想に座りました。瞑想に座ってしばらくすると、マザーが近づいて来てくださり、真剣な表情で「一体それは誰の仕事だというのですか」と言われました。思いもよらないお導きでした。そのお言葉に気付かされ、抱えていたものは消えていきました。神と一体であられるマザーの力強いお言葉に救われ、常にお傍にいてくださっていることを感じました。

日々の務めのただ中にありながら、常に心は神に向けられ、内なる平安を乱されることはなかったマザー、神聖の権化であられたマザーに謹んで礼拝いたします。これからもマザーの生き様に瞑想し、もっともっと近づいていきたいと思います。

毎日、自然の美しさを感じながら、賀茂川沿いを自転車で走って通勤しています。
賀茂川の清らかな流れを見ると、純粋なマザーのお姿を思い出します。

桜井みき桜井みき

 

 


バクティ・サンガム始まります!

今年は約4年半ぶりに、バクティ・サンガムの実クラスを開催します!


今期シリーズのテーマは、「キールタンに親しもう!」
インドの様々な神様を月ごとに取り上げ、その神様にちなんだキールタンを歌っていきます。また、初めての方にも分かりやすいように、それぞれの神様についての基本的なことをご紹介していく予定です。神の御名を繰り返すキールタンはとっても簡単。歌の上手下手は関係ありません。気軽に体験してみませんか?

また、ヨーガを世界に布教したインド近代の聖者、ヴィヴェーカーナンダについても学んでいきます。
初回は7/28(日)14:00~詳細はこちら)。一回からのご参加もOK。ぜひお越しください!

★オンライン、動画受講もあります

ミラバイ


キールタンの醍醐味 ②東京にバクティ・サンガムが帰ってきた

晩秋のきりりとした空気の晴れやかな東京の朝。待ちに待った「東京特別バクティ・サンガム」の日がやってきました。バクティ・サンガムとはキールタン(注1)を通じて神について学び、愛を高めていくクラスです。歌好きや音楽好きにはとりわけ楽しいひとときでもあります。今回はヨーガの歩みの中で長くキールタンを歌い続け、多くの方々に神の喜びと信仰を伝えてこられた先輩弟子のミラバイさんを京都からお迎えしてのクラスとなりました。あの?!ミラバイさんが「東京で!目の前で!」歌ってくださるなんて夢のようです。当日は嬉しいことに青森、愛媛、大阪、静岡などの遠方からも含め17名の皆さんが参加されました。ミラバイさんの歌声の威力は絶大です。

コロナ禍を経て久しぶりの実開催のためか、東京という少々気取った土地柄のせいか、着座した皆さんからは期待と同時に微かな緊張が伝わってきました。一番緊張していたのは私かもしれませんが……。
ひとたびミラバイさんの声でキールタンが歌われ、追いかけて皆さんの歌声が聞こえてくると、会場はたちまち神様の愛に満たされたかのように暖かい雰囲気に包まれました。
今回はシヴァとクリシュナを讃える歌を1曲ずつ歌いましたが、クリシュナの歌の時には立ち上がって手を繋ぎ踊る方もいて、まるで東京にラーサ・リーラー(注2)が現れたかのように見えました。

私はハルモニウムを弾かせていただきましたが、演奏しながらこんなイメージを思い浮かべていました。前奏に続いてミラバイさんの声が天から聞こえてくる。さりげなく入ってくるナンディニーさんの太鼓はシヴァ神の足音。はじめは軽やかに、そして次第に力強く! 追いかける参加者の皆さんの声が厚く重なってくる。私も歌う!! やがてそれらがひとつになって昇竜のように空に舞い上がっていく。「演奏冥利に尽きるなあ!!」とずっと感じていました。

クラスの最後に、参加された方が「コロナ禍が終わり、こうして皆さんと直接お会いしてキールタンを歌えることが本当に、本当に嬉しい」と涙ぐみながら感想を話されたことがとても印象に残りました。他の皆さんも同じ気持ちだったことと思います。開催できて良かったと心から思った瞬間でした。

個人的には「バクティ・サンガムでミラバイさんの隣でハルモニウムを弾く!」という、初めてハルモニウムに触れた時からの秘かな夢が実現してしまったわけです。神様への愛の強さについて自問自答すると恥じ入るばかりに未熟な私ですが、このような機会が与えられたのは師の恩寵によるほかありません。東京の先輩グルバイの皆さんが、参加される皆さんのことを一番に考え準備されてきた今回のバクティ・サンガムはひとまず終了しましたが、これに留まることなくヨーガの学びに励んでいきたいと思います。今、師の御声が聴こえてきます。
「これがゴールじゃないで」

****

****

最後に参加者のSさんから寄せられた感想をご紹介します。

「日曜日は大変貴重な体験をさせていただきありがとうございました。初めて触れた生のキールタンがミラバイさんによるものだったことはすごく幸運だったのではないかと思っています。美しいお声やお話やお姿全てに深い信仰を感じました。
始めは皆さんを乱さないようにとおっかなびっくり小声でひっそりと歌っておりましたが、ふと歌詞カードから顔を挙げると目の前で太鼓を叩くナンディニーさんの喜び溢れるお姿が目に飛び込んできて目が離せなくなりました。突然熱いものがこみ上げてきて堪えきれず涙が零れてきたのには我ながらびっくりしました。私というより私の内なる何かが悦んでるような、自分ではコントロールできない感覚を覚えました。その後は何でもいいから自由に歌いたくなって声も大きくなっていました。
そして翌日、いつもは起きたとたんに大好きな常連曲が頭をぐるぐる回っているのですが、その中に昨日聞いたばかりのキールタンが時折顔をのぞかせます。今まで見たことのない景色を見せていただいたような、新たな世界への一歩かもという予感と共にキールタンのパワーの大きさに驚きワクワクしています。素晴らしい会をありがとうございました」

(注1)キールタン:インドの神々の御名を繰り返し唱え賛美する歌
(注2)ラーサ・リーラー:主クリシュナとゴーピーが輪になって踊る遊戯のこと

小菅貴仁


世界でいちばん心に響く歌

私はとても理性的だと思います。音楽を聞いたり、ピアノを弾いたりして、美しい音楽を鑑賞することも好きですが、アイドルや音楽家を好きになったことは一度もありませんでした。そして、私は無神論者でした。多くの友人に誘われて様々な宗教の集まりに参加し、自分なりにオープンな態度で神の存在を検証しましたが、どの宗教にも納得できるものはありませんでした。

初めてキールタンに参加したのは、ミラバイさんが台湾で行なわれた特別バクティ・サンガム(2015)です。とても印象深かったです。クラスの間、きれいな歌声に浸りつつも、頭の中には一つの声が浮かび上がってきました――無神論者なのに、神の名前を繰り返し歌う日がくるなんて……。でもその後、突然涙が止まらなくなりました。それは、神の慈悲を突如として感じたからです。以前神は、何人もの使者(友人)を通して私を宗教の集まりに招待されましたが、私の高慢と無知のため、目に見えないものは何も信じませんでした。それでも、神は諦めず様々な方法で私を導いてくれました。それで、キールタンを歌っていたまさにこの時、神の御名が無知を覆しました。私は初めて神の存在を感じたのです!

しかしその後、あまり一人ではキールタンを歌っていませんでした。私にとってキールタンは演奏会で聞く交響曲のようなもので、その場では感動しますが、家で一人で歌うと虚しさしかありませんでした。

最近オンラインで台湾バクティ・サンガムの一回目のオンラインクラスを受けました。ミラバイさんは家でも歌うよう勧めてくれて、期間限定の映像の配信もありました。私は一度やってみようと決めました――同じ曲だとしても、ずっと聞いてずっと歌えば、何か違いがあるのかどうかを知りたかったのです。それで、毎日通勤時間に映像を流して、繰り返し歌いました。

ある日、出張帰りの道のりが長く、車を運転しなから映像のどこから聞き始めるか調整できなかったため、(一回目のテーマであった)聖者シュリー・チャイタニアの物語をもう一度聞きました。

***

シュリー・チャイタニアはとても聡明で論弁に秀でた、インドの方です。彼は賢くて常に鋭い言葉を用いて相手を論破してきました。論争においては誰も彼をうち負かすことはできません。しかしある日、彼はあるヨーガ行者に出会い、そのヨーガ行者は、チャイタニアが本当の意味で真理を知らないことを指摘しました。そして真理の根源であるクリシュナ神の御名を伝えました。それまでの探求と努力の方向が間違っていたことに気付いたチャイタニアは、知性を手放して、神に全てを開け放すことと、優しく人に接することを学びます。その後彼が教壇に上がる度に、クリシュナの美しいお姿が現れ、もう二度と世間の知識を追求することができなくなり、ただクリシュナだけを愛しました。

               画:サルヴァーニー
***

彼の物語を聞いた後、家に着き、その映像を止めて、夕食の買い物に行くつもりでしたが、二曲目のキールタンが始まったので、私は米を研ぎながら歌っていましたが、気付くと止まらなくなってしまいました。外出をやめて、冷蔵庫から食材を出して作り始めました。料理の途中でもお玉を置いてしまって、キッチンで一人で回転しながら大声で歌っていました。音楽が終わったらもう一回、またもう一回聞く。聞きながら、言葉にできない喜びを感じたのです。その時、私は本当に幸せだと思いました。
一人でキールタンを歌って、このように恋に落ちたような熱い気持ちになったのは初めての経験です。そしてその恋の相手は、この美しい世界です。

食事の後、もう一度映像を見てしまいました。先輩たちの歌声にはハーモニーが加えられたのに気付きました。ハーモニーの音程をよく聞き取れるように、集中して聞きました。そのうちに、歌声に吸い込まれたようになって、先輩たちがお互いを見て楽しく歌っている姿を見ながら、すごく感動しました。その感動はまるでお湯のようにブクブク沸騰して、私の目から溢れ、止まらなくなりました。

以前の私なら、すぐ自分に「なぜ泣いているの」と問い掛けたかもしれませんが、もうどうでもいいやと思いました。理性や限りある言葉を手放して、今、この瞬間をただ楽しみたいのだ。

今まで、どんな歌にもこれほどの幸せを感じたことはありませんでした。もし今誰かがここにいたら、私は狂っていると思われるかもしれません。でもこの世界には、芸術のために寝ることも食べることも忘れる人もいる、お金のために、何を食べても味を感じられないくらい没頭する人もいる、愛のために自分を失う人もいる、そして憎しみのために理性を失う人もいます。そして多くの人は、決して未来に持ち越すことのできないもののために、自分の生涯をかけています。そのような行為も、狂人ではないでしょうか。

ヨーガに感謝したいです。たとえ私が狂っても、本当の幸せに狂っているのですから!

(文章:MYM台湾ブログより引用)

MYM台湾:シンユンMYM Taiwan


キールタンの醍醐味 ①私にはバクティ・ヨーガは無理と思っていたら

ヨーガを学び始めたころ、私はバクティ・ヨーガ(神への信愛)が苦手でした。クリシュナ神の愛人ラーダーが狂おしいほど甘美にクリシュナ神を愛する物語を知り、男女関係なくラーダーのように神を愛するのだと言われても、正直なところ違和感しかありませんでした。神を愛する気持ちを感情に表すことなど気恥ずかしくてできない。自分の神への愛は確かに心の中にあるのだから、静かにしまっておけばよいと思っていました。しかし、神様は思いもよらない方法で、私のバクティに火をつけてくださいました。

マハーヨーギー・ミッションの活動に参加させていただく中で、多くのグルバイ(兄弟姉妹弟子)の皆さんが、それぞれ異なる人生経験や知識、仕事や家庭などの生活環境に応じて、その人の信仰が最大となる方法で神と向き合っていることを知りました。それでは私が全霊を捧げて神と向き合うためにはどうしたらよいだろうとぼんやり考えていたあるヨーガ・瞑想クラスの日、東京での「バクティ・サンガム」のチラシをいただきました。インドの神々を賛美し、神の御名を歌い奏でるキールタンのことや、そこではアコーディオンを横にして床においたような鍵盤楽器のハルモニウムが使われることなど、多少の予備知識はありました。「あの楽器弾いてみたい!」と即座に思いました。

ハルモニウムへの私の好奇心を察してくださったのか、ある時に先輩グルバイが「弾いてみますか?」と嬉しい一言をくださいました。私は子どものころからピアノを習い、趣味の音楽を続けていたので、「音楽で神を讃えられたら最高だ。それなら自分にもできる」と思い、皆さんと歌えるあてもないのに、さっそくハルモニウムを購入しました。

バクティ・サンガムで初めてハルモニウムを弾かせていただいた日。

その後間もなく新型コロナが流行し、バクティ・サンガムはオンラインクラスとなりました。毎回、聖者や神に関するスライドショーや参加者の体験談など、工夫を凝らした盛りだくさんの内容で、とても楽しく参加させていただいています。なにより、日本中のグルバイの皆さんとキールタンを歌えることがこのうえない喜びです。 

現在、新型コロナの感染も収まりつつある中で、東京では毎週土曜日のアーサナ・瞑想クラスや、月に一度の瞑想会のあとに有志でキールタンの練習をしています。キールタンを歌うときは、神を讃える歌声を邪魔しないように、楽器があまり出しゃばらないように気を付けています。でもせっかく神様に聴いていただくのだから音楽としても素敵にしたいとも思います。楽譜がないので先輩の演奏やCDの「耳コピ」をして、いろいろ工夫しながら弾いています。

そして先日、なんと静岡から参加してくださったグルバイも含めて総勢7人でキールタンを歌うことができました。最初にマントラ(真言)を唱え7人の声がひとつに重なった瞬間から、全員の気持ちが高まっていくのを感じました。クリシュナ神やシヴァ神の御名を繰り返し歌っていると、みんなの心が次第に熱くなり神に集中してくるのがとてもよく伝わってきます。立ち上がり身体を揺らす人、手拍子を打つ人、涙を流す人もあり、気が付けば、私も大きな声と喜びの笑顔で無心に神への愛を表現していました。表情が地味な方なのであまり分からないかもしれませんが…。

曲が終わっても、「終わりたくない!ずっと歌っていたい!」と皆さんの神への思いが高まり、なかなか収まらない様子でした。涙ぐみながら言葉にできない余韻を味わうグルバイの顔がとても印象的でした。苦手だと思っていたバクティ・ヨーガを自然に実践できるキールタンは最高です。

小菅貴仁


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ④

 今回は、『Paramahamsa』No.78の表紙を紹介させていただきます。

アール・ヌーヴォー調のフォントをあしらった表紙は、師であるヨギさんがデザインしてくださったものです。
ヨギさんは、毎回その絵にあうようにとフォントを選ばれますが、いつも何かしら、明確な、具体的なイメージがあり、そのイメージに沿ったものが見つかるまで何度も見返して探されました。
言葉にすると単純な作業ですが、その集中力は並大抵ではなく、また選んでくださったフォントでデザインされたものは、いつも私の想像をはるかに超えた美しさを放っていました。

*実際に発行された『Paramahamsa』はモノクロです

 No.78の裏表紙に、この絵を描いた当時のエピソードを掲載していましたので、ここに紹介させていただきます。

毎週金曜日夜、シャクティたちはヨーガ・ヴィハーラに集い、キールタンを歌い踊っている。いえ、実際には踊っていないのだけれど、まさに踊っているようだと感じたことがありました。
その日、私たちは輪になってシヴァ
を讃える歌を歌っていました。身体を左右に揺らし、満面の笑顔で声高らかに歌うシャクティたち。そこにはヨギさんがおられ、ともに遊び戯れている! そんなふうに感じ、私は深く感動したのでした。そして「あぁ、こういう絵を描きたい」と思ったのです。

このミニアチュールから、神だけを見つめ、神と一緒に遊ぶシャクティたちの歓びが少しでも伝われば嬉しいなぁと思います」

*2023年7月20日配信のWeb版Paramahamsaにて、このイラストを紹介していただきました。

シャチー

 

 


「夢ーー應作如是観」台湾展覧会報告

4/14〜23まで、台北市内で「夢ーー應作如是観」と題したヨーガの展覧会が開催されました! 
昨年発刊された台湾華語版『ヨーガの福音』をより多くの方に知っていただきたいと、この企画を立ち上げられたそうです。私はその期間中の4月21日,22日とサットサンガとバクティ・サンガムを行なわせていただくことになり、約4年ぶりに台湾に行かせていただきました。

ヨーガの展覧会ってどんなもの?? 皆様、イメージできますでしょうか? 

私自身、それまで何度か企画内容をお聞きしてきましたが、実は当日その場所に足を運ぶまでは、全くイメージが湧きませんでした。しかし会場に入った瞬間、その美しくて静謐なプラーナと、みんなのヨーガや師に対する大いなる情熱を感じて、とても感動しました。今回は、簡単ですが、展覧会の様子を写真を中心にご報告させていただきます。

会場は「カルマの法則」「死の衝撃」「瞑想の森」など、ヨーガの教えごとに6つのブースに分かれていて、それぞれのブースでヨーガの教えに触れ、またそれらについて考えながら、実際に瞑想なども体験することができます。あちらこちらに散りばめられたヨーガの教えやエッセンスを、視覚的にも、また感覚的にも捉えることができ、とても美しく、神聖なプラーナ(気)に満ちた、本当に素晴らしい空間となっていました。もちろん私たちの師であるヨギさんや、マハーヨーギー・ミッションの紹介、書籍の販売コーナーなどもあって、さらに詳しく知りたい方は、書籍を手にとって見ることもできます。
展覧会に参加された方からは、「深く考えさせられた」「これまでと違う角度からヨーガを理解できた」「デザインが美しく、説明もわかりやすかった」など、いいご感想がたくさん届いたそうです。

また週末の土日には、アーサナ(ヨーガのポーズ)やキールタン(神と魂を結ぶ愛の歌)のデモンストレーションを見ることができ、会場は多くの人たちで埋め尽くされました!

集中感のあるアーサナに来場者が惹きつけられていくのが肌で感じられます。また最終日のキールタンでは、会場のみんなも一緒に神の御名を熱唱! 熱く一体となった瞬間でした!

また、サットサンガやバクティ・サンガムでも、多くの方にご参加いただきました。

 

10日間のイベントは多くの来場者に恵まれ、大きな歓びを台湾グルバイ(兄弟姉妹弟子)たちに残し、大成功のうちに幕を下ろしました。私は最後の数日だけでしたが、彼らと共に時間を共有させていただくことができ、様々なことを学びました。師のヨーガを多くの人に届けたいという純粋な信仰心と情熱はもちろんのこと、仲間を思いやる優しさ、このイベントを成功させるという気迫、割り当てられた仕事を必ず果たすという責任感の強さ、未知のことや困難さにも立ち向かっていくチャレンジ精神、持ち前の明るさ、などなど、書き始めるとキリがないほどです。

力強く、ひたむきにヨーガの道を歩んでいるグルバイの姿は、言葉を超えて本当に美しく、感動的でした。きっと多くの人は、彼らの真剣で真摯な姿と熱意に胸を打たれたに違いありません。

イベントの成功、本当におめでとうございます!!!
彼らのいちばんの願いである、師の教えが台湾で広まっていくことは、きっと必然の結果として訪れることと思います。今後、ますます師の教えが広がっていきますように!!! そして、今回貴重な機会に参加させていただきまして、本当にありがとうございました。

ミラバイ


マハーヨーギー・ミッションのInstagram

ミッション公式のInstagram(インスタグラム)が始まりました。今は、それぞれ自分に合う方法を使って情報を得られる恵まれた時代だなぁと思いますが、その方法の一つにInstagramがあります。そこで、少しでも多くの方に真理の教えやヨーガを生きるということについて、ご縁を持っていただけばとInstagramはスタートしました。

新刊『マハーヨーギーの真理のことば』からの教えを、マハーヨーギー・アーシュラマや、アーシュラマに由縁のあるお花や、美しい自然の写真などと共にお届けしたり、またクラスに纏わるコンテンツ、旬のお知らせなどもアップしていきたいと計画中です! 秘蔵写真もお目見えするかもしれません(!)ぜひご覧いただき、フォローしてくだされば嬉しいです。

「見る、という行為はフィルターを通さずに直接に心に届く」と師からお聞きしたことがあるのですが、Instagramは、写真や動画をまさに見ることが中心のSNS。
仕事の休憩時間や家事の合間のひとときに、心に静けさを感じたり、胸の奥の真実を思い起こしたり、自分をリセットしたりできる機会となれば・・・。

情報が溢れかえり混沌としている中でも、古(いにしえ)より伝えられてきた永遠の真理を悟るためのヨーガの道を、その一筋の光を、純粋に発信していければと願います。
師がお伝えくださっている真のヨーガが多くの方に届くよう、ぜひみんなで一緒にMYMのInstagramを盛り上げていけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします! 

Instagram-image

Instagramのプロフィール画面の上に並んでいる丸いアイコン(ハイライト)の「書籍」をクリックすると・・・『マハーヨーギーの真理のことば』の案内が出てきます。その画面の右下にある♡マークを押していただくと、見たよ!いいね!という意思表示で、MYMのInstagram管理画面には、♡ハートがたくさん届きます~! 皆さんの画面からはその様子をご覧いただくことができないので、ぜひここでご覧ください。 こんなふうに師へハートマークが・・・届きます。

Instagram
Instagramアカウント:@mahayogi.mission
https://www.instagram.com/mahayogi.mission/

 

ナリニー  


これぞまさにラーサ・リーラ―だ!

バクティ・サンガムのWebクラスを2年間受講させていただき、その最後のクラスでキールタンを歌っている時でした。画面の向こうに広がる、喜び溢れる笑顔の数々、距離を超えて共に高らかに歌う姿。
みんなの笑顔の中に、クリシュナが見える。
クリシュナが姿・形を変え、楽しんでいる。
Web上とはいえ、このようにみんなで歌っている状況に神の恩寵を感じ、涙が止まらなくなりました。

2年前、コロナ禍において、バクティ・サンガムのWebクラスが開催されることになりました。これまでも大阪や京都でバクティ・サンガムの実クラスが開催されていましたが、静岡に住む私はなかなか参加することができず、バクティ・サンガムの話題があがる度、私もみんなと一緒に歌いたいなぁといつも憧れの気持ちをもって聞いていました。そんな憧れのクラスがWebで開かれるということで、喜び勇んで参加を決めました。

この2年間、キールタンの歌詞だけでなく、関連するお話を毎回趣向を凝らして(ミニチュアールの紹介や手書きの紙芝居もあり!?)教えていただきました。歌に対する理解が深まるだけでなく、情景がリアルに感じられ、これまでにも増して神に対する思いを乗せて歌うことができるようになりました。またクラスの後には、紹介していただいた神や聖者のことをもっと知りたいと思い、関連する本を読みました。そうすることによって私の中でぼんやりと理解していた神や聖者が確かな存在として感じられるようになりました。

特に印象的だったのは、クリシュナ神とゴーピー(牧女)が織りなす「ラーサ・リーラー」のお話です。 ラーサ・リーラーとは、クリシュナとクリシュナを愛してやまないゴーピーたちとの愛の遊戯の物語。そのクライマックスとして、クリシュナがご自分の姿を複数に顕現させ、ゴーピーたちと輪になって踊るシーンが紹介されました。

そのお話を聞いた瞬間、ありありとその歓喜に包まれた美しい情景が私の脳裏に浮かび、「私はこれを知っている」という直観のようなものが胸に押し寄せました。それは、この光景を実際に見たことがあり、経験したことがある!というような、なんとも不思議な感覚でしたが、知っているという感覚がずっと胸の中に残りました。

その後、『ラーマクリシュナの福音』の中に、次のような詩を見つけました。

「深く潜れ、おお心よ、
神の美の大海に、

 もしお前が底の底までおりるなら、
 そこに愛の宝石を見いだすだろう。
 行って探せ、おお心よ、
ハートの中のヴリンダーヴァンを探せ、

 そこで彼の愛する信者たちと、
 シュリー・クリシュナが
永遠に遊んでいらっしゃる」

この詩を読んだ瞬間に、あの「知っている」という直観の理由が分かりました。私の胸の中にヴリンダーヴァンがあり、クリシュナとゴーピーたちが踊っているのだ。私は甘美な喜びに包まれました。ラーサ・リーラーのお話を聞いてから、その絵を眺めては、クリシュナと踊ることをずっと夢見てきました。そんな折、冒頭のように感じたのです。

ラーサ・リーラーとは、本来はあらゆるところに溢れている歓びなのかもしれません。心を純粋にし、神だけを想うことができれば、あの喜びは今ここにあるのだと思います。クリシュナに手を取られ、踊ることができるのなら、他に何を求めるというのでしょうか。

永遠の歓喜の中で、神と戯れたい。
そしていつの日か、クリシュナと一つになりたい。

これが私の願いです。

森ひとみ