松山特別サットサンガ速報!

松山でのサットサンガ一日目が終了しました!!松山のみなさんが、日常の中でヨーガを深めるために、地道に実践しているのをとても感じるサットサンガでした。

松山ヨーガサークル会場

何人かの方は、一年前のサットサンガでヨギさんからいただいた言葉を大切にしながら日常の中でそれを実践し、新たに生じた疑問をグルに質問されており、サットサンガの本来の姿がそこにあったと思いました。

実践が出来ていない、辛い状態が続いているという方にヨギさんは言われました。

「私から見たら、本当の自分を見失っているように見える」

ヨギさんは、このサットサンガの中で本当の私というのは、生まれることもなく、死ぬこともない、永遠で至福そのものなのだということ、そして本当の私には苦しみなどない、それが自分自身の本来の姿なのだと何度も教えてくださいました。

そして、とても力強く「それを知り、体得し、生きてください!」と言われました。そこにいた誰もが、鼓舞され、それこそが人生でするべきことだと思った瞬間だったと思います。

また明日もサットサンガがあります!!!ヨギさんに会えて、みんな本当に嬉しそう!


発心!! <サットサンガより>

立夏らしく、日中は初夏のような暑さとなった5月11日(土)の定例サットサンガ。その中で、特に私がインスパイア(鼓舞)されたのは、発心についてのお話です。

よく考えてみれば、八歳の頃に真実の意識に目覚められた師シュリー・マハーヨーギーには、発心も精進も必要ありません。にもかかわらず、師は並々ならぬ志を持って、十二年間も黙々とアーサナをされ、徹底的にこの世界と心の理を解き明かされました。「動機なき精進、それが自然体だった」、さらには「かなり精進した」と師はサットサンガの中でおっしゃいました。全ては、後に現れる私たちを導かれるためになされたことに違いありません。

そして師は、発心について次のようにおっしゃいました。

必要なのは、感じること、気づくこと、そして求めること、探すこと。

まず、この世界がどういうものなのかに気づくこと。諸行無常、諸法無我、一切皆苦、そう教えらえている真理に気づかなければならない。
普通はこの世の中で何かを求めてあくせくしますけれども、実はこの世界は常に変化をして何一つ確実なものはない。様々な現象という経験も、そこに真実は見つけることはできない。そして、誰もが望んでいる幸福というものも、全ては限定的であり不完全であるから、その結果は苦しみに終わる。
では、一体何が本当の幸せなのか、これを求めなければならない。ブッダ、あるいはヨーガには、ニルヴァーナ(涅槃寂静)、サマーディ(三昧、瞑想の深い境地)という言葉に表現される至福の境地がある。そして、苦しみをつくりだす原因は無知であると見抜いているわけです。このことをまず理解すること。そうしたら、心の向きや行動様式を、世間に対する執着から真実の方に向けることができる。ここで大いなる転換をしなさい。これが発心です、全ての原動力です。

私はこれらの教えを聞きながら、自分自身のことを思い返していました。
師がニューヨークにご布教に行かれた際に、師の傍に何度か滞在させていただいた私は、東京に帰ってからもずっと、ヨギさんのことや滞在中のことを考えていましたが、ニューヨークでの出来事を消化しきれず、私の心はなかなか晴れませんでした。

そんなある日、「この限りある心でヨギさんを理解するなんて無理だ。けれども私は、ヨギさんの本当のことを知りたい!!!!!」と祭壇の前で泣いていました。これが私の発心だったのだと思います。
師のお言葉によって、その時の熱い思いが一瞬で蘇りました。

師は、私たちを目覚めさせようとしてくださっている。やさしく、そして私たち以上に諦めることなく。しかし、いつまでも師であるヨギさんに甘えっぱなしではいけない。仕事や日常生活に飲み込まれずに、ヨギさんだけに一点集中する、正精進あるのみ!! あらためてそう強く願ったサットサンガでした。

ターリカー


心の立て直し方

ゴールデンウィークも終わり、普段の生活が戻ってきました。私事ですが、長い休み中は子供の習い事の行事があったり、親戚が泊まりに来たり、ときどき仕事に行ったりと充実した日々を過ごしていました。

しかしながら主婦(夫)は平日も休日も忙しいですね。つい「疲れた〜」と口にして、もう何にもしたくない!動きたくない!と思ったりすることもあります。そんな時、何時からか心掛けるようになったことがあります。それは「心の主張と真逆のことをする」です。

なぜそういうふうにしようと思ったのかな〜?と考えてみると、それは日々のアーサナを通して感じてきたことだと思います。きついポーズの中で味わう苦痛を無視して、愛おしい神、または呼吸に心を向けていく。毎回それを繰り返すことでいつの間にか苦痛だったポーズが心地良いものへと変容していく・・・。

日常も同じ。もう何もしたくない!と心が苦痛を訴えた時こそ、洗濯物を干す、食事作りに取り組むなど、家でのやるべきことに意識して集中するようにすると、「疲れた」という思いがいつの間にか消え満たされた気持ちになっているのです。

つくづく心の主張ほどいい加減なものはないな〜と思います。そういう経験を何度も何度も繰り返していくうちに、以前より心の扱いが上手くなったよう気がします(ウシのように寝そべっていることもありますが・・・苦笑)。

ちょっとしたことなのですが、こうして毎日心を立て直す機会を与えてもらえて有り難いなあ・・・と思います。ちなみに昨日の夕食はさまらさレシピより、我が家みんなのお気に入りスパイス入りコロッケを作りました美味しかった!

さあ、本日も頑張っていきましょう!

                                                                                                                                                            アマラー


キールタン〜鴨川にて

昨日はGW最終日。ここ数日あまりにも天気がよかったので、いつもバクティ・サンガムに来てくださっている方たちに「鴨川でキールタンを歌いませんか?」とお声かけして行ってきました!

久しぶりの鴨川。以前三条通を練り歩きをしていたことがありましたが、それは2010年頃のこと。商店街の様子もすっかり変わり、メンバーの様子も(というか私が?)円熟味が増し(笑)、河川敷もずいぶんきれいに整備されていました。家を出る前、当時のことを思い出し、考えていました。あれから10年、神の御名をどれくらい唱えてきたのか、神の一片を少しは体感しているのか、本当に神を知ったと言えるときがくるのか、変わらないものはどこにあるのか。

鴨川に到着すると、大阪からキールタンに興味をもって来てくださったご家族がおられました。またなんと10年前に鴨川でキールタンを通して知り合った人にも偶然出会い、一緒に歌うことに!

一時間ちょっと、みんなでいっぱい歌いました。天候にも恵まれ、みんな、とっても楽しそうで気持ち良さそうでした。私もそれまで考えていたことはもうすっかり忘れ、ただ単純に御名を歌い、みんなとたくさん笑いました。歌い終わってから、いつも師がおっしゃっている言葉を思い出しましたーーそういったいろんな思い煩いがなくなったときに、神を知るーー、あぁ、そうだ、そうだったのでした😓

家に戻ると、初めて屋外でのキールタンに参加してくださった方から、嬉しいメールが届いていました。

「今日はとっても!!!!!!楽しかったです! 外で歌う方が神様が近い気がしました(笑)。またぜひこんな機会を作ってください。どうもありがとうございました」

ひょっとしてみんな昨日のひとときは、心を解放してシンプルな心でキールタンを歌えたのかもしれません。

こちらこそありがとうございました! そうですね、またぜひこんな機会を!!!

ミラバイ


ラーマクリシュナの導き

私はヨギになり、愛という山の洞窟に住もう。

至福の泉のそばで、ヨーガに没入しよう。

真理という果実によって知識の飢えを満たそう。

離欲という花を添えて、神の御足を礼拝しよう。

わが魂なる水瓶に平安という水を引き入れよう。

あなたの、蓮華の御足の栄光に満ちた

甘露水を飲んで、歓喜のあまり

笑って踊って泣いて歌おう。

 

これは『ラーマクリシュナの福音』の中で歌われる歌の歌詞です。これを聞いたラーマクリシュナは、「あぁ、なんとよい歌だろう」ととても喜ばれます。私もこの歌の最後の部分が特に好きです。

「あなたの、蓮華の御足の栄光に満ちた甘露水を飲んで、歓喜のあまり、笑って踊って泣いて歌おう」まるで、先日行われた祝祭を象徴しているかのように感じ、当日の歓びが蘇ってきます。

先日の祝祭では(祝祭の内容はこちら)祝辞をさせていただきました。私は『ラーマクリシュナの福音』が好きで、よく読んでいたこともあり、福音を通してラーマクリシュナの霊性と息吹を話すことになっていました。そして、その場に参加しているみんなが福音の世界に入っていければ…という目標もありました。

祝辞の原稿は歓びをもって割と早い段階で仕上げることができました。出来上がってから当日までも福音を読みながら過ごしていました。でもある日、心の中に浮かんだ思いがありました「こんな祝辞の内容でいいのかな……」

『ラーマクリシュナの福音』は直弟子であるマヘンドラナート・グプタが1882年2月にラーマクリシュナに初めて会ったその日の記録から始まり、ラーマクリシュナが亡くなる1886年8月16日まで、弟子や信者を導くために説いた教えの記録が詳細に残されています。教えはもちろん、信者との会話、日常の様子まで書かれており150年前の記録ですが、その細やかな描写により親近感を持って聖者に接することができる、真理を求めるものにとって、いや、人類にとって宝のような福音です。

そのようなものについて、いったい私が何を言えるでしょうか……急に我に返り、恐れと不安が心を占領しました。もう一度祝辞を読み返してみても、なんと稚拙な文章、とても個人的な内容、これでは普遍的なラーマクリシュナの福音について話をするというような段階ではないように感じ、ネガティブな思いでいっぱいになりました。当日まであと10日、書き直すべきかどうか悩みましたが、焦りもあり、書き直すことができるのかどうかも分からないような状態でした。

日に日に近づく祝祭、どうしよう…という思いが膨らんできた時、突然ラーマクリシュナの教えが胸に飛び込んできました。

「神がしている神の仕事 人は私がするという」

木葉一枚でも神のご意思がなければ落ちることはできない、全ては神がなされていること、神が使い手、人は単なる道具、ラーマクリシュナは常々こう教えられます。
教えが心に染み渡るにつれて不安や恐れは薄れ、消えていきました。そして安堵と歓びが心を満たしました。私に必要なことは、良い道具となるようにラーマクリシュナを愛していくことだけで、恐れを持ったり、不安から祝辞の内容を書き直したり、言葉を変えたりすることではないと分かりました。それからは、「未熟な祝辞ではありますが、どうかあなたへの愛と感謝を捧げることができますように」と祈り、ただただラーマクリシュナを見つめて当時を楽しみに待つことができたのでした。

いつでも、どんなときでも、時間と空間を超えて、常に導いてくださっていることに心から感謝しています。

 

サティヤー


ドッキネッショル寺院を訪問

こんにちは。
ゴーパーラです😃
皆さま、GWはいかがお過ごしでしょうか?
10連休という方もいるのでは?
海外旅行も行けますよね〜✈️
ということで、インドのカルカッタの写真です📷

ここはもしかして……そう❗️あの19世紀インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナが住まわれていたドッキネッショル寺院です‼️

4月23日〜27日まで、松山ヨーガ・サークルの藤田沙織さんがカルカッタを旅行して、その写真を送ってくださいました📷✨

振り返ること、シュリー・ラーマクリシュナにフォーカスされた4月7日春の祝祭の翌日、私はNYから来たアーナンダマーリーさんとプラパッティーさんとガネーシャ庵(ヨーガ仲間の家)を訪れました。
そこに祝祭に初参加されていた藤田沙織さんがおられました。
彼女とはあまり話したことはありませんでしたが、話をすると明日から旅行でベトナムに行くとのこと。
ベトナムの後はラオスとタイに行く3週間のフリープランということで、それを聞いた私は、師ヨーギーさんが昨日の祝祭でドッキネッショル寺院を訪れた時の話をすぐに思い出し、「インドのドッキネッショル寺院に行ったらいいのになぁ。でも彼女の旅行だしなぁ〜」と内心で思っていたら、アーナンダマーリーさんが「インドに行った方がいい!」とストレートに言われました(笑)。
「でもビザないしなぁ…」と言う藤田さん。
しかし調べてみると、近年からインドはアライバルビザという空港で到着時に取得できるビザがあるようで、「インド、ドッキネッショルに行ったらいい!!!」という展開に……😅
そして彼女はベトナムとラオスを旅をし、インドに行きました
その藤田さんから、この旅の感想文をいただきました。

「旅の感想は、真剣に書いたら感想文50枚以上になりそうです…笑
なので、いろいろ省略して言いたいことだけ。
春の祝祭からはじまった私の旅行は本当に祝福されていて、すべてが自然で、最初からそうなるようになっていました。
『すべて神様のお導き』
ということをとても強く感じています。
この素晴らしい旅(の時間)を与えて下さったことに感謝の気持ちでいっぱいです」

「すべては、すべてはシュリー・ラーマクリシュナ(神人)がなされていること」と祝祭の祝辞で私は述べましたが、この藤田さんの旅の急展開、縁と条件の整い様は本当にそれを実感するものでした。
藤田さんは今、タイにおられるようで、明日にご帰国だそうです。
無事にこの旅を終えることを祈っております!

OM TAT SAT OM!!!

藤田さんが困ったなぁと思っている時にドッキネッショル駅でたまたま出くわしたタクシードライバーさんとの2ショット。

ゴーパーラ


永遠の伴侶 〜平安にあるということ〜

師は先日、台湾ご布教の旅から日本に戻ってこられました。久しぶりに師と対面された台湾の弟子たちの歓喜の様子が目に浮かびます。今回もどれほど多くの人たちが、師から届けられた真理の光と愛に救われることでしょうか、想像もつきません。前回のブログにも紹介されていましたが、貴重な師の書かれた教えを、私たちもこの目で、直に見たいものですね。

さて、春の祝祭ではシュリー・ラーマクリシュナの魂に触れて歓びに感激し、その至福は今もこの胸に留まり続けています。今回は、その直弟子であるスワミ・ブラマーナンダの教えをご紹介したいと思います。スワミ・ブラマーナンダは、弟子たちから尊敬をこめて、マハーラージと呼ばれていました。

「マハーラージ、どのようにしたら平安が得られるのでしょうか」
「平安は、神を愛する者のハートに宿るのだ。神なしには君の人生は不毛である、ということを理解したまえ。かれを恋い慕っていれば、平和がやって来るだろう。人がこの世に平安を見出し得ない時、内部に離欲の念が育ち、かれは神に惹かれる。人がこの世の不毛を理解すればするほど、かれの神への帰依心は深まり、内なる平和は増大する。渇きが激しいほど水が美味しいだろう。まず渇仰心を養いたまえ。そうすれば神の中に平安を見出すであろう」 

平安という言葉はヨーガを学び始めてから、非常に身近に感じる言葉となりました。以前は本当にそれは、ただの知っている言葉に過ぎなかったのだと気付かされます。ヨーガを学び、神なる真実の存在を知ってから、平安はずっとこの胸の奥に在り続けているのだと感じられるようになりました。私は改めて、師と出会った時のことを思い出しました。師からヨーガの教えを授かった帰りのバスの中で、「私は知ってしまった、もう元には戻れない」と思ったのでした。その時、私はこの世の不毛を理解し、神への帰依心をもったのかもしれません。
しかしまだまだ永遠の平安を見出してはいません。さらなる平和を目指し、精進したいと思います。

ダルミニー


台湾サットサンガ速報 <浄常楽我の教え>

現在、師は台湾をご訪問中で、台北市内にてサットサンガが行なわれています。昨日4月20日(土)は2度目のサットサンガが開催され、初めてヨーギーに会う参加者も何人かおられました。

サットサンガの後半、「無知というのは四種類ありますが、その内容を教えていただけますか」という質問がありました。それに対してヨーギーは「漢字を書いた方が分かりやすいかな、ここ(台湾)では」とおっしゃり、通訳上準備していた紙とペンを取られ、文字を書かれました。

 

「これは真実を表す言葉」とおっしゃって、サットサンガ内でヨーギーが書かれた教え

そしてペンで一つずつ文字を指し示しながら、力強く教えを説き始められました。

「人はみな幸福を求めています。そこには浄らかで完全なものを求めているけれど、しかしいつもこういう不浄なものになってしまう。この体も心も世界も、永遠ではない。しかし、心は夢のように永遠をこの世界の中に求めてしまう。幸せを求めていたはずなのに、いつも結果は苦しみになる。本当の私だと思っていたのは、実はエゴという心であって、本当の私ではない。これらは心がつくりだす間違いをいいます。これが無知の4つの柱です。
ここからさまざまな欲望が生じてそれに執着をするーー煩悩ですね、煩悩が生まれる。そして反対に煩悩という欲望への執着が苦しみを招いてしまう。それは求めていたものが間違っていたから。ヨーガというのは、真実を学ぶことによって、そして同時に心にあるかもしれない間違いをなくしていくことでもあるのです。その結果解放されるのは、実は心なのです。真実というものは、もうすでにあるわけですから」

後ろの方に座っていた参加者たちの中には、ヨーギーの書かれた教えを見ようと、途中で立ち上がっていた方もおられたそうです。誰もが真剣な表情で見入り、ヨーギーの言葉に耳を傾けていました。

サットサンガ後、参加者たちからは、「今まで教えは知っていたけれども、ヨギさんから聞いて初めてとてもよく理解ができた」「サットサンガがすごく楽しかった!」という多くの喜びの声が寄せられていました。

23日(火)には、今回のご滞在最後のサットサンガが開催されます!

mirabai  from Taipei

 


ニューヨークの弟子プラパッティーの滞在🇯🇵🌸

満開の桜が咲く中、4月7日の祝祭に合わせてニューヨークからプラパッティーさんが来日されました🌸

プラパッティーさん(右)。アーナンダマーリーさん(左)も同じ日にNYから一緒に来られました。

プラパッティーさんは約1週間の滞在で、私の住まいであるシャーンティ庵に宿泊しました。
彼女はニューヨーク在住のレバノン人。
ヨーガを始めて2年ほどの彼女ですが、ニューヨーク・ミッションがウェブ配信している『Pranavadipa』はすべて読んでおり、ヨーギーさんの教えや日本の弟子の記事の内容についてとってもよく知っています。
特に驚いたことが、北野白梅町のスーパーのイズミヤの前を通った時に、「今は大きなスーパーマーケットだけど、昔は喫茶店があったみたいで、高校時代の師ヨーギーさんはここで識別瞑想をされていたそうだよ」と私が話すと、彼女は即座に「名前はブラック、でも中はホワイト一色の喫茶店!?」と答え、イズミヤの写真を撮り始めたことです……😅

嵐山の角田香勢園さん。お店の方と仲良くなり、お抹茶の手解き🍵

到着初日、私はプラパッティーさんに日本に来た理由を尋ねました。
一つには、日本の弟子がどういう方法でヨーガを実践しているか知りたいということ。
もう一つは、師ヨーギーさんに会いたかったからという理由でした。
私は彼女自身のヨーガの目標はどうなのかと思い、「あなたの理想は何ですか?」と尋ねると、彼女は「まだ理想は分からない」と答えました。
「理想がはっきりすると、より具体的にヨーギーさんや弟子から教えや実践を学び取ることができると思うよ」と私はアドヴァイスしました。
すると次の日から彼女は会う弟子、会う弟子に「あなたの理想は何ですか?」と尋ねていました……😅

すごく素直で、理解も早いプラパッティーさん。
短い滞在期間の中、レバノン料理を2度も作ってくれました😋
レバノンは宗教間の争いが絶えない地域―—レバノンにいた頃の彼女は特定の宗教は信仰していなかったそうですが、「真実は自分の中に在る」ということを感じていたそうで、当時の彼女は難民の人に衣服を与えるボランティアをしていたそうです。
国境を越えて素晴らしいグルバイに出会え、今後彼女がどのように理想を見つけてヨーガを実践していくのか、本当に楽しみです😃‼️

祝祭後、その時の感動を話すプラパッティーさん☺️

ゴーパーラ


神なる真実在だけが在る!

満開だった美しい桜の花も終わりに近づき、季節が新緑へと向かっていくのを感じます。

 4/7に開催された祝祭、サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーは、(前回の記事の通り)シュリー・ラーマクリシュナの臨在とともに、神なる歓び、至福に溶け入るようなひと時となりました。

その前夜には、定例サットサンガが行なわれました。祝祭に向け、多くの人がシュリー・ラーマクリシュナの生涯に触れ、思いを高めてきたこともあってか、神の真実を表すマントラ(聖音)から始まり、バクティ(神への信愛)やリーラー(神の遊び戯れ)についてなどの質疑応答も続きました。

その日、師がサナータナ・ダルマ(永遠の真理)とアヴァターラ(神の化身)について語られた言葉をここにご紹介します。

真理というのは、当然ながら永遠であるわけです。時代性や民族性、一切の条件に左右されるものではない。それは変わらずに、時間を超えて在り続けている真実のことです。この真実がすべての生き物の中に、そしてこの全宇宙の中に、本質として宿っている。だけど人間の心はそれを知らないで、むしろ反対に間違った思いをもってこの世の中と接してしまって、そこで儚い自由や儚い偽物の幸福などを追いかけてしまう。その結果はみじめな苦しみということになるわけです。

永遠の真実というものを人々が忘れそうになった時には、その真実そのものが化身してこの地上に顕れ、もう一度人々に思い起させる。時空を超えた存在でありながら、時空に限定されたこの世の中で働きをする。それをアヴァターラ、神の化身と訳していますが、そういう存在が時折顕れる必要がある。それがブッタであり、また近代ではシュリー・ラーマクリシュナである。そういう本当に大切な、尊い真理と存在に対して、私たちも思いをもう一度新たにしようということで明日、祝祭という形をとって行おうとしているわけです。

さらに師は、神なる真実在だけが、真理だけが在ることを何度も語ってくださいました。
会場は、翌日の大歓喜を予感させるかのようなムードに包まれました。

* * *

そうして迎えた祝祭の当日。みんなの熱い思いのこもったメッセージがすべて終わった時、師はアヴァターラの降臨の意味、そして誰もが真実を悟ることができることを力強く語られた後、笑みをたたえ、私たちがマントラを繰り返し唱えるよう導かれました。

OM TAT SAT OM(オーム タット サット オーム)!
OM TAT SAT OM!!
OM TAT SAT OM!!!

全員で唱えた聖音が、その場に高らかに響き渡った時、誰もの中に在る真実が呼び起され、共鳴し合うような強い感覚が生まれました!

神は真実在なり!!!

みんなの内からほとばしり出た、この宣言、サナータナ・ダルマの振動を、この胸の内にも外にも、さらに大きく響かせていきたい!と思います。

マードゥリー