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スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ 御聖誕日

1月12日は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの御聖誕日ですね。

「自らを信じることができなければ、神を信じることはできない」

これはヴィヴェーカーナンダの言葉です。
この言葉には、盲信や偏狭な宗教・宗派主義はありません。
自らを信じること、それだけです。

人は誰もが、戦争のない平和な世界を願っています。
しかしながら、現実はそうではありません。
人種、宗教間の差別や争いは、絶えず起こっています。
ヴィヴェーカーナンダは幼い頃、「タバコのパイプ」から、その矛盾を感じています。
法律家の父の事務所にはカースト別にタバコのパイプが用意され、イスラーム教徒用のパイプだけ離れたところにありました。
ヴィヴェーカーナンダはすべてのパイプを吸って、次のように父に言ったそうです。

「どこに違いがあるのか分かりません」

このようにヴィヴェーカーナンダのみならず、子供や青年の頃、誰もが感じるであろう世界の矛盾――
ただ、大人になるにつれ、それらは忘れ去られていくことがほとんどです。
しかしながら、ヴィヴェーカーナンダは29歳の時、次の言葉を述べています。

「世界が自分の後をついてくるまで、インドにはもう戻らない」

そしてアメリカに渡り、世界宗教会議で「真理はただ一つ」と宣言したのです。

世界の矛盾と真っ向から対決し、行動に移したヴィヴェーカーナンダ。
では、どうしてヴィヴェーカーナンダはそれができたのでしょうか?

大きな要因の一つはやはり、「自らを信じた」からだと感じます。
アメリカ行きを決める前、彼は2年間のインド遊行遍歴の末、旅の最終地カニャークマリで次の誓願を立てます。

「幾度生まれ変わろうとも、千の不幸に苦しもうとも、自らが信じる唯一の神、あらゆる魂、とりわけ邪悪なる我が神、苦悩する我が神、あらゆる民族の貧しき我が神を礼拝せんことを!」

そしてもう一つ、大きな要因だと感じることは――

ヴィヴェーカーナンダ聖誕150周年の2013年、私はベルルマトを訪れました。
一宗一派を超えて「真理はただ一つ」というヴィヴェーカーナンダの思いは、彼が設計をしたベルルマトに表現されていると感じました。
その外観は見る角度によってヒンドゥー教、イスラーム教、キリスト教、仏教の寺院に見ることができるように作られていました。
そしてその聖堂の中には、彼の最愛の師である「シュリー・ラーマクリシュナ」だけが、存在していたのでした。

ゴーパーラ


覚者の言葉

今日は成人の日ですね。

私には成人した子供がいます。
最近ようやく、少し落ち着いてきたというか手が離れてきて、親も子もお互い関係はおおむね良好ですが、それこそ子育ての時期は、私も子供も嵐のような時期を過ごしました。

幸せになって欲しい、こういう道を歩んで欲しい、自分が出来なかったこんなことをさせてあげたい、自分が嫌だったこんなことはさせたくない・・・
愛という名の下に親は何の疑いも無く、そうすることこそが親の勤めと信じて子供に様々なことを教えます。

でも、でも、でも・・・・
これが上手くいかない。
願いどおりにいかないばかりか、まるで反対の方向にドンドン進んでしまったり。
こんなに愛しているのに、こんなに親身になって全てを惜しまず捧げているのに。
貴方のためを思って、貴方が後悔しないように。

そんな時、先輩から師の御言葉を教えてもらいました。
『子供は授かりものではなくて、本当は預かりもの。誰からの?神からの。子供が小さいあいだは全ての愛情を注いで育てる。そして成人したら神様にお返しするんですよ。子供は神様からお預かりした大切な大切な存在です。決して親の所有物でも、コピーでも、夢を託すものでもない。』
この教えを聞いた人は皆、もっと早くにこの言葉を聞いていたらと一様に口をそろえて言われるそうです。
私も全くその通りに感じました。

師はサットサンガで親子関係について質問した時、私にこう言われました。
『親子といえどカルマは違います。今、貴方は親子でそれぞれの道を歩む時期に来ている。』
正にその時期、私は子育てというものと自分のヨーガへの熱望が交差したと感じ始めていたときでした。

このお話に限らず、師から教わったヨーガの教えは、ズドンと胸に刺さる様に一瞬で私の中に届きます。いや、御言葉に私が飲み込まれるという方が正しいです。

何処かで聞いた心理カウンセラーの話しだったり、スピリチュアル系の本で読んだ教えだったり、
同じニュアンスの言葉に出会っていたかも知れませんが、私にはそれまで何一つ届くものはありませんでした。

その人の人生を変えてしまうような言葉。

①腑に落ちて、
②全面的に受け入れ、
③以降、胸に大事に抱えて生きていく。

教えを請う人に対して、そういう導き方が出来るのは、覚者といわれる御方だけです。

チャイタニヤ


新年のご挨拶

明けましておめでとうございます🌅㊗️🎍
皆様、お正月はいかがお過ごしでしょうか?
私は実家の愛媛に帰省して、初詣は今治城内にある吹揚神社に参拝してきました。
そこでは、師ヨギさんに「今年もどうぞよろしくお願い致します」と新年のご挨拶をさせていただきました。

ところで、年末のブログにも少し書きましたが、ブログ新体制のお知らせです!
2018年から、主なブログのメンバーが変わります。
新たなメンバーとして、時折ブログに記事を寄せていたアマラーさんとチャイタニヤさんに加入してもらい、そしてダルミニーさんと私の計4人を軸に、ブログを発信させていただきます。
今まで主なメンバーであったサーナンダさんとサティヤーさんは、ブログメンバーではなくなりますが、今後もブログをアップしてくださいますので、そちらも楽しみにしていただけたらと思います。
ここで簡単にですが、新メンバーお二人の紹介です☝️

アマラーさんは一児の母であり、子育てをしながら夫のグルダースさんと共に夫婦でヨーガに励んでおられます👩
金曜朝のヨーガ・ヴィハーラのクラスも担当しています。
チャイタニヤさんは会社勤めをしながら、ヨーガを実践しているザ・バブル世代👨
人生の酸いも甘いも経験しているチャイタニヤさんならではのブログに期待です。

こうやってブログメンバーの紹介をして感じたことは、マハーヨーギー・ミッションの多くの方は仕事や家庭をもちながらも、地道にヨーガを実践しているということです。
そのように現代のヨーガ行者が、日常でどのようにヨーガを感じ、瞑想や実践を行ない、そして生きているのかを、メンバー新たにさまざまな方面からその気付きや活動をお伝えできたらと思っております。

では、本年もブログ「ヨーガを生きる」を、どうぞよろしくお願い致します😇🙏

1602年、藤堂高虎によって築城された今治城。お堀の水は海水で、日本三大水城(あとは高松城と中津城)に数えられているそうです📝

ゴーパーラ

 


グルと聖音オーム

今年も残すところ、1日ですね。
皆様、今年はどのような1年でしたか?

2017年のブログ「ヨーガを生きる」は、ヨーガ・ヴィハーラでの瞑想会からスタートしました。
そして先日、今年最後の瞑想会が行なわれました。
そこで私はこの1年、師からいただいた「お言葉」に瞑想しました。

今年いただいた目標である「自己実現」から始まり、「徹底的に識別を行なうこと」、また「ゴーパーラ」という聖名をいただいたことなど、この1年の師のお言葉を振り返っていました。
それは瞑想というよりは、思い返すというような心を使った作業でした。
しかしながら、それを続けていると突然、心が止まりました。
そしてその瞬間、場面が一瞬にして切り替わったかのようにして、「オーム」の音が聞こえてきました。
ヨーガダンダさんが唱えているのかなと思い、目を開けました。
しかしそれは、ヨーガダンダさんが唱えていたのではなく、ヨーガダンダさんから鳴り響き、また暖房や壁、絨毯、すべてから鳴り響いていました。
その時私は、師のお言葉を思い返していたから、オームの音が聞こえてきたのだと直観しました。

「プラナヴァ、即ち聖音オームは、無上の存在(神)であり、始原のグルであるイーシュヴァラを表す。プラナヴァ・サーラはサットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの教えの精髄(サーラ)――ヨーガの福音である」

改めてこの1年を振り返ると、毎週の直伝クラスをはじめ、4月の祝祭の開催、5月の松山特別サットサンガ、6月の京都特別サットサンガ、夏のニューヨークご訪問、また2度にわたる台湾ご訪問にと、師であるヨギさんが本当に動いてくださった1年でした。
特に直伝クラスでは、師の一押しでアーサナが深まり、師が近くを通るだけで集中が強められ、まさに師の一挙手一投足、すべてが導きでした。
また松山、京都、ニューヨークのサットサンガでは、どんな状況でも、どんな質問にも全く動じずに、誠実かつ泰然と答えられている師のお姿に、絶対の安心と信頼を感じずにはいられませんでした。
そして何より、そこには必ず「祝福」がもたらされていました。

先月のサットサンガで私は「自己実現の目標まで、あと1カ月しかありません」と言うと、師は次のように答えられました。

「まだ1カ月もある」

今年もまだ1日残っています。
目標達成、諦めません!!!


最後になりましたが、今年もブログ「ヨーガを生きる」をご拝読いただき、まことにありがとうございました。
新年からは、新体制で臨みたいと思っております。
皆様、来年もどうぞよろしくお願い致します😇🙏

 

ゴーパーラ


直伝クラスでの経験

ヨギさんの眼差し、声、長い足で颯爽と歩かれる時にそよぐ風。あまりにも魅力的で釘付けになってしまう。むっつりスケベの私にとって、ヨギさんを間近に感じながらアーサナによって内面でヨギさんに触れようとすることは、誰にも知られない神との密会のようで、とてもドキドキワクワクすることです。

私は腕が生まれつき曲がっています。10年くらいアーサナをしていますが、左右とも真っ直ぐには伸びきらず、アーサナの種類によってはできないだろう・・・と半ば諦めに近いポーズがいくつかありました。

ところが・・・ヨギさんのクラスに出始めて異変が起きたのです。
クラスが始まった頃、ヨギさんが口頭でアーサナのポイントを説明され、その言葉をもとに形を作っていきました。完成ポーズの保持時間が長く肘が曲がっていて苦手と感じるアーサナ(ヨーガ・ムドラー、チャクラ・アーサナ)のとき、心が悲鳴をあげてもがくような感じでも、ヨギさんと同じ空間にいる嬉しさの方がいつの間にか勝り、クラスに通うごとに肩関節の可動域が広がっていきました。

組んでいる手が中途半端にしか上がらずプルプルして死にそうだったヨーガ・ムドラーは、肩関節の可動域が広がったお陰で肩先を広げ、両側の肩甲骨を背中の中央に引き寄せる感覚を身につけることができ、組んでいる手が頭の方に楽に近づけるようになりました。今まで以上に深い形で呼吸に集中することができるようになり、ポーズを戻した時のプラーナの流れは激流のように感じられ、心が一気に静まり満たされる感覚を覚えました。

またチャクラ・アーサナは背中の肩口あたりに集中すると、長い保持時間の間、できる範囲で腕をしっかりと伸ばし、肩口のところに集中点をもってきてハートをヨギさんの方に向けていると、気付いたら腕で支えるのではなく、背骨で支えて保持する感覚が分かるようになってきました。

肘が曲がっているからできないという思いはいつの間にか消え、むしろするのが楽しみなアーサナになりました。

ある時、瞑想が終わりシャヴァ・アーサナをした時のこと。「はい、起きて」と言われたヨギさんの声が、ヨギさんが座られているところからも、自分の胸の中からも、両方から響き渡って聞こえてきました。びっくりしたのですが、それはとても当たり前のことのような感じがして安心しました。

『いつも私はみんなの中にいます』

ヨギさんの言葉が浮かびました。

どこにいてもヨギさんがいてくださることを胸に、もっとそれを味わえるように日々サーダナに取り組んでいきたいと思います。

 

アマラー


ラーマクリシュナの福音

皆さん、こんにちは
暮れも押し迫まってきましたね。今年一年、どのような年でしたか?
昨日よりも今日、今日よりも明日、日々、より良い自分でありたいものですね。
さて、今日も「ラーマクリシュナの福音」よりご紹介いたします。

シュリー・ラーマクリシュナ

ある日の土曜日、シュリー・ラーマクリシュナはラームの家の階下の客間で信者たちに囲まれて話をしておられた。最愛の娘を亡くしたばかりのブラーミンの婦人が、その悲しみを癒せないものかと、北側のドアのそばに立って話を聞いている。

ラーマクリシュナ「先日、ここにある男がやってきた。数分間坐っていたが、やがて『我が子の「月の面輪」を見に、帰りとうございます」と言ったものだ。私は自分を抑えかねて『お前は神の「月の面輪」より息子の「月の面輪」が見たいのか!出ていけ、この馬鹿者』と言ってやった。
神のみが実在、他のすべてのものは非実在、というのが真理だ。人々も、宇宙も、家も、子供たちも、こういうものは全部、魔法使いの魔法のようなものだ。魔法使いは杖をたたいて『不思議、不思議、摩訶不思議!』と叫び、見物人に向かって『さぁ、この壺の蓋を取り、鳥どもが空中高く舞い上がるのをごろうじろ!』と言うだろう。だが魔法使いだけが本当にいるのであって、彼の魔法は実存しないものだ。実存しないものは一秒くらい存在して消えてしまう。
シヴァがカイラース(シヴァ神の聖なる住まい)に坐っていらっしゃった。従者のナンディがそばにいた。突然恐ろしい物音がした。ナンディが『尊いお方よ、これはどういうわけでございますか』と尋ねたら、シヴァが『ラーヴァナ(ラーマ神に成敗された魔王)が生まれたのだ。そのことを示す音だ』とおっしゃった。数秒の後にもう一つ、恐ろしい音が聞こえた。ナンディが『今度は何の音なのでございましょうか』と尋ねると、シヴァが微笑して、『今、ラーヴァナが死んだのだ』とおっしゃった。誕生も死も魔法のようなもの、魔法は一秒間ほど見えていて、そして消えるのだ。
神だけが実在であって他の一切のものは非実在だ。水だけが実在であって水中の泡は現れたり消えたりする。それらは自分たちが生まれてきたその水の中に消えていくのだ。神は海のようなもの、そして生き物はその中の泡だ。彼らはその中で生まれてその中で死んでいく。子供たちというのは、一つの大きな泡のまわりに立っているいくつかの小さな泡だ。神だけが実存だ。彼への愛を養うよう努め、彼を悟る方法を見出しなさい。悲しんでいても何も得られはしない」

私たちの師は、悟りとは夢から目覚めるようなものだと教えてくださっています。

誰でも眠りから目が覚めたとき、夢の中で一喜一憂していた自分を一笑に付すように、真実在に目覚めれば、現実と思っていた世界も夢幻と知るだろう。

                   サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

現実だと思っているこの夢のような世界で、私たちはああでもない、こうでもないと右往左往しています。人の生も死も宇宙から見れば、ほんの一瞬のことなのでしょうか。
私たちは生まれることも死ぬこともない、絶対不滅の存在、永遠に続く純粋な意識なのだと師から教わってから、死ぬことは不幸なことでも、恐れるものでもないということが分かり、安心したのでした。この生のある間に、神だけに、真実在だけに心を思い留めておくことができること、それこそがこの夢の世界においては、いちばん大切で幸せなことなのだと学んだのでした。
あぁ、早くこの夢から目覚めて、真実となれますように。

ダルミニー


淡味を知る さまらさの台所 12月

12月10日((日)に今年最後のさまらさの台所がありました。今回のテーマは「淡味を知る」ーー淡味とは素材の持ち味が生かされており、間の抜けた薄味でも、素材の持ち味が損なわれている濃い味でもない味付けのことです。しかし、味覚は習慣によって作られるので、普段自分が食べているものが濃い味なのか薄味なのか、淡味なのか、自分自身で判断することは難しいところでもあります。

今回の台所では、淡味を知るためにお出汁を使って、ある実験をしました。
昆布出汁に調味料を加えず、まずは素材の味をみんなで確認しました。昆布出汁は昆布を水に浸けている時間にもよりますが、そのままでも昆布の優しい味わいがあり、香りもあります。次に塩を少々加えました。すると塩味がするというのではなく、先ほど感じた昆布の味が突然味わい深いものになり、香りもより引き立ちました。次に薄口醤油をほんの少し加えました。すると体に染み渡る美味しさになりました。お吸い物の出来上がりですね。

このように淡味を知るためには、まずは素材そのものの味を知ることも大切です。素材の味を損なわないように、むしろより美味しさが引き立つように調味料を使う。さまらさでは、調味料は素材の味を引き出すために使うものだと考えています。決して調味料の味で食事をするのではないのです。

今回作った筑前煮やかぶの煮物もそれぞれの野菜の味がしっかりと味わえました。
    

節度ある食生活を心がけていくことは、行為や考え方にまで反映されます。ヨーガでは舌と心は非常に密接に関係していると言われ、習慣的に味の濃いもの、辛いもの、甘いものなど、欲求のままに食べているとそれらに依存し、それらがなくてはならなくなります。また体調の不調和を招き、心は依存を強めると言われます。味覚が習慣に頼っているのなら、素材の味を知り、淡味を味わうことが新しい習慣になることが望ましいですね。そうすることで、体調が整うのはもちろんのこと、心の依存を無くし、心を強くしていくことができると思います。日々の食生活を通しても心を整える術があります。

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直伝クラスでの経験

昨年の12月から、古代から伝わるヨーガの真髄であるアーサナ・瞑想を、師シュリー・マハーヨーギーが直接にご指導くださる直伝クラスが誕生しました!弟子たちはその貴重な経験によって、多くの霊的な気付きや恩寵がもたらされています。今回は、弟子のチャイタニヤさんがの直伝クラスの学びについて記事を寄せてくれました!


師が直接アーサナを指導される直伝クラス。
私はそこで、プラーナ(根本・生命エネルギー)という気の働きを自分自身の身体の中で、そして環境の中で確かに感じる事ができました。
また、それを自分で意識的に扱うことも出来る事に驚きました。

自宅でアーサナをするときは、習慣として行なっている部分が強く、内的集中が深まっても、自分の体感に懐疑的というか、それこそ『気のせいかも?』と、ことさら取り上げて考えないようにしていました。良く出来るときはそれなりで良いけれど、今ひとつなときは、『うまくできないのはこれこれが原因だ』とか、なんだかんだと心が一瞬ですり替わって、出来ない理由を正当化する癖がありました。

しかし直伝クラスの最中には、そういった心の思いそのものが起こる事もありません。気持ちが他の事に外れる事もなく、ただ呼吸に集中するだけです。保持する間は限界まで必死でやり、うまく出来ても、出来なくても心の反応や感想が全く出てこないのです。
いわゆる一点集中しているということだと思うのですが、普段以上に集中力が極まる状態が何十人の参加者で同時に起きているというところが凄いと感じました。
師の場を支配する力に何十人もの心が引き集められ、フリーズしてるような印象を受けました。

プラーナが感じられると、ポーズをつくるタイミングやシャバ・アーサナ(屍のポーズ)に入るとき、また次のアーサナに移るときの身体の動きや心構えにとても敏感になります。少しでも動きが荒かったり、慌てたような動きになるとどこか気持ち悪いというか、収まりが悪いような、不自然さや違和感を感じるようになりました。
全体の流れや、間合いの細かな変化を確かに身体でも感じられる様になりました。

いい流れで進む時にはシャバ・アーサナからすぐに次のアーサナに流れるように移行したいと感じ、呼吸や心が調わない時は一呼吸待つ。ここ!今!という絶妙のタイミングを自分の中で大事にして、プラーナの微妙な変化をしっかりと読みとるようにしています。

全体のアーサナがこのように行なえると、頭頂部から尾てい骨まで背骨を中心に中空のトンネルが空いた様に、身体が内側からすっかり換気されたような体感があります。
直伝クラス後は、ただ静かにじっとしていたい、なるべく小声で話したい、というようなポーッとした心地よい脱力が続きます。

師が会場をゆっくり歩かれるだけでスモークのように気が動いているのを感じます。
師に手を軽く触れられると、姿勢がグーッと伸びていくように感じ、自分はこんなにも深まったポーズが出来るのかと感じました。

私達は心を神だけに向けて、世の中を無私の生き方で献身していく。そう約束した弟子達をいつも見守ってくださる師。
直伝クラスは、その働きの為に必要な身体と心をつくる手解きを、師から授かっているわけです。
アーサナのみならず、ヨーギーとしての総仕上げをグルから直接受ける大変貴重な学びの場なのです。

Caitanya


スジャータの施しとブッダの悟り

ブッダは断食の苦行をやめ、村の娘スジャータから乳粥の施しを受け、瞑想の座につきました――

私は20歳の時、このスジャータ村を訪れました。
2500年前、ブッダが生きていた当時と変わっていないであろう田園風景と人々の暮らしがそこにはありました。

あれから13年経った今、私はこのスジャータのエピソードから、「人は何のために生きるのか?」ということを考えさせられます。

ブッダと同じ時代、マハーヴィーラという修行者がいました。
彼は生涯において厳格な戒律に従い、すべての生物に対して細心の注意を払って不殺生を実践し、最後は断食の修行で命を終えたといわれています。
不殺生の究極ともとれるマハーヴィーラの生き様からは、彼が命を懸けて「真理」に向き合っていた凄まじさが伝わってきます。

一方、ブッダは六年間の苦行の末、「健康な体と心を持ち合わせていなければ、悟りを啓くことは不可能だ」として、スジャータから乳粥の施しを受け、瞑想の座につきます。

ブッダとスジャータ。菩提樹の後ろに描かれている5人の修行者はブッダが苦行をやめたことを誹るも、後にサールナートでブッダから最初の説法を授かり(初転法輪)、弟子になったといわれています。

そして、その瞑想においてブッダは次の言葉を言ったといわれています。

「無知の中で100年生きるより、真理の中で1日生きる方がいい」

スジャータの施しとブッダの身体を満たした乳粥、瞑想の座についた大地、風や寒さをしのぐ大きな菩提樹、そしてブッダの大いなる覚悟――

一切が真理実現のために存在しているシーンが思い浮かびます。

12月8日はブッダが悟りを啓かれた日です。

ブッダの心境に思いを馳せ、そしてその偉大なる存在の御足に礼拝します。

ブッダが悟りを啓いた菩提樹。スジャータ村から少し歩いたところにありました。

 

ゴパーラ


千本丸太町で朝ヨーガ・瞑想!!

ジャイ!!!ジャヤンティー!!!

先日23日は私たちの師であるヨギさんの御聖誕日でした。

ヨギさんの純粋な愛に触れると、嬉しくて嬉しくて嬉しくて、胸の奥から歓びが溢れ出す、言葉では言い表せない歓喜。その愛の深さにずっと魅せられ続け憧れ続け、私はヨーガをしてるんだ、と改めて思ったのでした。

さて、まだ興奮は冷めませんが10月から始まった金曜日午前のアーサナ・瞑想クラスについてご紹介させて頂きたいと思います。
まずは会場の様子から・・・
ヴィハーラの目印は何と言ってもジャーン!このオレンジの看板です。

朝の爽やかな空気を吸い込み、この扉をくぐり抜け階段を上がると・・・雪国!ではなく、落ち着いた緑色の絨毯が敷き詰められ、壁にはインドの神様(ドゥルガー女神、シヴァ神、クリシュナ神)の絵が飾られた美しい空間がお出迎えをしてくれます。神聖なプラーナ(氣)に包まれたこの空間でアーサナをすると集中が高まり、ポーズが家よりも深くできるから驚きです!

平日(金曜日)午前中のこのクラスは、土日や夜に外出が難しい主婦の方にぜひ来て頂きたいという思いで始めました(もちろん主婦以外の方、男性も大歓迎です)。
家事や育児、仕事に日々追われて過ごしていると自分自身のことはつい後回しになりがちですよね。このクラスの時間は静寂の中、自分自身と丁寧に向き合うことができます。
アーサナのポーズ中1つ1つのポイントを確認しながら呼吸に集中していくと、心は穏やかになり身体の疲れは癒されていきます。
例えば私自身の例でいうと、些細なことで夫と言い合いになりプンプン怒っていたりしても、クラスに来てアーサナをすると心が落ち着いて素直になれたり(仲直り)、子どもと同じ布団で寝ていて寝返りがうてず肩や腰が痛くなっていたのがすっかり解消されたり、とっても不思議なのですがこの1時間半の間に心も身体も軽やかになってクラスに来る前の状態とすっかり変わってしまうことがよくあります。

クラスに来られた方からも「すっきりしました!」という言葉や「気持ち良かった」という言葉、「普段意識しない身体の部分が動かせて良かったです」という言葉など、嬉しい感想を頂いています。ヨーガの素晴らしさをより多くの方に体感して頂けたらと思います。

これから寒くなりますがお部屋を暖めていますので、安心してご参加ください😊

オレンジの扉の向こうでお待ちしています〜!

アマラー