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ヨーガって面白い!②そもそもヨガって何?

前回のブログで、私がヨーガを始めたきっかけについて少しお話ししました。
当時の私は、ヨーガはインドの伝統的な健康法だと思っていました。
ですが、ヨーガの良さを実際に体験したり、習ったヨーガの智慧を実生活で生かしながら楽しく続けているうちに、だんだん「ヨーガ」というものに対して興味が湧いてきたのです。
「そもそもヨーガって一体なんだろう?」
身体や心の仕組みなどを入り口に自分で調べたり学んでいくうちに、わたしがヨーガと思っていたものは大きなヨーガの体系のほんの一部だということを知ってとても驚き、ますます興味が湧いたのでした。

そこで、今回はまず「yoga」という言葉そのものから見てみたいと思います。
日本では「ヨガ」という呼び方が定着していますね。
『マハーヨーギーの真理のことば』の中に「yoga」の語源や「yoga」とはなんであるかについてはっきりと書かれていますので、文中のシュリー・マハーヨーギーのお言葉を一部お借りしてご紹介させていただきます。

ヨーガの語源

ヨーガの言葉の語源はユジュ(yuj)という言葉から由来しています。このユジュは繋げるという意味です。昔の農作業では、牛の首のところに掛けるヨーク(頸木/くびき)によって牛を制御するわけですが、そういうところから来ています。
そして紀元前後に、ヨーガの今日でも権威ある、信頼のできる聖典が編まれました。『ヨーガ・スートラ』といいます。その最初に「心の様々な働きを制御することがヨーガである」。続いて次のスートラでは、「その時、見る者は自ら本来の状態に留まる」。見る者とは、後にヴェーダーンタ(ヴェーダ聖典の最終部分)ではアートマン、今日(こんにち)の言葉では真実(ほんとう)の自己というふうに言われているものです。そして続いてのスートラでは、「その他の場合にあっては、見る者は心の働きに巻き込まれたように見える」。その心の働きというのは、エゴなどを中心とした通常の心の世界のことです。この『ヨーガ・スートラ』の冒頭の僅かのスートラの中に、ヨーガの本質を見ることができます。つまり心を完全に制御すること、そして同時に見る者としての真実に目覚めること、その状態のことをヨーガというわけです」(後略)

『マハーヨーギーの真理のことば』第四章ヨーガの道 第一節ヨーガの道/ヨーガの語源より

もしかすると「どういうこと?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。かく言う私もそうでした。何となく分かるような、分らないような…?😅
実のところそれから年月が経ち、師シュリー・マハーヨーギーに出会って私はやっと本当の意味を理解することができたのでした。

ヨーガを学ぶ前の私は、「心」=「私」であると疑うことなく生きていました。日々起こる出来事に喜んだり悲しんだり怒ったり。毎日楽しいことばかりならよいのですが、ストレスを感じたり苦しいこともあります。でも、それは普通のことだと思っていたのです。
ところが、「心は本当の自分ではなく、常に真実の自己に見られているもの」だと知った時、本当に驚きました。
師の下でヨーガを実践するようになってから、私はそれが本当かどうかを確かめようと、用心深く自分の心を観察するようにしてみたのです。

しばらく続けていると、さまざまに変化する自分の感情をただ見ている意識が本当にあることに気が付いたのです!
そうなると俄然面白くなり、更に観察を続けました。
すると、もっとはっきりとそれを感じるようになってきたのです。
私にとって、まさに目から鱗が落ちる体験でした。

ヨーガとは本当の自分に目覚めること―

私はまだヨーガの道半ばで、この「心の働き」を完全には制御できてはいませんが、少なくとも自分の無駄な感情に振り回されたりそのせいで悩むことがだんだん減って、心穏やかに楽しく過ごせることが増えました。
それと同時に自分の心に煩わされなくなったことで、よりヨーガへの目的意識がクリアになってきたのでした。

私がこのように実践できたのは、師が様々な表現や言葉を駆使して私たちに「ヨーガ」とは何か、ということを繰り返し教え続けてくださったからに他なりません。
『マハーヨーギーの真理のことば』を読むと、それがありありと伝わってきます。

確かに「心の働き」を制御するのは簡単だとは言い難いのが正直なところです。が!諦めるのはまだ早いです。ヨーガの面白さは「心の働き」を制御する方法がひとつではないところにあります。
そこで次回は、ヨーガのアーサナ(ポーズ)は何のためにするのか。自分の身体なのに意外と知らない身体と呼吸と心の関係についてヨーガが教える私たちの身体の仕組みに触れながらお話したいと思います。お楽しみに!

シャルミニー
 


ヨーガって面白い! ①イントロダクション

皆さんは「ヨーガ」と聞くと、まずどんなイメージが浮かびますか?
「健康的で瘦せられそう」「体が柔らかくなってリラックスできそう」など、人によって異なるイメージがあるのかなと思います。

私は20代前半、体調を崩したことをきっかけに「健康になりたい」と思い、ヨーガを習い始めました。習ったことを家でもほぼ毎日するようにしたためか、始めてから半年ほどで体調がとてもよくなり驚きました。また、そこでは毎回「ヨーガの智慧」のレクチャーもあり、日常でその智慧を生かせることを知り、生きることが少し楽になった経験があります。
でもその後、それだけでは満足することができなくなった私はもっとヨーガのことを知りたくなり、ヨーガの師を探すことにしました。
そして2011年、シュリー・マハーヨーギーとの出会いが、私の人生を大きく変えました。シュリー・マハーヨーギーは、本当のヨーガを教えてくださる――真のヨーガの師でした。

以来、私はヨーガの面白さにすっかり魅了され、今ではヨーガは私のライフワークとなっています。まさにこのブログのタイトルである「ヨーガを生きる」ことに、夢中になっているのです。

ヨーガって本当に面白い!!
なぜって…古代より続くヨーガの深淵さとその面白さは汲めども尽きることがない泉だからです。
そこで今回から、ヨーガの集大成である師の著書『マハーヨーギーの真理のことば』と共に「ヨーガって面白い!」というテーマで、しばらくの間その面白さを少しずつお伝えしていきたいと思います。
と言っても、ヨーガはあまりにも深すぎてとてもブログだけでは伝えきれませんので、もし読んでいて気になった方はぜひ本を片手に一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。

私のバイブル『マハーヨーギーの真理のことば』

さて、内容は…

・そもそもヨーガって何?
・自分の身体なのに、意外と知らない身体や呼吸のこと
・自分の心なのに、なぜ言うことを聞かないの?
・「私ってこういう人」——性格は変わらないの?
・「幸せ」っていったい何?
・人間関係の悩み、どうしたらいい?

といった日常的なテーマから、

・瞑想ってどうやるの?
・私とは誰?
・生きる意味とは?
・死と輪廻転生
・カルマとは何か?
・神とは何か?
・ヨーガの哲学や宇宙観

といった、とても深いテーマまで考えていますが、私も日々ヨーガの修行中なので皆さまと一緒に楽しく進めていければいいなと思っています😊
どうぞ、よろしくお願いいたします。

早速次回は、「そもそもヨーガって何?」というところから始めていきたいと思います🪷

師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から編纂したヨーガの決定版、全16章。

シャルミニー


諦めなければ、道は続く ~子育てとヨーガを歩んで

今年も暑い夏ですね。
夏休みでお子さんが一日中家にいらっしゃるご家庭のお母さんたちは、何かと大変な毎日をお過ごしのことと思います。

私が子育てをしていた頃、夫は仕事が忙しく家のことはほぼ私一人で担っていました。娘たちの学校は行事や係活動など親の関わりが非常に多く、また給食がなく毎日お弁当を持たせる学校でしたので、正直なところ普段の学期中の方がずっと忙しいくらいでした。なので夏休みは子どもと一緒に、私自身も少しゆっくりできる期間だったように思います。
娘が二人とも社会人となった今、子育ての渦中にいた頃を振り返ると、もちろん楽しいこともたくさんありましたが、とにかく毎日走り回っていつも息切れしていたような気がします。
習い事や塾の送り迎え、子どもを通じたお付き合い…等々、お仕事をされている方もいない方も、それぞれの環境の中で今まさにそんな毎日を過ごされているお母さんたちが大勢いらっしゃると思います。

わが家の小さな庭に珍しいお客さまが。

20代前半からヨーガを続けていた私が、マハーヨーギー・ミッションに出会い、シュリー・マハーヨーギーの下でヨーガを学び始めたのは、ちょうどそんな子育ての真っ只中でした。
マハーヨーギー・ミッションに通われている方々はとても熱心にヨーガを学ばれていて、私には皆さんがキラキラと輝いているように見えました。そして、シュリー・マハーヨーギーは私が求めていた本当のヨーガの師だと感じました。
「もっとヨーガを学びたい!」という気持ちはますます強くなるばかりでしたが、当時はアーサナ(ヨーガのポーズ)をする時間も、ヨーガの本を読む時間も、瞑想に座る時間も、限られたわずかなものでした。疲れ果てて体力も気力も湧かず、何もできないまま一日が終わっていく日が続くこともありました。
ヨーガが思うようにできない自分に苛立ち、情けなさをたびたび感じました。ヨーガが好きで続けてきたはずなのに、本気になればなるほど、それができない自分を責めて苦しくなってしまう。こんな苦しい気持ちになるなら、いっそヨーガをやめてしまおうかと、本気で思い詰めたことがありました。

でもその時、師シュリー・マハーヨーギーのことを想ったのです。

「師は私を、ダメだとおっしゃったことがあっただろうか。励ましてくださったことはあっても、私にはヨーガは無理だと言われたことは一度もない。師が私を諦めていないのに、どうして私が私を諦めるのだろう」
そう思った瞬間、涙がこぼれました。

「では、私が今できることは何だろう……」
そう自分に問いかけた時、こんな思いが湧いてきました。
「そうだ、ヨーガを諦めないことだけは、今の私にもできる。諦めさえしなければ、師がきっと導いてくださる」
それ以来、「師が私を見放さない限り、私は絶対にヨーガを諦めない」ということが、私の信念になりました。
この時以降、ヨーガをやめようと思ったことは一度もありません。
そして私はまたヨーガが大好きになりました。今もこうしてヨーガを続けています。

師は、常々誰でもヨーガができるとおっしゃっていました。ヨーガの学びが進むにつれて、私はそのことを少しずつ理解するようになりました。ヨーガとは、アーサナや呼吸法だけではないということ。むしろ、日常の中でこそ実践できるヨーガがあり、日常の中でこそその真価が問われるのだということを。
日常の中で実践するラージャ・ヨーガのヤマ・ニヤマも、カルマ・ヨーガも、バクティ・ヨーガも、すべては特別な時間の中ではなく、日々の暮らしの中で実践され、深められていきます。
ヤマ・ニヤマのどれか一つを実践してみる、家族が喜ぶことを行為する、心の中で神を想う、キールタンを歌う――そんな小さなことを積み重ねていきました。アーサナや呼吸法、瞑想は、時間の隙を見つけて行うようにしました。
子育てをしていても、家事に追われていても、仕事があっても、体調の良し悪しに関わらず、朝起きてから夜眠りにつく瞬間まで、真理を求める真剣な思いがあれば、誰でもヨーガはできます。
子育ての中で何度も心が折れそうになりながらヨーガを歩んできた私は、今、心からそう実感しています。成長した娘たちは、今では私を支えてくれる心強い存在になりました。

今はもう、師と直接言葉を交わすことは叶いません。ですが、『マハーヨーギーの真理のことば』の中には、師の教えが今も生き生きと息づいています。少し時間がある時に本のページを開いてみてください。たとえ途中までしか読めなかったとしても、師の教えに触れることで、師の息吹がきっと伝わってくると思います。

今、子育ての真っ只中で自分の時間がなく、もどかしさを感じておられるママヨーギニーがいらっしゃったら、少しでも参考になればと思い、私の体験を書かせていただきました。
きっとお母さんだけでなく、どんな方も同じだと思います。
諦めさえしなければ、道は必ず続いています。

まだまだ暑い日が続きますが、ご家族でどうぞ良い夏をお過ごしください。

ラージャ・ヨーガ/瞑想により心を制御し、真我を実現する道。
ヤマ/禁戒。非暴力・正直・不盗・純潔・不貪。
ニヤマ/歓戒。清浄・知足・修練・真理の学び・自在神への祈念。
カルマ・ヨーガ/他者への献身奉仕によって至聖(神)に至る道。
バクティ・ヨーガ/信愛と献身により神と合一する道。
キールタン/神と魂を結ぶ愛の歌。

シャルミニー


『マハーヨーギーの真理のことば』~第九章 大宇宙と小宇宙の神秘

「ヨーガとは大宇宙と小宇宙の合一である」
ヨーガを学ばれている方の中には、この言葉を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

私はこどもの頃、空の向こうがどうなっているのかを知りたくて仕方ありませんでした。「宇宙」の存在を知ってからもその思いは消えることはなく、大人になって初めて行ったヨガ教室で「ヨーガとは大宇宙と、小宇宙である自分自身との合一である」と聞き、意味はよく理解できなかったものの「もしかすると、ヨーガの達人になったら宇宙のことが分かるかも知れない!」と、本気で考えたことを覚えています。

実は、師シュリー・マハーヨーギーに出会って間もない頃、私は師に宇宙が一体どうなっているのか質問したことがあります。
その時、師ははっきりと「宇宙は私たちの身体の中にあります」と仰ってにこりと微笑まれました。私は「どういうことだろう?」と思いましたが、説明をしていただいてもきっと今の私には理解できないだろうという思いがよぎり、それ以上の質問はしませんでした。
それから十年以上の時が経ち『マハーヨーギーの真理のことば』の中に、あの時しなかった質問の答えをみつけました。

大宇宙と小宇宙の一致

大宇宙、この空間的宇宙というものと肉体という小宇宙は、物理的に見れば何でできているかといえば、五大要素、地水火風空という五つの要素によって物質的な存在があるわけです。ではその五つの要素はどこから派生してきているのかというふうに見れば、それはマハトという、より微細な質とプラーナによって五つの元素に展開して、それがこの物質として現れているということになる。
サマーディにおいては、いわばその物質的な粗大な局面から、より微細な原因体の方に心が移行していくことになる。そうするとその大宇宙と小宇宙を造り出した原因というのは同じものだということになってくるので、そこでの物理的な空間の大きさとか量とか時間というものが消滅してしまうということになる。そういう中でより深まっていけば、その根源的な宇宙と万物の展開を始める原初体のようなところに入り込んでしまう。するとそれは二つとないものとして、体感することになるのです。相対的な大宇宙、小宇宙というふうに物理的な条件を伴った観念がそこにある以上は、大宇宙と小宇宙の一致とか一体というような表現になるだけのことです。要は宇宙万物の根源にサマーディは連れていく、あるいはサマーディの中でそれを体験するということです。

『マハーヨーギーの真理のことば』第九章 大宇宙と小宇宙の神秘/第三節 神秘の宇宙より

※プラーナ/気。宇宙の全現象を支えている力。
※サマーディ/三昧。心が消え、対象のみが意識面にある状態。

 

サマーディの中で体験する宇宙万物の根源――。瞑想が深まり、マハトという万物の展開が始まる原初体のようなところまでたどり着くことができれば、私が知りたかった宇宙の正体を知ることができるのだなということを理解しました。ただ、残念ながら私はまだそれを体験していません。
師が教えられるとおり、真理は体験することしかできない。実際、ヨーガを実践していると頭での理解がいかに小さなものであるかを思い知らされることが度々あります。
だとしても、聖典や聖者の教えを言葉として学ぶことには大きな意味があると感じています。なぜなら、その深い叡智から発せられた言葉は、私たちの歩みを確かな方向へと導いてくれるからです。

第九章は、他にもプラーナ、チャクラ、クンダリーニ、呼吸法、タントラ・ヨーガ、シュリー・ヤントラ、マントラ、プラヴァナ(聖音オーム)、プルシャとプラクリティ、二十四の原理、宇宙開闢論など、ヨーガの神秘的側面と哲学的背景が丁寧に語られており、とても興味深い内容です。
私たちにとってどんなに神秘的なことや難解なことであったとしても、シュリー・マハーヨーギーの言葉には常に大袈裟な表現などはなく、何千年も前からヨーギーたちによって実証されてきた真理やご自身の体験による真実だけを、淡々と、けれど力強く、私たちに理解できるように平易な言葉で説いてくださいます。
その一つ一つの教えが、私たちが確実にヨーガの目的地に向かうために師が示しされた道標なのだと、今また改めて感じています。時代や環境がどんなに変化しようとも、先人たちが歩いた同じヨーガの道を現代を生きるヨーギニーである私もまた歩んで行きたいと思います。

シャルミニー


『マハーヨーギーの真理のことば』 ~新年の抱負 「献身」

新しい年を迎え、皆さまに心より新年のご挨拶を申し上げます。
今年も実り多き良き一年となりますようお祈りいたします。

昨年は、私自身にとって人生の一つの節目となる年でした。
4月に次女が大学を卒業し、社会人として歩み始めたことで、私も長い子育ての時間を終え、清々しい気持ちで次のステージに進むことができました。肩の力が抜け、同時に、これからの人生をどう生きるのかを改めて深く見つめ直す一年でもありました。

さて、皆さまは今年の抱負はもうお決めになりましたか?
私は師の教えが詰まった書籍『マハーヨーギーの真理のことば』の中から、今年の抱負としてだけではなく、これからの人生の目標として次の教えを選びました。

献身

誰ものアートマンなる真実在という存在は、何ものにも依存しません。全く自存、自立しているものです。だから常に自由で普遍的で至福です。それだけが真実です。その他のもの、たとえ聖典の教えであろうが言葉であろうが、全ては消え去ります。存在というものだけがリアリティです。
それを知ったならば、たとえこの限りある体の状況でも、その道具として、肉体が朽ちるまで存分に動かせばいい。それは正に献身、身を捧げるということに尽きます。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十章 奉仕と献身の道 /第三節 ヨーギーの行為 より

アートマン:真我、真の自己。絶対不滅の存在。純粋な意識。

昨年、これからの人生をどう生きたいのかを自分に問い直し、瞑想を深める中で「残りの人生を神・真理とともに生きていきたい!」という思いが、以前にも増してはっきりと自分の内側から湧き上がってきました。
自分も他者も生きとし生けるすべてが真実在の顕れであるなら、その真実在のために限りあるこの身体を道具として朽ちるまで動かす─。それはなんと喜びに満ちた幸せな生き方でしょう!そして、そのように思えることがもう既に神の祝福の中にあるのだと感じています。

今年も喜びとともにヨーガを生きていきたいと思います。
日々の実践を通して、その喜びを皆さまと分かち合えますように!!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

シャルミニー


『マハーヨーギーの真理のことば』~心が唯一頼るべきもの  

11月23日は、私たちが敬愛してやまない師サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕日です。私たち弟子にとって、師へ心からの感謝を捧げるとともにヨーガの成就に向かい心新たに誓願を立てる日でもあります。

15年ほど前、私は長年実践してきたヨーガに疑問を抱き、進むべき道を見失ってしまったことがありました。そして、心の奥底から真のグル(師)を求めました。
その数ヶ月後、まさに「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」という聖句の通り、ヨーガのご縁によってその願いは現実のものとなりました。
皆が親しみを込めて「ヨギさん」と呼ぶその方は私が求めていた“真のヨーガの師”であり、私はシュリー・マハーヨーギーのもとでヨーガの道を歩むことを決心しました。

非常に残念なことですが、最愛の師は2023年5月に肉体を離れられ、直接お姿を拝することは叶わなくなってしまいました。深い悲しみに沈みながらも、「今こそ師から学んだ教えを実践する時だ」と自分を奮い立たせていたある日、『マハーヨーギーの真理のことば』の中にまるで師からの励ましのような教えが目に飛び込んできました。

「心が唯一頼るべきもの」

グルの真実は姿形ではなく、その本質にあります。それは形と言葉を超えている、存在そのもののことです。真実です。それはあなたの中の、あなたの真実と同じものです。
唯一、心が頼るべきは、グルとその真実の言葉です。

――『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章「聖なる存在」/第三節「グル」より

私はハッとしました。
師の教えはこの御本の中にあり、師の言葉は師の本質であり存在そのもの。師の存在は失われたのではなく、言葉を超えた「真実」として今も常に私の中にある――と。

私が師に巡り会えたように、これからも一人でも多くの人がこの『マハーヨーギーの真理のことば』の中に師の存在を見出し、シュリー・マハーヨーギーのもとに導かれることを心から願っています。
私もまた心を新たに、師が教えて下さった「私の中の真実」を実現するために精進を重ねていきたいと思います!

シャルミニー


『マハーヨーギーの真理のことば』~瞑想─基本編

ひと昔前に比べて、瞑想に興味を持つ方が増えてきたように感じます。瞑想に関する情報も多くなりましたが、その一方で、「瞑想をしてみたいけれど、どんな方法がいいのか分からない」といった声を、私の周りでも耳にすることがあります。

私自身も、師に出会うまでは、瞑想を基礎から学んだことがなく、ほんの少し習った知識で見よう見まねで行なっていました。確かに、心が落ち着いたり、何かひらめいたような感覚を得ることもありましたが、どこか茫洋としていて、「これでいいのかな…」と何度も考えることがありました。

シュリー・マハーヨーギーの下で、瞑想を一から教えていただくようになり、私はそれまでかかっていた心の靄(もや)がサーッと晴れていくように感じました。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十三章「瞑想─基本編」には、これから瞑想を始める方や、始めて間もない方でも共感できる問答が数多く載っています。
例えば――

─良い瞑想とはどういう状態ですか。
─瞑想の効果がいちばん現れる時間というのはあるのでしょうか。
─アーサナの後に瞑想すると、直ぐ眠くなってしまうのですが、何か良いアドヴァイスがあれば教えて下さい。
─集中がすごく難しくて、いつも雑念ばかりになってしまいます。どういうふうにしたら集中しやすいのかを教えていただけますか。

ここで、特に大切な「瞑想の対象」についての問答を一つご紹介します!

─考えたいことがある時に瞑想しようとするのですが、一点に集中というよりは、考えてしまうのです。まだ瞑想がどういうものなのか全然分かっていないのですが、瞑想の具体的な対象について教えていただけますか。

瞑想の内容は大きく分けて三つある。一つは私は誰か、アートマンという本当の自己を探求する、それだけに集中する。これは私という言葉と概念がその入り口になります。もう一つは、神もしくは神的存在、理想の神の姿を思い浮かべる。そしてもう一つは、真理という抽象的なものについての集中。何か他の様々な考えはこの三番目のものに該当する。どういう考えが起こっていようと、それが真理かどうか、真実かどうかということを瞑想で悟っていく。
だから、この三つの柱のどれかには纏めないといけない、どれかにしないといけないということね。これが混乱していると集中感がなかなか掴めないと思う。

─その三つのうちから自分でどれかを選ぶということですか。

そうです。

─自分には何がしやすいかということでしょうか。

何を求めているかです。しやすさの問題ではなくて、何を本気で真剣に求めているかということ。それによってこの三つのどれがいちばん身近に感じるかというのが自然に繋がってくると思う。

─行き着くところは全部一緒なのですか。

そうです。
真実の幾つかの面というか現れとして、その違いがあるわけです。自己を探求するのがギャーナ・ヨーガ、神的存在に瞑想するのがバクティ、そして真理、真実を確かめていくのはラージャ・ヨーガ。そういうふうにその集中対象と内容に応じて呼び名は違いますけれど、行き着くところは同じだし、またギャーナ・ヨーガでもバクティ・ヨーガでも純度を高めるためには識別を必要とします。識別というのは心の中にまだ残っているかもしれない煩悩性のものを取り除く作業です。これは真実と突き合わすことによって放棄されていく。だからそれらをしっかり覚えておいて、そして最も切実に求める対象を選ぶ。

─対象は一つだけにするものなのですか。

いえ、そういうわけではないです。その三つを、一時にではないけれども、一人の修行者が行なっていくことは普通です。
( 『マハーヨーギーの真理のことば』第十三章「瞑想─基本編」第一節 瞑想の基礎/瞑想の対象を選ぶ)

私は、バクティ・ヨーガの瞑想を何年も続けていましたが、今はアートマンへの瞑想に変わりました。
それは、神を求めなくなったからではなく、むしろ神を求めて瞑想を続けるうちに自然とアートマンという真我への瞑想に繋がっていったという感覚です。
瞑想の進み方やその様相は一人一人それぞれに違うものだと思いますが、行き着くところは同じ一なる真実。私の中にあるその真実を実現するまで、これからも真剣に瞑想を続けていこうと思います。

シャルミニー


『ヨーガ・スートラ』写経ーー『インテグラル・ヨーガ』

9月に入っても暑い日が続いていますが、皆さまはこの酷暑、どのように過ごしておられますか?
私は先月、『ヨーガ・スートラ』の写経に取り組んでいました✍️
3年前にもその写経をしたのですが(『ヨーガ・スートラ』写経)、今回はスワミ・サッチダーナンダが『ヨーガ・スートラ』を解説した『インテグラル・ヨーガ』を写経しました。
実はこの本、私たちの師シュリー・マハーヨーギーが翻訳監修に携わっていて、私はその一つ一つのスートラ(節)を写経していると「あぁ、師の的確で明細な表現だ〜!!」と感じ入り、師の息吹に触れたように感じられました。
さて、ちょっと問いかけなのですが、ヨーガの偉大な発見って、何だと思いますか👀?
「梵我一如」の発見、「無知」の発見、「バクティ(信愛)」の道の発見など、たくさんありますが、「見ている意識(本当の自分)」の発見もその一つだと思います。
『ヨーガ・スートラ』では、心をただ客観的に観照している「見ている意識」があり、それが「本当の自分」であると説いています。
私自身、「見ている意識」を知ったのは、師シュリー・マハーヨーギーのニューヨークでの問答が収められた『プラナヴァ・サーラ』という聖典を読んだ時でした。
その時まで私は、心が自分だと思うこともないほど、心が自分であり主体だと何の疑いもなく思い込んでいました。
しかし、「見ている意識」を知った時、「今、確かに見ている意識が在り、心は見られている。心は客体であり、主体は見ている意識である」ということに気付かされ、そして次の瞬間、心は電流に打たれたかのような天地がひっくり返るほどの衝撃と顛倒(てんどう)が起こりました。
それにより、その後の1週間ほどは心が真実を知った歓び、そしてそれを教えてくださった師への感謝で満たされたのでした。


今回、『ヨーガ・スートラ』の写経をして再認識したことは、やはり「見ている意識」について『ヨーガ・スートラ』は克明に書き記しているということです。
また、「見ている意識」に留まれるように、心の煩悩を無くすアプローチも仔細に説いています。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、『ヨーガ・スートラ』は苦悩する人類を救う「希望の光」だと感じています。
心は「見ている意識」を知らないから、欲望や世界に巻き込まれ、苦しんでいます。
そして何より、聖典が輝き、人を苦しみから救済へと導くのは、「グル(師)」によってです。
グルの存在ゆえに、難解な聖典に光が当てられ、人は真実を知り、実現したいと思えるのです。

私がグルから教えていただいた「見ている意識」ーーその真実を初めて知った方は、今、この瞬間、目を閉じて、その存在を感じ取っていただけたらと思います。
それは誰もの中に在る確実なるものです。

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』第一章「愛の真理」

アーサナ中に体験した忘れられない出来事があります。
アーサナを始めて何年か経ち、少しずつ真理の教えにも触れていっていたある日、いつものように自宅でアーサナを行なっていました。すると、「このままではだめだ!!」という思いが突然やってきて、私はアーサナを中断して立ち上がりました。

その頃、我が家では、イチゴという名前の白い犬を飼っていました。私は、彼女の自由にできる場所をリビングだけに制限していました。理由は、部屋が汚れることがとにかく嫌だったからです。今となっては、とてもエゴ的で傲慢な行為だったと思いますが、本当にあの瞬間までは、それが間違っているとは思いもよらず、考えることすらありませんでした。
けれどその時、私はアーサナを中断して、部屋を行き来できないように置いていた柵を取っ払って、彼女が家の中を自由に行き来し、過ごせるようにしました。そして、当たり前のことなのですが、汚れたら綺麗にすればいいと素直に思えたのです。その瞬間、憑き物が取れたかのように、私自身も自由になれたような清々しい感覚と救われたような気持ちを味わいました。そして、彼女以外の家族にも窮屈な思いをさせていただろうことにも気付きました。

それ以来、彼女の毛並みはツヤツヤとして、元の白さを取り戻していったように見えました。そして以前よりも生き生きとして、元気に走り回っているように見えました。私はその姿を見て深く安堵しました。

部屋を清潔にしておくことや整えておくことは、もちろん悪いことではありません。できるだけそのようにしておく方が、私だけでなく、きっと家族も心地良く過ごすことができるだろうと思います。けれど、心の思いは、完全に純粋なものではなく、「私」と「私のもの」への執着が入り混じり、時に、それはエゴ的で傲慢な行為となり、他者を苦しめたり、気付かないうちに傷つけてしまうこともあることを知りました。

天国と地獄は人の心の中にあります。あなたが「私」と「私のもの」を突っ張ればそこは地獄になり、「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げるなら天国になるのです。心は迷いやすく間違いを犯すかもしれないが、自らの苦しみを避けるためには他者を苦しめてはならない。自らの幸いを招くためには他者の喜びに奉仕することです。それは愛です。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章64頁

彼女が旅立った時、自分のしていたことを本当に申し訳なく思い、彼女が生きている間に大切なことに気付かせてもらえたことを改めて深く感謝しました。
そして、また同じような間違いを犯さないように、この教えを大切に心に留めています。

サットサンガで、あの日の出来事についてお聞きした時、ヨギさんは、良い気付きだったこと。そして、アーサナによって集中状態が生まれ、心が静まり、瞑想のような状況が訪れたことを教えてくださいました。

ヨーガを正しく学び、実践していくことは、誰もにとってより良く生きるためのたしかな拠り所となり、道標になってくれると思います。
一人でも多くの人がヨーガと出会えますように。真実を求めて、真摯に学びと実践を続けていきたいです。

藤原里美


『マハーヨーギーの真理のことば』 ~ヨーガは万人に開かれた道

「ヨーガは万人に開かれた道です。無一物として出家して励むという道もあれば、在家として家庭を持ち、仕事をしながらヨーガを深めるという道もあります。男も女も、誰もが実現できます。徳のある家に生まれる方もいれば、貧しい家に生まれる方もいます。でも、そのような条件は関係ありません。あくまでも内面の問題です」

『マハーヨーギーの真理のことば』 第四章 ヨーガの道

「真理・真実」は誰の中にもあります。そして、それは生まれることも死ぬこともない、永遠の存在であるとヨーガでは教えられています。その「真理・真実」を探求する道であるヨーガが、一部の限られた人だけのもののはずがありません。

シュリー・マハーヨーギーに出会った頃、私は既婚者で、毎日、子育てや家事に追われる普通の主婦でした。でも、心の底から「この世界の真実を知りたい!」と渇望していました。

ご縁があってマハーヨーギー・ミッションの扉を叩き、自分の思いをシュリー・マハーヨーギーに打ち明けたところ、師は心から温かく迎え入れてくださり、たくさんの弟子たちとまったく同じようにヨーガの教えを真剣に説き、私が正しくヨーガの道を歩めるよう導いて下さいました。

ヨーガの道を歩むのに、資格も才能もいりません。性別も年齢も関係ありません。どのように学び、進んでいくのかも、すべて自分の自由意志です。
そして、学ぶ方法や実践のアドバイスは、古代から続く教えの中に数えきれないほど示されています。

ヨーガに出会って、自分のこの人生がかけがえのない価値あるものになりました!
もし、少しでもヨーガに興味があるなら、ぜひ一歩を踏み出してみてください。
きっと、あなたの人生にもかけがえのない光が差し込んでくると思います!

シャルミニー