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スワーミー・プレーマーナンダの強さ

スワーミー・プレーマーナンダ(1861〜1918)という聖者をご存知でしょうか?

師であるシュリー・ラーマクリシュナに「骨の髄まで浄らかで、不純な思いが心身を横切ることがない」と言われるほど、生まれながらにして純粋な魂であり、兄弟弟子のヴィヴェーカーナンダと共にラーマクリシュナ・ミッションの礎を築いた聖者の一人です。
その生涯はヴィヴェーカーナンダのように表舞台に出ることはありませんでしたが、僧院の管理者としての責務を担い、信者を神と見てその奉仕に身を捧げました。

そんなプレーマーナンダの生涯に触れると、特に二つの打撃を乗り越えて、元来の純粋さに加えて「強さ」が備わっていったことが感じられました。
一つは師シュリー・ラーマクリシュナとの別れ、もう一つはヴィヴェーカーナンダとの別れでした。
その時、プレーマーナンダは考えました、自らの為すべきことをーー

一つ目の打撃の時、プレーマーナンダは「師の導きに従うこと、神を見ること、真理の実現」を覚悟し、二つ目の打撃の時は「ヴィヴェーカーナンダの仕事を力の限りを尽くして続けていくこと」を覚悟し、それらを誠実に徹底してやり通したのでした。

これらの詳しい内容は、『真実の愛と勇気』(日本ヴェーダーンタ協会)、Web版『パラマハンサ』(マハーヨーギー・ミッション)に載っています。

人は打撃を受けた時、どうすればいいのか?
今、何を為すべきか?
プレーマーナンダの生き様に、そのヒントがあると思います。

最後に、私が感銘を受けたプレーマーナンダの力強い教えを紹介させていただきます。

信仰を呼び覚ませーーグルの言葉への信仰、聖人の教えへの信仰、聖典への信仰である。それで初めて結果が得られるのだ。単なる感傷的な態度は何の役にも立たないだろう。あなたはこのような力強い決意を持つべきであるーー「私は、この人生において何としても成功を収めなくてはならない。執着を離れ、まさにこの肉体から自由にならなくてはならない。私に不可能なことがあるはずがない」と。あらゆる恐れと不安を投げ捨てよ。「私たちは神の子である」と考えよ。そうすれば、弱さはつけ込むすきを見出せないであろう。

ーーー『真実の愛と勇気』p132

 

ゴーパーラ


師からのことば

試練を乗り越える
「努力です。あと必要なものは純粋さというものでしょうね。それがあれば必ず道は開けますよ、必ず」
「努力と言ったのは勇気と実行のことです。どんなに重そうな大きいドアでも、叩けば開きますよ、必ず」

『マハーヨーギーの真理のことば』より

 

2年ほど前から『ラーマクリシュナの福音』を毎日読み、その日、気になった教えをノートに書き留めてきました。(その記事はこちら→『ラーマクリシュナとの約束』、『ラーマクリシュナとの交換日記』)

毎日続けていくと、それはラーマクリシュナと私だけの約束事のように思えて、なくてはならない掛け替えのない時間となっていました。そんな素晴らしい時間だったので『マハーヨーギーの真理のことば』が発刊された際には、待ってましたー!とばかりに『ラーマクリシュナの福音』を読む日課の中に、『マハーヨーギーの真理のことば』も毎日読み、その教えを書き留めることを加えました。

歓びの中で喜々と始めた日課。しかしそれは予想外に変化していきました。『マハーヨーギーの真理のことば』を読み進めるにつれ、内容の深さ、重みに衝撃を受け、少し怖く感じていきました。師は本当にこれからもサットサンガ(真理の集い)をしてくださるおつもりなんだろうか・・・。それほど、すべてがここに記されていると思える内容だったからです。

さらに正直に告白すれば、コロナ禍以降サットサンガ休止はやむを得ないとは思ってきたけれど、毎日、本を読み、師のことばに触れることによって師の存在がより大きくなってきて、師に会えないのがやっぱり切ない、早くサットサンガで師の生の声を聞きたい・・・と思いが募り、余計に悶々と涙する日々でした。

そんな折、師は御入滅されました。アーサナ、瞑想、聖典の学習は、たった一日でも怠ると師との約束を破る気がしました。師のご容態のことを聞いた日も、そして御入滅された日も、ご葬儀の日も、それだけは止めたらいけないと、祈る思いで淡々とサーダナ(修練)を続けました。

日が経つごとに本を開くその時間が、師のご不在を実感することに繋がり読むのが辛くなっていきました。表紙を見ると、じっと止まってしまい、なかなか開けない・・・。しかし、一番辛い時、やっぱり自分には師の教え、ヨーガを実践することしかないと最後はそこに戻ります。それに、師はじゃあ何のためにこの聖典を私たちに遺してくださったか? そう思うと、どんな精神状態であっても・・・と本を開きます。

聖典と向き合う事自体が辛いという複雑な心境でしたが、その辛さを取り除き祝福を与えてくださるのもまた聖典の背後にあるものでした。そのようにして現実から逃げないように師が導いてくださっていました。胸の中で師へ思いを吐露したり感情的になったりしながらも、師と強烈に繋がっている絆を感じ、教えを実地で生きるようにと仕向けられていて、実は辛さによって私はドアを強く叩き、大きなドアが開かれるよう導かれていることに最近気付いてきました。

『マハーヨーギーの真理のことば』の教えを書き綴ってきたノートを読み返してみると、何度も師の同じ教えを自分が繰り返し書いていました。
生きていると、日々いろんなことに直面しますが「・・・どうしたらいいか分かりません」毎日、私は師に問いかけ求めていました。夜、パラっと開いたページを読みます。聖典を通していただく答えは、師から届く手紙のようです。


逃げずに立ち向かう

「忍耐、そして直面して努力すること。その時うまくいくかいかないかの結果は別として、どちらであったとしても一つの克服は達成できる。逃げるのは駄目だよ。
本当に私たちの心というのは、結果の良し悪しに凄く惑わされてしまっているけれど、実際はどちらでも同じことなの。どちらでもいいの、そんなのはね。その物事に真面目に向き合って、そして行為するというだけでいい。やがてそれが心を強くする、つまり克服するという偉大な結果を招くことに気が付く」

「変えなければいけないもの、そして変わることのできるものは自分自身、自分次第だということです。それに徹底すれば、たとえどんな自分の至らない面が出てこようと、その原因は自分自身の中にあるということを認めざるを得ません。全ての混乱の解決法は、やっぱり自分の中にしかありません」

「自分の能力は百パーセントかもしれない、しかし信仰によって、またこのヨーガの力によって、プラス九百パーセントがやってくる。するとそれが千パーセントになって発揮されていく、そういうふうに形容される。だから存分に百パーセントの注意を注いで対応すればいいと思う。でもその前に、やはり心を神に、または理想の真理に開け放しておくということで、その九百パーセントの通路が開かれると思います」

「本当の自分というのは、他でもないあなた自身の中に在るあなた自身です。また、神はいったいどこに在るのか。あなた自身の中に在るのです。真理はどこに―あなた自身の中に。これは明白なことです。ですから、神への瞑想が最も実用的です。そうして心が静まれば、神は独りでに顕れます。神への瞑想を続けてください、どこでも、いつでも」

『マハーヨーギーの真理のことば』『ラーマクリシュナの福音』の二冊の聖典。それぞれを書き留めるノート二冊。

本とそれぞれのノート

そう、どこでも、いつでも、心が静まれば、神はきっと顕れる。ですよね、ヨギさん!

 

ナリニー


ナーグ・マハーシャヤの信仰

シュリー・ラーマクリシュナの家住者の高弟ナーグ・マハーシャヤは、1846年8月21日東ベンガルに生まれました。
初めてシュリー・ラーマクリシュナに会ったとき、彼はインドの習慣を遵守して御前に伏して師の御足の塵を取ろうとしましたが、師は足を引き、触れることをお許しになりませんでした。彼は自責の念にかられ、聖人の神聖な御足に触れるのにふさわしい人間ではないのだ、と自らを納得させました。
その後、師に寺院の境内を案内されて、師の寺院での生き生きとした信仰と素晴らしい振る舞いを見て、彼は師の素晴らしい純粋さ、神聖さ、そして献身に魅了されました。
帰る道すがら、彼は師について考え続けました。この日の経験は、彼の心に消えることのない印象を残し、神を認識したいという、燃えるような願望を訪れさせました。睡眠や食事を取ることも無頓着になり、人と話をするのもやめて、一緒に寺院に行った友人相手に、師についてだけ話をしました。
翌週、友人と師を再訪すると、気が狂ったようなムードの彼を見て、師はとてもお喜びになります。ですが彼の心には喜びと悲しみの入り混じった感情がありました。なぜなら師に仕える喜びと同時に、最初の会見でのことを思い出したからです。
後日、彼は一人で師を訪問しました。師は医者である彼に「私の足を診察してもらえないか」と言います。彼は師の足に触れてよく調べましたが、特に問題はないと答えました。師は再びもっと慎重に調べるように頼みます。そして彼はさらなる熱意をもって師の御足に触れました。
そのとき、彼はグルがいかにして弟子の要求を満たし、困難を取り去るのかを実感しました。グルの思いやりから生まれるささやかな行為が、誠実な弟子にとっては、自分への愛に満ちた行為として実感されます。ましてや彼にとっては、それは言葉に尽くせぬ感激でした。最初の訪問のときに、師の御足に触れることを許されなかった彼の深い悲しみは慰められました。そして師の御足に触れるという恩恵を与えられた今、自分が恩寵にあずかったことを知り、涙が頬を伝わりました。彼はその瞬間、師が人の姿をした神であることを確信しました。
後に、どうして師を神と知ることができたのか、と尋ねられた彼は次のように答えています。

「(略)誰も、師の祝福なしで、師を理解することはできません。たとえ一千年にわたる厳格な苦行を行っても、師が慈悲をお示しにならなければ、師を悟ることは不可能でしょう」

ナーグ・マハーシャヤのシュリー・ラーマクリシュナへの信仰を決定づけた、この出来事を想像して絵に描きました。

サルヴァーニー


ニルヴァーナ(涅槃寂静)

暑中お見舞い申し上げます。
厳しい暑さが続いていますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。酷暑の折から、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

さて、夏の暑い日、ブッダを思うのは私だけでしょうか?
燃え盛る煩悩の火、欲望の渇きが消えたブッダーー私はブッダを思うと心静まり、涼を得ます。

「修行僧よ、この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。貪りと怒りとを断ったならば、汝は安らぎ(ニルヴァーナ)におもむくであろう」

ーーー『ダンマパダ』369

猛暑が続きますが、少しずつでもニルヴァーナ(涅槃寂静)を目指して前進していきましょう!!

 

ゴーパーラ


ブッダから届いた宝物

木曜日と土曜日に、京都、大阪で開講されている瞑想入門のクラスでは、講師のゴーパーラさんならではのヨーガ行者としての鋭い視点で、瞑想やこの世界の理、心のしくみについての興味深いお話が聞けて参加者たちの質問も活発です。先日は、ブッダってどういう人だと思う?という投げかけからそれぞれのイメージを共有し合い、ブッダを身近に感じてよりブッダが好きになってしまいました♡ 「入門」というだけに素朴な質問がしやすい雰囲気があり、質疑応答を通じたみんなでの交流も楽しく、また、瞑想の時間はピタッとした静けさと集中があり、メリハリがあります。

そんな瞑想入門クラスに熱心に通われているNさんは、「自分はまだまだ真理やヨーガを信じられていない」と包み隠さず話されます。ある日のクラスで、「真理があるか、ないかを確かめたい」と真剣に言われました。ゴーパーラさんは、ブッダの教えにもある「たとえ古い聖典が出てきてもそれを盲目的に信じる必要はない」という言葉を紹介され、師も同じように仰っていることを話されました。

師は「まずヨーガを進めていくには、それまで経験で培った観念とか概念とかいう心の秤を無視するところから始める、あるいは疑うところから始める。またその聖典とか真理の言葉といわれるものも、鵜呑みにする必要はない。ただし、その両方についてよくよく考え、そして瞑想して、間違いのない答えが出てくるまでそれを探求しなければいけない」と説かれています。

まさに師のこの教えの通り、探求の真っ只中のNさんと私たち。ゴーパーラさんは、瞑想を山登りに例えられ、学生時代に行ったチベットの高度5000メートルの山で、高山病になったことを紹介されたことがありました。どんな山を目指すかは人それぞれ。目指している山が違ってもいいけれど、でもどんな山を目指すにしても頂上に辿り着くためには、やらないといけないことがある。それは土台作り。基礎体力が必要! その基礎作りが瞑想入門のクラスなのです。基礎は何度も繰り返し学び実践することで強固になるなぁと私は感じています。

とっても為になる実践的な瞑想入門クラスなのですが、実は参加人数が少なくて(涙)クラス宣伝のため、チラシ蒔きを兼ねて数人でインドカレーのお店に行く機会がありました。私はそこでNさんと初めてゆっくり話しました。Nさんは、すっごく正直で、真っすぐで、ある意味、師の教えの言葉を地で行く(!)絶対に何も鵜呑みにしない人(笑)なんだなということを感じ、何てヨーガ向きな人なんだ?!と思いました。真理も神ももちろん全く鵜呑みにはせず(笑)、自分自身で確かめながら、着実に道を歩んでこられたんだと分かりました。Nさんは師のサットサンガでも師に、疑心暗鬼になるんです、神という存在についても信じられないです、どうやって信仰する神を選ぶのですか?というような正直な質問をたくさんされていました。私はNさんに対して、疑心暗鬼だと言われながらも、でもこんなにも熱心にサットサンガやクラスに参加し、これだけヨーガを続けられるその理由は何なんだろう??凄いなと密かに思っていました。お話してその謎が解けました、Nさんは師の存在にただただ惹かれている! 好きになってしまっている♡

さて、そんなNさんからあるエピソードを聞きました。Nさんが書いてくださったそのエピソードをここでご紹介したいと思います。(ナリニー)

* * *

 

「まあ、なんてかわいらしい仏様!」
2019年12月8日、この絵はわたしのもとに届きました。
その1週間前、師の特別サットサンガの日、瞑想の対象を決められずにいたわたしは

師に「神様に来てくださいとお願いしてもいいですか」と尋ねました。
師は「お願いしてもいい。その中で親しみのもてた神を信仰すればいい」と
仰ってくださいました。

それから数日後、知人から「Kさんが、渡したい絵があると言われている」というお電話がありました。Kさんは長年マザーテレサの下で奉仕活動をされている方だったので、わたしは「もしかしたら、キリスト様かマリア様が家に来られるのかなぁ」と思っていました。

そして、12月8日、ブッダが悟りをひらかれたその日、この絵はわたしのもとへ。
以来、ずっと見守ってくださっています。

師のはからいによってもたらされた宝物です。

 

ブッダの版画
N 

* * *


『あるヨギの自叙伝』〜ヨーガーナンダとスリ・ユクテスワの出会い〜

パラマハンサ・ヨーガーナンダの『あるヨギの自叙伝』を初めて読んだときに一番印象に残った章が、第十章のヨーガーナンダが師であるスリ・ユクテスワにめぐり会う場面です。以下、要約してご紹介させていただきます。

高等学校の課程を修了したヨーガーナンダは、霊的訓練を受けるためにベレナスの僧院で生活していました。僧院と合わず苦悩に打ちひしがれていた頃、偶然出かけた市場の狭い小路の外れに、黄褐色の僧衣をまとったキリストのような男が立っているのを見かけました。その顔は一目見ただけで昔からよく知っている顔のように思われましたが、誰かと間違っていると疑い、通り過ぎて離れました。すると10分ほど行くと足が重たくなり動けなくなり、戻ると足は軽くなり、再び離れようとするとまた足は重くなりました。先ほどの聖者が磁力で自分を引き寄せているのだ!と考えて、飛ぶように小路に引き返しました。その人影はまだそこに静かに立ったまま、じっと自分の方を見つめていました。急いで駆け寄り、その足もとにひざまずきました。「グルデーヴァ(尊い先生)!」その神々しい顔は、これまで何百回となく幻に見た顔でした。「おお、わが子よ、とうとう来たか!」師は、この言葉をベンガル語で何度もくり返しました。その声は喜びに震えていました。「何と長い年月、お前の来るのを待ったことだろう!」あとはもう言葉の必要はありませんでした。沈黙のうちに、二人の心は溶け合ったのでした。

なんという運命的な出会い!文章から情景が思い浮かび、師と弟子が出会い喜び合う姿に理由もなく惹かれました。いつでも本を開いてこの場面を読むと、感動して胸が高鳴り震えます。この大好きな場面を、想像して絵に描きました。

サルヴァーニー


“至福に浸る聖女” アーナンダマイー・マー

『あるヨギの自叙伝』で、ベンガルの“至福に浸る聖女”として紹介されているアーナンダマイー・マーは、1896年4月30日に、東ベンガルで生まれました。

「私は、このかりそめの肉体を自分として意識したことは一度もございません。この地上に生まれる前も同じでした。子供のころも、私は同じでした。成長して女になっても、私は同じでした。(中略)今後、神様のおつくりになったいろいろなものが永遠の舞台の上で、私の周囲を踊りながらどんなに移り変わって行っても、私はやはり同じでございましょう」

『あるヨギの自叙伝』P472

グルは一人もおらず、聖典なども全く知らなかったにもかかわらず、『あるヨギの自叙伝』に載っているこの言葉に表されるように、アーナンダマイー・マーの生涯は一貫して本質と一つでした。36歳頃からは、家を持たず、旅を続けていて、一カ所にわずか二、三日、多くても二、三週間留まるのみという生活をされました。いっさいの執着を棄てて、心のすべての思いを神に捧げました。個人的な好き嫌い、熱望や反感、努力や葛藤、恐れや怒りが全く無く、自我意識と見なされるようなものを表わさず、神の意思・意図と解釈されるケヤーラと呼ぶものに従って行動されました。

至福に浸ると形容されるアーナンダマイー・マーですが、私はその生涯に触れて印象に残ったのは、放棄です。生活面や物質的な放棄はさることながら、心の放棄が完成されていました。常に神の意思・意図に従って行動され、通常の原因と結果の過程に左右されない完全に自由な状態だったからこそ、その目は片時も神から離れなかったのだと思います。

アーナンダマイー・マーの心の放棄を見倣うためにはどうしたらいいでしょうか。その質問の答えが残されています。

「失われることのない彼を思いなさい。彼だけを瞑想しなさい。彼、すなわち美徳の源泉である者を。彼に祈り、彼に頼りなさい。ジャパと瞑想に、もっと時間を割くようにしなさい。彼の御足の下に、あなたの心を明け渡しなさい。ジャパと瞑想を、途切れることなく持続させるよう努めなさい」

『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』P154

 

絵:アーナンダマイー・マーとヒマラヤ山

1927年アーナンダマイー・マーと側近たちは、ヒマラヤのリシケシとハルドワールにある神聖な巡礼の地を訪れました。その後も北インド全体を常に歩き回り、宗教的な祝祭、キールタンとサットサンガが行われたそうです。

サルヴァーニー


グルデーヴァ!【番外編】―『あるヨギの自叙伝』より―

「お前は、どうして団体的な仕事をきらうのだね?」

パラマハンサ・ヨーガーナンダが、師であるスリ・ユクテスワからこう問い掛けられました。
【前編】【後編】←はこちらから。)
現在では広く世界に知れ渡っている偉大な聖者ヨーガーナンダですが、師に出会って僧侶となり修行に励んでいた20代半ば頃は、「団体や組織などというものは蜂の巣のようにうるさいものだとしか考えていなかった」といいます。
冒頭の師からの質問に対してヨーガーナンダは、「私は図星を指されて一瞬面食らった」とあります。それを読んだ読者の私もまた、この鋭い質問にはドキッと面食らいました。私も同じように考えていたところがあったからです。

さて話を戻します。
ヨーガーナンダは師に言いました。
「先生、団体の運営なんて面倒な思いをするだけで割に合いません。先に立つ者は、何かをすればしたで、また、しなければしないで、文句を付けられるだけですから」
厳しい眼差しでスリ・ユクテスワは仰います。

お前は、神の甘露を独占していたいのかね?

もし、寛大な心をもった大師たちが、進んでその知識を分け与えてくれなかったら、お前にしても、だれにしても、ヨガによる神との交わりを実現することはできなかっただろう

神を蜂蜜とすれば、それを分かち合うための団体は巣箱のようなものだ。どちらも必要なものだ。もちろん中身がなければ、箱だけつくっても意味がないが、お前はもう十分な霊的甘露をたくわえている。そろそろ巣箱の建設に取り掛かるべきだと思わないかね?

師の助言はヨーガーナンダを深く動かしました、「そうだ、私は今まで先生のもとで学んできた人間解放の真理を、できるだけ多くの人々に分かち与えなければならない!」。
そして、ヨーガーナンダは、以前から抱いてきた理想――青少年に正しい人間教育を施す――を実現するため、学校を設立しようと決心し、ベンガルの田舎で7人の子供たちの教育をすることから始めました。

このエピソードを読んだとき私は、団体や組織がなぜ必要なのか?その理由をこれまで考えたこともなく、ただ拒否反応を示してきただけだったことに気付かされ、スリ・ユクテスワのお言葉を聞いて、本当だ・・・と、もう返す言葉もないと思いました。ブッダの教えや、ラーマクリシュナの教えにしても、やはりその巣箱であるサンガ(修行者の集まり)や団体があったからこそ、今、私たちがその教えに触れることができているのかもしれないと思いました。

パラマハンサ・ヨーガーナンダのSRFと言えば、世界規模の大きな団体というイメージが私にはあり、さらに学校を設立・・・なんて聞くと、もう行為の規模が大きすぎて、自分とはかけ離れた偉業を成された大聖者!そのイメージだけが先行しがちでした。しかし、学校を設立されたのも、まず初めの小さな一歩があったことを見逃してはいけなかったのです。

『あるヨギの自叙伝』には、ヨーガーナンダの前に進むがための葛藤や、困難と誠実に向き合い努力された軌跡や、そしてそういう時に切実に神を純粋に求め、決して諦めずに神の声を頼りに歩を進められたこと、それらが散りばめられているように感じます。ヨーガの道は決して平たんではないことを誰よりも分かっておられるからこそ、さまざまなエピソードを、ユーモアを交えながら時には赤裸々に記してくださっているように私は思えます。記し、遺すことによって、後に続く者たちを励まし、鼓舞し、また今も一歩先で先導してくださっていると思います。

晩年の1940年~1950年頃のことが書かれている章に(※初版には書かれていない内容もあります。)今日の時代においては、ヨーガの学習にも、時代に即応した新しい方法が必要であり、さもなければ、この人間解放の科学は、再び少数の選ばれた人だけのものとなってしまう、ということが書かれていて、「だれもが、完全な英知をそなえた真の聖師(グル)を身近にもつことができたら、たしかにそれに越したことはない」とあります。しかし、現実的には大勢の人間に対してわずかな聖者しかいないので、大多数の人々にヨーガの恩恵を分かち与える必要性について触れられていました。

ヨーガーナンダはまさに自叙伝という形でそれを成されたのだと私は思いました。未来の人たちのために、胸のうちの最も神聖なババジとの出来事までを公開してくださっていますが、他の弟子たちは、伝記によって大師がかえって小人化されたり、誤り伝えられたりしないかと懸念したりして、自分たちの胸の中の不滅の師として大切にしまっておくことに満足していたそうです。そんななかで、ヨーガーナンダは、大師たちの存在を明かしてくださったのです。
周りの人が反対してくる中で、独り信念を貫くのは、並大抵の困難さではないと思います。ヨーガーナンダは、自分の自叙伝として遺されたことで、本当に人生全てを人類に、神に、捧げられたのだと思いました。

多くの人と、このヨーガの叡智を分かち合うために、今の私が自分に置き換えて自分ごととして考えるならば、私たちが師から学んでいることを例えば現代ならではのオンラインでのクラスやSNSなども活用して分かち合うこと、また『マハーヨーギーの真理のことば』を様々な媒体を使って多くの人へお届けする方法を一人一人が積極的に考えることもそれに繋がると思いました。行為の大きさではなくて、教えを一つでも自分が確実に生き、それを隣の人へ行為すること、それが届けるということの初めの一歩の始まりなのだと思いました。
師がお伝えくださっている古から続く真のヨーガを、大師たちが分け与えてくださったこのヨーガの叡智を、決して自分たちのところだけで留めませんように!

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ヨーガーナンダ

 

ナリニー  


聖者の息吹を感じる! 春の祝祭

今年は例年よりも桜の開花が早いですね。 
すでに満開を迎えたところ、これから開花を迎えるところ、様々な場所で、春の喜びを感じられていることと思います。 

そんな中、マハーヨーギー・ミッションでは、2023年4月2日に春の祝祭「サナータナ・ダルマ・アヴァターラ・メーラ ー神性示現大祭ー」が開催されます。

2017年に始まったこの祝祭は、永遠の真理を完全に体現された神の化身、アヴァターラに感謝と歓びを捧げる祭典です。 

これまでブッダやシュリー・ラーマクリシュナなど、偉大なる大師たちの生き様に迫ってきました。 
最初はこの祝祭がどんな会になるのか想像がつきませんでしたが、ブッダをテーマに取り上げた祝祭で、その意味がはっきりと分かりました。 
ブッダについて名前やどのような生涯だったかは知っていても、どこか遠い存在だったのが、グルバイたちの祝辞を聞く中で、ブッダの息吹を感じ、その人となりに触れることができたのです。 
会場にはグルバイの熱気が充満していて、この上ない歓びで胸がいっぱいになった感覚は、今もはっきりと覚えています。 

2021年からはオンラインでの開催となりましたが、画面を通して各地と繋がることで、離れた場所にいても歓びのひと時を共に過ごせるありがたさを感じています。 

今年の春の祝祭で取り上げる聖者は、パラマハンサ・ヨーガーナンダ。 
ヨーガーナンダの、子供のような純粋さで熱心に神を求めていく姿からは、素直さと揺るぎない信仰心を感じます。 Snatana Dharma Avatara Mela

ヨーガーナンダはどんな人であったか。 
グルバイたちが様々な視点で迫ったヨーガーナンダを知ることができる祝祭はもうすぐ。とても楽しみです! 

 ハルシャニー  


グルデーヴァ! 【後編】―『あるヨギの自叙伝』よりー

前編(→前編の記事)では、ヨーガーナンダが真正の師、スリ・ユクテスワにめぐり会い、厳しくも愛ある薫陶を受け、師の下で生涯の最良の十年間を過ごしたこと、そしてそのすべてはババジ、神の導き、計画であったことに触れました。『あるヨギの自叙伝』に貫かれているものは、ヨーガーナンダの大師への敬愛と、また大師の完璧なる導きだと感じました。
なかでも私が最も感銘を受けたのは、数世紀にも渡って今も生きておられ(!)「唯一の隠れた力である創造主のように、地味に目立たぬように働いておられる」というババジの教えです。


ヒマラヤの山中を少数の弟子たちと移動されているババジの一団の下に、ある時一人の男が現れて、崖の上の岩棚によじ登って言った「大師よ、あなたは偉大なババジに違いありません」。男の顔は言いようもない崇敬の念で輝いていた。
「私はここ幾月もあなたを捜し求めて、このけわしい岩山をあちこちさまよい歩きました。お願いでございます。私をお弟子に加えてくださいませ」
ババジは何の返事もなさらなかった。すると男は、はるか下の岩の裂け目を指して言った「もし受け入れていただけなければ、私はここから飛び降りて死んでしまいます。大師の、霊のご指導を受けることができないなら、私はもう生きていても無意味でございます」。

「では飛び降りるがよい」ババジは冷然とお答えになった「私はお前を、今のままでは弟子にすることはできない」。
男は崖下めがけて身を投げた。ぼう然とこのありさまを見ていた弟子たちに、ババジは男の死体を取ってくるように命じられ、見るも無残な男の死体の上に手を置かれた。すると、男はパッと目を開いてババジの足もとにひれ伏した。
「これでお前は、私の弟子になる資格ができた」ババジは死から甦った弟子をにこやかに見ながら仰った「お前は勇敢にも、この厳しい試練に打ち勝った。死はもう二度とお前を見舞うことはないだろう。今こそお前は、われわれ不滅の仲間の一員になったのだ」

※もし男が飛び降りることに躊躇したら、ババジの導きなしに生き長らえることは無意味だと言った言葉が嘘であったことになり、また、師に対する完全な信頼に欠けていたことを暴露することになる。それゆえ、この試験は、思い切った異常な手段ではあったが、この場合完全な試験方法だった。


目まぐるしい毎日の中で、いくつかの壁があるように思えて私が混乱していた時、このババジの言葉が突き刺さりました。
私はお前を、今のままでは弟子にすることはできない

・・・ヨーガは実践。師であるヨギさんと燦然たる大師たちの凛々しいお顔が浮かび、ヨーガの道を進むために導いてくださっていることを感じ、壁があるならぶつかっていこう、と思いました。砕けるのは、エゴであり、真の自己は決して砕けない。だから恐れずに、当たって砕ければいいと思いました。
ヨーガーナンダは、古から伝えられてきた真理、神を悟るための道を、先達に続き世界へ具体的な形で伝えられましたが、それは時空を超えたババジの導きであることが、はっきりと本の中に開示されています。師の言葉、神の導きを完全に信頼し、まっしぐらに突き進んだヨーガーナンダは、勇敢に壁にもぶつかり崖下へも躊躇なく飛び降りたと私には思えます。これこそが生涯を懸けた大事業、ヨーガなのだと思いました。

今回、久しぶりに一から読み返した『あるヨギの自叙伝』。ヨーガーナンダの溢れる愛とユーモアに、泣いたり笑ったりしながら一気に読み終え、ヨーガーナンダの聖なる魂の息吹が、颯爽と駆け抜けていったようでした。
時空を超えた大いなる導きに、感謝を捧げます。
グルデーヴァ!!!

ヨギの自叙伝カバー

1946年、初版のブックカバーの写真

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ナリニー