ヨーガの実践」カテゴリーアーカイブ

『マハーヨーギーの真理のことば』〜弱音を吐いてはいけない  

2022年の11月に新刊『マハーヨーギーの真理のことば』の目次がアップされました。
嬉しくて何度も目次を読み返しました。すると目次を読んだだけなのに、心が強くなる感覚がありました。そのように感じた項目のひとつが「弱音を吐いてはいけない」です。

家族がいる環境の中でヨーガの実践の難しさを訴えた修行者に対して、師は次のように答えられました。

真剣に求めているならば、絶対に弱音を吐いてはいけない。どんな事柄、状況に対しても弱音を吐いてはいけない。状況がどうであれ、そんなことには関係がないと、義務は義務として果たしておく。だけど二十四時間義務が付いて回っているということはないと思うし、義務を離れた時には、真実だけを求めて、他のことには一切無関心になること。その強さは必要。絶対に言い訳はしてはいけない。

――第八章222ページ

ここを読むたびに鼓舞された私は、この実践を徹底的にやっていこう!と心に決めました。
私は仕事(ヨーガのワークス)や家庭における場面で心が動きそうになると、瞬時に師が「絶対に弱音を吐いてはいけない。絶対に言い訳をしてはいけない」と仰っている想像をして、心の中で師の教えに必死でしがみつき、弱音が出てくる前に吹き飛ばす練習をしています。
もう一方で心身が疲れてくると弱音が出そうになるので、思いっきりアホになって「私は今起きたばかり!」とエネルギーに満ち溢れた感覚を思い出し、余計なことは考えないで最後までやり遂げることを心掛けています。以前は「今日はあれもこれもしないといけない」と考えるだけで心が疲れていたのですが、「今起きた!」と強く思うことで過去や未来を気にすることなく目の前のことだけに向き合う力が湧いてきます。
このような訓練によって心が強くなり、やるべきこととやりたいことが一致して、心が満ち足りた状態になっていくのです。

徹底して実践し、弱音に対して毅然として、最高の歓びに向かって突き進んでいきたいです!

アーナンディー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑪

今回は、『Paramahamsa』No.88の表紙絵と絵にまつわるお話をご紹介します。

「ラーサ・リーラー」

秋のジャスミンの花開く、いとも優しい月が昇った時、その夜が来たのを見たシュリー・クリシュナは、ゴーピー(牧女)たちとの約束通り、一緒に踊って楽しもうと思いました。
彼は甘美な笛の音を奏でつつヴリンダーヴァンの森へと向かいます。その歌を聞いたゴーピーたちは上の空となり、家族も仕事も忘れて家を抜け出し、彼の下に駆け出します。外出できず、家の中にいるゴーピーたちはシュリー・クリシュナを心に思い、目を閉じて彼の瞑想にふけりました。森の奥で蒼い肌に月光を浴びて笛を吹く、シュリー・クリシュナの姿に息をのんで見とれている彼女たちを、シュリー・クリシュナはヤムナー川の岸へと誘います。

彼が最愛のゴーピーと踊り始めると、二人を囲んだゴーピーたちは愛と情熱に身を任せて、慎みを忘れて歌い踊ります。踊りの輪の素晴らしさは月よりも輝き、辺りにはかぐわしい空気が漂うほど。踊りがクライマックスに達すると、シュリー・クリシュナは同時にたくさんの姿を現して、ゴーピーたちの一人一人が自分と踊っているように信じさせるのです。
こうして長い夜を歌い踊り続け、恍惚の中に過ごしていると、神々さえもこのありさまを見ようと天空に出現し、散華を行なうのでした。                            

『バーガヴァタ・プラーナ』より

ラーサ・リーラーを題材とした細密画は多く描かれています。それらを見て、私もクリシュナとゴーピーたちが踊る姿を描いてみたいと思いました。
絵が出来上がった時、ヨギさんはとても喜んでくださいました。
けれどその後、どのくらい経った頃だったでしょうか。
この絵を再びご覧になったヨギさんは、ゴーピーの2人が着用している紫色のサリーがオレンジだったらもっと良かったと話されたのです。

ヨギさんがオレンジの衣を着用されるようになってから、私たちもオレンジ色のものを身に付けるようになり、今ではまるでMYMのイメージカラーのようになっているこの色。
サリーを着ている人を描く時には、大抵はオレンジ色にするのですが、今回は見た目に変化をつけた方がいいかなと思い、紫色を入れて描きました。
でもヨギさんに言っていただいて、紫のサリーの部分を指で隠してみると、ヨギさんはただオレンジに揃えた方が良いと言われたのではないということが分かりました。
そこには、なんとも円満な姿が現れたからです。
計らいがないところに調和は生まれるものだと学ばせていただいた出来事でした。

シャチー


ヨーガの魅力――松山市のヨーガ・サーラ・スタジオから

ヨーガ・サーラ・スタジオは今、熱心に定期的にクラスに来られる方が増えています。その方たちは、いったいヨーガの何に惹きつけられているのでしょうか?


この春からヨーガを始めたAさんは「自分のこだわりをなくしたい」と毎週熱心に通い続け、今の心境を教えてくださいました。
「私にとってここに来ることが心の拠り所になっています。ヨーガは気持ちの安定になっていると思います。それは強い味方です」

また、数年ぶりにクラスに来てくださり、今は定期的に参加しているBさんは以下のメッセージをくださいました。
「レッスンが終わった後はいつも心が浄化され、穏やかな気持ちを取り戻すことができました。他にも身体的な変化として、レッスン後、教室を出て駐車場まで歩く間に、フラフラせずにまっすぐ歩けていることや、歯の噛み合わせが変わっていることなども感じるようになりました。内面や外見にも良い変化が現れているので、今後も無理なく継続していきたいと思っています」

他にも熱心な皆さんの声が届いています。
「家族に優しくできるようになった」
「人の評価が前よりも気にならなくなった」
「瞑想の時、平安を感じられるようになった」


クラス参加者のみなさんの変化から、私はやっぱり「ヨーガってすごい!」と今も新鮮な驚きと共に、ヨーガの魅力を1人でも多くの方にお届けしたいと思っています。
私自身のお話をさせていただくと、私はヨーガの師に出会ったその日から、ヨーガに魅了され続けています。師に初めてお会いした時、私は人間関係の悩みについて質問しました。師はとっても優しく次のことを教えてくださいました。

「すべては尊い存在です。人や物に対して優しく接するよう努めてください」
「日常にこそヨーガの成果が表れます」

それまでの私は、嫌な気持ちになった時は相手や状況が悪いのであって、私は何も悪くない、と知らず知らずのうちに自分だけを大切にしてきました。しかし、「すべては尊い存在」と教わった日から、自分は間違っていたことに気付かされ、心から反省して態度を改めていくと、目に見えて人間関係が改善していきました。そうやって心が楽になって初めて、自分で自分を苦しめていたことに気が付かされ、私は単純に「生きるってこんなにも楽しいことだったんだ! ヨーガってすごい!」と興奮しました。
後で分かったのですが、もしも誰かのことを悪く思ったり、悪口を言ったりすると、嫌な思いが自分に返ってきて心がダメージを受けて苦しくなります。逆に、誰に対してもいつも優しい気持ちで優しい言葉をかけ、優しく接することで、良い思いが自分に返ってきて、常に穏やかで心地いい状態に満たされていきます。当たり前のことかもしれませんが、それが分からず苦しんでいたのです。
その後、1人でも多くの方とヨーガの素晴らしさを分かち合いたいという思いが抑えきれなくなって、今に至ります。

ヨーガは身体の柔軟性を競ったりするものではなく、心を穏やかに保ち、他者との調和をもたらす素晴らしいものです。ヨーガを続けていくことで、「自分ってこんな人」という思い込みがなくなり、新たな自分に出会えます。なんだかわくわくしませんか?

アーナンディー


瞑想入門「ブッダ–真理–を探せ」を受講して

今夏、7月11日より大阪・京都で開講された瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」を私は受講しています。
このクラスでは講師のゴーパーラさんがブッダの教えを誰にでも分かりやすく、またブッダとはどのようなお人であったのか、ブッダの存在に迫っていけるようにご自身の実践談も交えながらお話されています。
現代に生きる私たちであっても、ブッダの存在とその教えに親しみを感じながら人生をより良く生きることができる実践方法をレクチャーしていただけるので、楽しみながら学んでいます♫

講師のゴーパーラさん。ヨーガ・瞑想をして15年ほどだそうです。

私は学生時代にブッダの存在と教えに出会う機会が少しありましたが、その当時はブッダに心を惹かれることや深く学ぶことはありませんでした。ブッダについては「悟りを啓いたお方」「仏様」……という何となく雲の上の存在で漠然とした印象でした。
「悟り」という言葉に対しても何だかよく分からないし自分とは無縁であるかのように思っていました。それから月日が流れ、私はヨーガに出会って再びブッダの存在と教えを知る機会が訪れました。

この講座の中で教えていただいた「諸行無常」というブッダの教えがあります。この教えの意味するところは「すべての現象は変化して永遠ではない」ということです。すべての現象とは今私たちが生きている世界やその出来事を指しています。それらは常に変わっていき、永遠ではなく、生まれては消え、また生まれては消える−−「すべては変わっていく」とブッダは説かれています。
この教えにおいて、ブッダの生涯のエピソードでよく知られている「四門出遊」があります。ブッダはそこで人間の苦しみである「老・病・死」に遭遇します。ある時は年老いた老人、ある時は病を患う病人、またある時は死人と出会い、これらの老・病・死という逃れられない苦しみを目の当たりにしたブッダは「諸行無常」を感じ得たのです。

ブッダがこの時に感じた心境、諸行無常の教えについてクラスの中で瞑想を行ないました。瞑想を始める前に講師のゴーパーラさんが瞑想する時のポイントについて『大切なことは”感じる″こと』と教えてくださりました。私もブッダの存在を感じていくように瞑想に座りました。その中で感じ受けたものはブッダのお人柄でした。
ブッダは一王国の王子として生まれ、お城暮らしで何不自由なく快適な生活を送り、この世の苦しみを知らずに育ちました。そんな生い立ちでありながら苦しむ人たちの姿を見て、また生まれも育ちも身分も自分とは全く異なる人たちを目にして、ブッダは自分は決して特別な存在ではなく、この苦しむ人たちと同じ命を持った存在なんだと心に感じたのです。そんなブッダの感じる心の豊さや受け止める心の柔軟さ、他人の痛みに寄り添うような心の温かさと優しさを私はブッダから感じました。

そして諸行無常という教えは、私の生活においても日常的に起こり経験していることだと思いました。日々起こる出来事は時間の経過とともに変化しています。1日の仕事をしている時間、休日の時間、家族と過ごす時間など、その時々によって起こる出来事や時間の流れも同じではありません。それは穏やかに流れる時もあれば目まぐるしく流れる時もあります。私を取り巻く状況はいつも変わっているんだと思わされるのと同時に、この体や心の状態も変化していて全く同じ日はないなと感じさせられます。そう思うとブッダの説かれた諸行無常の教えが私たちの生活にも身近なものであると感じられます。

講座の最後では日常における実践方法を学びました。生きていると様々な問題に直面することがあります。良くも悪くも変化する環境や、またこの世界に生きる人たちも色んな心の性質を持った人がいます。その中においても環境や相手が問題なのではなくて、「自分がどうあるべきか、どう生きたいか」が大事であると教えていただきました。
ゴーパーラさんご自身も身近な人との関わりの中で、声をかけても挨拶を返してくださらない相手に対して、変わらずに挨拶だけはきちんとしようと思われ、笑顔で接し続けられました。そうすることで次第にその相手の方の反応も変わっていき、少しずつ挨拶を返してくださるようになり、その方との関係性に調和が生まれるようになったという体験談をお話されました。
きっとブッダご自身も同じように変わっていく世界の現象に執らわれず自分自身の心を見つめていかれて、自身の心の問題や苦しみを取り除かれたのだと思いました。

「諸行無常」−−すべては変わっていく。だからと言って、この人生を悲観的に捉えるのではなくて、限りある命だからこそ大切に生きる。自分自身をより良く磨いていくという、とってもポジティブに生きる道をブッダは私たちに説いてくださっているのだと私は感じました。

金森淳哉

 


瞑想入門「ブッダ–真理–を探せ」の動画受講もスタートしています‼️
8月20日まで第1回目「すべては変わっていく」を動画受講できます。
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直近の実開催は、8月22日<大阪>・8月24日<京都>となっています。
テーマは「理想について瞑想する!」です。
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識別の結果

ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくの如し。
(中略)
又知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顏の露にことならず。
あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花萎みて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つことなし。
(鴨長明『方丈記』)

現代語訳
ゆく河の流れは絶えることなく、しかも元の水ではない。淀みに浮かぶうたかた(泡)は、片や消え、片や結んで、久しく留まっているためしはない。世の中にある人と住処とも、またこのようなものである。
(中略)
また分からない。仮の宿りで、誰のために心を悩まし、何によって目を悦ばすのか。 その主と住処とが無常を争う様は、言わば朝顔の露と変わらない。あるいは、露が落ちて花が残る。残るとはいえ、朝日に枯れてしまう。あるいは、花が萎んで露はなお消えない。消えないとはいえ、夕を待つことはない。
(鴨 長明、天瀬 豊人『方丈記、付現代語訳』)

『方丈記』は、無常観や美しい文章が有名ですが、読み直してみると、物質主義的な生き方に対する問いかけも込められているように思われます。

世の中の全てのものは移り変わっていきます。財産もいつかは手放さなければなりません。しかし、心は永遠を求めてしまいます。その結果は、苦悩です。この苦の根本原因は、無明になります。無明を知り、原因を取り除いていくことは、識別と呼ばれます。鴨長明は、人里離れた山奥にある、五畳半の小さな移動式の家に住んでいたそうです。鴨長明の修行や識別の姿勢に心打たれます。

私も数年間識別を行なってきました。それにより、心の癖は一部改善しました。しかし、現実を見てみると、心が動揺することもあります。

先日私は、家庭や仕事場で、なぜ私がやらなければならないのか、という思いで動けなくなる場面が何度かありました。その原因を考えても分かりませんでした。そんな折、19年前のマハーヨーギー・ミッションの聖劇「アムリタ―不死―」の制作時の様子を見せて頂く機会がありました。驚いたことに、師は舞台の上でテープを持ちながら、制作スタッフのように働いておられました。また、劇の演出、衣装、宣伝など隅々に至るまで細かく指導されていました。師の献身的な働きを見た時、私が仕事を選んでしまう原因がプライドであることに気付かされました。

無明や識別という言葉は難しい哲学用語のように感じられるかもしれません。しかし、現実社会で役立つものでなければ意味がありません。完全な識別の結果は、師のように優しくて、人に慕われる人間なのではないかと思います。そのような人柄を理想として持ち、ヨーガの修行をしていきたいと思います。

鴨長明の家、方丈庵の復元を下鴨神社で見ることができます。その簡素さに驚かされます。

島本 廉


私を鼓舞するもの

私は今、いけばなを習っています。お稽古はとても楽しく、集中して生けているとあっという間に時間が経ってしまいます。もともとお花や植物が好きだったこともありますが、お花をいただく機会がある度に「もっと綺麗に生けてあげられたらいいのになぁ……」と、残念に思っていたことがキッカケでした。また、元来、仏様にお供えした花がいけばなに発展したという歴史にも惹かれるものがありました。

先日、お稽古の花材で使った紅花が萎(しお)れかけてきたのですが、お花のオレンジ色がまだとても綺麗で形もカワイイので、そのままサヨナラするのが忍びなくなり、枯れた葉を切って西洋ナズナ(ペンペン草の仲間)と一緒に窓際に飾ってみました。ちょうど夕刻で、窓の外から差し込む夕日に紅花のオレンジ色が一層映え、その様子がとても綺麗だったのでしばらく見入ってしまいました。

ハート形の葉っぱが可愛い西洋ペンペン草と

オレンジ色は私にとって、ブッダや修行僧、師、悟り、などを想起させる特別な色です。以前ブッダが、使い尽くされてボロボロになって捨てられた布を洗って縫い合わせて作った「糞掃衣(ふんぞうえ)」と呼ばれる布で、身体を覆ったと聞いたことがありました。近くに生えている草木などを使って布を染めるとオレンジ色に染まったのだそうです。すべてのものを慈しみ、最後まで大切にされたブッダの人柄が伝わってくるようなエピソードです。ブッダの弟子たちはその「糞掃衣」を着て、彼の教えに従い、悟りの境地を目指して修行に励んだそうです。

私の師も、弟子によって縫われ染められたオレンジ色の服をよく纏っておられました。私の脳裏に浮かぶ師は、オレンジ色のクルター姿でなんとも言いがたい美しい姿勢で座し、たくさんの弟子たちに囲まれ、優しく真剣に教えを授けておられるお姿です。
夕日と夕日の色に染まったような鮮やかなオレンジ色の紅花に目をとめたまま、「私もブッダや師の教えに少しは染まってきただろうか……覚者たちが歩まれた、古(いにしえ)から連綿と続く真理の道を一歩でも進めているのだろうか……」と、自問しました。その答えは直ぐにハートの内に響いてきました。

ーそれは師のみが知ること。そんなことは気にせず、恐れず諦めず、生命の限り精いっぱい進め ー

師の力強い鼓舞は常に私の内にある!

シャルミニー


マザーに導かれて

マザー(サーラダー・デーヴィー)に初めて出会ったのは、ヨ―ガのクラスに通い始めて間もない頃、先輩グルバイからマザーの本を勧めていただいて読んだ時でした。馴染みのないインドの風習や、時代も今から百年以上前のお話でしたが、本を読むうちに不思議に風景がリアルに感じるようで、自分がマザーのお側にいるような気持ちになりました。そしてマザーが大好きになっていきました。
クラスでシャヴァ・アーサナ(休憩の形)の時に「何も考えないで」と指導されても、目を閉じるとマザーのお姿が浮かんでくるほど、マザーのことを思うようになっていきました。
私がマザーを思う時はいつも、自分が小さな子供のようにマザーの膝に甘えているような、そんな気持ちになります。それはきっとマザーが、

「私は、善人だけでなく、悪人の母でもあります。私を母と呼ぶ人に、決して背を向けることはありません。子供が泥や埃にまみれていたら、汚れを拭って膝に抱いてやるのが母の務めではありませんか」「困った時はいつでもあなたを守っている母がいることを思い出しなさい」

と言ってくださっているからだと思います。日常で誰かにそんなふうに言われても、私はきっと素直に受け入れることはできないだろうと思うのですが、実際にお会いできなくても、マザーのお言葉は心の奥で確かに真実だと思えるのです。

♦♦♦

今年の春の祝祭は、大好きなマザーをお祝いする会でした。
祝祭に向けてマザーへの讃歌を練習する機会を設けていただいて、何度も練習を重ねました。優しいメロディーはマザーの愛そのもののようで、歌う度にマザーに包まれているような幸せでいっぱいになりました。
祝祭当日は、初めて京都の会場で参加させていただいたのですが、祭壇の美しさや聖劇の迫力など全てが感動的でしたが、中でも一番心に残ったのは、大きなスクリーンに映し出されたマザーのお写真の数々です。マザーの瞳は例えようが無いような輝きに満ち溢れていました。マザーの瞳の先にはシュリー・ラーマクリシュナがいらっしゃって、全てに師を見ておられるのだと思うと、マザーの強い信仰心と汚れのない純粋さに感動しました。

いつも私のことを、母なるマザーが、そして最愛なる師、ヨギさんが見守っていてくださっているから、私は勇気を出して一歩一歩歩みを進めることができます。

大好きなマザーのように、私もいつか全てにヨギさんを見れるように歩いていきたいです。

小野ちさ

 


あるヨーギニーの願い

4月に始まった国分寺クラス。
スタジオから見える桜の木は葉が茂り、緑が濃くなってきています。

植物がぐんぐん成長するように、クラスに参加されている皆さんの中にも成長中の方がいます。そのお1人が、以前から東京のクラスに通われているNさんです。

国分寺クラスに初めて参加された時、クラスで60、70代の方がシールシャ・アーサナ(逆立ちの形)を練習をしているのを見て、驚いたそうです。シールシャ・アーサナは以前できていた時期があったけれどその後できなくなり、もうできないんだと諦めていたとのこと。でも、皆さんが練習しているのを見て「少しだけやってみます」と挑戦されました。その後練習を続けられ、ひと月半ほどで、もう少しで両足が安定して浮かせられるところまでできるようになっています。それに伴い、シールシャ・アーサナ以外のアーサナも、以前より集中感が増してきたように感じています。
「またできるかも、と思えたら、練習をやりたくないという思いがなくなりました」と、軽やかに笑顔で話され、周りでそれを聞いていた皆さんも笑顔になりました。

 

クラスの後、Nさんからとても素敵なお話を伺えました。

「孫が大きくなった時に読めるように、『マハーヨーギーの真理のことば』を贈りたいと思っています。その時自分がいなかったとしても、生きていく上でこの本が支えになると思うから。本に書かれていること、本当のことを、遠い未来になるとしても伝えたい。そして、私もヨーガに出会った吉祥なご縁を、行為で伝えられるおばあちゃんになれるよう、頑張ります」

ご家族のために日々忙しくされている中で、師の教えを実践されてきたNさんの思い、いつかお孫さんに届きますように。

 

いつも素敵な笑顔のNさん

ハルシャニー  

 

 


本当の自分は誰か?

もし生まれ変われるなら、どんな人に生まれ変わりたい? そう聞かれたことがある方も多いのではないでしょうか。性別、国籍、職業など、自分と違う人生を想像するのは楽しいものです。先日私は、しばらくの間、19世紀インドの盗賊に生まれ変わっていました。春の祝祭の聖劇でサーラダー・デーヴィーを襲い、その後改心する盗賊の役を頂いたのです。転職活動中で少し時間があるということで声をかけて頂きました。

私はこれまで、物を盗んだことはなかったので、盗賊になりきるのにとても苦労しました。特に人を脅すことは、劇と分かっていてもなかなか慣れませんでした。しかし、練習を重ね、段々と盗賊の気持ちを理解していきました。夜道で人を襲うシーンで、物陰から獲物を見ている時、緊張で鼓動が高まりました。有り難かったのは、その盗賊がたいへん信仰深い人だったことです。彼はサーラダー・デーヴィーの中にカーリーを見て、それによって改心することになります。信仰心が大切であることが分かりました。

春の祝祭が終ったある日、ほっとした気持ちで過ごしていると、現実の自分をまるで劇中の役のように感じる瞬間がありました。私は家、職場、友達、趣味の場で、色々な役を持っていることに気付きました。普段はアイデンティティーとして固定的に捉えているそれらの役が、奇跡的な巡り合わせによって一時的にできたものに見えました。そして、その役を超えたところに在る本質的な自分をもっと知りたいと思いました。以前、仕事の悩みについて師に相談した時、「本当の自分を知ることがあなたの人生にとっての一番大切な仕事ですよ」と教えて頂いたことが思い出されました。

それから1ヶ月ほど経ち、私は、縁のあった会社に就職することになりました。今、この役割を全うしたいと思っています。日常生活では色々なことが起こりますが、真我(本当の自分)の探求を中心に日々の修行を続けていきたいと思います。

苔寺近くの沢。新しい職場への通勤途中で見つけた瞑想スポット。

島本 廉


ヨーガ・瞑想 西宮北口クラス

2017年より始まった西宮北口クラス。
このクラスは、通常は2、3人、多い時で5人ほどが集まる少人数のクラスで、その内のお二人は女性で、初めてご参加いただいてから1〜2年ほどになります。

今日のブログでは、そのお一人である森澤さんの、いくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

ヨーガは初めてに近かったと思うから、最初はクラスでアーサナをするだけでも精一杯だったと思います。そんな中、家で毎日アーサナをすることは、誰もにとって難関の一つになったりしますよね。森澤さんもそのお一人だったのではないかと思います。
けれどもしばらく経った後、森澤さんは家でアーサナをした後に私にメッセージをくださるようになったのです。「メッセージを送ることで毎日続けていく励みになる」とおっしゃっていたのですが、それは私にとっても、とてもありがたいことでした。頑張って続けていこうと思ってくださることもとても嬉しいことでしたし、加えて、アーサナをした時に感じたことや、クラスでお話ししたことへの感想も一緒に送ってくださり、次のクラスへと繋げることができたからです。

そうしてアーサナにも慣れた頃から、アーサナ以外のヨーガの教えにも少しずつ触れていただくようになりました。ただ初めて聞く真理の教えに、森澤さんの頭の周りに???が飛んでいるのが目に見えて分かる時もありました。
それでも「アーサナを続けていくことで教えを理解していくことができるようになる」という師の教えをお伝えし、今はアーサナを続けていきましょう、とそんなお話をしたこともあります。

1年も経った頃だったでしょうか、とても嬉しいことがありました。
彼女はマラソンをされているのですが、ある大会でとても成績がよかったことをお話しくださいました。そして、その結果には「最初は呼吸が関係しているのかと思ったけれど、よく考えると、余計なことを考えることなく最後まで集中して走れたからではないか、それはヨーガの効果だと思う」とお伝えくださったのです。

そしてその後の4月、MYMの春のキャンペーンで、本を少し安く購入していただけることを皆さんにご案内した時のことです。『さまらさの台所』は購入を決めていますが、他に何を読んだらいいですか?と森澤さんが尋ねてくださいました。実際に見ていただいて一番読みやすそうなものを選ばれたらいいのでは?と手に取っていただいた後、森澤さんが選ばれたのは『ヨーガの福音』でした。きっとその時、何かしっくりくるものがあったのでしょう。

その次のクラス、森澤さんのアーサナが変わりました。
というのは、これまでクラスに来てアーサナをすると、足がつって続けられないということが何回かありました。家でするとそんなこともないらしく、クラスではかなり頑張ってしまわれるからだと思いますが、『ヨーガの福音』を購入されたあの日も、足がつってしまい、アーサナを続けられなくなったのです。その分、ヨーガの話をたっぷりとできた良い時間にはなりましたが、アーサナに関しては不完全燃焼!と残念に思っておられたようです。

そうして迎えた次のクラス、この日は、足がつることもなくアーサナを終えることができました。今日はつりませんでしたね、とお声かけすると、「これまでは、アーサナの柔軟性を高めようとして頑張ってしまっていたけれど、『ヨーガの福音』を読んで、アーサナをすることへの目的意識が変わり、力を抜いてできたからだと思う」とのこと。そして「『心と体は自分ではない』という教えなどが、スッと心の中に入ってきた。『ヨーガの福音』は何度も何度も読んでいきたい本だと思った」とおっしゃいました。

今、森澤さんは、自分が習っているヨーガがどんなものかもっと知ってみたくなった!と、軽やかに、熱心に通ってくださっています。

真理を体得された師のお言葉は、誰もの心の奥に届き、変革をもたらすものだと、それを改めて実感できた出来事の数々でした。
こうして真理の教えを残してくださった師のお働きに、深く感謝を捧げます。

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西宮北口クラスは、毎月第1、3木曜日に続けています。
お近くの皆さま、ぜひご参加ください!

シャチー