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ヨーギーさんゆかりの地~福岡探訪~

梅雨入りしてジメジメとした空気が続きますが、心はいつも晴れやかでいたいと思う今日この頃です。

 ところで、ヨーギーさんが幼少時代、福岡市に住まれていたのをご存じでしょうか?

先月の福岡クラスの後、グルバイの綾子さん、岩城さん、わたくしヨーガダンダで、ヨーギーさんがお暮らしになっていた街を探索して参りました!

 この日のヨーガ瞑想クラスは、いつもの会場が使えず千代体育館を使用することになりました。夜勤明けの方や、クラス後に出張で東京に飛ぶ方など、忙しい生活の中で疲れが溜まっておられるようでしたが、アーサナを行なっていくうちにプラーナが蓄えられていって、瞑想時には完全に充電された様子でした。

千代体育館を出ると、辺り一帯は博多祇園山笠の準備で活気に溢れていました。地元民で福岡クラス常連のY子さんが、解説しながら案内してくれました。山大工の方々の話も聞けて、一年に一度のこの祭りにかける意気込みが伝わってきました。

 さて、いよいよヨーギーさん縁の地に向かいます。実は13年前にヨーギーさんが福岡でサットサンガをされたことがあり、その時に同行させていただく機会がありました。畑だった区域は高級住宅街に変貌し、ヨーギーさんの旧住家だった場所には大きなビルが建っていました。今回もその時の記憶を辿りつつ行き着いた先には、13年前と同じ大きなビルが建っていました。

 次にヨーギーさんの母校である高取小学校へ。ヨーギーさんと訪問した折りには、女性の校長先生が応対され、50年ぶりに母校を訪ねられたヨーギーさんに深く感銘を受けたご様子でした。後日、校長先生から送られてきた手紙には、「いじめ、不登校、不祥事・・・・・・と日々の暗い話題の中で、一服の清涼剤のような出来事で、感謝の気持ちで一杯です」、「お話を伺いながら心のやわらかさを感じることができ、徳の高い御方だと確信しました」といった内容が記されていたのです。

さぁ、その校長先生はいるかな??と、おそるおそる職員室を覗くと、「どうされました?!」と若い男性の教員がこわばった表情で尋ねてきました。13年前の出来事を話すと、その若い教員はだんだんと心を開いてこられ、「その年は、私はまだ小学校6年生でしたよ」と笑顔で返してこられました。校長は3~4年の周期で異動するのが通例ということで、ヨーギーさんに感銘を受けた校長先生もすでに高取小学校を異動されていました。

左から、ヨーガダンダ、綾子さん、岩城さん

 もう一人、職員室におられた女性の教員は、「その師匠は本当に愛されている方なんですね!」と、感動した様子。次に、ヨーギーさんが遊ばれていたという紅葉山公園に行くことを伝えると、たまたま自転車で学校を出ようとしている生徒に案内するように頼んでくれ、3人はその子供に連れられた公園へと向かいました。

公園入り口には階段があって、かなりの傾斜を登っていきます。ヨーギーさんの時代にはなかったそうです。

 
頂上はかなり高い位置にあります。小学校低学年の子供にとっては、かなり広大な自然だったことでしょう。


今は舗装されて綺麗に整っていますが、ヨーギーさんが遊んでいた頃はジャングルのように木々が生い茂っていたそうです。

 この広々とした場所に来てみて、子供の頃のヨーギーさんが屈託なく、のびのびと過ごしておられたことを肌で感じました。ヨーギーさんが8才でアートマンの目覚めを体験されるのは、この後京都に引っ越されてからのことです。何の計らいもない、空っぽのような心の状態の時、突然真実の目覚めがやってくると、ヨーギーさんは教えられます。いつでも悟りがやってくるように、子供のような、空っぽの心でいたいとつくづく感じたのでした。

 ヨーガダンダ


識別とヴィヴェーカーナンダ(5)

「私ではなく、あなた」、それが宗教ならびに社会の理想であることを、前回のブログ(「識別とヴィヴェーカーナンダ(4)」)で見ていきました。
しかしそれについて、一つの疑問が湧いてくるかと思います。
「それは社会の中で実践できるのか?」という疑問です。
言い換えれば、「実生活の中でエゴをなくして、真理に生きていくことはできるのか?」ということです。

聖典を学び、アーサナと瞑想を行ない、食事を調えて、仕事を一所懸命する。自分自身のヨーガの歩みを振り返ってみて、そういう大きな括りの実践には慣れ、生活そのものは安定してきました。
しかし心は、過去の記憶が蘇ったり、日常の出来事の些細なことに執らわれたりと、いまだに波立ってしまいます。
そんな心の思いにストップをかけ、真理をあてがうーー「それは真の自己、永遠で完全で至福に満ちた実存なのか?」
瞑想をすれば、この移りゆく肉体や世界、心の感情、過去の記憶、その所有者であるエゴが真の自己、実在ではないことを理解し、その波はおさまったかのように思えます。
しかし、その波はまた押し寄せてきます。
幾千、幾万と輪廻して形成された心の傾向やエゴを放棄するのはそう簡単なことではない。
でも、それができない自分には何が足りないのかと感じずにはいられません。
忍耐なのか、それとも真理への情熱なのかーー

私はヴィヴェーカーナンダにその糸口を求めました。そして思ったこと、単純ですがそれは、

「ヴィヴェーカーナンダは大胆だな〜!」

ということでした。

「もし社会で非利己性の高貴な理想を実践することができないなら、人は社会を棄てて森に入った方がましです。それは勇敢な人です。二種類の勇気があります。一つは大砲に直面する勇気、もう一つは霊的確信の勇気です。
断固として真理を信ぜよ。断固として真理を実践せよ。真理、人生に断固としてその真理を示す、死を目の前にしても揺るがぬ、いや、死を歓迎し、人に彼が霊であることを、宇宙間の何ものも彼を殺すことができないということを知らしめる真理、その真理を直視する勇気をもちなさい。そのとき、みなさんは自分の真の魂に直面なさるでしょう」(『ギャーナ・ヨーガ』「人間の本性」)

自分を小さなエゴだと思うやいなや、肉体の快適さを求め、それを守ろうとし、そして死への恐怖がやってきます。
しかしヴィヴェーカーナンダは、「自分を弱くする迷信は追い払いなさい。勇敢になろうではありませんか。真の自己は、生まれもしなければ死にもしない、永遠に生きている、全能、遍在の霊なのです」と鼓舞します。

私は感じました、瞑想の中で真理をあてがうということではない、どんなときも真理に生きるという勇気、真理を高らかに宣言する力強さが必要なのだと。
一瞬一瞬、真理を直視し、高らかに「私ではなく、あなた」と理想を宣言する、そのヴィヴェーカーナンダのような大胆でダイナミックな歩みをしていきたいものです!!!

ゴーパーラ


どうしたら瞑想はできるようになる?

 大阪府を流れる淀川から分かたれた大川は、途中二手に別れて再び合流し、一つの島を作っています。中の島と呼ばれるその場所に、大阪瞑想専科が開かれる中央公会堂が建っています。
クラスが始まる19時頃、季節によってその様相は変わりますが、瞑想専科が始まった5月から夏にかけてのこの時間は、ちょうど夕陽が沈もうとするところで、とても美しく、大きなビルが立ち並ぶ、せわしない大阪市内とは思えない静けさがあります。

さて瞑想専科は、新コースが始まってひと月が経ちました。講師はサーナンダさん。毎回 10人ほどの参加者が集います。
講座では真理の教えを学べることはもちろんですが、サーナンダさんの体験談やサーナンダさんがこれまで師にお聞きした秘蔵のお話が聞けたりします。

「瞑想といっても、何から始めたらいいか分からない、どうしたら瞑想ができるようになるの?」
疑問をもつ参加者さんたちに、まずは座り慣れていくことにまさることはないとサーナンダさんは言います。
「最初は面白くないかもしれない。けれど何度も座っていく中で、日常では経験できない静けさに気づくと思います。雑念で揺れ動く心を静めていくので、初めは闘いのようでしょう。けれど心の雑念はほおっておくとだんだんと、動き回ることに疲れて静まっていくのです!」
サーナンダさんは中学生の頃から座禅を始め、毎日座って気づいたそうです。40分も座れば心が静まり、深い集中に繋がっていくということを。
ごく身近なことを例え話に用いて話される、おもしろくて深いサーナンダさんのお話は、確実に参加されている方々を引っ張っていっているようです。皆さん、ビシッと座っておられますね。
クラス後には「今日もすごく集中できました!」と生き生きと話されるお姿もあり、また「そんなことを言われてもと思わずに、やってみようと思えるようになりました」「家でも座っています」「心が軽くなりました!」という喜びの声も届いています。

最後に、ある日の会でのこと。
瞑想に限らず、何かをしようと思ってもできなくて落ち込んだ経験は多くの人がもっているかもしれません…… 
サーナンダさんがずっと以前に師(ヨギさん)にお聞きしたお話を紹介してくださいました。

サーナンダ「できなくて落ち込んだことはありますか?」
師「落ち込んだことは一度もない」

(さすがはヨギさん、できないことなんてないんだろうな〜)
すると……

師「できなかったことはある」
(えぇっ! そうなんだ。ではどうしたの?)

師「まだ今は自分にはできないんだと素直に認めた。そうして、どうしたらできるようになるかと考えた。そしてそれをやった。そうしたらできるようになった」

もしそれでもできなければ、あとはその繰り返しだけです、とサーナンダさんは続けられました。
シンプルなお言葉の中に、私たちの本来のあり方が示されたように感じ、心に響きました。

まだまだ入門コースは続きます。
途中参加もありです。ぜひ瞑想専科に心を静めに来てください!

シャチー

*大阪瞑想専科 毎週月曜日 
 https://www.mahayogi.org/classes/meditation_osaka
 京都瞑想専科も毎週木曜日、同内容で開催しています。(JR京都駅近にて)


新生!ヨーガ・サーラ・スタジオ!!!

6月15日(土)、16日(日)の2日間、サーナンダさんによる
瞑想特別クラスとサットサンガが開催されました。
土曜日はなんと43名の方が参加され、会場は熱心な皆さんの熱気に包まれました!
ここのところしばらく雨が降らず、水不足が心配されていた松山でしたが
サーナンダさんが来られると同時に恵みの雨が降り続き、松山の土地が潤うように
サーナンダさんから溢れる真理の言葉に参加者の皆さんが励まされ、実践あるのみ!とやる気に満ちたお顔になっていくのを肌で感じました。

さて、ここでみなさまに嬉しいお知らせがあります。
平成17年(2005年)から14年間続いてきた「松山ヨーガ・サークル」は令和元年に名称変更し「ヨーガ・サーラ・スタジオ」に生まれ変わりました!!!

松山ヨーガ・サークルは活動を開始した当初、とにかくみなさんに気軽に来てもらえるように敷居が低く「松山 ヨーガ」で検索しやすいネーミングにして公共施設でクラスを開催してきました。

とても小さなスタートでしたが当時は過去の『パラマハンサ』で目にした師の「真剣に望むならば、状況や環境は配慮される」という言葉を心底信じていたため、いつか必ず整うに違いない!と何の不安もありませんでした。

ヨーガ・サーラ・スタジオ

それから少しずつ活動の幅が増え、2010年にすばらしい場所にご縁がありスタジオがオープンしてからも同じ名前で続けていましたが、最近になって、この名前でいいのかとちょっとした違和感を感じ始めていたのですが、その違和感の正体がわからずにいました。
しかし、あることをきっかけに自分で付けておきながら、この名前では納得いかないという思いが強くなったのです。
師のヨーガを力強くお伝えしたいという思いの強さ、熱心なスタッフや参加者のみなさんの実践の力強さ、さらに未来にも来てくださる多くの人々を受け入れる大きな重要な母体というイメージと、この名前がどうしても一致しなくなった!と心の深いところで気づきがあり、その時は正直ここまで言葉になっていなかったのですが師に思い切ってどうしても名称変更をしたいとご相談したところ
師はすべてをくみ取ってくださり「ヨーガ・サーラ・スタジオ」というなんとも美しい名前を与えてくださったのです!!!
サーラは真実、本質、精髄という意味です。

『プラナヴァ・サーラ』と最新版の『ヨーガの福音』の最後に「ヨーガ・サーラ」という師シュリー・マハーヨーギーが書かれたヨーガ概要解説があり、ヨーガのすべてが書かれているのですが、なんと、そこから名付けてくださったのです!
それだけではありません!
看板、ちらし、ホームページ(トップページ)に至るまで、すべてのトータルデザインを師が考えてくださり素晴らしいものに一新されました。

チラシ(A5、カード)、回数券カード、名刺

見てください!この皆さんの笑顔を!!!

松山の街はこれからオレンジのちらしでいっぱいになることでしょう!!
そして、美しいちらしと看板に惹かれて多くの方とのご縁がますます広がっていくのが楽しみで仕方ありません。
1人でも多くの方がヨーガ・サーラに触れられるよう行為していきたいと思います!!!

最後にとてつもなく短期間でとびきり美しいデザインワークスをしてくださった師シュリー・マハーヨーギーとアートマンデザインのみなさまに心から感謝を捧げたいと思います。

ヨーガ・サーラ・スタジオは祝福に満ち満ちています!
これからも本物のヨーギー、ヨーギニーが集う場所となるよう
みんなでヨーガを力強く邁進していきます!
本当にありがとうございます!!!

アーナンディー


神の導き〜マザーハウス訪問〜

4月のブログで、松山の藤田沙織さんがインドのカルカッタにあるドッキネッショル寺院を訪れたことを紹介しました。(その時のブログはこちら☜)
藤田さんはそのインド滞在時、「カルカッタといえばマザーハウスもある」と思い立ち、マザーハウスを訪れたそうです。

マザーハウス入ってすぐの聖母マリア像とマザーテレサ像。

そこにはマザーテレサのお墓のある御聖堂があり、藤田さんはその前で礼拝すると、不思議と込み上げてくるものがあり、涙が溢れたそうです。
彼女の中では「ラーマクリシュナ!」と思ってインドに行き、ドッキネッショル寺院やラーマクリシュナにも感動したけれど、マザーテレサやそこで働いていたシスターにとても惹かれる自分がいて、その突然の衝動に戸惑い、消化できずにいたそうです。
しかし、藤田さんは先月に松山で行なわれた特別サットサンガに参加し、自分が感じたことをヨーギーさんに素直に打ち明けました。
そしてヨーギーさんは次のようにお答えになりました。

ヨーギー「ラーマクリシュナ・ミッションで行なわれていることもマザーテレサのところで行なっていることと、そう違いもない。だけどマザーテレサが生きていたのはついこの間です。みんなも生きている姿を目にしていると思うし、生の声も聞いているでしょう。そういう親しみというか身近さというか、そういう力も多く働いていると思うし、何よりそのマザーテレサが生涯を生きた生き様ーー死を迎える見捨てられた人々を看取っていったという、誰もを見捨てていった人たちを看取るということを今も行なっているという尊い行為ーーそういうものが胸を打つのだと思います。だから決してそれはシュリー・ラーマクリシュナとマザーテレサを天秤にかけるとかいうのではなくて、尊い人として本当に神のごとき行為がそこであったし、今もあるという、それを感じられたということだと思うよ」

藤田「私はマリア様の像だったり、そういうものにすごく親しみというか落ち着くところがあるのですけど、瞑想する時にマリア様の像だったりマザーテレサのお写真やお姿を思い浮かべて瞑想するというのは」

ヨーギー「大いによろしい」

最後にヨーギーさんは、次のように彼女に言われました。

「ヨーガでは理想の神をもてばいい、もつのがいいというにいいます。それはこの神をというふうに言わないです。それぞれが自分で選ぶのです。(笑顔で)自分が自分で恋人を選ぶように。だからそれは何もインドのヨーギーたちだけでなくてもいい。キリスト教であってもどうであれ、理想となる神を思い浮かべて進めていけばいいですよ」

藤田さんはヨーギーさんのお答えをいただくことで、「マザーを思っていいんだ。マザーを思う方がしやすい、よかった」と安心したそうです。

この世に生を受け、自らの理想を見つけ、その希望の光に向かって歩んで生きていけることの何と稀有で吉祥なことでしょう!!!
春の祝祭から始まった藤田さんの旅は、神に導かれていた本当に祝福された素晴らしいものだったのだと改めて感じました😇

ゴーパーラ


ブラゴパーラ vol.6「六波羅蜜寺 空也上人」編

皆さま、こんにちは。
約1年半ぶりのブラゴパーラです。
今回は京都東山の「六波羅蜜寺(西光寺)」を訪れました〜

この六波羅蜜寺は951年、踊り念仏の開祖である空也上人により開創されたお寺です。

口から六体の阿弥陀仏が現れたという伝承のままに彫刻された運慶の四男康勝の作(鎌倉時代)

この像、歴史の教科書で見たことある人、多いのでは?
口から仏が出てるって、インパクトありますよね。。(笑)
一体、どういう人物だったのでしょうか?

空也上人は、伝説では醍醐天皇の皇子といわれ、若くして五畿七道を巡り苦修練行、尾張国分寺で出家し、空也と称すようになります。
出家後は名山を訪ね、練行を重ねると共に一切教を紐解き、948年に比叡山座主の延昌より大乗戒を授かり、光勝の法号を受けます。
しかし空也上人は山や寺に籠ることなく、当時疫病が流行っていた京都の町の中に入り、小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、南無阿弥陀仏の念仏を称え歓喜踊躍し、病魔を鎮めたといわれています。

うーん、天皇家の皇子で出家し、日本各地で修行、そして疫病で苦しむ衆生のために市井の中に入っていったということで、この経歴から見ても空也上人はものすごい行動的で、仏教の教えを探求して実践し続けていた人物だったということが分かります。

少し話は変わりますが、私は小学生の時に『平家物語』がなぜか好きでその本や人形劇に触れていて、平家一門が六波羅蜜寺の境域に住んでいたということで、その寺名は知っていました。
この六波羅蜜寺には、空也上人像の隣に平家棟梁の平清盛像も安置されていました。

平清盛座像(鎌倉時代)

『平家物語』では平清盛は傲慢な人物として描かれていますが、経典を手にしているこの像からも分かるように、剃髪をして厳島神社にお経を奉納するなど、仏者としての一面も垣間見れます。
しかし、この平清盛と空也上人をくらべてみると、空也上人の手には経典がありません。
左手に鹿の角の杖、右手に撞木、胸に金鼓を持っています、でもこの空也上人の像を見ていると単純ですが、「何も持っていない『空っぽ』なお方だなぁ〜!」ということを感じました。

仏教では悟りの智慧の境地を「空」と表現しています。
贅沢や肩書き、経典の知識を手放し、金鼓を鳴らし歩くその身体から出てくるのは南無阿弥陀仏の御名だけーー
仏教の教えを行動をもって探求し続け、そして阿弥陀仏に帰依し、苦しむ衆生を阿弥陀仏の住む極楽浄土へと誘い、歓喜踊躍した空也上人の仏者としての生き様が感じられた今回のブラゴパーラでした😎


今回で6回目のブラゴパーラですが、実はこの6回、密かに「六波羅蜜」をテーマに進めてきました。
六波羅蜜とは「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」という仏教で説かれる悟りに至るための6つの修行です。
気付いた方、おられましたか(笑)?
よかったら読み返してみてください〜!

布施…「御金神社編」
持戒…「千本ゑんま堂 引接寺編」
忍辱…「釘抜地蔵 石像寺編」
精進…「千本釈迦堂 大報恩寺編」
禅定…「高山寺 明恵上人編」
智慧…「六波羅蜜寺 空也上人編」

ゴーパーラ


キールタン〜鴨川にて

昨日はGW最終日。ここ数日あまりにも天気がよかったので、いつもバクティ・サンガムに来てくださっている方たちに「鴨川でキールタンを歌いませんか?」とお声かけして行ってきました!

久しぶりの鴨川。以前三条通を練り歩きをしていたことがありましたが、それは2010年頃のこと。商店街の様子もすっかり変わり、メンバーの様子も(というか私が?)円熟味が増し(笑)、河川敷もずいぶんきれいに整備されていました。家を出る前、当時のことを思い出し、考えていました。あれから10年、神の御名をどれくらい唱えてきたのか、神の一片を少しは体感しているのか、本当に神を知ったと言えるときがくるのか、変わらないものはどこにあるのか。

鴨川に到着すると、大阪からキールタンに興味をもって来てくださったご家族がおられました。またなんと10年前に鴨川でキールタンを通して知り合った人にも偶然出会い、一緒に歌うことに!

一時間ちょっと、みんなでいっぱい歌いました。天候にも恵まれ、みんな、とっても楽しそうで気持ち良さそうでした。私もそれまで考えていたことはもうすっかり忘れ、ただ単純に御名を歌い、みんなとたくさん笑いました。歌い終わってから、いつも師がおっしゃっている言葉を思い出しましたーーそういったいろんな思い煩いがなくなったときに、神を知るーー、あぁ、そうだ、そうだったのでした😓

家に戻ると、初めて屋外でのキールタンに参加してくださった方から、嬉しいメールが届いていました。

「今日はとっても!!!!!!楽しかったです! 外で歌う方が神様が近い気がしました(笑)。またぜひこんな機会を作ってください。どうもありがとうございました」

ひょっとしてみんな昨日のひとときは、心を解放してシンプルな心でキールタンを歌えたのかもしれません。

こちらこそありがとうございました! そうですね、またぜひこんな機会を!!!

ミラバイ


ドッキネッショル寺院を訪問

こんにちは。
ゴーパーラです😃
皆さま、GWはいかがお過ごしでしょうか?
10連休という方もいるのでは?
海外旅行も行けますよね〜✈️
ということで、インドのカルカッタの写真です📷

ここはもしかして……そう❗️あの19世紀インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナが住まわれていたドッキネッショル寺院です‼️

4月23日〜27日まで、松山ヨーガ・サークルの藤田沙織さんがカルカッタを旅行して、その写真を送ってくださいました📷✨

振り返ること、シュリー・ラーマクリシュナにフォーカスされた4月7日春の祝祭の翌日、私はNYから来たアーナンダマーリーさんとプラパッティーさんとガネーシャ庵(ヨーガ仲間の家)を訪れました。
そこに祝祭に初参加されていた藤田沙織さんがおられました。
彼女とはあまり話したことはありませんでしたが、話をすると明日から旅行でベトナムに行くとのこと。
ベトナムの後はラオスとタイに行く3週間のフリープランということで、それを聞いた私は、師ヨーギーさんが昨日の祝祭でドッキネッショル寺院を訪れた時の話をすぐに思い出し、「インドのドッキネッショル寺院に行ったらいいのになぁ。でも彼女の旅行だしなぁ〜」と内心で思っていたら、アーナンダマーリーさんが「インドに行った方がいい!」とストレートに言われました(笑)。
「でもビザないしなぁ…」と言う藤田さん。
しかし調べてみると、近年からインドはアライバルビザという空港で到着時に取得できるビザがあるようで、「インド、ドッキネッショルに行ったらいい!!!」という展開に……😅
そして彼女はベトナムとラオスを旅をし、インドに行きました
その藤田さんから、この旅の感想文をいただきました。

「旅の感想は、真剣に書いたら感想文50枚以上になりそうです…笑
なので、いろいろ省略して言いたいことだけ。
春の祝祭からはじまった私の旅行は本当に祝福されていて、すべてが自然で、最初からそうなるようになっていました。
『すべて神様のお導き』
ということをとても強く感じています。
この素晴らしい旅(の時間)を与えて下さったことに感謝の気持ちでいっぱいです」

「すべては、すべてはシュリー・ラーマクリシュナ(神人)がなされていること」と祝祭の祝辞で私は述べましたが、この藤田さんの旅の急展開、縁と条件の整い様は本当にそれを実感するものでした。
藤田さんは今、タイにおられるようで、明日にご帰国だそうです。
無事にこの旅を終えることを祈っております!

OM TAT SAT OM!!!

藤田さんが困ったなぁと思っている時にドッキネッショル駅でたまたま出くわしたタクシードライバーさんとの2ショット。

ゴーパーラ


永遠の伴侶 〜平安にあるということ〜

師は先日、台湾ご布教の旅から日本に戻ってこられました。久しぶりに師と対面された台湾の弟子たちの歓喜の様子が目に浮かびます。今回もどれほど多くの人たちが、師から届けられた真理の光と愛に救われることでしょうか、想像もつきません。前回のブログにも紹介されていましたが、貴重な師の書かれた教えを、私たちもこの目で、直に見たいものですね。

さて、春の祝祭ではシュリー・ラーマクリシュナの魂に触れて歓びに感激し、その至福は今もこの胸に留まり続けています。今回は、その直弟子であるスワミ・ブラマーナンダの教えをご紹介したいと思います。スワミ・ブラマーナンダは、弟子たちから尊敬をこめて、マハーラージと呼ばれていました。

「マハーラージ、どのようにしたら平安が得られるのでしょうか」
「平安は、神を愛する者のハートに宿るのだ。神なしには君の人生は不毛である、ということを理解したまえ。かれを恋い慕っていれば、平和がやって来るだろう。人がこの世に平安を見出し得ない時、内部に離欲の念が育ち、かれは神に惹かれる。人がこの世の不毛を理解すればするほど、かれの神への帰依心は深まり、内なる平和は増大する。渇きが激しいほど水が美味しいだろう。まず渇仰心を養いたまえ。そうすれば神の中に平安を見出すであろう」 

平安という言葉はヨーガを学び始めてから、非常に身近に感じる言葉となりました。以前は本当にそれは、ただの知っている言葉に過ぎなかったのだと気付かされます。ヨーガを学び、神なる真実の存在を知ってから、平安はずっとこの胸の奥に在り続けているのだと感じられるようになりました。私は改めて、師と出会った時のことを思い出しました。師からヨーガの教えを授かった帰りのバスの中で、「私は知ってしまった、もう元には戻れない」と思ったのでした。その時、私はこの世の不毛を理解し、神への帰依心をもったのかもしれません。
しかしまだまだ永遠の平安を見出してはいません。さらなる平和を目指し、精進したいと思います。

ダルミニー


ニューヨークの弟子プラパッティーの滞在🇯🇵🌸

満開の桜が咲く中、4月7日の祝祭に合わせてニューヨークからプラパッティーさんが来日されました🌸

プラパッティーさん(右)。アーナンダマーリーさん(左)も同じ日にNYから一緒に来られました。

プラパッティーさんは約1週間の滞在で、私の住まいであるシャーンティ庵に宿泊しました。
彼女はニューヨーク在住のレバノン人。
ヨーガを始めて2年ほどの彼女ですが、ニューヨーク・ミッションがウェブ配信している『Pranavadipa』はすべて読んでおり、ヨーギーさんの教えや日本の弟子の記事の内容についてとってもよく知っています。
特に驚いたことが、北野白梅町のスーパーのイズミヤの前を通った時に、「今は大きなスーパーマーケットだけど、昔は喫茶店があったみたいで、高校時代の師ヨーギーさんはここで識別瞑想をされていたそうだよ」と私が話すと、彼女は即座に「名前はブラック、でも中はホワイト一色の喫茶店!?」と答え、イズミヤの写真を撮り始めたことです……😅

嵐山の角田香勢園さん。お店の方と仲良くなり、お抹茶の手解き🍵

到着初日、私はプラパッティーさんに日本に来た理由を尋ねました。
一つには、日本の弟子がどういう方法でヨーガを実践しているか知りたいということ。
もう一つは、師ヨーギーさんに会いたかったからという理由でした。
私は彼女自身のヨーガの目標はどうなのかと思い、「あなたの理想は何ですか?」と尋ねると、彼女は「まだ理想は分からない」と答えました。
「理想がはっきりすると、より具体的にヨーギーさんや弟子から教えや実践を学び取ることができると思うよ」と私はアドヴァイスしました。
すると次の日から彼女は会う弟子、会う弟子に「あなたの理想は何ですか?」と尋ねていました……😅

すごく素直で、理解も早いプラパッティーさん。
短い滞在期間の中、レバノン料理を2度も作ってくれました😋
レバノンは宗教間の争いが絶えない地域―—レバノンにいた頃の彼女は特定の宗教は信仰していなかったそうですが、「真実は自分の中に在る」ということを感じていたそうで、当時の彼女は難民の人に衣服を与えるボランティアをしていたそうです。
国境を越えて素晴らしいグルバイに出会え、今後彼女がどのように理想を見つけてヨーガを実践していくのか、本当に楽しみです😃‼️

祝祭後、その時の感動を話すプラパッティーさん☺️

ゴーパーラ