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ブラゴパーラvol.7 「化野念仏寺 小野篁」編

残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
お盆ということで、お墓詣りに行く方もおられるかと思います。
そこで今回のブラゴパーラは、京都嵯峨野の「化野(あだしの)念仏寺」に行ってきました〜😎

八千体を数える石仏・石塔は、あだし野一帯に散乱した無縁仏の石仏を明治中期に地元の人々の協力を得て集められ、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安置されているとのことです。
古くからこの京都では、北の「蓮台野(れんだいの)」、東の「鳥辺野(とりべの)」、西の「化野(あだしの)」が三大葬地だったそうです。

巨大なストゥーパ(仏塔)もありました。

ところで今回、化野念仏寺を訪れたのはお盆ということもありますが、「ある人物」の存在が浮かび上がってきたからです。
前回のブラゴパーラでは六波羅蜜寺を訪れましたが、そこは東の葬地「鳥辺野」の境に位置していました。
そのすぐ近くに六道珍皇寺というお寺があり、そこは「小野篁(たかむら)」という人物が閻魔大王に仕えるために冥土通いをしたといわれる入口の井戸と、彼が彫ったと伝えられる閻魔像がありました。
そして西の葬地「化野」の境の薬師寺には、その出口の井戸跡と、彼が彫ったと伝えられる地蔵菩薩像(閻魔の化身)がありました。(井戸があった福正寺はなくなり、近くの薬師寺に併合)

冥界への入り口の井戸(六道珍皇寺)

また、ブラゴパーラvol.2で訪れた「千本ゑんま堂(引接寺)」は、北の葬地「蓮台野」の境に位置し、ここは小野篁が閻魔像を彫って本尊としたお寺でした。
このことから、小野篁という人物が京都の三大葬地すべての境界に関係していることが見えてきたのでした。
つまり、京都の地理上での「この世(此岸)」と「あの世(彼岸)」の狭間に、小野篁の所縁の地があるということです。

by saci.

では、小野篁とはどういう人物だったのでしょうか?
小野篁の生没年は平安時代前期の802〜852年。かの有名な弘法大師空海(774〜835)と生きた時代が重なっています。篁は空海とも関わりのあった嵯峨天皇と親交があり、遣唐副使にも任ぜられましたが渡航せず、遣唐使の事業を風刺する漢詩を作り、それを読んだ嵯峨天皇は激怒し、流罪になります。許された後はさまざまな官職を経て参議に至っています。その博識、詩才は世に重んじられ、『令義解』の序文の執筆、『古今和歌集』にも和歌が入集し、百人一首の一人(参議篁)にもなったほどの人物です。
そして伝説では、昼は宮中に赴く官僚、夜は冥府において閻魔大王に仕え、冥界を行き来する神通力をもっていたとされています。ちなみに身長は六尺二寸(188㎝)の巨漢であったそうです。

閻魔大王に教えを請い願う小野篁。

天皇にも反発するほどの気骨と、また優れた文才をもった小野篁ですが、冥土通いをして閻魔大王に仕えていたという伝説を、皆さんはどう思いますか?
後世の人たちの創作もあるように思いますが、この伝説の背後から見えてくるもの、それは「閻魔による救済」であると私は感じます。
いつの時代も国でも、「人は死んだらどうなるのか?」という死の謎、恐怖と不安を取り除くことが大きなテーマであり、それに向き合ったのが宗教です。
一見すると、恐ろしい形相の閻魔は、死や死後の世界の恐怖を喚起する存在のように感じてしまいます。
しかし、閻魔は「死を司り、支配する王」です。
人は死んだらどうなるのかという「輪廻転生の理」を知っている者、つまり「真理」を知っている存在ということです。
葬送の時、この世とあの世の境で閻魔、並びに地蔵菩薩を拝することで、死者やその親族、これから生きていく者は、閻魔の形相や地蔵菩薩の慈悲に引き込まれるようにして真理やその教えに誘われたように感じます。

「野宰相」「野狂」という異名をもつ小野篁ーー大きなお墓を作ったり十分な供養ができなかった民衆の心の救済のために、彼岸への誘いの手助けをした本物のお役人、そして閻魔を見神した隠れた宗教者だったのでは👀と私は感じました。

ゴーパーラ


ブラゴパーラ vol.6「六波羅蜜寺 空也上人」編

皆さま、こんにちは。
約1年半ぶりのブラゴパーラです。
今回は京都東山の「六波羅蜜寺(西光寺)」を訪れました〜

この六波羅蜜寺は951年、踊り念仏の開祖である空也上人により開創されたお寺です。

口から六体の阿弥陀仏が現れたという伝承のままに彫刻された運慶の四男康勝の作(鎌倉時代)

この像、歴史の教科書で見たことある人、多いのでは?
口から仏が出てるって、インパクトありますよね。。(笑)
一体、どういう人物だったのでしょうか?

空也上人は、伝説では醍醐天皇の皇子といわれ、若くして五畿七道を巡り苦修練行、尾張国分寺で出家し、空也と称すようになります。
出家後は名山を訪ね、練行を重ねると共に一切教を紐解き、948年に比叡山座主の延昌より大乗戒を授かり、光勝の法号を受けます。
しかし空也上人は山や寺に籠ることなく、当時疫病が流行っていた京都の町の中に入り、小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、南無阿弥陀仏の念仏を称え歓喜踊躍し、病魔を鎮めたといわれています。

うーん、天皇家の皇子で出家し、日本各地で修行、そして疫病で苦しむ衆生のために市井の中に入っていったということで、この経歴から見ても空也上人はものすごい行動的で、仏教の教えを探求して実践し続けていた人物だったということが分かります。

少し話は変わりますが、私は小学生の時に『平家物語』がなぜか好きでその本や人形劇に触れていて、平家一門が六波羅蜜寺の境域に住んでいたということで、その寺名は知っていました。
この六波羅蜜寺には、空也上人像の隣に平家棟梁の平清盛像も安置されていました。

平清盛座像(鎌倉時代)

『平家物語』では平清盛は傲慢な人物として描かれていますが、経典を手にしているこの像からも分かるように、剃髪をして厳島神社にお経を奉納するなど、仏者としての一面も垣間見れます。
しかし、この平清盛と空也上人をくらべてみると、空也上人の手には経典がありません。
左手に鹿の角の杖、右手に撞木、胸に金鼓を持っています、でもこの空也上人の像を見ていると単純ですが、「何も持っていない『空っぽ』なお方だなぁ〜!」ということを感じました。

仏教では悟りの智慧の境地を「空」と表現しています。
贅沢や肩書き、経典の知識を手放し、金鼓を鳴らし歩くその身体から出てくるのは南無阿弥陀仏の御名だけーー
仏教の教えを行動をもって探求し続け、そして阿弥陀仏に帰依し、苦しむ衆生を阿弥陀仏の住む極楽浄土へと誘い、歓喜踊躍した空也上人の仏者としての生き様が感じられた今回のブラゴパーラでした😎


今回で6回目のブラゴパーラですが、実はこの6回、密かに「六波羅蜜」をテーマに進めてきました。
六波羅蜜とは「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」という仏教で説かれる悟りに至るための6つの修行です。
気付いた方、おられましたか(笑)?
よかったら読み返してみてください〜!

布施…「御金神社編」
持戒…「千本ゑんま堂 引接寺編」
忍辱…「釘抜地蔵 石像寺編」
精進…「千本釈迦堂 大報恩寺編」
禅定…「高山寺 明恵上人編」
智慧…「六波羅蜜寺 空也上人編」

ゴーパーラ


ブラゴパーラ vol.5 「高山寺 明恵上人」編

皆様、こんにちは。
寒い日が続いていますが、わずかばかりか日差しも暖かく感じられ、春めいてきましたね。
今回のブラゴパーラでは、立春の2月4日に洛西高雄の「高山寺(こうざんじ)」を訪れてきました〜😎

ここは、洛中の喧噪を離れた深山。
凛と立つ杉の木が物語るように、そのプラーナ(気)は澄み切っていました。

境内に入ると、「明恵上人」の掛け軸がありました。

弟子の成忍が筆写したものといわれているそうです。

この高山寺は、鎌倉時代に明恵上人が開山したお寺。
大学で仏教を勉強していた私でしたがその当時は、明恵上人のことは「法然を批判したお坊さん」ということだけしか知りませんでした😅
この明恵上人は、『摧邪輪(ざいじゃりん)』という書物で法然の念仏を批判をしています。
その内容は、念仏を唱えることによって救われるとする法然の専修念仏に対して、仏道には悟りを求める「菩提心」が必要不可欠だというもの。
ただ今回、この明恵上人に触れてみると、念仏批判をしたこの明恵上人こそが「念仏者」なのでは👀❓と感じさせられました。

明恵上人は、宗派は華厳宗ですが、若い頃から真言密教や禅、またサンスクリット語を学んでいたエリート。
将来を嘱望されていましたが21歳の時に国家的法会の参加を拒み、その後は遁世して和歌山の白上、京都の高山寺で修行に励みます。
この間、ブッダへの強烈な思慕が顕著になってきます。
ブッダへの思いから『大唐天竺里程記』という書物を作って仏跡巡礼の計画を立て、2度もインドに渡ろうとしたほど(一度は病、二度目は春日明神の神託で断念)。
そして何よりブッダへの強烈な思慕の表れは、禅定に入るために自らの右耳を切り落としたということ――
出家して奥深い山に入ること自体、煩悩を断ち切らないとできないこと、またそこで修行していたら煩悩がなくなっていきそうな印象も受けます。
それでも心の奥深いところでは切っても切れない根深いものが煩悩だということを、明恵上人は教えてくれます。
しかし、その煩悩を断ち切って悟りに至りたいという覚悟から、彼は右耳を祭壇にくくりつけ、切り落とします。

「楞伽山(りょうがせん)」(インドの南海地方にあるとされる山)と名付けられた高山寺の裏山。
そこで穏やかな表情で瞑想している明恵上人。

ただ、切り落とされた右耳は隠れています。
私はこの掛け軸を見ているとその穏やかな表情の背後から、明恵上人の悟りへの凄まじい情熱と、そして何よりブッダへの愛を感じずにはいられません。
このブッダへの純粋な思いこそが「本当の念仏」ではないか、そう感じた今回のブラゴパーラでした。

この高山寺には日本最古の漫画とも称される絵巻物「鳥獣人物戯画」も伝わっています🐸🐰

ゴーパーラ


ブラゴパーラ vol.4 「千本釈迦堂 大報恩寺」編

皆さん、こんにちは。
約半年ぶりのブラゴパーラです😎
今回は冬の大根焚きで有名な大報恩寺、通称「千本釈迦堂」に行って参りました。

この千本釈迦堂は自宅のシャーンティ庵の裏手にあり、前回取り上げた釘抜地蔵よりも近いかもしれません。
そんな近所のお寺ですが、実はかなりすごい所だったのです‼️
応仁の乱など幾多の戦火から難を逃れた本堂は、京洛最古の木造建築物ということで国宝に指定され、本尊の釈迦如来像(秘仏)も国宝、また霊宝殿には快慶一派作の十大弟子立像や六観音菩薩像などの重要文化財が多数所蔵され、まさに仏教美術の宝庫なのです💎✨

本堂の外壁の格子戸からは洗練された美しさと力強さが感じられ、また本堂内の太い柱は重厚で、それが支えとなってか、とても落ち着く静謐な空間でした。

本堂内からみた景色。

霊宝殿の作品は間近で拝することができ、その仏像が放つ迫力と、緻密な作りに圧倒されました。

定慶作 「六観音菩薩像」。 全国で唯一の六体一同に安置されている観音様。

本堂・仏像共にダイナミックかつ、精妙なものを感じずにはいられませんでした。
この何というか「ピシーっ」とした空気感は、良い悪いということではなく、閻魔堂や釘抜地蔵にはありませんでした。

では、この千本釈迦堂の特有の空気感は、どこから来ているのでしょうか👀?

私は仏教建築や仏像の知識はほとんど持ち合わせていませんので、個人的な見解になりますが、その一つには宮大工や仏師たちの「研ぎ澄まされた精神」が関係しているのではないかと感じます。

仏像彫刻をする仏師はもちろんのこと、宮大工もかんなやのこぎりなどの刃物を扱い、その切れ味が物作りに直結するといわれています。
「棟梁は柱も組むが、人組み」と述べたという法隆寺の解体・修復に取り組んだ宮大工棟梁の西岡常一さんは有名ですが、その西岡さんも見習いの時は「刃物研ぎ」を厳しく仕込まれたそうです。
最近、西岡さんの唯一の内弟子である小川三夫さんのインタヴューを目にしました。
師匠に弟子入りしたら、娯楽は一切禁止、仕事が終わったら刃物研ぎをするそうです。
1年くらいすれば一応は切れるものにはなるようですが、一点の曇りもない研ぎをするには「毎日一所懸命研ぐこと」と、「ちょっとしたことに気付くか気付かないか」が大事だと言っていました。
「研げた」と思えるそれは、本人にしか分からない領域のことで、師匠や先輩が削る木屑などから感じ取れるかどうか、そのちょっとした感覚が物作りに関係してくるそうで、そのようにして「研ぎ澄まされた精神」が養われると言っていました。

道具の研鑽は、心の研鑽になるのですね

ヨーガ行者の道具は何かといえば、「心」ですよね。
瞑想で心の余計な思いを削ぎ落とし、研鑽していく。
そうして心が澄み渡った時、その奥に在る真実に目覚める――

私自身、日々の研鑽に励み、「ピシーっ」となりたいと感じた今回のお散歩でした😇

 

ゴパーラ


ブラゴパーラ vol.3 「釘抜地蔵 石像寺」編

今回のブラゴパーラは、「釘抜(くぎぬき)地蔵 石像(しゃくぞう)寺」に行ってきました😎🙏


ここは、自宅のシャーンティ庵から徒歩3分のお寺で、前回の「千本ゑんま堂」からもすぐのところにあります。
門を入ると、まず正面にニッパーのようなオブジェがあります。

このオブジェ、堂本印象の作品のようです。

実はこれ、和釘を抜く道具「えんま」というもので、閻魔様がこれで嘘をつく人の舌を抜くことから、えんまと呼ぶそうです……😨
そしてお寺の壁一面には、このえんまと釘の絵馬がびっしり😲‼️


この釘抜きは「苦抜き」を意味しており、ここのご本尊のお地蔵さんが人々の苦しみを抜いてくれるということから釘抜地蔵と呼ばれているそうです。

ところで皆さん、「苦を抜く」と聞いて、思い浮かぶことは何でしょうか?
やはりブッダの教え、苦集滅道でしょうか?
私は最近、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を読んでいるため、ヨガナンダが師スリ・ユクテスワと過ごした10年間を振り返った次の言葉が思い出されます。

「先生は、まるで虫歯を一つ一つ探し出しては強引に引き抜くように、私の欠点を取り除かれた。執拗な自己中心主義の根は、このような手荒な手段でなければ、なかなか根絶することはできない。この根が取り除かれてはじめて、神は人間の中に自由な通路を見いだすのである」

この言葉だけ聞くと、とても苦しそうな師との生活をイメージしますが😅、ヨガナンダはこの時が「最も幸福な時であった」とも振り返っています。
このヨガナンダの言葉から霊性の師というのは、歯医者さんが虫歯を抜くように心の苦しみの原因であるエゴを抜いてくれる存在であると分かります。
そしてまた、虫歯にならないような生活習慣(甘い物を控える食生活や毎日の歯磨き)、つまり日常の心・行為の制御や、聖典の学習・アーサナ・瞑想のクリヤヨーガを教えてくれる存在でもありますよね。

私自身、アーサナを始めた頃は毎日行なうことがキツかったのですが、アーサナが終わった後はいつも清々しく、その感覚は歯磨きをした感覚に似ていました。
毎日歯磨きするように日々、霊性の実践に努め、心の虫歯ゼロを目指したいですね✨
ちなみに私の歯の方は20年近く虫歯ゼロです、ハハッ😁✌️

プラサーディニー&アヤノ🌸 4/11撮影

ゴパーラ


ブラゴパーラ vol.2 「千本ゑんま堂 引接寺」編

「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」

今回は、こわ〜い閻魔様😡がご本尊の「千本ゑんま堂(引接寺)」に行ってきました〜😎🙏

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お香の馥郁な匂いと神秘的な音楽が静かに流れ、何だかインドの寺院を訪れたような、ローカルな雰囲気が醸し出されている境内。
閻魔様は格子戸の奥におられ、入り口は左手にありました。

「閻魔様はあの世の裁判官なんです。だから普通のお寺のように正面が入り口ではなく、裁判所のつくりで入り口は横からなのです」

案内の方がそう話していました。
なるほど、閻魔様は裁判官💡
あんな怖い顔をしているけれど、実は公正中立なお方のようです。

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両脇には書記・検事の司録尊・司命尊がおり、まさに裁判所。

閻魔様は、死者の生前の行ないから来世の行き先を裁決します。
その際に、閻魔帳という死者の生前の行ないが記された帳簿と、それらが映し出される浄玻璃鏡(じょうはりきょう)を用います。

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因果応報の理や輪廻転生を信じない人でも、この閻魔様のお話は不思議とリアリティを感じさせるのではないでしょうか?
ではもう少し、この閻魔様について迫ってみたいと思います。

閻魔様のルーツは、ヤマ神というインドの神様です。ヤマ神は「人類のなかで最初に死んだ人であり、そのため死の国において王となって、後に死んでくる人たちの導きをした」と師から教えていただきました。また、ヤマ神のヤマは制御という意味で、ラージャ・ヨーガで説かれている八支足のヤマ、ニヤマ、プラーナーヤーマ、サンヤマ、これらすべてもヤマ(制御)とのこと。確かにラージャ・ヨーガのメインテーマは心の制御ですよね。
そこで、ラージャ・ヨーガの第一項目の「ヤマ(禁戒)」の教えを見てみると、

⑴非暴力 他者に対していかなる苦痛も与えない
⑵正直  他者に対して嘘をつかず、誠実で正直であること
⑶不盗  他者の何ものも盗まない
⑷純潔  純潔であること
⑸不貪  最小限度の必需品以外を持たず、他者から贈り物を受け取らない

であります。
一見すると、どれも道徳的なことのように思いますが、ヨーガを実践すると、どの徳目も真理に根ざしていると実感させられます。「正直」を取り上げると、正直とはただ単に嘘を言わないという消極的なことではありません。嘘の反対は何かといえば「真理」、つまり真理に生きることが嘘をつかない正直さ・誠実さということになります。煩悩や欲望をもっていれば、それは真理に反し、そして地獄という苦しみへとつながっていきます。「煩悩や欲望は苦しみなので、もたないようにしましょう」と言われても、なかなかピンときません。でも、この閻魔様のお話は少なからず死後の世界や行ないの果報のリアリティを感じさせ、「心の制御」が喚起されます。

私は以前、師から心の制御に必須の「識別」について次のように教えていただきました。

「法律家が法を基準に物事を判断するように、識別は真理を基準に行なう」

もし真理に生きたいのであれば、心に閻魔様のような厳正かつ公正中立な真理の裁判官を置き、心の制御に努めたいですよね。それこそが苦しみから解放される、本当に楽しい人生だと感じます。

「閻魔様って、人々が苦しまないように真理に導いてくださっていて、本当はいい人なのでは?」
😡⇒😇
このように閻魔様の印象がチェンジした今回のお散歩でした。

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日本では、お地蔵さんの化身が閻魔様と言われています。

※新しいタイトル「ゴパーラが行く」が不評だったため、「ブラヨーヘイ」を引き継いで「ブラゴパーラ」にします……今後ともどうぞよろしくお願いします🙏

ゴパーラ


ブログ新企画『ゴパーラが行く〜あるヨギのお散歩〜』    vol.1 御金神社編

皆さん、こんにちは。
ゴパーラです。
今回から、ブログ新企画『ゴパーラが行く〜あるヨギのお散歩〜』のスタートです。
第1回目は、京都中京区にある「御金神社」に行ってきました〜😎

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眩しいほどに光る、金色の鳥居と献灯。
この御金神社はおかね神社ではなく「みかね神社」といって、刀や農耕器具の鋤・鍬、金銀銅の貨幣などの御金(みかね)を護る神様をお祀りしている国内唯一の神社とのこと。
「ここ、ご利益ありますよ。仕事帰りに毎日お参りして、給料がアップしました」という方がいるなど、22時近くにもかかわらず、多くの人が参拝していました。

この神社、鳥居をくぐるとすぐ右手に、何やら巨大な物体が👀⁉️
何と驚くことにそれは、お金のご利益を祈願した絵馬の固まり、まさにお金の怪物でした〜😨

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人間のお金に対する願いというか願望に唖然……

しかし、このお金のモンスターを目の前にしても不動の男が……

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「金、女、煩悩ばっかり、必死で追いかけていた。苦しくて、虚しくて、溜息ばかり。涙ポロポロ、心ズタボロ。ボロ、ボロ、サブミラボロ(讃えよ、讃えよ、皆で神を讃えよ)!」
と昨年、自らの半生をラップしていたザ・バブル世代のチャイタニヤさん。
お金の酸いも甘いも知っている彼が最近、師であるヨギさんや先輩弟子の質素な暮らしと在り方を見て、「お金の使い方を見直している」とのことで、「お金と布施」についてヨギさんに質問していました。
以下が、その時のヨギさんのお教えです。

「心を蝕んでいるものは、カルマであり、また煩悩であり、無知であるという大枠はだいたい理解していると思う。それらの象徴的なものが、お金であったりするわけです。お金に執着があるということは、他(た)の物欲、煩悩、欲望、さまざまなものへの執着がそこに潜んでいるというふうも見えます。だからその象徴的なものであるお金を、聖なるものに喜捨する。『喜捨』――喜んで、喜びをもって布施する。ということは、自らの心の内の不要な物欲、煩悩、そういうものを減らしていく、無くしていく、そういう働きにもなります。それで、仏教なんかでも布施行というのがあったり、六波羅蜜という波羅蜜行というのがあるんですけれども、六つの段階があって、その最初に布施波羅蜜といって『布施をしなさい』ということが教えられます。それは今言ったように、心を浄化する効果がある。やはり物欲の象徴は、金銭欲、執着ということになりますから。その意味でも、布施というのは正しく実行するのが望ましいと思います」

お金への執着はその裏に煩悩や欲望が潜んでいて、そのお金を聖なるものに布施する行ないは心の浄化に繋がる――
チャイタニヤさんは、「お金について見直すことは、生活を見直すことになった」と話し、実際に外食やお酒、無駄な買い物を避けているそうで、師から「何もやめなくてもいい」とのお墨付きをいただいた彼が、自発的にお金をセーブして布施を実践しようとしている姿勢からは、何か強力なエネルギーを感じ、とてもインスパイヤされました。

お金は衣食住の確保や家族を養うためなど生活において必要な物ですが、だからこそ、この人生においてその大切なお金をどのように理解し、どう使うのか――
「お金のベクトルって、人生のベクトルなのでは👀?」
そのようなことを感じたチャイタニヤさんとの交流でした。

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「新しいアーシュラマが……」とつぶやいていました💫

ゴパーラ


ブラヨーヘイ vol.11(最終回)ハン六編

今回のブラヨーヘイは、京都伊勢丹10Fのハンコ店「ハン六」に行ってきました〜😎

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皆さんは普段、ハンコをどのくらいの頻度で使用されていますか?
僕は介護の仕事をしているのですが、仕事の終わりには必ず記録表と実績表というものにハンコを押すこともあって、毎日のように使用しています。
そのため今回、ハン六さんでは、キャップの取り外しのないキャップレスタイプのシャチハタを購入しました😁

個人差はありますが、日常的に使用しているハンコ。
でも、実はすごく重要なものでもありますよね。
一人暮らしを始める時、親からは「絶対に保証人のハンコは押すな」と言われたことを、今でも覚えています。
誰かの保証人になる時や銀行口座の開設、家の購入、婚姻届けなど、ハンコを使用する時というのは人生の大事な場面が多く、サインとはちょっと重みが違います。

ではなぜ、このようにハンコは人生の重要なシーンで使用されるのでしょうか?

以前ヨギさんは、ヨーガの教えるムドラー(印)に関連して、ハンコについて次のようにおっしゃっていました。

「ハタ・ヨーガというタントラの中での中心的な教えは、ムドラーというものがあります。ムドラーというのは印(ルビ:いん)というふうに訳すことがあります。判子の印です。判子というのは中国とか日本なんかでは、その判子そのものがその人を象徴するわけです。だからそれをもっといえば、その人そのものだというふうにいえるわけです。もうそれぐらいにムドラーというのはその本質、あるいは実体と同じものというふうに理解できます。ヨーガにおいては、特にハタ・ヨーガにおいては二十いくつのムドラーが数えられますけれども、それぞれの形は簡単なのです。アーサナよりもむしろもっと簡単。しかし内面におけるプラーナの制御とかそれから心の集中力とか、そういうものをともなっているので、ムドラーが深まれば即サマーディをもたらすと。サマーディをもたらすということは、ヨーガの究極の境地を表すわけですから、その体験に密接な関係をもっているものとして価値が認められているわけです……その他、無数にムドラーがあります。特に日本では密教系の仏像なんかは、みんないろんな手の形をもっています。それらは全部名前が付いているのです。だから仏像の手の仕草というか形は、すべて何らかのムドラーの名前が付けられているはずです。そのように本質を表すものがムドラーだということです」

ムドラー&ハンコ、恐るべし‼️「ムドラーが深まれば即サマーディをもたらす」「判子はその人そのもの」――なぜ、ハンコが人生の重要な場面で使われるのか、理解できました😁

そして最後に、皆様にご報告があります。
今年に入り、師から「ゴパーラ」という法名をいただきました。
ゴパーラとは、主クリシュナの幼少期の名前です。

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師から見たら、僕はこのような感じなのでしょうか😅?

そのため、突然で申し訳ないのですが、ブラヨーヘイは今回で最終回にせさていただくことに決めました。
読者の方々、また撮影に協力してくださった方々、短い間でしたが、ご拝読いただき、本当にありがとうございました。
次の新しい企画が「ブラゴパーラ」になるか、また全く違うものになるかちょっと分かりませんが、楽しいブログになるように検討中です❗️
今後もどうぞよろしくお願い致します🙏

ゴパーラ👶


「ブラヨーヘイ」vol.10 京都御所編

今回のブラヨーヘイは「京都御所」です〜😎

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家々が軒を連ねて小路が多い京都ですが、京都御所は天皇の住居だったということで、敷地はとても広くて解放感があります。
また自然も多く、いちょうやもみじの紅葉もピークを迎えて、とてもきれいです🍁

そして今回はなんと台湾グルバイ(仲間)のリン、エセー、ルーが撮影に同行してくれました〜‼️

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左からリン、エセー、ルー。京都御所がブリンダーヴァンの森に(笑)

先週の11月23日は私たちの師ヨギさんの御聖誕日でした。
台湾の彼女たちはこの日のために来日し、師への溢れる感謝の思いを祝辞やキールタン(インドの歌)で伝えました。
その御聖誕祭の様子は前回のブログに掲載されています。

それで、今年の御聖誕祭で僕は聖劇に出演させていただいたのですが、人生初の主役にチャレンジしました😆🎬
といっても、ヨーヘイというそのままの名で、しかもかなりひ弱な役柄……聖劇後ヨギさんには「洋平は地(じ)やったな」と言われました……😅
まあ、それはさておき、この聖劇は『アドヴァイタの剣』というタイトルの近未来のお話で、主人公ヨーヘイがバーチャル・リアリティのブッダの仮想世界に行き、そこでマーヤーという悪党に恋人を奪われ、家族を殺されるも、女剣士ブッダと出会い弟子入りし、修行をして最後にアドヴァイタ(唯一無二)の剣を継承され、マーヤーを打ち破るというストーリーです。
このブログでは劇中の修行の1シーンをご紹介させていただきます。

ヨーヘイは女剣士ブッダに弟子入りした時、剣ではなく帚(ほうき)を渡され、掃除を命じられます。

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「掃除ばかりしていても、強くはなれません!」と反発するヨーヘイに、ブッダは次のように教えを説きます。

ブッダ「そう思うか? 激情に任せて剣を振るえば、マーヤーと同じではないか。彼らは常に愛する人を傷つけ、恐怖を抱かせ、欲望を煽ることによってお前を苦しめようとする。しかし、何が起ころうとも、心を静かに保つのだ!無知に支配されるな!」
ヨーヘイ「無知・・・とは何ですか?」
ブッダ「例えて言うなら、この枯葉が落ちないようにと願うことが無知だ。すべては生滅を繰り返しながら変化していく。マーヤーは風に舞う枯葉のように、お前の目を眩(くら)ませるだろう。心を静めて、マーヤーの正体を見破らない限り、討ち滅ぼすことはできない!だから、愚痴が出てこなくなるまで、掃除をしなさい」

ヨーヘイは長い年月に渡って掃除を続けました。
するといつの間にかヨーヘイの心は洗われて空っぽの状態になり、そこで天からの啓示――「師のなさり方を真似なさい。成り切りなさい」――がやってきます。
そしてヨーヘイは掃除をしながら師の剣さばきや日常の仕草を真似ていくのです。

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日本に留学して日本語が理解できるルーはこの1シーンを見て、自分も掃除をしていて同じような心境になったことがあると感想を語ってくれました。
大学を卒業して今年から仕事に就いたルーですが、職場で悩むことが多く、また職場のトイレはきれいではなく、それを見ていつも嫌な気分になっていたそうです。
でもルーはある時、「汚れているなら自分で掃除をしよう」と思い、職場のトイレ掃除を始め、それを続けているとブツブツと愚痴や不平を言っていた心が静かになり、軽くなっていったそうです。

実践からくる体験談で、とても感心させられました。
ヨーガの仲間で数少ない後輩のルーですが、ルーも成長しているなと感じるエピソードでした〜😏(ちょっと先輩面)

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「私たちのアモーレはヨギさん💓」とのことです(笑)

洋平


「ブラヨーヘイ」vol.9 六角堂編

今回のブラヨーヘイは「六角堂」に行ってきました〜😎

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この六角堂は、聖徳太子が587年に創建したと伝えられ、華道家元池坊が住職を務め、いけばな発祥の地としても知られています。

ところで皆さん、京都の地理上の中心地ってどこかご存知ですか?
「う〜ん、御所かな? いや、二条城?」と思うかもしれませんが、実はこの六角堂がその中心地なんです〜😲‼️
僕は京都に住んで15年目ですが、つい最近、師のヨギさんからこのことを教えていただき、知りました〜😁

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六角堂の敷地内にある「へそ石」。六角堂が京都の中心とされたことから、体の中心であるへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれています。

それで、この六角堂はその名が表しているように、本堂が六角の形をしています。

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それは六根が清浄になり、角が取れて円満な悟りが成就するようにという願いが込められているそうです。
六根というのは眼・耳・鼻・舌・身・意――人間の五つの感覚器官と心のことですが、じゃあ、それらが浄化されるためには具体的にどういう実践をしていけばいいのかが、修行者としてはポイントになりますよね。

ヨーガの根本聖典『ヨーガ・スートラ』には、感覚器官を制御するプラティヤーハーラ(制感)が説かれています。
以前ヨギさんはこのプラティヤーハーラの実践で大切なこととして、「知足」の教え――真理を悟るために最低限度の物質や環境があれば足りている――それを基本としているとプラティヤーハーラも進めやすくなり、そして「徹底した識別」がプラティヤーハーラの最も大きな要素であると述べられました。
以下がその徹底した識別について説かれた内容です。

「徹底した識別によって感覚器官も行動様式も変化します。生活面における人間関係であれ、さまざまな状況の変化であれ、やはり何かに反応する、動揺してしまうということは、心の中にそれを受け取る要素があるということを意味しています……ヨーガの完成への熱情に一点集中されてくると、その他の世間的な物事に対しての識別が正しくされ、放棄されていきますから、反応する要因が無くなってしまうということになります」

このヨギさんのお言葉から、当たり前のことかもしれませんが、「悟りへの熱情」、それがプラティヤーハーラの実践はもちろんのこと、ヨーガ行者として最も大事な「中心」であると改めて感させられました。

僕は小さい頃からお菓子が大好きだったのですが、疲れたり嫌なことがあったりすると、お菓子を食べることで気を紛らわせることも多く、その行為が悪い習慣性になっていました。
ヨーガを始めた頃はやめたいけれどやめられないという状態、言い換えれば、舌と心が制御されていない不浄な状態でした……😓
そんな時、ヨギさんは次のように話されました。

「昔のヨーガ行者がそんなもの食べたと思うか? 悟るために、木の実や川の水で命をつないでいた。だからお菓子は必要ない」

当時はこの言葉の意味が理解できませんでしたが、今振り返ると、とても分かりやすく知足と識別、そして悟りへの熱情というヨーガの真髄について教えていただいていたんだなと感じました。

飯尾洋平