ヨーガーナンダ」カテゴリーアーカイブ

“至福に浸る聖女” アーナンダマイー・マー

『あるヨギの自叙伝』で、ベンガルの“至福に浸る聖女”として紹介されているアーナンダマイー・マーは、1896年4月30日に、東ベンガルで生まれました。

「私は、このかりそめの肉体を自分として意識したことは一度もございません。この地上に生まれる前も同じでした。子供のころも、私は同じでした。成長して女になっても、私は同じでした。(中略)今後、神様のおつくりになったいろいろなものが永遠の舞台の上で、私の周囲を踊りながらどんなに移り変わって行っても、私はやはり同じでございましょう」

『あるヨギの自叙伝』P472

グルは一人もおらず、聖典なども全く知らなかったにもかかわらず、『あるヨギの自叙伝』に載っているこの言葉に表されるように、アーナンダマイー・マーの生涯は一貫して本質と一つでした。36歳頃からは、家を持たず、旅を続けていて、一カ所にわずか二、三日、多くても二、三週間留まるのみという生活をされました。いっさいの執着を棄てて、心のすべての思いを神に捧げました。個人的な好き嫌い、熱望や反感、努力や葛藤、恐れや怒りが全く無く、自我意識と見なされるようなものを表わさず、神の意思・意図と解釈されるケヤーラと呼ぶものに従って行動されました。

至福に浸ると形容されるアーナンダマイー・マーですが、私はその生涯に触れて印象に残ったのは、放棄です。生活面や物質的な放棄はさることながら、心の放棄が完成されていました。常に神の意思・意図に従って行動され、通常の原因と結果の過程に左右されない完全に自由な状態だったからこそ、その目は片時も神から離れなかったのだと思います。

アーナンダマイー・マーの心の放棄を見倣うためにはどうしたらいいでしょうか。その質問の答えが残されています。

「失われることのない彼を思いなさい。彼だけを瞑想しなさい。彼、すなわち美徳の源泉である者を。彼に祈り、彼に頼りなさい。ジャパと瞑想に、もっと時間を割くようにしなさい。彼の御足の下に、あなたの心を明け渡しなさい。ジャパと瞑想を、途切れることなく持続させるよう努めなさい」

『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』P154

 

絵:アーナンダマイー・マーとヒマラヤ山

1927年アーナンダマイー・マーと側近たちは、ヒマラヤのリシケシとハルドワールにある神聖な巡礼の地を訪れました。その後も北インド全体を常に歩き回り、宗教的な祝祭、キールタンとサットサンガが行われたそうです。

サルヴァーニー


グルデーヴァ!【番外編】―『あるヨギの自叙伝』より―

「お前は、どうして団体的な仕事をきらうのだね?」

パラマハンサ・ヨーガーナンダが、師であるスリ・ユクテスワからこう問い掛けられました。
【前編】【後編】←はこちらから。)
現在では広く世界に知れ渡っている偉大な聖者ヨーガーナンダですが、師に出会って僧侶となり修行に励んでいた20代半ば頃は、「団体や組織などというものは蜂の巣のようにうるさいものだとしか考えていなかった」といいます。
冒頭の師からの質問に対してヨーガーナンダは、「私は図星を指されて一瞬面食らった」とあります。それを読んだ読者の私もまた、この鋭い質問にはドキッと面食らいました。私も同じように考えていたところがあったからです。

さて話を戻します。
ヨーガーナンダは師に言いました。
「先生、団体の運営なんて面倒な思いをするだけで割に合いません。先に立つ者は、何かをすればしたで、また、しなければしないで、文句を付けられるだけですから」
厳しい眼差しでスリ・ユクテスワは仰います。

お前は、神の甘露を独占していたいのかね?

もし、寛大な心をもった大師たちが、進んでその知識を分け与えてくれなかったら、お前にしても、だれにしても、ヨガによる神との交わりを実現することはできなかっただろう

神を蜂蜜とすれば、それを分かち合うための団体は巣箱のようなものだ。どちらも必要なものだ。もちろん中身がなければ、箱だけつくっても意味がないが、お前はもう十分な霊的甘露をたくわえている。そろそろ巣箱の建設に取り掛かるべきだと思わないかね?

師の助言はヨーガーナンダを深く動かしました、「そうだ、私は今まで先生のもとで学んできた人間解放の真理を、できるだけ多くの人々に分かち与えなければならない!」。
そして、ヨーガーナンダは、以前から抱いてきた理想――青少年に正しい人間教育を施す――を実現するため、学校を設立しようと決心し、ベンガルの田舎で7人の子供たちの教育をすることから始めました。

このエピソードを読んだとき私は、団体や組織がなぜ必要なのか?その理由をこれまで考えたこともなく、ただ拒否反応を示してきただけだったことに気付かされ、スリ・ユクテスワのお言葉を聞いて、本当だ・・・と、もう返す言葉もないと思いました。ブッダの教えや、ラーマクリシュナの教えにしても、やはりその巣箱であるサンガ(修行者の集まり)や団体があったからこそ、今、私たちがその教えに触れることができているのかもしれないと思いました。

パラマハンサ・ヨーガーナンダのSRFと言えば、世界規模の大きな団体というイメージが私にはあり、さらに学校を設立・・・なんて聞くと、もう行為の規模が大きすぎて、自分とはかけ離れた偉業を成された大聖者!そのイメージだけが先行しがちでした。しかし、学校を設立されたのも、まず初めの小さな一歩があったことを見逃してはいけなかったのです。

『あるヨギの自叙伝』には、ヨーガーナンダの前に進むがための葛藤や、困難と誠実に向き合い努力された軌跡や、そしてそういう時に切実に神を純粋に求め、決して諦めずに神の声を頼りに歩を進められたこと、それらが散りばめられているように感じます。ヨーガの道は決して平たんではないことを誰よりも分かっておられるからこそ、さまざまなエピソードを、ユーモアを交えながら時には赤裸々に記してくださっているように私は思えます。記し、遺すことによって、後に続く者たちを励まし、鼓舞し、また今も一歩先で先導してくださっていると思います。

晩年の1940年~1950年頃のことが書かれている章に(※初版には書かれていない内容もあります。)今日の時代においては、ヨーガの学習にも、時代に即応した新しい方法が必要であり、さもなければ、この人間解放の科学は、再び少数の選ばれた人だけのものとなってしまう、ということが書かれていて、「だれもが、完全な英知をそなえた真の聖師(グル)を身近にもつことができたら、たしかにそれに越したことはない」とあります。しかし、現実的には大勢の人間に対してわずかな聖者しかいないので、大多数の人々にヨーガの恩恵を分かち与える必要性について触れられていました。

ヨーガーナンダはまさに自叙伝という形でそれを成されたのだと私は思いました。未来の人たちのために、胸のうちの最も神聖なババジとの出来事までを公開してくださっていますが、他の弟子たちは、伝記によって大師がかえって小人化されたり、誤り伝えられたりしないかと懸念したりして、自分たちの胸の中の不滅の師として大切にしまっておくことに満足していたそうです。そんななかで、ヨーガーナンダは、大師たちの存在を明かしてくださったのです。
周りの人が反対してくる中で、独り信念を貫くのは、並大抵の困難さではないと思います。ヨーガーナンダは、自分の自叙伝として遺されたことで、本当に人生全てを人類に、神に、捧げられたのだと思いました。

多くの人と、このヨーガの叡智を分かち合うために、今の私が自分に置き換えて自分ごととして考えるならば、私たちが師から学んでいることを例えば現代ならではのオンラインでのクラスやSNSなども活用して分かち合うこと、また『マハーヨーギーの真理のことば』を様々な媒体を使って多くの人へお届けする方法を一人一人が積極的に考えることもそれに繋がると思いました。行為の大きさではなくて、教えを一つでも自分が確実に生き、それを隣の人へ行為すること、それが届けるということの初めの一歩の始まりなのだと思いました。
師がお伝えくださっている古から続く真のヨーガを、大師たちが分け与えてくださったこのヨーガの叡智を、決して自分たちのところだけで留めませんように!

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ヨーガーナンダ

 

ナリニー  


聖者の息吹を感じる! 春の祝祭

今年は例年よりも桜の開花が早いですね。 
すでに満開を迎えたところ、これから開花を迎えるところ、様々な場所で、春の喜びを感じられていることと思います。 

そんな中、マハーヨーギー・ミッションでは、2023年4月2日に春の祝祭「サナータナ・ダルマ・アヴァターラ・メーラ ー神性示現大祭ー」が開催されます。

2017年に始まったこの祝祭は、永遠の真理を完全に体現された神の化身、アヴァターラに感謝と歓びを捧げる祭典です。 

これまでブッダやシュリー・ラーマクリシュナなど、偉大なる大師たちの生き様に迫ってきました。 
最初はこの祝祭がどんな会になるのか想像がつきませんでしたが、ブッダをテーマに取り上げた祝祭で、その意味がはっきりと分かりました。 
ブッダについて名前やどのような生涯だったかは知っていても、どこか遠い存在だったのが、グルバイたちの祝辞を聞く中で、ブッダの息吹を感じ、その人となりに触れることができたのです。 
会場にはグルバイの熱気が充満していて、この上ない歓びで胸がいっぱいになった感覚は、今もはっきりと覚えています。 

2021年からはオンラインでの開催となりましたが、画面を通して各地と繋がることで、離れた場所にいても歓びのひと時を共に過ごせるありがたさを感じています。 

今年の春の祝祭で取り上げる聖者は、パラマハンサ・ヨーガーナンダ。 
ヨーガーナンダの、子供のような純粋さで熱心に神を求めていく姿からは、素直さと揺るぎない信仰心を感じます。 Snatana Dharma Avatara Mela

ヨーガーナンダはどんな人であったか。 
グルバイたちが様々な視点で迫ったヨーガーナンダを知ることができる祝祭はもうすぐ。とても楽しみです! 

 ハルシャニー  


グルデーヴァ! 【後編】―『あるヨギの自叙伝』よりー

前編(→前編の記事)では、ヨーガーナンダが真正の師、スリ・ユクテスワにめぐり会い、厳しくも愛ある薫陶を受け、師の下で生涯の最良の十年間を過ごしたこと、そしてそのすべてはババジ、神の導き、計画であったことに触れました。『あるヨギの自叙伝』に貫かれているものは、ヨーガーナンダの大師への敬愛と、また大師の完璧なる導きだと感じました。
なかでも私が最も感銘を受けたのは、数世紀にも渡って今も生きておられ(!)「唯一の隠れた力である創造主のように、地味に目立たぬように働いておられる」というババジの教えです。


ヒマラヤの山中を少数の弟子たちと移動されているババジの一団の下に、ある時一人の男が現れて、崖の上の岩棚によじ登って言った「大師よ、あなたは偉大なババジに違いありません」。男の顔は言いようもない崇敬の念で輝いていた。
「私はここ幾月もあなたを捜し求めて、このけわしい岩山をあちこちさまよい歩きました。お願いでございます。私をお弟子に加えてくださいませ」
ババジは何の返事もなさらなかった。すると男は、はるか下の岩の裂け目を指して言った「もし受け入れていただけなければ、私はここから飛び降りて死んでしまいます。大師の、霊のご指導を受けることができないなら、私はもう生きていても無意味でございます」。

「では飛び降りるがよい」ババジは冷然とお答えになった「私はお前を、今のままでは弟子にすることはできない」。
男は崖下めがけて身を投げた。ぼう然とこのありさまを見ていた弟子たちに、ババジは男の死体を取ってくるように命じられ、見るも無残な男の死体の上に手を置かれた。すると、男はパッと目を開いてババジの足もとにひれ伏した。
「これでお前は、私の弟子になる資格ができた」ババジは死から甦った弟子をにこやかに見ながら仰った「お前は勇敢にも、この厳しい試練に打ち勝った。死はもう二度とお前を見舞うことはないだろう。今こそお前は、われわれ不滅の仲間の一員になったのだ」

※もし男が飛び降りることに躊躇したら、ババジの導きなしに生き長らえることは無意味だと言った言葉が嘘であったことになり、また、師に対する完全な信頼に欠けていたことを暴露することになる。それゆえ、この試験は、思い切った異常な手段ではあったが、この場合完全な試験方法だった。


目まぐるしい毎日の中で、いくつかの壁があるように思えて私が混乱していた時、このババジの言葉が突き刺さりました。
私はお前を、今のままでは弟子にすることはできない

・・・ヨーガは実践。師であるヨギさんと燦然たる大師たちの凛々しいお顔が浮かび、ヨーガの道を進むために導いてくださっていることを感じ、壁があるならぶつかっていこう、と思いました。砕けるのは、エゴであり、真の自己は決して砕けない。だから恐れずに、当たって砕ければいいと思いました。
ヨーガーナンダは、古から伝えられてきた真理、神を悟るための道を、先達に続き世界へ具体的な形で伝えられましたが、それは時空を超えたババジの導きであることが、はっきりと本の中に開示されています。師の言葉、神の導きを完全に信頼し、まっしぐらに突き進んだヨーガーナンダは、勇敢に壁にもぶつかり崖下へも躊躇なく飛び降りたと私には思えます。これこそが生涯を懸けた大事業、ヨーガなのだと思いました。

今回、久しぶりに一から読み返した『あるヨギの自叙伝』。ヨーガーナンダの溢れる愛とユーモアに、泣いたり笑ったりしながら一気に読み終え、ヨーガーナンダの聖なる魂の息吹が、颯爽と駆け抜けていったようでした。
時空を超えた大いなる導きに、感謝を捧げます。
グルデーヴァ!!!

ヨギの自叙伝カバー

1946年、初版のブックカバーの写真

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ナリニー  


グルデーヴァ! 【前編】―『あるヨギの自叙伝』よりー

真実の師の存在がなければヨーガの道は一歩も進めないことを、私は『あるヨギの自叙伝』を通してパラマハンサ・ヨーガーナンダから教わりました。インドでは生涯をかけて師を探すと言われています。

少年時代から霊的探求心の深かったヨーガーナンダは、師を求めて聖者、賢者を訪ね歩き、青年になると家を飛び出し僧院に入ります。17歳の時、導かれるように行った外出先の狭い小路で、ついに真正の師、スリ・ユクテスワとめぐり会いました。スリ・ユクテスワのその神々しい顔は、ヨーガーナンダが何百回となく幻に見た顔。狭い小路で、じっとヨーガーナンダを見つめていたスリ・ユクテスワのもとへ、ヨーガーナンダは急いで駆け寄り、足もとにひざまづきます。「グルデーヴァ!(尊い先生!)」それ以上、言葉を発することができず、もう言葉は必要なく、沈黙のうちに二人の心は溶け合いました。

実は師の僧院とヨーガーナンダの実家は近い距離だったのですが、過去に師の姿を見たこともなく、このめぐり会いはそれぞれの外出先でのことでした。ヨーガーナンダは念の入った神の演出ぶりに驚いたといいます。ところが彼は、その後、師から家族のもとに帰りなさいと言われるも、霊的生活を求めるあまり「私は家には絶対に帰りません」と言います。師は仰いました「お前が安易な気持ちで私の弟子になるのを認めるわけにはゆかない。私の弟子には、私の厳格な訓練に対する絶対服従が要求されるからだ」。すぐに弟子になることが叶わなくなったヨーガーナンダは、奇跡的なめぐり会いがどうしてこのようなちぐはぐな結末に終わってしまったのか・・・と夜道を歩いて帰ります。しかし数日後、結果的には実家へと帰ることとなり、そこで家族との問題を円満解決してから、一カ月後に師の下で霊的訓練を受ける環境が与えられたのでした。
まさに師は、弟子が解消すべき問題や義務を果たしてからヨーガの道に邁進できるように、大切に弟子の人生を完璧に導かれていることを私は感じました。一見、遠回りに思えることでも実はそれが近道なのだと。

師に自分の心理的ひずみを取り除いてもらう不屈の決意をしていたヨーガーナンダは、その時のことを「私の慢心を打ちくだくために加えられた先生の容赦ない叱責のむちに今でもはかり知れない感謝をいだいている。先生はまるで虫歯を一つ一つ探し出しては強引に引き抜くように、私の欠点を取り除かれた。執拗な自己中心主義の根は、このような手荒な手段でなければなかなか根絶することはできない。この根が取り除かれてはじめて、神は人間の中に自由な通路を見いだすのである」と記されています。スリ・ユクテスワからは「もし私に叱言を言われるのが嫌になったら、いつでも出ていきなさい」「私はお前の進歩だけを期待している。お前がここに居てためになると思ったらとどまっていなさい」と厳しくも愛ある薫陶を受けていました。

私は、大先輩から聞いた「師は弟子を導くために存在されている」という言葉を思い出します。弟子の身に起こることは自己中心主義の根を取り除くための師からの導き。師は弟子にとっての障害を取り除き、道をスムーズにしてくださっているのです。そして欠点を取り除くその過程こそが実践。教わったことを実地で行動し実践してこそヨーガと言えることをヨーガーナンダが今、本を通して教えてくれます。

ヨーガーナンダが、師と過ごした日々のことを「生涯の最良の十年間を過ごした」と表現されている一文に、彼の師への言葉にならない思いを感じて胸が熱くなります。読んでいくと、ヨーガーナンダと師スリ・ユクテスワの、またスリ・ユクテスワの師のラヒリ・マハサヤの、そのまたさらに師のマハー・アヴァターラ・ババジの、それぞれの大師たちと弟子との純粋な愛の物語に触れると同時に、今もその続きが繰り返されている・・・と思わずにはいられません。ヨーガは本当に師から弟子へと直伝されてきた宝なのです。

ヨーガーナンダはババジとスリ・ユクテスワからの命である西洋にヨーガを伝えるという聖なる責任を果たされましたが、それは決して生易しい仕事ではなかったといいます。後年、その仕事に対してやりがいがあったかどうか?という質問に対して「主の試練を受ける者は幸いです。主は、ときおり私を思い出されては、私に重荷を背負わされました」と答えられ、そして続けられます「しかし、私の答えは断じて『イエス』です。東洋と西洋が永遠の霊的絆によって互いに固く結ばれてゆくのを見るとき、私はこの仕事がはるかにやりがいのある仕事であったことを痛感します」。
どんな事も神から与えられたものと信じ委ねるヨーガーナンダの純粋な信仰心、そして主の仕事の歩みを絶対に止めずに推進していく強さに感服します。その源にあるのは師の存在・・・師と弟子との特別な絆について、ヨーガーナンダから私は教えていただきました。
(後編につづく)

大師たち

(左から)マハー・アヴァターラ・ババジ ラヒリ・マハサヤ スリ・ユクテスワ

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ナリニー  


パラマハンサ・ヨーガーナンダ 御聖誕日

皆様、明けましておめでとうございます🌅
このお正月はいかがお過ごしでしたか?
私は3年ぶりに帰省して、久しぶりに家族や親戚と楽しい時間を過ごし、慶びをもって新年を迎えることができました🎍

さてこの2023年ですが、『あるヨギの自叙伝』で有名なパラマハンサ・ヨーガーナンダ(1893年ー1952年)の御聖誕130周年にあたります!!


『あるヨギの自叙伝』は私も大好きな聖典で、読む度に新しい発見と驚きがあり、時には全身が歓びで満たされます。
この本の中では、ヨーガーナンダがサマーディを初めて体験するシーンがあり、その境地が次の言葉でもって記されています。

「神の霊は尽きることのない至福だ!」

この至福のサマーディを愛弟子に与えた師スリ・ユクテスワは、「神は常に新鮮なよろこびだ。それはたえず湧き出る泉のように、常に新しく尽きることがない」と述べ、この永遠の至福を体験することはかけがえのないことで、神を知ったことに他ならないことをヨーガーナンダに伝えています。

そして本日の1月5日はヨーガーナンダの御聖誕日です!!
新春の慶びとともに、この吉祥なる日に「常に新鮮なよろこび」で満たされる1年にしたいと私自身感じております!!

私たちマハーヨーギー・ミッションでは、4月に開催予定の春の祝祭でヨーガーナンダを取り上げ、「古から続く永遠の道」をテーマに、グルの存在の尊さや稀有さを今一度思い起こし、またヨーガーナンダの行動の源にあった熱情・覚悟に迫っていきます。
ブログの方でも、今年は『あるヨギの自叙伝』、そして昨年11月に出版された『マハーヨーギーの真理のことば』、その素晴らしい聖典について積極的に発信していきたいと思っています。

真理のことばに浴し、実践して、神の歓びを全身に感じ発散する1年にしていきましょう!!
皆様、今年1年もどうぞよろしくお願い致します🙏

ゴーパーラ


カーリーをもっと近くに!

初めてカーリー・マーのお姿を目にしたとき、「これが神様なの?しかも母なの?」と心の隅で思ったように記憶しています。それほど強烈なヴィジュアルの持ち主ですが、彼女を慕うようになって数年経った今感じているのは、私にとって彼女は、大きくて穏やかで、慈しみと愛情に満ちた、まさに母そのものだということです。

『あるヨギの自叙伝』の中に、パラマハンサ・ヨーガーナンダとマスター・マハサヤとのエピソードが出てきます。その章ではマスター・マハサヤが聖母様と絶えず交流されている様子が描かれています。聖母様がカーリーであるとは書かれていないのですが、そこに記された宇宙の母についての一節がとても好きで、その描写を読むと私は、カーリーのことを思い浮かべずにはいられなくなります。そして彼女の底知れぬ愛を感じて、何とも言えない安心感とあたたかい気持ちに包まれます。

「天の母に子供のような心で近づいて行った歴代の信仰者たちは、彼女が常に自分と遊んでくれていることを証言している。マスター・マハサヤの生涯においても、聖母様が、事の大小に関係なく彼と戯れておられる情景がしばしば見られた。神の目には、大事も小事もないのである。もし神が、原子をあのように精巧に造られなかったならば、大空もあの壮大な天体の構成を誇ることはできなかったであろう。神は、この宇宙が一本のねじくぎの緩みのためにくずれ去るようなことのないように、どんなささいな事にも等しく心を注いでおられるのである。」

『あるヨギの自叙伝』P84より引用

私がどんな存在であるかは全く関係なく、彼女に無条件に愛されてここに存在しているということを知りました。カーリーが常にすべての存在に対して愛情を注いでおられるから、今のこの瞬間も宇宙が保たれています。どんな存在も、等しく彼女が世話をしている子供です。母親に見守られて無邪気に遊ぶ子供のように、カーリーが展開し、維持しているこの世界で私も、生まれてきた歓び・生きる歓びを存分に味わいたいと思っています。

そして、かつての聖者たちが彼女と交流してきたように、私も彼女と本当に話してみたいと思っています。それが叶った時には、何を話そう、どんなことを聞いてみよう、どんなお声で答えてくださるのかな?なんてことを想像してはワクワクしています。最も近しい母なのだから、実現できないはずがない!と思っています。

もっともっと彼女に親しんで近づきたいと思い、あるものを作りました。それは粘土で作ったマスコットです。かなりデフォルメしているし、お見せできるほどの出来栄えでもないのですが(と言いつつ堂々と写真を載せています…!)、私にとってはかわいいカーリーです。

デリケートな素材だったため、ニスを塗って持ち歩けるようにしました。

なぜマスコットなのかというと、幼いころの自分を思い出したからです。よく、お気に入りのキーホルダーや小さな人形を肌身離さず持ち歩き、それが本当に命のある友達のように思って、心の中で話しかけたり一緒に遊んだり、いろんな経験を共有したりしていました。その時と同じように、神様とも親しみを込めてふれあい、常に一緒にいることを忘れずにいたいなぁと思い、自作してみました。

これから、この小さなカーリーがいつもそばにいてくれると思うだけで、私の心は喜びでいっぱいになります。彼女とどんな時間を過ごせるのか、とても楽しみです!

大森みさと


『あるヨギの自叙伝』を読んで(11)ーースリ・ユクテスワ

本日5月10日は、ヨーガーナンダのグル(師)のスリ・ユクテスワ(1855ー1936)の御聖誕日です。
今回のブログでは、彼について少し触れてみたいと思います。


THE 教師とでも言いましょうか、とても威厳に満ちた面構え……もし彼と街ですれ違って目が合ったら、「すっ、すいません!」と私は思わず言ってしまいそうです……
実際、彼は相当厳しいお方だったようで、若きの日のヨーガーナンダは始終叱られっぱなしで、ユクテスワの「自我を打ち砕く鉄槌」は本当に耐え難いものだったと語っています。

少し話は変わりますが、私は幼い頃、祖父母と過ごしている時、ふとある疑問が湧きました。
「じいちゃんとばあちゃんは僕にとても優しいのに、なぜお父さんとお母さんは厳しいのか?」
その理由を母に尋ねると、「親は子供を育てる責任があるから」と言われ、子供ながら妙に納得したのを覚えています。
ユクテスワがヨーガーナンダに厳しかったのも、霊性の息子であるヨーガーナンダを育てる責任があったからだと思います。事実、ユクテスワはババジから来たる将来、西洋にヨーガを普及させる人間(ヨーガーナンダ)を仕込むことを命じられていました。このババジから与えられた使命は、相当な重責だったと察します。しかしユクテスワにはヨーガーナンダへの無上の愛があり、それはヨーガーナンダを育て、そして今やその愛は『あるヨギの自叙伝』を通して世界中に伝播しています!
私は『あるヨギの自叙伝』の中でいちばん好きなのは、「ムクンダ(ヨーガーナンダの出家前の名)」「先生!」という呼び合いです。この名前の呼び合いから私は、叱っても叱られてもそこに絶えずあったグルと弟子との愛と尊敬を感じずにはいられないのです。

1935年冬至祭の行進における2人。中央に掲げられたプラカードのサンスクリットは、上段が「偉大な先達に従え」、下段がシャンカラの言葉で「少しでも聖者と交われば、救いを受けることができる」ーー『あるヨギの自叙伝』より引用

私は今回、スリ・ユクテスワの名前を心の中で唱えながら彼に瞑想すると、『ヨーガ・スートラ』の一文が浮かび上がってきました。

イーシュワラは時の限定を受けないから、古代のグルたちさえものグルである。

彼のあらわれた言葉は、オームである。

名が体を表すように、ユクテスワ(イーシュワラと一致せる者)はグルの中のグルーー
そして、そこから聴こえてきたオームの響きは、フルートのような優しい音色でした。

スリ・ユクテスワーー外見はコワモテですが、内面はとても優しいバクタであったと感じます。
もし今、彼と街ですれ違っても、私は「すっ、すいません!」と言ってしまうことはないでしょう。(たぶん……😅)

1998年5月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。すごい迫力!!!

✳︎スリ・ユクテスワ(1855年5月10日ー1936年3月9日) 大師ラーヒリー・マハーシャヤの高弟で、パラマハンサ・ヨーガーナンダの師。ヴェーダとキリスト教との同一真義を見い出し、ヨーガーナンダをして西洋にヨーガを布教せしめた。

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(10)ーーアーナンダマイー・マー

今回のブログは、ベンガルの“至福に浸る聖女”アーナンダマイー・マーをご紹介します。

中央がアーナンダマイー・マー。向かって左が夫のボーラナート。

ある意味、『あるヨギの自叙伝』の中でもっともインパクトのある写真だと思います(笑)。アーナンダマイー・マーはヨーガーナンダを見るなり、「まぁ、パパ様! ようこそおいでくださいました」といかにも懐かしそうにそう言ってヨーガーナンダに密着し、その突然の行動に彼女の信者たちも驚愕したそうです。この写真はその初対面の時に撮られたもの……
こんなに自由で愛らしい彼女とは、いったいどんな御方だったのでしょうか?

アーナンダマイー・マー(1896−1982)は東ベンガル(現バングラデシュ)の小さな村の出身。両親はヴィシュヌ派の熱心な信仰者でしたが裕福な家庭状況ではなく、彼女は小学校に2年も満たないほどしか通えませんでした。しかしながらそこに暗い影はなく、ハーシ・マー(微笑みの母)、クシール・マー(幸せの母)と近所の人から呼ばれるほど彼女は朗らかで愛らしい気質でした。ただ、幼い頃からしばしば恍惚の状態になっているのを目撃されています。
当時の習慣に従い、13歳に満たない年で結婚します。その5年後に夫と初めて会い、後に夫はアーナンダマイー・マーの弟子になります。
彼女御自身にはグルはおらず、内なる導きのまま毎夜激しいアーサナをし、マントラを数時間唱え、また自らで自らをイニシエーション(師が弟子の入門を許可するときの儀式。秘法の伝授)するなど、通常では考えられない霊性の歩みをしています。彼女のこうした内なる導きは「ケヤーラ」という自然発生的行動、また神の御意志と言われているものです。ヨーガーナンダと初めて会った時の無為自然な振る舞いも、このケヤーラということですね。

その後、アーナンダマイー・マーの存在は世間に知られるようになり、カーストや宗教、国籍を越えて多くの人々を至福へと導き、霊的祝福を与え続けました。
政治的なことをはじめ、自身の肉体的なことなど全く意に介さなかった超俗性の持ち主ですが、それが単なる浮世離れではないことは彼女の残された教えから明らかです。その教えに触れると、「人としてどう生きるべきなのか?」という人間のもっとも根本的なことに立ち還る必要性に気付かされるのです。

「多くの人々が、新しいよりよい世界をつくることをいろいろ考えています。しかしあなた方は、そういう現象的なことよりも、もっと根本的なものに目を向けなさい。それを瞑想するほうが、完全な平和を期待することができます。神や真理を求めることこそ、人間の義務です」
『あるヨギの自叙伝』P474

義務を意味するサンスクリット語「ダルマ」には正義、徳がありますが、「真理」という意味もあります。社会や国という環境下において義務や正義、善行を果たすことはもちろん大切ですが、そういった枠組みを外したありのままの人としての義務ーー「普遍の真理(神)の探求・実践」こそ、恵みに満ちた神の御足下(地上)に生まれ生かされている人間の根源的義務であると彼女は教えてくれます。そして、その義務を行為していくことは決して堅苦しいものではなく、何より人に完全な平和ーー「永遠の至福」をもたらしてくれることを彼女の微笑みが物語っています。

『あるヨギの自叙伝』の中でヨーガーナンダは、アーナンダマイー・マーの目が片時も神から離れていないことに驚いたと述べています。そして今なお、彼女の甘美な声がありありと聞こえてくると述懐しています。

「ほら、永遠なるおかたといっしょの私は、いつも同じでございます」

4月30日はアーナンダマイー・マーの御聖誕日です。至福の母であり女神であられる彼女に思いを馳せたいと思います。

*参考資料 『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』アレクサンダー・リプスキ著

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(9)ーーブラザー・ローレンス

ブラザー・ローレンスという聖者をご存知でしょうか?
『あるヨギの自叙伝』に、彼のことがほんの少しだけ紹介されています。

「17世紀のキリスト教徒の神秘家であったブラザー・ローレンスは、自分が初めて神の直接認識の境地をかいま見たのは一本の木を眺めているときであったと語っている。人はみな木を見ているが、木を見て木の造り主まで見た人はまれであろう」

たったこれだけの紹介でしたが、私は不思議とこの聖者に惹かれて、彼について調べてみました。
すると、「修道院の調理場や靴修理という身分の低い仕事をしながら、常に神と共にあった」ということが書かれていました。
私はそれを知った時、「私も仕事をしながらどんな時でもヨーガ(神)の境地に留まりたいのだ! 彼がどのような実践をして生涯を送ったのか、もっと知りたい!」と強く感じ、彼の談話と書簡が収められた聖典『敬虔な生涯』をすぐに購入しました。


100ページほどの聖典でしたが、ブラザー・ローレンスの素朴な言葉で語られる神への純粋な信仰に、私はただただ胸を打たれました。
以下、その彼の言葉を抜粋して紹介します。

「私たちが疑いの中にあるときにも、私たちが神をあがめ、神への愛をもって行動するという以外に何の野心も持っていないなら、神は必ず光を与えて下さいます。私たちの聖化は、私たちがすることを変えることによるのではなく、ふつう私たちが自分のためにしていることを、神のためにすることによるのです。多くの人々が、ある特定のことをしなければならないという思いに駆られつつも、さまざまな思い込みによってなすために、結局は不完全なことしかできず、それも、きまって手段を目的ととりちがえているのは悲しむべきことです。私の発見した神に近づく最上の方法は、神に従う生活の中で与えられた普通の仕事を、私たちのうちにひそむ人間的な要素から遠ざけつつ、できる限りを尽くして純粋に神を愛するために行なうことです」

「私たちの務めはただ神を知ることです。神を深く知れば知るほど、ますます神を知りたいという飢え渇きを覚えるものです」

「もし神が私を一瞬たりとも見放されるなら、私ほど哀れな者はありません。でも神は決して私を見放されないお方であることをよく知っています。私には信仰によって肌に感じるほどに強い確信があります。それは、私たちが神を捨てないかぎり、神が私たちをお見捨てになることは決してないということです。私たちは神と共にある者となりましょう。神と共に生き、また死ぬ者でありましょう」

神のご臨在と確信に満ちたブラザー・ローレンスの信仰心がありありと感じられる、なんと力強い言葉でしょうか!
私はこの『敬虔な生涯』を何度も読みましたが、その度に新しい発見と新鮮な歓びに満たされるのです。

では、ブラザー・ローレンスがどんな生涯を送ったのか、彼の言葉を軸に少し紹介したいと思います。

ブラザー・ローレンスは1614年にフランスで生まれ、キリスト教信者であった両親に育てられます。軍職に身を投じたローレンスでしたが21歳の時に負傷し、その時から神に身を捧げることを考えるようになります。正確な年代は不明ですが、おそらくこの頃に神の直接認識の境地を体験したようです。彼自身はこの体験を次のように振り返っています。

「ある冬の日、私は落葉して見るかげもない一本の木を見ながら、やがて春が来ると、その木に芽が出て、花が咲き、実を結ぶ……、と思いめぐらしているうちに、いと高き神の摂理と力とを魂にはっきりと映され、深く刻みつけられました。そしてこの世のことはすっかり心から消え去りました。この恵みを受けてから、もう40年たちますが、その時ほど、神への愛を強く感じたことはないと言えるかもしれません」

26歳の時、パリのカルメル会に助修士として入会し、その2年後に修道誓願を立てます。ローレンスは「自らを全く神に捧げ、神への愛ゆえに、神とかかわりのないものはすべて捨てる決意を固めた」のです。ただ、最初の10年は辛い時期を過ごします。苦手な台所の仕事を与えられ、仲間が彼を修道院から追い出そうとしたり、また内的な葛藤が彼を苦しめます。「自分が願っているように神のものとなっていないかという心配」、「いつでも目の前をちらちらする過去の罪」、また「神のいつくしみ」までもが嘆きの源であり(※神が与えてくれるもの、それは神そのものではないと拒んでしまう)、人間も理性も神すらも対抗しているように感じられるのでした。しかし、ローレンスはつまずき倒れてはすぐにまた立ち上がるという、「一度も神から離れたことのない者のように神の臨在を思う訓練」を繰り返し続けます。神への信仰だけが彼の側にあり、苦しめば苦しむほどますますその信仰が増し加わっていき、ついにその魂は神と結ばれる日がやってきます。

「私はさまざまな悩みと思い煩いで一生を終えるしかないと考えていた時、突如として私は、自分が変えられたことに気づきました。その時までずっと悩みの淵におかれていた私の魂は、奥深くに内なる安らぎを味わいました。それからは、単純に信仰により、謙遜と愛をもって神の御前に働くことができるようになり、神を悲しませるようなことは一つとして考えたり、言ったりしないようにしています」

ローレンスがこのように聖化されたのは神の愛はもちろんのこと、神以外のことを放棄する決意と不断の実践、その賜物だということは明らかです。
その後ローレンスは常に神のご臨在の中で生きることになりますが、彼の言葉を借りれば、それは「王よりも幸福な気持ち」であったそうです。

「私は神への愛ゆえに、フライパンの小さなオムレツをうらがえします。それが終わって、何もすることがなければ、私は床にふして私の神を礼拝し、オムレツを作る恵みを与えて下さったことを感謝し、それから、王よりも幸福な気持ちで立ち上がります。他に何もすることができない時、神への愛のためには、一本のわらを拾い上げることでも十分です。人々はどのようにして神を愛するかと学ぶ方法をさがしています。その人たちは、私の知らないいろいろな実際的方法を実行することによって、神への愛を得たいと願っています。さまざまな手段によって神の臨在の下に留まろうと苦労しています。それよりも、すべてのことを神を愛する愛のためになし、生活の必要の中ですべき自分のあらゆる務めを通して、その愛を神に示し、神と心を通わせることによって自分の内に神の臨在を保つことの方がもっと近道ではないでしょうか。複雑なことは何もありません。率直に、単純に、それに向かって行きさえすればいいのです」

さらに驚くことに、ローレンスは病の苦痛が最も烈しいときでさえ、一瞬たりとも辛そうな様子は見せず、喜びに溢れていたそうです。「痛みはないのですか?」と見舞いに来た修道会のメンバーが思わず尋ねると、「すいません。痛みはあるのです。わきが痛いのです。でも魂は満たされています」と答えるのでした。
そして最後に次の言葉を残し、ローレンスは神の身許へ召されたのでした。

「私は今、永遠になしつづけることをしています。神を誉め、賛美し、礼拝し、心を尽くして神を愛しています。他の何ものにも心を煩わされないで、神を礼拝し、神を愛すること、これが私たちのなすべき仕事のすべてですよ。兄弟たち」

私は今回、『あるヨギの自叙伝』を通して本当に素晴らしい聖者にお会いできたと実感しています。
宗教的偏見などは全くありませんでしたが、ブラザー・ローレンスによって初めて、私はキリスト教の信仰がすごく身近に感じられました。
またバクティ・ヨーガでは「神の御名を唱え、ただ神を愛する」ということが説かれていますが、バクティ(神への信愛)の思いもまた同時に身近に感じられました。

私の師であるシュリー・マハーヨーギーはよく次の言葉を言われます。

「愛とは捧げること、自らを他者の幸せのために与えることです」

ブラザー・ローレンスのように日々の生活の中で常に神を礼拝し、愛し、そして他者に奉仕することをしていきたいと私は今、強く思っています。

ローレンスの死後、霊的低迷期の時代にあって宝石のように光を放つ彼の生き方に深い感銘を受けていた修道院長のヨセフ・ド・ボーフォールが彼の談話と書簡を集め、本にまとめます。彼の存在はフランスでは忘れ去られますが、イギリスの地で本の出版が少しずつ重ねられ、世に知られることになったそうです。そして、ヒンドゥ教の多くの修行者もローレンスの本を読んで非常に感嘆しているという報告もあるそうです。こちらの本には、そのことが触れられています。

ゴーパーラ