『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑨

今回は、『Paramahamsa』No.13の表紙絵について紹介させていただきます。

これは表紙絵を描き始めてから3つ目の作品になります。
一つ目の絵は、ヨギさんに教えていただいたインドの細密画を真似て描きました。この時は、ヨギさんに喜んでいただきたいという思いだけがあり、ただ描くことが楽しくて、幸せで、仕上がりまで夢中になって描いたのを覚えています。
そして昨年1月のブログで紹介させていただいたように、その時から『Paramahamsa』の表紙絵を隔月で描くことが始まったのです。

心というのは実に不思議なもので、その次の2作目を描く時、私の心境は全く別のところにありました。最初にヨギさんに褒めていただいた経験が、「うまく描かないといけない」「ヨギさんに喜んでいただけるものが描けるだろうか」とネガティブな思考に向かってしまい、どんな絵を描いていいのか分からなくなって、何度も描き直したのです。
描きたいと思っていた1作目とは違い、描かないといけないと思った2作目。
出来上がった絵は、背景にある木は突っ立っているし、何だか固い。ヨギさんは褒めてはくださいましたが、本当のところは分かりません。

そして今回の作品です。この時は思いにとらわれることなく、もっと肩の力を抜き、想像を働かせました。大好きなヨギさんの、優しく、そして優雅な感じが表せたらいいなとか、そうだ、聖なるガンジス河とシュリー・ラーマクリシュナが過ごされたドッキネッショル寺院を描こう、など、思いつくままに描いてみました。

これらの3つの絵を含め、初期の絵に対してヨギさんは、ずっと後のことになりますが、「初期の頃のシャチーの作品はオリジナリティーがあっていい」と言ってくださったことがありました。技術こそまだまだでしたが、ヨギさんに集中し、表したいことを素直に描いてみた結果だったのかもしれません。この絵から、それぞれが好きなヨギさんを少しでも感じていただけると嬉しいなと思います。

シャチー


師の導き

小さな存在

もうすぐ師が御入滅されて一年です。この5月の大型連休から心が落ち着かず、やっぱりドキドキしていました。私は20年前の5月18日に師と初めてお会いしました。クラスに参加したのは3回ほどで、まだ一か月も経っていない頃でした。初めてマハーヨーギー・アーシュラマの階段を上り、二階の間で師にお会いした時、師は白いクルタをお召しになっていて、白いムートンの上に座っておられました。そして、ものすごく優しい微笑みで迎えてくださいました。その印象が今でも深く心に刻まれています。

私は子供の頃たまたま幼稚園がキリスト教で聖書のお話によく触れていたのでイエスさまにお祈りするのが普通になっていました。大人になり特には無宗教でしたが、子供の時からのお祈りは自然に続けていました。師にお会いした時、私のすべてをいつも話してきたイエスさまという存在は、師だったんだと感じ、本当に安心しました。これまでのいろんなことが、全部この瞬間のためだったと思いました。

師は弟子の人生を寸分違わず導かれているとお聞きしたことがあります。今になっていろいろと気付きます。ひょんなことから数日前、毎週水曜日の朝の長岡京町家クラスに、実家の父親が朝、車で送ってくれました。父が車で送迎してくれることは滅多にないことなのですが、事情があり母からの希望でそうなったのでした。有難くも送ってもらえることになり、車で長岡京へと父の運転で向かいました。ふと、そういえば長岡京にあったはずの幼稚園のことを思い出しました。大人になってから長岡京に行った際、幼稚園を何度か探しましたが場所が分からなくて、もう無くなったのかもしれないなと思っていました。

私「幼稚園の場所って覚えてる?確か長岡京駅の近くにあったけどまだあるかな?行ってみたいんやけど」。
住宅街に差し掛かった道中でそう話していると、なんとその幼稚園バスが私たちの車の前に現れました。幼稚園バスがスーッとお家の前で止まり、かつての私のような幼稚園児をバスに乗せ、そのお母さんが子供を見送っていました。
私「すごいな!偶然やな!幼稚園の帽子も変わってないな~」
父と話しながらドライブは続きます。

父曰く、幼稚園の位置は私が思い込んでいる場所とは違うということで、そちらへ車を走らせました。ナビに頼るのもなんだか面白くないので、勘を頼りに進みます。
父「あれ?!ないなぁ~移転したんかもしれんなぁ」
父が思っていた場所にもなく、歩いていた人に聞いてみても分からず(素直にナビを頼ればいいのですが(笑))細い路地の住宅街に迷い込み、もう時間的にもタイムリミットなので「もう無いのかもな~」と諦めました。「よし!ナビにたのも!」と父は切り替え(笑)ナビに導いていただき進みました。すると、タイミングよくさっきの幼稚園バスがまた現れて園の門に到着です。「おお~!ここやん!」。幼稚園にやっと辿り着きました。四十年以上ぶりに再訪した幼稚園は昔の園舎のままのところもあり、とっても可愛いらしい場所でした。幼稚園の一角にある墓地が目に入ってきた時、ある記憶が蘇りました。
幼稚園の中からその墓地が見える部屋があり、私はお友達と二人でよくその窓からお墓を見ながらイエスさまのことをひそひそ声で話していました。墓地が見えるその窓の前がなんとなく不思議な感じで好きだったので、その場面を大人になっても思い出すことがありました。だからその墓地が見えた時に、あ!となぜか師とのいろいろなことが繋がって、幼稚園のあの窓が始まりの発心に繋がっていたような気持ちになりました。

また、その窓の近くには大好きな園長さん(牧師さん)の部屋がありました。園長さんはサンタクロースのおじいさんみたいなあたたかい雰囲気で、戦争で片腕をなくされていましたが、もう片方の腕によく私たちはまとわりついていました。園長さんが教えてくれたイエスさまのことを思い出し、あぁここは私の神さまへの思いを芽生えさせてくれた大切な場所だ、師がずっと本当に導いてきてくださっていたんだと、あたたかい歓びが込み上げ感謝しました。
父と、この5月に、そこへ導かれるように来れたのは師からの導きだと感じました。何度探してもそれまで見つけられなかったその幼稚園は、私の記憶上の地図とは別の場所にあり、毎週通ってきた長岡京クラスのごく近くの場所にありました。何かと縁深いこの地で、クラスを手伝わせていただけることにまた感謝がこみ上げました。

その日には台湾からのヨーガの仲間がクラスに参加され、また他にも久しぶりに参加された方もいらっしゃいました。そして滅多に送迎してくれない(笑)父の車で運んだものは、私の母からのヨーガへの感謝の気持ちが込められたお花でした。

母は長岡京クラスに通っていたことがあり、ふとお花を届けてほしいとそんな思いになったということでした。いろんな偶然のような出来事が毎日毎日、師の手の中で起こっていることを感じるばかりです。師のお導きに感謝します。

ナリニー


「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」(京都・大阪)

少し先ですが、7月〜京都・大阪で「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」をスタートします‼️

このイラストのように、世界は十人十色でさまざまな人の思いや行為が交錯しています。
そんな混沌としている世の中で、本当に大切なもの「真理」とは何でしょうか👀?

2500年前、ブッダは瞑想によって心を静め、真理を悟りましたーー

瞑想入門では、ブッダの生涯やハートに触れながら、ブッダの悟った真理を学んでいきます。
そして、真理を心の思いに照らし合わせて煩悩を取り除く「識別瞑想」をしていきます。
昨今、さまざまな瞑想がありますが、この識別瞑想こそブッダが説いたニルヴァーナ(涅槃)に至る方法であり、欲望やエゴが渦巻く世界で本当に大切なものを見失わない知恵・力になります。

全8回で、1回のご参加や途中からのご参加もしていただけます。
初心者の方でも無理なく実践できるプログラムとなっていますので、一緒にブッダ(真理)をさがし、瞑想していきましょう!
詳細はこちらをご覧ください💁‍♂️「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』〜カルマの法則〜

ヨーガに出会い、僕はカルマの法則の存在を初めて知りました。
僕はこれまで自分の置かれている状況や訪れる結果に対しての原因が自分の心の思いや行為にあるということを考えもしませんでした。とくに職場では業務がスムーズに捗(はかど)らない状態を周りの人たちに問題があると感じていたり、職場の環境がより良く変わらないのも職場に原因があると思っていました。
ヨーガを学び、師の教えに触れる中でその思いや行為が少しずつ変わっていきました。

「ヨーガの重要な言葉にカルマというものがあります。これは原因と結果、あるいは作用と反作用の理のことです。特に自分の行なった行為、あるいは思いーー心の中の思いも行為と見なされますから、粗大な行為、微細な行為というわけですーーその行為の善悪、あるいは無知と真理に基づくものはやがて結果を招く。悪いことをすれば苦しみの結果がやってくるし、善いことをすれば楽な結果がやってくる、その果実を自らが受け取らなければならないという約束事のことです。これは宇宙的な約束事のことです。人間だけではなく、あらゆるものがこの原理に従っています。
 種を蒔けばそこに実がなるように、良い環境で育てば良い実がなり、そうでなければ良くない実がなるように、そのカルマの法則というものを理解するならば、一口で言うと自業自得ということになります。良いことも良くないことも、全てその原因は自分の中にある。また未来にやってくるであろう結果も、自分が蒔いた種に違いない。そういうふうに何事も他人のせいにしない、責任転嫁をしないことですね。それでも誰もが良くありたい、幸せでありたい、自由でありたいと願っているはずですから、そうすれば自らの行為をより良くしていくほかありません。理に適った話です。何もしないでいて誰かが幸せにしてくれるわけではありません。やはり自分が努力をして、それに見合うものーー結果として幸せはやってきます」

『マハーヨーギーの真理のことば』P96より

すべては自分の心と行為次第であることを教わり気づかせていただきました。
そして自身の働きをより良くしていきたい、また周りの人や環境に対しても良くしていけるようになりたいと思うようになりました。どんな状況にあっても他人や環境のせいにしないように、今この瞬間をより良くしていくことだけ考えて働いていこうと決めました。そうすることで、仕事への目的意識がはっきりして業務を進める上での必要性が見えてくるようにもなりました。ゴールに向かって仕事が円滑に前向きにみんなで進めていけるような状況に好転していきました。
「未来を良くすることは今この瞬間を良くすること、それが未来につながる」と学び聞いた言葉を大切にして、目の前の仕事に励んでいます。

金森淳哉


瞑想専科「真理のことばに瞑想する」一年半コース

去年の6月からスタートした瞑想専科「真理のことばに瞑想する」一年半コースですが、もうすぐ一年が経過しようとしています。毎月『マハーヨーギーの真理のことば』の中の一つの章を取り上げて、実践した成果を発表し、互いに学び合っています。
今月は【第九章――大宇宙と小宇宙の神秘】について取り組みました。

クラスの中では、毎回2人の方に体験談を話していただき、クラス担当者からのレクチャーがあって、最後に30分ほど瞑想を行います。

廉くん
研究者である島本廉さんは、二十四の原理についての興味深い実践談を話してくれました。

OM
映像の仕事をしているNさんは、画面共有しながらオームのマントラの本質を直観的に捉えたお話をしてくれました。

マードゥリー、ヨーガダンダ
担当のマードゥリー、ヨーガダンダのどちらかがレクチャーを行います。今回はヨーガダンダが、タントラ全般についてのお話をしました。

瞑想専科
瞑想の後は質疑応答の時間です。
みんなの話を聞いて師のサットサンガの時と同じように自然と瞑想状態になったという感想も聞かれ、師の恩寵によってクラスが運ばれているのを感じました。
動画受講も含めると約60名の方が参加しています。

ちょうど一年ほど前、この瞑想専科が始まる直前に師は御入滅されました。重い心を引きずるようにしてクラスを始動させたのですが、私たちにとって希望の光となる師の教えをご紹介させていただきます。

グル(師)と弟子の関係は、肉体的な近さを意味してはいません。それはハートの問題です。ですから、たとえ地球の裏側にいても、その関係は強く結ばれています。それをもっと納得してもらうために、彼の偉大なブッダの最後の言葉を紹介しましょう。「私の弟子とは、この体の近くにいる者ではなく、私の教えを生きる者が本当の弟子である」。もちろんブッダの教え、真理の教えは、時間と空間を超えています。彼の教えに生きるならば、この二十一世紀に生きる私たちでも彼の直接の弟子になることができます。真理と真理の教えというのは、時間と空間を超えています。ですから、たとえ遠く離れていても、グルと弟子の関係は可能です。

時空を超えて誰もが師の弟子になれるように、そして真理を実現できるように、師は『マハーヨーギーの真理のことば』を残して逝かれました。
瞑想専科を通じて『マハーヨーギーの真理のことば』と向き合っていく中で、改めてこの本には、あらゆるヨーガの道から日常で直面する問題の解決法に到るまでの全てが網羅されており、内にも外にもあらゆる理を知り尽くした師が、限りなく多くの人に手を差し伸べられているのを感じます。
私たちがやるべきことは、どの教えからでも、どの入り口からでもいいから、生涯かけて真理に到達するということです。
その時、師が教えられるように、本当の弟子になれるのと同時に、本当の交流ができるのでしょう――師だけでなく、ブッダや過去の聖者たち、そして日常で関わる全ての人や生き物に対しても。
『マハーヨーギーの真理のことば』の後半は、ヨーガの核心に触れるような濃密な教えで溢れています。
理想に一歩でも近づけるように、最後までしっかりと取り組んでいきたいと思います。

ヨーガダンダ yogadanda

 


ホーリー・マザー ナハヴァトでの日々

4月7日に行なわれた春の祝祭では、インドの聖女ホーリー・マザーことシュリー・サーラダー・デーヴィーに焦点を当てて、祝辞や映像、聖劇などを通じて色々な角度から彼女に迫っていきました。
その中のひとつで、ホーリー・マザーが生涯最良の時期だったとおっしゃった、ナハヴァトでの暮らしをご紹介しました。師であり夫であったシュリー・ラーマクリシュナの導きのもと、ナハヴァトで暮らした約10年間は、教えと喜びとユーモアが詰まったかけがえのない日々でした。祝祭では時間に限りがあったので厳選してご紹介しましたが、その内容に加えていくつかのエピソードをイラストと共にブログでもご紹介します。

ナハヴァト この建物の中央1階にマザーのお部屋がある

●シュリー・ラーマクリシュナはマザーの霊的修行を注意深く見守って、マザーが規則的に瞑想するように計らっておられました。朝3時、師はナハヴァトの扉のところまで行き、マザーと一緒に暮らしていた姪のラクシュミーに声をかけました。「起きるのだ。そして叔母さんを起こしておくれ、いつまで寝ているつもりだ。夜が明けるぞ。瞑想を始めなさい」
冬の間、マザーはラクシュミーをもう少し長く眠らせてやりたかったため返事をしませんでした。すると二人がまだ眠っていると思われた師は、時々扉の下に水を注いでからかわれました。マザーたちは寝床が濡れてしまわないように急いで起き上がらなければなりませんでした。こうしてラクシュミーは早起きの習慣を身につけました。


●ある朝、具合の悪かったマザーは3時に起きられませんでした。こうしたことが数日間続きました。これが心のトリックであることをすぐに理解したマザーは、いつもの時間通りに起きるよう自らに強いました。不動の意志と決意なくしては霊性の生活が成功できないことを、後にマザーは語られています。
●ナハヴァトと師のお部屋は20〜30メートルの距離でしたが、師の男性の弟子が増えてお側に仕えるようになってからは、マザーが給仕をしたりお側にいることが叶わないことがあり、時には2ヶ月もお会いできないこともありました。そういうときマザーはポーチの仕切りの小さな穴の後ろに何時間でもたたずんで師の歌声に耳を澄ませました。
そんなマザーの様子を知っておられたのでしょうか、法悦状態の中で、自室で信者たちと歌って踊られる時の師は、ナハヴァトに面している扉を開けっ放しにするようにと言われました。「この部屋は神への強烈な思いと愛に溢れているだろう。彼女がそれをみなければ、他にどうやって習えようか」


「師が歌われると、私はナハヴァトのすだれの陰にたたずんで、そのお声を何時間でも聞き続けたものでした。歌が終わると、合掌して師にお辞儀をしました。なんと喜びに満ちた日々を過ごしたものでしょう!昼も夜も引も切らず人々が押し寄せ、霊的なお話しは終わることがありませんでした」
●マザーはかなりの時間とエネルギーを料理に費やしました。中でも胃が弱かったため特別な食事が必要だった師に料理をして差し上げるという責任ある務めは、最も大きな喜びでした。師は皿に山盛りの料理を見ると消化不良を恐れて手をつけられないことがあったため、ご飯を小盛りにして押し固めたり、ミルクを煮詰めて少なく見えるようにしたり、師が栄養を摂れるように様々な工夫をされました。そのおかげもあって、師は健康を増進されました。
●師は、若い弟子たちの日々の習慣を厳しく見守っていて、怠惰になって翌日早朝の瞑想を怠ることのないよう、夜は食べ過ぎないようにと忠告しておられました。一方、彼らの食事を作っていたマザーは、彼らの健康に気を使い、充分に食べられるよう配慮しておられました。ある弟子が決められていたよりも2〜3枚余分にパンを食べていた時、師はその原因がマザーの母親らしい心配りにあることを知られました。師は、このようなことを今後は禁じると伝えましたが、マザーははっきりと言いました。


「パンを2〜3切れ多く食べただけで、なぜご心配なさるのです。私がここの子供たちの世話をしております。あの子たちを食べ物のことで責めて欲しくはありません」
師はこの言葉の背後にあるマザーの母としての感情を理解して、笑って済ませられたと言います。
●マザーは幼い頃から弟たちの世話をすること、貧しい者に食物を施すこと、そして後にはドッキネッショルで師の若い弟子たちの面倒を見ることなど、多くの方法で本質的に女性に見られる母性を体現されました。当時のヒンドゥー社会の背景もあり、マザーも時折子供を持つことを望まれました。ある日師はマザーの思いを読み取って言われました。


「なぜ思い悩むのだね。私が純金のように純粋な子供たちを残してあげよう。女たちが何百万回生まれ変わって祈りを捧げ、苦行を行なっても得難い子供たちを。世話を仕切れないほど大勢の者がお前を母と慕うだろう」
それでもマザーは「お母さん」という甘美な言葉を聞きたがりました。再び彼女の気持ちを読まれた師は、カルカッタから弟子たちが来ると、師の部屋に入る前にナハヴァトの前で立ち止まって、大声でこう言うようにといわれました。「お母さん、ただいま!」


マザーは瞑想や霊性の修行のために、日々の務めをおろそかにすることは決してありませんでした。そして仕事を口実に礼拝をなおざりにすることも決してありませんでした。
マザーのお部屋は3畳弱で窓もない場所でした。その様な窮屈な生活に耐えられる人はほとんどいませんでした。けれど、ガンガーや寺院の聖なる雰囲気、信者たちのための奉仕、師の世話をすること、そしてマザー自身の霊性の修行と体験が、マザーの心を肉体的苦痛に優るところに引き上げてくれました。ナハヴァトでのマザーの日々は、絶えざる活動と祈りの静寂に交互に満たされていたのです。
マザーのナハヴァトでの日々を思うと、心が聖なるもので満たされ、活力が湧いてきます。マザーを見習い、不動の決意と意思を持ち内面を充実させて、霊性の修行と日々の務め両方を果たしていけますように。

ジャイ シュリー・サーラダー・デーヴィー!
ジャイ シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサ!

サルヴァーニー


新規開講!東京・国分寺クラスのご紹介

4月から東京・国分寺で新しいクラスが始まりました。

3月までは、私の鍼灸院に来院されている患者さんを対象に開催していました。
2011年に鍼灸院内で少人数のクラスを始めて、その後参加希望者が増えたため、2015年から現在のスタジオに会場を移しました。

お仕事、子育て、介護など、日常生活を忙しく過ごされている中で、30~80代の方が定期的に通ってくださっています。
還暦を過ぎてから始めた方もおられますが、少しずついろいろな形ができるようになり、最近ではシールシャ・アーサナの練習をする方も増えてきました。

スタジオからは大きな桜の木が見えます

2016年からクラスに通われているお2人の方に、クラスの感想を伺ってみました。

・最初は体が硬過ぎ辛い形が多かったけれど、シャヴァ・アーサナをすると全身を気が通り抜けたように感じてびっくりしたことがあります。今もきつい形はあるけれど、後でとてもスッキリして、それがとても気持ち良いです。

・自宅でも出来る限りアーサナをやるようにしているけれど、クラスでやるとしっかり集中できるのがいいと思います。

ヨーガのアーサナ(ポーズ)は年齢を問わず誰でも行なうことができること、柔軟性とアーサナによる効果は関係ないことを、皆さんが証明してくださっているように感じます。

アーサナをした後はシャヴァ・アーサナでリラックス

 

クラスでは10数種類のアーサナを、1人1人の身体の状態に合わせて行います。
アーサナを行うことで、自己治癒力が高まり、身体は生命力に満ち、呼吸は深く安定したリズムへと変化します。
それにより心は落ち着いた穏やかな状態へと導かれ、瞑想に座りやすくなります。
瞑想は、心を対象に集中させることから始めます。その対象と1つになるように集中を深めていきます。
そうすることで、誰もの中にある本当の自分、真実が輝き出すとされています。

興味のある方は、お気軽にご参加くださいね。

クラスの後、桜の前で撮影。お2人とも素敵な笑顔!


クラスの詳細はこちら↓
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ハルシャニー  

 


春の祝祭🌸〜サーラダ・デーヴィー〜🌸「真の愛(プレーマ)」

外は雲一つない青空が広がり、桜は満開を向かえ、草木は新芽が可愛らしく顔を出して生命の歓びを全身で表しています。
4月7日、「第7回 サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ――神性示現大祭――」が開催されました。今年のテーマは「真の愛(プレーマ)」、シュリー・ラーマクリシュナの霊的な妻であったサーラダー・デーヴィーに焦点が当てられました。
5年ぶりの実開催ということもあり、全国から集った60名程の弟子達は歓びに輝き、オンラインではニューヨークや台湾の方々が笑顔と共にスクリーンに映し出されました。

アーラティーの奉納

プージャー(礼拝の儀)から始まり、アーラティーや祝辞、映像、ナハヴァト(サーラダー・デーヴィーの住居)の実演、聖劇、弟子達のエピソード、賛歌などが奉納されました。
映像では、サーラダー・デーヴィーの生涯がその包み込むような慈愛が伝わってくる清らかなお顔の写真と共に紹介され、ラーマクリシュナがお隠れになられた時にはとても憔悴されるも、その後ご自身の使命を悟り、グルとして生きる愛そのもののお姿が映し出されました。
ナハヴァトでは、サーラダー・デーヴィーが住んでおられた小さな住居と同じサイズの建物が実際に組み立てられ、その謙虚なお人柄と他者への奉仕で埋め尽くされた当時の生活が生き生きと実演されました。
また弟子達のエピソードでは、ラーマクリシュナの4人の弟子が取り上げられ、どのエピソードからもかけがえのない「本当の母」との交流から与えられた真の至福と愛が満ち溢れていました。

聖劇では、夜道を一人歩くサーラダー・デーヴィーが恐ろしい盗賊夫婦に遭遇し略奪されそうになりますが、彼らはサーラダーの中にカーリー女神のお姿を見るのです! カーリーの見神によって心が変容してしまった彼らは、愛情を込めてサーラダーを守ります。

サーラダー・デーヴィーの本性であるマザー・カーリーが顕現!!

盗賊妻「あなたは、人の姿に化身したシャクティです」
盗賊「恐怖に苦しむ者に恵みと避難所を与えられます」
盗賊妻「人の惨めさをあがない、信じるものに喜びを与えられます」
盗賊&妻「あなたに礼拝いたします。おお、至高の御方、宇宙の母よ!」
(劇中、カーリー見神後の盗賊夫婦のセリフ)

盗賊夫婦は改心し、帰依する。

まるでおとぎ話のようなエピソードですが、これが実際に起こった出来事であることに驚かされます。サーラダー・デーヴィーの他者の欠点を見ない純真な心だからこその偉大な力に深く感動します。その後、夫婦は盗賊を辞めて正直で良い生き方をしたそうです。元盗賊夫婦が生き方を変えていく過程の中には、やはり大変な苦労があったのだと想像します。それでも宇宙の母の真実の愛が、彼らに神への信仰が何よりも大切なのだと痛感させ、たとえこの世界で何が起きたとしても神だけを見つめる覚悟を与えられたのではないでしょうか。

私自身はサーラダー・デーヴィーの姪にあたるラクシュミーという女性の役を演じさせていただきました。開催前に自宅で練習している時に、危険な道のりを一人で歩くサーラダーを思って胸が苦しく締め付けられるラクシュミーの心境が伝わってきて、号泣したことがありました。このエピソードはサーラダー・デーヴィーと盗賊夫婦のお話ですが、一心にサーラダーを心配していたラクシュミーと、彼女を励まし導いたシヴァラームにも同じように、宇宙の母の愛と祝福は降り注いでいたのだと思います。

サーラダーの無事を祈るラクシュミー(左)とシヴァラーム(右)。

そして、それぞれの祝辞者からも同じ印象を受けました。どの祝辞者の言葉もサーラダー・デーヴィーを通して宇宙の母のどこまでも大きな愛を体感したからこそ湧き出てくる熱意と勇気に溢れていました。ある祝辞の中に「神は身内」という言葉がありました。サーラダー・デーヴィーはこの世界に生まれてきてくださることで、私たちに転生を超えた「永遠の母」が本当にいることを、身を持って示してくださいました。そして、この世界で信仰と共に生きる模範を見せてくださいました。「永遠の母」を本当の身内とし、その生き方を見倣い、元盗賊夫婦のように、どんな状況の中でも神だけを見つめることを自身の歓びとしていきたいと強く感じた一日でした。

ラストは、盗賊夫婦と共に宇宙の母を讃えるキールタンを歌いました〜!!

船勢洋子


MYM48周年記念【書籍・物販セール】残り10日です!

MYM48周年記念セールも、あと残り10日となりました! ご好評につき、おかげさまで売り切れてしまったものもありますが、皆さま、チェックはお済みでしょうか?
今日は、松山からキャンペーンセールのレポートをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

★★★

今回のキャンペーンをきっかけに、松山では『真実を求めて』を多くの方が手に取ってくださっています。
この聖典は2015年の春に出版されました。当時、京都の先輩サーナンダさんが松山瞑想特別クラスの際に少しでも早く届けたいと、バスに乗って大量の『真実を求めて』を運んでくださいました。その夜、私は感謝しながらも夜遅くなっていたので、少しだけ読んでみようと本を開いたのですが、気が付いたら一気に読み終えて感動と歓びに満たされました。

最近、購入してくださったのはヨーガを始めて1年くらいの方や、発売当時は本までは必要ないと思っていたけれど、タイミング良く欲しくなったという皆さまです。ミラバイさんは語り芝居やキールタンのイベント開催のため、2011年以降、松山に何度も足を運んでくださっています。プロローグの次のページの写真が双海の海岸(愛媛県)で撮影されたものなので、松山の皆さんは、そのページを開くと「わ~!双海!?いい写真ですね!」と自然に笑顔になります。

本の内容は手記とヨーガの教えの2部構成になっていて、まず目次からおもしろいのです。抜粋してご紹介すると、

なりたいものがない!
インドに行く!
インドあきらめる
OLになってみる
瞑想ってヨーガなの?
お腹いっぱい食べたらあかん
愚痴が減る
私は何がしたい?

と、読みやすそうな項目が並んでいて、文字も大きく、1つの項目も数ページと短くて、テンポがいいので、自然に引き込まれます。また馴染みにくいヨーガの専門的な言葉を同じ項目の最後のページですぐに解説してもらえるので、ヨーガへの初歩的な疑問が解消されます。

先日クラスの最後に『真実を求めて』の中から「愚痴が減る」の項目をご紹介した時、参加者の方が「私がこうなりたいという理想が書かれていました」と目を輝かせて本を買ってくださいました。そこではミラバイさんがアーサナを毎日すると決めたと同時に「黙る」と決めたこと、職場で仕事上必要最低限のこと以外は話さず、愚痴を言うのをやめる実践を続けるうちに、ある日、自分の中から職場や社長への不満が全く湧き上がらなくなった、まるで映画のワンシーンを見ているように自分の思いが切り離された、という内容が書かれています。

第一部の手記を読んで、もっと知りたいと思ったいいタイミングで「第二部 ヨーガの教え」に読み進めることができるのも、魅力の1つです。

最近の松山からは以上です~。興味がある皆さまに手にしていただけたら、本当に嬉しいです!

★★★

真実を求めて』の他、私たちの師の教えの総集編ともいえる『マハーヨーギーの真理のことば』、またヨーガのエッセンスが小さな本にギュッと詰まった『ヨーガの福音』、見ているだけで作ってみたくなるお料理の本『さまらさの台所』など、様々な書籍があります。
書籍・物販セールの詳細はこちらまで。

セール期間も、残りわずかとなりました。どうぞこの機会をお見逃しなく!!

 

MYM京都 


歓びの春の祝祭を終えて

京都では桜が見事に満開となる中、昨日4/7(日)「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ――神性示現大祭――」が行なわれました。日本各地から、そしてオンラインでもニューヨークや台湾を含め多くの仲間たちが集い、歓び溢れる格別な時をともに過ごしました。

マーラー

祭壇に捧げられた美しいマーラー(花輪)

ホーリー・マザー、シュリー・サーラダ・デーヴィーへのメッセージ、インドの風土も感じられるマザーの生涯の映像、彼女の日々の暮らしを紹介するコーナー、その他聖劇、讃歌など、今回は、見て、聞いて、歌って体感できるさまざまな企画が盛りだくさんでした! 母性愛と慈しみをもって、万物すべての避難所となるべくご自身を与えられたマザーの生きざまについて、楽しみがらも深く感じることができたのではないでしょうか。

讃歌

会の最後に全員でマザーへの讃歌を捧げました

祝祭では聖なる存在の息吹、仲間たちの情熱に触れてたくさんの活力をいただきました。それを糧にヨーガの道へとさらに邁進していけますように!

後日、ブログにて当日の感想などをご紹介させていただきます。
(また会員サイトではより詳細な内容を掲載する予定です)

 

マハーヨーギー・ミッション