ヨーガの実践」カテゴリーアーカイブ

リーラー・ヨーガ・スタジオ 開設から1ヶ月の様子

6月19日で新スタジオをスタートして1ヶ月が経ちました。この1ヶ月の様子をご紹介します。まずスタジオの名前ですが、「リーラー・ヨーガ・スタジオ」に決まりました。「人の本性は喜びに満ち溢れている」というヨギさんの教えを多くの人と分かち合いたいという気持ちが込められています。

5月上旬にスタジオ近辺に1800枚のチラシをポスティングしていたので、初日から「ポストにチラシが入っていました〜」というご近所の方の参加がありました。その後もチラシを見たという方、クラスに通っている方の紹介、WEBを見てなど、新しく体験に来られる方が増えています。スタジオがあることでクラス数が増え、参加される方も選択肢があって通いやすくなったと思います。「来週は予定があるから別の曜日に来ます」と言われたり、「しばらくは60分のクラスを受けるけれど、慣れてきたら90分のクラスを受けます」と言われたり、それぞれのペースで続けてくださっていて、スタジオができて本当によかった〜と思っています。
スタジオの前の通りは車の通りが少なくとても静かです。特に扉を閉めてしまうと異空間のような静けさが訪れます。クラスは日常の喧騒から離れて自分自身に向き合える貴重な時間です。集中しやすく、とても気持ちの良い空間だと言ってくださる方が多いです。

クラスに来られた方からは嬉しい言葉もいただいています。「よく眠れるようになりました」や「久しぶりにこんなに深く呼吸をしました」、「体の痛みがマシになりました」など、クラスを1回〜4回ほど受けただけで、効果を感じておられるようです。「家でもやります!」という積極的な言葉もいただきました。また通い始めた方がご親戚やお友達を連れて参加してくださって、喜びの輪が広がっています。
クラスに来られた時は少し緊張されている方も、終わるころにはとてもリラックスされ、目がキラキラとして、まるで別人のよう!?毎回そんな様子を見せていただいて、私はとても幸せだな〜と思うと同時に、ヨーガの素晴らしさを再確認し、もっと多くの人に知ってもらいたいと思うのです。ヨーガは単なる健康法ではないけれど、痛みや悩みが少しでも減るというのは本人にとっては大切なことです。毎日を快活に過ごすことができるというのは、その人の人生にとってとても大きなことだと思います。ヨーガは地道に、長いスパンで続けることが大切で、ライフワークだと教えてもらっています。参加してくださった方がまた来たい、続けたいと思ってくださるように丁寧にクラスをやっていきたいと思っています。

6月からは15分無料体験会とエコマルシェと称して、グルバイの不要になったものを軒先に並べて安く販売、丹波から新鮮なお野菜を持ってきていただいて販売しました。さらに800枚ほどチラシをポスティングし、みんなで協力して、近所の方の目に止まるように工夫をしています。雨や猛暑もあり時期的に難しかったですが、無料体験会に来られた方がクラスにも参加されました。


また6月から
金曜日の夜のヨーガ・瞑想クラス(19:00~20:30)
土曜日の朝の瞑想クラス(10:00~11:30)
バクティサンガム(キールタン)も6/29(14:00~15:30)から始まります。
7月には日曜日の朝のヨーガ・瞑想クラス(第2、第4 10:15~11:45)も始まり、クラスが増えます。アーサナだけでなく、瞑想やキールタン、ヨーガの料理、どのクラスも同じ場所で受けることができ、多角的にヨーガを学ぶことができるのはマハーヨーギー・ミッションの特徴だと思います。

スタジオの魅力は、どのクラスに行っても同じことが学べることだと思います。担当者それぞれに個性はありますが、ベースはヨギさんから学んできたヨーガです。どのクラスに行ってもそのヨーガの真髄が学べます。参加される方が、ヨーガの面白さ、奥深さに触れ、私自身が感じてきたワクワクするような気持ちや希望を持ってくださったらいいなと思っています。誰もの人生にとって必要なことがヨーガの中にあります。それは難しいことではなく、最もシンプルなこと、でも他では誰も教えてくれないことだと思います。クラスの中で一緒に学び、ともに成長していきたい、スタジオ自体がみんなと一緒に成長していけたらと願っています。

クーラーや電気、冷蔵庫、コンロなどが揃いスタジオの中は少しずつ整ってきています。まだまだ完成ではないけれど、スタジオを使いながらみんなで使いやすい形に変化していけたらいいなと思っています。ぜひ遊びにきてくださいね〜!


ロープを外して本当の自分を実現する

3年ほど前、義父が難病と診断されました。 
主治医から、治療方法はなく急に悪化して亡くなる可能性が高いと言われました。 
義父は現役の頃は困難を抱える人たちが安心して暮らせる環境を整えるために働き、引退後は地域の人たちのために様々な活動をしていましたが、それらを他の人に引き継ぎ、闘病生活が始まりました。 

 私は師の教えを支えとして、自分にできることを精一杯やろうと努めました。 

実に善き人の、たとえ悪しき人であっても、死に接するのは寂しいものです。 
私たちの本性が永遠不死であるから、それを知っているからかもしれません。 
病に苦しむ人、死に逝く人に奉仕することは最善です。 
身近なあなた方の家族の場合においてもそのように尽くしなさい。 
食べ物を口に運び、排泄をさせ、体を洗い、床擦れを防ぐため、時折体の向きを変えてあげねばなりません。 

義父が外出が困難になってからは、義父の好物を差し入れ、季節の変化を感じられるように話をしました。毎回義父は嬉しそうで、義父が喜んでくれそうなことを考えるのが夫と私の習慣になりました。 
急変を繰り返す度に義父の体力は低下、苦しそうな時間が増えていきました。定期的に鍼灸治療をしていたこともあり、義父の体が限界に近づいていることを痛感しました。それでも義父の気力は衰えず、一切弱音を吐くことなく力強く生き切り、旅立ちました。
義父の死が現実となり、苦しみから解放されて良かったという思い、よく頑張ってくれたことに対する感謝の思い、もっとできることがあったかもしれないという後悔の念、様々な感情が入り乱れました。 

義父が生まれ育った多摩川流域の景色

そんな中で迎えた義父の葬儀当日。
初七日の法要も併せて行われました。 僧侶の方が読経の前に、お経の意味を説明してくださいました。 

初七日とは、故人が三途の川に辿り着く日。無事に三途の川を渡れるようにと祈るお経を唱えるが、お経の最後に大きな声を出すことに意味がある。
故人が家族など大切な人たちを残したまま逝くことに未練がある場合、それはこの世に対する執着となり、三途の川への旅立ちを妨げることになる。大きな声で喝を入れるように読経することで、故人をこの世へと繋ぎ止めるロープを断ち切り、彼岸、悟りの境地へ向かいやすくする。そして同時に、残された家族も故人への想いに区切りを付けやすくする。 

僧侶の方の話に出てきたロープという言葉は、ヨーガを学ぶ中でも何度も見聞きします。 

ヨーガの目的は、誰もの中にある本当の自分を実現すること。それは仏教でいう悟りの境地へと至ることと同じです。
本当の自分とは、生まれたことも死ぬこともない永遠の存在で、誰もの中にあります。
悟りの境地とは、本当の自分に目覚め、そこに留まることです。 
私たちはこの世という此岸から、悟りの境地である彼岸へと、ボートを漕いで進んでいるような状態にあります。漕ぎ進んでいくためには、まずボートを此岸に繋いでいる「ロープ」を外す必要があります。 

「ロープ」とは無知、煩悩、執着の象徴。 
大切な人とずっと一緒にいたい、この幸せな状態が永遠に続いてほしい、と願うことは、執着にあたります。世界は常に移ろい変化するもの。どんなに大切な人であってもいつかは別れの時が訪れ、どんなに楽しい時間も無限に続くことはない。身体を持って生まれてきた以上、肉体は必ず終わりの時を迎えます。 
肉体があってもなくても「本当の自分」は永遠に変わらず存在し続ける。それこそが真実で、それ以外のものを手放していくことが、「ロープ」を外すということになります。 

義父との別れが辛く悲しいのは、限りある肉体が義父だと思っているから。それは真実ではありません。
生まれることも死ぬこともない本当の自分に向かいボートを漕ぎ進んだ暁には、永遠に自由で純粋そのものの存在として、共に在り続ける。

「善き人であっても悪い人であっても、その死に接すると寂しいと感じるのは、私たちの本性が永遠不死ということを知っているからかもしれない」

今私は、この教えに確かな希望を感じています。 
それは、死に接して寂しいとか悲しいとか感じること自体が、私たち自身の中にある本当の自分が永遠の存在であると知っていることの証明だと思うからです。

いつかこの身体を私と思っている意識がなくなり、永遠の存在と一つになったのなら、外すべきロープもなくなる。それを目指し、ボートを漕ぎ進めたいと思います。

国分寺クラス会場の近くでは毎年蓮の花が咲きます。今年ももうすぐ咲きそうです。

ハルシャニー  

 


ガンディーからキング牧師へと引き継がれた非暴力の精神

キング牧師は、1950~60年代、人種差別が色濃く残るアメリカにおいて、非暴力主義による公民権運動を行い、公民権法成立へと導いた人です。

1963年ワシントン行進の際に演説を行うキング牧師 写真中央

私は夢を持っています。それは私の四人の小さな子供たちが皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国にすむことができるようになるだろうという夢です。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 271ページ)

キング牧師の「I Have a Dream」の演説を聞くと、感動して胸が熱くなります。
その言葉は慈愛にあふれています。

キング牧師はインド独立の父、マハトマ・ガンディーのサティヤーグラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)にインスパイヤされ、政治活動を行いました。そして、1959年にはインドに一カ月滞在し、主要な都市や、ガンディーが活動した地を巡りました。慰霊碑に花を手向け、塩の行進の出発点を訪れ、ガンディーの精神に触れる旅となりました。ガンディーへの尊敬の思いをこのように述べています。

彼(ガンディー)は生存中にエゴ(意識的自我)とイド(本能的自我)の間の深淵に架橋をなしとげていた。ガンディーは驚くべき自己批判能力を持っていた。(中略)
ガンディーは必要な時にはいつでも自己批判をした。間違いを犯した時にはいつでも、公の場で告白した。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 154ページ)

私は、ガンディーの自伝を読んだ時、ガンディーが少年時代、自分が犯してしまった罪を父親に告白し、それを涙ながらに父親が赦し、人を赦す愛を教えられたエピソードにとても感動したことを思い出しました。

そして、私がキング牧師のインド滞在の記録の中で最も驚き、感動したことは、インド最南端の聖地、コモリン岬を訪れた時のエピソードです。キング牧師は、太陽が海に沈み、月が昇る美しい光景を見て、このように述べています。

太陽が完全に視界から去る時、暗闇が大地を飲み込んでしまう。だがその時東にはのぼってくる月の光が最高度に輝いていたのである。私はこれは世界中で最も美しい場所の一つだと言った(中略)
神はあらゆる暗闇を通してかがやくことができる光を、持っておられるのである。われわれには昼間の光が消えて暗い、寂しい真夜中に取り残されてしまうような経験――つまりわれわれの最高の希望が絶望の修羅場にかわるような、あるいは自分が悲劇的な不正義とか恐るべき搾取の犠牲者になるような経験がある。このような時にはわれわれの精神は、憂鬱さとか絶望感に覆われてしまい、どこにも光はないと感じてしまう。だがいつでもわれわれが東をみるならば、そこには暗闇の中に輝く一つの光があることに、気がつくのである。そして「挫折の槍」は「光の矢」に変わるのである。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 153~154ページ)

コモリン岬はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)がアメリカへ行くヴィジョンを授かった聖なる場所です。ガンディーはスワーミージーの「ラージャ・ヨーガ」を読み、導きを受けていたそうです。スワーミージーがインドの人々の救済を誓ったコモリン岬で、キング牧師が人種差別撤回への誓いを立てたことは、二人の間に見えない繋がりがあったと感じます。私は、「真理は、時代や場所を超えて伝わる」と思いました。

私もキング牧師が夢見たように、人々が差別や争いをせず、心穏やかに暮らす世界を願っています。そのために、万人に平等に在る真我を実現するヨーガの教えを十分に理解し、次の世代へとそれを伝えていきたいと強く思います。その誓いを実現するため、日々精進してまいります。

レン


瞑想ワークショップ「アートに瞑想しよう!」in 松山市

先日、2日間にわたって開催された愛媛県松山市のヨーガ・サーラ・スタジオでの「アートに瞑想しよう!」は両日共にたくさんの方にご参加いただきました。
まるで美術館のように作品が飾られた空間は、静かで穏やかな雰囲気と作品ひとつひとつから溢れる神聖さで満たされていました。


会の最初に与えられた個人で自由に作品を見て感じる時間は、参加者全員が食い入るように作品に見入る姿がありました。


そして、その後ゴーパーラさんが話された作者であるヨギさんの紹介や作品が描かれたきっかけ、作品にまつわるエピソードには、笑ったり、驚いたり、圧倒されたりしながら、皆が耳を傾けました。


そしていよいよ各自が魅かれた作品の前に座って20分ほど瞑想です。今回、私は『如意輪観音』に瞑想しました。その理由はお姿が師に似ていて、立膝をついている理由が「必要な時すぐに動けるように」と会の中で知ったこと、また私には手が何本もあるように見えて、それは何か知りたいなぁと思ったからでした。瞑想で感じたことは、その手は、すべての人々を救済していました。

如意輪観音 1984年

会の終盤、それぞれの作品に瞑想し、感じたり体験したことを5人の仲間が話してくれました。その内容は聞いている私たちを鼓舞し、気づきを与えてくれる素晴らしいものでした。その中で私にとって印象的だったのは、如意輪観音ではない別の作品について話しているにもかかわらず「救済」という言葉と共に同じように感じた方がいたことでした。それを聞き、ヨギさんのすべての作品は『人々を救済するため』に描かれたと直観し、ヨギさんの偉大な役割と働きを改めて感じ、心が平伏しました。

5人のスピーカーの1人、笹沼さん。「アーディナート(原初の師ーシヴァ)とシャクティ」に瞑想した体験談をお話されました。

今回、思いがけずヨーガに興味を持ち、ワークショップに参加してくださった職場の同僚は、「色が綺麗だなぁ」という理由で瞑想する絵を決めました。瞑想初体験後、帰宅してからの連絡で「肩の力が抜けて、リラックスできた。そのおかげで今直面している出来事に適切な判断ができた」と喜んでいました。そして2日後、職場で会った彼女は晴れやかな表情と共に「自分を縛っていたのは自分だったと気づいた」と自分の中に起こった変化について話してくれました。彼女の感想は、ヨギさんがすべての人を救済しているという事実となって、私の中に大きな歓びを残しました。

ヨギさんが残された真理への道を指し示すものは、アーサナや書籍、アート作品だけにとどまらず、お写真、映像、Tシャツやバック、さまざまな形となっています。もっともっとたくさんの人に届けて、触れていただけますように。もっともっと松山での活動が広がっていきますように。改めて、その活動を支えていこうと誓う機会となりました。
最後に、このワークショップに参加してくださった皆様、企画や準備、運営にかかわってくださったすべての皆様、本当にありがとうございました!

山口正美


京都 瞑想クラスのご案内

5月19日、京都の千本出水で新スタジオがOpenしました🪷


6月からも新たにそこで3つのクラスがスタートします!

・アーサナクラス 金曜の夜(6/6)
・瞑想クラス(6/14)
・インドの歌 バクティ・サンガム(6/29)

今回のブログでは、私が担当の瞑想クラスについて、ご案内させていただきます。

昨今、瞑想といえばマインドフルネスやヴィパッサナー、座禅のイメージをもたれている方が多いのかなと思いますが、実は古来よりヨーガも瞑想が主軸になります。
王道のヨーガと呼ばれているラージャ・ヨーガは、瞑想で心を集中するための8つの段階が説かれています。
その1つがアーサナ(ヨーガのポーズ)で、アーサナをすることで、背骨が真っ直ぐになり、呼吸も安定し、瞑想に座りやすくなります。
アーサナは決して柔軟性を競うものではなく、座法と訳され、全てのポーズは座るために、つまり瞑想のためにあります。

土曜日(14ー16時)のアーサナクラスの様子

6月から始まる瞑想クラスでは、アーサナを6種類ほどして、瞑想を30分ほど行ないます。
座り慣れるまでは、休憩を挟みながら各自のペースで瞑想します。
また、ヨーガの神秘的で奥深い教え(生理学や哲学・シンボル)についても少しずつ学んでいきます。
アーサナをした後に瞑想するその感触というのは、本当に特別な静けさがあります。
ぜひ、古来より培われてきたヨーガの瞑想のためのメソッドを感じていただけたらと思います!
初心者の方も、瞑想を深めたい方も、どうぞお気軽にご参加ください🕉️

詳細やお申し込みはこちらから💁‍♂️【京都 瞑想クラス】

ゴーパーラ


ハラ・アーサナで体と心を耕す

新緑から深緑へと移り変わる季節になりました。 
二十四節気では、5月5日から5月20日までが立夏。そのうち、5月10日から14日までは、七十二候で「蚯蚓出(みみずいずる)」の期間です。 
ミミズは、土の中を活発に動き回り、土を柔らかく耕すことから、「自然の鍬(くわ)」と呼ばれていたそうです。  

立夏の頃に咲くムサシノキスゲ。東京都府中市にのみ自生しているそうです。

私は耕すという言葉を聞くと、ハラ・アーサナが頭に浮かびます。 
ハラとは鋤(すき)のこと。 
鍬も鋤も田畑を耕す道具。その名前が付いたハラ・アーサナを行うことで、身体という田畑を耕すことができるとされています。

ハラ・アーサナの完成形では、日常生活において凝りや疲れが出やすい首・肩・背中・腰・足の裏側、が一気に伸ばされます。 
まさに土が耕されて柔らかくなるように、凝り固まった体と心が柔らかくほぐされていくような感じになります。 
また、上半身が逆さになるため内臓が反転し、その形で息を吐き切ることによって内臓も揉みほぐされるような状態になり、胃腸など消化器官の働きが良くなります。

私自身の体感としては、ハラ・アーサナは他のアーサナ以上に、その時の心身の状態が反映される気がします。 
食べ過ぎた時は体が重くて背中を起こしづらく、息を吐き切りづらい。 
気持ちが落ち込んでいる時に行うと、体全体が硬くて呼吸が浅く短くなる。 
しかしそのような状況でも、焦らず丁寧に形を作り呼吸に集中していくことで、形を戻してシャヴァ・アーサナをする頃には、スッキリ軽くなっているのです。

 クラスで初めてハラ・アーサナを行ってもらう前に見本をお見せすると、難しそう、私にはできない、というお声を耳にすることがあります。 
確かに、腰や首などに症状がある方は慎重に形を作る必要があります。また、ある程度腹筋が使える状態でないと、足を直角に上げるだけでもかなりきついと思います。 
やってみて難しい場合は、足を直角に上げて数呼吸保持してから足を下ろす動きを数回行うだけでも効果はあります。 
その日の調子に合わせて自分ができるところまでやってみる、あるいはやってみようとすることで、少しずつでも体が柔らかくほぐされていきます。 

MYMのクラスでは1人1人の身体の状態に合わせて、より行いやすい方法をお伝えしていますので、ぜひクラスでハラ・アーサナの効果を体感して頂けたらと思います。 

 ここ数年は高温多湿の気候が長く続くようになっており、体も内臓も疲れがち。 
ハラ・アーサナで心身の疲れを取り、軽やかな身体でこれからの季節を過ごしたいです。 

ハルシャニー  

 


京都 新スタジオでのヨーガクラスが始まりました‼️

5月1日、マハーヨーギー・ミッションの新スタジオが開設しました!
(https://www.mahayogi.org/kyoto/studio)

プレ・オープンとして、これまで近隣の京都アスニーで行なってきたアーサナ・瞑想クラスを、一足早く5月10日(土)に新スタジオにて行ないました。

当日は初夏のような少し蒸し暑い気候でしたが、室内は冷んやりとして、自然素材の調湿効果でちょうどいい湿度に感じました。クラスに参加される皆さんは、新しいスタジオでの初めてのクラスということで嬉しそうでした。
クラスは一階の二間つづきの部屋で行ないます。木の香りのする肌触りのいい床に、自然素材で塗装された柱と梁、また土壁、奥の間は屋根勾配を活かした斜めに上がる天井が伸びやかで、リラックスできる空間です。
初めての空間への興味や喜びの中、クラスは始まりましたが、アーサナをしていくと皆さんすぐに集中されて、だんだんと静寂に包まれていきました。

実際、スタジオの周囲はとても静かで環境に恵まれているのですが、物理的な静けさ以上に、クラスの最後に瞑想をする時にはピタッと空気が止まっているかのような静寂を感じました。これからクラスが行なわれていく中で、スタジオのプラーナ(気)が充実していって、スタジオに来るだけで心が調うような、祝福に満ちた場所になっていったらいいなと思いました。

 


新スタジオでの新クラスは、5月19日(月)からスタートします。クラスの数が増えて、毎日どこかの時間にはクラスを開催するようになります。お子さん連れOKなクラスや、50歳以上の方に向けたゆっくり行なうクラスも新しく始まります。

ぜひ一度新スタジオでのクラスを体験しにいらしてください。新スタジオでこれからたくさんの方と出会い、ヨーガを共に実践していけることをとても楽しみにしています!

🍀YouTubeにもスタジオの動画をUPしていますので、ぜひご覧ください!

・YouTube  ヨーガスタジオ紹介
・YouTube  OPENに向けての準備

サルヴァーニー


吐き切る呼吸

マハーヨーギー・ミッションのアーサナクラスでは、「吐き切る呼吸に集中してください」と教えられています。ただ、この「吐き切る呼吸」は実際にやってみると案外難しいものです。ああでもないこうでもないと、やってみては失敗し、失敗してはやってみて‥‥その繰り返しを私は何年続けてきたことでしょう。
そんな中、昨年6月に開講された「アーサナの秘義」に参加しました。講座の中でも、当然のように呼吸の質問や実践談はたくさんありました。その際、私は呼吸に関することを聞きながら、自ずと呼吸に集中し、吐いて、吐いて、吐いているうちに、お腹がきゅっと凹でいるのに気がついて、「そうか、吐き切る呼吸って、そういうことか」と、突然腑に落ちることがありました。講座の後、腑に落ちたその呼吸をやってみると、なんだかアーサナの集中感というものがいつもと異なっていました。
例えば、前屈のポーズをはじめると、ただ足を伸ばして座っているだけなのに、膝がすごく伸びて、身体もピ〜ンと伸びて、背骨もしっかりしてきます。これが「吐き切る呼吸」の成果なのでしょうか。


あとで気がついたことなのですが、これは呼吸を吐き切っていることの効果というよりも、「呼吸を吐き切ることに集中した」結果だと思いました。
呼吸という行為を丁寧に一所懸命に行なって、自分の呼吸に向き合っていった結果、アーサナに集中感が生まれたのだと実感しました。どうやって息を吐き、どうやって吸うのか。その息がどこからやってきて、どう身体を流れていくのか。私は、アーサナの形を維持するのに必死で、力んでしまい、吐いているつもりで息が止まってしまう傾向に気づきました。その力をそうっと抜いてやると、まだ吐くことのできる息を見出すのです。そうやって絶えず呼吸に向き合うということは身体のすみずみに向き合うということになり、それなら、アーサナが深まるのは当然のことだと感じるのです。

さらに、呼吸に集中するというのは、つまり「生きている」ことに集中するということですから、自分の中にある生命の尊さやその背後にある力に集中することに自ずと導かれていきます。その結果、自宅でも職場でも、私の背骨はしっかりとしてきて、なんだか歩くのにも動くのにも、堂々と自信がみなぎってくるのを感じるのです。これこそ、アーサナの呼吸が日常の呼吸を変えたということなのではないでしょうか。
まだこれからというところですが、アーサナの実践をコツコツと続けていって、「吐き切る呼吸」の体得をしていきたいと思います。

笹沼朋子


「アートに瞑想しよう!」in 松山のご案内

このたび、ヨーガ・サーラ・スタジオ20周年記念の一環として、「アートに瞑想しよう!」という素敵な瞑想ワークショップを愛媛の松山で開催することになりました!
昨年11月に京都で瞑想ワークショップがあり、私たちの師シュリー・マハーヨーギーの描かれた聖なるアートを通して静寂や歓びが感じられるという内容を知り、ぜひ松山でもそのイベントをしていただきたいと講師のゴーパーラさんに相談していました。ちょうど今年は松山でヨーガの活動が始まって20年になるため、支えてくださっている皆さまへの感謝を込めて記念イベントとして企画が実現しました!

講師のゴーパーラさんは打ち合わせをした時、京都で瞑想ワークショップをした際に感じたことを話してくれました。「目の前に神聖なアートがあるから眺めるだけでもいい。どんな人でもできる。子どもでもできる!と感じた」と力強く話してくれたのですが、私の頭に子連れの主婦の方やヨーガに興味がないけどアートに興味がある方、老若男女問わずいろんな方が瞑想ワークショップに参加している絵が浮かび、一気に可能性が広がったように感じて、わくわくしました。

イベントだけでも嬉しくてたまらないのに、なんと、ヨーガ・サーラ・スタジオ20周年の特別イベントとして、師の作品の「白ターラー(菩薩)」「サハスラーラ・チャクラ(千弁の蓮華)」の原画を京都から持ってきていただけることになりました!私にとっては、まるで敬愛する師が松山にお越しくださるほど、貴重なことです!松山で原画を味わえるなんて、またとない機会です!!
私たちは見るもの、聞くもの、触れるものから様々な影響を受けています。1人でも多くの方と聖なるアートを味わい、本当の歓びは誰もの心の中にあるというヨーガの真髄を感じられますように。
ご参加お待ちしております!

・お申し込みはこちらから💁‍♀️「アートに瞑想しよう!」

・今回のワークショップでご紹介するアート作品はこちらをご覧ください。
https://www.mahayogi.org/other/meditation-card

※ヨーガ・サーラ・スタジオで、アート作品のカードをお求めいただけます。
※こちらのリンクのページからでもお求めいただけます。

アーナンディー


東京クラスからのお知らせ

東京国分寺クラスが始まって1年。
クラス会場から見える桜が満開を迎えた今週、Instagramで東京クラスのアカウントを開設しました。
@mym.tokyo

プロフィールの画像は、2014年に当時クラスに通っていたメンバーで制作した「サハスラーラ・チャクラ」。2㎡くらいの布をメンバーの1人が自宅の浴室でコーヒーで染めた後、公共施設を借りてみんなで蓮の花を描きました。
各自仕事などで忙しくしていたけれど、この「サハスラーラ・チャクラ」を制作した期間は、不思議とみんなの予定を合わせることができました。全員揃うことはなかったけれど、その時いるメンバーで集中して一気に描き上げたことは、何物にも変え難い経験でした。

クラス会場の前にある桜

現在国分寺クラスでは、30〜70代の方々が毎週熱心にアーサナに取り組まれています。
還暦を過ぎてから始めた方もおられますが、少しずつ形や呼吸が深まっていく姿を見ていると、ヨーガは年齢に関係なく誰にもできることを実感します。

 参加されている方々から、「疲れているけれど、クラスに行った方が楽になると思って参加したら、とてもスッキリした」という感想をよく耳にします。
これはアーサナによってプラーナ(気)が調えられ、身体の隅々まで良いプラーナで満たされるからです。

私たちが身体を使って活動したり、喜怒哀楽などで心が動いたりするのは、すべてこのプラーナの力によるもの。アーサナの形を正しく作り、プラーナの大きな現れである「呼吸」を深く長く吐き切っていくことで、心は落ち着き身体の疲れは癒やされ、心身ともに軽やかになります。
アーサナは自宅で1人でもできますが、他の人と一緒にアーサナすることで、より集中感が増して、形を深めやすくなることがクラスの醍醐味だと思います。
クラスでは、まずは1人1人の身体の状態に合わせて形を作り、息を吐き切るようにしていくことが目標となります。基本的な形を丁寧に行うことが大切ですが、やってみたいと思う形があれば、完成に向けて少しずつ練習を重ねていきます。

国分寺クラスに参加されている皆さんも、基本的な形がある程度出来てきたら、少し難易度が高めのチャクラ・アーサナ(輪の形)やシールシャ・アーサナ(頭立ちの形)に挑戦してもらうようにしています。皆さんの共通点は、やれるか分からないけれどやってみたい!という前向きな気持ち。皆さんがお互いを応援し合いながら楽しそうに、かつ真剣に取り組まれる様子から、いつも良いプラーナをもらっています。

このようなヨーガの素晴らしさをさらに多くの方に体感して頂きたく、隔週火曜日夜にクラスを開講することになりました。東京ではコロナ禍以降平日夜クラスを休止したままだったので、約5年ぶりの平日夜クラスです。新たな出会いを楽しみに、只今準備中。最寄りはJR中央線中野駅、6月からのスタートを予定しておりますので、日にちが確定しましたらInstagramでお知らせします。

フォローよろしくお願いいたします!

 

ハルシャニー