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MYM48周年記念【書籍・物販セール】残り10日です!

MYM48周年記念セールも、あと残り10日となりました! ご好評につき、おかげさまで売り切れてしまったものもありますが、皆さま、チェックはお済みでしょうか?
今日は、松山からキャンペーンセールのレポートをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

★★★

今回のキャンペーンをきっかけに、松山では『真実を求めて』を多くの方が手に取ってくださっています。
この聖典は2015年の春に出版されました。当時、京都の先輩サーナンダさんが松山瞑想特別クラスの際に少しでも早く届けたいと、バスに乗って大量の『真実を求めて』を運んでくださいました。その夜、私は感謝しながらも夜遅くなっていたので、少しだけ読んでみようと本を開いたのですが、気が付いたら一気に読み終えて感動と歓びに満たされました。

最近、購入してくださったのはヨーガを始めて1年くらいの方や、発売当時は本までは必要ないと思っていたけれど、タイミング良く欲しくなったという皆さまです。ミラバイさんは語り芝居やキールタンのイベント開催のため、2011年以降、松山に何度も足を運んでくださっています。プロローグの次のページの写真が双海の海岸(愛媛県)で撮影されたものなので、松山の皆さんは、そのページを開くと「わ~!双海!?いい写真ですね!」と自然に笑顔になります。

本の内容は手記とヨーガの教えの2部構成になっていて、まず目次からおもしろいのです。抜粋してご紹介すると、

なりたいものがない!
インドに行く!
インドあきらめる
OLになってみる
瞑想ってヨーガなの?
お腹いっぱい食べたらあかん
愚痴が減る
私は何がしたい?

と、読みやすそうな項目が並んでいて、文字も大きく、1つの項目も数ページと短くて、テンポがいいので、自然に引き込まれます。また馴染みにくいヨーガの専門的な言葉を同じ項目の最後のページですぐに解説してもらえるので、ヨーガへの初歩的な疑問が解消されます。

先日クラスの最後に『真実を求めて』の中から「愚痴が減る」の項目をご紹介した時、参加者の方が「私がこうなりたいという理想が書かれていました」と目を輝かせて本を買ってくださいました。そこではミラバイさんがアーサナを毎日すると決めたと同時に「黙る」と決めたこと、職場で仕事上必要最低限のこと以外は話さず、愚痴を言うのをやめる実践を続けるうちに、ある日、自分の中から職場や社長への不満が全く湧き上がらなくなった、まるで映画のワンシーンを見ているように自分の思いが切り離された、という内容が書かれています。

第一部の手記を読んで、もっと知りたいと思ったいいタイミングで「第二部 ヨーガの教え」に読み進めることができるのも、魅力の1つです。

最近の松山からは以上です~。興味がある皆さまに手にしていただけたら、本当に嬉しいです!

★★★

真実を求めて』の他、私たちの師の教えの総集編ともいえる『マハーヨーギーの真理のことば』、またヨーガのエッセンスが小さな本にギュッと詰まった『ヨーガの福音』、見ているだけで作ってみたくなるお料理の本『さまらさの台所』など、様々な書籍があります。
書籍・物販セールの詳細はこちらまで。

セール期間も、残りわずかとなりました。どうぞこの機会をお見逃しなく!!

 

MYM京都 


ホーリー・マザーからの贈り物③

毎日ホーリー・マザーを思うことを始めてから、3ヶ月ほど経ちました。

聖典を読むことでそのお人柄に触れ、1つでも教えを実践するよう努めることで、ホーリー・マザーはたくさんの贈り物を与え続けてくださっています。

日常生活の中で、今しようとしている行為が教えの通りになっているかを確認するようになったこと。
仕事で重要な選択をしなければならない時に、ホーリー・マザーが見守ってくださっているという安心感から、穏やかな気持ちで判断できたこと。
そして、意識している時も意識していない時も、確かにホーリー・マザーは傍にいてくださっているのだと感じてからは、心にピタッとホーリー・マザーのお姿が張り付いたようになったこと。

そうした贈り物は、ホーリー・マザーに近づこうとする人みんなに等しく与えられているのだと思います。


部屋にあるホーリー・マザーのお写真

 

毎月1回開催されている東京の瞑想会では、この3ヶ月、ホーリー・マザーの教えに触れて印象に残ったことや、そこから感じたことを話し合っていました。
ホーリー・マザーにほとんど触れたことがなかった人も、少しずつ聖典を読むことで、親しみを感じるようになった様子が伺えました。

計り知れない内面的な強さを感じた。
人々がどのように信仰を持とうとしていたかを知ることができた。
遠い存在ではなく、私たちと同じ存在なのだと感じた。

様々な感想を聴く中で、特に印象残ったのは、Kさんのお話でした。
『ホーリー・マザーの生涯』を読み、家住者として信仰を求める者として、勇気をもらえた、と話してくれました。本の中に書かれている数々の利他的な行為から感じるものがあり、それは師の教えとも重なり、Kさんにとって大切な気付きへと繋がったそうです。
家族に対して、自分の思いやこだわりをなくして、家族が喜ぶことを行為したい。時にそれが難しいこともあるけれど、誰もの中に神がいると教えてくださっている、それこそが真実だと信じて。
そう話されるKさんの姿に胸を打たれました。きっと、Kさんもホーリー・マザーからの贈り物を受け取られたのだと思いました。


瞑想する前にみんなでホーリー・マザーを讃える歌を歌いました。

聖典から聖者の生き様や教えを学びつつ、こうして志を同じくする仲間と語り合うことで、1人では得られない気付きや学びがあります。

以前先輩グルバイから、神を想い、神に近づいていくほどに、神もこちらに近付いてきてくださるのだと聞きました。
今私たちがホーリー・マザーに少しずつでも近づこうとすることで、ホーリー・マザーはもっともっと私たちへと歩み寄ってくださっている。そのことを瞑想会でのみんなの話を聞いて確信しています。

ハルシャニー  


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑧

今回は、『Paramahamsa』No.80の表紙絵とこの絵を描いた時の時のことを紹介させていただきます。

2010年初夏、私たちはヨーガ・ヴィハーラに毎週集い、キールタンを歌っていました。一つの歌を何度も繰り返し、その歌の本質に迫っていくのです。

そして「ジャイ・マー」を歌う時、私はいつもシュリー・ラーマクリシュナが愛した「カーリー・マー(女神)」に思いを捧げていました。繰り返し歌い、心の奥におられるカーリーに近づくほどに感じるのは、ヨギさんと同じ眼差しをもつ慈悲深き御方ということでした。その瞳はまさに愛そのもの。カーリーは姿こそ違うけれど、私にとってはヨギさんでした。

通常カーリーはドクロの首飾りを付けて生首を持ち、腰には人の手を切り取ったものを巻いている姿で表されることが多く、血を飲み込んだ真っ赤な口から舌をぺろりと出しています。彼女はなぜ舌を出しているのでしょうか。
おびただしい血が流される殺戮、私たちにとっては恐怖そのものですが、その苦しみを感じているのは、私たちの心にすぎません。それは煩悩や無知の象徴なのかもしれません。でもカーリーはそんなことは全くおかまいなし。 彼女にとってはあらゆることが遊びなのだと感じたのです。
そう感じてから、私の中のカーリーはとてもおちゃめな存在に変わっていきました。
シャクティのメンバーがマーだけに気持ちを集中して献歌できた時、カーリーはいとも楽しげに笑い、踊りだすのでした。

シャチー


アートマンが愛おしい

聖典の真実の言葉から、心に留めてほしいものが一つあるのです。それはある覚者が語ったもので、「夫が大切だから夫が愛おしいのではなく、アートマンが大切だから夫が愛おしい。妻が大切だから妻が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから妻が愛おしい。子供が大切だから子供が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから子供が愛おしい。僧侶が偉大だから尊敬すべきなのではなくて、アートマンが尊いから僧侶が尊い」。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

この世界には自然と愛情が湧いてくる相手もいれば、そうでない相手もいるように見えてしまいます。でも、師であるヨギさんはそんなことには頓着せず、いつも目の前の相手の本質だけを見て接してくださっていました。それは弟子に対してだけではなく、全ての人や物に対しても同じでした。そしてヨギさんの見ておられた世界を言い表したものが上記の美しい言葉なのだと思います。

対人関係で毎日色んな出来事が起こり、時には相手に対して複雑な感情を抱いて心が混乱してしまうこともあります。それでもヨギさんのまっすぐなまなざしを思い出すと、本当はヨギさんが見ておられた世界が真実なのだと認めざる得ない気持ちになって、自分の心のあり方を正していきたいと強く思います。ヨギさんはご自身の生き様を通して、私達に真実を見せてくださいました。

でもその心さえも超えて、その奥にある本質を見つめることができれば、そこには何の違いも見つけられません。区別のない、差別のない、無差別な一つの実体が在るだけです。そして、私たち自身がそれであるということです。私もそれならあなたもそれである、万物がそれである、それだけが在る。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

いつかヨギさんと同じ世界が見れるように、全力でヨーガに励んでいきたいと思います。

船勢洋子


天国と地獄

ある男が死んで黄泉の国に行きました。そこで二つの館を目にします。

一つ目の館では、大勢の人間たちが食卓を囲み、食事をするところでした。彼らの片腕は椅子のひじ掛けに結わえ付けられていて、もう一方の手には長い柄のスプーンがくくり付けられている。彼らは目の前のご馳走を食べようとするのだが、口に運べず、頭に被るやら床に落とすやらで、いら立ち怒りだし、とうとう喧嘩を始めた。彼は、これは地獄だと思って次の館に入ります。

ここでも多くの人間たちが同じように片手を椅子に、片手に長いスプーンをくくり付けられて食事をするところだった。すると彼らは長いスプーンで相手の口に食べ物を運んでいる。もらったものはお返しをする、という具合で皆満足気に喜んでいる。彼は、ここは天国だと思った。

天国と地獄は人の心の中にあります。一つ目の館では、人は「私」と「私のもの」を固持し、自分のことだけを考えて行動する結果、誰も幸せになっていません。二つ目の館では「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げることによって、他者が幸せになり、その場に調和がもたらされ、自らも幸せになりました。

・  ・  ・  ・  ・

自分の欲望よりも、他者の喜びになることを行為することが、その場の調和や円満さを作り、結果的に自分も幸せになる、ということがイメージを通して直感的に理解できる教えです。
イラストに目を戻すと、二つ目の館の人はみんな他者のことを見ています。
イラストを描いてみて、他者のことをよく見ること、それが他者へ自分を捧げる行為への第一歩だと思いました。

(『ヨーガの福音』 愛の真理 より抜粋)

サルヴァーニー


MYM48周年記念 書籍・物販セール開催!!

マハーヨーギー・ミッション48周年を記念して、
書籍、Tシャツ、ポスターなどを特別限定価格にて販売いたします!! 

しかも期間中は3,000円以上送料無料という、マハーヨーギー・ミッション始まって以来??のとてもお得なキャンペーンになっています! 

2024年2月20日(火)~4月20日(土)まで。

詳細はこちらにて。

少しヨーガの本を読んでみたかったけど、なかなか手が伸びなかった方、素敵なオリジナルポスターをお部屋に飾ってみたい方、さりげなく光り輝くアートマンTシャツを着たい方、この機会にぜひぜひお試しくださいませ!!

MYM京都


今を大事に生きる

ヨーガに出会うまでの僕は過去の出来事に心が引きづられることや、その印象を思い出しては一時的に心を悩ませていました。
人との摩擦や状況や環境に対して憤りを感じることも日常的でした。生きていると「うまくいくこと」「うまくいかないこと」様々な時があって、そのつど、自身の心や感情も右往左往していた記憶があります。
ヨーガに出会えて師の教えに触れる中で大事なことに気づかせていただけました。

『過去のことは思い出す必要はありません。全て忘れることです。大事なことはその時です。今というその瞬間だけです。これによって未来は変わっていくわけですから、過去のマイナスも今を大事に生きることで補えることになります。たとえどんなに成功があろうと失敗があろうと、過去は全く何のこともないです。心はいつも感傷的に過去に縋っています。それが煩悩なのです。過去はこうだった、ああだった、良くも悪くもそれは感傷です。そうしてそれはカルマを生み出すものです。』
(「マハーヨーギーの真理のことば」P69より)

僕は今をより良くしたい、変わりたいとも思いました。
過去の出来事や経験を思い返す必要はなく、大切なことは今をどう生きるかということだと教わりました。
自分の考え方や取り組み方次第で、とくに職場の人や状況が良好に変化していったことを実感しました。
今も歩みの途中ですが、このお言葉をこれからも大事に持ち続けて日々を過ごしていきたいと思います。

マハーヨーギーの真理のことば

金森淳哉


ホーリー・マザーからの贈り物①

私が初めて真剣に読んだ聖典は、『ホーリー・マザーの生涯』です。

ヨーガをもっと学んでいくには、聖者について書かれた本を読むのもいいと聞き、幾つか本を手にしたものの、そこまで関心を持てずにいました。
他のグルバイのような熱心さが私には持てないのかもしれない…少し焦るような気持ちになっていた頃、出会った本でした。
本を開くとすぐにホーリー・マザーのお写真があるのですが、初めてそのお顔を見た時、なんて穏やかな表情なのだろうと思いました。見ているだけで心が静まるようでした。きっと優しい方だったんだろうな。それが第一印象でした。
この本にはホーリー・マザーの生涯においてのさまざまなエピソードが書かれていますが、理不尽と思われる目にあっても、苦境に立たされても、時に包み込むような優しさを持って、時に毅然として、立ち向かわれる姿がそこにありました。そのことに圧倒されつつも、ホーリー・マザーがどんな人生を送られたのかをもっと知りたくなって、本を読み進めました。

しばらくして、師に質問しました。
「ラーマクリシュナよりもホーリー・マザーに親しみを感じているけれど、それで大丈夫でしょうか?」
師はにっこり微笑まれて仰いました。
「ラーマクリシュナは神であることを隠せなかった。サーラダー・デーヴィー(ホーリー・マザー)はそれを隠していた。だから、もっと親しんでいったらいいよ」

それからは本を読むごとにホーリー・マザーが身近になり、その人柄に惹きつけられるようになっていきました。

当時、特に印象に残った教えがあります。

”もちろん義務は果たさなくてはなりませんよ。そうすることで心を良い状態に保てるのです。でもジャパと瞑想と祈りも必要です、少なくとも朝晩には実践せねばなりません。これは船のような働きをします。夜に祈りの座に着くと、今日一日の行いの善悪を振り返ることができます。それから今日と昨日の心の状態を比べてみるのです。…仕事をするだけで朝晩の瞑想をしないのなら、自分のしていることが正しいのか、間違っているのかどうしてわかりましょうか?”

毎日アーサナや瞑想をすることを困難に感じている私にとって、グサっと刺さる言葉でした。
今の自分にはできない気がする。でも継続して行うことが本当に大切なのだということはよく分かった。どんなに短くてもいい。アーサナ、瞑想を毎日やってみよう!
そう決意するきっかけの一つとなりました。

 

ハルシャニー  

 


『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章「聖なる存在」

書籍発刊から1年が経ちました。章ごとにレビューを綴ってきたこのシリーズも、ついに最終章となります。
この本の編集に携わらせていただき、実は10年ほどかけて何度も内容に目を通してきたのですが、改めてこの章を開いた時、以前に感じていた以上の大きなものが訴えかけてくるように感じ、正直圧倒されました。

第十六章には、自ら具現された普遍なる真理を、人々に、この世界に分け与えてきたヨーギーや覚者、グルという存在の生き様がありありと語られています。偉大な存在の生涯や使命は、インスピレーションの源であり、それらに触れると強大な熱量のエネルギーが流れ込んでくるように感じます。
中でも多くの内容が編纂されているのがブッダについてです。
私たちの師は十代の頃、瞑想によってブッダの悟りと、ブッダその人そのものに肉薄されたといいます(→瞑想の章でも触れられています)。師の口からこぼれ出たブッダの心境や境地というものは、ただ史実として残されているという範疇を遥かに超えており、それはまるでブッダが語られているかのようでもあり、また、まさに師はそのようであったと、師のあり方そのものであると思えるのです。

ブッダは最後に、私は全てを教えた、これからは自らを拠り所として努め励めと弟子たちを導かれた。また一方で、「この世界は美しい」という言葉も残されたとされています。完全なる自由の境地に留まられていたブッダは、この限りある世界において何を見て、何を思われたのか。師はブッダの心境について次のように語られています。

近いところではシュリー・ラーマクリシュナの例がそうであったように、ブッダの生涯も、ただ人を救うためだけに充てがわれました。人の苦しみを気付かせ、そうして正見という正しい道に導くためには、苦しむ人と同じ立場で手を引かなければなりません。そうして四十五年間ひと時も休むことなく、ブッダは人、そして生きとし生けるもの全てを救い続けてきた。

ブッダとて肉体を持つ身、いつかはこの地上から離れなければならない。肉体の衣を脱ぐにはそれなりの理由が必要です。永遠の存在であったブッダもまた、その肉体は限界を持っています。彼はこの世を去るということを悟った時、もはや最後の教えは自らの死、そのものだったと思われます。それは生前教え続けてきた、人は誰もが死ぬということを改めて教えることです。しかし死ぬのは肉体だけであって、その存在が死ぬわけではありません。この崇高な不二一元の教え、これが最後に彼の口から漏れた「この世は美しい」ということになると思います。もはや苦悩も絶望も、希望も願望も何もない。たとえ時間がこの肉体を朽ち果てさせたとしても何も問題はない。だからこそ、その瞬間において彼はそう呟いたに違いない。それは生きとし生けるもの全てに与えられた、もたらされた祝福でした。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章

不二一元――アドヴァイタ。ただ、一つのもの、真実のみが在る――。
人々の真の救い、理想となる永遠の真理を、ブッダは最後の最後まで、そのお体から離れることをもっても示された。
二千五百年という時を超えて、師が伝えてくださったかけがえのないメッセージであると、新たな気持ちで受け止めました。

アーシュラマ

第十六章の章扉前の写真(マハーヨーギー・アーシュラマ)

マードゥリー 


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑥

私が絵を描き始めたのは、ヨギさんにインドの細密画について教えていただいてからです。
最初はインドの細密画を模倣するところから始まったのですが、何枚か描いていくうちに、ヨギさんは日本にお生まれになり京都にお住まいなのだから、京都アーシュラマや日本を感じるような風景の絵を描きたいと思うようになりました。

そう思って描いた1枚が、今日ご紹介する『Paramahamsa』No.29の表紙絵で、この号には、2001年のサットグル・ジャヤンティーの模様が掲載されました。

 

そして、今年、2023年のサットグル・ジャヤンティー、師の御聖誕75周年祭はもう目前です。

私たち各国の弟子にとって、今年は大きな節目を迎えた年であり、来たるサットグル・ジャヤンティーは、私たちにとって意味深いものとなると思います。
たとえ師のお姿が見えなくても、師が目の前におられる時と同じようにジャヤンティーを迎えることができますように。

師はおっしゃいました。
アヴァターラがこの世界にお生まれになる日、全世界が祝福されるのだと。
この吉祥な日を、全員で歓びをもって迎えたい。
そして、師に出会えたことを、決して良き思い出として終わらすことなく、一人一人が師の教えを生き、師が示された真実を生き生きと表すことができるように、身口意をもって行為していきたい、そう思います。

シャチー