聖典を読む喜び 『ラーマクリシュナの福音』

先月のサットサンガで、『あるヨギの自叙伝』に感銘を受けたと嬉々として話しておられる方がいました。その方が言われ、印象に残ったのは「踊り出したくなるくらい」という言葉。その言葉を聞いて、私も以前聖典を読んでいた時に同じような気持ちになったことを思い出しました。私の求めているものが、ここにある!!!という強烈な喜びが溢れ、転げ回って喜んだり、大泣きしたり、色々したなーと思ったのです。そして、久しくそのような気持ちで聖典を読んでいないことに気がつき、彼女にあやかって、彼女が次に読むという『ラーマクリシュナの福音』という聖典を読みはじめました。

こちらがその聖典です。辞書のように厚く、大変に読み応えがあります。

この聖典は、シュリー・ラーマクリシュナ(1836年〜1886年)が晩年の5年間に弟子たち、信者たちに語った教えを、弟子の一人であるマヘンドラナート・グプタがテープレコーダーなどない時代に記憶を元に編集したものです。

聖典の中では、シュリー・ラーマクリシュナの部屋や信者の家で行われるサットサンガの質疑応答が綴られています。季節や風景の描写が美しく、質問者の背景や境遇も書かれているので、容易に当時の様子を感じることができます。読み進めると、まるでサットサンガに同席しているかのような気分になり、シュリー・ラーマクリシュナをとても身近に感じます。毎日読むことで、だんだんとその世界の中にいる時間が長くなります。シュリー・ラーマクリシュナはいつも、「神だけを求めなさい」と言われます。その重要性を繰り返し教えられるうちに、私の心はその思いだけで占められるようになりました。

ある日、『ラーマクリシュナの福音』を読んで瞑想に座ったとき、神を思い、こうして静かに座ることができる自分の人生がなんと恵まれ、幸福なことかという思いが押し寄せてきました。大変な幸福感に包まれた瞑想の中、突然一つの確信というか決意が浮かび上がりました「この人生で神を愛すること以外、望むものなど他にない!」雑多なものが一気に剥がれ落ち、とてもクリヤーな、そこには一つの確信だけがありました。

シュリー・ラーマクリシュナはいつも、「神を恋い焦がれて泣き叫んでいたら母なる神が放っておくはずがない」と言われます。もっともっと激しく、狂おしい気持ちで神に祈り、神だけを求めていけるようになりたい、まだ半分ほど残っている聖典を、大切に、喜びを持って味わいながら読み進めようと思います。


ラジオ出演

つい先日三条ラジオカフェにて『新春!アーサナ瞑想ワークショップ』のご案内をさせて頂きました〜!

 

ご予約まだまだ受付中です!!!よろしくお願いします〜。

(詳しい案内、ご予約はこちらまで)

アマラー

 

 

 


スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ 御聖誕日

1月12日は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの御聖誕日ですね。

「自らを信じることができなければ、神を信じることはできない」

これはヴィヴェーカーナンダの言葉です。
この言葉には、盲信や偏狭な宗教・宗派主義はありません。
自らを信じること、それだけです。

人は誰もが、戦争のない平和な世界を願っています。
しかしながら、現実はそうではありません。
人種、宗教間の差別や争いは、絶えず起こっています。
ヴィヴェーカーナンダは幼い頃、「タバコのパイプ」から、その矛盾を感じています。
法律家の父の事務所にはカースト別にタバコのパイプが用意され、イスラーム教徒用のパイプだけ離れたところにありました。
ヴィヴェーカーナンダはすべてのパイプを吸って、次のように父に言ったそうです。

「どこに違いがあるのか分かりません」

このようにヴィヴェーカーナンダのみならず、子供や青年の頃、誰もが感じるであろう世界の矛盾――
ただ、大人になるにつれ、それらは忘れ去られていくことがほとんどです。
しかしながら、ヴィヴェーカーナンダは29歳の時、次の言葉を述べています。

「世界が自分の後をついてくるまで、インドにはもう戻らない」

そしてアメリカに渡り、世界宗教会議で「真理はただ一つ」と宣言したのです。

世界の矛盾と真っ向から対決し、行動に移したヴィヴェーカーナンダ。
では、どうしてヴィヴェーカーナンダはそれができたのでしょうか?

大きな要因の一つはやはり、「自らを信じた」からだと感じます。
アメリカ行きを決める前、彼は2年間のインド遊行遍歴の末、旅の最終地カニャークマリで次の誓願を立てます。

「幾度生まれ変わろうとも、千の不幸に苦しもうとも、自らが信じる唯一の神、あらゆる魂、とりわけ邪悪なる我が神、苦悩する我が神、あらゆる民族の貧しき我が神を礼拝せんことを!」

そしてもう一つ、大きな要因だと感じることは――

ヴィヴェーカーナンダ聖誕150周年の2013年、私はベルルマトを訪れました。
一宗一派を超えて「真理はただ一つ」というヴィヴェーカーナンダの思いは、彼が設計をしたベルルマトに表現されていると感じました。
その外観は見る角度によってヒンドゥー教、イスラーム教、キリスト教、仏教の寺院に見ることができるように作られていました。
そしてその聖堂の中には、彼の最愛の師である「シュリー・ラーマクリシュナ」だけが、存在していたのでした。

ゴーパーラ


覚者の言葉

今日は成人の日ですね。

私には成人した子供がいます。
最近ようやく、少し落ち着いてきたというか手が離れてきて、親も子もお互い関係はおおむね良好ですが、それこそ子育ての時期は、私も子供も嵐のような時期を過ごしました。

幸せになって欲しい、こういう道を歩んで欲しい、自分が出来なかったこんなことをさせてあげたい、自分が嫌だったこんなことはさせたくない・・・
愛という名の下に親は何の疑いも無く、そうすることこそが親の勤めと信じて子供に様々なことを教えます。

でも、でも、でも・・・・
これが上手くいかない。
願いどおりにいかないばかりか、まるで反対の方向にドンドン進んでしまったり。
こんなに愛しているのに、こんなに親身になって全てを惜しまず捧げているのに。
貴方のためを思って、貴方が後悔しないように。

そんな時、先輩から師の御言葉を教えてもらいました。
『子供は授かりものではなくて、本当は預かりもの。誰からの?神からの。子供が小さいあいだは全ての愛情を注いで育てる。そして成人したら神様にお返しするんですよ。子供は神様からお預かりした大切な大切な存在です。決して親の所有物でも、コピーでも、夢を託すものでもない。』
この教えを聞いた人は皆、もっと早くにこの言葉を聞いていたらと一様に口をそろえて言われるそうです。
私も全くその通りに感じました。

師はサットサンガで親子関係について質問した時、私にこう言われました。
『親子といえどカルマは違います。今、貴方は親子でそれぞれの道を歩む時期に来ている。』
正にその時期、私は子育てというものと自分のヨーガへの熱望が交差したと感じ始めていたときでした。

このお話に限らず、師から教わったヨーガの教えは、ズドンと胸に刺さる様に一瞬で私の中に届きます。いや、御言葉に私が飲み込まれるという方が正しいです。

何処かで聞いた心理カウンセラーの話しだったり、スピリチュアル系の本で読んだ教えだったり、
同じニュアンスの言葉に出会っていたかも知れませんが、私にはそれまで何一つ届くものはありませんでした。

その人の人生を変えてしまうような言葉。

①腑に落ちて、
②全面的に受け入れ、
③以降、胸に大事に抱えて生きていく。

教えを請う人に対して、そういう導き方が出来るのは、覚者といわれる御方だけです。

チャイタニヤ


新春!ヨーガと瞑想のワークショップ

皆様明けましておめでとうございます!

のんびりお正月モードからそろそろ通常の生活に戻られた方も多いのではないでしょうか。明日7日は無病息災を願い、七草がゆを頂く日ですね。七草がゆはお正月で食べ過ぎて疲れた胃腸を調えてくれる効果があると言われているそうですが、ヨーガのアーサナと瞑想は七草がゆと比較できないほど私たちのコンディションを調えてくれる強〜い見方です。

先ほどの話のように去年の忘年会、お正月の食べ過ぎ&飲み過ぎた身体をリセットしたいという方、寒くて鬱々する心を切り換えたいという方、何か新しく始めたいと思っている方、ヨーガや瞑想に興味がある方、そんな方々に朗報です!

 新春より京都市(烏丸御池・千本丸太町・下鴨)3カ所のクラスにて『2回で学べるヨーガと瞑想のワークショップ』を開催します。

どんなワークショップなのかちょこっと説明しますと・・・まずは瞑想に座るためのアーサナ(身体と呼吸、心のコンディションを調える)を何ポーズかゆっくりとしたペースで行い、内的な効果や正しい形のポイントをお伝えします。そして、瞑想。瞑想とは何か?というところから座り方や手の置き方、集中の方法などをお伝えし、実際に座る形も行っていきます。このように2回に渡ってヨーガのアーサナと瞑想の基礎を丁寧に学んで頂ける充実した内容となっています。

 各クラスの日程はこちらです↓

千本丸太町 1日目 1/19(金) 2日目 1/26(金) 10:00〜11:30

烏丸御池  1日目 1/21(日) 2日目 2/4(日) 14:15〜15:45  

下鴨    1日目 1/28(日) 2日目 2/4(日) 10:00〜11:30

詳しい内容、ご予約はこちらをクリックして下さい。

 

さてさて、余談ではありますが新しい試みとして、今回このワークショップのお知らせをラジオの電波に乗せてお届けすることにしました〜。ダルミニーと私アマラーがチャキチャキ漫才風?でお送りさせて頂きますのでお時間があったらぜひ聴いてください!

FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ(1分間ワンコインメッセージの枠です)

1回目放送:1月12日(金)13:30〜

2回目放送:1月16日(火)19:30〜 事情により12日のみとなりました。1月9日ヨーガと瞑想のワークショップ

アマラー

 


新年のご挨拶

明けましておめでとうございます🌅㊗️🎍
皆様、お正月はいかがお過ごしでしょうか?
私は実家の愛媛に帰省して、初詣は今治城内にある吹揚神社に参拝してきました。
そこでは、師ヨギさんに「今年もどうぞよろしくお願い致します」と新年のご挨拶をさせていただきました。

ところで、年末のブログにも少し書きましたが、ブログ新体制のお知らせです!
2018年から、主なブログのメンバーが変わります。
新たなメンバーとして、時折ブログに記事を寄せていたアマラーさんとチャイタニヤさんに加入してもらい、そしてダルミニーさんと私の計4人を軸に、ブログを発信させていただきます。
今まで主なメンバーであったサーナンダさんとサティヤーさんは、ブログメンバーではなくなりますが、今後もブログをアップしてくださいますので、そちらも楽しみにしていただけたらと思います。
ここで簡単にですが、新メンバーお二人の紹介です☝️

アマラーさんは一児の母であり、子育てをしながら夫のグルダースさんと共に夫婦でヨーガに励んでおられます👩
金曜朝のヨーガ・ヴィハーラのクラスも担当しています。
チャイタニヤさんは会社勤めをしながら、ヨーガを実践しているザ・バブル世代👨
人生の酸いも甘いも経験しているチャイタニヤさんならではのブログに期待です。

こうやってブログメンバーの紹介をして感じたことは、マハーヨーギー・ミッションの多くの方は仕事や家庭をもちながらも、地道にヨーガを実践しているということです。
そのように現代のヨーガ行者が、日常でどのようにヨーガを感じ、瞑想や実践を行ない、そして生きているのかを、メンバー新たにさまざまな方面からその気付きや活動をお伝えできたらと思っております。

では、本年もブログ「ヨーガを生きる」を、どうぞよろしくお願い致します😇🙏

1602年、藤堂高虎によって築城された今治城。お堀の水は海水で、日本三大水城(あとは高松城と中津城)に数えられているそうです📝

ゴーパーラ

 


グルと聖音オーム

今年も残すところ、1日ですね。
皆様、今年はどのような1年でしたか?

2017年のブログ「ヨーガを生きる」は、ヨーガ・ヴィハーラでの瞑想会からスタートしました。
そして先日、今年最後の瞑想会が行なわれました。
そこで私はこの1年、師からいただいた「お言葉」に瞑想しました。

今年いただいた目標である「自己実現」から始まり、「徹底的に識別を行なうこと」、また「ゴーパーラ」という聖名をいただいたことなど、この1年の師のお言葉を振り返っていました。
それは瞑想というよりは、思い返すというような心を使った作業でした。
しかしながら、それを続けていると突然、心が止まりました。
そしてその瞬間、場面が一瞬にして切り替わったかのようにして、「オーム」の音が聞こえてきました。
ヨーガダンダさんが唱えているのかなと思い、目を開けました。
しかしそれは、ヨーガダンダさんが唱えていたのではなく、ヨーガダンダさんから鳴り響き、また暖房や壁、絨毯、すべてから鳴り響いていました。
その時私は、師のお言葉を思い返していたから、オームの音が聞こえてきたのだと直観しました。

「プラナヴァ、即ち聖音オームは、無上の存在(神)であり、始原のグルであるイーシュヴァラを表す。プラナヴァ・サーラはサットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの教えの精髄(サーラ)――ヨーガの福音である」

改めてこの1年を振り返ると、毎週の直伝クラスをはじめ、4月の祝祭の開催、5月の松山特別サットサンガ、6月の京都特別サットサンガ、夏のニューヨークご訪問、また2度にわたる台湾ご訪問にと、師であるヨギさんが本当に動いてくださった1年でした。
特に直伝クラスでは、師の一押しでアーサナが深まり、師が近くを通るだけで集中が強められ、まさに師の一挙手一投足、すべてが導きでした。
また松山、京都、ニューヨークのサットサンガでは、どんな状況でも、どんな質問にも全く動じずに、誠実かつ泰然と答えられている師のお姿に、絶対の安心と信頼を感じずにはいられませんでした。
そして何より、そこには必ず「祝福」がもたらされていました。

先月のサットサンガで私は「自己実現の目標まで、あと1カ月しかありません」と言うと、師は次のように答えられました。

「まだ1カ月もある」

今年もまだ1日残っています。
目標達成、諦めません!!!


最後になりましたが、今年もブログ「ヨーガを生きる」をご拝読いただき、まことにありがとうございました。
新年からは、新体制で臨みたいと思っております。
皆様、来年もどうぞよろしくお願い致します😇🙏

 

ゴーパーラ


直伝クラスでの経験

ヨギさんの眼差し、声、長い足で颯爽と歩かれる時にそよぐ風。あまりにも魅力的で釘付けになってしまう。むっつりスケベの私にとって、ヨギさんを間近に感じながらアーサナによって内面でヨギさんに触れようとすることは、誰にも知られない神との密会のようで、とてもドキドキワクワクすることです。

私は腕が生まれつき曲がっています。10年くらいアーサナをしていますが、左右とも真っ直ぐには伸びきらず、アーサナの種類によってはできないだろう・・・と半ば諦めに近いポーズがいくつかありました。

ところが・・・ヨギさんのクラスに出始めて異変が起きたのです。
クラスが始まった頃、ヨギさんが口頭でアーサナのポイントを説明され、その言葉をもとに形を作っていきました。完成ポーズの保持時間が長く肘が曲がっていて苦手と感じるアーサナ(ヨーガ・ムドラー、チャクラ・アーサナ)のとき、心が悲鳴をあげてもがくような感じでも、ヨギさんと同じ空間にいる嬉しさの方がいつの間にか勝り、クラスに通うごとに肩関節の可動域が広がっていきました。

組んでいる手が中途半端にしか上がらずプルプルして死にそうだったヨーガ・ムドラーは、肩関節の可動域が広がったお陰で肩先を広げ、両側の肩甲骨を背中の中央に引き寄せる感覚を身につけることができ、組んでいる手が頭の方に楽に近づけるようになりました。今まで以上に深い形で呼吸に集中することができるようになり、ポーズを戻した時のプラーナの流れは激流のように感じられ、心が一気に静まり満たされる感覚を覚えました。

またチャクラ・アーサナは背中の肩口あたりに集中すると、長い保持時間の間、できる範囲で腕をしっかりと伸ばし、肩口のところに集中点をもってきてハートをヨギさんの方に向けていると、気付いたら腕で支えるのではなく、背骨で支えて保持する感覚が分かるようになってきました。

肘が曲がっているからできないという思いはいつの間にか消え、むしろするのが楽しみなアーサナになりました。

ある時、瞑想が終わりシャヴァ・アーサナをした時のこと。「はい、起きて」と言われたヨギさんの声が、ヨギさんが座られているところからも、自分の胸の中からも、両方から響き渡って聞こえてきました。びっくりしたのですが、それはとても当たり前のことのような感じがして安心しました。

『いつも私はみんなの中にいます』

ヨギさんの言葉が浮かびました。

どこにいてもヨギさんがいてくださることを胸に、もっとそれを味わえるように日々サーダナに取り組んでいきたいと思います。

 

アマラー


ラーマクリシュナの福音

皆さん、こんにちは
暮れも押し迫まってきましたね。今年一年、どのような年でしたか?
昨日よりも今日、今日よりも明日、日々、より良い自分でありたいものですね。
さて、今日も「ラーマクリシュナの福音」よりご紹介いたします。

シュリー・ラーマクリシュナ

ある日の土曜日、シュリー・ラーマクリシュナはラームの家の階下の客間で信者たちに囲まれて話をしておられた。最愛の娘を亡くしたばかりのブラーミンの婦人が、その悲しみを癒せないものかと、北側のドアのそばに立って話を聞いている。

ラーマクリシュナ「先日、ここにある男がやってきた。数分間坐っていたが、やがて『我が子の「月の面輪」を見に、帰りとうございます」と言ったものだ。私は自分を抑えかねて『お前は神の「月の面輪」より息子の「月の面輪」が見たいのか!出ていけ、この馬鹿者』と言ってやった。
神のみが実在、他のすべてのものは非実在、というのが真理だ。人々も、宇宙も、家も、子供たちも、こういうものは全部、魔法使いの魔法のようなものだ。魔法使いは杖をたたいて『不思議、不思議、摩訶不思議!』と叫び、見物人に向かって『さぁ、この壺の蓋を取り、鳥どもが空中高く舞い上がるのをごろうじろ!』と言うだろう。だが魔法使いだけが本当にいるのであって、彼の魔法は実存しないものだ。実存しないものは一秒くらい存在して消えてしまう。
シヴァがカイラース(シヴァ神の聖なる住まい)に坐っていらっしゃった。従者のナンディがそばにいた。突然恐ろしい物音がした。ナンディが『尊いお方よ、これはどういうわけでございますか』と尋ねたら、シヴァが『ラーヴァナ(ラーマ神に成敗された魔王)が生まれたのだ。そのことを示す音だ』とおっしゃった。数秒の後にもう一つ、恐ろしい音が聞こえた。ナンディが『今度は何の音なのでございましょうか』と尋ねると、シヴァが微笑して、『今、ラーヴァナが死んだのだ』とおっしゃった。誕生も死も魔法のようなもの、魔法は一秒間ほど見えていて、そして消えるのだ。
神だけが実在であって他の一切のものは非実在だ。水だけが実在であって水中の泡は現れたり消えたりする。それらは自分たちが生まれてきたその水の中に消えていくのだ。神は海のようなもの、そして生き物はその中の泡だ。彼らはその中で生まれてその中で死んでいく。子供たちというのは、一つの大きな泡のまわりに立っているいくつかの小さな泡だ。神だけが実存だ。彼への愛を養うよう努め、彼を悟る方法を見出しなさい。悲しんでいても何も得られはしない」

私たちの師は、悟りとは夢から目覚めるようなものだと教えてくださっています。

誰でも眠りから目が覚めたとき、夢の中で一喜一憂していた自分を一笑に付すように、真実在に目覚めれば、現実と思っていた世界も夢幻と知るだろう。

                   サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

現実だと思っているこの夢のような世界で、私たちはああでもない、こうでもないと右往左往しています。人の生も死も宇宙から見れば、ほんの一瞬のことなのでしょうか。
私たちは生まれることも死ぬこともない、絶対不滅の存在、永遠に続く純粋な意識なのだと師から教わってから、死ぬことは不幸なことでも、恐れるものでもないということが分かり、安心したのでした。この生のある間に、神だけに、真実在だけに心を思い留めておくことができること、それこそがこの夢の世界においては、いちばん大切で幸せなことなのだと学んだのでした。
あぁ、早くこの夢から目覚めて、真実となれますように。

ダルミニー


瞑想特別クラスin松山ー2017最終回

先週、7年ほど通われている方がクラス後にふと、「最初の頃は毎回同じアーサナをするから、1年もしないうちに飽きてしまうだろうなと思っていたけれど、最近はこのアーサナだけで十分だ、他に何もいらないという気になってきた。とても不思議!」というようなことを口にされました。

それを聞いて、「それがヨーガです!」と思って、とても嬉しくなりました。心はいろんなことをしたがりますが、不思議なことにヨーガを実践していると、あれだけざわめいていた心がいつのまにかおとなしくなり、単純なアーサナや瞑想の繰り返しの中に充満する喜びを感じるようになって、他に何もしなくてもいいような気持ちになってきます。そういえばその方は、ずいぶん職場のことで色々悩んでいたのに、クラスに通ってアーサナを一所懸命実践している内に、いつのまにか同じ職場なのにちっとも心が反応しないようになり、とても不思議がっていました。一つのことを繰り返し実践することが秘訣なのですね。

そういう話から、ヨーギーの生き方に学ぶ7回コースの最終回は、12月16日に松山ヨーガ・サークルで始まりました。最終回は「理想に生きる」がテーマで、スワーミー・トゥリヤーナンダとナーグ・マハーシャヤの印象的な言葉を紹介しながら、師の教えと行為を通して、ヨーギーとしての大切な生き方や歩み方を皆さんと一緒に学んでいきました。

最初に、「ヨーガの第一歩は、言葉を慎むこと、贈物を受けないこと、行動しないこと、そして孤独の生活である」というトゥリヤーナンダが少年時代に深く感動し、全生涯をかけてできる限り従おうとした聖典の章句に触れ、「自立」について学びました。そして、「外の世界はあなた方自身の心の投影ですー」というナーグ・マハーシャヤの言葉、「自分の運命は自分でしか切り開けない!自分次第!どんなカルマも過去のこと!今この時から変えていけばいい!」という師の言葉からヨーガの大胆な歩み方を紹介しました。さらに、「真理を悟ることだけが何よりも大事なこと!命よりも大切なこと!それがヨーガ行者の命綱」というヨーガ行者として最も大切な息吹を感じる師の教えを皆で分かち合いました。最後に、ヨーガの道を歩むにおいてはグルが不可欠であり、もし心に叶う正しいグルにめぐり合ったなら、その縁を決して逃さないようにと締めくくりました。

師は、「悟りの道も、いわば悟りという職人のようなもの。入門して見習いの頃は本当にしんどいアーサナをして、慣れない言葉を理解して、見えない心を見つめながら行動を制御して、大変だと思う。だけれど、それを体得できた時には、無駄なく自然に、聖典なりが伝えているものに見合った状態が生まれる」と言われます。まさに冒頭に紹介したエピソードのように、淡々と怠りなく熱心にヨーガを実践していれば、そのような境地に導かれるのだと思いました。

17日のサットサンガも多くの方が参加され、熱心な問答がありました。松山ヨーガ・サークルでは、今年一年、師の特別サットサンガや直伝クラス、そして春の祝祭や師の御聖誕祭を通して、多くの方がヨーガを深められたことを感じました。この日のサットサンガでの質問も、それを感じさせる真剣な質問と眼差しが印象的でした。

松山での瞑想特別クラスは師の導きによって2015年に始まり、今年で3年目になります。3年一区切りと言われますが、当初の願いが叶い、入門編、実践編、そして成就編を無事に終了することができ、そして熱心な方々と一緒に学ぶことができて、本当に嬉しく思います。

講座後に、ずっと参加してくださっていた方から、「最初の頃は話の内容がよくわからなかったけれど、今日の講座はよくわかりました」というようなことをニコニコしながら言われて、その方が慣れない言葉にも慣れてきたこともあるだろうし、日常で実践してこられたこともあるだろうし、私自身ちょっとは真理の教えの理解が深まり、少しはわかりやすく話せるようになったのかもしれないし、いずれにしても本当に良かったなあと心から嬉しく思いました。3年間お付き合いしていただきありがとうございました!自分にとってはずっと生きた学びの連続で、それが本当に楽しかったです。

最終回が、それぞれの人が次に繋がる歓びに満ちた会になり、とてもよかったです!

来年からは基礎編に戻り、スパイラルアップしていく予定ですので、また皆さんとお会いできることを楽しみにしています。本当に素晴らしい機会をいただき、師の恩寵と松山ヨーガ・サークルの皆さまの献身的な働きに感謝致します。ありがとうございました!

サーナンダ