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『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 生きる秘訣

師シュリー・マハーヨーギーと出会って、私は生きることがとても楽になりました。
師は「生きる秘訣」を教えてくださいます。

生きていると様々な人に出会いますが、もし気の合わない人や嫌いな人がいたら、どう接しますか?
できるだけ関わらない(冷たい態度)、嫌いな点を指摘する、悪口を言う、良い所を探す、嫌いな人ほど優しくするetc
いろんな接し方や処世術があるかもしれませんが、師は秘訣として「無視すること」を教えます。
それは単に相手を無視することではなく、「相手の表面性や自らの思いを無視して、本質だけを見る」ということを説かれます。

私の秘訣はね、そういうものに取り合わないこと。無視する。気の合わない人だけを無視するのではなくて、気の合う人があったとしても無視する。両方を無視する。つまり表面的なカルマみたいな心の様子というものは気にしないこと。それでいて、どのような人であってもその本質は不異(おなじ)であるというーー魂とか本体は同じ、違いはない。違うのはその魂を包んでいるような心、これがただみんな色合いが違うだけだということを知っているから、疲れない。だからどのような人であっても、気が合うとか合わないとかいうことを感じたとしても、そのことを忘れるようにして、その人の本質だけを見るようにして接すればいいと思う。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 生きる秘訣 P 51

私自身、この教えを知ってすぐに目から鱗が落ちたかと言えば、そうではありませんでした。
生きていく中で、ちょっとした誤解や嫌悪感からいざこざになり、もうこの人はあかん、合わない、嫌いだと思うことが何度かありました。
でも多くの方たちはそんな後でも、あとぐされなく私に接してくれて、私自身すごく救われた感覚が何度もありました。
そういった経験をする中で、師の教え–––決め付けや一時の好き嫌いの感情に執らわれない、つまりそれらを無視して本質だけを見ていくことが自分にとっても相手にとっても、さらには周囲の人にとっても平安や調和がもたらされると感じるようになっていきました。

好きも嫌いも、過去の未練も未来の不安も、二元的なことは全て忘れて、誰もの中に在る一なる尊い本質だけを見て、師のように強く凛として生きていきたいと願います。

ゴーパーラ


「真理のことば」を拠り所として瞑想する

先日のブログで報告されたとおり、9月に東京で瞑想ワークショップを開催しました。
『マハーヨーギーの真理のことば』から厳選された24のことばの見出しをみて、その日のインスピレーションに従って気になる見出しをひとつ選び、そのことばを書き写し、しおりをつくり、そのことばに瞑想しました。

京都で行われた「ヨーガの一日」でしおりを作ったとき、「このしおりと共に、真理のことばを東京の皆さんにも届けたい!」と感じ、京都のグルバイの協力を得て、東京の国分寺クラスを担当するハルシャニーとともに企画。今回はクラス参加者など7名の方が参加してくださいました(とっても楽しかったです~)。

24のことば…、これは500以上ある『マハーヨーギーの真理のことば』の見出しから、京都のグルバイが「お守りのように大切にできることば」を厳選してくれたものです。
それぞれが選んだ真理のことばが素敵なしおりとなり、皆さんの拠り所となって瞑想する姿はとてもとても美しかった…!!
と同時に、京都のグルバイたちの献身に深く感謝しました。

今回欠席となった方もおられるので、次回ワークショップのネタバレにならないように、一部ですが見出しのことばをご紹介しますね。

「解決法は自分の中にある」
「永遠の幸せ」
「真理・真実在」
「他者のために行為する」
「自立自存」
「真の愛」
「ブッダその人のハートに集中する」
「大胆に覚悟し覚醒する」
「真理は不滅」  and more …

この日選んだことばは、その時の皆さんにぴったりと寄り添うことばであったに違いありません。だからこそ、そのことばに瞑想する姿は美しく、集中感あるものになったのだと思います。

真理とは、「永遠に変わらないもの」。一方、私たちの心は毎日、いや一瞬一瞬で変わるもの。その時の状況によって、選ぶことばが変わることもあるでしょう。

『マハーヨーギーの真理のことば』におさめられている500以上の真理のことばが、ひとつでも多く皆さんに届くといいなと思い、次回のワークショップを企画します。インスタにてご案内しますので、ぜひチェックしてくださいね。


ちなみに、私が京都のしおりづくりで選んだことばはこちらです。私がヨーガをライフワークとするなか、目標としていることが書いてありました。

「歓喜だけが在る」

それだけが在り、それによってこの宇宙が生まれ、万物が生まれ、それはただ、ただ歓ぶために、歓びを分かち合うために、それを味わいたい、ただ、それだけのために在る。
それを知って、それになり、それを生きる。それが全て。一つ一つの呼吸から微細な細胞に至るまで、全行為がそれの顕れ。智慧や愛もそのためにある。その歓びのためにある。
愛そのものになったなら、誰が愛を知ろうか。そこに在るのはただ歓喜だけ。それがそれの正体、それの本質。それだけが在ります。

 一日も早く、それだけになりますようにと願い、今日も一日頑張ります!

ターリカー


弟子と師の絆

『あるヨギの自叙伝』で、パラマハンサ・ヨーガーナンダと師のスワミ・スリ・ユクテスワが初めて出会う場面はとても感動します。二人は運命の絆で結ばれていました。

「尊い先生!(グルデーヴァ!)」
「おお、わが子よ、とうとう来たか!」
わが師は、この言葉をベンガル語で何度もくり返した。その声は喜びに震えていた。
「何と長い年月、お前の来るのを待ったことだろう!」
あとはもう言葉など必要はなかった。沈黙のうちに、二人の心は溶け合った。無言の雄弁が声なき聖歌をかなでながら、師の心から弟子の心に流れ込んだ。

『あるヨギの自叙伝』p. 102

左:スワミ・スリ・ユクテスワ 右:パラマハンサ・ヨーガーナンダ

スワミ・スリ・ユクテスワは、著書『聖なる科学』の中で、弟子と師の出会いについてこう述べています。

人はいつサット・グル(聖師)にめぐり会えるか

真剣な求道者が一定の進鏡(ルビ:しんきょう)に達すると、このような聖者にめぐり会う恩恵が与えられる。その人は、サット・グル(真理への道案内、救い主)として、求道者を霊的に導いてくれる。このような聖者の導きに忠実に従うことによって、求道者は、自分の全感覚器官の働きを、それらの共通の中枢であるスシュムナドワーラ(内なる世界への入り口)に集中することができるようになる。

『聖なる科学』p. 23

私は2019年の夏頃、師シュリー・マハーヨーギーと初めてお会いしました。師は、会って間もない私に対して、最大限の優しさをもって、導きを与えてくださいました。当時抱えていた仕事の悩みの原因について、分かりやすい言葉で説明し、真の自分(アートマン)を知ることが一番重要な仕事であると教えてくださいました。また、仕事の手を抜くのではなく、精度を上げ、効率化するのがよい、それによって色々進めやすくなっていくだろう、という具体的なアドバイスまで頂きました。その後、師の導きに従ってヨーガの修行を続けてきました。五年が経ち、気が付くと仕事の悩みは解消され、円満な暮らしを送っています。大変有難いことです。

師は弟子と師についてこのようにおっしゃっています。

真理を学ぶこと、内的な、あるいは外的な無私の行為、瞑想、これらを欠かさないこと。尊い存在に対する敬愛を深めること。そうしたことによって、弟子はいつかは誰かの弟子から、誰かの師と呼び名が変わるでしょう。弟子というのも師というのも、一つの段階の呼び名にすぎません。在るのは、名のない、名付けようのない真実の存在だけです。それが弟子の全てです。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章 p. 531

師への感謝を忘れることなく、真の自己の実現に向けてヨーガの修行を続け、いつか師のような優しい人間になれたらと思います。

島本 廉


【京都】11/3 瞑想ワークショップ開催‼️

ようやく秋らしい気候になってきましたが、紅葉が深まり始める11月3日(日)に瞑想ワークショップを開催させていだきます‼️

瞑想ワークショップ
テーマは「芸術に秘められた真理に瞑想する」です。
今回は、師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの生家でその芸術作品を鑑賞し、瞑想するというたいへん貴重な機会になっております。
シュリー・マハーヨーギーは、ヨーガのみならず芸術にも精通し、その卓越した直観で仏画や書を残されています。

機関紙『パラマハンサ』の表紙を飾った師の作品。 「アーディナート(原初の師ーシヴァ)とシャクティ」(左)・「如意輪観音」(右)。 今回のワークショップで展示される。

以前にシュリー・マハーヨーギーは「本来、仏画は僧侶でないと描いてはいけない」とおっしゃったことがありました。
ブッダの時代やその後の数百年は、ブッダの存在があまりにも尊いので、その姿形が描かれることはありませんでした。
しかし時代が経るにつれ、さまざまな仏や菩薩が絵や像で表現されることになり、文字や言葉だけではなく具体的イメージをもってブッダに思いを馳せることができるようになりました。
仏や菩薩を描くことは神聖な行為であり、純粋な精神でもって為され完成し、見る者の心を浄らかにします。

皆さま、ぜひこの機会に、ヨーガを成就されたシュリー・マハーヨーギーの芸術作品に触れ、静寂や歓喜、真実の存在を味わっていただけたらと思います。
ちょっと固い案内になりましたが(笑)、どなたでもご参加できますので、少しでもご興味がありましたら、どうぞお申し込みください😇

詳細はこちらになります💁「瞑想WS〜芸術に秘められた真理に瞑想する〜」

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』〜弱音を吐いてはいけない  

2022年の11月に新刊『マハーヨーギーの真理のことば』の目次がアップされました。
嬉しくて何度も目次を読み返しました。すると目次を読んだだけなのに、心が強くなる感覚がありました。そのように感じた項目のひとつが「弱音を吐いてはいけない」です。

家族がいる環境の中でヨーガの実践の難しさを訴えた修行者に対して、師は次のように答えられました。

真剣に求めているならば、絶対に弱音を吐いてはいけない。どんな事柄、状況に対しても弱音を吐いてはいけない。状況がどうであれ、そんなことには関係がないと、義務は義務として果たしておく。だけど二十四時間義務が付いて回っているということはないと思うし、義務を離れた時には、真実だけを求めて、他のことには一切無関心になること。その強さは必要。絶対に言い訳はしてはいけない。

――第八章222ページ

ここを読むたびに鼓舞された私は、この実践を徹底的にやっていこう!と心に決めました。
私は仕事(ヨーガのワークス)や家庭における場面で心が動きそうになると、瞬時に師が「絶対に弱音を吐いてはいけない。絶対に言い訳をしてはいけない」と仰っている想像をして、心の中で師の教えに必死でしがみつき、弱音が出てくる前に吹き飛ばす練習をしています。
もう一方で心身が疲れてくると弱音が出そうになるので、思いっきりアホになって「私は今起きたばかり!」とエネルギーに満ち溢れた感覚を思い出し、余計なことは考えないで最後までやり遂げることを心掛けています。以前は「今日はあれもこれもしないといけない」と考えるだけで心が疲れていたのですが、「今起きた!」と強く思うことで過去や未来を気にすることなく目の前のことだけに向き合う力が湧いてきます。
このような訓練によって心が強くなり、やるべきこととやりたいことが一致して、心が満ち足りた状態になっていくのです。

徹底して実践し、弱音に対して毅然として、最高の歓びに向かって突き進んでいきたいです!

アーナンディー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑩

今回は、『Paramahamsa』No.86の表紙絵を紹介させていただきます。
冊子のイラストは実際にはモノクロですが、ヨギさんが選んでくださった書体がとても素敵なので、表紙デザインをご覧ください。

この絵は、ガルダに乗ったヴィシュヌ神とラクシュミー神妃です。
ヴィシュヌ神がラクシュミー神妃を抱きかかえるようにしてガルダに乗り、弓に矢をつがえているシーンはよく見ますが、神に抱かれながら、自らの煩悩を撃ち落としたい、強い意志をもちたいというイメージで、ともに弓を持つシーンを描いてみました。
放つ矢に当たって落ちていくのは「煩悩くん」です。

7月といえば、ヨギさんはニューヨークに行かれていることが多くありました。
そうやって離れてみることで、ヨギさんが京都いてくださることで私たちは守られていたのだと感じることが多くありました。しかしそれと同時に、矛盾しているかもしれませんが、離れていることで、常に一緒にいてくださる安心感があり、そしていつも導いてくださっているのだという強い思いにも満たされるのでした。
離れていると感じるのは心であり、実は、今この瞬間も私たちは神に支えられ、力を与えられているのだと思います。それを忘れることなく、真実の道を歩み続けていけますように。

シャチー


ヨーガ・瞑想 西宮北口クラス

2017年より始まった西宮北口クラス。
このクラスは、通常は2、3人、多い時で5人ほどが集まる少人数のクラスで、その内のお二人は女性で、初めてご参加いただいてから1〜2年ほどになります。

今日のブログでは、そのお一人である森澤さんの、いくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

ヨーガは初めてに近かったと思うから、最初はクラスでアーサナをするだけでも精一杯だったと思います。そんな中、家で毎日アーサナをすることは、誰もにとって難関の一つになったりしますよね。森澤さんもそのお一人だったのではないかと思います。
けれどもしばらく経った後、森澤さんは家でアーサナをした後に私にメッセージをくださるようになったのです。「メッセージを送ることで毎日続けていく励みになる」とおっしゃっていたのですが、それは私にとっても、とてもありがたいことでした。頑張って続けていこうと思ってくださることもとても嬉しいことでしたし、加えて、アーサナをした時に感じたことや、クラスでお話ししたことへの感想も一緒に送ってくださり、次のクラスへと繋げることができたからです。

そうしてアーサナにも慣れた頃から、アーサナ以外のヨーガの教えにも少しずつ触れていただくようになりました。ただ初めて聞く真理の教えに、森澤さんの頭の周りに???が飛んでいるのが目に見えて分かる時もありました。
それでも「アーサナを続けていくことで教えを理解していくことができるようになる」という師の教えをお伝えし、今はアーサナを続けていきましょう、とそんなお話をしたこともあります。

1年も経った頃だったでしょうか、とても嬉しいことがありました。
彼女はマラソンをされているのですが、ある大会でとても成績がよかったことをお話しくださいました。そして、その結果には「最初は呼吸が関係しているのかと思ったけれど、よく考えると、余計なことを考えることなく最後まで集中して走れたからではないか、それはヨーガの効果だと思う」とお伝えくださったのです。

そしてその後の4月、MYMの春のキャンペーンで、本を少し安く購入していただけることを皆さんにご案内した時のことです。『さまらさの台所』は購入を決めていますが、他に何を読んだらいいですか?と森澤さんが尋ねてくださいました。実際に見ていただいて一番読みやすそうなものを選ばれたらいいのでは?と手に取っていただいた後、森澤さんが選ばれたのは『ヨーガの福音』でした。きっとその時、何かしっくりくるものがあったのでしょう。

その次のクラス、森澤さんのアーサナが変わりました。
というのは、これまでクラスに来てアーサナをすると、足がつって続けられないということが何回かありました。家でするとそんなこともないらしく、クラスではかなり頑張ってしまわれるからだと思いますが、『ヨーガの福音』を購入されたあの日も、足がつってしまい、アーサナを続けられなくなったのです。その分、ヨーガの話をたっぷりとできた良い時間にはなりましたが、アーサナに関しては不完全燃焼!と残念に思っておられたようです。

そうして迎えた次のクラス、この日は、足がつることもなくアーサナを終えることができました。今日はつりませんでしたね、とお声かけすると、「これまでは、アーサナの柔軟性を高めようとして頑張ってしまっていたけれど、『ヨーガの福音』を読んで、アーサナをすることへの目的意識が変わり、力を抜いてできたからだと思う」とのこと。そして「『心と体は自分ではない』という教えなどが、スッと心の中に入ってきた。『ヨーガの福音』は何度も何度も読んでいきたい本だと思った」とおっしゃいました。

今、森澤さんは、自分が習っているヨーガがどんなものかもっと知ってみたくなった!と、軽やかに、熱心に通ってくださっています。

真理を体得された師のお言葉は、誰もの心の奥に届き、変革をもたらすものだと、それを改めて実感できた出来事の数々でした。
こうして真理の教えを残してくださった師のお働きに、深く感謝を捧げます。

***

西宮北口クラスは、毎月第1、3木曜日に続けています。
お近くの皆さま、ぜひご参加ください!

シャチー


MYM48周年記念【書籍・物販セール】残り10日です!

MYM48周年記念セールも、あと残り10日となりました! ご好評につき、おかげさまで売り切れてしまったものもありますが、皆さま、チェックはお済みでしょうか?
今日は、松山からキャンペーンセールのレポートをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

★★★

今回のキャンペーンをきっかけに、松山では『真実を求めて』を多くの方が手に取ってくださっています。
この聖典は2015年の春に出版されました。当時、京都の先輩サーナンダさんが松山瞑想特別クラスの際に少しでも早く届けたいと、バスに乗って大量の『真実を求めて』を運んでくださいました。その夜、私は感謝しながらも夜遅くなっていたので、少しだけ読んでみようと本を開いたのですが、気が付いたら一気に読み終えて感動と歓びに満たされました。

最近、購入してくださったのはヨーガを始めて1年くらいの方や、発売当時は本までは必要ないと思っていたけれど、タイミング良く欲しくなったという皆さまです。ミラバイさんは語り芝居やキールタンのイベント開催のため、2011年以降、松山に何度も足を運んでくださっています。プロローグの次のページの写真が双海の海岸(愛媛県)で撮影されたものなので、松山の皆さんは、そのページを開くと「わ~!双海!?いい写真ですね!」と自然に笑顔になります。

本の内容は手記とヨーガの教えの2部構成になっていて、まず目次からおもしろいのです。抜粋してご紹介すると、

なりたいものがない!
インドに行く!
インドあきらめる
OLになってみる
瞑想ってヨーガなの?
お腹いっぱい食べたらあかん
愚痴が減る
私は何がしたい?

と、読みやすそうな項目が並んでいて、文字も大きく、1つの項目も数ページと短くて、テンポがいいので、自然に引き込まれます。また馴染みにくいヨーガの専門的な言葉を同じ項目の最後のページですぐに解説してもらえるので、ヨーガへの初歩的な疑問が解消されます。

先日クラスの最後に『真実を求めて』の中から「愚痴が減る」の項目をご紹介した時、参加者の方が「私がこうなりたいという理想が書かれていました」と目を輝かせて本を買ってくださいました。そこではミラバイさんがアーサナを毎日すると決めたと同時に「黙る」と決めたこと、職場で仕事上必要最低限のこと以外は話さず、愚痴を言うのをやめる実践を続けるうちに、ある日、自分の中から職場や社長への不満が全く湧き上がらなくなった、まるで映画のワンシーンを見ているように自分の思いが切り離された、という内容が書かれています。

第一部の手記を読んで、もっと知りたいと思ったいいタイミングで「第二部 ヨーガの教え」に読み進めることができるのも、魅力の1つです。

最近の松山からは以上です~。興味がある皆さまに手にしていただけたら、本当に嬉しいです!

★★★

真実を求めて』の他、私たちの師の教えの総集編ともいえる『マハーヨーギーの真理のことば』、またヨーガのエッセンスが小さな本にギュッと詰まった『ヨーガの福音』、見ているだけで作ってみたくなるお料理の本『さまらさの台所』など、様々な書籍があります。
書籍・物販セールの詳細はこちらまで。

セール期間も、残りわずかとなりました。どうぞこの機会をお見逃しなく!!

 

MYM京都 


アートマンが愛おしい

聖典の真実の言葉から、心に留めてほしいものが一つあるのです。それはある覚者が語ったもので、「夫が大切だから夫が愛おしいのではなく、アートマンが大切だから夫が愛おしい。妻が大切だから妻が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから妻が愛おしい。子供が大切だから子供が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから子供が愛おしい。僧侶が偉大だから尊敬すべきなのではなくて、アートマンが尊いから僧侶が尊い」。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

この世界には自然と愛情が湧いてくる相手もいれば、そうでない相手もいるように見えてしまいます。でも、師であるヨギさんはそんなことには頓着せず、いつも目の前の相手の本質だけを見て接してくださっていました。それは弟子に対してだけではなく、全ての人や物に対しても同じでした。そしてヨギさんの見ておられた世界を言い表したものが上記の美しい言葉なのだと思います。

対人関係で毎日色んな出来事が起こり、時には相手に対して複雑な感情を抱いて心が混乱してしまうこともあります。それでもヨギさんのまっすぐなまなざしを思い出すと、本当はヨギさんが見ておられた世界が真実なのだと認めざる得ない気持ちになって、自分の心のあり方を正していきたいと強く思います。ヨギさんはご自身の生き様を通して、私達に真実を見せてくださいました。

でもその心さえも超えて、その奥にある本質を見つめることができれば、そこには何の違いも見つけられません。区別のない、差別のない、無差別な一つの実体が在るだけです。そして、私たち自身がそれであるということです。私もそれならあなたもそれである、万物がそれである、それだけが在る。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

いつかヨギさんと同じ世界が見れるように、全力でヨーガに励んでいきたいと思います。

船勢洋子


天国と地獄

ある男が死んで黄泉の国に行きました。そこで二つの館を目にします。

一つ目の館では、大勢の人間たちが食卓を囲み、食事をするところでした。彼らの片腕は椅子のひじ掛けに結わえ付けられていて、もう一方の手には長い柄のスプーンがくくり付けられている。彼らは目の前のご馳走を食べようとするのだが、口に運べず、頭に被るやら床に落とすやらで、いら立ち怒りだし、とうとう喧嘩を始めた。彼は、これは地獄だと思って次の館に入ります。

ここでも多くの人間たちが同じように片手を椅子に、片手に長いスプーンをくくり付けられて食事をするところだった。すると彼らは長いスプーンで相手の口に食べ物を運んでいる。もらったものはお返しをする、という具合で皆満足気に喜んでいる。彼は、ここは天国だと思った。

天国と地獄は人の心の中にあります。一つ目の館では、人は「私」と「私のもの」を固持し、自分のことだけを考えて行動する結果、誰も幸せになっていません。二つ目の館では「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げることによって、他者が幸せになり、その場に調和がもたらされ、自らも幸せになりました。

・  ・  ・  ・  ・

自分の欲望よりも、他者の喜びになることを行為することが、その場の調和や円満さを作り、結果的に自分も幸せになる、ということがイメージを通して直感的に理解できる教えです。
イラストに目を戻すと、二つ目の館の人はみんな他者のことを見ています。
イラストを描いてみて、他者のことをよく見ること、それが他者へ自分を捧げる行為への第一歩だと思いました。

(『ヨーガの福音』 愛の真理 より抜粋)

サルヴァーニー