NYグルバイ、エーカーンタ!

桜の木も緑に色付き、あっという間に新緑輝く季節になってきましたね😃🍀
先日の4月8日、マハーヨーギ・ミッション春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー」が開催されましたが、その祝祭に合わせてニューヨークからエーカーンタさんが来日していました!

向かって右がエーカーンタさん、左がアーナンダマーリーさん。in鞍馬。

エーカーンタさんは5年前のちょうど桜が満開の時に京都を訪れていて、前回同様に今回もラームダースと私の住まいのシャーンティ庵に滞在しました。
まるでパラマハンサ・ヨーガナンダを思い起こす少年のような笑顔の彼は、東欧のルーマニア出身。
チャウシェスク政権下で過酷な青少年期を過ごした彼は、料理を手伝ってくれてもとても手際がよく、毎日お母さんの料理の手伝いをし、家族で支え合って暮らしていたそうです。
ちなみに彼のお兄さんは、あのパラマハンサ・ヨーガナンダの『あるヨギの自叙伝』をルーマニア語に翻訳した方のようです😲

今回の10日間の滞在でエーカーンタさんは祝祭に参加したことはもちろん、連日に渡って多くのグルバイと交流をしました。
真我の探求――「私は誰か?」のギャーナ・ヨーガの瞑想をしている彼は、同じギャーニーであるサーナンダさんと数多くの問答を繰り広げていました。
ギャーナ・ヨーガの瞑想のレベルについて質問する彼にサーナンダさんは、「ギャーニーにとってレベルなんてない!在るのはアートマンだけで、その他のものはすべて幻想!」というような感じで、ヒートアップした問答が展開されていました。

シャーンティ庵でサーナンダさん(左前)と交流した時の様子。

エーカーンタさんのこの10日間の滞在は、もう心も身体もパンパンになるほど、相当な濃密な滞在であったと感じます。
彼はヨーガを始めて5年ほどで、ほとんどが先輩弟子という状況の中、たくさんの話を聞くうちに、ニューヨークに帰って自分が日本の弟子のようにヨーガを実践できるのかという不安や恐怖がよぎったそうです。

しかし滞在最後の夜、エーカーンタさんのその思いは吹き飛ばされていました。
この日、彼は師のヨギさんと一緒にクリパールさんが農業を営んでいる丹波を訪れ、その後師と夕食を共にしたそうです。
そこで師にその心中を打ち明けると、師は「ヨーガを続けて実践すること」と、そして次のことをおっしゃられたそうです。

「その恐怖しているのは誰か?」

師と交流した後、夜遅くにシャーンティ庵に帰宅した彼の表情は、大袈裟ではなく、光輝いていました。
心の迷妄の雲は吹き飛ばされ、光を放っていました。
この日が「人生でいちばん最高の日」と歓びに溢れて話していたエーカーンターー

師の存在を心から尊敬し、愛している最高のグルバイです!!!

「あの梵鐘を鳴らすのは……誰?」

ゴーパーラ


京都・大阪 瞑想1日ワークショップのご案内!

皆さま、こんにちは🌸
4月に入って新学期や新生活をスタートされた方も多いと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
京都の瞑想専科は5月10日から第4期が始まります!
詳しくはこちら⇒http://www.mahayogi.org/classes/meditation_kyoto

瞑想専科が始まってはや1年半が経ちますが、第1期から参加している野口美香さんが瞑想専科に通いながら日常の中で瞑想を続けてきた感想を寄せてくれました!
瞑想を実践している方はもちろん、新しいことを始めたり、慣れない環境で苦戦している方にも、きっと役立つ内容であると思います😁


瞑想専科では、心の機能や性質について、心がまるで一つの臓器でもあるかのように客観的に、また丁寧に教えてくださいます。
私は日常生活の中で嫌な思いをした事柄に再び関わる時、瞬時に「嫌だ」と反応してしまいます。瞑想の成果は日常に現れると教わってきたので、そういう反応が分かると瞑想ができていない証拠として、自分に落胆することが増えていきました。しかしある頃から落胆した後、「そこで落ち込むのは違う」と神の声?が聞こえるような気がして、川の流れが変わるように思考回路が変わりはじめました。
瞑想専科で、こんなお話を聞きました。

①なぜできないかを考える
②自分にはまだできないことを自覚する
③どうすればできるようになるかを考える
④できるようになるまで淡々と実行していく

自分に照らし合わせていくと、悩む時は心のどこかで「自分はできる」とうぬぼれているからで、「悩むのは優劣意識があるから」と教わったその通りだと思えました。できない自分を認めたくないという思いが邪魔をして、なぜできないかの原因を見極められずシリアスになっているだけでした。そうではなく今、できていない現実の自分を受け入れて、どうすればできるようになるのか?努力で解決できそうなら、それをひたすら行なっていくだけと学びました。

瞑想専科で学びながら生活するうちに、瞑想も日常も別に上手くいかなくてもいいと思え、もしずっと上手くいかないとしても、「最後までやり通したい、諦めずにこれを淡々としていく」と思うようになり、それが自分のヨーガへの信仰であり、信念だと思いました。そう思えたことで、瞑想で何かを得ることが目的ではなくなり、焦りの気持ちも消え、ただ毎日行なおうという祈りのような気持ちに変わりつつあります。そして、あれこれ考える心の奥にあるそれらを見ている意識、そちらが本当の自分というところに、自然に導かれているように感じています。
どうしようもない時こそ、押し黙って自分に向き合い、繰り返し瞑想を試みる――これからも瞑想の実践を続けていきたいと思います。

                                        野口美香


京都の瞑想専科は4月21日(土)、また大阪の瞑想専科は4月22日(日)にワークショップが行なわれます。
瞑想にご関心がある方、深めたい方はぜひご参加ください😇

<京都>
● 日時:2018年4月21日(土)14:00〜15:30
● 会場:京都駅近 キャンパスプラザ京都 2階和室(京都市下京区西洞院通塩小路下る東塩小路町939)
● 参加費:1回2,160円
● 内容:瞑想の実習、講座、Q&A
« 詳しくはこちら

<大阪>
● 4/22(日)14:00〜15:30
*次回ワークショップ:6/7(木)19:30〜21:00
● 会場:中之島 中央公会堂(大阪市北区中之島1-1-27)
● 参加費:2,160円
● 内容:座法(座る形)の練習、講座、瞑想体験
« 詳しくはこちら

ゴーパーラ


サットサンガより 今を生きる

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

みなさん こんにちは
桜も早々と葉桜となってしまいましたね。でも今度は、色とりどりのハナミズキが私たちの目を楽しませてくれています。移り変わる季節のように、この世の中も常に変化し続けています。変わることのない、永遠の真理を求める求道者たちが、この日も集まり、サットサンガが行なわれました。

仕事をする上で、また日常の中で、いろいろな問題が起こってきます。過去の失敗に執らわれて萎縮してしまったり、不安を感じたり、その環境に居心地の悪さを感じてしまう時には、どうしたらいいのかという質問がありました。
師「これも一つのヨーガを深め、進めていく大事なところなんですけれども、ヨーガが考えている時間論というのがあるんですよ。時間というのは普通、流れているように、つながっているように見えているかもしれないけれど、実はそうではない。それは心の錯覚であると。あるのは、その一瞬一瞬のつながりにすぎない。つながってはいない。その一瞬前に過ぎ去ったことと今の一瞬が同じものをもっているから、つながっているように見えるだけ。だからやがて来る未来的一瞬にしても、今の一瞬と未来的一瞬のニュアンスが似ているかのような錯覚を起こしてしまうからつながっているように見えるだけで、実は全く独立している。
瞬間瞬間は独立しているという考え方なんです。だから時間なんていうのはない。時間は単に心が造り出した幻想にすぎないというのが、私の考え方です。つまりヨーガの考え方なんです。
ということはね、グナというヨーガの考え方があるでしょう?このサットヴァとラジャスとタマスというグナによって万物、それから世界、すべての宇宙すらもが活動している。このグナの三つ巴になったような様子というものが、一瞬一瞬激しいダイナミックな動きをしている。つまりラジャスの力によって、激しい変化の連続にすぎない、だから一瞬というものをとってみれば、この一瞬とちょっと前の一瞬とこれから来る一瞬とは、全くそのグナの様相が違うということがいえるわけです。
でもこれはものすごいヒントなんですよ。つまりもう過去はない、ね、つながっていないんだから、ないんだと。未来もこれもまた、未来に思いを馳せれば、これは取り越し苦労とか心配性とか鬱とか、やがて病気の名前を付けていくようになるわけでね、これも幻想なわけです。あるのは、今のこの一瞬だけ。これが済んだとしても、次に来ているこの一瞬だけ。つまり一瞬一瞬、この目の前のこの一瞬だけしか勝負できない。
ということは、この一瞬において、心を心機一転させることができる。これをやっぱり訓練していかないとだめ。過去は今言ったように時間論的にみてもないんだから、記憶というのも同じこと。その時間というこの装置に育まれた単なるメモリー。だからそんなものは、もうセンチメンタルに、感傷的になる必要はない。
いいも悪いも、あるのは今だけ。だから今を良くしていくこと。だからヨーガ・スートラには『無くすべきは未来の苦である』という名文がある。未来の苦を無くすには、今を良くするしかないわけですよ。今が未来を作るわけだからね。だからこそ、これはできるの。変化は作れる」

時間は単に心が作り出した幻想にすぎない、時間論的にみれば過去はない、ただ今を良くしていくだけであると、師は説かれます。思えば時間とは一体どんなものなのでしょうか。たったの五分しかない時もあれば、この上もなく長い五分もあるわけで、時間は完全に私たちの心の状態に依存しています。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは『ギャーナ・ヨーガ』の中で、「すべての奮闘努力は、常に我々の道の障害物である、時間、空間及び因果律へのこの強い執着から脱するためである」と説かれています。

質問者「カルマとかの過去とか過去生は時間的にはどういうことになるんですか」
師「カルマというのは、やはり心が無知に覆われた中で活動をしているわけで、だから幻想的時間というものも設定されているわけです。つまりカルマも時間と空間とその因果律によって構成されるわけですね。だから真実から見れば……カルマも幻想なんですけどね、カルマなんて本当は無い。カルマも無ければ、無知も本当はない。それは真実から見た場合はもう全くそうなる!ただ心がその真理を見られなくて、無知に覆われてしまっているから、そういう幻想的空間に放り込まれてしまって、その中で活動を右往左往しているというような滑稽な状況なんです」
質問者「ということは心が空間も時間も因果律もカルマも造って……。自分たちで造ったものを自分たちで一所懸命理解してということをやっている」
師「そう!一人芝居(笑)。究極の一人芝居」

師の教え、ヨーガの教えによって、この世界の謎が一つずつ解き明かされていきます。ただ今をより良くしていく、この単純なことを素直に行為していくこと、それがこの夢の世界から目覚め、カルマから解き放たれる、永遠の真理へ続く道なのだと思いました。

ダルミニー


歓喜の春の祝祭! サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー!

2018年4月8日(日)、偉大な主ブッダのご聖誕日に、マハーヨーギー・ミッション主催、
第2回 サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー -神性示現大祭-
が開催されました。

今年は全国的に3月末に初夏の日和が続き、桜も驚いたのか一斉に咲き始め、春の祝祭は若芽の緑が春光に映える中で行なわれました。全国各地から、そしてニューヨークから、また先月末に師がご訪問された台湾からは想いによって、プレーマ・アーシュラマにはたくさんの弟子たちが集いました。祝祭会場には、溢れんばかりの喜びの笑顔が輝きました。

今年も祝祭前に仁和寺ツアーが開催されました。ツアーコンダクターはターバンを巻いたゴーパーラと、残念ながら写真に写っていませんが、着物姿の高橋さんが担ってくれました。

サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーは、永遠普遍の真理サナータナ・ダルマとそれを100%純粋な形で具現されたアヴァターラ(神の化身)の顕現に感謝を捧げ、私たち自身アヴァターラが示された道を歩み、サナータナ・ダルマの実現を誓願する、喜びの祝祭です。

続々と参加者が美しい笑顔をまとってやってきます!

昨年は第1回目ということで、古来全てのアヴァターラに感謝を捧げる祝祭となりましたが、2回目となる今年の春の祝祭では、アヴァターラたちの中でも特にブッダにフォーカスし、ブッダの存在と息吹に迫ることで、私たち自身がまさにブッダが発見された古道、すなわちサナータナ・ダルマの道の途上にあることを再認識する素晴らしい機会になりました。

詳細は、機関誌『パラマハンサ』5月号に譲るとして、ブログでは当日の写真を中心に祝祭の模様をお伝えしようと思います。

会場のプレーマ・アーシュラマにサハスラーラの旗が翻ります。

玄関を飾る色とりどりの花々が喜びとともに参加者を出迎えてくれます。

ブッダの存在とサナータナ・ダルマに迫った七人の真剣でいながらもユニークなスピーチに、師も参加者も全員が聞き入り、笑い、涙し、歓喜に沸き立ちました!3月末に師が訪問された台湾からも喜びのメッセージが届きました。

吉祥なこの日に3月末にニューヨークで発行された『Seeking Truth』(『真実を求めて』の英語版)のお披露目があり、ニューヨーク・ミッションから参加したエーカーンタ(左)とアーナンダマーリー(右)がそれぞれ本を読んだ感想と出版への思いについて話されました。

一言で言うと、なんと素晴らしい歓喜を味わえたことでしょう!素晴らしいスピーチの数々!それぞれがブッダの清らかな魂に触れ、その振動がその人の生き様、実際の体験を通して溢れ出しました。その喜びの奔流、歓喜の大海に溺れてしまいそうでした。アヴァターラという存在がもたらす永遠の歓喜に触れた魂は、一瞬でみずみずしい命の歓びに蘇りました!

春と秋の二つの祝祭!その歓びの輪が大きく大きく広がっていきますように!

師とすべてのアヴァターラに心より感謝を捧げます。

ジャイ・サナータナ・ダルマ ジャイ・アヴァターラ!

サーナンダ


ブッダの御聖誕日 春の祝祭

今年は例年より桜が早く咲きました。
桜舞い散る中、遊歩道をのんびり歩くのもまた何とも趣のあるものですね。

いよいよ今週末、四月八日は、第二回目をむかえるマハーヨーギーミッションの春の祝祭、「−神性示現大祭–サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー」が御室にあるプレーマ・アシュラマで開催されます。

人は何故生まれ、何故死んでいくのか、人生の目的、意味とは何か?この世界は何の為に存在するのか?

誰もが一度は考えたことのある、あまりにも普遍的で大きな疑問。
人類が誕生して以来、途切れることなく投げかけられた疑問に真正面から挑み、答えを見つけた人がいました。
古代から覚者、聖者と呼ばれたその人たちが、自らの生涯をかけて解き明かしたこの世の理。
彼等は絶対的な揺るぎない真理を悟りました。
それは始まることもなく、終わることもない、純粋で永遠の、唯一それだけが在るという不滅の存在だと言われています。
形ない存在であると同時に、この世の全て、万物に遍満している永遠の真理。

その大いなる存在を悟った覚者をお祝いし、感謝の意を捧げ、生き様やエピソードに触れながら、彼等が悟った永遠不滅の真理そのものに迫る。世界でも他に類を見ない壮大なテーマのお祭りです。

今回のテーマはブッダ!奇しくも四月八日は偉大な覚者、ブッダの御聖誕日ですね!
ブッダのことならこの人に聞け!と言われる先輩が、ブッダについて話されます。
そして日々MYMで実践をつむヨーギー、ヨーギニー達がそれぞれの想いを込めて、ブッダについてのメッセージを送ります。
皆が永遠不滅の真理にどのように切り込むのか?どんなインスパイアに満ちたメッセージが轟くのか!どんな喜びの波が押し寄せるのか!そしてどんな祝福が与えられるのか!

もうすでに祝祭ムードが高まって、参加者の一人として当日を待ちきれない思いでいっぱいです。きっとそこにいる参加者全員が、アヴァターラのハートに触れる経験ができるような、帰り道に誰もがおもわず、「よーし、やるぞ〜!!」と叫ばずにはいられないような、感動的でズッシリと中身の濃い、そして華やかな会になりそうです!!

チャイタニヤ


サナータナ・ダルマを生きる

 先日、京都アスニーで仏陀の聖劇の上映会がありました。キサゴータミーという女性が出てくるのですが、彼女は自分の子どもの死が受け入れられず、悲しみのあまりその亡骸を抱き狂ったように彷徨います。そんな彼女に仏陀は「誰も死人を出したことがない家に行き、芥子の実を分けてもらいなさい」と言われます。彼女は家々をまわり、誰もが死というものを必ず経験することを、身をもって理解し、平安を得て仏陀の中で生きる決意をするのでした。

 キサゴータミーの心の変容をスクリーンで見ながら、私も早くに父親を亡くし、生きるとは何かということについて、ずっと悩み苦しんできたことを思い出しました。ヨギさんと出会った日、世の中の息苦しさから一気に解放され、水を得た魚のように、本当に嬉しい気持ちでした。この世界にこんな方が存在するなんて!信じられない!という喜びと興奮が入り交じり、この感情をどう捉えていいかよく分からなかったことを思い出します。思えばこの時初めて、ヨギさんから発せられたサナータナ・ダルマ(永遠の真理)に魂が触れた瞬間だったのでしょう。

 あれから十数年経ち、ヨギさんのご存在から、そしてグルバイたちを通してヨギさんの教えを学び、少しずつ理解を育み、今、ヨーガの教えを下に仕事をさせて頂き、ヨーガの教えを下に子育てをし、どんな場所でもヨーガが私の指針となっている。ヨギさんによって、サナータナ・ダルマによって私は生かされている。私が、私のもの、と言えるものは何にもないかもしれないな、と思いました。

 キサゴータミーが心の変容を遂げ、「仏陀、あなたの中に私は生きます!」と高らかに宣言したように、私もヨギさんの中で生き、サナータナ・ダルマと一つになれるように命を輝かせていきたい、そう思っています。

 


シュリー・マハーヨーギー、台湾特別サットサンガのご報告(2)‼️

3/23~3/26の三日間、師の訪台に合わせて台湾を訪問させていただきました。前回のゴーパーラのブログに続き、現地で経験したこと、感じたことを報告します。

真理は普遍不滅です。いつどこにいらしても全く変わることのない柔和な笑顔で真理を説き、祝福を与えておられる師。その存在や教えに酔い、熱心に実践する台湾の修行者たち――神と魂との間で行なわれる一期一会の交流、一人一人の魂の救済が、実際に目の前で行なわれていました。

あるご婦人がはきはきとした口調で「日常での他者との関わりの中で、どのように行為していけばいいのでしょうか」と普段からの疑問を師に問いました。師は、各人は各人のカルマに応じ生まれ落ちていること、自分の子供であっても配偶者であっても社会で接する人であっても同じ存在として行為する他ないと話され、「あとは各人に任せましょう!」おっしゃられました。その瞬間、質問したご婦人に安堵がもたらされたようでした。真理が正に今伝えられているという現場に立ち会った感触がありました。私はこれまで「過去にどこどこで覚者が真理を伝えた」と漠然と考えたり話したりしていましたが、具体的にそれは真理に基づいた献身奉仕によって、一人一人に安心や笑顔がもたらされることなのだと思い知らされたのでした。

サットサンガの後で、台湾のグルバイたちと車座になって話しました。「瞑想の中での実感と日常での実践はどのように関連しているか」や、「これまでどのように信仰を保ってヨーガを実践してきたのか」など、皆とても真剣でした。ある男性の修行者から、「台湾と日本のサットサンガはどう違いますか」と質問がありました。私は直ぐに「同じだと思う」と答えました。台湾の修行者も日本の修行者同様、実践を伴った質問をし、師は真剣に且つ純粋な真理を説かれ、導かれていたからでした。いつも京都では訪問者として会う台湾のグルバイ(兄弟姉妹)たちも、ここ台湾では、シュリー・マハーヨーギーの弟子として歓びの中で行為していました。その彼らの働きを見て素直に感動を覚えました。ヨーガでいう信仰や志は、人種や国籍問わず普遍的なものです。彼らと同じものを見て感じ、同じものを理想としている!自らの理想への思いと日々の修行をもっと積極的に実践したい!とインスパイアされました。

帰国の途の飛行機の中、これからの日常のことを考えたとたん、それまでの高揚した気持ちが醒め、素にもどりました。それと同時に、台湾のサンガが育っていること、その背後にはこれまでも並々ならぬ実践と努力がなされてきたのだろうということ、先輩のミラバイさんと中心となって働いてきた台湾のグルバイの思いと行動が感じられ、尊敬の気持ちが湧いてきました。その根底で一人一人をただ大切にされ導いておられる師の偉大な存在と働きを感じ、感謝の思いが溢れてきました。

いつも変わらず導いてくださっている師に、自らの誓願を改める機会を与えてくれた台湾のグルバイと先輩のミラバイさんに、この場をお借りしてお礼申しあげます。これからもっとシュリー・マハーヨーギーの弟子として、自らの修行と積極的な献身奉仕を実践していきます!榮光在(栄光あれ) Taiwan Sangha!

3/24(土)Joyful Living(心悦人文空間)で行なわれた特別サットサンガ後の交流の様子。

ラームダース


シュリー・マハーヨーギー、台湾特別サットサンガのご報告(1)‼️

ブッダは悟りを啓いた後、托鉢をして民衆に教えを説き、その生涯を全うしました。
年齢や性別、カーストを越えていろんな人と関わりをもったと想像できます。
その時、どんな問答がなされたのでしょうか?
またブッダと共に托鉢をしていた弟子は、その師の姿を見て、何を感じたのでしょうか?

3月21日〜3月28日まで、私たちの師シュリー・マハーヨーギーは台湾をご訪問され、全4回のサットサンガが開かれました‼️
私は師を追っかけるようにして、週末に行なわれた2回のサットサンガに参加してきました🏃💨
師の訪台は今回で3度目ということもあって、初めて師にお会いする方だけでなく、何度か師にお会いする方、弟子となってヨーガを実践しているグルバイ(兄弟姉妹)にと、さまざまな方がいました。
そんな中、私が参加した2回のサットサンガでは「仏教」に関連した質問が多くありました。

3/24(土)Joyful Living(心悦人文空間)で行なわれた特別サットサンガの様子。

この台湾は仏教徒の数も多いのですが、通りの名前に忠孝と付いていたり、地下鉄の優先席が博愛座席と表記されているように、目上の人や親を敬い、家族を大切にする忠孝の精神が根付いている国です。
ただその分、家族関係の問題も多くあります。
もし生きている間、その関係が良好ならば、それは幸せなことです。
でも、愛する家族との別れが訪れた時、その悲しみは深く、愛着が強ければ強いほどその関係性は生きている間だけではなく、亡くなった後も続くように感じます。
この台湾のサットサンガでは、「お盆を行なう意味はありますか」「死者に念仏やお経を唱えて浄土に行くことは信じた方がよいでしょうか」といった家族の死に際して執り行なわれる仏教儀礼に関しての質問がいくつかありました。

私たちの師シュリー・マハーヨーギーはどのように応えられたのか――

師は決して、既存の宗教や信仰を頭から否定されませんでした。
お盆については、「死者がこの世に戻り、またあの世に帰るというその行事は輪廻転生の理から矛盾しているけれども、生きている者にとっては先祖や身近な家族への思い出を大事に思い直す、そういう機会だと理解すればいいと思います」と説かれました。
この質問をした方からは、「生きている今が大事ということですね」という言葉が自然と出てきたことに、私は驚きました。

また、真理を実践して成就を目指そうとしている方には、仏教のルーツであるブッダが初めて説いたといわれる「苦集滅道」の教えを、四苦八苦から一つ一つ丁寧に紐解いていかれ、まず実践を深める上では「真理を正しく理解すること」が重要であると言葉を尽くして説かれていました。
この質問者は終始、師に魅了されて吸い込まれたかのような眼差しで、その教えを聞き入っていました。

私はこの台湾の特別サットサンガに参加させていただいて、ブッダの次の言葉が思い出されました。

「私は宗教を壊しに来たのではない、成就しに来た」

師は、さまざまな人に対して、その人が真理に向かうための最善の教えを慈悲深く丁寧に説かれているのを感じました。
もちろん宗教とも呼べないニューエイジ的な考え方に対しては「間違っている」とスパッと言い切る問答もあって、そんな師のギャップに笑いが起こる場面も……笑
否定も肯定も超えた真理の道、まさに中道!
ブッダが托鉢をしながらさまざまな人に説いた対機説法がありありと蘇ってくるような、ブッダの臨在を感じた最高の台湾特別サットサンガでした!!!

ゴーパーラ


バクティ・サンガム キールタン

すっかり春!桜が満開になっています。バクティ・サンガムでは3月から新しいキールタンを歌っています。「Panduranga Vittale」(パーンドゥランガ ヴィッターレー) ヴィシュヌ神を讃えるキールタンです。4月、5月とこのキールタンを中心に歌っていきます。

神の御名を何度も何度も唱えるキールタンですが、御名に集中し、心を込めて歌っていると、突然心の奥から歓びが溢れ出す瞬間があります。先日久しぶりにバクティ・サンガムに来てくれたゴパーラも良い体験があったようですよ、ご紹介します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私にとっては約3年ぶりのバクティ・サンガム。

  あなたがラーマの御名を唱える時

  百万の罪の記憶が消え失せる

  幾生涯の記憶は

  ラーマの御名の朗唱によって消滅する

 最近、中世のミーラー・バーイーのこの詩を目にして、「そんなことってあるのかな? もしそうなったら、それはいいな」と漠然とながら憧れのようなものを感じていました。

 この日のバクティ・サンガムは、キールタンのメドレーでした。会が始まってすぐ、「世俗の話も聞かなくていい、余計なことも考えなくていい。神だけを思い、それだけに浸れるこのバクティ・サンガムはとてもいいな~!」という思いが湧いてきました。

 会の前半、「ラーマとシーター」だけのフレーズの曲がありました。「なんてシンプルな曲なんだ!」と思い、歌い始めました。目を瞑って、ただただラーマとシーターの御名だけを歌いました。曲が終わった時、自然と涙が溢れていました。隣で歌っていたチャイタニヤさんも泣いていました。

 その後もたくさんのキールタンを歌いました。そしてミラバイさんが「次がラストの曲です」と言った時、「えっ、もう終わり!?」と思い、とても驚きました。

その時、自分が時間の感覚を失っていることに気付きました。瞑想に座っても、ここまで時間を忘れたことはありませんでした。

 百万の罪と幾生涯の記憶が消滅したのかは分かりません、でも神の偉大な力と、グルバイの力強い歌声とメロディーに包まれた「至福」のひとときでした。

ゴーパーラ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー誰でもが簡単に歌うことができるキールタン、初めての人も、久しぶりの人も、ぜひバクティ・サンガム にこの歓びを体験しに来てください。


瞑想特別クラス2回目 in 松山

春ですね〜桜の開花も全国で始まりました。春の祝祭まで後2週間ですね〜サーナンダです。
そして、現在師は台北を訪問されており、22日には1回目のサットサンガが開催されました。今日は2回目のサットサンガが予定されています。報告が楽しみですね!

さて、先週末に、松山瞑想特別クラスに行ってきました。今回のテーマは、身体と呼吸と心の関係でした。

瞑想は、じっと座っているだけで何かいいことが起こるのだろうと、簡単にできそうに思ってしまいますが、実際に座ってみると、雑念がとめどなく湧いてくるか、眠たくなるかのどちらかで、足も痛くなるし、ちっともいいことが起こらず、すぐに諦めてしまいがちです。

では、どう進めていけばいいのでしょうか?ヨーガではまず身体と呼吸を調えていきます。基礎編2回目の瞑想特別クラスでは、しっかりとした瞑想の土台を築くために、座法(アーサナ)の重要性を学びました。背骨を真っ直ぐにして正しく座れば、呼吸が調い、心が速やかに落ち着いてきます。日常の実践につながるように、今回は主要な座法と簡単な呼吸法の実習に時間を割きました。瞑想する際には両方の鼻が通っていることが大事なので、牛のポーズも皆で実習してみました。

2回目のクラスはどうでしたでしょうか。今回、松山ヨーガ・サークルで熱心にヨーガを実践されている若狭さんが、ご自身の瞑想の実践を記事にしてくださいましたので、ご紹介したいと思います。いつも瞑想特別クラスではスタッフとしてサポートしてくださっている若狭さん、2カ月後を楽しみにしています!


瞑想特別クラスに参加して

「自分には瞑想は無理なのではないか」と思っていた時期がありました。
心はとめどなく動き回り、集中もわずかの間だけ。
周りのグルバイ(ヨーガの仲間)がまぶしくて、自分を貶める言葉は次々に浮かびます。

5分でもいい!座る習慣をつけよう。今日出来なくてもいい、明日また行なおう。
お金の悩みの解決の仕方、理想の生き方とは何かなど、サーナンダさんは熱意を持って教えてくれます。

自分のやりやすい方法をさがしたい!
心は徐々に意欲的になっていきました。前向きになっていきました。
「苦しいのは自分が持っているからだけ。ただ手放せばいい!」と気がついた時、心がスーと軽くなりました。もう余分なものはいらない。捨てよう!自由になりたい!と心が叫びます。

入門編、実践編、特別編と続いて今年はもう一度基礎編。
一回目は瞑想のイロハを学ぶ!でした。
教えていただく言葉がスーツと体の中に染み込んでいきます。

識別の瞑想の間違いに気づきました。
それまでは、正しいか間違っているか、好きか嫌いか、やるべきか否かと行なっていました。
正しいのは「感情を見る。じーと見る。ただそれだけ」でした。
ただ見る、ただ見る、と言い聞かせながら行なってみました。
心を静めて待っていると答えが内側からふーっと浮かんできました!!そして問題は霧のように消えていきました!

この体験は自信になりました。やらなければいけないことだった瞑想がやりたいことに変わった瞬間でした。

次回は6月です。宿題が出ています。私は牛のポーズ、呼吸法、瞑想を行なおうと決めています。
まだ3日目ですが2ヶ月が経った頃自分がどう変わっているのか楽しみです。

2018.3.21 松山ヨーガサークル 若狭多美子