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ヨーガ・サーラ・スタジオ20周年記念企画 アーサナクラス/瞑想特別クラス 基礎編

8月23日(土)愛媛県松山市では、ヨーガ・サーラ・スタジオ20周年記念企画の一環として、京都のマードゥリーさんをお招きして、特別クラスが開催されました。
午前中は、近くの公民館をお借りしてアーサナクラスがあり、最初に30分ほどの講座もありました。

講座の様子。細密画やチャクラ図を使って目に見えないプラーナ(気)やチャクラ、土、水、火、風、空という五大の物質との関わりについて分かりやすく教えてくださいました。

体操とは違って、大いなる哲学を土台に持つことを学んだ後に行なうアーサナ。会場全体がしんとした神聖な空気に包まれました。

午後からの瞑想特別クラスでは、識別の瞑想についてお話と実践がありました。真理を学び、考え、瞑想する。識別の大事なポイントを教わりました。
識別というのは、自分の心を真理と照らし合わせて、不要な思いなどをバサバサと心の中から切り捨てていくことです。真理とは、完全、純粋、永遠、不動のものです。真理ではないものは、必ず変化していきますので、心がそういうものに執らわれていると、それがどんなに魅力的なものであったとしても、必ず苦しみに終わるのです。苦しみを取り除いて、軽やかに生きていくためにも、真理ではないものを心から切り離して捨てていくのです。

「何のために生きるのか」ーーマードゥリさんご自身がじっくり向き合った体験談を交えて識別について話してくださいました。

30分間、静かに瞑想。

当日、マードゥリーさんが選んでくださった7つの真理の言葉の中から各自、好きな言葉を選んでしおりに書き写して、持ち帰りました。

真剣に選ぶ参加者の皆さん。15分以上考えこむ方もおられました。

しおり作成チームのスタッフが喜びをもって美しいしおりを用意してくださいました。好きなしおりを選んで真理を書き込みました。

朝から夕方まで、盛りだくさんの1日でしたが、参加者のみなさんはとても充実されたようで、喜びの声がたくさん届いています。

(参加者のみなさんのご感想)

・今日の講座を聞いて強く感じたことは、「何のために生きるのか」という問いをあやふやにしてしまっている自分です。マードゥリーさんもはっきりおっしゃったようにあやふやにせず、真理を軸に徹底して追求し、検証すること。アーサナを1つ1つ大切に行なうように、命の様々なシーンに対しても、情熱をもって集中していけるようになりたい。

・30分じっくり座って、自分の心の奥深くまで潜っていく感覚がありました。普段ふわっとした理解で満足しているところを感じ、無意識に執着している対象があることに気付かされました。「もっと知りたい」という知識欲も煩悩の一つだと再確認しました。心の習性はしぶといものだと、また学びました。また、こういう機会があれば参加したいです。

・マードゥリーさんの力強いメッセージが明確に入ってきたことで、聖典を読む時に自分なりに漫然と読んでいることに気が付きました。不要なものに時間を割いていることを再自覚しました。

松山に来てくださったマードゥリーさんは、蓮の花のように優しくきれいな人でした。同時に、何事にも動じない堂々とした佇まいで、未来を切り拓いていくような力強さを感じました。マードゥリーさんと少しばかりの時間を共有したことによって、その力強さが少し、私にも乗り移ったのかもしれません。美しい真理のしおりを抱きながら、元気な足取りで帰路に就く、最高の一日でした。

笹沼朋子


『マハーヨーギーの真理のことば』第一章「愛の真理」

アーサナ中に体験した忘れられない出来事があります。
アーサナを始めて何年か経ち、少しずつ真理の教えにも触れていっていたある日、いつものように自宅でアーサナを行なっていました。すると、「このままではだめだ!!」という思いが突然やってきて、私はアーサナを中断して立ち上がりました。

その頃、我が家では、イチゴという名前の白い犬を飼っていました。私は、彼女の自由にできる場所をリビングだけに制限していました。理由は、部屋が汚れることがとにかく嫌だったからです。今となっては、とてもエゴ的で傲慢な行為だったと思いますが、本当にあの瞬間までは、それが間違っているとは思いもよらず、考えることすらありませんでした。
けれどその時、私はアーサナを中断して、部屋を行き来できないように置いていた柵を取っ払って、彼女が家の中を自由に行き来し、過ごせるようにしました。そして、当たり前のことなのですが、汚れたら綺麗にすればいいと素直に思えたのです。その瞬間、憑き物が取れたかのように、私自身も自由になれたような清々しい感覚と救われたような気持ちを味わいました。そして、彼女以外の家族にも窮屈な思いをさせていただろうことにも気付きました。

それ以来、彼女の毛並みはツヤツヤとして、元の白さを取り戻していったように見えました。そして以前よりも生き生きとして、元気に走り回っているように見えました。私はその姿を見て深く安堵しました。

部屋を清潔にしておくことや整えておくことは、もちろん悪いことではありません。できるだけそのようにしておく方が、私だけでなく、きっと家族も心地良く過ごすことができるだろうと思います。けれど、心の思いは、完全に純粋なものではなく、「私」と「私のもの」への執着が入り混じり、時に、それはエゴ的で傲慢な行為となり、他者を苦しめたり、気付かないうちに傷つけてしまうこともあることを知りました。

天国と地獄は人の心の中にあります。あなたが「私」と「私のもの」を突っ張ればそこは地獄になり、「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げるなら天国になるのです。心は迷いやすく間違いを犯すかもしれないが、自らの苦しみを避けるためには他者を苦しめてはならない。自らの幸いを招くためには他者の喜びに奉仕することです。それは愛です。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章64頁

彼女が旅立った時、自分のしていたことを本当に申し訳なく思い、彼女が生きている間に大切なことに気付かせてもらえたことを改めて深く感謝しました。
そして、また同じような間違いを犯さないように、この教えを大切に心に留めています。

サットサンガで、あの日の出来事についてお聞きした時、ヨギさんは、良い気付きだったこと。そして、アーサナによって集中状態が生まれ、心が静まり、瞑想のような状況が訪れたことを教えてくださいました。

ヨーガを正しく学び、実践していくことは、誰もにとってより良く生きるためのたしかな拠り所となり、道標になってくれると思います。
一人でも多くの人がヨーガと出会えますように。真実を求めて、真摯に学びと実践を続けていきたいです。

藤原里美


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ④

1893年5月31日、インドのボンベイから出港したヴィヴェーカーナンダは、コロンボ・シンガポール・広東・大阪・京都・東京などに途中寄港した後、横浜から太平洋を渡ってバンクーバーに到着し、そこから宗教会議の開催地であるシカゴへ汽車で向かいました。
7月終わりにシカゴに到着し、宗教会議について問い合わせをすると、開催が9月まで延期されたことや、然るべき団体からの信任状がなければ代表として認められず、また代表として登録するには遅すぎることを知らされます。なんと宗教会議を勧め、アメリカ行きを手配してくれたインドの誰一人として、宗教会議の詳細については問い合わせしておらず、会議の日時や参加条件について知らなかったのです。
思いもよらない状況に直面し、異国の地で頼れる人もいませんでしたが、ヴィヴェーカーナンダが信仰を失うことはありませんでした。なぜならインド放浪時代に優しい神の摂理が加護して下さらなかったことはなかったからです。
ヴィヴェーカーナンダはこの頃、友人に書いた手紙の中でこう述べていますーー「私は聖母マリアの息子の子供達の中にいる。主イエスがお助けくださるだろう」。

9月までシカゴに滞在する所持金のなかったヴィヴェーカーナンダは、生活費の安いボストンに移ります。汽車で移動する途中、裕福な婦人と出会い、客人として招かれました。婦人は極東からの珍客を友達に見せびらかしますが、その内の一人が宗教会議の代表選考委員会の議長の友人であり、ヴィヴェーカーナンダの類い稀なる博識を認め、議長にヴィヴェーカーナンダを紹介する手紙を書きます。その後シカゴに戻りますが、不幸にも代表者委員会の住所を忘れてしまいます。人々に道を尋ねながら、空腹と疲労で歩道に座り込んだ時、窓からその様子に気付いた婦人が食事と休息を与えます。なんと彼女は宗教会議の議長と友人であり、ヴィヴェーカーナンダを紹介して、ようやく参加が決まるのです。
度重なる困難が訪れましたが、手を差し伸べる人々と出会い、主の導きの確信を深めたヴィヴェーカーナンダは、その思し召しに値する道具にならんことを絶え間なく祈りました。

9月11日、宗教会議が開催されました。会場は7000人で埋め尽くされ、特定の宗派ではなくヴェーダの普遍宗教を代表したヴィヴェーカーナンダは、その華やかな衣、黄色のターバン、そして美しい容姿によって、壇上でも際立って人目を引きつけました。
31番目にスピーチをする順番でしたが、ヴィヴェーカーナンダは原稿を用意しておらず、大舞台での講演も初めてで緊張のあまり何度も順番を遅らせました。ついに順番が回ってきて演壇に上り、形式的な言葉をかなぐり捨てて、同胞としての素直な暖かさをもって語りかけました。

「様々な場所に源を持つ異なった川も、すべて海で溶け合って一つになる。主よ、同様に様々な性質によって人々が歩む異なった道も、曲がったり、まっすぐだったり、様々に見えながら、すべてあなたへと導かれる道なのです」

聴衆は深く心を動かされ、たちまち数千の人々が立ち上がって拍手が沸き起こりました。全ての聴衆がこの宗教の調和のメッセージを辛抱強く待っていたかのようでした。
インドの名もなき若き僧侶は、一晩にして著名人になりました。シカゴの街には等身大の肖像画が貼られ、新聞にスピーチが掲載されました。またインドの雑誌や新聞にもその活躍が紹介され、祖国の人々の心を誇りで満たしました。

誰一人知り合いがいない異国の地で、目的である宗教会議の参加の見通しが立たず、所持金も足りない八方塞がりの中で、ヴィヴェーカーナンダが頼れるものは本当に神だけだったと思います。その信仰を胸に行動し続ける中で導きがあり、宗教会議への参加が叶うことになりました。この信仰と行動力は、目的に向かって歩むときの理想的な姿を示してくださっていると思いました。ヴィヴェーカーナンダほどの大きな仕事や困難な状況ではなくても、あらゆる状況の中で模範にできるものだと思います。

引用・参考文献:『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯』

サルヴァーニー


ヨーガとインド神話

私は、マハーヨーギー・ミッションのバクティ・ヨーガのクラス「バクティ・サンガム」で、キールタンを歌ったり、インド神話や神々について学んだりする中で、自然とインドの神々に親しみを感じるようになりました。

また、機関紙『パラマハンサ』に長年連載されていた『バーガヴァタ・プラーナ』の記事を読み続けるうちに、「インド神話って本当に面白い!」と強く感じるようになっていきました。

私たち日本人には、古くから「八百万の神」という多神的な感覚が生活に根づいています。多くのユニークな神々が登場するインド神話に、どこか懐かしさや馴染みやすさを感じるのも、そうした文化的背景があるからかもしれません。

ヨーガは特定の宗教に属するものではありませんが、そのルーツはヒンドゥー教と同じく古代インドの叡智にあります。そのため、ヨーガの教えとヒンドゥー教の聖典や神話には、重なり合う部分が多く見られるようです。

こうした背景などを少し知ったうえでヨーガの実践者として神話にふれると、最初は知らない神様に戸惑ったり、荒唐無稽な作り話のように感じられた物語が、次第に知的な理解を超えて、心に深く響いてくるようになりました。

インドの女神信仰の聖典に『デーヴィー・マーハートミャ(女神の素晴らしさ)』というものがあります。

この書籍に『デーヴィー・マーハートミャ』が収録。

この聖典は、女神の誕生からアスラ族(悪魔)との壮絶な戦い、そして女神が完全勝利を収めるまでの大スペクタクルな物語と、女神への賛歌から成っています。
インドの女神は、最も優しく美しい存在でありながら、この宇宙のすべてを生み出しすべてを飲み込むエネルギーそのものであり、宇宙最強で最恐(?!)でもあります!

どれほど最強かというと、宇宙の創造主ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマー、インドラをはじめとする、あまたの神々から放たれた神の光のエネルギーが一つに集結して誕生したのが女神ドゥルガーなのです。その上、それぞれの神々から、特別な神の武器を贈られ、完全武装した女神となります。その想像を絶する強大な威力を持った女神がひとたび雄叫びをあげると、「全世界が震撼し、海は波立ち、大地は震え、山々が揺れ動いた」と語られるほどのスケールです!

しかし、そんな女神にさえ対抗する力を持っているアスラたちは、倒しても倒しても、しぶとく次々とわいてきます。ついには大憤怒したドゥルガー女神から、より強力なカーリー女神が生まれ、最後にはアスラの王が倒されるのです。

さて、この聖典についての解釈はさまざまあると思いますが、私自身が読み終えた時に、最も印象深く胸に迫ってくるのは、「人間の無知」の象徴とされるアスラの、なんとしつこいことか…ということです。
そして、それをあの手この手で何とか滅ぼそうと戦ってくれる女神や神々の、なんと偉大で慈悲深いことかという思いです。

ヨーガでは、私たち一人ひとりが神の顕れだと教えられています。そう考えると、この壮絶な戦いは、私たち自身の「無知」との心の闘いでもあると思います。

女神とアスラとのあまりにも凄まじい戦いを思うと、気が遠くなりそうですが、物語の最後に描かれているのは「勝利」です!
私にとって『デーヴィー・マハートミャ』は、女神のように猛々しく、そして勝利するまであきらめずに、自分の中の無知と闘い続ける勇気をもらえる、そんな神話であり、聖典です。

それほど長いものではありませんので、もしよければぜひ一度読んでみてください!

(参考文献/平凡社東洋文庫『ヒンドゥー教の聖典 二篇  ギータ・ゴーヴィンダ/デーヴィー・マハートミャ』)

シャルミニー


上映会と弟子のサットサンガ

7月13日はリーラー・ヨーガ・スタジオでの初めての上映会と弟子のサットサンガ(真理の集い)が開催されました。外は厳しい暑さでしたが、スタジオの中に入るとひんやりと澄んだような空気に包まれ、火照った身体が癒されます。たくさんの弟子が新しいスタジオに集い、まずは2019年5月に行なわれた松山でのサットサンガの上映から始まりました。

映像が始まるとみんなの集中は画面へと注がれます。その集中感に包まれ、スタジオと画面の映像が一つになるような感覚になっていき、画面に映された松山のスタジオの中に自分もいるような不思議な感覚になりました。師が着座され、会場の人たち一人一人に笑顔を向け優しい眼差しを注がれているのを見るだけで胸がいっぱいになりました。

松山でのサットサンガでは実践に基づく問答が活発に行なわれていました。終わってから松山の兄弟弟子に話を聞くと、この時のサットサンガの数年前から兄弟子が京都から松山へ通い種を蒔かれていたこと、師が2016年から毎年松山を訪れサットサンガを開催されていたことを聞きました。それまでの流れがあり、師の教えに対する真摯な歩みが参加者の方々の質問に現れていたように思います。身振り手振りを加えながら質問にお答えする師のお姿がとても印象的でした。

識別を行なう際には、正しい物差しをもってこなければならない。自分の心の中だけでやってしまっては、その肝心の物差し自体が伸縮自在になって融通が利きすぎて、心の思いに引っ張られていってしまいますから、そこでは絶対性をもった尺度、物差しを必要とします。それが聖典を学ぶとか真理を学ぶとかいうことになるわけです」

「真理は学ばなければならないです。本当に一番大事なのは真実、真理を知ることなのですけれど、どういうわけか、これはどこにいっても教えてくれないのです、学校でも職場でも、あるいは社会においても。だからこそ探し求めて、この真理を見つけ出す。そうすることによって、心は楽に自立という状態をつくることができます。ヨーガはその真理を教えながら、さらには体や呼吸をそれにふさわしいようにつくり変えていくことができる」

シュリー・マハーヨーギー

私も今まで生きてきた中で、変わることのない確かなもの、真理、真実を教えてくれたのは師を除いて誰もいませんでした。たった一つの真実を教え、それに至るまでの道を示し、悩みや迷い、苦しみの全てを受け止め、解決するための答えを与え、導き続けてくださった師は、正に現代に顕れたブッダだったのだと改めて思いました。正しい物差しを与え、それに沿わせて思いと行為を正していくように教え励ましてくださる師のお姿は、映像を通して初めて師のお姿を見た方にも言葉を超えた存在としてしっかりと伝わっていたようです。

上映が終わったあとに紹介された、当時参加していた方の現在のお話には「ヨギさんからいただく教えは、心に刻まれ日常に浸透していくことを深く実感しました」「もう迷うことなくヨーガの本当の目的に向かって進んでいきます」といった力強い言葉がありました。

後半はパラマハンサ会員向けの弟子のサットサンガが行なわれ、活動報告や今後のミッションの展開についての話がありました。

いよいよ今年の師の御聖誕日からマハーヨーギー・ミッション50周年yearが始まります。新しいスタジオができ、大きく広がっていきそうな勢いのまま、50周年を素晴らしいものにできますよう私も精進していきたいと思います。

アーリヤー


アーサナの秘儀 ――師が確認された古の道――Raja Yogaを終えて

5月に1年間続いた「アーサナの秘儀――師が確認された古の道――Raja Yoga」のクラスが終わりました。この1年間、一つ一つのアーサナのポーズの作り方のポイントや効果など、教わったことを家やクラスで実践しては質問する。また、他の方の質問に対するアドバイスを聞いて、自分も実践してみるということを繰り返し、正にアーサナと共に駆け抜けた1年間でした。


毎日アーサナをしていたので、できている!と思っていたことが実は全然できていなかったということがありました。ハラ・アーサナ(鋤の形)は手で背中を支えて、と教えられますが、私は手に全く力が入っていなくて、ただ背中に添えていただけでした。意識して背中をしっかり手で支えると、もっと遠くまで足を伸ばしていけることに気付いた時には、今までなぜ気付かなかったのか、と本当に驚きました。
また、サルヴァンガ・アーサナ(肩立ちの形)で、パドマを組んで頭の方に倒そうとした時に、講師の方が背中を一押ししてくださいました。その一押しは自分では今まで行くはずがないと思っていた限界を超えたところまで、ぐいっと背中が倒れていきました。「あっ、いった!」と思った瞬間に体の中が熱くなり、心がすっきりして何か付いていたものが取れたような感覚、壁みたいなものが剥がれ落ちて自然にいろいろなものが流れ始めた感覚がありました。自分でも気付かないうちに作っていた限界や苦しみから解き放たれたようでした。

気付きや学びをいただき、改めて一つ一つのアーサナに集中して、丁寧に意識して作っていくことで、アーサナ全体への集中感が増しました。その集中は瞑想へと繋がり、日常でも心が安定していました。そしてアーサナの大切さや信頼が深まり、自分を信じる強さが生まれたように思います。
このような変化は、クラスのみんなが感じられたことだと思います。

後半に設けられたサットサンガ(霊的問答)では、回数を重ねるごとに「できないと思っていたことができるようになりました!」という感想が増えて、その度にみんなで喜び合いました。ヨギさんから教わったアーサナを正しく理解したいという同じ思いで、真剣に学び、質問し、その質問に対し講師のシャンティーマイーさんが真摯にアドバイスをくださったことで、学びが深まっていきました。そして最終回では、みんながこれからの実践への期待と喜びに満ち溢れた顔になっていました。今、クラスを終えて、本当に貴重な機会だったと思います。これからの実践に生かし、精進していきます!

桜井みき桜井みき


『マハーヨーギーの真理のことば』 ~ヨーガは万人に開かれた道

「ヨーガは万人に開かれた道です。無一物として出家して励むという道もあれば、在家として家庭を持ち、仕事をしながらヨーガを深めるという道もあります。男も女も、誰もが実現できます。徳のある家に生まれる方もいれば、貧しい家に生まれる方もいます。でも、そのような条件は関係ありません。あくまでも内面の問題です」

『マハーヨーギーの真理のことば』 第四章 ヨーガの道

「真理・真実」は誰の中にもあります。そして、それは生まれることも死ぬこともない、永遠の存在であるとヨーガでは教えられています。その「真理・真実」を探求する道であるヨーガが、一部の限られた人だけのもののはずがありません。

シュリー・マハーヨーギーに出会った頃、私は既婚者で、毎日、子育てや家事に追われる普通の主婦でした。でも、心の底から「この世界の真実を知りたい!」と渇望していました。

ご縁があってマハーヨーギー・ミッションの扉を叩き、自分の思いをシュリー・マハーヨーギーに打ち明けたところ、師は心から温かく迎え入れてくださり、たくさんの弟子たちとまったく同じようにヨーガの教えを真剣に説き、私が正しくヨーガの道を歩めるよう導いて下さいました。

ヨーガの道を歩むのに、資格も才能もいりません。性別も年齢も関係ありません。どのように学び、進んでいくのかも、すべて自分の自由意志です。
そして、学ぶ方法や実践のアドバイスは、古代から続く教えの中に数えきれないほど示されています。

ヨーガに出会って、自分のこの人生がかけがえのない価値あるものになりました!
もし、少しでもヨーガに興味があるなら、ぜひ一歩を踏み出してみてください。
きっと、あなたの人生にもかけがえのない光が差し込んでくると思います!

シャルミニー


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ③

1886年、最愛の師シュリー・ラーマクリシュナ御入滅の後、ナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)と数人の若い弟子たちは、ボラノゴルに家を借りて共同生活を行ないました。

ある時全員でボラノゴルを離れてアントプルの村で数日を過ごしました。ヒンドゥ教の習わしに従って焚き火を囲んで瞑想をしていた時、頭上には星が瞬き、静寂を破るのははじける薪の音だけでした。ナレンドラは突然目を開くと、師の如き情熱をもって、キリストの生涯を兄弟弟子に語り始めました。「枕する場所」がなかったキリストのように生きることを説き、熱意に燃える彼らは、神と聖なる火を証人として出家を誓いました。

ボラノゴルに戻ると、食事を忘れて、瞑想、礼拝、研究、信仰の歌に没頭しました。各自が2枚の腰布を持っていましたが、他に外出時に必要な着物は皆が交代で着ました。様々な国の歴史や哲学体系を共に学び、議論して、疑問が生じた時には、師の教えという光に照らすことで解決されていきました。

やがて彼らは、神への明け渡し、無執着、内なる沈着を身につけようと、杖と托鉢の椀以外は一切持たないサードゥの生活に焦がれ始めます。ナレンドラもまた、孤独の平安に浸ることを願っていました。他者に自分に頼らないこと教えると同時に、自分の内なる強さを試したいとも思いました。初期の放浪は、仲間に請われると戻らなくてはならなかったため一時的なものでしたが、ついに1890年、杖と椀だけを手にしたナレンドラは、名もなきものとして広大なインドに旅立ちました。

インドを遍歴する中で、ナレンドラはあらゆる人々と交わりました。統治者、地主、神職者、そしてそういった権力者の不徳な気まぐれの犠牲にされている大衆の惨状を知りました。インドの民衆が貧困を極めているのを目の当たりにして、人々の苦しみがナレンドラの繊細な心を痛めました。こうした状況にあって自分の義務とは何か?神と交流すべく隠遁すべきなのか?と何度も自問しました。しかし、その神は人間を通して現れることを確信し、神への奉仕はインドの人々をもって始めなければならないと感じていました。

ボラノゴルから始まり雪を頂いたヒマラヤを経て、インド最南端に至る旅の終わりにコモリン岬に辿り着いたナレンドラは、鮫が生息する海を泳いで小島に渡ると、岩の上に座りました。自分の目で見てきたことを思い出し、自分の義務を自問しました。苦行と自己抑制によって、偉大な霊性の力が蓄えられ、心は東洋と西洋の智慧に溢れていました。今こそこうした力のすべてを人の内なる神への奉仕のために使わねばならない、と結論しました。

しかしどのようになされるべきなのか? 岩の上で一人沈黙の思いに沈んでいたナレンドラにヴィジョンが示されます。それはアメリカの新大陸でした。人々の心が階級という重荷から自由な国、限りない可能性に恵まれた国。感受性の高いアメリカ人に、インド古代の智慧を授け、それと引き換えに科学技術の知識を母国に持ち帰ろう。アメリカでの伝道に成功すれば、インドの国威を西洋に高めるばかりでなく、自国の人々にも新しい自信が養われるだろう、と思いました。

来たるシカゴ宗教会議でインドを代表するように友人から熱心な要請を受けたことを思い出し、渡米を決めます。ボンベイからアメリカへ向けて出港したのは1893年、ヴィヴェーカーナンダは29歳でした。

ヴィヴェーカーナンダが遍歴した路(みち)を辿ってみたいと思い、イラストに描きました。遍歴を通じてインドの現状を目の当たりにし、あらゆる人々と交わることで、ヴィヴェーカーナンダの心はインドと一つになったのだと感じました。インドの苦しみは彼自身の苦しみとなり、この後人々への救済と奉仕に人生を捧げられたのだと思います。

サルヴァーニー


ガンディーからキング牧師へと引き継がれた非暴力の精神

キング牧師は、1950~60年代、人種差別が色濃く残るアメリカにおいて、非暴力主義による公民権運動を行い、公民権法成立へと導いた人です。

1963年ワシントン行進の際に演説を行うキング牧師 写真中央

私は夢を持っています。それは私の四人の小さな子供たちが皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国にすむことができるようになるだろうという夢です。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 271ページ)

キング牧師の「I Have a Dream」の演説を聞くと、感動して胸が熱くなります。
その言葉は慈愛にあふれています。

キング牧師はインド独立の父、マハトマ・ガンディーのサティヤーグラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)にインスパイヤされ、政治活動を行いました。そして、1959年にはインドに一カ月滞在し、主要な都市や、ガンディーが活動した地を巡りました。慰霊碑に花を手向け、塩の行進の出発点を訪れ、ガンディーの精神に触れる旅となりました。ガンディーへの尊敬の思いをこのように述べています。

彼(ガンディー)は生存中にエゴ(意識的自我)とイド(本能的自我)の間の深淵に架橋をなしとげていた。ガンディーは驚くべき自己批判能力を持っていた。(中略)
ガンディーは必要な時にはいつでも自己批判をした。間違いを犯した時にはいつでも、公の場で告白した。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 154ページ)

私は、ガンディーの自伝を読んだ時、ガンディーが少年時代、自分が犯してしまった罪を父親に告白し、それを涙ながらに父親が赦し、人を赦す愛を教えられたエピソードにとても感動したことを思い出しました。

そして、私がキング牧師のインド滞在の記録の中で最も驚き、感動したことは、インド最南端の聖地、コモリン岬を訪れた時のエピソードです。キング牧師は、太陽が海に沈み、月が昇る美しい光景を見て、このように述べています。

太陽が完全に視界から去る時、暗闇が大地を飲み込んでしまう。だがその時東にはのぼってくる月の光が最高度に輝いていたのである。私はこれは世界中で最も美しい場所の一つだと言った(中略)
神はあらゆる暗闇を通してかがやくことができる光を、持っておられるのである。われわれには昼間の光が消えて暗い、寂しい真夜中に取り残されてしまうような経験――つまりわれわれの最高の希望が絶望の修羅場にかわるような、あるいは自分が悲劇的な不正義とか恐るべき搾取の犠牲者になるような経験がある。このような時にはわれわれの精神は、憂鬱さとか絶望感に覆われてしまい、どこにも光はないと感じてしまう。だがいつでもわれわれが東をみるならば、そこには暗闇の中に輝く一つの光があることに、気がつくのである。そして「挫折の槍」は「光の矢」に変わるのである。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 153~154ページ)

コモリン岬はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)がアメリカへ行くヴィジョンを授かった聖なる場所です。ガンディーはスワーミージーの「ラージャ・ヨーガ」を読み、導きを受けていたそうです。スワーミージーがインドの人々の救済を誓ったコモリン岬で、キング牧師が人種差別撤回への誓いを立てたことは、二人の間に見えない繋がりがあったと感じます。私は、「真理は、時代や場所を超えて伝わる」と思いました。

私もキング牧師が夢見たように、人々が差別や争いをせず、心穏やかに暮らす世界を願っています。そのために、万人に平等に在る真我を実現するヨーガの教えを十分に理解し、次の世代へとそれを伝えていきたいと強く思います。その誓いを実現するため、日々精進してまいります。

レン


瞑想ワークショップ「アートに瞑想しよう!」in 松山市

先日、2日間にわたって開催された愛媛県松山市のヨーガ・サーラ・スタジオでの「アートに瞑想しよう!」は両日共にたくさんの方にご参加いただきました。
まるで美術館のように作品が飾られた空間は、静かで穏やかな雰囲気と作品ひとつひとつから溢れる神聖さで満たされていました。


会の最初に与えられた個人で自由に作品を見て感じる時間は、参加者全員が食い入るように作品に見入る姿がありました。


そして、その後ゴーパーラさんが話された作者であるヨギさんの紹介や作品が描かれたきっかけ、作品にまつわるエピソードには、笑ったり、驚いたり、圧倒されたりしながら、皆が耳を傾けました。


そしていよいよ各自が魅かれた作品の前に座って20分ほど瞑想です。今回、私は『如意輪観音』に瞑想しました。その理由はお姿が師に似ていて、立膝をついている理由が「必要な時すぐに動けるように」と会の中で知ったこと、また私には手が何本もあるように見えて、それは何か知りたいなぁと思ったからでした。瞑想で感じたことは、その手は、すべての人々を救済していました。

如意輪観音 1984年

会の終盤、それぞれの作品に瞑想し、感じたり体験したことを5人の仲間が話してくれました。その内容は聞いている私たちを鼓舞し、気づきを与えてくれる素晴らしいものでした。その中で私にとって印象的だったのは、如意輪観音ではない別の作品について話しているにもかかわらず「救済」という言葉と共に同じように感じた方がいたことでした。それを聞き、ヨギさんのすべての作品は『人々を救済するため』に描かれたと直観し、ヨギさんの偉大な役割と働きを改めて感じ、心が平伏しました。

5人のスピーカーの1人、笹沼さん。「アーディナート(原初の師ーシヴァ)とシャクティ」に瞑想した体験談をお話されました。

今回、思いがけずヨーガに興味を持ち、ワークショップに参加してくださった職場の同僚は、「色が綺麗だなぁ」という理由で瞑想する絵を決めました。瞑想初体験後、帰宅してからの連絡で「肩の力が抜けて、リラックスできた。そのおかげで今直面している出来事に適切な判断ができた」と喜んでいました。そして2日後、職場で会った彼女は晴れやかな表情と共に「自分を縛っていたのは自分だったと気づいた」と自分の中に起こった変化について話してくれました。彼女の感想は、ヨギさんがすべての人を救済しているという事実となって、私の中に大きな歓びを残しました。

ヨギさんが残された真理への道を指し示すものは、アーサナや書籍、アート作品だけにとどまらず、お写真、映像、Tシャツやバック、さまざまな形となっています。もっともっとたくさんの人に届けて、触れていただけますように。もっともっと松山での活動が広がっていきますように。改めて、その活動を支えていこうと誓う機会となりました。
最後に、このワークショップに参加してくださった皆様、企画や準備、運営にかかわってくださったすべての皆様、本当にありがとうございました!

山口正美