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誰もが実践できる働きの秘訣

みなさんは学校の授業は好きでしたか? 私はというと……(お察しください)。
けれど今、楽しみにしている授業があります。それは誰ヨガ(誰もが実践できるヨーガ)です。自分自身の人生や心、幸せといった誰もが身近に感じ、時に思い悩んだりする事柄をテーマに、ヨーガではどう教えているのか、自身の生活でどう実践できるのかを学べるオンラインクラスです。
4月に開講し、月に一回、半年間をかけて学んでいきます。その期間は同じ顔ぶれのグルバイとZOOMで顔を合わせます。初回のクラスでは自己紹介をし、さながらクラス替え後の教室みたいだなぁと感じていました。担任の先生は先輩グルバイのサーナンダさんです。2時間のクラスの中では、「どうなったら本当に幸せですか?」、「なぜ働かないといけないのですか?」といった問いかけに向き合う時間があるため、講義の内容をより自分のこととして捉えやすいように感じます。

出勤途中に咲いている朝顔。目の覚めるような鮮やかな色で、気持ちよく仕事に向かうことができます。

5月に行われた2回目のクラスでは、「働きの秘訣」と題して私たちが働く理由、そしてどう働けばいいのかを教えていただきました。「生活のためだから」と、私は心のどこかで仕方なく働いているように思っていました。しかし、今の仕事を選んだのは自分です。選ばざるを得なかったのだとしたら、その原因を作ったのも自分です。私の場合ばっちり思い当たることがありますが、自覚していない過去世からの原因も作用しています。いずれにしても自業自得、つまりカルマということになります。新たなカルマを作ることなく、カルマを果たしていくような働き方ができれば、より良い自分になっていくことができるとこのクラスで教えていただきました。
一日の中で働いている時間は大半を占めています。(社会の中で勤めるといった意味合いに限らず、親などの役割や家事も含まれます。)しかも毎日のことです。ということは、そこでの行為次第で、多くの時間が自分をより良くするチャンスに変わるということになります。毎日がチャンス…?!何それ最高!!と私の瞳はきらめきました。本当に重要なのは何の仕事をするかではなく、「どう働くか」だったんです。
では、肝心の「働きの秘訣」はと言いますと…

・好き嫌い、不平不満を言わない。
・結果や他人の評価に執らわれない。
・目の前の仕事の目的を明確にし、余計なことを考えずに集中する。
・自分の思いばかりを見るのではなく、他者の喜びを自分の喜びとする。

どれもシンプルで、仕事の種類を問いません。そして、誰でも今すぐ実践できることです。「そうはいっても難しい…」と言い訳したがる心に負けてたまるかと、「ただやるのみ!できなかったとしても次の瞬間にもう一度チャレンジするのみ!!」そう言って日々自分と闘っています。少しでもこの秘訣を実践できれば、まず自分が楽(心身ともに軽やかに)になることを実感します。そうすれば周囲に気を配る余裕も生まれます。何より発散する空気が違うのではないでしょうか。入り口は自分のためのようであっても、自然と他者のためにもなっている、素晴らしい秘訣です。仕事の効率化や成果を上げる方法は多く説かれていても、こんな大切なことを教えてもらえる機会にはそうそう出会えないように思います。ヨーガを学んでいる、いないに関わらず、多くの人の助けとなる教えだと思いました。

海へ流れる川。奥は瀬戸内海です。身近な風景ですが自然の壮大さを感じ、大いなる存在に想いを馳せずにいられません。車の窓を開けて走ると様々な鳥の声が聞こえてきます。

私はこの誰ヨガの授業を受けているとワクワクしてきます。「秘訣」という言葉を辞書で調べると、“人に知られていない特別な良い方法。おくのて。”と出てきます。まさにそんなことを教えていただけて、知りたかったことはこれなんだ!!と体中から力が湧いてきます。最初にこのクラスを学校の授業のように例えましたが、この授業ではテストもなければ成績もつきません。その代わり、日常がテストです。参考書を頼りにするように、この強力な秘訣を頼りにして、私はカルマ(業)からの卒業を目指したいと思います!

このカードの裏面には、『バガヴァッド・ギーター』第2章48節の教えが記されています。 「アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる。」 働きの結果に執われそうになった時、思い出す教えのひとつです。

 

大森みさと


シヴァの恵み

梅雨の時季、雨が続くと鬱陶しいなどと思ってしまう時もありますが、雨が降らなければ一体どうなるのでしょうか?

今から27年前、私の住む松山市では梅雨に雨が降らず水不足になり、7月下旬から11月下旬までの4ヶ月に渡って給水制限がありました。暑い時期をはさんでいたので、印象に残る出来事でした。
しかし、そんな大変な出来事も、もうすっかり忘れていました。

松山の石手川

今回、3月のブログにアップされた『シヴァと三日月🌙』を読んで、今一度「水」について考える機会をいただきました。
シヴァは私の憧れの存在ですが、シヴァの頭にある三日月が農耕に必要不可欠な雨・夜露と密接に関わっている象徴であると初めて知りました。また、シヴァのルーツはルドラという暴風雨の神です。私たちが生きていく上で欠かせない水が、天から降ってくる雨によってもたらされているということ自体、とても貴重なシヴァの恵みだと改めて感じました。

いちばん好きなシヴァの絵!

水道をひねればすぐに出てくる水、それを当たり前に使ってきたことに気付かされます。水がなければ作物も育たず、飲み水がなければ私たちの肉体を維持することもできなくなります。また身体や身の回りを清潔に保つためにも、水は欠かせません。手や身体を洗うのに水を使う時、神に会う前に沐浴を行なうように心掛けると、穏やかで平安な気持ちになります。

嗚呼、でもそれ以上に私は心清らかになって、本当のことが知りたい!!
しかし心と身体を自分だと思い、食べることを楽しんで夜眠気に負けぐーぐー寝ていては、本当のことが分からず人生が終わってしまうーー

真実を知るためには、月の時間に瞑想を行ない、シヴァの如き存在である師を思うことで、そこに近づいていけるのだと感じています。
今私は、日常は感謝の心を忘れず、清らかな思いで過ごし、月の時間を大切にすることを行なっています。

りょうこ


真実に目覚めるTシャツ!

今年は統計史上最も早い梅雨入りだそうですね!そんなじめじめした気分を吹き飛ばす明るい話題です。

ヨーガを始めたばかりの頃、次の言葉に魅了され、とっても憧れました。

私たちの存在は本来、純粋で至福に満ちたもの。
ただ、一時の雲がそれを覆い隠しているにすぎない。
暗い雲が空を覆い、大雨が降るときもある。
しかし、それでも太陽は輝いている。
雲が太陽を消すことができないように一時の苦悩が
私たちの輝く本性を消すことはできない。

この堂々たる宣言!私たちの存在は本来、純粋で至福に満ちている。その尊い存在は胸の奥にあると教わります。 胸の奥への集中を助けてくれる素晴らしいTシャツを師がデザインしてくださいました!!

師がデザインしてくださった看板とTシャツ

“YOGASAARA STUDIO” Tシャツを作っていただいた経緯に少し触れたいと思います。令和元年の新緑の頃、ヨーガ・サーラ・スタジオの名称と看板を師に与えていただきスタジオのみんなは歓喜に湧きました。その時、クラス参加者のFさんも一緒になって喜んでくださり、「ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツとか作らないんですか?私、そのTシャツ着て宣伝するのに~!」と満面の笑みでおっしゃったのです。私はなんて素敵なこと!とタイミングを見て師に相談させていただき、ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツを作っていただく運びとなりました!コロナ禍で発表時期が1年変更になり、マハーヨーギー・ミッションの45周年記念オリジナルTシャツと同時発売という流れになったことに、二重の祝福を感じました。
実物を手にする前に最初にパソコン上で出来上がったTシャツのデザインとカラーを見せていただき、その美しさにまず、圧倒されました。師が一枚一枚、実物をご覧になって色を吟味してくださったと知り、胸がいっぱいになりました。スタッフの1人が「全色購入したら、みんなが選びやすいよね!」と全色購入してくれて、たくさんのサンプルのTシャツが届いた時、喜びに心がとろけました。今、クラスはお休みですが、クラス再開まで待てないというみなさんがスタジオに来てくださいました。みなさんに着ていただける日をどれほど待ち望んでいたことでしょう!!喜びの連鎖が止まりません!

このTシャツを身に着け、お行儀よく座って瞑想する時だけでなく、信号待ちの時も、誰かを待っている時も、仕事の合間のひと時も、いつでもどこでもハートの奥に集中する。これを何度も繰り返していくうちにまるで胸の奥に磁石でもあるのかと思うほど、心が自然に集中していくようになります。スポーツ選手が毎日、練習によって特定の筋肉の使い方がうまくなるのと同じように、ヨーギー、ヨーギニーは毎日の瞑想や日々の訓練によって、内面への集中力を養っていきます。そうしていくと常に満ち足りた心境になっていき、愚痴や不平不満のほうが逃げていきます。そして本当の自分は純粋で至福に満ちたものと知る!まさに真実に目覚めるTシャツです!

みなさんから喜びの声が届きました。

  • あらためて、Tシャツを見ておりますと、本当に美しく、いきいきとありありとしたモチーフに感激しております。これを身につけるにふさわしくありたいなぁと身の引き締まる思いです。ありがとうございました。
  • 色とりどりのTシャツを見た時、虹色の光が心に差し込むように、一瞬にして心が明るくなりました!ゴールドのアートマンとホワイトのヨーガ・サーラ・スタジオの文字はどの色にも美しく映えて、見ているだけでうっとりします。
    そして、着心地も最高に良いのです。神聖なTシャツを身に付けられて本当に嬉しく思います。ヨギさん、いつもいつもありがとうございます。
  • ヨギさん、このたびは、ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツを用意してくださり、ありがとうございました。手にとってみて、嬉しくて嬉しくて、大きな声で笑いました!実際に着てみて、スタジオの名前が嬉しくて、胸を張って街を歩きました。金色のアートマンを見ては、わたしはこの美しい「それ」であり、それを見ている人々もみんな、この金色の「それ」であると歩きながら、胸が高鳴るのを感じます。ずっと歩き回って、ヨーガ・サーラ・スタジオの歩く看板として、金色に輝く真我を宣言できるように、元気いっぱい過ごしていこう!と思います!!本当に、本当に、ありがとうございました!!
  • Tシャツのカラーもどれもすべてとても美しい!
    一枚一枚、ヨギさんの手で紡がれて、私たちにヨギさんの分身のように分け与えてくださるようで、それを身につけることができて、とても幸せです!
    ヨギさんの愛に身を包まれて、ヨギさんの愛を発散していけたらなあ〜と思います!
  • 今日初めてヨーガ・サーラ・スタジオTシャツを着て過ごしました。鏡でTシャツを見る度に嬉しくなりました〜。胸のアートマン、スタジオのカッコいい文字を見るだけで心強く、元気が湧いてきました!ヨギさん、みなさまありがとうございます♡

感謝と喜びの気持ちがヨギさんに届きますように!

シュリー・マハーヨーギーのお導きに心から感謝しています!Tシャツを作っていただきたいとご相談してから、実現に至るまでも様々な甘美なサプライズをいただきました。今までミッションオリジナルTシャツを注文して簡単に手にしていましたが、今回、ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツを松山に直送していただくことで、京都の先輩方がどんなに心を配って水面下で多くの仕事をしてくださっていたか、貴重な宝物のような学びの時間をいただきました。見えないところでの先輩方の働きを想像することは、私たちの気づかないところで、どれだけ師が心を尽くして私たちを導いてくださっているのかという気づきに繋がり、感謝でいっぱいになります。その瞬間に、こんなにも与えていただいてばかりではいけない!!!と内側から叫び声が聞こえてきます。コロナ禍で行動制限はかかったとしても私たちの心は常に自由です!もう大暴れする準備はできています!この状況を最大限生かして、さらなるヨーガのご縁を繋げていけるよう行為していきます!1人でも多くの方が「私たちの存在は本来、純粋で至福に満ちている」という真実に目覚めることができますように!

アーナンディー


海と波

他県への移動が難しい状況になって、はやいもので一年。どんな一年を過ごされていましたか。私は、力んで空回りしたり、時には迷走することもありましたが、その度に様々な形で師に導かれて、ヨーガを続けられたように思います。そんな中で、師の教えがつまった『ヨーガの福音』が私の希望となって、道を照らし、なくてはならないもののひとつになりました。

至高の真実は名も無く形もなく、ただ存在である。
 それだけが真実在であり、真我であり、神と呼ぶものである。
 その一つなるものが一切万物として顕現しているのだ。
                   シュリー・マハーヨーギー

 この教えのように、すべてのものの中にある神を感じたい!それが、ありありと存在することを見たい!しかし、日常の中でそれを行うには、とても難しいことだと感じていました。
ある時期、仕事先が遠方のことが多く、そこへ向かう乗合の車の中で『ヨーガの福音』を開き、開いたところに書かれている教えを読み、それを感じながら、考えながら現地までの時間を過ごすことが日課になっていました。

それは海と波のようなものです。
 心はいろいろな波の形に巻き込まれてしまう−−−だから心は違いを見てしまう。
 でも本当は一つの海しかない。
 至高の真実には形もない、名前もない、ただ存在するだけ−−−
 それだけが「実在」であり、それは生まれも死にもしない。
 それが私たちの真我であり、神とよばれている。
 その至高の意識が一切万物として顕現しているのだ。
                  シュリー・マハーヨーギー

松山 双海海岸

 ある日、海岸線を走る車の中から、ぼんやり海をながめていると、突然、「それは海と波のようなものです」という教えの真意が体感となってやってきました。日常の中のすべてにおいて、私が見ていたのは波だったということが明確にわかったのです。「えー!!あれも、これも!!ぜんぶ波だったんかい!!」思わず、ツッコミを入れるほど、自分が波を見て、あーでもない、こうでもないと真面目に巻き込まれ、批評していた姿が滑稽で、一気に波への興味が冷めていくのがわかりました。その一方で、海の存在を同時に感じたのでした。「なんて静かで穏やかなのだろう」身を委ねると、一瞬で心が満たされ喜びが溢れる、波とは異なるその体感は、師にお会いした後、「また会いたいなぁ」と自然に思ってしまう、それに似ていて、いい意味で中毒性がありました。それ以来、日常の中で起こる出来事や自分の心の動きを感じると、「それは波だよ。あるのは、海だよ。」というと自然に体感した海へとシフトされ、識別がなされました。そして仕事の合間には、自ら海に飛びこんでいます。

 この体験は、ひとつのきっかけに過ぎません。大切なことは、いつでも、どんな時でも、聖典を読んだり、大好きな覚者や聖者の写真を見たり、オームやマントラ、神の御名を唱えて、心を神聖なものに向けておくことだと感じています。まだまだ、みんなで集うことは難しそうですが、感染対策とあわせて、波に巻き込まれない対策も徹底して楽しんでこの難局を乗り越えていきましょう!

オーム・タット・サット・オーム!!

山口正美


石の上にも三年

ヨーガに出会って3年ほどになります。

もともと子供の頃から能動的・積極的な性格ではなく、主体的に何か新しいことに挑戦したことなどほとんど記憶にない私ですが、ヨーガに関しては(神の思召しや恩寵という話は置いといて)自らの意志で求め、やると決意しました。周囲に流されるように始めたことが長続きしたことはあまりなかったので、ヨーガを始めた頃、『少なくとも3年間は続けよう』という思いが密かにありました。そして3年経った今、紆余曲折ありましたが何とかヨーガとの縁は続いており、とにもかくにもその時の思いは実現したという感慨が、なきにしもあらずです。

このブログの執筆依頼を機に、この3年間を振り返ってみました。

実家の近くにあるでっかい石。の上にも三…

日々の変化は微々たるものですし、ヨーガの実践によって、変化に対して無頓着になってきたり過去を蒸し返すことが減ってきたこともあって、普段、変化を実感することはあまりありませんでした。しかしこの機会に改めて自分を振り返ってみると、さすがにそこそこ変わっています。

アーサナや瞑想の習慣が身について、暇つぶしにやっていた娯楽は離れていきました。食事を改善しようとする意識も芽生えて、手軽に腹を満たそうとする悪習慣は去りつつあります。上述の、変化に対して無頓着になってきたことや過去を蒸し返すことが減ってきたことなども含め考えると、まだ実感のない変化もあるかもしれません。
こうやって並びたてると、改めてヨーガに対する感謝が湧いてきます。ただ、これらの変化をもたらした実践に対して常に前向きに取り組めたわけではなく、3年という短い期間の中でも紆余曲折ありました。

最初の頃は『カルマの道ではなくヨーガの道を』と張り切ってやっていましたが、高級スイーツにも犬のフンにも止まる蠅の如く、心はヨーガの実践と過去の習慣との狭間をフラフラしていました。徐々に過去の習慣が剥がれていき始めると、今度は、日常の中でカルマとヨーガを二項対立させているような自分の理解に違和感を覚え、「正誤の評価を下して正しい一方へ行こうとしているが、そういう方法で二元性を超越したものであるはずの真実に辿り着けるのか」「辿り着く? そもそも真実は遍在であるはずなのに、どこからどこに到達しようというのか」などなど、言葉上の理屈や納得を求めようとする煩悩とヨーガの実践との狭間をフラフラする始末です。

それでも今なおヨーガとの縁が保てているのは、やはり先輩方の存在が大きかったと感じます。真剣にヨーガを実践されている先輩の姿は、過去の習慣や知的思索の誘惑を遥かにしのぐ魅力を放っています。直接お会いしたり動画などでヨーガに対するその姿勢を拝見するたびに、過去の習慣や知的思索に反応する自分を恥じ入り、ヨーガの実践へと舵を切ることができました。まぁ『実践からフラフラ離れそうになっては先輩の背中に導かれる』ということ自体が、この3年間で何度も繰り返されているのは面目ないところでもありますが。

直近の瞑想専科の動画受講で、その並み居る先輩方が異口同音に、『あきらめず粘り強く実践し続けた』『心が限界まで追い込まれたような時に道が開けた』というお話をされていました。私をいつも導いてくださる力の背景を垣間見るとともに、ヨギさんと出会って以降、さらに道が開けるような体感がなかったこれまでの私の実践には、心が限界まで追い込まれるほどの真剣さがなかったのだと痛感しました。

心が追い込まれるほどの実践に尻込みする思いはありますが、ある意味この3年間で「心にゆとりのある実践を3年続けても、変化するだけで道は開けない」ということを体得したといえる私には、それほどの実践が必要だということは明白です。この厳しくも明白な結論と、できれば追い込まれたくないという甘えとの狭間でしばらくフラフラするであろう私は、また先輩方の背中に導かれ、助けられることでしょう。これまでもこれからも、ありがとうございます。

ヨーガに出会って3年。
3年座り続けてようやく石は温まってきましたが、これから必要なものは、虚仮(こけ)の一念。岩をも通す一念が必要なことがわかった3年目の振り返りでした。

深水晋治


真冬でも熱いヨーガ・サーラ・スタジオ!from 松山

年末年始になって感染拡大も著しく、愛媛県でも増えてきつつあるのですが、今日はそんな状況の中でも、熱心にヨーガを実践している松山の仲間の様子をご紹介したいと思います。
皆さん、コロナ禍の中で、一層ヨーガを深めていこうと熱心になっているように感じます。
ヨーガ・サーラ・スタジオのクラスは、人数制限を設け予約制にしたのですが、すると曜日を決めて毎週参加される方が増えたため、顔を合わす頻度も増えて、参加者の皆さんが前よりも交流が深まり、クラス後も自然な雰囲気の中、ヨーガの話で盛り上がるようになりました。(もちろん換気、加湿、距離などコロナ対策は気をつけています!)

熱心なみなさん。月曜の朝のクラスにて。

その中のお一人が、最近何だかとても心が安定している様子を感じたので、なぜなのか理由を聞いてみると次のように話されました。

コロナ禍で、月に一度京都に伺って師にお会いするという機会がなくなってしまい、その状況が長く続いているのですが、ある時、松山にいても師の存在をとても近くに感じることがあり、会うってどういうことなのかなと考えるようになりました。物理的な距離はあまり関係がないのではないかという気になってきました。そうしていくうちに、心理的にすごく師を身近に感じることが増えてきて、とても安心するようになったのです。今は師に物理的に面会することは難しいですが、でも怠惰な気持ちになった時など、師が厳しいお顔で夢に出てきて、軌道修正しやすくしてくださったり、聖典に積極的に親しんでいるときは励ますようなお顔で出てきてくださったりして、自分の心次第で近づけるんだと実感しています。だから、物理的な距離はあまり関係なく、いつも一緒にいることができるのではないかと思うようになったのです。

時間も空間も超えて師の存在を感じる、彼女の常に楽しそうな笑顔が、周囲の人を明るくしているのがとても印象的です。

そして、熱心な皆さんから、新年に目標を決めた!という嬉しいお便りが届いたので少しご紹介させていただきます。

松山でのサットサンガで、ヨギさんから識別するようにとおっしゃってくださったのですが、今年の目標は、「徹底的に識別する」「ヨギさんに一歩でも近づく」にしました。瞑想専科の動画クラスのサティヤーさんやマードゥリーさんのお話にもインスパイアされました。できなくても、諦めず、繰り返しやっていこうと思います!!
また、最近ハルシャニーさんがブログに書かれていた、「焦らず気長に優しさを持って」がとても心に響きました。スマホのショートカットにして、繰り返し読めるようにしています。私も(グループホームで働いているので)仕事で利用者さんと接するにあたり、心掛けていきたい内容でした。(和田さん)

今年の目標は、「真実だけを見つめていく」です。師であるヨギさんは、どんな状況であろうと私たちの本質だけを見て導いてくださります。
私も、親であれ、会社の上司であれ、例え苦手な人や嫌いな人であったとしても、誰もの中にある真実だけを見ていきたい。その為には、地道に真理の教えを何度も何度も心に言い聞かせ、精進していきたいです。(玉井さん)

お二人とも本当に熱心にヨーガに向き合われているので、周囲の私たちにもその熱が伝わってきます。

そんな皆の熱気溢れるヨーガ・サーラ・スタジオですが、新年にマハーヨーギー・ミッションのカレンダーをスタジオに飾らせていただきました。すると飾った瞬間、その美しさに感動しました。本当に祝福されたように感じました。鮮やかな朱色がまるで私たちの身体中を駆け巡る血管のように生き生きと脈打ち、息衝いているかのようでした。今年は、その衝動のままに、真理そのものに交わり、真理だけをみつめて、ハートを真理でいっぱいにしていきたいと思います!

アーナンディー


御聖誕の日に思いを寄せて

一年と少し前、初めて師にお目にかかったその日、師は私の命にヨーガの光を灯してくださいました。その日から私の生活はすっかり変容してしまいました。常にヨーガが中心にあるのです!お会いする前までどうやって生きていたのか不思議に思うほどです。そして私のハートは、その光の源を求めるように、師であるヨギさんという果てしなくてまばゆい存在にどんどん惹きつけられていきました。

海を見ると、師の「この世界は、ちょうど海の波のように変化はしていても、そこには海(真理)だけがある」という教えを思い出します。

今年の初めにニューヨークに滞在し、師の懐に飛び込み、ヨーガを学ばせていただきました。その数日間は奇跡だったのかなと思うほどに尊い時間でした。小さな自分と対峙しては、もうだめなのかもしれないと真っ暗闇の中にいるように感じた夜もありましたけれど、朝目が覚めてそこに師がいてくださったことで、「あぁ、大丈夫なんじゃないかな」とただ安心したことを覚えています。私がそこに存在していることを喜んでくださっているような、そんな安心感をずっと感じていました。懐に飛び込みたい!という私の願いを受け止めてくださった、師の大きな愛情に包まれていたのだと思います。そしてその愛情は今も、誰ものそばにあるのだと信じています。

なぜ生まれてきたのか、どう生きるのか。私たちの命の秘密―――。
本当に知りたいことは学校では教えてくれなかったし、誰かに聞いたところで確かな答えが返ってくる気はしなかったけれど、師はすべてにまっすぐ答えてくださいます。
私は今生きています。生きているということは、その命を動かす大いなる存在と常に一緒であるということ。昨年の御聖誕祭に参加したとき、降って湧いたように「生まれてきてよかった」と感じました。きっと、五感では感じることのできないその存在と共にある喜びを、師がハートに直接味わわせてくださったのだと感じています。

今年も一年で最も大切な日が近づいてきています。大切な人には喜んでほしい、笑った顔が見たい、そう思います。では、師は何を喜んでくださるのだろう。―――以前、師は誰よりも弟子の幸せを願ってくださっていると伺ったことがあります。真実を実現し、私自身が至福の境地にとどまることで、その愛に応えることができるのではないかと思います。それは私個人の幸せではなく、すべてのための、もっと普遍的な幸せです。大切な人が大事にしているものは、同じように大事にしたいと思います。師が慈しまれる、この世界のすべての存在を、私も優しく愛することができますように。

秋と冬の間の澄み切った空気も、色づき始めた木の葉の一枚一枚も、近づきつつあるその吉祥な日を祝福しているように感じて胸が高鳴ります。こうして喜びの中で御聖誕の日を迎えられることにも、師の恩寵を感じずにはいられません。いつも見守ってくださっている師に、心から感謝いたします。

大森みさと


オンライン深水会

前回深水さんから「深水会」なるものについての報告がありましたが(→前回のブログ)、このコロナ禍で開催が難しくなり、2月17日に第6回深水会(お蕎麦、おにぎり)を行なって以降、しばらくお休みしていました。
しかし折角始めた良い機会なので、5月よりスカイプを使ってオンライ深水会をすることにしました。私と深水さんの二人でスカイプを繋いで行なっています。
今回、少しその様子をご紹介させていただきたいと思います。
 
 
第7回深水会(オンライン第1回目):5月18日
メニュー:スパニッシュオムレツ、ひじきご飯、とろろ昆布のお吸い物
 
初めてのオンライン深水会!ブログにアップされた、さまらさ3分間クッキングを予め見ておいていただいて、実際にそれぞれで食材等を準備して、スカイプで繋いで一緒にお料理して、試食、食やヨーガの話をしました。

このようにして調理工程を、パソコン画面を通して見ていただきます。

パソコンによると思いますが、画像が粗くて、火の通り具合などを確認するのは難しいところがあります。それでも深水さんから、「一人で作るよりも楽しく前向きに取り組めた」とお聞きして、一緒に料理をする機会が深水さんの励みになっているのだなと思い、定期的にできればいいなと思いました。
 
この回は、さまらさ3分間クッキングの動画があったので、調理の工程、食材の切り方などはわかりやすかったと思います。動画は何度でも確認できるのでわかりやすいです。

深水さん(下の画面)も同じように調理を進め、私(アミティ)が必要に応じて助言します。

第8回深水会(オンライン第2回目):6月13日
メニュー:麻婆豆腐、トマトと卵と春雨のスープ、トマトのマリネ、きゅうりの漬物
 
レシピは事前に送付して、深水さんが初めてとなるような食材の切り方については、予め参考のサイトをご紹介して、事前に見ておいていただきました。
深水さんから、買った食材を上手に使い切りたいという要望があったので、旬のお野菜のマリネや漬物をメニューに取り入れました。また、一人暮らしならではの、一度作ったお料理をアレンジして次の日に頂くなどの工夫や、食材の保存の方法もご紹介して一緒に学びました。

一所懸命トマトを切る深水さん。回数も重ね、包丁使いもこなれてきました。

第9回深水会(オンライン3回目):9月19日
メニュー:ナスの味噌煮、しめじご飯、そうめんのおすまし
 
第8回深水会以降に、マハーヨーギー・ミッションのさまらさの台所Webクラスがありまして、深水さんも受講されました。(夏野菜の南蛮漬け)
その時のメニューは、深水さんにとっては「複雑な部類」とのことで、次のオンライン深水会ではもう少しシンプルな調理工程のものがいいとご希望がありました。
それで、第9回目のオンライン深水会では、あまり時間をかけずに気軽にできるもので、料理の工程もシンプルにできるようなレシピにしました。
オンラインゆえに難しい点は、深水さんが準備された例えばナスの皮や身の硬さはどんな感じかや、使うお味噌の味加減などが確かめられないことです。
一緒に料理するとその場で火の通り具合はこんな感じで、味はこれくらいかな、など一緒に確認しながらできるのですけれど。
それでも、出来上がったお料理はとても美味しくて、画面を通してではありますが二人で、「めちゃくちゃ美味しいね!」と唸りながら頂いています。

完成すれば、画面を通してですが、一緒に頂きながら、食やヨーガの話題を楽しんでいます!

オンラインならではの難しい点もありますが、一緒に調理して、試食して、食の話やヨーガの話、ヨーギーさんの話など、いろいろとグルバイ同士での話も弾み、深水さんも楽しく取り組んでいただいているようです。
深水会が始まったのは去年の7月です。私たちが京都に毎月ヨーギーさんに会うために松山から通っていた頃、深水さんは宿泊のお世話になっていたグルバイの庵で、お料理をほとんどしたことがないために食事の準備を手伝うことができなかったのです。それを知ったある先輩グルバイの、「深水さんにお料理を教えてあげたら?手始めにカレーライスかな」の一言から、深水会は始まったのです。
最初は、包丁の持ち方、体の構え方、食材の切り方など、基本的なことから始めたのですが、今では、お正月におせち料理を作るなど、本当に凄まじい成長ぶりです!
私もメニューを考えたり、試作したりと、深水会に向かって色々と準備するのがとても楽しく、一緒に学ばせていただいています。
 
今後も、さまらさの台所Webクラスを受講しながら、オンライン深水会も続けていきたいと思っています。
 
また以前のように集まって料理できる時がきたら、調理の工程がちょっと複雑な野菜のフライや、アーシュラマでヨーギーさんも召し上がっておられる精進お好み焼きも、メンバーで一緒にワイワイとやれたらいいな〜と思っています。
 
アミティ

共同生活の醍醐味

私はこの数ヶ月間、コロナに対する世の中のざわめきが遠のいてしまうほどに濃い毎日を過ごしていました。
何があったのかというと、3月1日に快適でこの上なく居心地の良い実家を出て、同じ松山に住むグルバイ(姉弟子)のりょうこさんとの共同生活を始めたのです。

りょうこさん(右)と一緒に。

ヨーガを成就したい!真実を実現したい!という情熱だけは持っていました。ただ、慣れ親しんだ実家では存分にぬるま湯の生活に甘んじていたため、初めての共同生活は当然のごとくギャップに翻弄されました。あれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけない。それに生活に必要な出費も実家生活に比べると格段と増えたから、いろいろ我慢しなきゃ…というか生活していけるのか?とまで考えては悶々としていました。
そんな自分の不安や不満ばかりに目を向けていたときに、ふと気づいたことがありました。

…一緒に住むりょうこさんが作ってくれる料理に、何気なく話した私の好きな食材やメニューが出てくることが多いぞ?

…はっ!これは、私が喜ぶことをしてくれているんだ!

自分しか見ていなかった私に対して、りょうこさんは私のことを考えてくれていたんです。なんてこった恥ずかしい!ごめん、ありがとう!
私も何かお返しがしたい、そう思ったものの、何をすれば喜んでくれるのかわかりません。これまで自分の心地よさを優先して生活してきたのだからそりゃそうだ。そして私の仕事が繁忙期に入ったことも重なり、お返しをするどころか助けてもらう一方になっていきました。申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが、申し訳なさを膨らませたって良いことは無いので、考えた結果、せめてお互いが気持ちよく生活できるよう、朗らかに優しい気持ちで生活しよう、と決めました。(えっどこが?!というツッコミなら受け付けてるよ、りょうこさん!(笑))

二人の共有スペース

そうすると不思議と、当初感じていた、生活に対する不安や不満も薄らいでいくのを感じました。数ヶ月経ったことで、実際に生活の見通しが立ってきたということも勿論ありますが、自分の心の持ちようを変えたことも大きく影響したように思います。あれもない、これもない、やらなきゃいけないことばっかり、と考えるとしんどいですが、考えても仕方ないし案外何とかなるさ!と身を任せてしまえば、身も心も軽くなって、いろんなことを楽しめるようにさえなりました。現実は変えられなくても、今居る場所でどう過ごすのか、状況をどう受け取るのかといったことは、自分で自由にできることなのかなと感じています。

こんなこと、この生活をしてみなければ経験できなかったと思います。知識を頭で理解するのではなく、体験を通して心が直接納得しているみたいな感覚です。
そして何より、この経験はひとりでは成り立ちません。私の思いを尊重しながら、時に励まし、生活を共にしてくれているりょうこさんに心から感謝しています。また、私たちを応援してくださる先輩グルバイの存在、さらにはその向こうで見守ってくださっているヨギさんの存在を、すぐそばに感じられるこの生活をとても気に入っています。

部屋から見える夕焼け

家に帰れば当たり前のようにヨギさんやヨーガの話をできるなんて、なんて幸せなんだ!と時々喜びが爆発するほどです。こんなにもヨーガ濃度の高い、恵まれた毎日を大切にしながら自身のヨーガも深めていく所存です!

(いいな~と思ったそこのあなた!いつか遊びに来てくださいね^^!)

大森みさと


人の性質は変わる!ー『最高をめざして』ヴィラジャーナンダの導き

ヨーガでは師が必要だと古来いわれているのですが、私はヨーガを学び始めて以来、師であるヨギさんを慕い、師から直接ヨーガを教わるために月に一度は松山から京都に出かけてヨーガを学んできました。ところが今回の新型コロナウイルスの影響で外出自粛になってしまい、ヨギさんにお会いする機会が閉ざされてしまいました!私にとっては一大事です!!!

そんな外出自粛が始まった桜が満開の頃、一体いつになったら、私はヨギさんにお会いできるのかと、何かにすがるような気持ちで本棚の中から、久しぶりに『最高をめざして』という一冊の本を取り出しました。ヨーガを始めたばかりの頃によく読んでいた本です。この本の著者は気さくでユーモアが溢れるスワミ・ヴィラジャーナンダ(1873年~1951年)という方です。インドの素晴らしい聖者シュリー・ラーマクリシュナの直弟子たちから薫陶を受け、後にラーマクリシュナ・ミッションの長になられました。

いつも持ち歩いて読み込んだ『最高をめざして』。

私はすぐさま惹き込まれ、一番好きな次の言葉が目に留まりました。

繰り返し行なう修練が、心を純粋にするための唯一の方法である。難しいとか、自分には不可能と思われるようなことでも、絶え間ない実践によってやがては楽に達成できるようになる。規則正しく実践されることは何でも、その人の性質の一部になってしまうのだ。

瞬時に当時の記憶が蘇りました。ヨーガを始めた頃の私は、ヨーガの仲間と自分をついつい比べてしまって、自己嫌悪に陥ることが度々あったのです。人前では明るく振る舞っていたのですが、心の中は葛藤の嵐でした。でもこの教えを読んで、ネガティブな感情が吹き飛ばされたことが思い起こされました。その時、「性質が変わるって、凄い!今の自分が未熟だとか不器用だとか、理解が遅いとか全く関係ないってことだ!」と勇気と希望が与えられました。

でも最初は全然うまくいかず、失敗の連続でした。それでもマイナスの感情が起こるとすぐ、単純によい思いだけが心を占領するようにしていきました。すると、だんだんそのマイナス感情が起こる前に気付くようになり、その次には感情が生まれる前になくすように訓練していきました。イメージなのですが、マイナス感情をテニスボールとすると、そのボールをヨーガのラケットでバコーンと打ち返すような感じでした。泣き言、言い訳、劣等感、そんなマイナス感情は一切、近寄らせない!と決意し、反対にすばらしい思いで心を占領する!来る日も来る日もバコーン、バコーンと打ち返していました。時間はかかりましたが、自分の性質が確実に変化し、負の感情に振り回されにくくなってきたのです。

そのことに気づき、本に書かれている通りだ!と新鮮な驚きがあり、同時に繰り返し行うことの力強さに改めて励まされました。そうして、そうか!私にとって最高の瞬間(ヨギさんとお会いしている場面)を繰り返し思い起こせばいいんだと気付きました!京都にいらっしゃるヨギさんにお会いできない難関を乗り越える答えを絶妙なタイミングでいただいたと胸が高鳴りました。ヨギさんと共にいる時間を思うことでいつも一緒にいられる!それが自分の性質になるまでやり続けようと胸に刻みました。

師がデザインされた美しい看板。 見ていると力が湧いてきます。

アーナンディー